はてなキーワード: 座間市とは
死因は「溺死」が最多で、海岸で波にのまれたり、泳げないのに岸辺で自撮りしたり、ボートが転覆したりなどの事例が目立つ。続いて多いのは、走っている列車の前で自撮りして事故に遭うなどの「交通機関」、「銃などの火器」、高い建物からの「落下」などである。このような自撮りの共通点は、スリリングでショッキングなショットが可能となる点だ。
2017年2月、神奈川県座間市の公立中学校で、3階の屋上から3年生の男子生徒(15歳)が転落して死亡。生徒は同級生8人と卒業記念や、思い出づくりのために自撮り写真を撮っており、屋上が施錠されていたので窓から出てさく伝いに渡ろうとしたところを誤って転落
加害者ではない人まで加害者として扱い、自殺に追い込むことは良くないですね。
神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が発見された事件で、同アパートに住む白石隆浩容疑者(27才)が逮捕された。
白石容疑者が犯した罪は彼自身が償うべきであり家族に責任は一切ないが、ひとたび事件が起こると、加害者家族の人生も180度変わることも事実だ。
加害者家族を支援するNPOワールドオープンハート理事長の阿部恭子さんが言う。
「重大事件の場合の親はほぼ100%転居を余儀なくされ、仕事も辞めています。莫大な損害賠償を求められるケースも多く、被害者と違って経済的な補償もなく、日常生活が立ち行かなくなることもあります。心理的な負担も大きく、普段の生活で笑うことも憚れ、クリスマスやお正月のイベントも一切せず、ささやかな娯楽もやめて喪に服すような生活をする家族も多い。もちろん就職や結婚に影響が出るケースもいまだにあります」
1997年の神戸連続児童殺傷事件では、少年Aの逮捕後、マスコミから避難していたAの両親が自宅に戻ると、「お前たちが交尾してできた化け物の責任を取れ」とのはがきが舞い込んでいた。
「その後、両親には1億4000万円の損害賠償を命じる判決が出ました。
「2008年の秋葉原通り魔事件では発生から6年後に犯人の弟が週刊誌の取材に応じ、『加害者の家族は幸せになってはいけない。それが現実。ぼくは生きることを諦めようと決心しました』と苦しい胸中を明かし、1週間後に自殺しました。1989年の連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤の父親も事件から5年後に飛び降り自殺しました」
神奈川県座間市に住む男に殺された被害者9人の身元が判明したと言ってメディアが被害者全員の顔写真と名前を公開していた。私がこのような仕打ちを受けたら死んでも死に切れないと思う。ブログやSNSに死にたいと書き込むことはあってもその行為を誰にも知られたくないからだ。他人から「お前は弱い奴だ」とか「情けない奴だ」などと笑われ蔑まれることが苦痛で仕方ないのだ。もちろん彼らは既に死んでいるのでそのような気持ちになることはない。それにしてもこの扱いは酷すぎる。遺族にだけこっそり伝えれば済む話ではないのか。今回のメディアの行為は9人を殺した犯人と同じぐらい心がないと思う。
大学の頃から20代折り返しの今までコツコツ貯めて今年の冬のボーナスで貯蓄額500万行くな!とウキウキしてたら独り身の血縁者が突然病に倒れた。健康診断をきちんと受けていなかったこの親族、病状が悪く行政の制度を利用しつつもそれなりに高額な医療費が掛かった。親族でこの医療費を出資出来るのは貯蓄のある私だけだったので、貯金から払った。今後も通院が続くというのでお金を少しでも親族の手元に残させる為に、退院後親族が会社に持って行く菓子折り代も払った。借りているという駐車場代も払った。そういえば病院で使うタオルやパジャマ、下着、洗面用具その他全てに掛かる費用も払ってる。
父親の祖母が死んだ。幼少期散々母や私を虐げて来た祖母に対し払う金は鐚一文ないと思っていたが、祖母と一緒に私を虐げて来た父親は「俺の給料から天引きで祖母の葬式代を出す。嫌なら家から出て行け」と母に宣った。父親の給料から月々祖母の葬式代を出すと家計費は一万円しか残らない。母も働いているとはいえパートタイマー、そう高い稼ぎは望めない。葬式代を払い終えるまでの二年間、母の支援の為に生活費を払う。
私には10歳上の姉と2歳上の兄、一つ年下の妹がいる。それぞれフリーター、ニート、フリーターという肩書きで実家に寄生しており生活費だけが掛かる。収入源にはなり得ない。家計は上記の通りなので生活費を払うが、私が必死に働いた金がこいつらの衣食住になると思うとこんな静かな夜なのにとても穏やかではいられない。
貯金残高がみるみる減っていく。今年中に500万到達なんて夢のまた夢だ。しんどい。お金が減ることではなく「自分に原因がないのに、苦労して築いたものが他者によって崩されること」が苦しい。何で私がこの理不尽を負うのか?という気持ちが拭えない。私はケチなのか?金の亡者なのだろうか?ちゃんとした人は病気の親族を労わり亡くなった方を悼み兄弟を我が身のように想うものなんだろうか。どれにも当てはまらない自分は自己中心的なのだろうか。
今後も貯金残高が減ることが予想されて気が滅入る。こんなことのために貯めたんじゃないのに。自分の為に貯めたのに。
お金の話だしこんな内容だし、友達にも誰にも言えなかったからこうして吐き出せて良かったし反応まで貰えて嬉しかった。ありがとう。
姉は以前外で借金作って、ヤクザ引き連れて母の職場に乗り込んできた前科持ち。借金作って借金取りに追われるまでの流れをもう数回繰り返してる。兄は母から貰った大学の教科書代や定期代を全部趣味にぶっこみつつ、大学に通ってるフリを一年か二年し続けてその間母からずっと「教科書・定期代」を貰い続けてた。大学中退後三十路間近の今までヒキニート。ニートだけど飯と風呂は人並み以上。
妹は就活生時代「説明会で頷いてる奴ら全員赤べこww馬鹿みたいwww」とイキッた結果フリーター。全員いつ他所様に迷惑を掛けるか分からんから監視下に置いておくというのが母の方針。座間市の件が全く他人事じゃない、この三人は何をしでかすか分からない。生活費が足りなくなった母親がキャッシングに手でもしたらそれこそ後が厄介なので足りないお金は私の貯金から出すのが一番平和なルートとして確立されてしまっている。本当は出したくない。でも職場に乗り込まれたりするのはとても困る。
父も姉も兄も妹も全員明日辺り不慮の事故で死んで欲しいと願わずにはいられない。
こうしたあまりに不出来な親族は本当に、本当に呪いだと思う。私は前世で放火殺人レベルの重罪を犯した罪を今償わされているのか?と思ってしまう。他にも更に苦労してる人は沢山いるだろうけど今夜くらいは苦労人としてその頭数に入れて欲しい。
増田達の家族ってみんなまともな人ばかりなんだろうか。自分もまともな親族に恵まれたかった。兄弟の人数だけは多いし、心強さを感じてみたかったな。
長文なんてここ数年来書いていないので見苦しい点も多いと思うがご了承願います。
どうしても、ここ数日心に重くのしかかる思いを吐き出したくなり、いてもたってもいられず文を書きました。
座間9人連続殺人事件(ざまくにん れんぞくさつじんじけん)は、2017年10月に神奈川県座間市で発覚した複数死体が遺棄された事件
神奈川県座間市は、東京都心から約50km離れたベッドタウンだそうで。名産品や観光名所はあったのだろうか?
関東在住ではない私には、座間という地名は、推理小説のタイトルさながら、目と耳を覆いたくなるような猟奇的な事件が起こった場所、としてインプットされてしまった。
3ヶ月で九人。本当にその”一人目”が初犯なのかと疑われる。
生首の入った複数のクーラーボックスのそばでの衣食住など普通なら考えられない。
事件が発覚したのは、被害者の兄が行方不明になった妹を必死に探したからなんだけど、
どうして、身近にこんなにも頼りになる兄がいながら、SNSで怪しい「首吊り士」なんていうアニメアイコン野郎なんかに引っかかってしまったのか。
そう思う人はすごく多いと思うし、私だってそう思う。
でも、あまりに存在が近すぎて、見えなくなっちゃってたのかもしれないね。
当たり前にあった優しさだからこそ、視界が曇ってると気付けなくて。
気がついていたとしても、心が鈍ると、何も感じなくなってしまって。
結局は、何かのせいにしながら、何かに寄りかかって生きようとする。
そうしないと生きていけない子だったのかもしれない。
肉親でも友人でもないのに、自分の心の叫びを聞きつけてどこからともなく現れる自分を救ってくれるスーパーヒーロー。
そんなものを求めて、そして殺された。
この事件を受けてか、Twitterの規約が一部変更されて、自殺や自傷行為の助長は明確な違反行為と定められた。
この変更に怯え、反発しているのは、皮肉にも恐らく被害者たちが持っていたものと同じようなアカウント。所謂”病み垢”の住民たちだ。
病み垢。Twitterには以前から存在していた、所謂メンタルヘルスを病んでいる人(またはそう思い込んでいる人)が己の心の苦しみやリアルでは吐き出せない気持ちを吐露するアカウントだ。
病み垢は病み垢同士繋がって、傷の舐めあいをする、そんな独自のコミュニティが形成されていた。
自分たちの居場所を奪われるかもしれない、危機感を持った彼らは、#病み垢凍結反対 というハッシュタグを使い、抵抗活動をしている。
そもそもTwitterはWEB上でのいちサービスに過ぎず、Twitter社が彼女らのインターネット上の居場所を確保してやる義務も必要性もないんだから、
いくら権利を主張したところで、運営上マイナスとなる危険性が高ければ非情に冷静に事務的に自動的にそのアカウントは消されて終わる。
だけど、そんな時少しでも、被害者の兄の事を思い出して、自分たちにとって、その兄のように必死に助けようとする存在が意外なほど近くにいるのかもしれない。
そう思えることが出来たら、少しは、被害者も浮かばれるんじゃないか、そう思った。
この文章を最後に、この事件については新しい情報を仕入れないようにしようと思う。SNSでもこの話題は避け、ニュースで流れ始めたらテレビを消そう。
暗く暴力的なこの世界が、思った以上に自身のそばにある気がして。近づきすぎたら引きずり込まれるような気がして、すごく、怖いから。