はてなキーワード: 自営業とは
だいたい毎日いつも行っている夢の世界のどこかで夢を見る感じです。
私は北海道の小さな街の生まれで、例えばそこを天塩中川だとしましょう。
中川町の自宅付近はもっとも夢に見る場所です。自宅内や庭先、自分の部屋(床についている夢が多い)、町内会くらいの規模で夢の街を思い起こすことができます。
だいたい、自宅付近は不安な夢になる場合が多いです。時間に間に合わなかったり、課題をしなければならないのに家に戻らなければならなかったり。
小学校にいる夢が一番頻度が多く、ついで中学校、高校と続きます。
空間的には、中川町には南側に「佐久」という小さな集落があるのですが、ここもよく夢に出ます。
自動車で行く場合大きな橋を渡ると交通に便利なのですが(裏道あり)、この橋が渡りにくかったり、河川敷で何かしなければならなかったりして結構大変です。
天塩中川町の北方には、幌延とか豊富とか小さな街があり、最後に稚内に行きます。近隣の天塩町含めて、全部夢の中で訪れることがあります。
南方には音威子府村があり、美深、智恵文、名寄、風連、多寄、士別、剣淵、和寒で旭川にたどり着けます。
それぞれ夢の街があり、特定の入れる家がある感じです。水族館みたいになっている家や、お土産が売っている家、誰もいない家。
美深のあたりで天塩川を渡らねばならないのですが、たまに橋がないことがあり、難儀することがあります。
他にも特定の沢や川が記憶にあるようで、よくそこで作業をしたり、洪水や増水の被害にあったりします。ダムもよく夢に出てきます。朱鞠内湖とか。
歩きで移動するので、一回の夢で例えば旭川から天塩中川まではたどり着けたことは多分ないと思います。車を用いても手前の音威子府あたりが限界です。
おそらく、親が自営業で旭川や稚内までよく車で一緒に乗って行っていたのが記憶にあるのだと思います。
高校が旭川だったので、旭川の夢もよくみます。ショッピングモールとか。
大学は札幌で、駅の周辺がよく夢に出ます。ただ、配置はかなりランダムで、変なところにカプセルホテルがあり、馴染みの居酒屋も変な場所にあります。夢の中ではいつも同じ場所です。
大学生の頃の冬に、すすきので飲んだ後ずっと歩いて家まで帰った記憶が関係しているのかもしれません。
札幌駅から東の方に車で行くと、空港があります。新千歳空港なのでしょうか?
チェックインを済ませて飛行機に乗ると、東京かハワイに行けます。
最近ようやく、自分のマンションとその界隈が夢に出てくるようになりました。
子供の頃のメインだった場所の夢と比べて、不安な要素はかなり抑えられています。パンやお菓子を買いに行こうなどの夢です。
もちろんここから実家に帰るパターンもあります。たどり着いたことありませんけれど。
夢の中では小学校からすら帰れません。色々な事情で寄り道が発生し、途中の公園までが限界です。
最近は、札幌と旭川のマンションを両方借りたままになっていて家賃が大変な夢だったり、前の彼女と今の彼女と知り合いの女性と全員同時に交際していることになっており(大変!)、これはまずい、ととても不安になって朝目覚めて安堵することが多いです。
明日の朝目覚める直前に見る夢も、きっとこのどこかでの出来事になる(と私が認識しているだけなのかもしれないのですが)と思います。
昔々イギリスの産業革命からしばらくの間、経済活動においては資本家が圧倒的に有利であった
資本家が自分の資本を元手に事業を起こし、労働者を雇用したが、
労働者には最低限死なないだけの賃金を渡すのみで、残りの利益は全て資本家が独占した
それでも仕事がないよりはという足元を見られて、生きるか死ぬかで労働者はこき使われ続けた
流石にこれは間違ってるんじゃないか。そういう問題意識からマルクスは共産・社会主義の理論をまとめた
やがて世界は共産主義と資本主義の二大陣営に二分されて冷戦の時代を迎えるわけだが、結果的に共産主義は崩壊した。
しかし、共産主義に驚異により資本主義も自分たちの経済理念に見直しを迫られて、
やがて労働者の権利は法律により保護され、資本家の横暴は規制された
ウーバーイーツは法の網の目を掻い潜り、労働者を自営業扱いすることにより、労働者の保護を事実上放棄している
春から大学生になるが、最近、自分は母親が少し苦手なのではないか?と気づき始めている。
小さい頃から我が家は仲良しだと思っていた。今でも家族3人で出かけたり、しょうもない話も真剣な話もしたりする仲良し家族だ。仲良し家族だと思っていた。
数年前から、母の、別にそこまでキレる事じゃなくない?ってことにもイライラカリカリして物に当たるところとか、何をするにもやたらとドッタンバッタンガッシャンと音を立てるところとか、嫌なところばかり目について疲れてしまうようになった。
母は私が小学生の頃は専業主婦だったが、今は祖父(母の父)の会社で事務をしている。父は自営業。
親のことをこんな風に書くのも酷いけど、母は感情のコントロールがあまり上手くできない人、目先のことばかり考えて面倒事を後回しにする人だと思う。
冷蔵庫の中に賞味期限切れの牛乳パックがあるとする。それを取り出してから買ってきた肉などを入れればいいのに、牛乳パックの周りの僅かな空間に詰め込むようにして肉を入れる。次に冷蔵庫を開けた時に詰め込んだものが雪崩のように出てくる。そして「あ〜〜〜!!もう!!」とまた詰め込む。また開けた時に雪崩てくる。このような行動が一日に何度も見られる。
車でどこかに移動していて、信号なんかで止まった時、歩道を歩く人などを見て「あの人の服変だね」「あの人こけしみたいな顔だね」などと悪気もなく他人を貶めるところも嫌だ。「そんなこと言っちゃダメだよ」と言っても治らない。
疲れていたり、体調が悪かったりする時に、父に辛く当たるところも嫌。仕事が大変なのは分かる。祖父は頑固な人で、しかも平気で予定を変更したり、急に呼びつけたりする人(決して悪人ではない、私にとっては良い祖父だ)だから、そりゃあ鬱憤も溜まると思う。しかも母は偏頭痛持ちで、日によっては体調と機嫌が悪い。
でもそれを父に当たり散らすのは違うと思う。無関係の他人に当たり散らすなら当たり散らすで、誰にでも同じような態度でいればいいのに、私にはおちゃらけた態度で接してくるのも、なんか父を軽んじているみたいで嫌。
(よく女性が生理や妊娠を理由にイライラしてしまうことを許して欲しいみたいなことを言う人がいるけれど、それはそれ、これはこれではないか?と思う。
しかも、「私は裏表がある人間は嫌い!」とよく言うのに、父には辛く当たり、次の瞬間私には冗談を言う。矛盾していると思う。)
そして、ここまでの性質が全て組み合わさった結果、仕事が嫌だ、歯医者で働きたい(母は結婚前は歯科で働いていた)、といつも愚痴愚痴しているくせに、何年も何年も祖父の言いなりで会社を手伝い、イライラを家に持ち帰っては父や物に当たり散らして、家の中の雰囲気を最悪にする、「味方全体のMPを毎ターン吸収する」的な母が爆誕する。
そうなると、自分になにかされたわけでもなんでもないのに、どうしようもなく辛い気分になって、イライラして、部屋に閉じこもるしかなくなる。
仕事が嫌なら辞めればいいのに、「父の会社を無くす訳にはいかないし〜」という正義感で続けている。そのくせ態度の悪い従業員の悪口を言う。結局、この年齢で新しい仕事を見つけるのが大変だろうから(こんな言い方も祖父に悪いけど)グダグダと召使いのような扱いに甘んじているだけだと思ってしまう。
我が家は恵まれている。実家があって、大学に行かせてもらえる。お金がなくて困ったことも1度もない。
だから文句を言うべきではないし、親に逆らうものではないと小さい頃から考えている(これはそう教育されたのではなく、同級生や世の中の色んな人を見た結果、そういう考えに至った)ので、両親に反抗したことはなかった。
反抗期もなかった。うるせーくそばばあ!とか、お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!とかもなかった。
でも近頃は喉のここら辺まで、「黙れや!」が出てきそうになることがある。
でも多分、そこで「黙れや!」を発動してしまったら、母と同じ「味方全体のMPを毎ターン吸収する子」になってしまうのではないか、と怖い。ナチュラルに母を見下して、自分はこうなりたくないと思っている自分も怖い。
早く一人暮らしをしたい。生き物や植物にだけ囲まれて暮らしたい。きっと私もこういった性質を受け継いでいるので、将来は結婚したくない。
私(40代後半自営業、既婚、子有)的にはすごく「刺さる」映画だった。
偶然を含む特別な出会いがあり、好きな音楽や映画が一緒で、同じスニーカーを履いてたりする
ってことで「私はあなたで、あなたは私じゃん、私達特別じゃん」ってなり、お互いのことを
知っていく過程において、自らの映し鏡としての存在を相手に求める恋愛初期の楽しい日々が
続いていきます。
一緒に暮らすようになり、社会人になり、彼と彼女が一番大切にしていたカルチャー達は
彼らになんの力も与えてくれない(お金を稼ぐ力とならない)中で、彼らにとっての
アイデンティティでもあった、自分達は他の人達とはちょっと違うんだという自負がゆらいでいく。
日々の生活の中で、燃えるような恋愛感情は変質していき、日常の存在としてのパートナーと
なっていき、そして・・という映画でした。
素晴らしい映画だと思いますので、ぜひいろんな方に観て欲しいです。
私は、ラグビーだのアメフトだの基本運動部の人でしたが、サブカルが大好きで
宝島(昔あったサブカル雑誌)を読んで、そんなサブカルに詳しい(好きではなく詳しい)
ことが自分にとってのアイデンティティであり、そんな気持ちを共有できる相手を求めていました。
たくさん本を読んで,映画や舞台を観て、その中から得られるものを、人生にとって大切なもの
として生きていきたいなって思っていました。(〜27歳)
27歳に、大学在学中からやっていた商売がうまくいかなくなり、お金がなくなってきて
アルバイトをするようになったのですが、その時に、当たり前ですが、趣味程度のサブカルは
何も私を助けてはくれないし、少し環境が変わると、それを摂取する時間もお金もなくなり
結婚を考えていた女の子とも別れました。(と、純愛的に書いてますが、10年間くらい同時並行
で3人くらいの子と年単位で付き合っていてカップル喫茶やハプニングバー遊びが好きなただれた
生活だったのでお金が続いていたとしても振られていた可能性は高いですが。)
50歳近くになり、仕事と生活に直接結びつかない小説や映画に触れる機会は極端に減りました。
映画館で映画観たのは、ストレートアウタコンプトン(米のヒップホップスターの伝記的映画)
シンゴジラ、マッドマックス怒りのデスロード、桐島部活やめるってよ くらいです、
映画秘宝寄りですね。
昨年秋に出会い系サイトを通じて彼女(40代前半)ができましたが、メールのやりとりが
はじまってから実際に会うまでの1ヶ月ずっと、若いときと同じことをやってました。
お互いの本棚を写真にとって送りあって「その本、前に読んだ。」「その本読みたいと思ってた」
「私達、趣味が合うよね」どんな映画好き?どんな音楽を聴くの?とやりとりし続けることで
その人のことを知ろうとしていましたし、短歌を語り合ったりしている時には、お互い
「私達って他の人達とはちょっと違うよね。」って部分もあったと思います。
1ヶ月の文通の後、会ったのですが、カフェでもずっとそんなカルチャー話をしていました。
でも3度目のデートでホテルに行ってからは、肌が合ったこともあって、会ってる時間ほとんど
ずっとホテルのベッドです。10月後半くらいから今にいたるまで会っている間の会話はあえぎ声くらいです。
映画劇中と私の過去において、カルチャーが生活するお金に無力であったのと同様に、非日常の愉しさを
求める関係性においては、カルチャーはセックスには遠く及ばないってことを何度目かのホテルの後に
考えたりしました。
会ってないときは、Slackでいまだに読んだ本を紹介しあってます。下手な短歌を送り合ったり
夫はTwitterでそこそこフォロワーのいる人で、そこそこ夫に熱心な人もいるのですが、
相互フォローから妻である私のTwitterアカウントがバレて、呟きにいちいち反応されて趣味や言動にもいちゃもんつけられて参っている。
夫は、実害がなければOKと総スルーしているけど、一時は刺しに行くとまで言っていたし刺される可能性があるのって私なのでは。
メールによる脅迫があったので、警察にはすでにストーカー事案として対応していただいているが、
警告してもらってもここまであからさまに私の監視をやめないのに実害が出るまで警察は動けないものか
自営業で、以前は自宅兼事務所だったため住所が公開されており、自宅前まで来たような呟きをされたこともある。
今は引っ越したけど、事務所住所が公開されていることは変わらないから、私はこの先の人生、ずっといつ刺されるかもわからない恐怖を抱えて道を歩かなければいけないのか。
子供と一緒にホームに立っている時は、このまま押されるんじゃないかとなるべくホームから離れて待機したり、
事務所からの帰りに自分が刺されるんじゃないかって妄想を抱いて生活するって、
自分も統合失調症になったようで、最近本当に精神的におかしくなってきたのかなと思う。
まず私も病院に行った方がいいんだろうな。
無能だなんだと叩かれてばかりのガースーがかわいそうなので、
リーマンショックをとっくに越えて、世界大恐慌の再来すら危惧される今日この頃、
しかし、ここに立ちはだかるのが財政均衡至上主義の財務省と、財務省の子飼いの大手マスメディアだ
いくらコロナ禍においても放漫な財政支出は許されない、国民に給付金や経済支援などとんでもない、
国民は自助に努めて民間で経済を回し、耐えられない企業や自営業は潰れてよし。という思想は根強い。
こんな針の筵で正面きって財政支出を確約するよりも、ガースーはもっと巧妙な手を選んだ
何もできない無能が後手後手の対応に回っている風に立ち回り、国民からの非難の声が強くなってきたので、
こうして周囲には無能な首相が適切な手を打たないばかりに、コロナ騒動が収束せず、