はてなキーワード: リスクとは
記事にもいろいろあるとおり何も考えてないわけじゃないでしょ
リスクはあるけどメリットもある、それはどのシステムでも同じで後出しでならいくらでも偉そうなこと言えるけどたらればでしかない
そもそも不正アクセス受けて内部のネットワークで横展開できる状態なら地理的物理的な距離は関係なくやられるし、今回の事件に有効だったか無効だったか無関係だったかもまだわからん
セキュリティには正解はないと思う
https://togetter.com/li/2381518
ノリで決めてる人も多いのは確かだと思う(それが悪いという話ではない)
なんかこういうのって溝を深めるだけな気がして(普段叩かれやすいからついこういう事も言いたくなるのはわかるが)
そうじゃなくってもっと軽いものであるって認識になっていったほうが嬉しい
ちなみに自分はあんま見えないとこ(恥部とかじゃないぞ)にちょこちょこかわいらしく入れてるだけだが
人生なんて短いっちゃ短くて、なんかあるたびにタトゥーに刻むっていうのは精神的にすごく浸透するものがあって
私というものを定着させてくれるような働きがあるなと感じるんだな
モチーフを起こった出来事と直接的に結びつける人もいるけど、けっこうそれってリスキーで
それよりはこのタトゥーは~の時に入れたんだったという感じで思い出すものが多くて
入れ墨って太古では武装に近いものやスピリチュアルなものだったと思うけど
現代社会でのそれはもっとカジュアルな生きた、生きている証のような感覚
一生消えないっていうけど、一生なんてあっという間なんだよね
社会的に損することが多いから日本で入れるのは別の意味でリスキーなのは確かなんだけど
自分の身体に印をつけるという行為は「私は私なんだな」と直感的に感じることがしやすくなる
それはタトゥーを入れることで見た目として威圧したいとかそういうヤンキー発想のものじゃない
だからほんとに見えにくいとことかでもいいからワンポイント入れてみるといいと思う
タトゥーなんて親からもらった大事な体になんてことを、なんて考え方もまだあるけど
タトゥーを入れることで自分の身体がすごく大事に思えてくる、そんな効果もあったりするのだ
別に人生が豊かだと思えなくてもいいじゃん、特になんにもないけどちょっと入れてみるか、なんておじさんがやるのもシャレてていいと思うよ
なんにもなくても、ああ自分には生きた体があるんだなって実感できるよ
コメント色々ついてた・!
全身入りまくりとかだいぶ昔に入れてる人とかはリスク高いかも(医者に止められやすいかも)
今は金属含まない成分になってきてるのでそのへんの事情も変わってきてるよ
これは自分の書き方もよくなかた
入れる時ってどんな柄にするかとか、どこでするかとか、いつするかとか、何回に分けるとか、けっこう計画的にするものなんよ
他にも色々書かれてたけど温泉入れないとかは自分もいやなんよね
まあでも日本でもああタトゥー入ってるんだね、くらいの当たり前のものになったら
そもそも輩の武装、怖い、みたいなイメージもなくなるだろうし温泉にも入れるだろうしそうなってくれたらいいなーと思ってる
消えないからこそいいんだよね
子曰く、「昔者鄭人使程鄭喻於晉,曰、我雖以尺地加於鄭,若其僨也,若其猶也,不越五六年而鄭必有亡矣。鄭人以此五年不改其政,於是乎其國亡矣。」(孫子・作戦篇)
増田よ、エスカレーターでのルールと車の法定速度についての議論は、実に複雑な問題である。
孫子の例にもあるように、鄭の国が小さな過ちを続けた結果、その国を滅ぼす事態に至った。
すなわち、我々が小さな規則を無視し続ければ、大きな混乱につながる可能性があるのだ。
エスカレーターや車の運転には、それぞれ異なる社会的規範とリスクが存在する。
エスカレーターの片側利用の流れは、ある程度の効率性と安全性を保つために守られるべき一方で、法定速度の厳守は重大な交通事故を防ぐための重要な措置だ。
増田が指摘するように、エスカレーターでの片側利用が「背中押される」といった危険を避けるための自己防衛策であるという主張も一理ある。
しかし、それが必ずしも法や規則の優先度を低める理由にはならない。
全体の安全性と効率を保つためには、基本的なルールを守ることが不可欠である。
「流れを守ること」の重要性も理解できるが、「流れ」が全てのルールに勝るわけではない。
色んなサービス出てきてるが結局データをクラウド上に上げるリスクがつきまとうから
既にWEB上とかでオープンにしてるデータしかリソースとして提供できない
本当にAIに分析してほしいようなデータはローカルで実行できる環境じゃないと使えない
NotebookLMも面白そうって思ってWEBでオープンになってるデータを使っていくつか作ってみてるけど
今まさに妊婦だけど、立ってるとしんどいので譲ってくれたら素直にありがたいなあと思うよ。周囲の状況まで確認してくれるなんて本当にありがたい。
世話の問題だけじゃないんだ
自分の子が、孫が、障害児でオッケーな人はほとんどいないのが現実(隔世遺伝もありうるし)
欲しくなくてもできるときはある、確実性を期しても女の避妊手術は器質的に心身の負担がでかいし、ピルも同様
パイプカットしてまで…と嫌がる男は多いしな
施設前提でも障害者に余計にかかるコストはあるし(時間・社会的リスクなども含む)
また特に年上世代は「きょうだい」の育成環境リスクのことも考えてるはず(増田みたいに犠牲にされ続けて自尊感情が壊れてるので心身症発生リスク高い)こういうの、親は経験則で知ってるからな
増田の悪口を言いたいわけじゃないが「きょうだい」って自分がされてきたことが普通だと思っていて、それをパートナーや子供にも求めがち(なぜならそれ以外の家族の形を知るすべがなかったから)
男女がセックスしないと子は生まれないが、後先考えないバカにならないとセックスはできない。
子ができたとしても生んで育てることに伴う責任とかリスク、コストとリターンとを冷静に考えたら産むなんて無理って結論になる。
そこに目をつぶってバカにならないと子を産む決断はなかなかできない。
そのダブルバインドに対してどっかで折り合いつけられる人たちだけが子供を作ってる
バカに対して、賢くなれ、後先のことを考えろ、子供が生まれたら親はその責任を負え、子供に不自由をさせずに幸せに育てろ、そういう教育をした結果、賢くなった人たちは子供を産むというリスクを取らなくなったんだよ。
聞きたいんだけどさ、
お前は女に何を期待してんの?デート代出すよとオファーされて断る女ばっかりになったらお前チャンス激減するんじゃないの?
それから「不平等」っていうけどさ、デートって何のためにあると思ってんの?
今後つがいになるかどうかの見定め期間なわけでしょ?
デート代男が多めに出すとしても、男だって「この女ないな」とか「ありだな」とか評価してるわけだろう、
友だちと違って。
(結婚制度は必ずしも子どもが目的とは限りませんな話は今は脇に置いておく)
そうなると妊娠・出産・授乳があるわけだけど、これって全部「女が負担するという不平等」があるよね?
それに対してお前は何を出せんの?
出費は男女平等に支払いましょうね、夫婦は対等だからね、家族になるんだから、
で、その家族を増やすために「女だけがかぶることになる多大な負担とリスク」に男は何を支払うべきと思ってる?
それとも、「いやいや男が負担するとか肉体的に不可能なんだから、女だけが負担するってことでいいでしょ(でも出費は男女平等で!)」がお前の主張?
デートの際にその手の価値観がちらつき「お前にかける金はできるだけ減らしたい」態度があからさまな男と、
デート代は出す、全額奢りではないにしても自分を大事にしそうなそぶりが見える男、
どっちのほうを好ましく感じる?
これ別に女の立場想像しなくても男の立場でも言えることだろう、
自分の分のデート代は支払うが、常に自分が損していないか神経質な女と、
デート代は男に多めに支払わせるかもしれんが、自分に気遣いを見せてくれ自分に合わせたりこっちに好意を持ってるように見える女、
どっちのが好ましく感じるかって話だよ
生物学的に言うと、
たとえばオスのほうが子育てをする(繁殖における負担はオスのほうが大きい)ので、メスがオスに求婚し、メス同士で麗しいオスを奪い合う生き物っていうのもなくはないんだよ
「オスがオスってだけでデート代をメスに支払ってもらいたがるのは不平等だと思います!」とか言ってたかもな
でもお前大事なこと忘れてるよ
つまり他の生き物がどうだろうと、人間の女性に備わった「短期決戦でいいかげんな男捕まえたら自分の生死にかかわる」は動かないんだよ
でも近年になってかなり変わった方だと思うよ
特に女性が自分の意思で結婚相手を選べるようになってるとことかね
だから今の20代は男がデート代を全額負担してばっかじゃないし、結婚後の共働き率、男が育児に割く時間ともに上の世代より高い
デート代について、個人的には今後はそこそこ男女平等(自分が食べた分は自分が支払う寄り)になっていくし、なっていってほしいと思ってるよ
ただ、そこ突き詰めるとそもそも
「男も妊娠・出産・授乳しろ、でなきゃ生理的不平等差しおいて出す金だけ平等じゃなきゃボクチン女をブラック企業呼ばわりしまぁす!が通ると思ってんのかぼけ」って話になってくよ
なんで女は男にデート代を払ってもらいたがるか?
ヒト以外の生き物でもオスがメスにアプローチする流れだよ
オスが必死で労力かけて捕まえてきてメスにプレゼントするも、メスは受け取るだけ受け取って、でも小さいのが気に入らないからとさっさと逃げてくとかそういうことが良くあるよ、
その逆に必死のオスのアプローチがうっとうしすぎてメスがろくに食事を摂れず衰弱死する生き物もいたりな)
女は「この男は自分にきちんと投資するか」を見たい性質みたいなのが備わっているんだよ
それはお前が思うお前の勝手な視点で考える「不平等」とは違う不平等があるからだよ
繁殖相手は腕力差があって攻撃性の高い男から選ばなきゃいけない、
生存資源すら男が独占しがちな社会で生きていかなきゃならないし、
そういう立ち位置で自分が子どもを産み育てるためには「出費だけ男女平等」な男なんか選んだ女は絶滅してきたんだよ
個人的には、そういう生物的な性質は今後、理性である程度克服してくべきだしできると思っている、
しかし、じゃあそれで社会も制度も男女平等にしたから女も男にアプローチしてねってそれが通用するかと言えば
それは女に肉体的な不平等によるデメリットやリスク、負担を押し付けてるだけなんだよ
だからもし「デート代を男女平等に食べた分だけ」とか言い出すのならお前はその「肉体的な不平等」も負担しなきゃならない
それやらないで金だけ出せっていうのは無茶だわ
そもそもお前、自分が金持ってたり誘えば女が来てくれる男なら口とがらせて「不平等」とか言わんだろう
カルト宗教がクソなのはもちろんなのだが、現実的なリスクとして、たとえば高齢の親がいつの間にかカルトに入信きて、全財産を寄付してしまったなどのケースも考えられるわけだ
親と同居しているならまだ察知できる可能性があるが、遠くに住んでいる場合などはまず察知することもできない
昨日のことだけれど、斜向かいに住んでいた引きこもりの男性が亡くなった。
パトカーに消防車、救急車が突如来たので何事かと見守っていると、自殺だったそうだ。数日経っていたとのこと。周囲から異臭がするとの苦情があり、警察が調べたところ見つかったようだ。
彼のことはよくしらない。4学年ぐらい下なので、同じ登校班にいたことと、兄と一緒に道路でサッカーかドッチボールをした記憶がかすかに残るぐらいだ。
噂によると両親が離婚して、父親と二人暮らしになった後に、喧嘩別れ。ガラスの割れた家でずっと暮らしていたようだ。
実家から離れていた期間のことなので、よく知らないが、帰ってきた時には、夜にフードを深く被ってコンビニから買って帰ってくる様子をたまに見かけるぐらいになった。
よくものを壊す音が聞こえたらしく、誰も関わろうとは思わない。
近所に住んではいるものの、自分の子供がいることを考えると、逆恨みリスクを取ってまで声をかけようとは思えない。
町内会の班長もやっていたタイミングで民生委員さんに相談すれば、何かしらの手助けなどができたのかも?自分がなにかできた可能性はこれぐらいだ。
田舎に行けば、若いというだけで重宝してもらえたり、(もちろん体力仕事を期待されるのだが)生きてるだけでも、なにか可能性があるのにと、見る方からは思えるが、
本人の前には何も希望が残っていなかったのだろう。
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
醜形恐怖症かは分からんが確かに可愛くなることに異常に執着してる感じはあるなぁ。
彼氏とか今を肯定してくれる人が出来るとか他に興味を移すのが健全だと思うが、荒っぽいやり方だと整形手術の失敗例とか見せてリスクによる恐怖でやめるように説得するとか。
程度にもよるかもしれないが高校生〜20代中盤までそんなもんだったよ
成人したら好きなようにさせるしかない
高校生とかなら頭ごなしに止めるのではなくちゃんと将来を考えたことを話してあげるのがいいと思う
自分も大学卒業してから顎の骨切りしたが、高校生や大学生の時にやりたくてもやらなかったのは、顎の骨は20代頃まで成長すると知っていたから
若い頃やっても成長でやったことが無駄になる事もあると知っていたので我慢した
あとメンテね
埋没くらいならいいけど、鼻と歯(セラミック)は一生メンテが必要
1回やって完成で終わるわけじゃない
そういう事を金額ありきで話してあげることくらいしか親はできないと思う
パパ活風俗で稼ぐ子もいるけど、あれは一部のそう言う才能ある人しかできない
金引っ張れる才能じゃなくて、目的のために妊娠リスクを負っておじさんとセックスしたり汚いおじさんのチンコ舐めたりできるという才能
これはみんな持ってるわけじゃない
単純に見積もれば
・お店に行く(1時間)
・帰る(1時間)
みたいになるかもしれないが
実際はその外部状況に強く依存する
そもそも何故ソファーを買うのか、買うのは確定なのか、ソファーじゃないものを買う可能性は?他のものを同時に購入する可能性は?
誰が行くのか、誰と行くのか、決定者は何人居るのか
そういう変わるかもしれないリスクがあるのは誰もが薄々気づいているのに
PMが実行者や、実行者に類する人に、「お店に行ってソファーを買って帰るには何時間かかるか?」と質問するからだ
その条件において、答えは4時間だし、どうこねくり回しても6時間だろう
しかし、外部状況により条件が変わったら簡単に丸一日になったり、1週間になったりするのは想像できるだろう
そこで再見積もりすればいいのだが、色んな理由で「4時間」が独り歩きする
例えば
・4時間後に別の予定が入っている
などがあると、4時間は条件の変更を受け付けず、4時間のままになる
全員の利害が一致していればいいが、例えば条件を変える人と、4時間じゃなくなると困る人が別だった場合
不都合は考慮されずに条件が変わり、実際のコストと見積もりが合わなくなるという事象が発生する
そうして発生した不足の爆弾で割りを食うのはまた誰になるかわからない
不都合が生じた人かもしれないし、その人が責任を押し付けたひとかもしれない
この流れで誰が悪いのかと言えば、やっぱりPMだよね
先日『山奥SEO』なるものが話題となりました。そこで、個人的に取り組んでみたところ問題点が見えてきました。
前回の”山奥SEOを実践してみた ニッチなキーワード策定から結果まで”を踏まえた上で解説していきます。
(なお、山奥SEOに関して柏崎氏の記事を参考にしてください)
市場調査と分析: 定期的に市場調査を行い、新しいニッチ市場の発見や成長の兆しがある分野に対して、柔軟に戦略を調整する。
山奥SEOは競合が少ないニッチ市場をターゲットにすることで、比較的簡単に上位表示を狙える一方で、検索ボリュームが少ないことや市場の成長限界、コンテンツの品質維持と更新の負担、基本的なSEO対策の徹底の必要性といった課題があります。
これらの課題を克服するためには、複数のニッチ市場をターゲットにする戦略や、ユーザー生成コンテンツの活用、SEOチェックリストの作成など、多角的なアプローチが求められます。
年齢:31歳
身長:167cm
年収:500万ちょい
趣味:漫画、読書、ランニング、OSS開発とかゴリゴリのぼっち趣味
彼女いない歴=年齢
知り合いが結婚して子供産んでて、「あ~、こういう生活もありかな~」とふと思ったから。
ちょうど年収も500万超えて、貯金もそこそこ貯まったから、まぁいい加減身固めるのもアリかなと。
半年ぐらい悩んで、女性経験ほぼないし、結婚相談所にでも頼るか~と思ったのが始まり。
なんか結婚相談所の広告サイト行って、なんかアンケート回答したら電話かかってきたのでそのまま相談所に行った。
まず最初に相談員からいくつか質問された。今思い返すと、正直もうこの時点でなんか暗雲が立ち込めてた。
思いつかない。「芸能人で言うとどんな~」とか言われても知らん。全部同じに見える。
学生時代に男ばっかの学部だった人なら分かるかもしれんが、女日照りにあうとどの女もそれなりに可愛く見えるアレだ。
困ったので「まぁ、普通の人で…」と回答。
一人暮らし長すぎて家事とか何とでもなる。逆に他人に何頼めるのか知らん。
これも困ったので「まぁ…、家事とか分担する感じで…。」と回答。
マジで何求めたらいいのか分からん。極力他人に踏み込みたくない。
告白はしたこともされたこともあるけど、いずれも玉砕。辛いとかよりホッとした。なんか恋愛とか正直しんどかった。
非常に困ったので「まぁ…、金銭感覚とか普通で、宗教とか変なことしてない人で…。」と回答。
とりあえず、「女性経験ないっす」は素直に相談員に言った。で、とりあえずいっぱい会って女性慣れしとけと言われた。別に話すくらいなんでもないんだけどね。
なので、「とりあえず手当たり次第に申し込むか~」位のノリで登録させられたマチアプを起動。
なんかこの辺で「あ、無理かもしれん」と思い始めた。
好みの相手を選ぶとかそういう次元ではない。綺麗とか不細工とかそういう感想すらなかった。そういえば笑顔って威嚇行為だったなと思い出す。
非常に困ったので、作戦を変えることにした。
とりあえずまあこのくらいならと思える年齢層(28~37歳)と生活圏(関東圏)で検索をかけ、機械的に月のマッチング上限数までお気に入りに登録。その後その他受け入れられない事項(宗教とか)を弾いて申し込む。
この際に特に見た目綺麗目な人は弾いた。美人にはいいイメージがない。
辛うじてマッチングした人と予定を入れ、会う当日までにプロフィールを見て話す内容を考える。
結構映画(ディズニー)趣味が多かったので、ファスト映画とか名シーン切り抜き動画に大分助けられた。
そんな感じでとりあえず6人くらいとお見合い。
途中で何で会って話してんのか分からなくなり、1回会って終了。
喫茶店で会ったが、カップを持つ自分の手が恐怖で終始震えていたのを覚えている。
話のペースが合わず、私の質問に明確に委縮したような場面があり、こりゃ駄目だと思った。
いい人だった。話が滅茶苦茶面白かった。
趣味の話で盛り上がったと思っていたが、向こうはそうでもなかったらしい。
フィーリングが合わないということで1回会って終了。正直もっと話してみたかった。
いい人だった。引っ込み思案な人で、あんまり自分のことを話さなかった。
デートの段取りや話題作りなど、私が決めることが多く、数回会ったところで私が疲れてしまい終了。
綺麗な人だった。サバサバとしていて、話していてちょっと怖かった。
ただ、時折見せる真顔?が滅茶苦茶怖かった。
性格は嫌いではなかった。2回だけ会ってフラれた。正直ほっとした。
そんな感じでとりあえず5ヶ月位が経過した。
このあたりで婚活無理じゃね?と思い、潔く退会。
ネットでよく聞く酷いエピソードを期待してたんなら申し訳ないが、正直皆いい人だった。
男ばっかりが支払いさせられて理不尽とか言われてるけど、何故か女性側が払うこともあった。まあ、行っても数千円の支払いなんて働いてんのに不満も何もないでしょ。
全部自分のせい。異性にも恋愛にも結婚にもとうとう興味がわかなかった。
正直異性と会うってテンションまるで上がらなかった。感覚的には仕事の打ち合わせで顧客先訪問する感覚だった。普段着ないスーツも着てたし。
マッチング決定からの見合いの日程決めでまず「え~、なんでこの人見合い受けちゃうの…。」と思い、その後「申し込まなきゃよかった」と後悔し、予定日が近づくと頭を抱えながら腹痛に耐える。その繰り返しだった。
そもそも美醜問わず「異性と会える」ってなってピクリとも昂らないのって男性として普通に欠陥ではなかろうか?(かといって同性にも微塵も興味はない。)
マチアプで数回会った異性にセックスまで持ち込めるほどの原動力があるヤリ目同性が羨ましい。初対面の相手というものが気持ち悪く感じてしまいそんな気持ちにはとてもならない。
結婚はしない、というかできないんじゃないかな~?と漠然と思っている。
少なくともマチアプで出会いを~、とかは無理なことがよ~く分かった。はいはい、自由恋愛市場についていけない欠陥品の弱者男性です。
他人が怖い上に関係進めたい意欲もないんじゃ恋愛も何もあったもんじゃないよね。
ただ、自分の三親等以内の血縁にいる子供が現状甥っ子しかなく、所有地や墓等の管理を出来る親族が将来その甥しかいないみたいな状況になるのは可哀想なのかなとは思う。こないだの能登の地震みたいなので所有地についての連絡が全部彼に行くような未来になるのは忍びないとは思う。そういう点では結婚とか育児はしといたほうがいいなとは思う。
さてどうするかな。パっと豪遊くらいなら出来るだろうけど、欲しいものも無ければしたいこともない。
将来はどうしようね。仕事にも住居にも人生にも飽きてるしな。いっそ終活でもするかw
めっちゃ伸びててビックリしてる。とりあえずコメント読んで気になったとこだけ。
男です。でも他のダイアリでも女性っぽいとは言われたことある。
・知り合いが子供産んでて〜
その知り合いの子供抱っこさせてもらって、あー、こういうのいいなって思っただけなんだけど、そんなに変かな?
・年齢層28〜37歳
まあ35歳以降だと高齢出産になってリスクもあるから、っていうのはあるけど、マッチングしないと出会うも何もないからね。
告白云々は学生の頃にたまたま女子と近くにいた時期があったときに若さで告白したことがあったってのと、社会人になってから職場内のBPの人に言い寄られたってだけ。
前者は玉砕の上、後々その子の彼氏から色々からかわれたし、後者は何か怖かったから逃げた。
違うんじゃない?普通にAVとかは見るし、性対象は普通に女性のはず。見た目もどっからどう見ても男だと思う。
自分がどうかなんて普通意識しなくない?少なくとも自覚するような場面はなかったけどね。
これは相談所利用してる人なら知ってる人もいるだろうけど、相談所入会するときにオプション料金(+4万くらい?)払うと相談所会員専用のマチアプも使えるのよ。
で、入会の時に相談員にこのマチアプの使用を強く勧められたから入れたっていう。
この選択自体は間違ってなかったように思う。相談所からの紹介って普通に一回りくらい上の年齢の人とか来るからね。
(希望年齢伝えたうえで45歳とか勧められたという。)
あと、そのマチアプだと確か入会後しばらくは新規会員って表記される期間があって、その期間は申し込みが通りやすいとかなんとか。
まあ、ずっと婚活してる人よりも始めたばっかの人の方を選びたいでしょ?ってことなのかと。
(間違ってたらごめん)
今は無いと明確にわかる。が、始めた当時は無くはなかった。女性に慣れてくればいずれ前向きになれると最初の頃は思っていた。
まあ、ただ振り返ると恋愛とか「まずはお友達から」ってノリで会うくらいの気軽な出会いがしたかったんだろうね。30過ぎて何を言ってんだとは自分でも思う。
でも結婚するための活動で恋愛ではないって意味わからなくないか?程度はあれ結局相手を知るイベントを経ないと結婚も何もなくない?
それが出来れば苦労はしねぇ…。