はてなキーワード: B型とは
日常会話で、「やっぱり三月はあったかいね」と言って、主語がデカいと返されるケースはまずない。
主語のデカさを指摘される状況は、議論誘発率が高い話題において、定義を慎重にしなければ議論にならない言語であることが聞き手の知識経験に基づいているときだ。
上司にはやめといたほうがいい。
じゃあ、上司にはどうするか。
「宇宙人の慎重さはなんなんでしょうね」
「地球人も慎重ですしね」
とにかく合とけばいい。
「A型にもいろいろいるでしょ」
「いねえよ。全員ハワイ好きだよ。だって、鈴木さんもハワイよく行くし、田中さんだって行きたいって」
「いいや、違う。B型はみんなASEANに行っている。もう一人の鈴木さんも、もう一人の田中さんだってタイとフィリピンだぜ?」
「部長は?」
「分かんない。急に言いだしたからびっくりしたよ」
まあ、だいたいこんな感じでいいと思う。
小中学校時代ずっと顔のことでいじめられていた。だれからも「変な顔w」と笑われていた。ぼくがどんなに努力しても「でも顔は変だよねw」といわれて終わってしまう。小学生時代は走るのが速かった。運動会のリレーの選手だった。でも結局ぼくは「変な顔のやつ」でしかなかった。「ヘンガオ」や「怪物くん」があだ名だった。中学時代も高校時代も学年トップレベルの成績だった。でも「変な顔のやつ」でしかなかった。いったいどうしたらいいのかわからなかった。だれもぼくを認めてくれない。
これはもう東大に行くしかないと思った。でも落ちて、結局地方の旧帝大に行った。そこには絶望しかなく、もうすべてがいやで、むなしくて、かなしかった。
ぼくはなぜか大学時代「イケメン」「ハンサム」「かっこいい」といわれるようになった。まったく意味がわからず、これが社交辞令というやつか、まったく世の中歪んでいるなくらいの認識だったが、それは完全な確信をもってそう思うのだし、ぼくはどう見てもおかしな顔で、いまだに毎朝エレベーターの鏡を見て落ち込むわけなのだ(あとで説明するがぼくはいま障害者向けの作業所に通っている)。
なんども鏡で確認する。どう見ても奇形だ。骨格がおかしく、人間に見えない、なんだろうこれは、ペンギン? それともピスタチオ? 鏡を見るたびに落ち込む。鏡を見てこれはひどいと思ったらもう外には出れない。ひたすら寝込む。引きこもる。そうやって大学5年が終わった(大学にいけなくて1年留年したのだ)。
いつのまにかぼくはメンヘラになっていた。大学1年からその傾向はひどくなったかもしれない。大学5年目は卒論を書くだけだったのでなんとか卒業はしたが、もちろん就職活動などはしていない。じつは大学4年目に就職活動をしたのだが、もうまったく完全に頭が真っ白になってしまって、どうしようもなかった。ぼくはわけのわからないことをくちばしっていただろう。それ以来トラウマで、大学卒業後実家に帰ってきて、就職活動を親に迫られるとぼくはパニックになってしまって(過呼吸になって呼吸困難になる)、身動きできなくなっていった。どうしたら他人に認めてもらえるのかぼくにはまったくわからないのだ。ぼくは「変な顔のやつ」だ。それはもうどうしようもない。どうしようもない状態からいったいどうやってだれかにぼくの価値を認めてもらったらいいんだ。それはまったく完全に究極の難題だった。死について考えてぼくはよく小さなころからパニック状態になっていたが、まさにそれと同じ現象が起きた。考えが及ばない、まったくの未知、理解の範囲外、それは神、神だ! だが神なんかいない! 神の姿なんてぼくらはだれもわからない、というより神に姿があったらそれはおかしいのであって、ぼくにとって、《就職活動=他人に自分の価値を認めさせる》という儀式というものは、まったくの神秘であって、考えの及ばない、彼方の彼方にあるほとんど魔術的な妄想とでもいうべきもので、一般企業で働くということは完全に奇跡のわざでしかなく、それも実現不可能の絵空事、定義の及ばない、ことばの射程の外にある、まったく完全な神秘だった。しかし世間の人間はみんなそれをあたりまえのようにこなしているという事実がぼくに重くのしかかってきて、それは絶望ということばだけでは言い表すことのできない、とてつもない、ある重層的な空虚、陳腐な言葉で言えば、そうだ、まさにそれは「世界の終り」だった。そう、世界は終わってしまったのだ。ぼくには理解できない、おそらく認知すらできないなにごとかがこの世界では行われていて、ぼくはそこに存在するだけの強度をそなえていない、おそらく世界の脆弱性とでもいうべき……、異端! おお! すばらしい! 圧倒的少数にして弱者! 愚者であり賢者! ぼくにはもうこの物質世界は見えていない。文字通り超然としている。だがなんだ、超然としているというのに、ぼくはこの物質=顔にこだわっているではないか。ぼくの精神は完全にこのけがれた体から離脱しているというのに、しかしぼくのトラウマはまだ完全に顔にとらわれていて、むしろ顔こそすべてであって、かわいいは正義であって、ぼくは美少女が好きであって、いまだに勃起するではないか! なんなのだこれは。とらわれている! この世界に! ぼくはこの世界で認められたかったのか、それともこの世界を否定したかったのか、いやちがう、ぼくは自分自身が否定されたことによって、まさに自分自身が否定される世界というものを肯定することによって、ここに自分の存在を確立したかったのであり、だがそれは自虐でしかなく、自滅でしかなく、まさにこの自縄自縛のなかで、どうしようもない破滅的な未来へ向かってぼくは生きてきたのであった。だが、それも考えてみると、結局、死にたいという欲望に突き動かされたものでしかなく、しかしいざ死のうと思うと死ねず、しかし死のうという意志そのものが生きることを肯定するなにかとなっていたのであり、もはやなにがなんだかわからない状態で、結局ぼくは精神科を受診することになった。
精神科というものはまったくわけがわからない。まともに話したのは最初の診察のときだけだ。投薬治療をつづけてきたが、まったく改善は見られない。投薬治療だけでは無理ともちろん医者はわかっていて、カウンセリングも並行してやっているのだが、いや、しかしだね、臨床心理士といっても、しょせんぼくより頭の悪いひとなわけだ。ぼくがひたすらこの世の不正や不正義や不条理について語っていったところで、ぼくの真向かいに坐っている、この美女はなにか理解しているのだろうか。ホメロスやオウィディウスやプラトンについて話していたとき、ホメロスも知らなかったのだが、これは大丈夫なのだろうか。いやしかし美女とお話できたのだからよしとするか、というかそのひとはぼくを捨ててさっさと結婚してしまって、いまはもうカウンセラーやってないっぽいのね。まったくね、なんなのかね、結局口だけというか、そりゃカウンセラーにはカウンセラーの人生があるわけだが、こっちだって人生かけてしゃべりまくっているわけでね。ぼくはいってやったよ。あなたのことが大好きです、幸せになってくださいってね。うん。そうだ。彼女は幸せになったのだからぼくは泣いて喜ぶべきなのだろう。でもなんなのだろうねこのむなしさは! ぼくは結局利己的にすぎないが、自分がしあわせになりたいのだよ。しあわせになりたいよ。しあわせってどういうことなのだろうね。いや、もしかしたらいまの状態もしあわせなのかもしれない。障害基礎年金をもらっていて、医療費には困っていないし、両親はまだ生きているし、むしろあんなに厳しかった父親も……、ぼくは彼に虐待とまではいかないのだろうが、幼少期かなり暴力を振るわれて、ちょっとトラウマになっている。まあだからといってアダルトチルドレンというわけではないのだが。むしろいま父は仕事を退職してかなりやさしい性格になっている。父があんなにぎらぎらしていたのはまったくくだらないあの世界の滓とでもいうべき労働のせいなのだ。まったくこの世は腐っているね。でもとにかく両親はやさしい。ぼくはまったく役立たずで、そりゃ洗いものや掃除くらいはするが、だからといって、妹みたいに金を稼いでこないわけでね。
就労に向けて頑張りましょうという。ぼくは作業所に入った。B型ではなくて就労移行だ。一般企業での就労? それってどんなものなのだろう。ぼくは最低賃金で事務系のアルバイトを体験してみたことがあるが、そこは一日でやめた。そこのババアの指示がまったく理解できなかったため、ここで働くのは無理だと感じたからだ。あれはぼくがおかしかったのだろうか。支援者にはそういわれた。ぼくがおかしかったのだと。おまえに歩み寄りの気持ちが足りないのだと。でもぼくは真剣に真面目に全力で全身全霊を込めてやっていたのだ。しかし、その初日というか、唯一働きに出た日だが、そこをしきっているババアは朝いってもそこにいず、アルバイトの女性スタッフがぼくにいった。こんな感じでこんな感じのを作ってください、とね。いや、ぼくは大学卒業後まったく社会に出てなかったわけで、こんな感じの資料をつくれといわれても、いや、そりゃあね、見本があればぼくだってエクセルくらい使えるから、作れるんだが、その見本がないので、その指示、つまり「見やすいように作ってくれ」の「見やすいように」というのがどういうものなのかがまったくわからないわけだ。それはこちらの頭の中に知識として入っていないわけだから。そしてぼくに職歴がないというのはわかっているはずなのに、そういうことを要求してくる。それなので、ぼくは自分にとって見やすいように作ったのだが、それはちがうという。だったら見本を見せろと返す。見本はないという。なんだそれは。ここの職場はいままで同じような資料を作ったことがあるだろうに、そういったノウハウの蓄積といったものはないのか。ないという。なんだそれは。もう意味がわからない。そしてぼくは悪者にされた。ぼくは積極的に説明を求めた。人と話すのは苦手だし、さらに人に話しかけるなんてことはほとんどもう中学以来したことがなかったというのに、そのぼくが、そうだ、障害枠ということでやっているのに、そのぼくがやっと話しかけたのに、不完全な情報を断片的にしか与えてくれない。なんなのだこれは。この資料をもとに作ってください、といわれる、だが、作っている途中にその資料が不完全だということがわかる、なので、ぼくはこの資料だけではつくれないので、もっと正確な情報をくれという、そうすると、なぜだかわからないが、いやいや出してくる。意味がわからない。というか、最初からちゃんと資料を用意しておいてくれないと、いちいちこっちが催促しないといけないのか。なんなのだ、この非効率な仕事は。指示するなら、完全な指示をしてほしい。こっちは最低賃金でやとわれている、それも障害者枠でやとわれているクズなのだ。そのクズに創造的な仕事をもとめないでもらいたい。わけがわからない。これが社会。これが社会。おそろしい。そもそもなんで入って初日のぼくがそこの常識みたいなものを知ってると思っているんだ? あまりにも想像力がなさすぎないか? なんでぼくがそこの常識、たとえばA班とはどこでなにをやっているどういった人間たちの集まりだということ、そういうものをどうして入って初日のぼくが知っているという前提で話が進んでいるんだ。おかしくないか。どう考えたっておかしい。しかし支援者はぼくにコミュニケーション能力がなかったせいだなどという。それはちがうだろう。ババアのコミュニケーション能力というかもっと大雑把な意味での能力の問題だ。管理し指示を出す側の人間がしっかりしているべきじゃないのか、しかも障害者枠で、職歴なしで、やっとここで社会復帰のためのちょっとした労働をさせてもらいますみたいな人間に対してなぜ的確な指示を出さないのか、ぼくにはまったく意味がわからない。その職場の空気読んでやってねってそんなのわかるわけがないだろう。3ヶ月や半年そこにいればその場の空気やルールというものもわかるだろうが、入って初日に、どうしてそういった超人的な想像力が要求されるのだろう。それは理不尽じゃないのか。そしてそれを理不尽と感じるということがぼくの甘えだと論破される。これはおそろしい。思ったよりも、社会は遠いところにある。いったいどうすればいいのか。社会というものは理不尽だとみんな嬉しそうに言う。腐ってやがる。
作業所に行くと、○○さんは高学歴だし、なんでもできるよね、だからどんどん面接受けようぜみたいなことになっている。たしかにハローワークでGATBというテストをやったところ、一番高い数値は160近くあったし、ほかもおおむね130を超えていた。向いてる仕事というのがそのテストでわかるらしいのだが、困ったことに、ぼくに向いてない仕事はない! なんだそれは。この役立たずが! なんでもできるということはなにもできないということだ。ひとは制限があるから頑張れる。無限にひらかれていては神秘主義者になって終りだ。
なにもぼくは自分が天才だといいたいのではない。東大には受からなかったし、ネットで例のIQテストをやると138しかでない。こんなものは天才でもなんでもない。ちょっと平均より頭の回転が速いだけだ。中途半端、それがぼくに与えられた称号。といいたいのだが、だが、ぼくの顔は中途半端どころではなくどろどろに崩壊していて、もはや人間ではなく、だが、作業所にはダウン症のひとたちもいて、そういうなかにいると、たしかにぼくはそういうひとたちの一部ではいられるのだけど。でも世間はぼくらを人間とはみなしていない。障害者は殺せ! 隔離せよ! という。生きる価値がないという。
ああ、たしかにそうだ。ぼくらには生きる価値なんてない。でもなぜか生きている。みんな死にたいはずだが、でも生きちゃっているものはしょうがないのだから、結局生きている。
さて、どうやってこの顔と向き合っていけばいいのだろう。結局ぼくは自己肯定感をもてずにいるわけだ。結局それなのだ。自分に生きる価値があるとだれかが、家族以外のだれかが認めてくれれば、それだけできっと見える世界は変わってくるのに。見える世界を変えるためには努力しなければいけない。しかし努力の方向性がわからない。ぼくは存在そのものを否定されている。能力についてなら努力でかえられるだろう。性格についてならある程度の矯正は可能だ。しかしぼくの顔は! どうしたらいいのか。そういうわけで、ぼくはしばらく口をすぼめて生活していたことがあった。口をすぼめることによって、見える顔が多少変わるからだ。ぼくはそれによってマシな顔になったと信じていたのだが、まわりのひとたちはおかしいからやめろという。マスクをしていたら、マスクをはずせといわれる。なぜなのか。
露骨な容姿差別は存在する。容姿差別はなぜか問題にならないが、かなり重大な問題なのではないだろうか。ブサイクだとなぜいけないのだろう。奇形だとなぜいけないのだろう。
破壊衝動に身を任せてはだめ、テロなんてやっちゃだめだからね、と医者にいわれている。たしかにそうだ。もちろんぼくはそんなことできないだろう。せいぜい机をぶったたいて自分が骨折するくらいだ。むなしい。でもすべてをぶっこわしてやりたい気持ちはたしかに存在する。
(全てだろうと多数だろうと)「実際よくあてはまる」と思ってる人の方が現実と空想の区別がつかないおかしい人ですよね?
なにこいつ
血液型が好きになりたいです。
もちろん血液型が何か聞いてくる人は何も悪く無いです。
私はO型です。。
朝に血液型の話をされると夜寝るまで血液型のことを考えてしまいます。
血液型くらいと人には言われてしまうのですが、相当深刻で血液型占いの話が最近自分の中で大きくなってきていてパンクしそうです
私は人の性格は場面によって変わると思っています。みんなが違っていて、昨日あった時と今日あったこの人は、もう別人なくらい何かを考えていて何か経験していて、皆それを隠して会っているんだと思ってて、それを血液型に当てはめて考えるのは少し道理が違うような感じがします。。
占いは本来大好きなんです。誰にでも当てはまるようなことが書いてあっても、楽しいなと思えるし、今日の運勢とか答え合わせのように一日がワクワクします。占いを信じるのは私にとって信教の自由と一緒で、悪いことではないと思ってるので、私の沸点が低いことだけが問題なのですが、血液型の話題をされると過剰に考えてしまうのです。
どんなときに血液型の話ってされるんだろうって思って、普通に会話してたら気づいたんですけど血液型の話題って急に出てくるんです。
例えば
「○○って全然怒らないよね」
「そういえば最近怒ってないかも」
「何型?」
みたいな。急に出てくるんです。性格の話になった瞬間に出てくる
血液型ってそんなに重要なのかなと思うくらいです。だけど、こういうこと自分もしてるし、今まであった人にしない人を見たことがないので、
ただ単に私が血液型に対して過剰な反応してるというだけなんです。
ABとB型って大抵悪いことが書かれているのも気になります。B型は特に「自己中」という最低なレッテルを貼り付けられます。
でも私は世界中に自己中心的じゃない人間は絶対いないと思っています。
自己がない人なんていません。
血液型に対してただずっと考えてしまう癖が幼少期から治らず今まで隠してきたのですが、
最近血液型を気にする人に何度も短所を「B型だから」と片付けられていて、もう限界です
性格が顔に出てるというが、それは科学的根拠ありきで言っているのだろうか?
それを言うなら、美人は三日で飽きるとかB型は自己中心的だとする見方や
ホロコーストは存在しなかった事は事実であると言っているようなもので、
何ら根拠性が見当たらない。
キツネの大好物は稲荷寿司と同じでどこかしこから流れたデマなのだろう。
そうでなければ、ブスは性格が悪いなんて風潮がまかり通るはずがない。
恐らく性格ブスという言葉が一人歩きしてブスは性格が悪いにすり替わったのかもしれない。
確かにブスは救いようのないブスなのだ。
結局ブスにとって性格の有無はそれほど重要ではない事は明らかで
長らくB型だと思っていたら23歳でA型に「変わった」友達いるよ
母親がB型で、生まれた時は母親の血が(長いので省略)なので、大きな病気もなくやってきた友達は献血してはじめてわかったのだった。
血液型主義者はこういう人たちのあつかいどうしてるんだろ……?
「パロネタは熱い中に打て」とばかりに数カ所のみ改変したものを戯れに投下したところ、
補足1:これはパロディ(と呼ぶのもおこがましい改変ネタ)です
一行目にリンクを記載した記事(「21世紀の生存戦略」様)が元ネタです。桜蔭生かわいい。
これは、元記事の表現をそのまま用いた物ですが、元記事においては打ち消し線があります。
補足3:東大への進学実績について
2013年度において東大へは現浪合わせ99名が進学するようです。
学年あたりの生徒数が160名程度なので、約60%と算出しました。
(参考資料、pdf注意)
http://www.komaba-s.tsukuba.ac.jp/home/wp-content/uploads/2013/05/2013kokkouritu_zenkikouki0409.pdf
補足4:仕事について
だいたい似たような物だなと思って改変しなかったのですが、公務員、医者に加え、研究職や弁護士なども多いです。
民間就職する人間は安定した企業勤めが多いですが、もちろん起業志向もある人間もいます。
補足5:関西の雄について
補足6:その他
桜蔭、筑駒に限らずだいたいの都内進学校には当てはまるだろう、というご意見は完全に同意します。
とはいえ、筑駒生が結婚相手として優良なパートナーたりえることは、ここに強調しておきたいと思います。
乱文失礼。
http://ss21.doorblog.jp/archives/33561553.html
☆ ☆ ☆
知らない人のために、
説明しておこう。
5人に3人が
あとはwikipediaでも見てほしい。
(当時。今も?)
KやAやMもあるし、
国立のGとかTとか、
高校受験ならKもあるけど、
なかでも筑駒がいい。
筑駒にしなさい!
その理由を説明しよう。
1. 物事の理解力が高い
受験戦争の成果なのか
こっちが多少言葉足らずでも、
一を聞いて百を承知してくれる。
と、まあこれは筑駒でなくとも
東大生とかなら当てはまる条件
かもしれない。
2. 男らしい思考回路
サバサバしていて合理的。
これまた、話が早い。
全員、B型のよう。
契約を交わすように
結婚する
(気がする)
悩み相談しても、
解決策を提案してくる
(気がする)
でもなぜかやっぱり
空気は読めない
(気がする)
このあたりは
と勝手に思っている。
3. 一度はカラを破っている
ガリ勉でいいのか?
という疑問に応える形でなのか、
勉強以外のことにも手を出している。
(しかも、それも
そこそこ極めてしまっている
ことが多い)
「優等生」のカラを破っていて、
(気がする)
KやAの方が
器用で多芸かもしれないが、
こんなにストイックじゃないはず。
4. 負けず嫌い
変な負け癖や逃げ癖
がついていない。
(ことが多い)
「その分、
挫折したら危ないのでは?」
と思うかもしれないが、
支えてあげましょう。
中・高が都内ということは、
6. 仕事が安定している
安定した会社に勤めていることが多い。
リスクを取ろうとしているなら、
事業ポートフォリオとして
欠かせないですよね。
あれ?6つになっちゃった。
「でも、こんなに完璧だったら
お高いんでしょう?」
と思うでしょう?
確かに、東大卒業後は
男女比がまともになるせいか、
割高な価格がついているようです。
出会うとすれば、
在学中になるでしょう。
彼らが学生時代、
女慣れしていない時を
是非、お見逃しなく!!
超絶最高なパートナー候補
であるにも関わらず、
プライドが高いと思われているなど
敬遠されていることもあるようで、
そんなにお高く止まってたり
しないはず。
そんなこんなで、中身を考えたら、
絶対にオススメなのです!
☆ ☆ ☆
補足です
そんなもん嘘の血液型を申告すりゃいいんだよ。輸血するわけじゃあるまいし。
B型でも「O型なんですー」とか言っときゃあ、「えー、見えなーい。でもよく見ると○○なとこあるし、やっぱO型っぽいよねー」とか言ってくるよ。それに話をあわしておきゃあ大丈夫。
今どき血液型性格診断に科学的妥当性があると思っているってこと?w
あと「科学的根拠」で血液型お断りっていうのが「輸血の現場で最悪死人沙汰になるから」っていう話はわかるけど、
それってA型が日本で一番人数が多いとか少ないとか全く関係ないよね
献血の「B型歓迎」ってのはB型ウェルカムであってA型お断り・出入り禁止って意味じゃないし
喫煙者の診察を断ることの「科学的合理性」はそのまますべての傷病患者に適応できる理屈だから診断拒否の理由としては成立しないって話なんだけど
同棲期間の間に、彼女のダメな部分は注意しても直らないものだということに気付いた。
ダメな部分が僕の結婚する相手の条件としてどうしても許すことの出来ない事だったためである。
同棲を始めて2ヶ月ぐらいした頃から少しづつ部屋が汚くなっていった。
その一番のひどかったのが、髪の毛である。
夥しい量の長い髪の毛が彼女の定位置の周りに散りばめられている。
僕は家族に女性が母親しかいないので、これほどまでに髪の毛は抜け落ちるものなのかと目を疑った。
でも抜けることは男の自分も同じことだし、また休みの日にでもコロコロとかで取るだろうと思っていた。
しかしその髪の毛は処理されることは一切なく、どんどん増えていった。
その日に髪の毛は、目についたら処理するように言ったが、今日まで彼女が髪の毛の掃除したのは注意した時だけである。
髪の毛だけに限らず基本掃除はしない。
カビとか黒ずみが一切気にならないみたいで、食器等が触れるような場所でも平気でその状態のキッチンを使っている。
洗面所も髪の毛で詰まったり、カビ、くすみ、黒ずみが出来た時、僕が詰まりを直し、カビハイターを使って白い洗面台をピカピカにして
風呂場も、床が黒ずんできたと思ったので掃除しなければいけないなと思ってきた頃、話をしたが「そうだね。」程度の反応で
今度の休みにでもやっておくとか行動を起こす様子が全く見られなかった。
あー、この人は汚い状態が普通な環境で育ったんだ。って思った。
そしてそれと同時に、うちの家族はとてもきれい好きだったんだなと思った。
そのお陰なのか、僕はそういう状態になると気になるし、掃除しようと思う。
そんなきれい好きなのはA型だからだろ?とか思うかもしれないが、そうではない。
だからB型がガサツなイメージであるのもわからなくはないが、結局はその人がどんな環境で育ったのかが
その人の生活習慣とかに影響するんだろうなー。
僕も目の行き届いてない汚いところがあるのかもしれないが、普段の生活で使用するようなところは
常に掃除しろとは言わないが汚れが目立つようになってきたら掃除しなければと思って欲しい。
育った環境の話をしたが、彼女の実家は、僕が見た知人の家の中でも飛び抜けて汚かった。
一度部屋の状態がテレビ電話中に写った時があった。
その状態を見られた彼女は泣いた。
つまり汚いことは分かっている。
ならなぜ掃除をしないのか聞いた、すると親のせいだと答えた。
それは違うだろ。
だから今後この性格は直らないだろうし、子供もきっとこんな親を見て育ったら掃除しない子供に育ってしまう。
他の理由もある。
でも書いててただの愚痴だなと思った。
他の理由はまた書こう。