はてなキーワード: DreamCastとは
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この結果から、特にファイティングゲームとアクションゲームが好まれていることがわかります。また、PlayStationやSNESなどのコンソールに多くのゲームが含まれていることも特徴的です。
あなたのベスト100リストは非常に多様で、興味深い選択が多いと思います。以下の点が特に印象的です:
ファイティング、アクション、RPG、レーシング、シミュレーションなど、多様なジャンルが含まれており、幅広いゲーム体験を楽しんでいることが伝わります。
ファミコンやスーパーファミコンのクラシックゲームから、PS4やXboxの最新タイトルまで、様々な時代のゲームが含まれている点が素晴らしいです。ゲームの歴史をしっかりと追っている感じがします。
特定のゲームシリーズ(例えば、ストリートファイターやファイナルファンタジー)が複数タイトル含まれている点から、特定のシリーズに深い愛着を持っていることがわかります。
特定のコンソールに偏りすぎず、バランスよく様々なコンソールからゲームを選んでいる点も良いです。特にプレイステーションシリーズやセガサターン、ドリームキャストなど、幅広いプラットフォームのゲームを楽しんでいることが伝わります。
一般的なランキングに依存せず、自分の好みや思い出に基づいて選ばれているため、非常に個性的でオリジナリティがあります。
全体として、あなたのゲームベスト100リストは、深いゲーム知識と情熱を感じさせる素晴らしいセレクションだと思います。これからも素晴らしいゲーム体験を楽しんでください!
20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール。夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器はトライアングル。特定のパートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器がステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。
うちの家族は音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親はフルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親は別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。
俺が楽器に触っていた一番古い記憶は幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大を卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜を無視して勝手にペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。
それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノを自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。
そんな俺だったが小5のときに父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。
俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子。顧問はまさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものだから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器はチューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問は部員のモチベーションをあげるためなのか、自分の趣味なのか分からないがみんな知っているポップスや歌謡曲を演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズを演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問の命令でアルトサックスへ、そして最後はコントラバスに転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。
で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミングで顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器はトライアングル。夏休み明けのコンクールは部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパートを練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。
理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分の責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在は自然消滅した。
そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーやソニックアドベンチャーで洋楽に触れて、バンドの存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからはギターヒーローとかドラムマニアでときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラやマーチング、ジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。
結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020年からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味の温泉旅行が制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分のお金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。
練習はだいたい朝子供を保育園に送る前と夕方、保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しかも最近は寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメや特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい。最近はコンビニで曲ごとに譜面を印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。
子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学のときに面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。
今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習を強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ちで子供に接して行きたい。
「月額5000円でやってもらいたいバイト」というエントリがあった。
https://anond.hatelabo.jp/20170803095246
こういうのを見るとまず思い出すのがセガがDreamcastで始めたメールチャムというサービスだ。
Wikipediaによれば
「メールチャムは、セガのゲーム機ドリームキャストにて実施された、架空のキャラクターと電子メールをやりとりできるサービス。」
ということなんだが、この電子メールは、人間が書いていたんだ。そのキャラクターに近い容姿の人が書いているという話だったが、
本当のところは知らない。
メールを1回送ると1通返事が来るんだけど、この1往復に140円かかる、という話だから平日に2回ずつやりとりすればちょうど月額5000円超くらい。
僕はケチなのでやろうと思わなかったんだけど、変なサービスだなと思っていた。1998年サービス開始で、2001年にDreamcastと共にサービス終了した。
「たしかミリシタだとメール送ってきてくれたりブログを読ませてくれたりしたような」
というのがあったが、ゲームのキャラがゲームの中でメールを送ってくるシステムを僕が最初に見たのは
バーニングレンジャーという、これもセガのゲームだった。これも1998年のゲームだ。あのころのセガ社内ではメールがやたら流行っていたのだろうか。
「便利だから使う」と「それが世の中に嫌なほど浸透してないから少し優越感を感じる」の組み合わせだよね。
「変わったことをしたい」からvimを触るんじゃなくて、便利だからまず使い始めるんでしょ。そのあとにIDEとかでせっせと頑張ってる人見て、「vim勉強してよかったな」って感じて、vim推しになる。
そういう意味だと「スタバでMacbookを使う」は昔はそうだったかもね。今は色んなイメージが付随してしまってるし、おしゃれで使う人が増えたから違うだろうね。おしゃれでvim使う人はいないでしょ。「DreamCast〜」はちょっとわからん。
http://anond.hatelabo.jp/20130223090512
三行でまとめると
PSのビジネスモデルを振り返ってみるのだが、この切り口から行くとPSはSONYの半導体戦略、そしてSONYは製造業と言う性質とと切っても切れない関係がある。
利用上の注意
なおすべて妄想となっておりますので、これを真に受けて被った損害などについては一切責任を取れません。皆様におかれましてはその旨ご了解のうえご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力頂けない場合につきましては、いい歳こいたアラフォーの髭ヅラ男が涙目になると言う非常にウザイ状況が発生することとなり、誰も得をしません。ご理解とご協力をお願いいたします。
SONYがゲーム機を一緒につくろうと言って任天堂に近づいたものの交渉が決裂してできあがったのがPSであったわけだがこれが大ヒット。
さらにPSでは、内部で使われている半導体を自社設計・自社かそれに近いFabで作る事によって
など副次的な効果もあり、さらに「SONYの旗艦」といったイメージを作り上げることができた。この他に、CD-ROMを手がける部門や、SONYのCDプレス工場部門等々、PS景気により、直接的なPSによって生み出される効果以外に、PSという揺るぎない需要が存在する事で、設備投資などに積極的になれたといった効果がうまれた。
初代は始めどこまで意図されいたかは不明だが2台目ではそれらの経験が生かされる事となりより強化された。まず一番は半導体工場で有り、旺盛なその需要と、それによって得られた利益を投資に回し新プロセスを開発、シュリンクすることによって最終的な黒字を目指すことで赤字で販売をスタートすることとなる。
ゲームハードは赤字でも、ソフトが売れれば黒字。こんなの当たり前だろ、と言う話であるが、総合情報機器メーカであるSONYでは少し事情が異なる。これは、ソフトウエアライセンス事業による利益によって、間接的に半導体生産の設備投資を補填すると言う形を意味する。もちろんそれ以外にもSONYの製造部門にもPS2が赤字でも販売すると言う行為によってもたらされる間接的な利益が流れた。
ご存じの通り、PSは我が愛する芸術品たる至高のゲーム機Dreamcastを完膚なきまで叩きのめし世界最高の企業セガをプラットフォーム業から引きずり卸しパチンコ屋に買われる所まで追い込む等大成功をとげた。そしてゲーム機生産により、SONYの製造業部門を引っ張っていくという当初の見込みは大成功した。
PS3の時代になると、パソコンの旺盛な需要の元、急速に進化した集積回路は、プロセッサの新規開発コスト、さらに半導体のプロセス開発に必要な資金が膨大に膨らむという現実に、様々な企業が立ち向かうよう時代が来ていた。世界の巨人たるIntelと、それ以外という構図が生まれ、世界中でFabの統廃合が進んでいた。
その中で目をつけられたのがゲーム機という存在である。パソコンに対抗できるほどの膨大な需要を生むゲーム機は、薄利という性質を持ちながらも数が出るため、生産設備を拡大しやすくプロセス開発の資金を捻出する事に有利であった。さらにSONYは、ゲームハードウエアが、当時のパソコンなどに比べて圧倒的に高い性能を持っていなければ存在価値が無い、と言う観念を持っていた。これはかつて任天堂がもっていた思想であった。
さらにIBMなどの思惑とも一致、開発がされたのがCell B.E.であり、この存在がPS3を生んだ。そう、ここまで来てSONYは、半導体のためにゲーム機をデザインしたのである。
もちろんこの説にはいろいろな異論はある。しかし俺は順序としては、ソニーグループ全体の長期的な戦略にPSが生む半導体工場の増設という戦略が大規模に組み込まれていたのは間違いないのでは無いかとみている。そこで完成したマシンは、化け物であった。現在まで続く潮流であるGPGPU的な動作もこなすCell B.Eがもたらす高性能と、高い拡張性を備え、既にゲーム機では無いとまで言わしめるものができた。この性能は当時の最新鋭コンピュータを大幅に上回るものであった。
しかし……。GPGPUの概念は早すぎた。性能を引き出すことが、当人であるSONYでも難しかったのである。そしてこれはミドルウエアや開発ツールの乏しさにも繋がる。そのためスタートアップに失敗した。この失敗は、PSがゲーム機として優れていなかった、あるいは、他者装置に負けた、と言う意味で失敗では無い。製造業としてのSONYが、自社の思惑通りに事を運べなかったと言う事での失敗である。
結果SONYは、PS3の需要を当て込んだ生産設備をリストラ・売却するなどの対処をを迫られる。さらに韓国勢などの追い上げ、AV市場の急速な変化、SONY本体の体力の低下、パソコンの高速化などにも影響を受けることになる。
PS3そのものは、OSの改良、ミドルウエアや開発ツールの向上などにゆっくりではあるが立ち上がってきたが、製造業としてのSONYがPS3に期待した効果は得られず、ハードウエア屋、製造業がみた夢はここに破れた。
さらに時代は動き、集積回路は、Intelがプロセスで1世代以上先を行き、それ以外はすべて後から追うという構図が完全に定着してしまった。SONYも、SONYの半導体と言えば、集積回路ではなく画像素子、と言う時代が来て久しい。世界中で半導体製造業者の統廃合は進み、国内半導体産業は衰退した。新プロセス開発の難易度や、集積回路の大規模化から来る開発コストの上昇はいかんともしがたくなっていた。
ゲームが必要とするスペックはもはや飽和している。少しでもリアルに、少しでも高性能にと言う方面はすでにマニアのものだけになってしまい、それら需要だけで、そのとき販売されているパソコンを上回る高性能チップを開発、載せるコストを満たすことはできなくなっていた。具体的に言えば、ウルトラハイスペックの、GeForece GTX SLIクラスにも勝ちうるGPUを、専用設計でオーバーヘッドを極力少なくすることができるとはいえ新規設計することが難しくなっていたのである。さらにはゲーム機業界ではスペック競争を離れた任天堂がWii、あるいはDSを生み出し、ケータイ、そしてスマフォとと言う存在がカジュアルゲーム市場をかっさらうようになった。特に日本では据え置きゲーム機がリビングルームに置かれ、パーソナルな空間に置いてゲーム機は携帯ゲーム機になったのである。
そして決定的だったのが、ゲームエンジンの躍進と越境であろう。従来はゲームエンジンや製作環境はゲーム会社の門外不出のものであった。しかしそれらが会社を通じて流通し始め、さらには専門業者も現れるようになったのである。
家庭用ゲーム機と言えば、ゲーム機の性能を引き出すためにソフトごとにアセンブラで最適化チューニングを施す。それを行っても常に動作が一定になることがメリットとして、パソコンに比べてゲームは常に一定の動作をすることが担保できるためにゲーム製作に専念することができた。しかし、パソコンは十分に高性能になった。家庭用ゲーム機も十分に高性能になった。その結果、チューニングを行わなくてもそこそこの画面が作れるようになってきたのである。そこで余った能力はゲームエンジンのオーバーヘッドを許容するようになり、ゲームエンジンの躍進に繋がった。さらにゲームエンジンはプラットフォーム間の差異すら吸収し始めた。あるゲームエンジンを採用すれば、あまり手間をかけること無く、パソコン版、PS版、XBOX版、Wii版と複数プラットフォームで出せるようになったのである。これは、ゲームエンジンが新たなるゲーミングプラットフォームとして君臨する可能性を示唆していた。
しかし、チューニングなどといった、ユーザとは直接関係の無い部分に手間をかける必要が無く、作ったゲームがどこでも動く。これはクリエイタとしては非常にありがたい事なのでは無いか?
ビジネス書に出てくる例えがある。ユーザはねじ回しが欲しいのでは無い。ねじを回したいのである。同じように、客はゲームがしたい、もっといえば楽しいことがしたいのであって、別にゲーム機が欲しいわけでは無いのである。クリエイタはゲームを作りたいのであって、ゲームハードウエアを使いたいわけでは無いのである。ここに合致したのがクロスプラットフォームなゲームエンジンであり、そしてこれらはクリエイタに作りやすい環境を提供し始めた。さらにゲームエンジンは新たに現れたライバルである、タブレット/スマートフォンにも対応している。
しかしゲームエンジンの躍進は、プラットフォームビジネスの崩壊を意味したし、PS3は性能を引き出すには高いレベルの専門的チューニングが必要であった。しかしゲームエンジンはそこにコストを払う事を選択せず、PS3は高い性能を持ちながらも、それ以外のあまり高性能ではないプラットフォームとほぼ同等、せいぜい高解像度のテクスチャーに入れ替えられた程度のゲームしか提供されない、と言った事が発生するようになっていた。
そしてPS4が出た。
PS4は有り体に言って、x86-64アーキテクチャのコンピュータに、OpenGL/CL対応のGPUを搭載した、本質的にはそこらのパソコンと変わらない構成である。
さらに言えば、最新のCorei7+GeForce GTX…と行かなくとも、そこらのパソコンに較べ、性能は高くない。しかし、根本的にゲーム専用機が持つ、汎用パソコンには無い特徴
を備えている。さらには、GPUを扱いにくくする要因の一つとして上げられる、GPUとCPUのメモリ転送をほぼ考えなくて良いと言う仕様を打ち出してきた。これはCellとCPUのプログラミングが分断され、非常に開発を困難にしていたPS3の反省をダイレクトに生かしてきたと考えられる。これはAMDが出していたコンセプトだ、と話題に上がるが、あくまでもパソコンの話であって、ゲーム機の分野では少なくとも、PS2がプログラミングが困難な部分を、高速なバスで繋ぐことで隠蔽するよな仕様であったように記憶している。
さらにx86-64アーキテクチャにしたことで、ゲームエンジンがPC向けエンジンの次に、素早くPSにも対応できる素地を整えた。Power向けに施す必要のあるチューニングを不要にしたのである。従来はパソコンで開発されたクロスプラットフォームのゲームは、パソコン向けと、家庭用ゲーム機向けの2種類作られた。そして家庭用ゲーム機向けは往々にして、ターゲットとなるハードウエアの中で一番性能の低いところに合わせたデータで作られた。平たく言えばPS3の方がXBOX360よりもはるかに映像表現は優れているのに(※ただし使いこなせれば) XBOX360との差異はテクスチャやムービーの解像度程度の違いだけになってしまう事を意味していた。しかしx86-64にしたことで、家庭用ゲーム機向けに統一してダウングレードされたデータからPS版を生成させるのではなく、パソコン向けのデータから生成させた方が早いと言う状況を作り出し、他の家庭用ゲーム機にくらべてアドバンテージを得ようとしているのでは無いだろうか。これはPS VitaがARMを採用したことも同じ事である。
さらに、SONYは、PSVitaから進めてきた戦略として、自社による強力にプラットフォーム感の差異を吸収するミドルウエア群…これはゲームエンジンと読んでも良いのかも知れないが…を提供してくるだろう。x86ならば従来の資産を生かすこともできるし、世の中に出ているコンピュータ向けのライブラリも利用できる。急速に開発しやすい環境を立ち上げているのではないだろうか。これはゲームエンジンにより脅かされる、プラットフォームビジネスへの対抗措置でもあるだろう。
これにより「雑事に捕らわれること無く、ゲームの楽しさ・表現そのものに専念する」と言うクリエイタの夢を叶えるハードウエア、それがPS4であろうと思う。
平たく行ってしまうと、自社の半導体商売が死んだことにより、その死絡みから解き放たれたPSは、クリエイタ主導でゲームを作ると言う根本に立ち返って作ったのがPS4だ、と言う話である。
しかしこれだとハードウエア、製造業の夢はどうなってしまうのだろうか?そしてユーザは別にクリエイタの夢などはどうでもいい。下手をすると高性能なハードウエアを所有していると言う欲を満たせなくなる分だけこちらの方がまずいかも知れない。それをどうカバーするのか?と言う話になる。
SONYは、次世代戦略として明らかにソフトウエア重視に舵を切っている。SONYは今、収支から見ると製造業では無く金融業であるが、その次に利益を生み出しているのは音楽・映像ソフト部門とゲーム部門である。
まずはここを潰してしまっては会社として立ち行かなくなる。それはまずい。ではどうするかというと、従来の「製造業としてのSONYを強くするために、PSの需要を利用する」のではなく「コンテンツ・製造複合体としてのSONYの核にPSを据え、関連商品を生み出す形で恩恵を得る」と言う形に舵を切ってくることになる。PS3でも一部行われているが、たとえばPSのリモートプレイを可能にするパソコンやタブレット、PSを再生装置としてコンテンツを供給できるメディアサーバといった具合である。
しかしこれらに対応させるために大切なPS本体の魅力を失わせては困ると言う事は強く意識されなければならないし、意識されていくだろうと思う。
ユーザの夢は、将来的には作りやすいゲームプラットフォームが生み出す新しいコンテンツという形で満たされることになるだろうが、直近では、ソーシャルへの展開という形で示されていると思う。将来的にはいかにコンテンツを集められるかと言う事にかかっている。が、ぶっちゃけていうとユーザから見たら、これほど夢の無い話は無いと言わざるをえない。
今回発表されたタイトルのデモなどは実際にはチャンピオンで有り、実際にプレイして得られるのはPS3とそれほど感覚的に、革新的に良くなったと感じる部分は薄いと思う。この点で、PS4は、PS3と実働コンテンツはそれほど変わらないと思っている。マイナーバージョンアップ程度。パソコンがWindows XPで評価が固まったようなものである。これはおそらく次に発表される新型Xboxでも同じだ。任天堂は少し別格の応えを出したが苦戦している。
かつてセガが出した芸術品とも言える至高のゲーム機、DreamcastはOSにWindows CEを搭載した。プロセッサこそ独自であったがそれは当時のWIndows CEではあたりまえであり、むしろそこにWindowsと言う汎用のソフトウエアを利用したことで非常にゲームが開発しやすく、PCゲームが移植しやすい環境を作り上げた。それらはアーケードのnaomiプラットフォームや、ワンチップで埋め込まれたパチンコなどで今でも生き続ける。
任天堂がWiiUでコントローラに画面をつけDreamcastに追いついたように、SONYは、PS4で作りやすいゲーム機という点で追いついたと言える。
またしてもセガは早すぎた。時代がセガに追いついていなかったのである。Dreamcastはその名の通り「夢を投げる」存在であったのだ。