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2011-04-29

東電の賠償責任についての前提整理 --賠償責任の有無

原子力損害の賠償に関する法律第3条 (無過失責任責任の集中等)

1 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

2 略

福島第一原発事故による損害ついて、原則として東電は無過失で賠償責任を負う。(無限の、という形容詞を付ける者がいるが、損害賠償責任無限なのは当たり前の話だ。ただ東電が無一文になれば事実上、支払えないと言うにすぎない。この支払能力の問題は別稿とする。)

もっとも上の条文から明らかなように、その損害が異常に巨大な天災地変…によつて生じたものであるとき賠償責任を負わない。

これはAll or Nothingの話なので、このただし書きが適用されるならば、東電は一銭たりとも賠償責任を負わない。(枝野氏が「免責はあり得ない」と言ったのは、このただし書きの適用があるとは思われない、という感想である司法の判断領域なので、この発言は法的には無意味な、政治的発言である。)

さて、今回の東北地方太平洋沖地震及び大津波は、異常な天災地変であることは明らかだ(千年に一度の天災地変が含まれないなら、ただし書は無意味も同然だ)。そうすると、東電は賠償責任を負わないとも思える。

しかし、同条は責任の範囲を通常よりも拡大したものであるから、通常でも賠償責任が生ずる場合にまでただし書が適用されるものではない(と考えられる)。即ち、東電に過失があった場合には、ただし書は適用されず、東電は賠償責任を負うことになる。

 

それでは東電には過失はあるか。想定すべきを想定しなかった場合には過失が認められよう。

ここでM9地震や14m津波は、3.11以前の科学技術の水準に照らし、予見すべきものとはされていなかった(っぽい)。そうすると過失は無かったとも思える。

しかし、3.11以前の科学技術の水準に照らしても、例えばM8地震や7m津波は予見すべきものだったと言える(かもしれない)。そうであれば、これを想定せず、M8地震や7m津波への対策が不十分であれば、過失は認められる。つまり、過失の有無の判断においては、東電M9地震,14m津波を想定できたかは問題とならない。

もっともこの場合にも、過失と損害との因果関係が問題となる。因果関係の無い損害を賠償するいわれは無い。

ここに来て初めて「想定外」が問題となる。つまり、想定すべきM8地震や7m津波への対策をしていても事故が発生していたならば、事故災害対策不備という過失とは因果関係がなく、損害賠償責任は認められない。(だから想定外」の主語東電はなく「現在科学技術水準」だ。)

もっとも、M8地震や7m津波向けの対策をしていれば、今回の「想定外」にあってもより軽微な損害で済んだ可能性がある(例えば今回の地震津波女川原発にとっても想定外だったが、女川原発は正常に動作停止した)。制御不能に陥ったのが、M8,7m津波すら対策を怠ったためであると言えるならば、過失と損害との因果関係は肯定でき、東電は賠償責任を負う。

なお、東電の「政治判断」として、そもそもただし書を主張しない、という可能性もある。その場合には過失を云々せずに、損害賠償が認められる。

また、仮に東電の賠償責任が認められない場合はどうするか。天変地異と同じく、国が支援するか、被害者が諦めるかである。この場合は、どの程度の支援を受けられるかは基本的には国の胸先三寸であり、全額を請求できる賠償の場合とは全く違ってくることになる(東電にすら過失が認められないなら、国家賠償請求も過失(や瑕疵)が無く認められないだろう)。菅氏等が全額の「補償」を宣言しているのは、主にこのケースについての対応を提示しているものといえる。

2011-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20110426233245

最悪の想定と東電不祥事の多さは当初から指摘されていたと思います。自分の周囲は、安全と天災であると声を大にしていた方のほうが多い印象がありましたし、その反応に違和感がありました

2011-04-23

引退政治家に最適な場所

過激な発言とは思うけど、原爆病院で「病は気から」発言をされた中曽根首相には、住民が避難した先月12日以降、半径20キロ圏内でとり残された家畜の世話などをしつつ晴耕雨読の生活を送って頂きたかったな、とか思います。静かな環境いいんじゃない?尋ねてくる人は原発推進していた人達だろうし。

 

 

 

 

追記

http://anond.hatelabo.jp/20110423182246

原子力基本法の成立は1955年

中曽根康弘代議士が「原発が免責になるのは関東大震災の3倍規模の天災」と答えたのが60年。

東海村実験炉が出来たのが63年。

福島第一原発着工が67年。

オイルショックは74年。

太陽光発電における固定価格買い取り制度の開始は他の先進国よりかなり遅かった。

2011-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20110417092752

核施設をこの世から一掃すれば自然核兵器はつくれなくなるでしょ?

こっそりと核兵器なんてつくれるもんじゃいでしょ?

核施設がこの世から廃止されたら放射線量が高い=なんかイリーガルなことしてるってことだし!

あと核戦争は防げるかも知れ無いけど今回みたい天災は防げないでしょ!

原子力空母横須賀でこんな事故を起こしたらとか想像して美奈代!!!!!

2011-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20110415002041

国民感情云々は枝野政治パフォーマンス

実質的判断としては、今回の地震津波は十分に想定しうる規模のものであって「異常に巨大な天災地変」には該当しないことと

東京電力の安全対策が極めてずさんであり重過失が認められることから原子力賠償法3条ただし書の免責規定の適用はない。

http://anond.hatelabo.jp/20110414232555

頭悪いからわかんないんだけれど、なんで「東電が賠償しましたという形」を成立させなきゃいけないの?

東電を救う必要があるかどうかについては議論の余地はあると思うけど、

救う必要はあるとしても、どうしてこういう形じゃないといけないの?

こういう形でないといけない。

当初は、原賠法3条但し書きのの免責条項を適用して、その上で17条に従って、政府として賠償を考える方法も検討されたけれど、

第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

第十七条  政府は、第三条第一項ただし書の場合又は第七条の二第二項の原子力損害で同項に規定する額をこえると認められるものが生じた場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。

国民感情から東電に免責条項使うのはノーとなったので、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011032602000049.html

政府内では当初、福島第一原発事故に対して例外を適用することも検討しかし、各地で放射性物質の検出も相次ぎ、東電への批判を強める国民感情などから免責条項の適用は困難と判断した

あくまで東電に賠償させなければならない。

これが前提。

仮に東電が賠償したという形をとらないとするならば実質的に免責条項を適用したに等しいわけで、民意に反する政府の方針転換であり、責任問題は避けられないだろうと思う。

つまり、これは民意からということ。

2011-04-09

日本復興への課題3/3

http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)

安心と不安
情報統制という妄想

上杉や広瀬は、政府東電対応についてこうも批判している。

事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアラジオ番組で言い続けていました

いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います歴史教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。

日本人は小さい頃から新聞テレビは正しい。雑誌インターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞テレビ情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞テレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッタータイムラインも今朝ぐらいから「新聞テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。

大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。

だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。

JS: 〔…〕私としては、現在データの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データ解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語データレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。

JS: 私もGeoffと同感です。難しい状況を鑑みても、日本側のデータ収拾の努力を批判するのはどうかと思います

GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベル放射線長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。

すでに紹介した早野龍五と辰巳創一も、これを支持している。

また、辰巳はこうも呟く。

さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.

門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。

煽られる不安

TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。

僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめいでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府既存権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である不安はない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

どこかの気持ち悪い物書きの文章。

風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報不足した時に起こる「正常な人間社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなです

中部大の気持ち悪い教授の文章。

最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府東電原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。

では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。

また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分不安いるからだ。自分不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞責任転嫁はもう止めてもらいたい

群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授社会心理学)は「現在自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。

「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。

東電魔女狩り

人災論批判

東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスク考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。

震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。

もし国や地方自治体東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。

仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生アパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。

仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。

WSJ:東電は甘かった?

米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電全然、甘くはない。

GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです

今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。

しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。

「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか

ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ

警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど

今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?

あ、予想してた?

こんな津波来るって予想できたなら

先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ

放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。

そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」

ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。

東電への迫害

上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しか理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。

原発事故処理最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。

激励慰問の手紙を送ったアメリカ小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。

危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所国民不安といらだちが募る中、東電社員への苦情や脅迫嫌がらせが目立ち始めた。東電社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した警視庁も警戒を強める。

護憲反核薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。

社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信

果たして現在国民政府東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。

今、国民がすべきこと

冷酷な減点法からの脱却

こうした政府対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授災害リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した

週刊現代も同様のバカ記事を書いている。

政府東電対応情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。

1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。

しかも、政府東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。

原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います

WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電責任問題情報公開問題はどうか?

米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。

これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。

GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです

政府東電とも一つに

震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しか震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。

サッカー試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。

現在の日本には、政権交代どころか、与野党国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。

また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。

政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。

人災天災

日赤義捐金原発による避難地域にも配られることへの反発が出ているという。

義援金がどう使われたか説明を求められたときに、何割かがTEPCO補償に行ったと説明したら、十中八九は返せと言われるだろ。義援金配分に政府が介入してこうした結果になったなら、僕は二度と民主党には投票しないだろう。イェールだけで4万ドル近い義援金集めたし、これからも増える予定なのに 約17時間webから

赤十字を経由する義援金を集める活動を行ってきた立場からすると、事実上東電への補助金」に化けてしま義援金配分のやり方はサギだな。放射能汚染は人災だし、汚染者補償原則を完徹すべきだろう。何バカなことやっているんだ。 約17時間webから

junsaito0529(斉藤淳「奥羽越復興同盟」を呟く政治学者、エール大助教授。元衆議院議員、元平岡塾講師山形県酒田市生。)

私も海外義捐金を集めてきた。しかしその街頭で人々から受けた応援や心配からすると、原発の避難地域に送られたということに反発する人は十中八九いない。実際、多くの人は原発の状況を心配し、そして東電に対して怒っていた。あと個人的には私自身は、原発の避難地域親友がいたからこそ、本業を放り出して、街頭に立ち続けたし、チャリティーイベントも企画に加わった。もしもこれで集めた分がまったく避難地域に行かないのだとしたら、私が集めた分を返してもらいたい。そんなばかげたことは本当は言いたくないし、こんなtweetを見るまでは、すべての被災地のためにと思ってやってきたのだけど。

イェール大学募金団体には福島県はまったく関わってなかったのか?斉藤先生自身が司会を務めた、募金のためのシンポジウムは"Symposium – Earthquake, Tsunami, and Nuclear Crisis: Analyzing Disaster in Japan"というタイトルだった。このシンポジウム募金した人々はNuclear crisisのために募金してないという扱いなのか?

もちろん斉藤先生は「TEPCO補償に行った」などといったら反発するだろうと言ってるわけだ。でも、今は単に原発の問題による避難も全壊と同じ額で義捐金の配分を付けるといってるだけで、そもそもそれを「TEPCO補償に行った」と読む時点で斜め読みすぎるだろう。少なくとも今は、誰もそれで東電による補償見積もりを減らすなんて言ってない。(なんで日赤がそんなことを決められるの?たとえば浜通りへの義捐金も同じような文句を付けるの?)たしかに今ここで日赤から現金供給されることで、放っておいたら栄養失調するはずの人たちが助かり、その分だけ結果的には東電補償するべき金額は減るだろう。それは本来的な意味モラルハザードを招く。けれどもそのモラルハザードを防ぐために、彼らを放っておくのか?モラルハザードを防ぐというのは、厚生を高めるための手段にしか過ぎないのに。

そもそも東電が直接現金を配り始めるまで、福島の避難民は放っておけということ?

もうひとつ杓子将棋だなと思ったのが、

>全壊とみなすのなら、津波流失家屋と同様、超法規的に滅失登記をすべきです。 

@keyaki1117 笹山登生(ウォッチ・アナライザー。元衆議院議員ですが今は政治政策以外色んなことに口出してます最近シカゴオプション売買戦略マニュアルhttp://bit.ly/es0jVM を書き上げましたプロトレーダーに好評。)

ただ単に同額というだけだし、そもそもなぜ政府でもない日赤の分配額が同じというだけで、物理的になくなってもない家をたった35万円で失わなければいけないんだ?

それに、もしも放射能リスクがなくなって物理的に住めるようになったら、それはそれで避難民にとっては幸いなことで、祝うべきことでしょう。

いまの35万円は当座の避難費用ということだろうに。避難民など体育館とか公の避難所で十分というのならまだしも、まずは他所の土地に行ってアパート探して早く落ち着きたいところだし、実際そうしている。そうなったら他所の土地仕事が見つかるかわからいから、ある程度の支度金はいるだろうさ。そして、その支度金は全壊住宅だろうが避難地域だろうが変わらない。

斉藤先生個人のことを言えば、このtweetと平行して、やたら相馬の野間追がなくなることに同情している。けれども野間追がなくなるのは、津波のせいよりも放射能リスクのせいのほうが大きい。(津波小高や原町の海岸沿いはやられてるけど、その津波だけなら規模を多少縮小すれども開催できたはず。復興の意気をあげるためにも。)もしも相双を同情するのなら、避難地域日赤義捐金をやるなというだけでなく、避難してる住民たちがましな生活を送るための支援を日赤に頼らず自分たちでもしようという一言があってもいいんじゃないか。それがなぜ、東電をこらしめるために、避難民には金やるなというだけになってしまうのか。(「奥羽越復興同盟」が会津を見捨てた「列藩同盟」のもじりで、今度は相馬中村藩を見捨てるという意味じゃないことを願う。)

2011-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20110404202048

あなたの嫌いな言葉は「拡散」じゃなくて、「拡散希望」だろ?

あなたがそもそも嫌っている「拡散」という行為だって、本来「一人ひとりの情報精査が前提」なんだよ。

それが機能しないほどにライトユーザーは知恵が無いというだけで、言葉を「シェア」に置き換えた所で結局は同じことが起きる。

あなたが批判したいのは、何も考えずに「RT」と書いてつぶやきコピーを量産するライトユーザー

それを期待してしまい「拡散希望」なんて驕った言葉を書いてしまう輩だろ?

それを「拡散」の語感が悪いからといって「シェア」にすれば全てが良くなるとか言ってしまうのは、

新潟県中越地震の時に「あい続く天災ストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代はないか」とか

言説ぶっ放す当時野党議員と変わんないじゃないか

シェア」に変わっても結局は事態は変わらず、

今度は、「シェアという言葉外来語なので意味を履き違えてしまっている、日本語である“共有”にするべきだ」とか言ってしまうのがオチ

2011-04-03

原発廃止派は現実認識が甘すぎないか

原発全部止めてやっていけるならいい。国民感情を落ち着かせるためには有効な手段だ。でも急に全部止めたらそれこそ電気足りないのは間違いない。少なくても正式にはそういう計算になっているはずだ。そうでなければ原発を建てられないからね。

この「原発は必要」という結論を日本国が持っているという認識をみんな忘れている気がしてならない。

1.「代替する手段がある!」説に対しての反論。

みんながあれやこれや指摘しアイデア出しているが、未実践の机上の検証にそこまで信頼性は無い。それって原発が安全と言っていたのと変わらないでしょ。

2.「命より経済を優先するのか」説に対しての反論。

命最優先なら即国内脱出して難民になればいいよ。外国政府から正当性が評価され、原発亡命への道ができたら大したものだ。俺も小さい息子と共に東京暮らしていて、亡命できるならしたいくらい。誰か道を開いてくれ。

3.「次にまた他の原発事故ったら」説に対しての反論。

もう原発事故は起きたんだってば。外国からは見放され済みだからその心配なら自意識過剰

そして次に事故確率って、震災前と変わらないんじゃないの? それならもう国民は了承済み(もちろん判断ミスだった。しかし判断ミスを理由に契約を無効にできるかい?)で進んできたことだし、事故確率が変わるというデータがあるならそれを元に安全対策すればいい。

天災は人知を超えている点もわかってる。だからこそ、それを人間の判断基準にはできないんじゃないか? 人間が知りうることで人間が判断するべきで、なんとなく怖いからそれとなく安全っぽいことをする、それは泥棒を見てから縄を結うどころか、幽霊に見られてるような気がするから自己流でお札を作るようなもんだ。

現実と向き合おう】

現実として、日本人東京で暮らすことは妥当とされている。避難勧告出てないからね。

それが将来にわたって妥当であり続ける保障は無いし、実はガン多発しますなんて結果が後からわかることも十分ありえると思う。それでも、現状は東京で暮らすしかない。

日本には原発が必要ということになってる。

そして古い原発を動かし続けるくらいなら、新しいのに代えたほうが安全だ。

から原発計画はある程度このままが望ましい

納得できないかい?

ああ、俺もそうだよ。

そもそも現実社会で納得できた試しなんてないよ、俺は。

変更するなら運営側がプロジェクトをきちんと建てる必要がある。単純に廃止を唱えただけで運営側のための提案じゃないことを、運営が「はい貴方様は正しいです!」と受け入れてくれるだろうか?

原発廃止派は、現実を無視して言いたいことを言って自分スッキリしたいだけなんじゃないだろうか。

2011-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20110401020959

それは、上に太陽光発電風力発電は大規模化したところでうまみはないと書いたが、家庭レベルの電力であれば話は変わり十分実用に値するため、

実際の所そうでもないけどな。

ソーラーパネル寿命は現状で1020年程度と言われてる。設置費用や製造コストがそれだけで取り返せるかどうか。助成金などでサポートするにしてもそもそも財源が無い。現政府子供手当てを何よりも最優先にしてるような現状だしね。あと、天災で破損した際の補償も今の所無いんだっけか。

いでに言えば、ソーラーパネルの製造自体に大量の電気を食うので、完全国内生産しようと思ったらとてつもなく高価になってしまう。なので結局外国で作ってもらうしかない。今ならBRICsあたりか。それって依存する国が産油国から別の国に変わっただけじゃね?という事にも。

2011-03-30

『~を考えるいいきっかけ』止まりでは何も解決しない

今回の大震災が教訓としてもたらした事は、まあ今回の大震災に限らないのだけど、『過去経験から実際に物事を為すために行動を起こしていた人だけが生き残る』という当たり前の事実だったと思う。全員全員生き残れたわけじゃないところが、未曾有の大災害と言われる所以とは思うけど。

防災を考えるいいきっかけ、とか、資源を考えるいいきっかけ、だのといった物事は、例えば阪神淡路大震災や他の震災天災、などなど、結構日常茶飯事として起きている。そして、事あるごとに「とりあえず考えてみる」「なんとなく話し合ってみる」ことの敷居は、インターネットの普及を代表とした情報化社会(笑)の発展に伴い、どんどん低くなっていると言ってもいい。

でもなー、そこで終わってません?なんか。あるいは、それで行き着く先が「とりあえず水買い占める」「とりあえず原発から逃げる」とかじゃ只の笑い話だと思うんだけど。

復興=現状復帰、じゃない形で、向こう5~10年、本当に「結果を出す」ことがますます強く望まれる、問題解決力をより高めることが求められる日本になっていくんじゃないかなあ。

被災者代表みたいな顔してネットに出没するやつらのほとんどが大して被災してない。

チャリティマッチサッカー面白かったなー。

全体的に準備不足Jリーグ選抜の連携ミスが目立つ試合展開だったけど、

最後カズが決めるところはさすがだわ。


キングカズ」なんて言葉は、最初ネタたいに扱われてたはずなのに

つのまにか本人がキングにふさわしい行動をしだしたために完全に敬称になってるよね。



キングカズかっこいいわ。次期総理でもいい。投票には行かないけど。



でもその後見たネットニュースの反応コメント見たら、ほんとアホばっか。

カズさんとか長友とか皆すげーいいコメントしてるのに

目立ったコメント

ありがとう日本はまた立ち上がります」とか

東北は決して負けません」

たいな。

お前ら、別に大して被災してねーだろ、そんな投稿が今できる状況ならさ。


本当の被災現場ってのはもっとずっと大変だろうよ。

何、被災者代表ヅラしてんだよ、そんなコメントする余裕あるなら

さっさと原発行って真水撒いてこいよお前ら。みたいなね。


震災直後から思ってたんだけど、被災地に向けての全世界からの労いの言葉を、

大して被災してもいない奴らが勝手ありがとう、君たちの言葉は届いてるよ!

って返事するノリが、どうにもこうにもいらだたしい


理不尽天災によって甚大な被害を受けた人に対して

同情し、支援したいと願うのはごく当たり前の人の心理で、

そうした言葉が全世界から沢山集まってくるのは、素晴らしい事だと思う。


ただ、当の被災者はその無償の善意に対して回答する余裕なんかなくて、

結果的に「Pray for Japan」の掛け声は一方通行に見えてしまう状況は確実に発生していると思う。


ただ、それってしょうがないことで、だって余裕が無いんだし、

そこで大して被災してもいないやつがソワソワして

大丈夫ですJapan」とか返答することがおかしいんだよ。

いません、自分は直接そんなに被災してないんでわかりません。

被災者の人頑張って!って横に流しときゃいいんだよ。

2011-03-25

ネットニートの力は公害に対して発揮される

天災が起きた時、人間嫌いの暇人デマ作成にいそしみ被災者をいたぶることに楽しみを見出すかもしれないが、

人災が起きた時、人間嫌いの暇人国家権力大企業などの、いつもは遥か高みに居る勝ち組をいたぶることに楽しみを見出すだろう。

昭和公害では、民はみな学が無かった。数少ない有識者の口は権力によって塞がれた。

今の世の中には大企業勝ち組を憎む、理系高学歴ニートが民の中に紛れている。さらにネットという表現ツールもある。

このことは隠蔽体質の旧世代に対する牽制になると思う。

理系高学歴が何にも所属せずフラフラしていることは無駄はない。

頭の悪いニートは知らんが。

2011-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20110323161038

だが

あんたは何がどうなれば満足なの?

池田信夫が気に食わないって話であれば池田信夫ヘイトクラスタは結構でかいから仲間幾らでも見つかるよ

東電人災と呼ばれるのが気に入らないの?

でも今回の福島原発停電について全て「天災からしょうがない」で済ますのは

取られるべき責任やなされるべき反省有耶無耶なっちゃうよ

人災要素が十分にでかいってことだろ

原子力事故から社会が受けるダメージが極端に大きいので、天災見積もりは凄まじく厳しくあるべきだし、天災発生後の対応も酷かったってことだろ。甘いんだよ天災の想定が。それこそ最悪の場合たかだか100や200のジャンボ飛行機新幹線の16両編成が全滅するのとすら桁が違う。

http://anond.hatelabo.jp/20110323125944

2011-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20110321210622

100%同意。

理由なんかもはや関係ない。「次は課題を対策したものを」なんて戯言。

想定外天災だろうが、人災だろうが、技術的だろうが、テロだろうが、

失敗したときにこれだけの影響を及ぼす"可能性"のあるものは計算にいれちゃダメ

すでに現段階でも放射性物質が飛散し水や食料に影響を及ぼしている。

つまり「原発は絶対に安全」という大前提が崩れた。

「代案をだせ」としたり顔で言う人がいるけど、

代案があろうとなかろうと大前提が崩れた今、戯言にすぎない。

2011-03-21

きっと空の果てには

死んでしまった人はみな其処へいく

善い事をした人も悪事を働いた人も

病で倒れた人も、天災で死んだ人も、殺されてしまった人も、自分を殺してしまった人も

最後が終われば其処に行って

神様に知恵の実を返す代わりに永遠を返してもらう

其処では誰もが星の海でぷかぷか浮かんで

何を思うでもなく瞳に青く光る星々を映して

醜いも美しいもない

尊いも卑しくもなく

低いも高いもなくて

もう一度生きていける其の日まで揺れて

生まれるその日まで待つのです

永遠に想いを馳せるのは

星海の揺れるを覚えているからなのです

人災からどうかしたというのだろうか

はてサ人災天災かを争点にしていない。

維持コストまで含めた原発経済性に目を向けているのが殆どだ(そして、それはリスク厨や感情論のバカよりよっぽど妥当なライン)

そこに踏み込まない限り収束はしないし、大多数の人間はバカだからそこまでも辿りつけない。

現実を見ようぜ推進派諸君w

戦後震災体験率

日本震災が頻発したのは、皮肉にも終戦前後の頃。

その後、新潟地震、十勝沖地震日本海中部地震等の局地地震しか発生しなかった。

なので、戦後生まれの世代で「物心ついてから震災に遭遇した」という人の比率は、

1994年までは

新潟市

仙台市民(78年宮城県沖)

秋田市民(日本海中部

伊豆半島民(群発地震

等々、「日本人口全体から見れば、せいぜい数%程度」でしかなかった。

1994年までは、札幌圏、首都圏中京圏関西圏福岡圏の5大都市圏は、

戦後生まれは「震災を知らない子供、もとい、大人たち」ばかりになった。

状況がちょっと変わったのは1995年の阪神大震災

京阪神1,600万人が「震災経験」をしたことにより、

日本の総人口の8分の1が震災経験した」ことになった。

更に福岡県西方沖地震により、福岡圏居住者も「震災体験者」になった。

そして今回、人口シェアが多い首都圏住民が「震災体験者」になったことにより、

阪神大震災体験者も含めると、実に日本人口の半分近くが「震災体験者」となったことになる。

逆に言えば、震災体験がない大都市圏は札幌圏と中京圏だけ、となる。

中京圏東海大水害経験があるから天災経験がないのは札幌圏だけ、ということかな?

2011-03-20

[][]原子力損害の賠償に関する法律

第二章 原子力損害賠償責任

無過失責任責任の集中等)

第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36HO147.html

http://anond.hatelabo.jp/20110320090725

2011-03-19

原発恩恵を受けている以上原発に反対する資格はないという理屈は、都民なら石原天災発言に文句を言うなと同レベル理屈だ。

誰もが望んだ訳じゃない。

2011-03-18

東電

被害を見ると役員の首をすげ替えたぐらいで済むおはなししじゃないよね。

家族と住む家を奪われたひとが仇討よろしくしでかしても止められない。

被害者は何十万人もいるわけでその中の1万人にひとりの割合でも相応の確率になる。

イスラム自爆テロを彷彿とさせる。

生活を奪われた人が残された家族のためになど社会的弱者がとりうる最後の手段だ。

今回はその殆どは天災だけど、あまりに巨大すぎて人災として代謝するひともでてくるだろう。

原発さえ事故をおこしていなければ助かったのに・・・と、すり替えがおきる可能性は非常にたかい。

たとえそれが勘違いであったとしても怨恨の根は取り除けるものではない。

チェルノブイリ事故から5年でソビエト連邦崩壊した

直接の因果関係はあると分析はされていない。

しかし、core30のような中枢がつまづく可能性は5年後は1ヶ月前までの延長線上にはまったくもって無いことを意味している。

やれやれだ。

東京で働いている、私たちが今できること。

東北地方太平洋沖地震で被災された方に、謹んでお見舞い申し上げます

地震発生から一週間が経ちました

被害の少なかった東京でも震災前の日常は未だ戻らず、話題の中心は地震に関することです

先日、私と同じく東京在住・勤務の友人から電話がありました

原発の影響が怖い。東京から逃げるか決めかねている。

政府が本当のことを発表しているとは思えない」と。

私は東京までは被害が及ばないという説を信じています。

しかし、気持ち的に逃げたくなるということはよくわかる。

原発だけではない。生活の緊張、停電ダイヤの乱れによる疲労、

なんでか買い占められた米、

そして、いつか来るであろう「関東大震災」への恐れ。

天災が少ない東京では、こういった非日常に弱い。

こんなことでまいっていては被災された方に申し訳ないし、そのストレス

比べるに値しないくらいだ、と頭でも、心でもわかっていながら。

翌日、私たちができることはなんだろうと会社の子と話した

私たちの勤務している東京23区は、東京電力による計画停電エリアから

ほとんど外されている。

働ける、環境がある。いってみれば恵まれている。

から私たちができることは、

「いつも通りに働いて経済を回してお金を得て、復興のための資金を稼ぐこと」だ。

東北の、関東の一部の被災された方はどうか心身の傷を癒してほしい

東京が、首都圏にいる私たちが復興のために頑張るよと、

私たちが応援するから、支えるから大丈夫だよと、声を大にして伝えたい

いつも通りに働くと書いたけれど、むしろいつもよりも熱を持って働きたい

熱を秘めて、でも冷静に、不況なんて言ってないで

余震が来るたび怖いけど、私は東京にとどまって働く!

エコノミックアニマル?上等だ!!

私がいる場所なので東京東京言ってしまったけれど

東京だけじゃない。札幌名古屋大阪福岡・・・書ききれないけど

今回、被災されていない全国のみなさん。

働いているみなさん。

心は被災者と共に、でも復興のために今目の前の仕事を頑張ろうよ!!

それが今できることなんじゃないだろうか。

あと、募金

僭越ながら、この気持ちを伝えたくてこの場をお借りしました

読んでくださった方、ありがとう。

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