はてなキーワード: メモ帳とは
まずはパソコンを立ち上げてメールの確認、それからメモ帳に書いてた作業リストを確認して作業を開始する。
だいたい15時くらいまで作業を進めて、以降は即日作業依頼に対応するため待ち時間優先での作業になる。
19時過ぎから仕事を翌日回しにするか考えつつ翌日の作業リストを作る。
19時30分になったら仕事を終えて着替えてジムに行って1時間か2時間ほど汗を流す。
自宅に戻ってお腹が減ってたらなにか食べるし、なければ食わない。
朝はだいたい7時くらいに目がさめる。
フリーランスなので自宅兼事務所でもいいんだけど色々あって住居は別にした。
車で10分くらいのところ。
分けてみると気持ちのスイッチが切り替わるのでよかったかもしれない。
そして朝はメールチェックと作業リストの確認からスタートする。
作業のやりとりはほとんどメールかLINEなのでたまに電話での打ち合わせがあるとかなり楽しい。
1日は本当に単調だ。昨日のことか先月のことか思い出せないこともよくある。
今日は火曜日で即日対応の依頼が多い会社が定休日で午後はかなりゆっくりすると思う。
まぁでもひとり者なのでだれも困らないし問題ない。
お金に困る状況ではないので、こんな感じで人生が終わっていけば理想かもしれない。
寂しさを埋めるのに猫を飼いたいと最近は考えてる。
もうすぐ午後がはじまる。
ある物が何であるかは設計思想ではなく使われ方の実態をもって決まる。
設計思想通りに使ってもらえないのは設計が徹底していないからだ。
いや、表計算は数ある機能のうちのひとつとして重宝されてはいるが、実体はもっと複雑で、
DTPソフトでもあり、DBでもあり、メモ帳でもあり、電卓でもあり、プログラミング言語でもあるような
「エクセル」というオンリーワンの統合ビジネスソフトになり果てている。
「エクセルは表計算ソフトです!」と主張する人に限ってそれを説明できていない。
取引記録や伝票のようなマスタを保持するのはデータベースの仕事だ。
それに対し適当な加工をかけるのも本来クエリでやるような話である。
つまり、「エクセルは表計算ソフトだからDTPとして使うんじゃねえ!」と叫ぶ人は、
まったく同じ理屈により、エクセルをデータベースとして使うことも否定しなければならない。
文書をワードで、DTPをパブリッシャーでと言うのなら、マスタはアクセスで管理しなさいとなる。
表とはただデータを保持するものではない。データを「表示」するものである。
表はデータを整列し、計算し、出力する全ての機能を備えていなければならない。
当然、DTP的な要素もあればDB的な要素もあってしかるべきだ。
そういった全ての要素が結びつき、さらにその上にVBAが乗っかることによってエクセルは
エクセル以外のどのソフトにも互換できないような唯一無二の使い勝手を生み出しているのだ。
表計算でもDTPでもDBでもスクリプトでもあることによって発生する独特の使い方のコツというのがあり、
それはそれぞれ単体のソフトだけを連携させている時には絶対に役立たないようなセンスだ。
自動車の操縦のように、エクセルというソフトを手に馴染ませる必要がある。
だから、DTP的な使い方しかできていないようなエクセルユーザーに対して指摘する時は
この前、
・ 「HTML書かなくてもいいんですよ!!」← 今はHTML書く時代じゃないだろ…
・ 「テキスト打つだけで見出しとか箇条書きとか書けます」← 増田でも見出しと箇条書き書けてるんだが
・ 「みんな使ってるからフォーマットのデファクトスタンダードになっている」← フォーマットならテンプレートを用意するもの
・ 「ExcelやWordで書くよりも検索しやすい」← なぜ突然Excelと比較を?
・ 「![タイトル](URL)で画像も貼れちゃいますよ!!」← 画像は選んで貼る時代じゃないのかよ…
・ 「書き方がシンプルだからタイピング回数が減ります」← スマホで ### とか半角にして打つのめっちゃダルいし、IMEでいちいち半角にするのもダルいけど
・ 「プレビューを表示しながらMarkdownを書けるエディターがあって便利」← 例えば増田はプレビューを見なくても書けます
・ 「あと、自動でHTML化できるんですよ!!」← 今はHTML書く時代じゃないだろ!!
…などという回答を得たんだけど、Markdownを使う利点(同じソフトウェアや、同じWebサービスで使わない場合と比較して良くなる点)が知りたい。
「〇〇ができる」と言う前に「それが必要でなくなること」のほうが大事。
【追記:2018/06/23 9:37】
当時はDSiの「うごくメモ帳」というゲームで、メモ帳へのコメント機能を活用してちょっとしたチャットをしていた。今使っているはてなIDもその時使ってた物。日記を投稿したりチャット専用メモのコメント欄に深夜まで居座ってチャットしたり。当時まだ中学生だった私はいろいろ拗らせてたから、荒れてるコメント欄に飛び込んで好き勝手遊んだりとかもしてた。
そんなことを繰り返してると何となく顔なじみ(顔は見えてないけど)になる人も当然出てくるわけで。偶然どこかのコメント欄で遭遇すると挨拶して雑談する程度の仲にはなった。
うごメモユーザーの中には、仲良くなった人にTwitterやmixiを教えてうごメモ外でも交流するって人もいた。けれど私はネット上でもコミュ障を発揮して、仲良くなった相手にもうごメモ外のアカウントは教えず、こちらから聞くこともしないでいた。
そんなうごメモ生活を続けるある日、はてなからうごメモサービス提供終了を告げられた。ゲーム自体は残るけど、投稿サイトが無くなる。今まで投稿したメモも無くなる。今まで残したコメントも無くなる。コメント欄でしか話したことのない人達との繋がりが無くなる。
そんな状況になっても私は外部サイトでつながろうという提案すらできず、仲の良かった人達とコミュニケーションを取る場所は無くなった。
せめて、いつか誰かが気づいたらいいなという微かな希望を抱いて、はてなIDのプロフィール欄にTwitterのIDを載せた。まあ誰からもフォローが来てないのでもう忘れられているってことなんだろうね。
10年近く経って、たまに当時のことを懐かしむようになった。そして一緒に思うのが、あの時会話していた彼らの現在のこと。
向こうはもう私のことを忘れているだろうから、わざわざ探してまた話したいなんて思わない。けれど、いま何しているのか、そもそも生きているのかくらいは気になる。
彼らもはてなIDを持っていたことは確かだから、増田を見ながら「この中にあの人たちがいるのかもしれない」なんて想像を膨らましている。
毎日足していって、どれだけ使ったかを可視化する。一カ月単位で考え、一日あたりの平均額も毎日出す。
自炊して価格をおさえたことが視覚化されると達成感があって脳が興奮する
もう一つはレシピ本やクックパッドを見て「作ってみたい」という好奇心を刺激する
あと、おいしくできたら「俺すげえじゃん」ってうぬぼれる。これが一番大事かもしれない
最近アイマスのライブでのコールが話題になったりならなかったりしてるじゃないですか。
というわけで、この前のミリオン5thのめっちゃダサい通常コール(※)とかについて思ったこと書く増田です。初投稿だから何も考えずにメモ帳に書いたのをそのままコピペしました。
5th編って書いたけど続きも前編もないです。
※通常コール……FuFuu!(ふっふー!) fwfw(ふわふわふわふわ) PPPH(オーイング) などのこと。
*Brand New Theater!
「円陣 組んで 目と目 合わせ」のところ、そこ追っかけしないでハイハイしか言わないのはなぜですか。「もっともっと熱く」は言ってるのに。
Thank You!とかの追っかけを踏襲してるもんだと思ってた。
「熱い熱い情熱で(FuFuu!)ジレるハートに火(fwfwfwfw)」
定番ですね。
fwfwしてるところがダサいです。
どっちもFuFuu!にするかFu・Fuu!にすればまだマシになります。
なんかのBDでFuFuufwfwの部分がFu・Fuu!に差し替えられてるのがあったけれど、どの公演かはもう覚えてないです。
公式的には「熱い熱い情熱(Fu・Fuu!) ジレるハートに火をつけ(Fu・ Fuu!)」なんですかね。
元の音源と修正音源が被って「熱い熱い情熱(FuFuFuu!) ジレるハートに火(fwfwFu・Fuu!)」になってたのが面白かった記憶があります。
*Blue Symphony
これまた定番ですけど、BメロPPPHがいらないなんてのは全員が思ってることなので書くまででもないです。
普通に「信じる翼(翼)」とかしたほうがいいですよ。
イントロのFuFuu!は結構好きです。後ろと前の音のリズムが違うから若干違和感はありますが。
これに入れるくらいならまだ瑠璃色とかRebellionとかに入れてた方が酷くないですよ。
メガトンボイスと5thでは聞いたんですけど、あんだけ後ろでドコドコしてるのにオーハイオーハイ繰り返してるのが信じられない。
CD音源聴きながらコール練習してみて違和感とかなかったんですかね?
ひたすらペンライトを振り続けて、コールするとしたら「もう一回 やってみよう 次こそは……!(HiHiHi!)」とかじゃないんですか?
それとサビ。
何もない。何もなくて逆になぜ?となる。
「ちぐはぐな夢だって(Hi!) でこぼこな道だって(Hi!) あなたが 信じて くれたら 大(Hi! Hi! Hi! Hi!)」とかにならないのはなんでだろう。
*ENTER→PLEASURE
「おいで! Clap(FuFuu!)And Smile(FuFuu!) いつだって(FuFuu!)踊ろうよ(fwfwfwfw)」
あと電子音な感じで(Hi!)って音?声?が聞こえるから、「おいで! Clap(Hi!)And Smile(Hi!) いつだって(HiHi!)踊ろうよ」とか良くないですか?
*UNION!!
こんなもんです。
後は煮るなり焼くなり燃やすなりしてください。
ここまで書いといてあれなんですけど、「FuFuu!」「Fu・Fuu!」って入るタイミングとか違うのでそのへん文字にするの難しいので各自学んでください(?)。
おまけ
*Spread the Wings!!
「Spread the Wings(FuFuu!) 行こう(FuFuu!) 今、羽ばたく(せーの!fwfwfwfw)」になると思います。
このへんのコールは別にいいけれど、「翼を広げて (君とどこまでも) あの空の彼方」とかのあたりでどっちを言うのかみたいなことになりそうです。
BメロでPPPHするくらいなら音に合わせてFuFuFu!とかやるほうがイケてます。
*夢咲きAfter school
小宮果穂ちゃんの「ナンバーワンッ!」聞きたくないですか???
コールとかどうでもいいんで落ちサビ前の「私たちの一瞬も染めるの…オレンジへ」の「オレンジへ」でUOを折ってください。
もちろん他の色とりどりのペンライトも持ったままです。
未来の色になって。
最後のLaLaLa…は、「LaLaLa~. LaLaLa~La. LaLaLa~. LaLaLaLa~La.」の繰り返しです。
もう20年近くここで働いてるけど転職したいとか、結婚したいとか
別のとこで正社員になりたいし、バツイチだけど若い女と結婚したいと
長く働いてるのにマネージャーとかでもない、昇進の話も蹴ってた
よその家庭をとやかく言うのはあれだけど、その歳で自分のママの話をしてるのはなんだか聞いてるこっちが恥ずかしかった
婚活するならお見合いパーティーとかで40代とかありますよとか
若い女と付き合いたいなら見た目こんな風にしたらマシとか
真剣に悩んでるみたいだったから自分のわかる範囲でアドバイスしたけど
「介護職はおれには合わないだろう」とか
「婚活パーティー(ネットで予約とか)わからないからしない」とか
高卒で20年以上フリーターで雇ってくれるとこあるのかよとか、現実見えてなさすぎるとか、なんで今まで手を打たなかったのかとか、喉まででかかったけど
ひとのこうしたらいいああしたらいいって話聞かないのに、相談ばっかりしてくるから最近はLINE無視してた
この間、いよいよバイトやめたらしく、決意表明みたいなものを打ったメモ帳のスクショ送ってきた
可哀想になってもう返事してない、連絡先も消そうと思う
なんでこうなるまで気づけなかったんだろう
高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。
自分の友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナーや暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。
あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカのファッションビルで、小さな舞台とテレビ局を内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校の女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそのファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台で撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集!テレビに出てみませんか」という告知が。趣味でコンビを組んでいた(学校の旅行とかで披露するため)自分はおもしろがって応募する。そしてその場でショートコントを3分ほどやった。コンビの相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。
そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。
卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京へ上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具とスクーターをもらって、経堂という世田谷区の小田急線沿線の駅に住む事になった。
本当になんのアテも無かったので新宿のビアホールでアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイトは大学生がほとんどであったが、友達に大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりわからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。
高校卒業時、服、特に「裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社に就職。一年間ほどそこで営業、広告制作、取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターやフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。
とりあえず働かなければ、ということで派遣のアルバイトでプレイステーション2のメールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラムが視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達と趣味で作っていたTシャツをインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネットの面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社に就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。
ウェブ制作の派遣アルバイトをしつつ、個人でグラフィックとウェブの仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュでサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックはフライヤーやメモ帳、DVDのパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントとディレクターとプロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。