はてなキーワード: 陸上競技とは
だから物理的に全く同じ視覚情報でも文脈によってポルノか否かは変わるんだよ。
あれはPixivに投稿されたらポルノになるかもしれないが、美術展覧会に展示されたことで少なからず批評性を帯びるだろ。
これは「作者自身がどういう意図で制作したか」とも全く独立に定義できる話。
あれを見て「オナネタ」として認識するのは、陸上競技大会に出場する薄着の女性選手を「オナネタ」扱いするのと同じ。
(まあ、あの絵はポルノというか「オナネタ」がテーマであるというのが妥当だろうから、その点は複雑だが、「ポルノをテーマとしている」ことと「ポルノである」ことは全く違う。暴力ゲームは暴力ではないし、フェイクミートは肉ではない。)
ついでに。関係ないが。
別に大絶賛するほどの作品でもないが、別に同時期の受賞作品群に対して見劣りするものでもないよ。
ああいう作品を公表したことで公然とセクハラを仕掛ける奴らは醜悪だと思うし、SNSでもセクハラ垢は凍結しろよと思うが、「彼女には自由に発表させた上で、それに伴う不利益から全力で守る」のが俺の考えるフェミニズムなので、その点でツイフェミとは相容れないね。
今後シス女性のスポーツ選手はこういう批判から逃げられない。トランス女性を女子スポーツから排除している限り。
トランス女性と競えば勝ち目の無いシス女性スポーツ選手が、トランス女性が得たはずの名誉や賞金や奨学金を得ている現状は、シス女性がトランスへの差別のおかげで利益を得ているとしか言いようがない。
今のシス女性スポーツ選手の地位はトランス差別という下駄でトランス女性を踏みつけて得ている不当な物だ。
黒人を排除した陸上大会で優勝した白人が「俺は地上最速の男!」とイキって富と名誉を得ているのと同じ構造だ。
もし、黒人が競技に参加するようになって、勝てなくなった白人が
「私は黒人に負けて入賞できなかった。そして奨学金を取れなかった。白人と黒人の生まれつきの身体能力の差はトレーニングでは埋められない。これはフェアな競争ではない」
と泣き言を漏らし、黒人を排除した白人だけの競技に戻すべきと訴えたらどうなるだろう?
こんな差別主義者の言葉に耳を傾ける人はいない……と思いたいが、アメリカの女子高生が同じ構造の主張をしているのに賛同する意見が多くて驚いた。
https://togetter.com/li/1627549
健康体のシス女性というマジョリティがトランス女性というマイノリティからチャンスを奪うなど許されるはずがないだろうに。
トランスジェンダーというシス女性と比べても社会的に不利な立場にある彼女たちが、奨学金を得て進学したり、スポーツ選手として成功したりと、逆境から這い上がるための数少ない道の一つが女子スポーツ競技だ。
貧しい家に生まれた黒人が生まれ持った身体能力を活かして陸上競技やバスケで成功し、結果として白人というマジョリティの選手が夢破れたとして、何が問題だというのか?
男性側も(最近の陸上競技での話にもあったが)そういう目で見てるのは表には出さないようになっていくのが望ましいと思う
っていうのは前提としてだけど
でもそれを、俺たち人間は理性というパンツ履かせて社会を作ってきた
(同じように、Twitter等で嫌がる女性にセクハラコメ送る馬鹿野郎は
社会以前に、「生」自体を否定する言動は生きてる物全てを否定してる
そういう言動は受け入れられない
この論が受け入れられる、共感されるのは、
無機物か、こういう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%80%A7%E7%94%9F%E6%AE%96
性欲というものはあって、それを大半の人は理性で抑えてるっていうのは前提として議論しないと、
せっかく弱い者は助けるっていう心を持つものでさえ
(分断工作として男性に対してそういう過激な拒絶や罵倒の言動が出ているなら
そういうのはマジで糞だと思う
などというと何十周遅れだよと罵られそうだが同じところをグルグル回ってバターになるほど暇でもないし、そもそも何十周もしていながらきちんとした共通見解が出ない概念をどう扱うべきなのかもよくわからない。
たとえば電車の中で許可なく性的な目的を持って女性の身体を触れば痴漢である。
では性的消費に関してどれくらいのコンセンサスが取れているのか?
・裸婦像
・バ美肉おじさん
これらの中でどれが性的消費に当たり、どれが当たらないのか。
それが自分にはよくわからないし、おそらく皆よくわかっていないのではないだろうか。
しかしそうやってよくわからないまま性的消費とはとりあえず悪いものだとして議論が展開されるのは、ワイドショーで日本学術会議のあり方が批判される問題に似ているかもなあとついつい思ってしまう。
陸上競技出身の朴訥としたほんわか営業マンが立身出世する話。それの主演を草彅剛がやっていた。
劇中で走るシーンが何度か出てくるのだが、フォームがとてもバタバタとして原作を知らない視聴者なら「ホンマに陸上競技出身の設定なん?」と疑うであろうほどひどい不安定さだった。
ジャニーズはマルチタレントとしてドラマにバラエティに演劇に音楽にと多方面で使われるけど、芸のない芸能人は見ていられず痛々しい。演技の勉強も歌の訓練もお笑いの基礎もやり過ぎないように制限でもされてるんだろうか。そんなバカな。社として専門タレントを舐めてるとも取れる采配は慎まれた方がよろしいかと。努努、心していただきたい。
J.K.ローリングが出版した本が物議を醸して、あちらでは大炎上だそうであるが、この記事ではローリングが自身の主張をどうにかして正当化しようとして失敗しているということが書いてあるようだ。しかし、私はこの混乱の方がトランスジェンダーを認めるより遥かに理解できる。
“ジェンダー移行を後悔する人が増えている”発言が与える大きな誤解 - フロントロウ -海外セレブ情報を発信
最近ではGID、要するに性同一性「障害」という言い方は不適当だそうだ。障害じゃなくて、トランスジェンダーは自身が主張する通りの性別なのだという。でも、正直、何を言っているのか私には理解出来ない。英国ではセルフID法と言って、性別移行要件としては一応は色々取り決めはあるものの、原則として本人がそう申請すれば、公的にその性別となる。日本では戸籍変更における性別変更では、まだ手術要件は撤廃になっていない。でもそのうち撤廃になるだろうことは間違いはないだろう。だから、世界的流れはもはやトランスジェンダーを認めるという流れでしかなく、疑問を述べたところで何も変わりはしないだろう。
でも、どう考えても納得できない。性別とは、生物学的に定まるものでしかなく、自己主張で変更できるものであるはずがない。例えば、私は国籍を変更できても人種を変えることは絶対に出来ない。私は黄色人種でありアジア系でありジャパニーズである。年齢だって絶対に変更できないし、あたり前のことだが血縁関係も変更できない。なのにどうして性別だけが変更できるのであろうか?
そんなの勝手にすればいいし、特殊事情でもない限り(ムスリムであるとか)、してはいけないという理由もない。よく「自身を異性だとしか思えない」という性別移行理由を聞くけど、そう思うのであれば自主的にその様に振る舞えばいいのである。これに関しては、広く一般の人がそうした人がいるという認知を普遍的に持つことで、偏見を持たないようにはすべきではある。
常識で考えれや、という話。ペニス付き・なしで温浴施設に異性側に入ることは出来ない。更衣室だってそんなことを権利のレベルで認めたら揉め事になる。トイレだと、生物学的女性なのに男性と見間違えられる見かけの女性ですらも揉めることがあるのだから、原則、公共の場所では多目的トイレを使え、であろう。これらはそもそも生物学的性別区分で分けているのである。
問題はこれである。どうして自身の生物学的性別を無視するのか。この権利主張こそが混乱を生み出しているのである。上で述べたけどトイレなど女性専用スペースに明らかに男性にしか見えない人がいて、移行手術も受けていない生物学的男性でもある人が、「私は女性であるから女子トイレに入る権利がある」と主張するのは意味不明でしかない。生物学的な区分に基づいて専用区分があるのを、トランスジェンダーなるこれまでとは違った概念をそれに無理やり同調させるというような考え方はあり得ないと言わざるを得ない。生物学的区分と、セルフID的概念区分は全く別のものである。
昔でいう半陰陽と呼ばれたような染色体異常(良くは知らないが)のような人で、陸上競技では有名なセメンヤ選手などのことである。この人たちが自身の性別に違和を感じるということはほとんどないのだそうである。あったとしてもおそらくは、一般的な性別違和率と変わらないと思われる。このことから分かるのは、生物学的な性別的特徴の異常があっても、性別の自己認識には異常をもたらさないということである。
詳細な内容はすっかり忘れたが、ともかくある男の子で幼少の頃に何か事故があって、ペニスを喪失し、ある研究者がその親に「女の子として育てればいいんじゃない?」と言って、その研究者は半ば人体実験のように扱ったのである。その研究者は性別は後天的に決定される(ジェンダーの初期的な考え方)と考えたらしい。ところが、そのブレンダと呼ばれた少年は、女の子として育てられたにもかかわらず、成長して自身の性別がどう考えても男だとしか思えなかったというのである。この研究者はそのことを伏せて「性別は後天的に決定される」のような発表をしたらしいが、本人に暴露されてしまい、スキャンダルとなった。この事例をトランスジェンダーの人は、「当然じゃん、自認こそ性別なんだから」と考えるらしいがそれは誤りである。何故ならば、ブレンダはそもそもが生物学的に男だからである。インターセックス同様に、自身の性別をただ、正しく認識しているだけなのである。
以上の例からわかるのは、結局トランスジェンダーがほんとにあるとするならば、それは自己性別の「誤認」に他ならない、としか思えないということだ。今現時点でさえも、その医学的原因は全くの不明である。だが、未知の病は他にもたくさんある。それと同じだと捉えて何故いけないのか? 障害者というのは、健常者は通常こうであるというような曖昧ではあるが常識的な観念が定義のようなものであり、そこから医学的な分類として逸脱していて、かつ社会的な不都合のある人のことをいうのだと思う。しかしながら、手足が不自由であるとか、脳に障害があるとか、他にもたくさんあるけど、それら障害者はその障害の治癒は別として、一生障害と付き合っていかねばならないし、障害があるのに「障害者ではない」と主張する人などいない筈である。なのに何故トランスジェンダーは障害ではないというのだろうか? 障害者が障害のままで別に生きていっても良い社会なのに、トランスジェンダーは障害でないと主張するのは何故なのだろうか?
これもよく聞く主張である。「私達トランスジェンダーは、なりたくてなったわけじゃない」のような主張である。だが、私だって自身の性別になりたくてなったわけじゃない。そもそも性別は自身の意思では選択不可能なものである。私は性別違和こそ感じることはないが、異性になりたくて、自身の性が嫌だと思ったことはいくらでもある。どうしてこの性で生まれてきたのか、と思春期には悩んだものである。でも、そんな事悩んだって変えられないものはしょうがないと諦めるしかない。なのに、どうしてトランスジェンダーは、そう主張しさえすれば性別を変更できるのか。これはほんとにそうらしくて、病院でも結局はその人自身の主張を信じるしかないのだそうだ。だから、ほんとにそうなの? と考える人がいても不思議はない。つまり、変態的犯罪者が存在し得るということである。トランスジェンダーを認めてしまうことは、そうした変態的犯罪者を許容しなければならなくなるし、実際に犯罪は起きている。
要するに、ローリングのような人がいるということを認めよ、に他ならない。トランスジェンダーを差別せず、不当に扱わないが、男女区分は生物学的なもの以外にはあり得ない、という人がいることを認めて欲しい。それは、どんな人も変更不可能な人種や年齢と同じようなものなのである。確かに、最初にも言ったように国際的な流れとして、もはやトランスジェンダー、性の自己決定を認める他はないだろう。でも、言わばそうした古い主張だって存在してもいいではないか。それをどうして「差別」と非難し、TERFとレッテルを貼って攻撃するのだろうか。私はそれはおかしいと思う。
shields-pikes 近年、陸上短距離の女子選手の露出度が高過ぎるのは謎。空気抵抗を減らすためと言う理由はわからなくもないが、それなら大会本番だけで良くない? そもそも、なんで男子は腹出してないのに女子だけ腹出してるの?
俺が学生だった頃は女子のセパレートは一般的ではなかったし(少なくとも周囲では)し、種目が中長距離・競歩だった俺は(セパレートの恩恵が大きいと思われる)短距離のことはあまり分からないので想像も多分に混じってますが。
女子は胸があるので、その分だけ胸~腰にかけてシャツの中に隙間ができます。
風を受けるとその隙間のせいでシャツの布がバタついて余計な空気抵抗が生じてしまうのでセパレートになっていると思われます。
(そういう意味では、短距離はセパレートが合理的な一方で中長距離はセパレートである必要性はないのでは?と個人的には思います。後述の涼しいというのはあると思いますが。)
[追記]
女子用のウェアを調べてみたところ、セパレートの上にはパッドが入っていて1枚で着用できるみたいです。
普通のユニフォーム(男子みたいなやつ)だと下着 + ユニフォームの2枚になって暑い & 洗濯物が増えるので、女子だと種目に限らずセパレートの需要が高そうです。
[追記ここまで]
「ユニフォーム = 本番の勝負服」というイメージがあるのかもしれませんが、ユニフォームは勝負服ではなく陸上競技に取り組む際の専用服です。
基本的に本番だから着る(or 練習だから着ない)、とかそういう理由で着る(or 着ない)ものではなく、可能なら練習時もユニフォーム着用が望ましいです。
練習の時点で本番と同じ格好をしていないと体の感覚が狂います。
例えば、ハーフパンツとランパンでは脚の可動域が変わるので、フォームも微妙に変わります(特に短距離だと影響が大きいと思います)。
本番は間違いなくユニフォームなのだから、本番に合わせてユニフォームで練習するのはおかしい話ではありません。
(もちろん気温等の状況に応じて適切な格好はあると思いますが、Tシャツ・ハーフパンツよりはユニフォームが極力望ましいという話です。)
[追記]
[追記ここまで]
また、陸上競技(というかスポーツ全般)は現在の実力から目標までの距離を埋めるために練習をします。
可能な限り本番と同条件で練習をしないと現在の実力と目標までの距離を正確に測れないので、最適な目標や練習メニューを立てられません。
ユニフォームからは話が逸れますが、トラック種目に出場予定なら土のトラックではなく全天候型のタータントラックで練習した方が良いのも同じ理由です(土とタータンだとタイムがかなり変わるので正確な実力が測れません)。
「Tシャツ & ハーフパンツでも大差なくない?」と思うかもしれませんが全然違います。
肌の露出が少しでも多い方が(布と体の間に)熱がこもらない & 肌に風が直接当たって体を冷やしやすいので、特に夏は練習時でもユニフォームが良いです(日焼けによる体力の消耗との兼ね合い等は当然あります)。
[追記]
冒頭の追記の通り、女子用は1枚で着られる(下着不要)なのでセパレートの上は圧倒的に涼しいと思われます。
[追記ここまで]
・下半身は男子と女子で大差ない(少なくとも胸のような大きな突起はない)はずなのに女子だけランパンの形状がブルマになっている理由はよく分かりません。
・「涼しい」という観点では男子もセパレートの方が良いと思いますが、女子と違って「胸による空気抵抗」があまり問題にならないのでセパレートに移行する動機が薄い(& 需要が低い)のだと思います。
お盆休みから1日1話づつウマ娘のアニメを見たので、感想メモ。
競走馬が美少女だったら、競馬の世界はいったいどうなるのか。それに正面から向き合った良作だった。第一印象としては、(ひたすらトレーニングという)努力、(チームスピカの)友情、(主人公とスズカの)勝利という三拍子そろった熱いアニメだった。一話から見て序盤は「競走馬が美少女でアイドルって意味わからん」と戸惑っていたが、ラスト三話くらいには「スズカ、止まるんじゃねーぞ!頑張れ!走れ走れ走れぇ!」てな具合に熱中して楽しんだ。
受話器がウマ耳に合わせて長くなっていたり、シューズがハイヒールで(馬はつま先だけで走っていることににちなんでいる?)蹄鉄が打ち付けてあったりする。
一見すると凡庸なアイドルアニメに見えて、意外と作りこまれているんだ。アニメはリアルな競馬の勝負を下敷きにしているらしい。サイレンススズカはリアルなウマとしてはケガから安楽死されたとアニメ視聴後に知った。競馬ファンにとっての夢が描かれていたと知ってこのアニメはやっぱり浅くないと思い知らされた。
さて、競走馬を美少女にすると、競馬は芝生の上を走る陸上競技になるんだな。アニメでは馬券新聞を握りしめたオッサンや紙吹雪のように舞い散る負け馬券も描かれなかったけれど、どこに行ってしまったんだろう。
とにかく、暑くてかわいくて、いいアニメだった。
エロが悪いとは言わないし自分もエッチなのは大好きだけどさ~~
きれいなもの、かっこいいもの、かしこいもの、そういうのに全部興味ないんだ
そういうものをお出ししたり話したりしようもんならすぐ「で、エロは?」みたいになるのどうにかなんないのかよ~~
もういいよ、一人でずっとエロ本読んでオナニーしてるんだったら勝手にしろよ
でもこっちに求めんなよ~~中学生かよ~~
色々あるじゃん世の中にはさ~~その色々が全部エロより無価値って言われてるみたいで気持ち悪いよ~~
そんな人生で悲しくないのかよ~~一生ちんぽ握って楽しく生きてろよ~~
例えばさ
練乳かけたカキ氷がうまいと言えば練乳を全身にかけて練乳プレイですね
チャーハン皿に中華料理屋みたいに盛ったらおっぱいを模してるんですか?
みたいな
それもう陸上競技じゃないだろ