はてなキーワード: 感染とは
親はいつまで仕事しているのか、いつまで生きているのかと漠然とした不安感を覚えて嫌になるな。実家暮らしで家賃と光熱費をありがたく浮かせてもらってるので。
でも片親がはやめに死んだこともあっていつまでも生きているとは限らないし、本当の別れは急なのである。
だから毎日死別の覚悟を薄っすらとしているのに行動に移せていない。いつまで仕事をつづけるのか、老後の生活は大丈夫なのか、終活をする気はないのか。そう問いたいけど、これは死んでほしいと言っているようで嫌になる。
そんなわけない。むしろ生きてほしい。
それはやはり家賃と光熱費が浮くという個人の利益は大きいけど、死んでほしいという気持ちはないから、生きてほしいという気持ちになるのか。
人間、いきなりの変化に弱いと思う。コロナ禍初期の東京はそうだった。パニックになって攻撃的だった。通勤電車でスーツ姿の男性がオフィスカジュアルの女性の足を蹴ったり、松屋で透明ビニールの存在を無視してカウンターの奥に顔をつっこんでツバを飛ばしながらスプーン! と叫んでいた爺さんがいた。
後者はもしかしたら普通だった世界でもいたかもしれないけど、前者はたぶんコロナ禍によって生まれた存在だ。
それまで引きこもりリモート業務推奨されていたのが一転、感染経路または感染したらどうなるのかがよく分からない状態で出社しなければならないのだから、みんなビクビクする。電車内の空気は張りつめていた。
今はもう誰かの足を蹴るようなスペースも動ける暇もないほど、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だ。ただ一つ大きく変わったのは「降ります」という掛け声を誰もしなくなった。電車内では喋ってはいけないという、あくまで東京の電車ローカルの範囲だけど、そういう決まりが雰囲気によって定められている気がする。降りますって言わない。その代わりガンガンぶつかる。
もし4月から東京へ上京する社会人は「降ります」って絶対言ってほしい。大きな声で「降ります」は素晴らしい行動なので。前の人を押すのは「降ります」と言ってもがたくなに動かないだった場合だ。
で、すごい話しずれた。戻す。戻すと言っても何だったかな。
今の環境が変わる(かもしれない)という、未知のタイミングへの不安。よく未来を知ると人生が面白くなくなるって漫画であるけど、自分は反対だ。むしろ安心する。ゲームでも先に攻略方法を知ってからプレイするので嘘にはなっていないと思う。見えない、分からないことが本当にこわい。
かといって、すべて解決できるほどのお金なんてないし、ロトはニアピンばっかり。今日はバレンタインジャンボの抽選日だけど300円しか当たらないだろう。競馬が予想しやすくて、当たりやすいし、なにより賭ける相手が馬だ。馬へラブコールと思えば賭けてもいい。
……と、ギャンブルでなんとかしようとする自分の思考回路から察するに、投資や会社設立して儲けようとか、経済を動かす方面で金を工面する能力が本当にない。プロデューサー向いてないなと考え続けると悲観一直線なのでこの話はやめます。
せっかくの金曜日だし、仕事終わったら本屋に行って業界本いろいろ漁ろ!
あと2分で支度しないと遅刻するのでひとまずここまで。書いているうちに気持ち落ち着いてきた。朝から長文失礼。はてな匿名ダイアリーを作った、またサービスを維持しているはてなの方ありがとう。
以下の文章は単純に書いて飛ばしていたのだが、わりと良い文章なので載せてくれ。↓
素直に死にたいと思って起床する。太陽の下を通勤するときはそんなものはないし清々しいから太陽って偉大。目を開けたときが一番暗い。ずっと眠っていたい。夢を見なくてもいいから。
今日彼女がうちに遊びに来てなんか私体熱くない?っていうから熱はかってみたら38度くらいあったんだよ
彼女実家住まいなんだけど実は彼女の母親がつい最近コロナになってて、「えやばじゃあコロナの可能性高いじゃん今日は解散かな」
って言ったら帰りたくないってすげーごねられた
いや俺の家1Kだし隔離して看病とか無理だし実家なら自分の部屋あるじゃん無駄に感染拡大させてもアレだから的なこと言ってもあんま納得してもらえなくて
俺は逆にこのシチュエーションなら職場だろうと友達の家だろうと速攻帰宅して検査うけて感染拡大させないように務めるものだと思ってたんだが、
「コロナなんて気にしないよ」って言いながら抱きしめたらよかったの?
俺の心が狭い問題なのか
世の中からいじめや喧嘩やいざこざが絶えることは無い。私なら、子供にはそういうことへの耐性と対処の術を学んでもらいたい。創作からも、歴史やノンフィクション作品からも、子供自身の経験からも、子供には争いへの心身両面での対応策を身につけてほしい。
フルコンタクトの格闘技はやり過ぎにしても、武道の一つも習わせておきたい。そうすれば、子供は少なくとも格闘への自身の向き不向きを知るだろう。格闘に向いていると子供が気付いたなら、数年は継続して習うよう励ましたい。そうすれば以降の人生で肉体的な喧嘩の火の粉は降りかかりにくくなるし、降りかかってきた火の粉は払いのけやすくなる。逆に、子供が自分は格闘には向いていないと気付けば、格闘せずともやっていける方向を自分自身で探ろうとするだろう。
無菌室で育て続ければ、その部屋の中で育てている間は菌に感染することは無く、菌に感染して病を得たり死んだりすることは無いかもしれない。しかし部屋から一歩出れば色んな種類の菌がいたるところに存在する。様々な菌への耐性もつけず、対処の術も知らずに無菌室で大事に育てられた人間は悲惨だ。
内田樹が触れているように、日本は「立ち帰るべき初期設定」(注1)がない国である。立ち返るべき初期設定がないということは、現行のルールを自発的に、外部からのイベントなしに、変更しにくいということでもある。何かがおかしいと感じられていても「平穏」である限り、そのルールは維持される。仮にその「平穏」がル・グウィンの書いた「理想都市オメラス」のような平穏であってもだ。「立ち返るべき初期設定」がないから、そのルールの良しあしを判断できないのだ。官僚機構は、自らに課せられたルールを忠実に守る。それが官僚機構の役目だからだ。官僚機構に自発的な変革は期待できないし、期待してはいけない。期待するとすれば、政治家と国民の、そして、外部からのイベントになる。
さて、ルールの再考のきっかけとなる、外部からのイベントの一つが、「人の死」である。ブラック企業対策のきっかけになったのは、高橋まつりさんの死だったし、統一教会対策に動き出したのは安倍晋三元首相の死がきっかけだった。でも、この2つはもともと国民の側にある程度の不満が溜まっていたからこそ、一人の死でここまで動いた。では、もし、国民と政治の側が致命的な選択肢を選んでいるにもかかわらず、その致命さに気づいておらず、不満も持っていなかったら?
参考になるのは、前世紀において、日本はアジアに対して行った侵略戦争である。日中戦争開始当時、そのことを間違っていると考えた国民は少数派だった。みずからの選択肢が誤っていると判断して無条件降伏するまで、多くの人が亡くなった。特に、戦争末期になって戦没者の数は急激に増える。全戦没者のうち9割を占めると言われる。最終的に、東京大空襲、沖縄戦、ソ連の侵攻、原爆投下にいたる。死者は軍人・軍属、民間人合わせて240万人〜310万人とも言われる。当時の総人口を7500万人とすると、3.2〜4.1%にあたる。それだけの犠牲者が出た段階で、ようやく政府は終戦を決断した。
さて、今現在、日本は、戦時下にある。それはCOVID-19との戦争である。互いに殺し殺されるという関係では、戦争も公衆衛生もたいして変わりがない。違うのは、ウイルスには意志も戦争遂行の責任者もない点である。歴史は繰り返さないが韻を踏むという。すでにその兆候は見えている。
・責任者の不在
5類の意向により、政府は感染対策を民間に丸投げし、積極的な感染対策を取らなくなった。
一方、民間は民間で、上の指示がない限り積極的に感染防止対策を行わない。結果、誰が責任者かわからないまま、だらだらと戦争は続いている。
すくなくとも、戦争が始まってからの数年間の動きは素晴らしかった。しかし、それらは、現場や民間の努力によるものであり、長続きはしなかった。
中国や米国の実力を見誤ったように、コロナウイルスの実力を甘く見積もる。「ただの風邪」という言説はその最たるものである。しかし、実際にはコロナウイルスは想定よりも厄介なウイルスである。心臓疾患や認知障害をはじめとする様々な疾患を引き起こし、感染性も高く、免疫逃避性も高い。繰り返し感染するごとに、後遺症を発症する確率もあがってゆく。
脱マスク、診療報酬の削減、ワクチンの任意接種化で、全数把握の取り止め、無料検査事業の終了、患者の届け出の把握など、わざと自らのリソースを削減する。
これらの結果、戦争開始当初は、現場の奮闘と戦術でうまくいくが、戦略の無さとリソースの不足でやがて負ける。いくら、指揮命令系統を強化しても意味がない。負ける理由は戦略の不足であり、決断の不足であり、思想の欠如であり、「立ち帰るべき初期設定」の欠如だからだ。幸か不幸か、戦争相手はウイルスであり、どこかに大本営があるわけではない。現場で戦う個々人に対し、リソースを潤沢に供給し、支援し、戦い続けられば、少なくとも五分五分には持ち込めるだろう。マスクを着用させ、手洗いを励行させ、ワクチンを接種させ、その代金を支援し、発熱外来やコロナ病床を提供する医療機関を資金面で支援し、ワクチンを製造し、備蓄し、抗原検査キットを配布させれば戦い続けることはできるであろう。しかし、緊縮財政の名のもとにそのリソースを絞ってしまった。
おそらく、前戦争におけるミッドウェー海戦に相当するものは、コロナウイルス感染症の5類移行である。あれをきっかけに潮目が変わった。明らかに、社会はコロナウイルス感染症は警戒しなくて良いというメッセージと受け取った。テレビでは、「コロナ明け」という単語が飛び交い、マスクをつけなくなり、飲み会に繰り出し、満員電車は復活し、学校では積極的に脱マスクが推進されている。ウイルスは弱毒化どころか、ますますその凶悪な性質が明らかになっているというのに。
やがて、免疫が弱体化して感染症が蔓延し、または、再感染でロングCOVIDが蔓延し、人がバタバタ死に始め、国民がおかしいと気づくまでこの状況は変わらないであろう。どのくらいの人が死ぬだろうか。前大戦では総人口の3.2〜4.1%であったことを思い出してほしい。2024年現在の日本の人口を1億2000万人とすると、死者数は、384〜492万人に及ぶ。そこまでの死者を出して、ようやく国民と政府は、自らの選択肢が間違っていると気づくであろう。
はしか(以下、麻疹)は大人がかかると危険性が高い感染病だ。現在は子供の頃にワクチン接種が義務になっているが、どうも23歳以下からは2回接種になったようで24歳以上は1回なのでもう一度打つべきらしい。
しかし経験談や周囲の話を聞いても親世代が麻疹をここまで怖がっていたような話はなかった。
自分の親は60代だが50代、70代の方にも聞くと危険性をそこまで危惧していなかったし、40代でも同じくだ。30代でも親の「なにが怖いの」を見てるから危険性について正しく認識していない率は高い気がする。
予防接種に関しては51歳以上は一度も義務では接種を受けていないのに、だ。
なお結論を言うと51歳以上は子供の頃に麻疹になった経験がある率が高いから免疫があり、大人になってから感染しても危険性は低い。
麻疹への対処法や予防接種が始まり、ある程度の効果を見せて麻疹が「日本では」流行の気配が収まる。
そして一度も麻疹にかかったことが無い世代が親世代になった。しかし実はその24〜50歳の世代も完璧に麻疹を防ぐなら二度接種すべきだと知らなかった。
2000年ごろ麻疹の流行や2007年に成人麻疹の流行で大学の学級閉鎖などが話題になっているし、2000年4月に2回接種義務化が始まっているのを見ると、この1回予防接種層の麻疹免疫はもうほぼ消えているし、人々の認識と油断により一定周期で襲ってくるものなのだろうが、そこに外国人が増え、海外で流行が広がった今、また日本で流行が始まってしまった…ということなのだろうし、今後鎖国でもしない限りは収まると言ったことが無いのかもしれない。
麻疹はコロナよりも感染力が非常に高く、命に関わる率も後遺症率も高い。マスクも意味なくワクチンしか対応策がないと言う現状。さすが「現存するウイルスの中でも最も感染力が強いウイルス」と呼ばれるだけあるだろう…
家系ラーメンが風邪の初期に効くので店に食べに行くというポストが流れてきました。ニンニクには殺菌効果があります。コラーゲンには免疫力UP、粘膜保護が期待できます。高カロリーでウィルスを殺す為のエネルギーを用意します。そして身体が温まる。ジッサイ良いことしか無い。
問題は風邪のひき始めはいちばん他者に感染させやすい事です。完全個室でない限り、仕切りがあっても貴方の左右のお客さんは確実に感染リスクに晒されている事になります。なので、最適解としては店舗に行かず家で家系ラーメンと同等の内容物(同等とは味のこだわりについてではなく、アブラコッテリのあたたかいラーメンにすりおろしニンニクを後入れで入れる等)を作成し食べて暖かくして寝る。
料理していて、スライサーで爪ごと指先をスライスしただけなんだが、これが痛いのなんの。
尿路結石の、叫ばずにいられない痛みに比べればだいぶマシとはいえ、尾てい骨を折ったときくらいには痛かった。
思わず唸ってしまうレベルの痛みに、こんなんツバつけときゃ治るだろ、指先のケガごときで何を大げさな…という従来の考えは、悔しいが改めざるを得なかった。
ちな尾てい骨の骨折は後で判明したこともあって今の今まで放置してきたけど、こっちは血が結構派手に出たので病院の夜間外来に行ったわ。
日本における死刑が行われているが、 その執行は刑務官によって行われている。
死刑囚の首に縄がかけられると、 3人の刑務官が同時にボタンを押す。 こうすると、実際に死刑囚の足元にある床が開き、死刑囚を殺す。
ここで、3つのボタンのうち2つはダミーであり、 1つだけが実際に死刑囚を殺している。 これは、刑務官の心的ダメージを減らすためとされている。
この死刑執行官だが、おれならば一人で淡々と遂行出来ると思う。
よく、おれは他人の気持ちがわからないと言われるが、 実際のところその認識は間違っている。 正確には、おれは他人の気持ちを完全に理解していながら、完全に無視している。 なぜ無視しているかというと、他人の気持ちを汲む価値がないと思っているからだ。
そもそも、おれは中学受験で「気持ちを答えなさい」という問いを何百何千と訓練されたのだ。 その結果麻布中学の難解な国語を突破出来た人間に、どうして他人の気持ちを理解出来ないことがあろうか。
これで、おれが気持ちがわからないのではなく、 わかった上で意図的に無視していることが理解されたはずだ。
ふつうの人間はこうはならない。 他人の気持ちを理解する能力がないがために、それを空気によって察しようとするから、 気持ちが空気を伝わって「感染」してしまう。 そういう人間が死刑執行人なんかしたら、 死刑囚の死にたくないという気持ちに感染してしまって、 精神が壊れるのは当然である。
どうせワクチンだって、他人のためとか本気で信じて打ったんだろう。 おれが打たないのはそもそもそれが毒であることを理解しているからというのもあるが、 もしそうでないとしても打たないだろう。 なぜならば、おれがリスクを負って守るべき他人の命はどこにもないからだ。 他人の気持ちを理解しつつもそれを無視するのと同様に、 他人の命が大事というのは理解しつつもその価値を無視するに決まってる。
だから、おれは死刑執行人をソロで遂行出来る。 なぜかというと、死刑囚の命に価値を感じないからだ。 1時間前に死刑囚と談笑してたとしても、軽くボタンを押せる自信がある。
精神の弱い人を守るために3つもボタンを用意するのは 税金の無駄遣いなので、ボタンを1つにしておれを死刑執行人に任命することを オススメする。
2週間前、突然膣から血が出た。生理予定日はまだ先だしこれが不正出血かと思って色々調べると、ホルモン異常、ピルの副作用に加えて子宮頚がんの症状と出てくる。
最後にがん検診をしたのは1年半前。ピルは長いこと飲んでるけど不正出血なんて今までなかった。まさかそんなことないよね…と血の気が引いた。
子宮頚がんの原因は性行為で感染するHPVウイルスで、それを予防するワクチンがあるが私は受けていなかった。
色々話を聞くも結果を待つしかないと言われ、子宮頚がんになった人のブログや医師監修のサイトを見まくる日々が始まる。1年半で急激に進行することはほぼないと言われたけど、何事も例外はある。
そういえばセックスするときに微量の出血があることもあった。これも子宮頚がんの症状らしい。
検査結果が出るまでの1週間は睡眠不足で仕事も手につかなくてしょぼくれてた。
結果、がんの兆候はなし。
じゃあ何だったのか?というと分からず、ホルモン異常でしょう。とのこと。えー…
HPVワクチン、私が学生のころはまひなどの重大な副作用が出る恐れが高いという報道があり、親も私も怖がって受けなかった。