はてなキーワード: 天災とは
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
天災
昨日今日と愛媛、高知の台風被災地の視察。高知では堤防が波で破壊され、20トンを超えるコンクリートの塊が住宅に飛び込み、3名が亡くなった現場を見る。9月にお遍路で歩いたところだ。波というより鉄砲水のような力で堤防や家を破壊。
それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか。
6年5ヶ月越しのブーメランが炸裂。
http://kariyatetsu.com/nikki/1340.php
自民党の現議員たち・前議員たち・元議員たち、総出で福島冷却水問題に当たれ。
本当に国を思って原発を建てたのなら、今こそ自民党人柱隊を作って福島原発に突入せよ。
今の民主党政府の取り組み方を批判する資格はお前たちにはない。
分かっているのか、この、腐れ自民党どもが!
この人今年で御年七十歳。古希なんだよね。
はてなという会社が存続し続ける限りはこの匿名ダイアリーの記事も残るはずで、あるいは、はてながつぶれてももしかしたら匿名ダイアリーのログは残り続けるかもしれないから、後世のためにこの二日間、京都に住む普通の大学生(若干だめな感じだけど)が何を感じたのかを書こうと思う。原発の放射能漏れがほぼないと分かり安心したのもつかの間(犠牲となった方がいたのはショックだったが)、3/12、22時ごろに南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載った今の心境は、はっきり言って最悪だ。
注意:当時の心情をありのままに晒そう(それでも抑えているつもりですが)と思っているため、かなり配慮に欠けた表現とうつる言葉づかいをしていると思います。もし、このダイアリーを見てくださった方でお気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい。けれども、書き残す必要があると思って書いています。
今回の地震において、僕はちょうど図書館の地下に行っており、揺れを感じることがなかった。というより、その場に居合わせた人間5,6人も揺れを感じたそぶりを見せることもなく、僕がこの大地震が起こったことを知るのはこの3時間後、18:00頃だった。
16:00頃
近くのユニクロでヴィンテージクラシックノータックチノを買いに行こうとする。恐らく本田圭佑が履いていたそれは品切れを起こしていたらしく入手することは出来なかった。ちょっと客が少ないし、従業員もそわそわしているかなとは感じたが、気のせいレベルのはずだった。
18:00頃
サークル棟に入ると、出会った知人に開口一番、地震すごかったねと言われた。「いや、何のことだよ(笑)?」と返したら、普通にどんびかれた。「揺れ感じなかったの?京都もすごかったんだよ。」と返されて、まず、しらねーと思ったし、後、「も」というのが気になった。そして、何やら東北で大地震が起きたことを知った(今のところ自分の周りで京都において揺れを感じなかった人間はいない)。けど、東北で大地震なんかよくあることだし、ま、今回もその異常耐震・免震っぷりが発揮されるのだろうと思っていた。ただ、死亡者がこの時点で30人を超えていたと聞き、普通の東北の大地震(通常はその規模に関わらず殆ど犠牲者が出ないので)ではないとは分かった。
19:00頃
ネットから遮断された状態の僕は、むしろ東北がいかに耐震大国であるか布教する宣教師となっていた。部室に来る人間には、東北がいかに凄まじい耐震・免震ぷりを発揮するかを力説し、死亡者が3ケタ行ったらとんでもないことだと今となっては糞虫のような推察を披露していた。
中国人留学生が本国の友達から心配されると話してくれて、同じく、東北の耐震免震大国っぷりを話していた自分がいた。ベルセルクとブリーチを読みながら、やっぱ蝕すげーとか思っていた。そして、帰宅。シャワー浴びて、ご飯を食べて、翌日河原町に行こうと思っていたので、ネットで靴みたり、雑誌とか読んでたら、あっという間に24:00になっていた。
事態がただ事じゃないことが分かったのは、23:57に、15:23に送信された母からの自分の安否を気遣うメールが届いてから。なんで今頃?届くの?と思った。そして、yahooニュースの見出し(見出し自体は帰ってからちらっとはみたもののあまり衝撃的な見出しではなかったので流していた)を開いてみると、まず仙台空港が水没していた。ちょっと半狂乱になって、いろいろ見ていたらtelegraphに津波が家を飲み、田んぼを飲み、猛烈な勢いで海岸線を超えて陸地を飲み込もうとしている動画があり戦慄した。後は、3:00まで、いろいろな2chのまとめ記事を真剣に見るだけ(3か月くらいテレビ壊れたまま)。これは日本でおこっているのか?と思った。そして、この時点で死亡者の数が4桁を超えることがほぼ確実となっており、未曾有の大災害であることを認識した。知り合いで被災地の近くの人間は特におらず、不義理なことをしていないことも含めて少し安心した。
朝起きて、yahooニュースを確認したら、実家(群馬)の近くでも地震が起きていることが判明し、慌てて母に電話した(メールでの返信は前日済み)。どうやら実家の周りでは被害がないらしく、一安心したが、改めて死亡者がこの段階で1000人を超えることが確実な中、今度はこの地震がいかにとんでもない規模の災害であるか、耐震・免震大国である東北でこれだけの被害が出ており、津波がどれほど想定外で、規格外であったかを伝えなければならないと思い、部室へ向かった。
13:00頃
まず、話した全ての人に身の回りの人が無事かどうか聞き(幸い不幸なことは聞かなかった)、ショックを受けていることを伝えた。そして、これがいかにとんでもないことか伝えた。そして、今度は原子力発電所が危ないことを聞かされた。けど、このときもまた、馬鹿を露呈することになり、チェルノブイリみたいな原子力発電所事故は起こる可能性がかなり低いだろうこと、中越の時のような場合と違い、原子力発電所が天災によって問題になることはそうそうあることじゃないことを力説した。
16:00
メルトダウンと聞いた時も、ま、そうでもないと思っていた。(図書館にて勉強中)
帰宅して直後、原子力発電所が爆発と見て唖然とした。これは悪夢としか言いようがないと思った。本が頭に入らない。後は、ぼんやりと事態をyahooニュースとしょぼんあんてなで確認するのみ。そして、犠牲になった従業員の方がいるというニュースを聞き最悪があるのかと脳裏をよぎり、22時手前位で最悪は防げそうと聞き安心したのもつかの間、南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載っていた。
もう何も起こってほしくない。
明日は、この国に突如として現れた地獄の爪痕、その痛みを直視する日になるだろう。
そして結果的に、極限にまで至ったガバナンスの混迷も、誰かが仕掛けた卑小な人為(スキャンダル)も、全ては圧倒的な天災の前に吹き飛ばされることになった。
この地震は、あまりにも多くのものを奪ったと同時に、袋小路に陥ったこの国のあらゆる状況をリセットしてしまった。
今こそ、我々は、被災者の方々と共に、ゼロからこの国を「やり直す」ことはできないだろうか。
おそらく、この国はこれから先もずっと、座して「神風」を待ち、「外圧」によってしか変われず、「焼け野原からやり直す」ことしかできないのだろう。
もはや、それでも構わないと、余震の続く部屋の中で思う。
これを読んだ方、ぜひ、僕と一緒に立ち上がって欲しい。
イデオロギーの差を越えて、それぞれの立場で、この国の未来のために戦列へ並ぼう。
おそらく、これが最後のチャンスだと思う。この国に、もう、後は無い。
http://anond.hatelabo.jp/20100930144648
増田に書き込まれた内容を論じるだけなら不必要だと判断したので元記事は読んでない。「被害者を励まそう」みたいな内容の記事を読むのがつらいので避けて通れるものなら通りたいんだ。
んで、本題。
「性犯罪の被害者に対して、特別に『あなたは悪くない』と言うことは、他の犯罪および天災の被害者と、性犯罪の被害者は違うんだと強調する」
ゆえに、
「性は特別なモノという考えを助長する」
だから、
というわけだ。
でも根本のところが論じられていない。
なぜ「性が特別」なのか、ということだ。
ことレイプに関して言えば「被害」の本質は「被害者が被害者意識を持ったかどうか」にかかっている。つまり「和姦」ではないことが明らかにならないと犯罪にならないんだ。
例えば、車に押し込まれてレイプされたって「行きずりの男とよろしくやったのに、あとでケンカになったから『レイプ』と言ってるだけだろう」と憶測されたりする。そして、実際のところ強姦だったのかどうかは当事者にしかわからない。
被害者がしつこく聞かれるのは「和姦だったんじゃないの?」というところであり、被害者は「何か私に落ち度があったのだろうか?」と自分に問うことになる。特に目立った抵抗をしなかったとなると、なおさら、その疑いは強まる。加害者は「和姦」に出来れば犯罪者にならなくて済むんだから、少々強弁しても「和姦」と主張するものだしな。
性犯罪の被害者にとって、性が特別なのは、犯罪であったことを自ら証明しなくてはならないからだ。
一方。
処女厨にとって、性が特別なのは、自分の子種しか入ってないメスが欲しいという甚だ動物的な欲求があるからだ。
結論。
両者はまったく違うものだ。
どうだね?
これでもまだ東京の一極集中は自然な流れなの?
自然な流れです。
1.人口の都市集中は経済発展に従って進む、というのは全世界共通です。例外はありません。
2.日米の違いは「いくつかの都市に集中する」か「一つの都市に集中する」ということで、この違いは1の範疇内です。
3.アメリカのように産業集積の受け皿となる都市がいくつもある国は例外的です。これには米国ならではの
・3-1広大な国土
という理由があります。これらの(もしくはこれらとは別のやはり特殊な)条件を持っている国以外は、都市集中=一極集中です。
4.アメリカ以外の例外国家として中豪印露などが挙げられますが、いずれも3-1な国家です。
根本的に「ある地域に産業集積した方が効率が良い」という経済原理がある限り、「均衡発展」のような考え方は経済成長を犠牲にしない限り成り立ちません。
集中の弊害が良く言われますが、現に日本で最も生産性が高いのは東京都である以上、集中の弊害はあっても、それは経済原理の上では集中のメリットを超えていない、と考えるべきです。これを覆して集中の害を説くなら、「戦争・天災などの非常時における脆弱性」「国土の環境保全」と言った経済原理で測りにくい部分を問題にするしかありません。
日本で経済原理に大きく反しない範囲でなんとか一極集中を緩和しようとしたところで、せいぜい3-2のような道州制を採って、幾つかの都市に集中しよう、ということにしかなりません。その場合、5都市でも10都市でもいいのですが幾つかの都市に集積して、それ以外の地域はなるべく早期に「空っぽ」になっていただく、のが経済原理からは望ましい方向ということになります。結局いわゆる「田舎」には滅んで頂く、ということになりますが、資本主義経済と個人の自由を認める国家では、それが自然な流れなのです。
何も考えずに書いたので、正直、レスがついて驚いた。
えーと今考えるね。
資本蓄積といっても、いろいろあるとおもうが、思いつくのは以下。
1.物的な蓄積(インフラとか)
2.人的な蓄積(教育とか)
そして、蓄積がうまくいったのは、
b.天災がなかった(インダス文明のように滅びなかった。いや富士山の噴火があったな…)
c.他国に占領されたことがない(GHQは除く)
という感じだと思う。
そして、企業の場合は、たくさんの企業があれば、どれかは成功するであろうから、そういった環境を国内で用意できることは大きいと思う。このような場合は、さまざまな企業があることが国内市場のメリットとなるので、成功が成功を呼ぶと思う。(もちろん倒産する企業も多いが)
民主党は埋蔵金として、予備費を上げていた。この予備費は、大部分が、災害対策費であり、それを、母子加算復活や子供手当てのばら撒きの為に取り潰して、使い込んでしまっている。
この為、西日本において集中的に発生した大雨による被害に対して、災害対策を何もやれない状態になっているという。
被害がどんなに激甚であっても、マスコミが報道しなければ、関係の無い地域の有権者は何も気がつかないという事で、マスコミに対して災害報道を控えるようにという圧力がかかったという話も流れてきている。
衆議院選挙で民主党に投票した人々が、大雨の被害にあって、国からの援助を一切受けられずに困窮するのは自業自得であるが、他の政党に投票した人々まで、同じように放置されるというのは、いかがなものか。
天災による被害に対して、全部地方自治体に押し付けるつもりなのかもしれないが、財源を地方に渡していない状態で、地方に責任だけ押し付けるのでは、筋が通らない。
政府与党の主張を流すだけでは、報道とは言えないのではなかろうか。
朝鮮半島併合100周年を記念してコメントを出すという話も聞こえているが、歴史的事実に対するすり合わせを、教科書協議として学術分野で行っているが、その協議において、南鮮側の主張する歴史認識は、歴史的事実と物証によって、ことごとく論破されている。この事実に対し、政治が勝手に歴史的事実を認定しかねない発言は、日本と朝鮮半島との関係において、将来に長引く禍根となるであろう。そもそも、伊藤博文公の暗殺101年の方が、日本にとっては重要である。朝鮮土人は文明人にあらずという事実を明らかにするべきである。
極左カルトである民主党政権のドクトリンは、ついこの間の参議院選挙において、国民から否定された。信任を得られなかった政権であるという自覚が無い状態で、勝手なことをやるのであれば、次の選挙の後で、民主党関係者の居場所は、日本国内には無くなるであろう。政治の職にあるのは、参議院で6年、衆議院で最長4年である。その任期が終わった後で、再び当選して職に就くか、落選して地域の素封家として子孫の再起に望みをつなげるか、あるいは、落選した挙句、村八分にされて野垂れ死にを迎えるかという末路が待っている。政権与党の一員として権力を揮うと、落選した後に、任期中の恨みつらみが一気に表出する。万年野党では、権力を行使することが無かったから、落選してもそのまま暮らせる状態であった為に、こういった危機感が無いのであろう。
首相や大臣に石や生卵を投げつけても、国民の支持を失った状態では、警察は、捜査したけど被疑者不詳で書類だけを検察に送って終わりにするであろう。落選したら、家に火炎瓶を投げ込まれても、失火の書類をでっち上げて終わりにするだけである。国民に恨まれている人を助けても、政治的に何のメリットも無いし、捜査や裁判に余計な税金を使う事は無駄であり、そんな費用は真っ先に仕分けされるべき冗費だからである。
権力とは万が一の時に使われるべきモノであって、無くすわけには行かないが、常時振り回すモノでもない。民主主義を、期間を区切った独裁制だと捉えるのは、土人国家の道徳であり、持続的発展と継続性が無くなる。先進国が先進国となりえたのは、継続したからであり、継続することによって、凡人でも修練の末の高みに至ることができたからである。秩序も技術も民度も、継続なくして成長はありえない。継続性の無い政策を並べるのは、理想を追求すると言えば格好良いが、実態は、独裁者の迷妄でしかない。
予備費を使い込んでしまった以上、予算委員会を開いて、臨時国債の発行を通さなければ、災害対策費は出てこない。イレギュラーな国債の発行に対しては、国債マーケットの資金繰りの都合から、相応の金利を上乗せしなければならず、0金利に貼り付けている国債にとって、市場側から金利上昇の要求を押し付けられかねない事態となるのである。この危険性があるから、予備費を積んで、どんな災害がきてもびくともしないという国家財政を維持し、その信頼が低金利を維持してきたのに、民主党はそれを壊したのである。日銀の融資枠を拡大して日銀と金融機関と財務省の間で循環させているお金の量を増やすという手にすがりつくつもりであろうか
[2010.7.18]
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
頭に書いておけば、トラックバックちゃんとなるかなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これに反論が無いと言うことは、結局『政府に不作為がある』が答えですよね。
つまり「政府の行動に問題がある」と言う指摘は、間違えていないと言うことですよね。
で、返答にも乗りますが、まず1つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
君の脳内ではワクチン接種を検討開始して3日で実施してるのか。もしそうならむしろ赤松の決断力はすげえって話になるなw
あのな、現実見ようぜ。あのヘタレの赤松のどこにそんな胆力があるんだよ。それともワクチン接種がどれだけ重大な決定か本気で分かってないの?
備蓄があるから?日本に使ったことも無い新兵器があったら3日で戦争始められるのか。ワクチンは強力な武器だが専門家も「絶対勝てます」とは言えない不確実な武器で、しかも最近の改良されたワクチンは世界にとっても日本にとっても新兵器だぞ
政府の「対策本部」の「本部長(最終責任者)」は17日付けで鳩山首相に変更しています。また鳩山は、農水副大臣などを現場に送り込んでいます。
胆力は鳩山の方、あるいは鳩山のブレインでしょう。普天間や政治と金問題に加えて、さらにこの問題。政権の穴にはしたくない。疫病は判断力の揺れを待ってくれないでしょう。実際に即断を出してるわけで、それを考えれば3日で開始にしてもおかしく無い。
そして「新兵器」と言いますが、オランダで出来たワクチンは2001年です。研究機関は世界各地で9年行われてるわけで、専門家ならある程度の情報は知っているでしょう。そもそも専門家であれば、今回の口蹄疫を知った時からある程度シミュレートしていておかしく無い。それに内閣ではなく官僚が手を打って調べていてもおかしく無い。
『官僚が』の意味ならワクチンの調査は17日以前からあってもおかしくないですが、それが『赤松の手柄か?』と言うと疑問ですね。現地に入る10日までは、農水官僚を怒鳴ってただけとかいう話も聞きますし。それ以後も何をやってたのやら。
ワクチン効果に『絶対』が無いのは指摘の通り。しかし、罹患地域を押さえ込める可能性があるのであれば、打たない手は無いでしょう。疫病対策と言うのはどこかでギャンブルになります。
それに、一定区域の殺処分は、結局の所、埋設場所が問題になっています。埋設場所を確保する間だけ、罹患しても症状を抑える事が出来ればよいと言う目的でのワクチン使用です。効果が無いとしても、現状と変わらない。悪い賭けじゃないですね。
ちなみに、現地側で「一定区域全頭殺処分」の話は5/14頃ですね。この頃から東国原知事が一定区域の全頭処分の話を出してたはずです。覚悟してるんだから国が動いてくれと。
それから、
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
農場単位での普通の殺処分なら財産権とか言う必要はない。法的に問答無用で処分出来る
現場と補償額の問題でもめたのは明確に出たのは5/20です。一律で牛60万、豚3.5万はふざけるなと。畜産農家と補償問題を詰める前に赤松がリークして、現場農家が怒ると言う形。家畜によっては一頭で200万ぐらいだってあるんだと言う話で。結果、時価になりました。確定が5/21。
それより前は、5/18東国原知事が国と補償額で詰めている話で、交渉中と言う答えをしているのに、馬鹿記者が「交渉中」を理解出来ずに知事に喧嘩を売った話。
ワクチンを確定させた最後の決断は、17日に首相周辺と知事とで即座確定だと思いますね。3日も伸びたのはむしろ補償の問題の方でしょう。ワクチンのプレゼンなんか2時間くらいで終わるでしょう。先に書いた通り、今より悪くなる可能性が低いなら、打たない手は無い。
5/14の財産権は、赤松が一定区域内殺処分の『責任を取りたくない』保身にしか思えません。5/17トップが変わってからは、現行法で対処出来るのではないか?など言ってることからも。
少なくとも、5月上旬からワクチンを考えていたと言うのは、内閣や知事の言葉などを見ていても、想像出来ない。
二つ目。
http://anond.hatelabo.jp/20100522181804
この言葉
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
というのを踏まえて、「ふざけんなハゲ。ふざけんな江藤。既に最初から広がりまくってんだろ。広がりまくってる前提でやらないなら決定権剥奪すんぞ」と言わなかったのは政府の不作為で間違いない。
これを後押ししますね。10万頭出る確定を4/23に理解しておきながら、現場をほっとくと言う。
やっぱり政府の不作為だと言う指摘は別に間違えていないですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100522110418
3/26の初期症状から口蹄疫を疑う事は難しいと専門家が言っていますね。
http://www.asahi.com/national/update/0519/TKY201005180565.html
宮崎県で口蹄疫感染の疑われる牛が確認されるまで何があったのか。関係者の話から再現する。
宮崎県都農(つの)町。3月下旬、ある農場で水牛が下痢になった。モッツァレラチーズを作るために飼われていた42頭のうちの1頭。往診した獣医師は、31日に県の宮崎家畜保健衛生所に届け出た。
県も立ち入り検査したが、口蹄疫にみられる口の中や蹄(ひづめ)の水疱(すいほう)、よだれがない。便なども検査したが、下痢の原因となる菌やウイルスが見つからず、結論が出ないまま下痢は治まった。
これが最初の異変だった。
この農場から南に約600メートル離れた別の農家で、次の異変が起きた。
「口の中に軽い潰瘍(かいよう)のある牛がいる」。4月9日、衛生所に別の獣医師から連絡があった。2日前に往診したところ、1頭の牛が前夜から発熱し食欲がなく、口からわずかによだれがあったのだという。
県の口蹄疫防疫マニュアルでは「(口の中の)水疱は発病後6~8時間以内に現れ、通常24時間以内に破裂する」と記載されている。
9日の往診で、口の中に直径3ミリほどの潰瘍は見つかった。しかし水疱ではなく、かさぶたのような状態。すでに発熱から4日がたつ。仮に口蹄疫なら、水疱や激しいよだれが見られるはずだ。
獣医師から相談を受けた衛生所は農場内のすべての牛を調べたが、口蹄疫の可能性は低いと判断した。発熱は1日でおさまっていた。
口蹄疫ウイルスの潜伏期間は、牛の場合で約1週間。獣医師は12日まで毎日往診したが、異常のある牛は見つからなかった。
獣医師は振り返る。「教科書通りの口蹄疫とは異なる初期症状。まったく想定しなかったわけではないが、この症状からは診断できなかった」
4月16日夕、別の2頭に同じような症状が見つかった。最初の牛の隣にいた牛で、何らかのウイルスによる感染と考えられた。この段階で最初の牛はほぼ完治していた。翌日、衛生所が改めて立ち入り検査し、感染症の鑑定を行ったが、19日までに出た結果は陰性だった。
ただ衛生所は19日、念のために検体を国の動物衛生研究所(動衛研)海外病研究施設(東京都小平市)に送った。このとき初めて、県は国と連絡を取った。20日早朝、口蹄疫の陽性反応が出た。
4/20以前については、県にも国にも責任は無い。だからこそこの疫病は天災と言うしかない。
「政府は4/23に10万頭パンデミック確定を理解していた」と言う前提の話なのですから、そして「政府は5/17までほとんど動いていない」のですから、宮崎や自民党が不作為を指摘する事もおかしく無いですね。
どの職についても安定した未来を描けないような気がした。俺の視野が狭いだけ?
肉体労働は年取って身体を壊したら終わり。
教職や医者だって土日がないような忙しい毎日(医者は身入り良いらしいけど)。
弁護士は試験制度変えて合格者増やしたおかげで余りが出始めてる。
農業は素人には手を出せないし、天災などに影響される可能性がある。
出版業やマスコミ等の激務だけど華やかな職業はネットの登場でほぼ全滅。
しかも、そのネットを担うIT系企業は土方と言われるほど環境が悪い場合が多数。
ネットに影響されないはずの飲食系やコンビニは休みなしで酷使される。
日本人が身内に厳しい、ということに対する説明の一つとして、日本では自然災害に見舞われることが多く、そのため人々はもしもの事態のために貯蓄をしなければならない、ということが挙げられる。確かに日本では昔から多くの災害に遭ってきた。その災害の多さから人々の不安を煽り、経済活動に向かわせようとしたという経緯が日本に存在していることをここで言っておかなければならない。江戸時代の五人組の制度のような厳しさが今の日本人の間に未だに残っているのも、一般市民がこのような事情を心の底で納得してしまったからなのである。
そのようにしていつか来る厳しい状況のために働いてきたが、外交面においてお金をせびられたり、国内では自分で難しい状況を作ったりして、これは結局いい結果を招いているわけではない。確かに今でも災害に苦しむことがあるが、天災に対してある程度の耐性がついてくると、新しい災害を自身で作り出して、人々はその人的災害を恐れて貯蓄行動に向かうようになってしまった。
これはいつも詰め込み過ぎてしまう、という日本人の特性の一つを表している。詰め込むことの利点、つまり人口過密がビジネスチャンスを生み、経済発展を遂げたという経緯があるためだ。そして建築は過密状態や天災の恐怖を呼び起こすのに役立った。狭い空間は人の活動を過敏にし、地震に強いことをアピールして昔ながらの瓦の屋根の一戸建てを排除して高いビルをたくさん造り、その結果、経済活動に向かうことしか選択肢がなくなってしまった。まさに仕事こそが人の人格そのものであり、選んだ仕事がその人の人生なのである。建築家が起こした事件として記憶に新しいのが姉歯建築士の耐震偽装の事件だった。日本のハイレベルな建築基準とその建物がもたらす経済的な利益の間で彼はまったく困窮してしまったかのように見えた。
よく世の中は不合理だと言われ、このように矛盾した状況は一時的にはやりすごすことができるのかもしれないが、いつかその矛盾に立ち向かわなければいけない。あなたの上司が、あなたは社会の矛盾を受け入れて生きていかなければならない、と説いたとしても、結局はあなたがその上司の残した問題に取り組まなくては、若い人間がすべきことをまっとうしたとは言えないのである。
深夜なんだから、イタ客がいるのは当然。処理しろとはいったが、耐えろとは一言も言ってない。
にもかかわらず、耐えろと言われたと思ったというのは、あなたの経験不足。
天災だって、いろいろ対処をしている。天災になってから、対処していないだけ。
今回の件で言うなら、突発的に、その場で対処したあなたの負け
そういう前提があるなら、きちんと、店長に進言して、会社としてどうするか?店としてどうするか?
という対処法を決めて、みなの了解を得て動かなかったあなたの負け
いきなり、一店員のその場の判断で対処しようとして、店長呼び出してどうするの?って話
警察呼ぶにしても材料無さ杉の状況だろうし。
それとも、なんか、材料あったの?
その場の思い付きじゃなくて、ちゃんと、戦略あったの?
そういう長期的な戦略のことを聞いてるし、言ったつもり
つか、どういう方法でもいいけど、なんか、自分が正義だと思うことをできなかった、不満を回りにぶつけているようにしか見えていない。
元増田です。
自分のちょっとしたつぶやきに反応があって、多少なりともモラルとか接客業の暗の部分を問題だと考えている方々がいるのだと感じ、それだけでも励みになります。
いくつかの反応に私なりの考えを述べさせて頂きますと、
増田は、元増田が「本来警察が何とかするべき事だけど警察はどうせ動いてくれないと諦めている」のだと思っているのかもしれないけど、
実際は「法に反する事は何もやっていないから警察は手出し出来ない」んだよこれ。民事不介入。
それを使わない店長がアホで、その上の本部もアホということ。
民事不介入とか言ってるアホがいるけど威力業務妨害罪なり強要罪なりでググってほしい。
いくつかの法律、システムがあったとしても結局それが使われていないのであれば、それは正常に機能していない=システムに問題が、と私としては考えます。
現実問題として、上の最後の方のおっしゃるように対立的な対処方法では嫌がらせを受けたり、直接・間接など関わらず影響はあると思います。
サービス業というのはイメージが結構重要なので、店側が正しかったにせよ、事件なり何かがあればイメージ低下に繋がると思うんです。そういった考えも踏まえ、出来る限り穏便に済ませようというのは、多くのサービス業の方々が考えてらっしゃることではないかと。
元増田の文では私が言いたかったことが上手く表現出来てなかったのですが、そういった「穏便に済ませなければいけない」、あるいは、「対立的な対処をしなければならない」ような状況になったらどうするか、という現実的な問題の対策・対応方法ではなく、むしろ、そういった状況を作らせないような社会にするには、どういった社会の仕組みになればいいのだろうか、と理想論的な話として提言させて頂いたのが元文なんです。(提言というほどのもんじゃないけど)
そんな状況になれば、良いシステムがあったとしても立場上の弱者はいつまででも同じです。
現実的な対応について話をすれば、
イタ客をきちんと処理できなくても、しようがない。それがサービス業だし、接客業。
特に24時間営業の深夜の接客なんて、酔っぱらいいるし、ガラの悪い客はいるし、そういう時間。処理できなったあんたが悪いと店長は思ってるとおもうし。
と、この方がおっしゃってるように、私の処理がまずかったんだろうと思います。
元文は本問題では私や店側が被害者であるという前提のフィルターが掛かった文章なので、私寄りの表現がされている、ということを踏まえ中立的な視点で再度考えてみましょう。
実際には、注意する前のゴネられたりマナーが悪かった時点で対応する態度は悪くなっていただろうし、処理方法や対応は稚拙だったんだろうと思います。私にも大きな落ち度があったんだろうと考えています。
情報の後付けでアレなんですが、このヤクザたちは前から何度かやってきては毎回毎回同じようにマナーやモラルに欠いた行為をしていた人達なんですね。私ではないですが、他の店員が脅しに屈して商品を無料にしたり、本来しないような過剰なサービス(正直言って周りのお客さんに不公平な)をしてきていたんです。で今回、「今までは○○を○○のように提供していましたが、実は店のルールとしては○○で、申し訳ないが他のお客さんに公平ではないので、ルールを守っていただけないか」というような注意をしたんです。(言い方や処置方法が適切じゃなかったんだろうというのは前述の通り)
こういうお客には覚悟してあたらないと(この店タカれる)と思ったら、日参してくるかもしれんよ。
というように、正直もう既にタカられつつあったんです。だからこそ、これ以上になると問題だと思い、注意をしたわけです。
ただ相手側からすれば、「前はこういうサービス受けていたのに、今更サービスはもうできません、ってなんじゃあそれ!お前(私のこと)がしたくないだけちゃうんか!」と言ってくるのは筋の通った理屈で、正直一介のアルバイターが対処できた問題じゃなかったかもしれないと今更になって思っています。
お客様は神様ですと言うのは、
台風を発生させたり、地震を起こしたり、大災害をもたらすという意味も含まれているわけだが?サービス業において。
天災を恨んでもしょうがないように、イタ客をきちんと処理できなくても、しようがない。それがサービス業だし、接客業。
特に24時間営業の深夜の接客なんて、酔っぱらいいるし、ガラの悪い客はいるし、そういう時間。処理できなったあんたが悪いと店長は思ってるとおもうし。
本部もそう思う。
上記のような
「サービス業だから、接客業だから、イタ客がいるのは当たり前。」
という諦めに近い考え方を社蓄根性、と言って切り捨てるのも簡単ですが、現実的な対処論としては言っていることは正しいとも思います。
しかし、外食産業をはじめ、接客業が底辺の仕事、ブラックと言われている主な原因の一つが精神的なもの(コミュニケーションなどに関わるもの)であるので、理想としてはこれを少しでも取り除く事が良いのではないかと思うのです。
「当たり前」「しょうがない」と言う言葉は出来る限り無くしていかないと、良くなるものも良くなりません。
(なお、名ばかり管理職などと言われる底辺正社員の方々の問題はもっと深く、もっと重大であると思っています。)
様々なトコロで外食産業はブラックである、と言われていて、仕事はあるのに誰も寄りつかない、という状況なのはご存じの方も多いと思います。ちょうど去年の今頃、日比谷公園の派遣村の話題が出ていたときにも、
仕事があるのに(介護とか外食とか農業がよく挙げられていましたね)働かないやつクズが多い。(etc...) ↓ いやいや、ブラックなんだから、まずそれを解決するのが先決だろ。適正のある人じゃないと働けないような労働環境を改善するべき。 ↓ いやいやいや、あんなん誰でもできる。コミュニケーションは人間が社会で生きるための当たり前の能力じゃないか(キリッ
などというような不毛な議論もありました。
正直言うと、高級レストランならまだしも、たかが時給750~900円程度で(地方によっては差があるだろうし、そもそも金額なんてのも関係ないのかも知れない。どんな給料だったとしても→)人に暴力を受けたり謂われのない罵倒や暴言をされる筋合いはないのです。お客さんにとってもそうですが、働く側にとってももっと気軽な場所であるべきだと思うんです。
元文でニートの海外就職日記さん(http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/)の記事を一部引用させて頂いたように、
理想論かも知れないけども、互いに互いの首を絞め合うような社会じゃなく、もっとストレスフリーな社会を目指すべきだと思うんです。
で、そこで、、モラルのない人間がいても、「お客様は神様です、というような風潮・文化ではなく、お客側も供給側に感謝の気持ちを持つものだ、互いに感謝の心を持ち思いやり合うものだ」という社会になれば、少しでも社会は生きやすい、幸福を感じやすい世の中になるんじゃないかと提言したのが元の文なのです。ただし、その手段は何も思いついていません。
ちなみに、互いに思いやりの気持ちを~~とか言うと、「ようは客が我慢することになるだけだろ」とか言う人いますが、我慢することと、優しい気持ちで余裕をもって接することは違います。
結局は、思いやりの心だとかモラルってのは、精神的な、将来的な、余裕がないと生まれないものだと思うので、まず経済状況を良くするとか、将来への不満を取り除くとかそういうことも先んじて重要だとも思うんです。
あるいは、格差を前提条件とするならば、階層別に生活圏を分けてしまえば、階層別に合ったサービスが生まれてきて合理化されるだろうし、そこで働くのも、その生活圏の人だから、階層生活圏ごとのコミュニティと生活圏ごとのモラルが作り出されるんじゃないかと思うんですね。
海外なんかでは、低階層の人達による低層モラル形成がうまくいっている地域もあるそうで(スラムとはまた違う)、そういった方向も視野に入れるべきなのかもしれない。
ちなみに、階層別生活圏、ってアイデアは私のものではなく、こちらのchikirinさんの格安生活圏というアイデアを参考にしたものです。(Chikirinの日記 - http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/)
最後になるけど、現実的な対応についての話と、理想論的な話がちょっとごっちゃになっていたので、整理をしつつまた長文を書かせて頂きました。
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
もともと、ストレスを感じやすい体質のようで。
毎日やってもやっても進まない仕事。みんな疲れきっていてミスも頻発。誰も彼も余裕がなくてイライラしてる。
上司が別の人間に対して怒鳴るのを聞いていると手が細かく震えていて情けなくなる。
ときどき耳が詰まったようになる。閉塞感。耳鼻科にかかっても異常なしと言われる。
今日は頭の右側だけが痛む。
昼前にいきなり腹痛に襲われた。右脇腹が痛くて自転車も漕げない。くしゃみをしようとすると激痛。
でもご飯は普通に食べられる。これは胃痛じゃないなと思って調べたら、肋間神経痛の症状にとても近い。
なに、それ。今まで生きてきてそんな症状でたことないよ。「ストレスが原因となる」って書いてあるし。これもか。
たぶん今までは若さでごまかされていたんだろう。これからどんどんこういう症状が多くなってくんだろう。
時々、このまま天災がおこって巻き込まれて死んだら全部終わるのになーとぼんやり考えてしまう。
自殺はしないし、したくないけど。
さっき羽賀研二レビューを書いた増田ですが、そういうこと(論理より情緒)だと思います。米国人より日本人は、また日本人でも一般人よりいわゆるDQNな方は、特にそういう志向があると、私は思います。それもあって、あえて、『誠意』(二重鍵括弧付き)と書きました。
論理で話が済むんだったら、「概算でもこれぐらいの工期が必要です。正確な期日は現地調査後の積算が必要ですので、お待ちください。」、「積算の結果、この工期が必要です。しかもお盆休みですし、天災で、突発事案ですから仕方ありません。」といえば、まぁ納得するはずなんです。ところがどっこい、概算の積算も済んでないのに短納期の期日を名言しなきゃいけない。論理で説明しようとすると「ウダウダ言ってるヒマがあったらとっととやれ!」となってしまう。これは、論理より情緒が重視されている結果だと思います。
社外秘ですが、日本の某社の記者会見対応マニュアルで、「とりあえず謝れ。謝らないと印象が悪い。ただし、まだ悪者と決まってない時に謝る時は、『世間をお騒がせしてすみません』と謝れ。罪を勝手に認める必要もないが、とりあえず謝らないといけない。」なんて書いてありました。シンドラーエレベータの時に「外資は事件を起こしたのに謝らない」と叩かれていましたが、彼らは論理として合ってるんです。だって、まだ悪者と決まったわけじゃないのに、無い罪を謝る必要は無いんですから。
東名高速の復旧作業に関わるみなさん、おつかれさまです。
あなた方の頑張りに、広い意味での同業他社として、敬意を表します。
それにしても、クレーム対応としての「13日午前0時復旧を目指す」発言には、私は舌を巻いています。
2ch等々では「そりゃ無理だろ」「いやできるってんだからできるだろ田舎者」「現場を知る人と、文句を言うだけの官僚の違いだ」などと賛否両論が出ていますが、しかし今になって思えば、最初から誰も「13日午前0時」までに復旧できるなんて思ってなくて、クレーム対策のためにブチ上げた発言だったんじゃないかと思うのです。
だって、あのタイミングで「当分復旧は無理です。本格復旧には1~2カ月は必要です。いやマヂで。」なんてことを言えば、マスゴミと民間の双方から「高けぇ通行料と税金を取っておいて、どういうことだゴルァ!」という批判が集中しかねない。日本人の一般人の意識なんて、「突貫でできるなら、やればできるだろ。誠意を見せろ誠意を!」というものですから(←批判と皮肉含む)。
そこで、概算で無理な工期と分かっていても「いや、無理っす。」「やっぱ13日午前0時復旧目指します、昼夜突貫で。」と、少なくとも『誠意』を見せた。これで短期的には、マスゴミも一般人も納得する。
でも現実には無理な工期だから、そこを「いや、無理っす。」発言で含みを持たせたり、「天災だし、こんなに崩れてるし、現場も頑張ってるんだよ?」という報道映像で『誠意』を見せる。これで、中期的には数日の延期に耐えられる(←ただいま15日中に復旧見込み)。
長期的には、プロジェクトXよろしく、復旧までのまとめ映像で振り返ってもらって『誠意』を見せる。
しかしながら、プレス発表のやり方を間違えたり、あまりに工期が伸びると「見積りが甘い!これだから官僚は…」と批判されたり、もし台風・余震で二次災害が起きた場合には「突貫工事が正しかったのか?」などと批判される諸刃の剣。