この二つは似てますよ。
その議論の前に一つ主張すると、学問的な頭の良さと、勉強的な頭の良さは大きく違います。
学問的な頭の良さが「研究し、成果を出す」能力の高さなら、勉強的な頭の良さは「テストでいい点をとる」能力の高さではないでしょうか。
1.まず、答えのあり方について
確かにテストでいい点をとるためには「正しい解を効率的に一つ(またはあるだけ)出す」という能力が求められます。
しかし研究は誰も通ったことのない道を通る行為なので、正しい解というものがあるかもよく分かりません。解が求められたとしても
それは最善の解ではなく、次善の解であったりすることもざらです。さらにいえばそれを求める方法が一つとは限りません。大喜利のように
正しい解に繋がる道はいくつもあったりするわけです。何か定理を証明するにしても、それが正しいかもよく分からないし、証明する方法が一つだとも限りません。
答えがあるかも分からない、考えた答えが最善かも分からないけれど、目的に向かってタックルするところが学問とお笑いは良く似ているのじゃないでしょうか?
2.答えの文脈依存性について
テストの点において、それが一年前に行われたテストか、そうでないかで点が変わることはありません。
ただ、そもそも「面白い」ということが「答え」ではないと思うんです。例えばナイツはきっと40年度にみたら面白くないかもしれませんが
客観的に分析すれば、当時どうして受けていたのかについて一応の理屈がつくわけです。これは彼らがそれなりにいい理屈を出しているからだと思います。
ただその答えの価値、つまり面白さが文脈に依存している気がします。受け取り手がどう思うか、どう感じるかは時代、文脈によって変化していくわけです。
これは学問の世界でも同じです。200年前に重要だったテーマが今も重要である(評価される)とは限らないわけです。
マルサスの罠というものが昔はよく論じられていましたが、いまは全然評価されないとか。逆に突然、重要なテーマが出てくるときもあります。
例えばリーマンショックが起こったら、金融危機に関する研究が盛んになるとか。理屈が通っていれば解は出せるのですが、解の重要性は必ずしも普遍的なものでありません。
普遍的なものもありますが、それはお笑いも同じでしょう。古典落語とかまさにそうですよね。
よく面白い人は頭がいいというけれど、じゃあ頭がいい人は面白いかというと、そうでもない。なぜだろうか。それは、面白さというのは無限の解の一つに過ぎないからだ。大喜利を頭...
この二つは似てますよ。 その議論の前に一つ主張すると、学問的な頭の良さと、勉強的な頭の良さは大きく違います。 学問的な頭の良さが「研究し、成果を出す」能力の高さなら、勉強...
学問の世界でこれまでどんだけそれまで正しいとされてきたことがひっくり返ってきたのか知らんのか。 学問が「勉強的な頭の良さ」の先にあると思ってるなら、完全に間違ってる。
まあまあ。中高生にしちゃよく考えたほうなんじゃないの。興奮して夜更かしさせずに放置して寝かせてやれ~背が伸びなくなるぞ>元増田
勢い,「完全に間違ってる」と言ってしまってるように見えるが, 落ち着いて考えてみればそういう面もあるんじゃないかい(ニタニタ
落ち着いて考えてみたけどなかった。 たとえばどんな?
ぃま三次元球体が別れた。。 選択公理で分裂した。。 どんどん分裂してぃまゎ8体になってる。 ぅちに勝ち目ゎなぃんだって。 完全にかこまれて る。 っょぃ。 勝てなぃ。
まあ,勉強的な頭の良さという点では正しいかもね. ただ,学問というものが何かは分かっていないんだろうな. ようするにこの文章から分かるのは 「よく分かっていないものをちゃ...
いや、ま、なんでもいいけどさ、 増田は別に「勉強的に頭がいい」わけでもなければ「ユーモアがある」わけでもなさそうだし、 何にしろ、偉そうなこと言える立場じゃなくね?
デデキントって名前のポケモンいそうだよね。とか、 美容室で「デデキントカットでお願いします」って言ったらどうなるかな。とか、 そういう会話を日常的に繰り広げてるのが研究の...