はてなキーワード: モンスター患者とは
お医者さんいつも目を充血させていて重労働で過労気味なのがみてわかる
たぶん俺のことモンスター患者だと思ってると思う
お医者さんの質問全部YES/NOの二択の質問しかしてこなく、俺すくない脳みそで頑張って選択して答えるんだけど、本筋から離れた場所を原因ととらえているみたいなアドバイスしてくる。でも俺としてはそこ原因じゃない、その問題もう解消しつつある、という認識
お医者さん「あなたギャンブル依存症なんですよ!転院先教えてあげます!」言いだして転院先に電話してみたら「会社辞める覚悟あります?」聞かれて無理答えたら「じゃあ無理っすねwwww」言われてそこで終わってしまった。
もうどうしようもなく精神科通えないからしかたなくレキサルティとストラテラ断薬して半年経った。被害妄想が止まらなくなってお仕事全然集中できずこれやばいと感じて、でももう八方塞がりでこれどうしたらいいか分からない
「うあー、NHK、勝手にワクチン接種のスケジュールを作らないでくれ。デタラメだぞ。」のリツイートで
ワクチン担当大臣だけが把握してない的な発言があるが、ちょっとだけ擁護してみる。
確かに一昨日、某所からワクチンの入荷数が接種病院に通知がありました。
しかしあくまで医療従事者用のワクチンであり、入荷数もその地域の医療従事者数には届かないものです。
まずはコロナ病床のある病院の医療従事者から接種され、次いで地域医師会の関係者に接種されますが、
6月末までに全自治体に冷凍庫は配備すると厚生労働省予防接種室は言ってますが、
ではいつまでに全国民の接種を完了させるかは明示されていません。
そして接種体制について、今コロナ患者対応で精いっぱいの医師達の中の
既に、地域医師会のコロナ患者非対応病院の医師を登院させる仕組みづくりを作り始めていますが
医療従事者のワクチン接種優先順位すらまだの状況の中、問題は山積しています。
また接種場所について、コロナ患者うようよの病院に、健康な市民が大勢押しかけて良いとは思いません
予約制で公民館などの施設を借りるなど、簡単に考えてしますがちですが、
ではその場所の衛生対策や時間予約枠組みや在庫管理などの仕組みを誰が担うのか、
某非国営放送局ではすでにワクチン接種が始まっているかのような、
6月末には全国民がワクチン接種できるかのような報道がなされています。
その日程の先行報道部分はデタラメということで、「そうなればいいよね」程度に国民の皆さんには思っておいて欲しい
それが今の状況です。
実際、5月末までには健常者にワクチン接種ができる状態にしてほしいと依頼されていて、それに向けて進んでいます
「ワクチンあるんやろ、本来無料やけど金払うから打ってくれ」だの「私は糖尿病患者だ」
などと言い暴れる人が一定数いて、無駄な人員を割かねばならない事態になる事を、
きっと河野さんは理解してくれていてデタラメだー!と発言してくれたんだと思います。
なので、ワクチン接種はまだか遅いと騒がずに、脳内で順番はまだまだ先だと落ち着いて
クーポン券が届くまで今しばらくお待ちください
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
そうだろうね
10年前くらいに医師不足とか医療崩壊が話題になった時は「医者は死ぬほど大変な仕事!モンスター患者滅びるべし!」な雰囲気になってたけど
今はそういう話が忘れられて、モンスター患者の話題が出ても「医者なんて儲けてるんだからそれくらいやれよ」的なコメント見るようになったものね
産科不足なんかも忘れられたよなあ
大野病院事件とかどれだけの人が覚えてるんだろう
無痛分娩の話題なんかが出ると「全員無痛分娩出来るよう医師は努力するべきなのに妊婦は苦痛を味わうべき的な思想ガー」ってさ
そもそも今の産科医麻酔科医の人数で出来るわけないだろ思想の問題じゃねえよ、って突っ込む人もいるけど僅かになった
ステータスとかそんなんじゃなくて、「良好な労働条件」「そこそこの給料がもらえる」「本人にずば抜けた能力無くてもOK」ということであれば、「市役所職員同士で結婚して共働き」が今でも最強。
【良好な労働条件】
・それなりにヒマな部署なら大体9時5時の勤務だったりする。ただしこれは部署によって全然違っていて、例えば財政の部署は一ヶ月泊り込みとかあるから、忙しい部署は死ぬほど忙しい。
・転勤が市内で引越しいらない。というか、転勤があまり無いし。(当然、国家みたいに全国転勤、県職員みたいに県内転勤てことも無い)。
・部署によるけど、有休もとりやすいし、産休も取れる。育児休暇もバッチリ取れる。まあ、本来それが当たり前であるべきなんだけど。民間で子育てして仕事もバリバリというと、川本裕子さんクラスの(もしくはそれに準じる)能力が必要だけど、市役所ではそんなもの必要ない。
【そこそこの給料がもらえる】
今の若手公務員はかなり給料が削減されてしまっているが、中高年は十分に高いから、共働きだとかなりリッチな生活が可能。
ボーナスは削減され続けているが、ある日いきなり無くなる可能性は低い(法令で決められてるから)。
あと労組が良くも悪くも超強い。一時に比べると大分弱くなったけど。
【本人にずば抜けた能力無くてもOK】
市役所に入るための試験は別に超楽勝というわけじゃないが(このご時世だし)、特に難関と言うわけでもない。フツーの人を採用するんだし。
一方、労働条件が良くて給料がいいということであれば資格職が思いつくが、最近は弁護士もソクドクやら090弁護士が出てきて大変だし、会計士は試験受かっても監査法人に就職できないから会計士になれないケースが多くなってきた。
官僚(一般の公務員とは区別する)だって東大法卒じゃないとそもそも出世競争に入りにくいし、それ以前に本来もらうべき報酬を後でいただくという「天下り」への風当たりが強いからカネとしては割りに合わない。
外資系金融でガツガツ稼ぐ人もいるけど、とっても頭良くて精神的にタフじゃないと続かない(大学の友人で某外銀で年収4000万円もらってる人がいるけど、自他共に認める超秀才だったし、労働環境が苛酷だから長期的に働ける仕事じゃないと聞いている)。
ただ、医者はモンスター患者とか苛酷な労働条件とかあるけど、上記の資格とかに比べると全然いいと思う。なるのが大変だけど。
【感想】
僕は市役所職員ではないが、市役所職員を批判する気は全く無くて、本来世の中みんなそこそこ働いてそこそこ給料もらえるのがいいよね、と思う(そういえば共働き公務員は給料カットとかいうバカ条例を出そうとした自治体があったな。内閣法制局にこっぴどく叱られて止めたけど)。
定時で帰れて、育児休暇もちろん取れて、ちゃんとした給料もらえて。
あと、「バブル崩壊以降のデフレ経済下で一番賢い投資家はアクティブに投信やら株やらを買ってる人じゃなくて(もちろん市場ポートフォリオに投資してる人でもなくて)、銀行に預金預けっぱなしのじいちゃんばあちゃんだった」という話と同じで、あれこれジタバタするよりも地元市役所行ってのんびり暮らしている人が一番コストパフォーマンスが良かったんだなあって思う。
ttp://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b158.html
学校に文句を言う「モンスターペアレント」。
全くその通り!そこに日本社会の病理の相当部分があるのは確か。
「・・・」
と、こういう労働消費者側のモンスター症候群によって労働供給者がブラック状態に追い込まれていくという事態は公私を問わず進んでいるようもありますが、
ま、いずれにせよ、「絶対善」とされる消費者のモンスター化によって供給者がブラック状態に追い込まれるという事態を的確に指摘されているはずのmojix氏が、こと「労働」という二文字を見たとたんに論理が反転してしまい、突如モンスター側に与してしまうというのは、なかなか常人には理解しがたいところというべきでありましょう。
モンスター社員、モンスター上司、モンスターペアレンツ、モンスターチャイルド、モンスター教師、モンスター教頭、モンスター校長、モンスターPTA、モンスター警官、モンスター犯人、モンスター容疑者、モンスター被告、モンスター裁判官、モンスター裁判員、モンスター弁護士、モンスター患者、モンスター看護師、モンスター医師、モンスター外国人、モンスター中国人、モンスター韓国人、モンスター在日、モンスター日本人、モンスター一般人、モンスター2ちゃんねらー、モンスターインターネッツ、モンスター怪獣、モンスターウルトラマン、モンスター政治家、モンスター有権者、モンスター知事、モンスターコメンテーター、モンスターアナウンサー、モンスター司会者、モンスター記者、モンスターディレクター、モンスターアシスタントディレクター、モンスターアルバイト、モンスターパート、モンスターヤクザ、モンスターコテハン、モンスターペット、モンスターハンター
俺や俺らと考えが違う奴らはとりあえずみんなモンスターな?
「悪い」っていうのは、「分からない」ってことなんだ。
なにやら分からないものが、音を立てている。
これは怖い。
名前は付いている。
「子供」であったり、「子供を持つ親」であったり、「新しい住人」であったり。
名前が付いていても、マンションの壁で閉ざされているから、見えないし、理解できない。
得体の知れないものが、音を立てている。
昔はお化けや妖怪のせいにできたのに、今はお化けも妖怪も居なくなってしまった。
替わりに出現したのは、モンスター隣人であったり、モンスターペアレントであったり、モンスター患者であったり。
彼らの正体は、妖怪の発する異音に怯える隣人に過ぎないのに。