はてなキーワード: 性的虐待とは
ケンカ腰のお前に説明しても多分ケンカ腰でリプが来るんだろうけど、現状第四波フェミニズムと呼ばれる時期にあって、それまでは「個人の自由を尊重しようという主張」がキーになっていた。
第四波フェミニズムは#MeToo運動を始めとした、女性の立場向上を目的とした主張がメインになってるわけ。
言うてしまえば「性的虐待、セクハラ、性暴力、女性の物体化、職場での性差別」とかだね。海外では引き続きその運動は続いている物の、日本の場合レースクイーン排除やAV新法に始まる「第三波までのテーマだった個人の自由」を剥奪し、さらには海外では立派な職業として成立していた性産業やグラビアモデルといった権利を(女性が女性の権利を)剥奪してるわけ。
詳しくは
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol2
このあたり読んでくれ
世界の流れの真逆を行っている、そしてSNS活用が大きな特徴である第四波では、思想について正しく理解しているかどうかよりもフォロワーの多いインフルエンサーの鶴の一声が強いというのが日本のフェミが変な方向に突き進んでる一つの特徴でもあるね。
ネタバレしてる
映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者と監督のアフタートークがセットになってたやつ。
今は本編はDICE+というサイトでレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。
https://diceplus.online/feature/94
映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。
原作は平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説「無垢の祈り」
とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱な雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽も雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。
スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえのレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。
あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画の祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作の祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。
でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないものの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品は時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。
時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公は犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。
なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものは「グロテスクな閉鎖空間でうつくしく光る小さな何か」だと思った。
ざっくり言うと映画は児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか。
あと、映画で刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事の台詞が原作とは正反対だから。原作の刑事は「ああいう人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画では「キチガイは早く捕まえないと繰り返す」である。
かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品のテーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作と映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。
そもそも主人公(虐待といじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。
原作は殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公も未来に希望を持っているけど、映画は殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から「自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公も希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。
「救い」という意味では、例え原作で主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。
それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。
原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。
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恐ろしい勢いでクソ旦那○ねと暴言吐いてるアカウントが、旦那が子供に虐待、娘に性的虐待すると文句言ってるので
「それは愚痴吐いてる場合じゃない!警察や児相に相談して離婚して!」と言うも
「でも〜生活が〜大したことないし〜」ってウダウダ言ってしまいには
「うるさい!暇人がいちいち人のことに干渉しないで!ほっといて!」と逆ギレして鍵垢または垢消し
こんなケース何回も見た。
中には『お父さんは虐待が正しいと思っているしお父さんのストレス発散だから止めないの。あなた達が虐待されないように気をつけて一度で言うこと聞くのよ』などと子供に言い聞かせ、虐待される子供を馬鹿だと言ってる母親もいた。それでいて、加害者のモラ夫に苦しめられる被害者ポジでいるようだ。しばらくして鍵垢になったそいつのプロフを見たら「クソ旦那、クソ子供」と書いてあった。子供も加害者になったらしい。
旦那デスノートにも、再婚の旦那が子供を虐待する、小4の娘を性的虐待する、早く○ねと愚痴を吐きまくってるアカウントがいた
ところが旦那デスノートのコメントでは、離婚しろとか○○した方がいいとかは言ってはいけないらしい
マジでさぁ…
自分事として考えてみて欲しい。
幼い頃から自分に性的虐待を繰り返して来た奴の名前で、自分が呼ばれるのは苦痛じゃないか?
それも、その長年の悪事がやっと明るみに出て、言い出せなかった被害をやっとの思いで告白したと言うのに、そのタイミングですらその名前で自分が呼ばれる事が世間的に普通の扱いとして成り立ってるの、異常じゃないか?
この期に及んで、性加害は許せないけどジャニーズ最高!みたいな呑気な自称ファンの言動見てると吐き気がする。
元にしろ現にしろ、被害者を呑気にジャニーズ呼びする報道も、もう止めてやれよって思う。
性被害を訴えてるのに加害者の名で慕われるの、地獄すぎるだろ。
その問題に触れるならもう、ジャニーズ性加害問題の被害者である⚫︎⚫︎さんとかさ、ただ推すだけなら個人の芸名で十分だろ。
悪くて責任があるのは、
のせいやから、法人であるジャニーズ事務所とその経営責任者には、
ジャニーズ事務所が一義的に悪いのは明らかなので、まず事務所がしっかり対応すべきなのは明らかとして、取引先企業のうち特にメディアや報道各社がもっと早く取材して報道して表沙汰になってれば、被害者はもちろん、便乗した加害者や幇助者がここまで組織的に拡大せず、被害者や傍観者も声をあげやすく、知ってか知らでか、今だに口をつぐんでる人たちの罪悪感ももっと少なくてすんだんでしょうから、加担しなかった人たちは気の毒だと思う。
そう思うと、事務所の被害者への償いはもちろん必要なんだけど、それに加えて、メディアと報道各社も、直接的な被害者に加えて傍観者だったタレントらにも、損失補填だけでなく、罪悪感によるメンタル棄損への賠償に参画すべきだと思うし、今後はそういったことがないように、あったら小さい芽のうちに摘み取れるように、企業ガバナンスを見直して欲しい
イケメンイケボの奴はちゃんと『それって性的虐待だよな、性被害だよな』って言うけど
誰からも褒められず讃えられず大事にもされてこなかった無職ブサメン独身ウンコにそういう繊細さを求めるのは酷なんやで
まぁ一番はしゃいでる奴がなんだかんだオメコして一抜けたするのがその界隈やけどな
そして嫁さんに「ノンデリ」呼ばわりされてデヘデヘするんや
まぁそれも男という化け物のキショキショポイントやで大事にしたってな
犬猫飼うのと同じやで
困ったサンを飼うことでワシらは家庭という依存空間を作ることができるんや
そしてそれが凝り固まって社会や
繊細ちゃんたちがどれだけ拡声器の音量上げて叫んでも、そんな社会に住む奴らは言語が違うから伝わらんねや
ホンマ堪忍や、お目溢ししといたってくれんか、オメコだけに
その原因は、数十年にわたって日本のエンターテインメント業界を支配してきたジャニーズ事務所です。ジャニーズの圧倒的な影響力は、単に男性アイドルだけでなく、若手俳優の席まで占領してしまっていました。ジャニーズはその影響力を背景に、不当な圧力を用いて他の事務所はほぼ完全に排除しました。
かつては、日本のエンターテインメント業界はジャニーズの独占支配下にあり、ジャニーズはこの世の春を謳歌していました。しかし、ジャニーズ事務所の創業者による性的虐待が暴露された今、ジャニーズは瞬く間に力を失いつつあり、その栄光は二度と蘇らないでしょう。
しかし、この混乱が新たな可能性をもたらすわけではありません。なぜなら、ジャニーズに代わりそのニッチを埋めるのは、日本の埋もれていた才能などではなく、ジャニーズ並みの組織力を持った韓流だからです。韓流は資金的にも洗練され、大手事務所の力を背景に発展しています。若者の間の韓流人気はもはや語るまでもありません。日本のタレントやアイドルは組織力不足で、全く相手にならないでしょう。
おそらく、今年の紅白歌合戦では韓流が大々的に特集されます。そしてそれは日本の芸能界の終焉の象徴になるでしょう。
全てジャニーズのせいです。
このスレッド見て思ったんだけど、ジャニーズ問題を機に「ん?」と疑問に思ってることがあって「芸能界は枕営業の問題も〜」みたいなやつ。
ジャニオタが「ジャニーズより女性アイドルの枕営業を叩けよ」とキレてるのも見かける。
まず子供が大人から性的虐待されたのと、大人が自分の意思で見返りのためにする枕営業は全然別の話だよね?
もちろん、そこに実質的な強要があるとか必要ないのに不可避な仕組みになってるなら絶対許されない。
そういう枕強要?がジャニー喜多川のように証言や証拠があって事実と分かっているのに見過ごされてる例があるの?
それともみんな「どうせやってるんだろ」みたいな憶測で語ってるだけなの?
でも芸能界は枕が当たり前に蔓延ってる業界だろみたいな言い方をされても「そうなの?どこ情報???」と困惑しかない。
業界人なの?
もし根拠がないなら女性たちへの侮辱だと思うし、根拠があるならジャニーズと同じくらい問題になるべきだと思うから出してほしいんだけど。
未成年?
まず最初に謝っておくとあんまり某事務所関係ない、個人の感情の吐き捨て場です
釣られた人はごめんな、他に良い言い方思いつかなくて…
要約するとクソみたいな自分語り
しかもリアル知人の誰にも言えね〜って感情を吐いてるだけなので支離滅裂だと思う、その上長い。読みにくくってごめんな
最近巷で話題の某芸能事務所の元社長(故人)が少年にセクハラ、というよりかは性的暴行を加えてたって話
私は小学一年生の頃にFF7の主人公、クラウド・ストライフに初恋を奪われてっきり
専ら2次元の美形に首ったけだった人間なので、ファンでも何でもなく
正直ゴシップ記事でそういう噂をよく聞くよね〜くらいの認識だった
性的暴行があったと一人の勇気あるタレントさんが告白して、ニュースが騒ぎ立て始めた位の時も私はまだ何処か他人事というか
事実だったら余りに酷い、大人が子供にしていいことじゃないだろ…とか、いい年にした大人の正常な感覚として思ってたけど
けどそんな酷いことする大人がいるのね、あんまりだねってニュースやネット記事が目に入るうち、本当に突然フッと思い出した。
私も子供の頃に大人に性的なことされていた、そのうえ相手は実父だった。
正確には忘れてなかったので思い出したというよりかは「あれはそうだったのでは??」という気づきを得た。
幸いにもと言っていいのか、私が受けた被害というのはそこまで深刻ではなかった
いやこういう事に深刻じゃないも何もないけど、所謂最後まで、というのは思い出す限りされてないし男性器をどうこうしろみたいなのも無かったと思う
ただ身体を触られてた、もっと正確に言うならお尻と性器を重点的に撫で回されてた。
親子なのだし、微笑ましいコミュニケーションの一環として子供の頃に一緒にお風呂に入るというのは割と一般的だと思う、その際に身体を洗ってもらうのも。
あと遊んでる最中に頭を撫でられたり抱き上げてもらったり。
私にも父とそうした記憶がある。
そういうことの延長線上に、私の場合1組の布団に一緒に入って身体を撫で回されることがあった、割と日常的に。
当時の私は4歳から7歳くらいで、それが性的な何かということは知らず
頭を撫でられたりお風呂で身体洗われたりするのとの違いも分からなかったし
なんならそれはごくごく普通の親子のスキンシップなんだろ、と思ってた
少なくとも嫌!って思ってた記憶は無い
「なんかすごいこの辺触ってくるな…」とは感じてたけど、わざわざ母親に相談したり周りの人に言ったりする事でもなかったし、そんな知識も無かった
そして私が8歳とかになると父親が身体を撫で回すことも無くなったので、自分の中で掘り返すような記憶でも無くなっていた
それから数年経って、尻だの胸だの性器だのは他人に気軽に触らせる場所じゃ無いと知っても
私がぼんやりした性分だからなのか、その時のことが普通じゃないって気が付かず
なんて言うんだろうな、親とエロを繋げる意識がまず無かったんだろうな
でも中学生くらいになって、セクハラとか痴漢とかがどこかの遠い国くらい遠い出来事じゃなくなって
例えば電車の中でお尻を触ってくる人が居る、みたいな話を聞くと「最悪の変態がいたもんだな」って吐き捨てる気持ちになったし
実の子供に性的に手を出す親が居ると知ると「とんでもないロリコン、最低な親だな」って認識してた
恐らく自分がされてたことを知り合いの誰かが同じようにされてたら「それって異常だよ!性的な虐待じゃないの?」って(相手の感情を慮らなければ)言ってすらいた筈で
社会通念でいうセクハラとか性的虐待の認識は割とちゃんとあった、と思う
ただ自分がされてたって認識が全く無くて、それを今の今まで気が付かなかった。
そしてあれから20年近く経って、今気がついた、あれは異常なことだった。
見ないふりをしてきた、とかでは無く本当に今まで気が付かなかった。
そして今漸く気がついた私の心境について。
今まで私はドラマや小説なんかで子供の頃に実父に性的なことをされていた過去の場面や設定を見て
万が一にも自分がそういう目にあったならそれはさぞ強い怒りや憎しみが湧くのだろうと思っていた
しかし実際にはそんな事は無かった。
勿論全ての人がこうじゃないだろう
そういう人達の方が余程健全だし、私の親しい人たちがもし同じ目にあったならそうあって欲しい、そして二度とそんな目に合わせた人間に近寄らず生きていってほしいと思う
ただ私の場合は、最初に先ず動揺して混乱して、それからずっと困っている。
もう怒る相手がこの世に居ない。
もしまだ父が健在で、のうのうと私の良き父のような顔をしていたのならもっと違ったかもしれないが、父はもう物言わぬ骨になっている
そのうえ私は未だに父にされた事が普通のスキンシップでは無いのだとちゃんと正しく理解出来ていない様に思う
例えば他の家庭で同じことが起きたと聞いたら「虐待に決まってんだろ、子供から離れて二度と会うなよ!」と言えるのに、自分と父親とになると途端に「虐…虐待……って程のこと……かな??いや、嬉しかった訳じゃないし、同意もクソもなかったけども…………」みたいな歯切れの悪い、どこか言い訳したいような感情になる
自分が虐待を受けた、というのがどうにもすんなり受け入れられない
でもじゃあそんなこともあったけど私は元気です!!オールオッケー!と割り切って全てを許せるのかと言えばそうも出来ない、どこかで許せないなとも思う
子供が何も知らないのをいい事に大人が性的な意図でもって触れる事を許してしまえる社会は嫌だな、とも。
もし私の父が性的な触れ方をする以外にも暴力を振るったり金遣いが荒かったりする、どうしようもない父親なら
そうしたら私はきっともっと簡単に恨めたし「クソ親父」と口汚く罵り、彼の墓に狼藉も働けただろう
けど、確かに物心もつかない年頃の娘の性器を撫で回し、目の前でエロ動画を見て
母親に浮気を見て見ぬふりしてもらうようなどうしようも無いドスケベ親父だったけど
それでも陽気で楽しい父親だったと思っている、思いたい自分が居る、未だに。
長距離トラック乗りだったから一緒に過ごした時間はそれ程多くないけど、クソオタクの娘にも理解のある
娘の手作りとも呼べないような卵焼きで1日機嫌が良くなるような
自慢でも無いけど悪し様に罵るほどでは無いそんな父親だったのだと。
生きていれば、一言「とんでもないことをしてくれたな」と吐き捨てられたなら、こうも複雑な気持ちにならずに済んだのだろうか
それとももっと苦しんだんだろうか
想像してみるけれど、やっぱりまだよく分からず、気持ちの置き場に困っている。
いつかハッキリスッキリ、私の中で答えが出る日がくるんだろうか、来ない気がするな。
某芸能事務所のタレントさん達はどうしてもっと早くに被害を訴えなかったのかという声を聞くと
きっとそれぞれの立場や考え、いろんな要因は多々あれど、その中には私のように自分がされたことをどこかで正しく認識できない人もいるのでは無いかな、なんて愚考したりする。
子供は大人のことを、決して間違えない生き物だと思っている節があって
自分に近しい大人であればあるだけ、自分を傷つけるわけが無いのだと信じたい
だから何か酷いことをされても「無かった」ことにしたい、あるいは本当に「無かった」のだと思い込む
いつか正しく事実を認識することがあっても、与えられたものが苦痛だけじゃないと憎みきれなくてでも無かったことにして許しきれるわけもなくて、どうしたらいいのか分からないままずっと苦しむ。