はてなキーワード: 安保とは
わかったわかった。
こういう説明なら分かるのか?
そもそも日米安保やPKO法制には、現場の自衛官にほぼ自殺しろという命令に近い危険を押し付けることや、敵方が冒険的な行動に出た場合に致命的に安定性がおびやかされるという重大な欠点があった。
これが今まで起きなかったのは、幸運に過ぎない。
それが今回の安保法制で是正される。表現を変えてこれまで何度も述べたとおり。
以上。
後半にあるような幼稚な本音なるものをもつものは、ネットや床屋や安酒場や君の職場にはいるのだろうが、そのような不可能な妄想を抱いている政治家を俺は一人も知らないし、俺の友人にはいない。
契約や条約の内容変更の結果というものはゼロサムとは限らない。それをゼロサムと思い込むと君のコメントの後半にあるようなゲスの勘ぐり(相手方が得しているんだから、こっちは損しているはずという思い込み)が出てくることがあることを申し添えておく。
信憑性は読む人に任せるけど~
と、付記されて示されたURLに、支那がどうとかなどと書かれていて目が滑った
メンヘラで変なスピリチュアル系のセミナーにも引っ掛かってたけど
今はそこそこ普通の生活送れてるイメージだったのにいつの間にそうなった
一般的ではない国の名前を使うサイトを論の根拠として示されましても応対に困るわ
日常会話で黒人のことをくろんぼって言われた並みにどんびきしてる
ほんとキツいわ
昔なじみが劣化していくみたいでまじキツい
もっと普通の言葉で安保の重要性語ってるサイトなんていくらでもあるじゃないか
特定クラスタに好んで使われる、昔はともかく現代じゃ一般性のない国名使ってるサイトに信憑性もクソもないわ
がっかりだわ
おお。そうだった。その建前をいつの間にかわすれていた。
少なくともこういう分類がある。
後者は実はバカだけが共感できるなんの論理性もない主張をしているんじゃないのか。というのを白日のもとにさらけ出したかったのだ。
主観は人によって違うのでやむをえないが俺の立場は以下のとおり。
俺:今までの解釈の延長線上にあるから、少なくとも新たな問題はない。(9条の改憲するときにかかる時間やコストに言及したのは、君の主張のデメリットや矛盾をつくためにすぎない。俺は先の解釈変更や今般の安保法制のための程度なら9条の改正は不要との考え)
少し付け加える。
今までの解釈が憲法の範囲内だというなら今般の法制もすでに枠にはまっている。
時の政権に特に9条に関する限り、事実上ほぼ無制限の解釈の自由があることになると見ることが可能なのは事実だ。
しかしそれは、現在の制度自体がもつ欠陥(統治行為論により9条に関する限り行政府の一部門が合憲性を事実上最終的に判断する制度)に起因している。制度の欠陥を安部首相がついたとみてもよい。
これが9条だけの話ならばまだしも、他の条文にまで援用されると確かに恐るべきことになる。
補足)
原語がデモクラティズムではないことにそれは現れている。したがってデモクラシーによって守られるべき価値がデモクラシーそのものによって毀損されるのはゆるされず、その価値とは「国民の幸福」である。
なお、侵略が許されないのは、それによって得られたなにかをわれわれ日本国民はもはや「幸福」とは呼ばないからである。
また、近代のデモクラシー以前から国家は存在している。デモクラシーを採用しない国民国家はありえるが、国民国家の基盤がないところに近代デモクラシーは不可能。さらに国民国家は国家の一種に過ぎず、国家は領域、人民、暴力によってなる。(つまりよりもっとも野蛮な国家すら、領土や人民の防衛はその責務である。ましてや現代日本においてをや)
より下部にあるより基礎的な層への脅威はそのままわれわれのデモクラシーへのより根源的な攻撃でもある。これへの防御を表層の制度の字義的解釈に拘泥して阻害したり、それをもってデモクラシーの破壊と叫ぶのは本末転倒。むしろ表層にある制度の欠陥が露呈したとみて、制度の改善をこころみるべきである。
制度の改善が著しく困難な時には、より基礎的な価値を防衛するために統治機構はさまざまな方便を考え出す。
今回の解釈変更も、そもそも安保と自衛隊を黙認するための統治行為論もそれだ。
これについては、まあ、君にはそう見えるかもしれんという感じか。
俺にとって外国の侵略が君が考えるよりは重大な危機と考える理由の一部は「論点の背景にある価値観の相違」の補足に述べたつもりである。多少分かりにくいかも知れないが、筋道はおえるのではと思う。
ところで君は先に大戦の惨禍を縷縷述べ、その原因を国家の暴走にもとめた。
そして、それへの反省あるいは対策として、立憲主義の厳格なる遵守を要求していたように見える。わたしの考えもまた私の主観では立憲主義を厳格に遵守するものであるがそれはともかくとして以下の点を指摘する。
天皇親政により立憲政治を絶命させようとした二・二六事件は立憲主義を逸脱した昭和天皇の勅命によって頓挫させられた。先の大戦はやはり立憲主義を逸脱した昭和天皇の聖断によって収拾された。
デモクラシーが前提とする立憲主義の手続きを墨守することによる不利益はデモクラシーのコストとして甘んじて受けるべきだというなら、昭和天皇は指をくわえて見ているべきだったということになる。
もし本当にそう歴史が推移したならば、前者についてはより早く大戦に突入する結果を招いたことであろうし、後者については惨禍がどれほど拡大したかはまったく俺の想像を越える。
こうした歴史をどう考えているのか。
そろそろ意見の相違は出尽くしたような気がする。必要だったら訂正してくれ。
君:今は緊急事態だからできるだけ憲法を拡大解釈すべき。改憲大変すぎ。
私:民主主義大事。そのためには狭義の「国益」を多少犠牲にしてもやむを得ない
君:民主主義は大事だが、国民の幸福の前にはある程度の手続きのショートカットは許される
価値観を作る根っこにある、もっとも恐れている事態(たぶんこの部分のリスク計算が一番違う)
最後のリスク計算が根っこの違いだけど、中国の侵略のリスクと日本の全体主義化のリスクを比べるのは、君と私が同意できる形でできるような気はしないな。最終的には議論した上で多数決か。個人的には、ここで議論が尽くされていないで、安部首相の信念で物事が回っているのは、大きな問題だと思っている。
一応私の立場を改めて説明しておくと、現在の情勢では、日本は十分に大きい国だ、というのが基本認識になる。大国は国内事情を気にすべきで、小国は外国の侵略リスクが相対的に大きくなる。日本国の存続を第一に考えると、一番のリスクは中国ではなく、自国政府の暴走に見える。
元々積極的安倍支持なんて国民の4分の1程度しかいない、30%でも高すぎるぐらいだ
TPP断固反対と言ってTPP推進して、福祉の為に消費税あげると言って社会保障削って
移民反対といいながら移民を招き入れ、愛国者を騙りながらハゲ鷹に国内市場を切り売り
http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/126585_1.pdf
「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成26年7月1日閣議決定)に基づき、いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備します。
ちなみに11ページにわたってびっしり文字だけが書いてあるところに書いてある。普通に読むと、「いかなる事態に対しても国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制」なんだから、民主党が主張してもなにもおかしくない公約に見える。「集団的自衛権」という言葉は公約にはない。米国との協力についてもなにも言及がない。その言葉を見つけるためには、11ページに渡る文章の中から上記を見つけ出し、さらに、閣議決定の内容について自分で調べなくてはならない。
びっしりと字で埋められた公約集を見ればわかるが、書いてあることすべてと、書いてあることからたどって調べればわかること全てに関して、国民のフリーハンドの信託を得た、というのは無理筋だろう。日本国民の中で、閣議決定の内容を自ら調べたことがある人は何%いると思うの?
ぶっちゃけ、反対派の人たちって何で衆院通過してから、つまり手遅れになってから騒ぎ始めてんの?
1年前閣議決定した時点で分かってたわけでしょ。なぜその時点から反対運動してこなかったわけ?
安保法案が出されるって分かりきってたのに結局みんな自民を選んだわけでしょ。
つまり安保法案を実質的に受け入れちゃったわけでしょ、国民は。
なのに衆院通過したってニュースが流れてはじめて手のひら返したかのように騒ぎはじめる。
もうそうなってくるとただ騒ぎたいだけちゃうんかって見えてしまう。
周りが反対しているからただ流されて自分も反対してるだけちゃうんかと。
安保法案反対とか戦争反対などという記号をただ消費してるだけちゃうんかと。
そういう行為に参加すること自体が目的となってしまうのって残念だよね。
いや、実際大半の参加者にとってはデモ行進って一種の祭りのようなもので、
やがて日常に戻り、また政治うんぬんとは関係のない日々を送るわけで、
安保法制の賛成派と反対派の討論を間近で聞いてたんだけど結局のところ、
どっちも、俺らが信じてないやつは軍事行動出来るようになったらヒャッハーして戦争しまくるに決まってる!
でも俺らが信じてるやつはそんなことしない!!
という同じことを言っているのだなと感じた。
一つだけ。
どこまでコストをかければ十分なのか?
憲法改正に必要なコストは、衆参両院での2/3の議決+国民投票での過半数だ。安保法制は、衆院の2/3の議決だけで実質的な改憲を行おうとしているから、問題。
国民は政権の説明より学者の意見に同意している、というだけ。衆議院議員総選挙に安部自民党は大勝したが、憲法を自由に解釈変更するには十分な権限ではない。
学者の意見に同意しているというのはどんな調査によるものか。その調査にどんな権威があるのか。
同意しているというが、本当に憲法九条改憲に同意しているのか。メディアは「安保法制違憲と偉い学者が国会で言った」ことしか報じていなかったのは皆知っていることだ。
憲法の解釈の変更は選挙前に行われている。その解釈変更に基づいて、今般の安保法制が作られている。
自由な解釈変更かといえばそんなことはない。長年の情勢変化にともなって「自衛に必要な最低限」の範囲が変化し、その結果、集団的自衛権の一部が「最低限」に含まれるようになった。という簡明で筋道だったものだ。前提が変化したので結論が変化したという当然の帰結だ。論理の枠組みが変わっていないことは朝日新聞すら認めている。
そんないいわけは通用しない。
国会に呼ばれた憲法学者が実は九条改憲説というのは報ぜられていなかったが、安部首相の安保政策の「危険性」なるものは朝日新聞が十二分に選挙前から報道してくれていたものと思う。
間接民主制は代表を選ぶのであって、個別の政策の是非を国民が選択するのではない。
野党の幼稚さ、経済政策への支持、そういういものが相まって、首相にそういう権限を与えた。そう理解するべきではないか。
仮に悪い結果を招くとしてもそれこそ、間接民主制のリスクとして受け入れるべきだ。
どこまでコストをかければ十分なのか?新しい解釈を天下に示した上で総選挙を行って、圧倒的な議席を得た。
野党の論理が未熟だったので議論は低調だったが、100時間だったか、異例の長時間の審議を行った。
反対派が満足する結論がでるまで採決してはならないのか?
せっかくなので本筋以外の点についてコメントする。
緊急性の有無について。
では安全保障法制の必要性に君が納得してくれるにはどういう事態が起こればいいのか?尖閣の近海で中国艦隊とにらみあう日本艦隊と米軍艦隊が攻撃され(補筆ここから:個別的自衛権行使が可能な状況を作り出して反撃するために:補筆ここまで)盾になった自衛艦が撃沈されればよいのか?そして自衛官が何十人も戦死すれば君は納得してくれるのか?それから政府解釈を変更し、安保法制を作り、衆参両院で審議・成立・施行・訓練か。一体、何ヶ月・何年かかるのだろう。その間に中国は尖閣にヘリポートを作らないのだろうか?そもそも安保法制ができればまだしもましだが、その間、朝日新聞は「中国にだって言い分はある。日米にだって落ち度はあった」と中国の三分の理と我が方のかすかな落ち度を一生懸命、報道してくださることだろう。ありがたいことだ。現在の安部内閣の指導力は支持・不支持の側双方が認めざるをえないところであろうが、そのときに指導力の乏しい内閣が日本国を指導していたら右往左往してヘリポートの完成を見守るばかりであろう。そして日本と利害の相反する国がとらえるのは当然、そういう内閣が任にあたっている機会である。
「緊急性」がないなどとはとても賛同できない。
沖縄を独立させ衛星国にするぐらいなどと簡単に言うが、中国の衛星国と言えば北朝鮮だ。その惨状を知らぬ訳ではあるまい。沖縄の同胞140万人の運命を共産主義者の圧制に委ねることを「程度」などと評するのは、沖縄県民の日本国民としての権利を軽視した恐るべき差別的な発想といわざるを得ない。そもそも一地方の分離・独立は国民国家の存立に関わる事態だ。
政府が国民を保護するためになすべきことをせずに国民の幸福追求の権利が結果として侵害されたり繁栄や財産が制約・制限・侵害されるならば、それは政府の暴走の一種だ。
日本国はデモクラシーを奉じている。すなわち日本国民の意志によって政府は交換可能だ。日本国民の理性を信じ、陶冶することこそが日本国のデモクラシーの発展に寄与する。
そのためには冷静で論理的な議論ができる環境が不可欠である。そしてそれに果たすメディアの役割は重大である。
私と君がした議論は、それなりに生産的で冷静・論理的であったと思う。しかしながら今般の安保法制に関する議論はメディアでも議会でも極めて幼稚だった。
日経新聞は「与野党どっちもどっち」などと見識ヅラを装っているが、個人的には野党の幼稚さに主たる責任があると思う。
世界的な軍事バランスの変化を前提にする以上、多少の時期の早晩に違いはあれ、日本の安全保障体制の見直しが必要なのは国民の幅広い層がすでに認識している。
一方、自衛隊と日米安保の機能の必要性も日本国民は受け入れている。
これらを是認した上で、安保法制に反対する唯一筋道だった論理は9条改憲をセットにし、われわれ日本国民が奉ずるデモクラシーと立憲政治の危機を訴えることだ。
だが、安保法制反対(朝日新聞購読層、民主党、社民党、共産党支持層)の人々の多くは9条改正に反対だ。だからこの論点に、一生懸命焦点を当てないようにしている。その装置が「憲法学者の圧倒的多数」なるその中身が明らかでないフレーズだ。
こんなつまらんごまかしが通用すると思っているのだから、国民を馬鹿にしているのは朝日新聞や野党だろう。
多少の逸脱はあったにせよ与党側の対応が不誠実だとする非難は、むしろ悪質なクレーマーが型どおりの応答をせざるをえないコールセンターの係員を非難している様子を想起させてしかたがないのだ。
憲法九条は変えないままでよくて、自衛隊も安保もまあまあOKで、しかも安保法制を違憲にしてくれる理屈が支配的って思い込ませたいようだけど、そんなことを言っている憲法学者が本当にいるのか?本当に大多数なのか?
憲法学者が一致しているのは、「安保法制は違憲」である、ということだけだ。君があげたその他の条件は人によって異なるだろうし、大多数かどうかは知らない。ちなみに国会に呼ばれた長谷部先生と小林先生は改憲賛成派。
言葉足らずだったか。君が言う通り、学者の意見は傾聴に値する参考意見にすぎない。法律論とか、権利とかの話なら、最終的に問題になるのは、国民の意志だ。国民は政権の説明より学者の意見に同意している、というだけ。衆議院議員総選挙に安部自民党は大勝したが、憲法を自由に解釈変更するには十分な権限ではない。自民党の経済政策を是とした国民が、軍事政策を否とするというのは理論的にありえるし、実際問題そうだろう。
憲法はそういう間接民主主義でゆるく変えられると困る。ちゃんと国民投票してくれ。「支持率のために政治をやっているのではない。やるべきことはやっていきたい(安部首相 7/20)」とかいいながら、憲法を変更するのはダメだ。十分な議論のために決定が遅くなったり、その議論の結果周辺国にさざなみを立てたりして外交上不利な結果を被るのは、民主主義のコストとして負担すべきだ。
新国立競技場、森さんからすれば国がやってるんだから2500億は安い。国民からすれば2500億は高くない?
どっちも正解。
森さんと、国民の橋渡しをしていくのが安倍さんの役目だからいいんじゃない?つらいお仕事だけど。
同じように、石破さんと、国民や、他の派閥の人との橋渡しをしていくのが、安倍さんだからいいんじゃない?
安保法制の本当の狙いは、南シナ海でいろいろやっている中国を牽制することなんだけど、
国民の理解が進まなくてなんやかやマズいことになっている・・・という説明が
ホッテントリにも入るようになってきて、その理屈はよく分かる。
だけど、これ、いっそ
「はい、安保法制整備します。なぜなら中国が南シナ海で勝手なことをしようとしているからです。
日本は、こういう不正を許しません」って言い放っちゃったらどうなるんですかね?
「失礼なこと言うな、我が国はそんなことはしていない」「いや、やってるじゃん?」
まあこんなのは、国際政治だの外交だの軍事だの現実をしらないナイーブな発想なんだろうって、自分でもわかるけれど、
なんかモヤモヤする。
あと、どうしても「美しい日本を取り戻す」とかいっている、今ひとつ頭が精密ではなさそうな総理大臣が
「じっちゃんのなにかけて、やってるぜ」感を醸し出して、こういうことに取り組んでいると、どこか不安になるので、
どうせやらきゃいけないなら、石破さんみたいな、ちゃんとした軍事オタクにやってもらったほうがいいなあ、とは思っている。
https://twitter.com/tabloid/status/623273103381041152
なろうのランキングに安保法案賛成エッセイ?がわんさか入ってきてて楽しい気持ちに。無邪気にマスゴミとか売国とか書きなぐってて気持ち良さそう
あー、昨日見たら1、2個ほど目に付いたな―。今日はそんなに増えてんの?
http://yomou.syosetu.com/rank/list/type/daily_total/
と思って確認したら、100位までに1個、300位までに4個だった。
http://news.livedoor.com/article/detail/10211795/
平沢氏によると、現在、南シナ海に中国が進出してきているという。そのために、日米同盟の信頼関係を強化して、中国への抑止力を高めることが、安全保障関連法案の目的であることを主張した。
その後、司会の荻上チキ氏がリスナーからの「平沢勝栄氏が出演されるということなので、中国の脅威を”過度”に象徴してこの法案の必要性を説くだろうと思います。聞きたいのは、中国の脅威に対する、今回のの安保法制の具体的な必要性はなんなのでしょうか」という質問を紹介した。
質問を受けて、平沢氏は「『過度に』って言ってましたけどね、どうかしてるんじゃないですか。今の南シナ海の現実を、この方はあまりにも知らなすぎます」と強い口調で反論した。
平沢氏は、第2次世界対戦後から中国は南シナ海に進出してきていることを説明し、歴史的にもさまざまな国で大国が去った後に進出していることを力説した。
一方、安部首相はホルムズ海峡の話しかしておらず、中国については触れないスタンスであるらしい。
政府としては首相だけがかしこまっていれば済む話なんだろうか。
そもそもどういう仕組になっているのかよくわからない。
だからね、お前の提案は、俺からみてどう見ても不合理だし、それが採用されてしまうと、どうみても俺の負担が増えるし
いや、負担が増えてもそれに見合う成果がでるならいいが、どう考えても、そう思えないってか、いろいろマイナスに見えるから反対なの。
で、お前の〝意見”に反対なのであって、〝お前の”意見だから反対なわけじゃないの。
それが‟お前以外の誰か”の意見であっても、おんなじ内容なら反対するの。
っていうか、そんなにお前に興味ないの。
‟お前の意見”が俺の仕事に影響するから関心を持たざるを得ないけど、‟お前という人間”それ自体のことなんて、どうでもよかったの。
「愛の反対は憎しみではなく無関心」っていう意味で無関心だったの。
それをなに?
なんか、自分の全存在を否定されたような顔して怒らないでくれる?
対抗してるんだかなんだか、俺の全人格否定みたいなことを、喚かないでくれる?
裏でいろいろ言うのもいい加減にしろよ、俺のところにも届くんだから。
っていうか届くように言ってるんでしょ?
なに? 自分の意見を否定する奴は、全部お前の存在全部を否定する敵なの?
安保法案に反対したから、慶応の小林教授をブサヨ認定するネトウヨみたいな奴なの? お前。
俺はアルコールに弱いから、そろそろちょっと一息入れたくて酒飲みたくないっていってるのに
「俺の酒が飲めないのか?」的な非言語メッセージを全身から醸し出す昭和の遺物オヤジなメンタリティなの?
そんな年齢でもないだろうに。
こういうことが続いていくと、
俺もさすがにお前を「無関心」から「憎しみ」の対象にシフトしなきゃいけなくなるから
それはそれで面倒くさいの。
「無関心」にはエネルギーを費やさなくていいけど、「憎しみ」にはエネルギーがいるの。
分かる?
イタリア人とフェラーリのデザインの仕事をした奥山清行って人が
「イタリア人の凄いところは、会議ではそれぞれが意見を主張して、日本人が引くほど激しく口論してるのに、
時間がくるとスパっと会議やめて仲良くエスプレッソなんぞ飲んでるところ。
日本人はイタリア人を怠け者と思っているけれど、一流のイタリア人は日本人なんかよりよっぽど合理的だし、集中して効率的に仕事している」