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はてなキーワード: 虚淵とは

2015-12-26

アニメ監督とか覚えられない人って

ひょっとしたら単にバカなだけなんじゃないか。

富野監督とか知らないの?宮﨑駿は?虚淵脚本とか聞いたことない?シャフト的な演出ってイメージわかない?

さすがにこの辺はわかるのではないだろうか。そして、この作風は好きだ・苦手だという印象があるはず。

何故そのへんがわかるかといえば単純に「特徴的かついろんな場所で何回も目にしてるから」だろう。

んでバカはそうやって何度も繰り返し印象的に見せられないと名前を覚えられないわけだけど、普通の人はOPで何度か見る名前だったら意識しなくても普通に覚えれちゃうんだよ。

人の顔が覚えられない人と一緒で、何も考えてない、情報をただ漠然と流している、体系的に物を覚えることをしないタイプ

仕事とか出来なさそう。

2015-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20150907180125

からこそ虚淵作品は「拗らせたオタクが好きそう」ではないんだよな。知らない人向け。

シナリオ虚淵から期待できる」

はぁ・・・そっすか・・・

虚淵さんのシナリオ面白いと思った作品一個もないんすけどね・・・

虚淵シナリオどうしてこうなったとか言われる作品

こいつのシナリオこんなんばっかじゃねえか、という感想しかないんだけど

拗らせたオタクが好きそうな話しか書かない

ホント、つまんないわ

2015-09-06

anond:20150906202006

虚淵玄好きの人ってどこまでが虚淵作品だってことにしてるの?

俺はもう自分虚淵好きを名乗れる自信が無い

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150829231502

エロゲのことを美少女ゲームと呼んでいる東浩紀が以前飲み会ustで、

美少女ゲームライトノベルオタク最先端アニメ美少女ゲームサブジャンルに過ぎない。

まどかマギカ美少女ゲームで散々やられてきた虚淵的なものアニメ用にパッケージングし直しただけ」

みたいなことを言っていた。でもこの手のエロゲ先端論は東クラスタをはじめとする人文系の連中だけが

言っていることであり、他のオタク界隈でそんなことを論じている人はいない。

 

だいたい虚淵玄和光大)と麻枝准中京大)がどんな先端を生むんだよw

素養が足りず小説勝負できない人が、それでも作家面するために作ったルートエロゲシナリオライターだろ。

2015-05-26

Fate Stay Night UBW 20メモ

そこだよね 翻訳日本語ニュアンスの違いとかいろいろあるんだろうけど、

この物語は、『可能性の1つに過ぎない未来自分が厄介なことに自分文句つけてきた』

なんてものじゃなくて、『命題の結末』としての未来が、その命題破綻していて

『間違っている』ことを告げ、お前は間違っているその在り方をどうするのかと問うてきた

それに対する士郎の答え っていうのがUBW主題なんだよ

士郎と切嗣の「全ての人を救う」という在り方は、そのもの最初から間違っている

でも 『誰かを救いたいという願い 全ての人に涙してほしくないという祈り』

その一番最初の一点、そもそもの最初の願いそのもの

それが決して『間違いなんかじゃない』というのが、士郎とこの物語の答えなんだよ

劇場版ときもその部分が描けていないと不満に思っていたか

次回予告でそのポイントをちゃんと押さえてくれることが分かって凄く嬉しい


アーチャーは別の媒体だと自分生き方を「サバイバーズ・ギルト権化」だと言ってるな。

メサイアコンプレックス英雄視されることが自己承認欲求の昇華に繋がるから士郎には当てはまらないと思うよ。

士郎は他人自分を認めて貰いたいとかこれっぽっちも思わない人間だし、凛に心配された時すら凛のお人好しさに感動してるし。

しろ自分価値が低くて、生き残った事に罪悪感を持ってて他人を助けなきゃ!!ってなるから確かにサバイバーズ・ギルトの方が合ってると思う。


「士朗がアーチャーになる可能性はほぼ無い」ってのは、

きのこが凛というキャラを通じて残したささやかな救いであって、それ自体はこの話のテーマじゃない。

これは士朗の救済の話じゃなくって、あくまアーチャー(士朗の未来)の救済の話。

「悔しいけど私じゃあいつを救えない」って言葉の通り、凛ではどうやってもアーチャーは救えない。

アーチャーは、他でもない士朗によって救済されるんだよ。

それは守護者でなくなるとか、そういう設定上の話ではなく、

もっと根本的な、自己肯定によって。

アーチャーが苦しんでる本当の理由は、守護者になったからでも、地獄を見たからでもなく、自分を見失ったからなんだよ。



確かクリア後のタイガー道場(?)でアーチャーセイバールートの士郎なのか?っていう疑問に対して

セイバールートではイリヤが生きているため士郎を止める人間いるから、アーチャーになることはまずないっていう回答がある。

UBWルートにおける凛の存在も同様。

士郎は絶望しないからアーチャーにならないんじゃなくて、士郎一人だとどこまでも突き進んでしまうから

その士郎を止めてくれる人が近くに居るかどうかが士郎のアーチャー化の有無に関わってるんだと思うよ。

止めてくれる人が誰も居ないとアーチャーのようになってしまう可能性があるってぐらいに思っておけばいいかと。


正しいだけだと「正しく出来なかった人達」を取りこぼす事になるからな。

最初の士郎の願いって、まさしく正しい答えを選べなかった(その場所にいなければ良かったという正解)人達をこそ救いたいってものだったわけで、だからこその正「義」の味方なんだろうな。

まり選択肢ミスった後に出てくるタイガー道場こそ士郎の目指すべきポジション・・・ってアレ?


切嗣覚悟があった。大勢を救うためならば少数を殺す事も必要であることを知っていた。その少数がたとえ肉親出会ったとしても引き金を引く覚悟があった。でもそれは間違いだったとアンリマユに気付かされた。 

それが間違いだと気づかされたというのは違うんじゃないか?

切嗣小数を殺さずに済む方法聖杯に求めたが、自分自身がやっている少数の犠牲の受容を極端な形で拡大解釈して大勢犠牲にして小数を救うという最悪の回答しか得られなかった

少数の犠牲の受容という現実的解決方法のものが間違いだったのではなく、それ以外の方法は結局ないんだということに気づかされた

しかも、聖杯はそれよりももっと最悪な解決しか引き出せなかったんだ

アーチャー場合契約時点で理想を追求するには自身が無力すぎることを痛感している状況で理想を実現するための力を求めていた

契約して力を得ることで理想を実現できると思っていたが、力を得ても少数の犠牲を受容しなければならないという現実を覆すことはできなかった

それどころか、力があるがゆえにその現実をいやになるくらい体験させられたということだと思う

その結果の「絶望」なんだろうけど、彼のは厳密にいえば「失望」であって「絶望」とは違うんだよな(少なくともアニメ描写を見ている限りは・・・

現にアーチャーはあれだけ失望し続けながら、なおも救おうとしているわけだし


端的に言えば「動機」と「結果責任」の問題なんだろうな。

100人を救おうとして1人も救えない。

1人を見殺しにして99人が救われる。

動機」の観点では前者が正しく、「結果責任」の観点では後者が正しい。

考え方は様々だけど「全員が救われる事が理想である」という点では異論はないはず

仕方がないという現実理想理想でなくす理由には成り得ないし、

決して届かないとしても理想を追い求めることは間違いじゃないだろう。現実を見失わない限りにおいては。

現実と向き合いながら理想劣化させることなく生きていくのは人として味わうことができる最上級苦痛かもしれない。

その上、そこまでして行き着く先には何もない(理想は実現しない)というのだから、こんなに酷い話(現実)もないだろう。

それでも、それら全てを踏まえたとしても、「何が正しいのか」と問われれば「答え」は決まっているよね。

それは「誰かの願い」であって「誰もの願い」でもある。


士郎は目につく人みんなを助けたかった。人類全部なんかじゃなくかつての自分のような目の前で危機に陥ってる人を。せめて自分の手の届く人たちを。士郎はその通りのことをしようとした。でも自分英雄なんかじゃなくただの人で無力だった。死後の命を預けてようやく英雄になり、英雄になってようやく目の前の人を救えるようになった。つまり衛宮士郎は死後を売渡し、エミヤにならなければ人を救うことができない」英雄エミヤは間違いなく士郎の理想であり到達点。自分理想を正しく達成した成功例。しかし死後、待っているのはただの殺人。救いたいはずの弱者を殺す役目。「人を救う」という理想を叶えるということはエミヤ(英雄)になるということ。

エミヤ(英雄)になるということは人を殺す道具になるということ。士郎の理想とする英雄では誰も救えない。

救う術を知らず、救うものもなく、誰かの為にならなければという強迫観念、憧れただけでは人は救えない。

エミヤが忘れていたのはその憧れただけの理想にも願いがあったこと。

エミヤはずっと正しい選択をしてきた。愚直に真っ直ぐに不器用に。でも"この"衛宮士郎は時には正しい選択を否定するという決意をした。


うそう。士郎がよくUBWルートだと真相知ったか守護者にならないってSSでも結構あるけど例え全てを知っても士郎は守護者として契約ちゃうんだよ、ね。

ただアーチャーのように絶望後悔はしないって言ってるだけで。もし真相知ったか契約しないって言うのはすでに見返りを求めている、自己愛があるって事だからそれは士郎ではない。UBWキモはそんな士郎を絶対守護者にしないように凛が頑張るって話だから詠唱にあるような誰にも理解されない士郎にはしないって言ってるklと)


アーチャーが数ある士郎の未来の姿の失敗例の一つに過ぎないのならアーチャーは士郎にこだわらないし

士郎もアーチャー言葉に信念が揺らいだりしない。士郎がアーチャーにほぼ必ず行き着く理由がある。

士郎もアーチャーも二人とも核が同じだからだ。「誰かを救いたいという願いが綺麗だから憧れた。」二人はこの核からなる人間

その強い憧れを叶えるためにできることは限られている。過激な思想を持つ人間が行き着く先が銃を手に取るしかないのと同じ。


いやあ士郎はかっこいいよね。

例え絶望約束されていても自分が間違いじゃないと信じた理想を貫き通す以上絶対に後悔しないと言い切ってるんだもの

これは士郎の目指したもの共感できるかどうかとか関係ない熱さだよね。

特にアニメ演出では、結構クール独白が多くて、ブレなさの表現が上手いから余計ね。

士郎は甘いのでも現実が見えてないのでもない、現実悲惨さを知りながら揺らがないんのだものね。かっこいいよ


アーチャーが後悔したのは守護者になってからってのを理解してない人が多いのかもな

アーチャー生前助けた人々に裏切られて絞首刑に処せられても一切そのことについて後悔してなかった今回士郎が言ってたように完全に正しかった正義の味方だった身を捧げる覚悟も出来てたしそれで良いと思ってた

そんな覚悟まりきった正義の味方でも守護者として人類の滅びを救うために延々と滅ぼす可能性のある事象とその関係者を殺し続けることには耐えられなかっただけ

UBWの士郎でも正義の味方として突き詰めるならエミヤになるしかない。ただ凛が人間として幸せにしてそれは回避されるだろうけど人としての幸せ手に入れる時点で正義の味方として完全じゃない


たとえ本物になれなくても、抱いた理想が間違いでないと思えるならば、それを追い求めることは正しい、

といことがテーマだと、どっかのインタビューきのこが言ってたな。

ただ、それは非人間的な機械のように生きることには変わりないと。

で、桜ルートは、別の解答を示すために作ったらしいね

一人の大切な人を守るために、理想に折り合いをつけ、機械のような男が人間になるはなしだと。

どちらが正しいという話でなく、それぞれの解答がある。


アーチャーが失敗例だと思って語ってる人が多いのはどうなんだろって思ったけど、来週で変わるかなあ

結局士郎は道を変えない(アーチャーと違う道を選んだりしない)ってのは話の肝だけど、伝えづらいよね

>>33

>「アーチャーは失敗したエミヤの一例でしかない」

>「アーチャー(失敗作)を目撃したこと(と、遠坂との絆を得たこと)によって士郎はアーチャーと違う道を歩むことが約束された」

テーマとしてはむしろ正反対だよ。アーチャーが失敗例っていうならそもそも衛宮士郎自身が生まれた時から失敗例になってしま

士郎はアーチャー忠告されたからって違う道を歩むような人間じゃないってのがややこしいところだし自分殺しの動機でもある


今回の話も対比。抗魔術で身動きできない凛は瀕死のランサーに救われた。原作ゲームでは

凜は、なけなしの魔宝石ランサーを救おうとするシーンがあったらしいけど、人が誰かを

助けたいと思う気持ちに、何の打算もなく反射的な時もある。

慎二ランサーの槍先が刺さっただけで逃げ出したけど、それが普通人間の反応。

何の覚悟もないし、痛い物は痛い。士郎はアーチャーに串刺しにされたけど、セイバー

そばにいてアヴァロンのおかげで治癒したけど、それがなくても立ち上がれただろうけど、

それでは、何の解決にもならず、いずれ未来選択肢の一つに負けていた。

からこそ、ここで救われた弱い士郎は、心が折れず、正義の味方を夢見ていられる。

救いたいのは、他人のためでなく、自分の願いだから正義エゴなのだから


衛宮士郎は、切嗣と凛、そしてアルトリアという3人にかつて命を救われた弱者ということを。

からこそ、誰かを救える力を求めたけど、その理由を「人の為」と「偽った」からアーチャー

疲れてしまった。憧れたのは綺麗だったから、余りに幸せそうに笑った「爺さん」のために、

大勢の両親、友人、知人や知らない誰かを救えず、見捨てて、死を受け入れた虚無から生きよう

と思っただけなのに。アーチャーは力を得たけど、それ以上の暴力に打ちのめされ、滅私奉公

しすぎて、正義が摩耗し、絶望のあまり、己れの願いすら呪いと捻じ曲げてしまった。

士郎は、救われる以前から、弱いからこそ、負けられない頑固者だったのに。


アーチャーは失敗作なんかじゃない。英霊エミヤってのは正義の味方を目指した衛宮士郎としては最高傑作だ。衛宮士郎正義の味方であることを突き詰めるとどうやってもあぁなる。凛との繋がりが出来てUBWの衛宮士郎エミヤにはならないことが確定してるけど、それって特別な一人が出来たことで正義の味方としては不純になるってことでもある。


ところでやっぱり、Zero…というか、虚淵さんのセイバーの像が、原作と深刻なズレを起こしています

Zeroしか通過してこなかった視聴者は、原作であるSNのセイバーの行動や思考がわからずに、なかなかに頓珍漢なことを言っている

あと相変わらず慎二ヘイトためってる人は、型月的にも平凡な人なんだな

非凡以外の何者でもない、あの作品の大半の登場人物たちにとって、慎二は本当に極限まで「どうでもいいやつ」なんだ

から殺意というもの対象にもならない


物語序盤の士郎の人助けって気味が悪いくらいなんだよね。

数回前の凛にも怒られてたけど、自己犠牲が強すぎて中身がない。手段目的になっている。

その原因は「キリツグの代わりにその夢を叶えてやろう」っていうだけのものしかなかった。

そのまま大人になってしまたか英霊エミヤという存在が生まれしまった。

でも今ここで、未来過去自分と向き合うことで、手段意味見出した。

「キリツグの夢」が「自分の夢」とイコールになったと言えばいいのかな。

これからもやることは変わらないだろう。でもそこには〝中身〟がある。

きっともうエミヤようにはならないだろう。


2015-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20150327111247

>まともな脚本にしたかったら、

まともな脚本家じゃなかったね、花田十輝かいうクソアニメ量産機が、精霊会議以来のご都合展開をやってのけて

しかも劇中何の説明もないからホント笑っちゃったよ。あまりのクソさにね。

霧島眼鏡外したとか如月轟沈とかそんなもん知らんけど、最終話だけは史上稀に見る酷さだったな。

花田大先生は大人しく日常パートキャッキャウフフだけやってればいいんだよなあ。

そこだけは虚淵某よりも上手なんだから

2015-03-26

虚淵のせいで脚本家ストーリーを考えていると誤解されているし虚淵部分的に関与しただけのアニメでも全てが虚淵のおかげになっちゃうしちょっと鬱展開があれば虚淵ガー虚淵ガーだし本当に悪影響を撒き散らしている

2015-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20150321113418

いやいや、平成二期で見れたものなんて大してないでしょ。

鎧武は少しは期待したけど虚淵でもあの程度ってことは、結局今はスポンサー側の意向が強く反映されてるんでしょう。

クウガはその逆だったからあそこまでの練度だった。あれは昭和でも勝てない。

まあ、せいぜい555か、ギリギリ剣までだよね。響鬼テコ入れ前までは良かったんだけどねえ

2015-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20150320082504

まどマギでもファフナーでも「脚本」とは別に原作」がクレジットされてるはずだぞ。

単にストーリー原案を考えた奴がそのまま脚本もやってるってだけだろう。

実際、アルドノアなんかでは虚淵原案に参加しただけで以降はノータッチなんだろ?

SHIROBAKO見てるけど「脚本」っていうのがイマイチからない

例えば今期ならデュラララとか幸腹グラフィティみたいな原作ありきの作品アニメ1話1話表現するためにストーリーをまとめる仕事と、

SHIROBAKOとかファフナーみたいなオリジナル作品ストーリーを1から考える仕事、両方共"脚本"の仕事なの?

共通してる部分はあれどこの2つって全然違う仕事だと思うし、脚本って言うと冲方とか虚淵の印象が強いから後者イメージだったんだけど、

SHIROBAKO見てると監督ストーリー考えてたりするし、ますますよくわからない

脚本ってなんや

2015-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20150123124304

ええ…ドヤ顔で「さすが虚淵!」って言ってる信者と「顔がホームベースwww」って笑ってる奴らの記憶しかねえぞ…

http://anond.hatelabo.jp/20150123122952

まどマギは、少数の虚淵信者はそういう展開を期待していたし、それ以外の視聴者は何も期待してなかったから、虚淵信者に引きずられるように評価が上がった。

艦これは、元々の艦これファンが大多数で、そういう展開を期待していなかった。

あとは、まとめサイトが「不評」という方向に偏向させて煽ってることも一因かな。

2014-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20141105180139

虚淵がやってるのは「虚淵が好きな分野の作品B級映画とかSF小説とか)を全く別の分野(エロゲとかアニメとか)に紹介する」ことだからな。

信者は「虚淵さんの発想はすごい!」みたいなこと言ってるけど、虚淵本人は「いやこれは俺の好きな○○の発想なんですよ」と必死に弁解している。

虚淵系のアニメって結局高尚な気持ちにさえなれば、面白くなくても面白いと感じるもの

まどかマギカからサイコパスアルドノアゼロまで、振り返ると欧米映画を見せられてる気分になる。

彼の作品を高尚だと称賛する声が挙がるとしたら、シザーハンズやベイブサイモンバーチやジャックフロストロックユーなんかを見た上で

同じ事が言えるのか、結構疑問を口にする事がある。

あの手の作品殆どBONESとかプリズンブレイクとかって米ドラマも参考にしてると感じる。

要するに虚淵系が好きな人は、欧米映画ドラマを観た方が面白いもの面白いと感じるはずである

その点、虚淵系がつまらなく感じてる人はきっと正常な反応だと思う。

逆ならそれは、お前欧米映画ドラマ見てない視野の狭い人間だぞと言ってるようなもんだ。

たまに〇〇という(古い)映画虚淵系だというのを耳にする事がある。

虚淵系というのはオタク界隈というよりもアニメを初めて見て絶賛してる人達の間で広まっている事に留意したい。

オタク界隈では虚淵系なんぞは聞いたことがないと言うに決まっている。

何故なら彼らは熟達したアニメオタクであって、にわか仕込みのアニメオタクとは一線を引いた所にいるからだ。

そのため虚淵玄ないし虚淵系などというブランドは、一時期のシャフト京アニが持ってたようなそれと同じでその時々の流行が中心であり、

高尚な気持ちにさえなれば、如何なる欧米映画ドラマの似通った設定・世界観を縮約したものであっても素晴らしいと思ってしまう。

これがたとえ面白くなくても面白いと感じるのだ。

言うなればスターバックスコーヒーの味が分からなくてもそのブランドコーヒーを飲むというステータスを得られるので高尚な気分になるのである

その意味ではスターバックスで飲食する事は彼らのモチベに繋がる分実にありがたいものだろう。

同様に虚淵玄アニメを見る事に何らかのステータスを得た思いになるのであれば、面白くなくても面白いと感じるものである

2014-10-11

アニメの「○○節」ってのがよくわからない

最近見たのは富野節ってやつだけど。

いや、これが小説だったらわりとわかるよ。ドストエフスキー小説はいかにもドストエフスキーだし、ジャン・ジュネ小説はいかにもジャン・ジュネだし、コーマック・マッカーシー小説はいかにもコーマック・マッカーシーだ。

でもアニメになると意味不明アニメってひとりで作るものじゃないよね。最近虚淵玄かいうのが出てきて、虚淵玄には虚淵玄作風があるみたいな乗りだけど、虚淵玄ってただの脚本家だよね。アニメにおいて重要なのは脚本じゃなくて絵コンテだし、作画だと思うんだけど。この辺意味がわからない。なにが虚淵っぽいのかが。

富野節とやらも同じ。富野さんがひとりで作ってるわけじゃないのに、ガノタ富野富野って絶賛する。本当にそうなのだろうか。富野さんがすべての作画担当してればそういってもいいかもしれないけど、アニメってひとりで作るものじゃないよね。

前もここで言ったけど、ぼくは川崎逸朗さんのアニメが大好き。あそこまで行けば逸朗節ってのはあるかもしれない。だけど、富野さんとか正直もう終わった人だし、虚淵玄にいたってはただの三流脚本家だし、逸朗さまほどの個性は感じないなあ。

2014-07-15

2014夏アニメ感想(4つだけ)

アルドノアゼロ

ありがちっぽい感じ。

ギアスっぽい。

へー監督あおきえいなのね。キャラデザ志村貴子

虚淵ってことしかしらんかったわ。

ガルガン>アルドノア>サイコパス

って感じの面白さの序列になりそうな感じ。

2話時点ではまだ窮屈さを感じる。

3話でようやく主人公らが動いてなんかしそうだから、とりあえず期待。

ハナヤマタ

目の描き方がきになる。なんか六角形っぽい。

色とかは綺麗。

ただ30分アニメでやる内容じゃない気がする。

ロリ金髪可愛い

八重歯じゃなくて犬歯が両方描かれてるのはどうなのかと思うけど。

美術っつーの?背景とか色とかがすげーと思った。

OPもがんばって踊ってるし。

けいおんっぽいと思ったら吉田玲子だった。なるほどね。

ばらかもん

子どもが棒すぎる。

頑張ってる方だとは思うけど。

ドラッグオンドラグーンのセエレの声と同じ感じのあざとさを感じる。

うさぎドロップのりんちゃんはよかったんだけどなあ・・・

何が違うのか。

一般向け意識してるのはわかるけど。

動きはかわいい

アニメ声幼女ファンタジーなんだなと改めて実感。

なんかみなみけマコちゃんとだぶる。

小野Dも出てるし。

アルジェヴォルン

まずタイトルの時点で覚えにくい。

1話冒頭で世界観垂れ流しでナレーションオンリーで言われても初見は困るわ。

しかもバックでドンパチやってるところにぼそぼそしたおっさんナレーションとか相性悪すぎだろ。

ギアスみたいに地図を出すなりしろよ。

そんでもって命令違反したり責任転嫁して女を怒鳴りつける主人公

クソむかついて見ててイライラする。

これ佐藤竜雄監督なのね・・・

モーパイこそよかったものの、オリジナルアニメになるとイマイチやね。ラグランとか。

あのナデシコ監督!と期待してた一時期が懐かしい。

ナデシコも正直そこまで面白いものでもなかったしなあ・・・

なんであんなに入れ込んでたんだろ。

その他

2期アニメは除外。

なんか今期ってテンプレ萌えハーレムアニメが少ない気がする。

俺が見てないだけか。

あとオリジナルアニメ初見にとっつきづらいつくりになってるのが多い気がする。

他に視聴確定してるのはスペースダンディ。

空っぽで見れるからラク。

ヤマノススメも見る。

あとは・・・Freeを江ちゃんのために見なきゃ。

2014-02-11

暁美ほむらは俺なんだ!」と叫ぶtyokorataに催す吐き気とはなんなのか

ミストバーン暁美ほむら鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251

タイトルからして吐き気を催すなにかを感じるッ!

邪悪とか漆黒意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!

ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。

tyokorataとはなにものなのか

名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだってバカッターで言ってた。

原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ

でも結局は自分に自信がない現れらしい。

とにかく家族関係コンプレックスがすげーあるらしい。

口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。

ぶっちゃけまどかマギカ特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。

そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。

今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。

最初に言っておくけど、あいつの見てるほむら原作ほむらじゃない。

ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。

から叛逆で見せたマミさん杏子に対する捨てきれない情とか、さやかなぎさ蘇生させた部分があるという「功利」はない。

からくりサーカスフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。

その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。

Phantom鬼哭街沙耶の唄Fate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから

サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいクレイジーサイコホモだし。

でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。

それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。

ちなみに彼にとって虚淵藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。

少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生藤田先生がそういう人なのは分かる。

別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言吐き気を催すわけで。

母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。

姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族意見に対してキモオタ的な蔑視コメントを吐いてたと思う。

他に好きな作品はジョジョダイの大冒険藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガンヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。

あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用70年代90年代が多い。

別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。

問題は嫌いなキャラはかなり多い。

まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボール悟空しょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョ藤田作品の下衆キャラと同類扱い。

エヴァアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。

嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむら悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)

しかエヴァ時代のノリをまどマギ投影しちゃってて、しか虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。

虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風投影されてるかっていうとね。

「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。

そういう善悪も結局は流動的なのにね。

まどマギ以前のtyokorata

ドラゴンボール』の悟空碇ゲンドウ共通性について - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659

こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。

あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空キャラ性はあながちブレてなかった。

問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。

ジョジョ記事は全体的に楽しかったんだけどねぇ。うん。

ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。

まどかマギカ以後のtyokorata

まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。

賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。

しかもどんどん「邪悪ほむら」像が蔓延して行って、「まどかほむらキモがってる」とかそういう前提でね。

ほむらフェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043

いやほんとこの人何言ってんだろ。

つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。

からほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?

別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。

叛逆ほむら民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いもの無視してるでしょ。

そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。

余談

本当に久々にあいつの日記を見たけどこんな事のたまっていた。

>ジョジョ少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです

何言ってんだこいつ

要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。

> きもちわるい

ですよ。

> 私は貴方じゃないもの

> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!

ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます

どうしてあんな吐き気を催すキモい人になっちゃったんだか。

追記

別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影うんざりするというだけです。

碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、

そもそも「自己投影やすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作キャラをゆがめる手法のもの

他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。

そういう態度が「吐き気を催すキモさ」を感じるんですよね。

もうちょっと他人を認めてもいいのに。

2013-10-22

やべえまだキルラキルみてないよ

http://anond.hatelabo.jp/20131022021346

個人的に、創作が好きなら2次創作でなくオリジナルでやってほしいと思ったりする

ほんとそう思う。

そうやってどんどん作品の5W1Hを転がしていっても、変わらないのがそのキャラ、その世界観本質だ。

ここまで出来ると、キャラクター世界観自分の血肉になる。

監督とか声優だとかそういう次元をどんどん取り払って、そういった作り手の元からすらはなれて、作品は完全に自由な存在として自分の中に存在する。

血肉になってる作品の5W1Hをいじるのは、創作関連のHow toにもよく見かける

ちなみに、ちょっと好きな流行モノでやると安易パクリに見られやす

借りた猫を動かすには手間がかかる

で、そこまで行ってるなら、もうオリジナルでいいじゃない

まあでも、二次創作でないと無名のオリ作品なんて見向きもされないので

作ったからには見てもらいたいので二次創作になってしまうよなあ

その辺ボカロ周りってミクさん辺りのアイコンさえ揃えておけば

オリジナルでも比較的見てもらいやすいので創作者が集まったのかなとも思う

あと、監督とか声優とかチェックするのはまだ見ぬ名作になるべく早めにアクセスする道標から

自分にとっての名作に出会った時、それがレンタルとかで遅れて見たやつだと

感動の後に、なんでコレをもっと早く見ておかなかったんだ!って後悔がどどっと来る

まどかマギカとか、オンエア録画で10話見て泣いて震災来て

これから日本世界まどマギラストはどうなってしまうんだろう

って経験できたのは、自分に放映前「新房×虚淵血だまりスケッチ」で

クスリとする程度の蘊蓄があったからで

グレンラガン大好きで、パンストも好きだけど今石監督だけだとFLCLみたいな

オサレバカアニメになるんだなあ、あ、やべえ、まだキルラキルみてないよ

2013-08-30

anond:20130830182345

えっマドマギ虚淵が書いたゲーム(全部鬱ゲー)もやったことのない若造のくせにっていえばいいの?

煽っちゃえばいいの??

2013-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20130620103320

太田勝手想像してる「こういうアニメであって欲しい」「こういう脚本家であって欲しい」というイメージを尽く否定する虚淵マジ鬼畜

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