自動車がどれだけ発達しても、陸上競技に感動する人がいる。
写真がどれだけ普及しても、「写真のような絵」に感動する人がいる。
だからAIが物語を作る時代になっても、人間が作る物語には需要があるだろう。
以前は私もスポーツや「写真のような絵」をバカにしていたものだが、人の感動という主観的なものに優劣なんてないと今では思う。
まあ私個人はAIの作った物語を好むようになるんだろうけどね。
Permalink | 記事への反応(2) | 18:20
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もともとそうだろ エロ時代すでに鉄砲があったけど宮本武蔵はわざわざ遅刻してまで剣道自慢の小次郎選手を滅多打ちにして殺して自慢していた
×「人間が作る物語」〇「'人間が作った'という物語」(本当は器械が作ったかもしれない)モノに「手作り」の売り文句を付けるだけで価値(有難味)が生成される