はてなキーワード: ポパイとは
俺は高校、大学、サークル、バイト先、会社とどこでも最初はイケメン扱いされる程度にはイケメンなんだ。ここは疑わないで欲しい。
それにポパイを読んでNBを履きこなすぐらいにはオシャレだ。ファッション誌のスナップにも2回出たことがある。
なので第一印象は悪くない。
でも中身は残念なんだ。
まず、童貞だ。
でも童貞なんて怖くて言えないんだ。だって、見た目は良いのに童貞だなんて、中身が酷いって言ってるようなものじゃないか。だから言えるわけないんだ。だから、嘘ついてるんだ。
最初は喜んでいた子が、次第に落胆してきて、こっちを蔑んだ目で見てくるのがつらいんだ
顔がいいのに変だとか、残念だとか言われるのが辛いんだ
勝手に期待すんじゃねえよクソブスが。
でも、期待されるって面では、美人もこんな気持ちなんだろうな、って思うんだ
美人なのに、みたいな。身勝手な期待されてるんだろうな。それで、落差があると、余計ひどく思われる。(でも一方でダメな美人は男にはモテるよね。運動音痴だってかわいいってなるし、人見知りなことも初々しいってなる。俺も自分の外見レベルのまま女に生まれたら、って何度思ったことか。男のルックスって、営業力アップには貢献するけど、それ自体は価値を持たないんだと思う)
もう嫌なんだ。
そのままの自分を愛してくれる人がいいんだ
俺の魂を愛して欲しい。
追記
なんかブクマされてるようだから追記するけど、別にモテないのはいいんだけどさ、最初はキャピキャピ接してきた女の子が次会ったときは下に見られてる時のあのやるせなさはキツイんだよな。わかるかな、ダメな男に対する女の残酷な上から目線って心にくるよね。そして、またコミュ障が酷くなっていく。こう例えたらわかりやすいかな、見るからに運動できそうな転校生が、体育のサッカーで周りから期待の目で見られながらデビューしたら、超絶運動神経なくてカクカク動きで、周りに「あぁ…」て失望される感じ。フレンドリーだった周りのリア充サッカー部の奴らが、気まずい感じで距離おいていく感じ。もとから運痴キャラよりも辛いのわかるでしょ。
鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。
鈴木:僕は正直言います、告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったから(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。
庵野:そうですね……やっぱりアニメーションの技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。
鈴木:どういう技術が優れてたの。だって『バッタ君』好きだと思ったんでしょ?
鈴木:だって『EVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね
庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。
鈴木:41年。
庵野:戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。
庵野:ええ。
庵野:日本も東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカが世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術の集大成のひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。
鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。
鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。
庵野:ああ、それはよかったです。
鈴木:人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。
鈴木:見た?
庵野:まだです。
鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。
庵野:ピクサー、最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。
鈴木:(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピート・ドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。
鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。
庵野:アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。
鈴木:一切ないよね、あれ。
庵野:ええ。
鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。
内藤:映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。
鈴木:彼女が担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。
鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?
内藤:はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。
鈴木:チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供のときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供のときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)。
内藤:たしかに不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。
鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)。
内藤:えっ、幻灯機をですか。
鈴木:そうそうそうそうそうそう(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本の漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だから、ディズニーってのは商業的に上手くいったからね。
内藤:庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?
庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。
鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)。
庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。
内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。
鈴木:アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルがアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。
庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。
庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。
鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。
内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。
鈴木:世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカは復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパが戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカは復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。
庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。
鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。
庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後のクライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。
庵野:あれは凄いですね。
鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽の王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後のモブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。
鈴木:いやー、あれはすごいよね。
庵野:すごいです。
鈴木:こんな風に人がね、動いて、しかも人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときにラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)。
庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。
庵野:東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしますからね。
庵野:大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年)コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナン』からですね。
庵野:リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。
鈴木:えっ、裏になんかあったの?
庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。
庵野:1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。
庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって。
鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?
庵野:そうですね、あとは『カリ城(ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。
庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。
鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。
庵野:いいですよね。
鈴木:よく働いてた……。
庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います。
鈴木:作画4ヵ月だもんね。
鈴木:会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。
庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。
庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。
庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。
鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想と現実の――なんて言ったらいいかな。微妙にふたり違うんだよね(笑)。微妙に違うんだよ。
鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。
庵野:ええ、みんないい人なんですよね。
鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実を映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。
庵野:変えないですよね。
鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)。
庵野:まったくです。
庵野:なんですかねえ。
鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?
鈴木:高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。
庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。
鈴木:高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるものは創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。
庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。
鈴木:宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)。
鈴木:(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。
庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターだからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。
鈴木:やっぱそこなんだね。
鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?
鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)。
庵野:やっぱり、目と手ですよね。
庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。
鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。
鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)。
庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。
鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。
内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。
内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。
鈴木:あの作品を?
庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だから『バッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿がお墨付き、これ、っていう。そういう風に。
内藤:そこだけ切り取って。
庵野:調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。
(以下に続く)
最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。
http://hamusoku.com/archives/4026899.html
これみて一ファッション業界人として言わせてもらいたくなった。
少し語弊がある言い方になるけど、これはファッションではなくカルチャーじゃないのかな。
東京の原宿という土地ではこういう服もアリっていう原宿カルチャーみたいな。
正直言ってこの人たちの着てる服及びコーディネートは変だし、完全にリアルクローズ(普段着)ではない。
ここに乗ってる人たちが東北に行ったら(というか原宿近辺以外)に行ったら完全に浮くだろうし。
でも、原宿という場所ではこれは「アリ」なんだよね。
これはなぜかというと、原宿にはそういうカルチャーがあるからなんだよね。
ちなみにこの人たちは普通の服で電車に乗り、ラフォーレのトイレで着替える、といった事もあるらしい。
だからこの人たちはオシャレさんではなく、原宿カルチャー体現者みたいに呼ぶべきだと思う。
でもファッション業界ではこの人たちをオシャレって評価するんだよね。
そんな現状が個人的におかしいと思う。
元凶?はtuneていう雑誌とか
http://www.fashionsnap.com/ こことか
http://ridsnap.com/ こことかだろうね。
なんでファッション界では上のサイトとかよりメンズノンノとかポパイとか
http://xn--zcka4asan6g1gsg.com/ こことか
http://www.mycloz.com/ こことかに載ってるような
奇抜じゃないファッションは評価されにくいんだろう。
ファッションにカルチャー要素とかアート要素があってもいいと思うけど、カルチャーそのものをオシャレって呼ぶのはおかしいんじゃね?。
今もずっと。
モテようと思ったのは二十歳になる少し前。
なぜか大特もとってみた。
(当然だが)なにも変らなかったのでお洒落してみようと思った。
数万程度散財したあたりで気付く、まずデブじゃなに着ても無駄だと。
とりあえずダイエット開始。1年ほどかけて15kgほど痩せた。有酸素運動中心。
75kg→60kg
7kgほど痩せたあたりから、筋肉が大分落ちたのを実感して筋トレを取り入れた。
5年かけて7kgほど戻した。
美容室に行くようにした。
さて、ダイエット開始した頃からファッション雑誌をチェックするようにした。
脱オタ(オタではなかったが)しようとし始めた二十歳の頃はメンズノンノ、ファインボーイズ、ビダン、スマート、新創刊されるまえのホットドッグ
二十歳の頃から一貫してノンノ、WITH、モア、CamCan、たまにJJ
鍛えるためにボディビルディング専門誌を購読した。
筋トレを取り入れてしばらく経った頃、筋トレだけじゃと思いダンス習い初めてみた。
まあ踊るのはサッパリだが、180度開脚くらいはできるようになった。
今じゃ出来ないけど。
もっと早く買うべきだったかもしれない。
想像していたような、仕事以外の付き合いはまったくなく、学生時代同様にやはり休日は孤独で過ごす。
ネットで出会いを求めて街に出ろって書いてあったから、居酒屋を転々としてみたり、クラブで朝まで踊り狂ってみたり。
少々肝臓の値が上がっただけだった。
まあ元々雑学は強いほうだし、化学屋さんとはコンドームの材質の話で盛り上がり、ギャルとはアイメイクの話で盛り上がり、調味料から犬の去勢術まで上げたり下げたりしながら話せるようになったが、話の守備範囲は広いんだが、なかなか電話番号交換ってところに辿り着けない。
教養を高めようと思ったけど、なにしていいかわからないからTOEICを受験してみたり、高校の教科書を読み返してみたり。
なぜか宴会で役立つ一発芸をいくつも練習したり。
飲み会なんか呼ばれたことがないけれども。
この頃は迷走してた。
転属して仕事内容が変った。
新しい同僚二人と仲良くなれたが、(といっても電話番号を交換する程度)ほどなく二人とも会社を辞めた。
美味い料理や酒を知ってるといいと聞いて、食べ歩きするようになる。
キッチンもない部屋なのにスケーラー、塩度計、糖度計がある。
キッチンがない、そう、思い起こせばトイレ風呂キッチン共同の社員寮に3年も住んで一人も友達を作れていない。
職務質問された回数とたいして変らない。
暇なときは本を読むか、木目から女体を想像してみたり、コーヒー豆の割れ目から女性器を想像してみたりしてる。
骨を折った。
誰も見舞いに来ない俺を哀れんでた。
さて、転職する予定がある。
年収は大きく減りそうだ。
470万→390万(後日追記 二年目で年収は500万超えたからよしとした)
それはとにかく、なにか気分転換しないとどうにもならない。
自分から待ってるだけでは?っと言われそうなので先に言っておくと、自分から誘ったことも告白したこともある。
正式な告白だけでなく、デートを断られたこともカウントすれば、10回程はふられてることになる。
一度くらいアクセプトされれば、リジェクトされても次があるさって思えるんだろうけども。
そろそろ限界。
いやいや、日本こそ語る必要がなかったけど、外国こそ語らないと駄目なんよ。サブカルは。
外国ではマンガでいうと「ポパイ」のような暴力描写のものは駄目だし、(映画「バイオ・ハザード2」で子供を銃で撃たなかったり、映画「GODZILLA」でもアメリカ軍が負けるのは御法度とかいろいろある)
韓国では長幼の序を乱すようなもの、駄目でしょ。教師が悪役のとか。
ちなみに中国では結社の自由がないから工房とかスタジオのような形式はビクビクしながら作らないといけないらしいし。
フィリピンでボルテスVだっけ、マルコス政権下で強制終了させられたの。これ、オタキングのホラかな。
1970年代末期に小松左京が集英社文庫の「SFセミナー」で、SFこそ地球民主主義の基礎になると書いていたけど、
それから30年たってもそんな兆しはないし。
(話しは違うが中国や韓国では「金田一少年の事件簿」が読まれることはあっても推理小説が売れないってね。
確たる証拠とか人権とか論理的な推理というものに価値を認めない文化圏だし)
日本文化はマンガやアニメ以外でも童話から、幼少期から西遊記に代表される中国古典からサンタクロースに代表される北欧・キリスト教圏の文化まで違和感なく接しているけど、こういうのって世界的に見ると非常に希だと思うのよ。
そういった一切合切を「日本の子供文化」として括って、「オタク」ってのはその上に生まれて一口じゃ説明できないものになってるけど、外国人はその表面しか見てないでしょう。
タダでさえクリスマスを祝った一週間後に寺社仏閣で手を合わせる国民って奇妙だねって自分の文化を「外国人には理解できないだろうなぁ」って面白がって笑っているんだし。
参考:http://anond.hatelabo.jp/20080728045912
丸井ブランドで10000円前後のアイテムを買いあさる日々に飽きたら
ちなみに想定年齢は20-25くらいで、何かポパイとかメンノンとか、もしくはマルイか新宿伊勢丹かビームス(ストリートライン)な服を買ったりしていた人。「全身をスタンダードアイテムのみでまとめるべき」というわけじゃなくて、全身からとりあえず大学生臭さを消す、つまり、中身の人間が20代前半くらいまでな場合に、スタンダードじゃない(例えば)アウターとかを含めた全身をバランス良く仕上げるために便利なアイテム(&よほどオシャレならそれでもどうにかできるんだろうけど99%の人間にとって完璧に地雷なアイテム)
もうちと具体的に書くと
・大学院生
くらい
ちょっとピンクを見せる、とかそういうこと
上の記事ではアメアパになってるけど、や、これは俺の趣味かもしれないがアメアパは発色が大学生以下っぽくないか?よく知らんけど日差しの強いLAならあの発色、みたいな話だと思う。少なくとも東京の日差しには合わない気がするんだなぁ……
数千円以下でインナーとして便利な(例えば「今年買ったお気に入りのカットソー」とかの差し色として使えるという意味)Tシャツを見つければオールシーズン着まくれる
個人的にはヘインズのビーフィー(一枚入りパック1200円)のレディース(アメリカンなので別にインナーなら全然着れる)を勧めてみる。色によっては発色が良くないがピンクは良いよ。あと正直ユニクロは縫製が悪いか横方向に捻れるように伸びるイメージがある(昔に植え付けられたトラウマなだけかも)のであまり買わないんだけど、ユニクロのプレミアムコットン(1500円)も良いんじゃないですかね
●2:上質なカットソー
誰がなんと言おうと無地。そして丸首/Vネックで一定以上に上質なもの。Uネックは、実際問題として大学生、もしくは原宿あたりにいそうな感じの人感を出さずに着るのが難しい。一枚持っていても良いだろうけど、あくまでスタンダードではない
「スタンダード」というのは、結局のところ体型依存なので「万人にお勧め」というものはない
自分の体型に合い、かつ3000円に見えない「自分用定番」を見つけることに時間を注ぐべきだし、こういう部分でセンスが良い人間は本当にセンスが良いと思う
……そう言いつつ個人的にはユナイテッドアローズのビジネスライン(なのか?これを買うためのみにUAを使っているのであまりライン構成を知らない)の長袖8400円のヤツなのであまり偉そうなことは言えないんだけど……。あとフェイクレイヤードとか変なデザインは本当にマルイなので完璧に不要。今持ってる人はヤフオクでもフリマでも弟に押しつけるでも何でも良いから早く手放してください
●3:上質なシャツ
つってもシャツは下着(シャツの下に下着を入れるのは本当にやめて欲しい)なので出せる値段に上限があるはず。1万円前後でカットがキレイで一定程度に上質、ということを考えていくと、下町などのセミオーダーシャツは候補になるはず。というか他に候補がなかなかないような。一個でよいので高いシャツ(個人的にはバレンシアガが一番シックリくるので一枚だけ持っている)を買っておくと「同じようなカッティングで」と説明しやすいのでオススメ。セミオーダーは、「これと同じ」と言えないと一度や二度は失敗するのがデフォなので、それを考えれば「最初の一枚」に3万出しても実はあまり差がない(ただ3万で買ったシャツが「最初の一枚」にならないと本当に金がもったいないので徹底的に試着しまくるべき)
あと今思い出したけど新宿伊勢丹が秋くらいから1万強でセミオーダーを始める、とか聞いた記憶がある。新宿で作れればアクセス的に便利な人が多いと思うので、いや品質とかどうなのか今は分からないが、始まったら伊勢丹覗いてみると良いかも
●4:定番的に使えるスニーカー
プーマのヨーロッパラインとかデザイナーズとか、一瞬かっこよさそうなのはNG
基本的に選択肢はナイキ/アディダス/ニューバランスくらいしかないとは思う
この中で自分のスタイルにあうもの、例えばアメトラがベースなら必然的にニューバラになるだろう。そういうものを選ぶ。全身において、普通の大学生が見てもブランドバレするアイテムはここだけにすべき。決して「高い」感を出さないアイテムなのでブランド丸わかりでも良いし、逆に丸わかりであることが「スタイル」となる(ナイキでなくアディダスを履いている、そんな俺は……という)。あと今思い出したけど、バンド・オブ・アウトサイダースだっけか、トラッドにヴァンズ合わせてるスナップは(アメリカ人だけど)ハマってた。ヴァンズも履けていればカッコいい(ただ正直よく知らない)
コンバースは、別に悪くないけど、「コンバースが合う」って結構難しいよ。ギターキッズとか何だかよく分からない洋楽を語れる人間とかがそこらへんに溢れている以上、彼らよりコンバースを履ける自信がないなら避けた方が……。女の子が特になんだけど、高校生くらいの頃って、コンバースを中身の人間の特性として問答無用に可愛く履けるじゃん。男も何だかんだ言いつつそれなりに。でもその履き方は20代じゃもうできないし、「マジに履く」ということを考えると、コンバースは実は結構難しいよ、という話。君の彼女はそれでも「可愛い」と言ってくれるかもしれないが、それは良くも悪くも色眼鏡です。そう見てくれる彼女に感謝しつつナイキでも履いて下さい
そしてここで書いていない、特にパトリックとオニツカタイガーは、履ける人いるけど決して多くないので「取り扱い注意」。もちろん履けていれば何の問題もない
あといずれにしても「○○限定色」とかショップ別注とかの変な色は避けて下さい。「それが99%の人間にハマらないから定番色になっていない」のです(だから復刻とかはこの限りではない)
●5:上質な革靴
一番金をかけるべき場所。滅多に買う物ではないので4万以上は出すべき
先が尖っててちょっと浮いてる、何か新宿伊勢丹で売ってそうなヤツは本当に絶対にNG
なるべくクラシカルで普通の革靴。革は見る人が見れば値段は即分かるのでムダなデザインは一切不要。一足買えばリペアしつつ5年以上は履けるし、スーツにもジーンズにも合うのでムダはない。個人的には銀座のヨシノヤの一番スタンダードなヤツを勧めてみる(ただ6万くらいするので、何か臨時収入でもあった時に)
スニーカーとも共通だけど、靴を買いに行く場合、良く着ている服で出かけて試着をすると思う。そして靴を履いて鏡の前に立ったとき、靴が全身の中で、(良い意味であったとしても)目立っているとしたら、それは「一瞬カッコ良さそうに見える」というだけで、「自分はその靴を履けていない」ということです
その靴が、中身の人間を含めた全体に溶け込んでおり、かつ全体をサポートしている、例えば革靴なら「全体に落ち着き(?)を与えている」みたいな、そういう状態であれば履けていますし、買うべきです。だから●4で書き忘れたけど、平均的に言って華奢で虚弱な日本人の中で、ハイカットスニーカーを履ける人間は少ない。革靴にデザインが不要というのは、例えばウイングチップではなくストレートチップを買うべきという意味でもあって、理由は同じ。20代で、例えばウイングチップとかを溶け込ませることができる人間は少ないはず
体型依存なので「これ買っておけば良い」なんてものはない
リーバイス(501?)が本命だろうけど体系とご相談を。虚弱体型一歩手前な人ならGAPのスリムジーンズ(スキニーよりちょっと太い)とかも候補になるんじゃないかなぁ
おそらくだけど
・脱オタの人からするとキツすぎ
くらいがちょうど良い。スキニーは、金余ってたら買えば良いけど基本的に不要だし、中途半端にデカいパンツは、それがどんなにラクだろうと不要
そして体系にハマるパンツなんて、たぶん10本試着して一つ見つかるか否か。基本方針として金より時間をかけるつもりで納得がいくものを探してください。リーバイスと言ってみたが、個人的にリーバイスは腰とウエストのバランス(とかも見る)が合わないので長らく履いたことがないのでよく知らない。ごめん
チノとかで良いけど、「自分が定番としているパンツ、に合うサイジングのアウター、に対するオルタナティブなサイジングのパンツ」
これはブランドなどを定番化させる必要はない(そんなに買わないし履かない)はずなので見かけたらラッキー、で
ここでスキニーを入れても良いんだけど、汎用性を考えればスキニーより先にルーズシルエットだと思う。というかオールシーズン通してスキニーがオルタナティブになる、というのは、そもそも●6のサイジングを間違っているから(スタンダードはルーズよりはスキニーに近い)。スタンダード→ルーズの次に、まぁお金があればスキニーを買っても悪くはないんじゃなかろうか
●8:ポーター以外のバッグ
ポーターをカッコよく持てるのは相当な大人(何かデザイン関係の仕事をしてる感を全身で出せるなど)だけだということに気付くべき。持っている人間の99%は大学生かフレッシュサラリーマンにしか見えない。ポーター自体は悪くないので、むしろあれは高校生の頃に一度買って、30代以降くらいのどこか(30代ではないので知りません)で再び持つべきもの。20代はポーターを持つにあたって最も危険な年齢
あとメッセンジャーか。あれって持ち方は大体二種類だと思うんだけど
・本来の持ち方。チャリ文化。20代でもイケるとは思う。ただそれは全身のスタイルの中でしか成立しない。少なくともママチャリしか乗ったことない人間の、そのクセにポパイとかで仕入れた知識で選んだブランドのメッセンジャーは地雷になっているケースが多い
・プラダがたまに、NYファッションが割とよくやる都会の戦士像(?)からの流れ。そもそもあれを20代で成立させられる人間が少ない。どうせ20代なぞ若造
なので「99%」とは言わないけどかなり難しい
バッグは非常に難しい選択になってしまうが、スタイル次第ではグレゴリーかマウンテン系、古着屋の片隅に転がっているようなビンテージ臭の漂う、しかしあまり高くないレザーバッグ、お祖母ちゃんから貰ったお下がりのヴィトン(自分で買った感がない限りにおいて)あたりがギリギリで許される。しかしバッグはあくまで荷物入れであって「ファッションの主役」とかでは決してないことを認識すべき。他の全身合計より高いバッグを持っていても頭悪そうにしか見えないし、JAS.M.B(表記違うかも、UKチックなイセタンとかエディフィスとかでよく売ってるブランド)とかバレンシアガとか、ああいう方向でのデザインコンシャスは本当に辞めるべき。いや、全身100万とかをイヤミでなく着こなせる人なら、バレンシアガくらい普通に持てるんだろうけど。「物入れ」と考えた場合、10万や20万のバッグを普通に「物入れ」として持てるようになるはずの40代くらいになれば選択に悩むこともなくなるんだろうけど知らない
●9:バックルのウザくないベルト
なんか座ったら痛そうなデカいバックルのベルトは本当にマルイなのでやめて欲しい。それこそディオールのイーグルベルト5万(もっとだっけ)とかは正気と思えない。例えば同じディオールなら、数年前の極細ベルト(極小くるみバックルのやつ)は(スタイルが合うなら)買う価値あったような気がする。ただいずれにしてもブランド名を主張するベルトは全NG(ディオールの極細はファヲタしか知らんかなと思うのでアリかなぁと)。そんな場所でブランド自慢をするな
これもやっぱり革なので値段をあまり惜しむと辛い。2万円程度以上出すか、もしくは数千円のオモチャで(ただオモチャベルトは難しいんだけど……)
●10:上質なニット
ニットは「金が余ったときに買うもの」度が高い。別に無ければ無いで古着のネルシャツとかスウェットとか着ておけば良いんだし
正直1万以下のニットでマトモなものを見た記憶がない。1000円のTシャツは普通に着れるけど1000円のニットは本当にどうやってもムリです。その分シンプルな物、例えば黒無地タートルとかであれば、よほど毎日着ない限りは全然長く着れるので、お金があるときに買えば良いんじゃないかなと。だからデザイナーズはあんまオススメしないし、買うにしてもスタンダードライン。ただ胸に妙なものがあるニット(典型的にはギャルソンプレイ)は本当に恥ずかしいのでやめて下さい。あれを着ていて唯一許されるのは、女の子が下半身とかをマジにギャルソンファーストラインで固めて(つまりギャルソン信者という意味でもある)上にギャグっぽくプレイを着ているケースです。まじまじと見たことがないので知らないが、もしあの変な物をハサミとかで外せるのであれば、持ってる人はすぐ外して下さい。外せないなら諦めてヤフオクに
一個名前出すならジョンスメなのかなぁ……。別に人それぞれなので、お金持ちならマルジェラで買ってタグ切ったりしても良いとは思うけど
繰り返すが、別に無ければ無いで全然構わない
※正直「10」にするために最後のニットを付け足したので説明不足なので補足
ここで言ってる20代は、学生終わったら即大人とかって意味ではない。どうせ20代なんざ、学生だろうと社会人だろうと社会の中では若造だし、まだ30代ファッションはどうせ似合わない。それに30代で着れるものは30代で着れば良いじゃん。20代が「ポールスミス(女ウケブランド1位だった記憶があるので書いたけど別に何でも良い)の今期ブルゾン買っちった」と言うのは、何も否定されるべきものではないと思う(それでもその「買っちった」でブランド丸出しベルトとかバッグとか買うのは辞めて下さい)。ただ、せっかく買ったそれを大学生ファッションでしか着れないという、それはもう卒業しようよ、と
ニットなんだけど、
・ニットは基本的に新品同様でないと着れない
俺は、いずれある程度着古すことを前提にしている。もちろん最初は新品で、少しすると新品同様で、そしていずれ着古される。大学生ファッションの共通欠陥の一つは、安っぽい素材で中身の人間にマッチしていない新品服による全身コーディネートなので、体に馴染んできたニットは、中身と他の服の熟成度の足りなさをカバーするアイテムとして長い期間にわたって利用できる。ただ、ニットの質という差は着古すと新品時(であっても1000円は本当にどうやっても無理)よりさらに顕著になるので、正直1万以下で着古せるニットを、俺は見た記憶がない。だから丸井ブランドで買うよりは、30代くらいの知り合いとかが買って数年着て、その後メタボったので着なくなった、元は結構高いニットとかを貰ってくるべき(そして本当に無いなら無いで別に構わない)
ただ、体に馴染んできた後での活用って、あくまで20代のカジュアル用途限定なのかもしれないので、30代以降では、ニットをシャツより高い消耗品として買うしかなくなるかもしれない(けど基本的に知らないし30代の人に聞いて下さい)
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最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。
部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。
正月の一時帰宅を終えて、
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
ありふれた病気の、ありふれた悲劇。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
人は自分の信じたいことしか信じない。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
どんなに酷いことからも、経験を。
失ったものからは、愛情を。
束縛からは、解放を。
「頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
自分を迷路に追い込むだけだ。
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
それが自分のバランスを取るために、丁度良かったからだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。
それから数年して、私は妊娠した。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
愛と呼べるような感情は、まだわからない。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。
あまりの陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。
男だけど同じこと言ったことあるおれがやってまいりましたよwww
はーい。マジに回答すると、それはあなたがどうにかしてどうにかなる問題ではないのであきらめましょう。
でも、諦めからできることもある。ガウタマさんも言ってた。
おそらく、おそらくだけど彼女は仕事とかトラブルとかイッパイイッパイ状態なんじゃないかな。んで「なんとか身軽になりたい!」って感じてる。本能的な危機回避ね。かつ彼女もまた「付き合う」「恋人」という社会通念にひどく捕らわれてしまっているので、「一般的な恋人像」「恋人としての責任」「カノジョだったらせめてこれくらいはやってあげなきゃ」とか、背負わなくていい責務を自分に課してしまっている。
「デートしてあげなきゃ」「ニコニコ笑って話聞いてあげなきゃ」「セックスして気持ちいフリしてあげなきゃ」「アゲマンにならなきゃ」。
それらの一般的に「恋人業」として流布しているサービスを、わたしは履行できてないから契約を解消させてくださいすいません違う業者さんの方が安くていい仕事するみたいですし。みたいな。そういう「こんなダメな私があなたの恋愛機会を奪ってしまっている!」的申し訳なさが「別れましょう」に結実したと思われ。
まあ「ばかじゃねーのメディアにのせられ恋愛マニュアル主義。ポパイか! もう21世紀だぜ?」という感じなのですが、それを言っちゃっちゃあおしまいなので、彼の人は遅延戦術に持ち込むといいんじゃないですかね。おそらくその症状は長くて半年とかの期間限定のものなので。彼女のいまの仕事とかトラブルとかが解決/慣れさえしちゃえば「やっぱり○○クンがいい!」みたいになるよ。
社会人になって一年。ゲームやアニメ、マンガ、小説その他諸々サブカルチャーの二次情報を消費したり書いたりする元気がなくなった。限られた時間を思うと、一次情報を一分でも多くしっかりと味わいたいという気持ちになってしまうから。スタッフインタビューとか資料集とか関連ムックとかを昔は熱心に追いかけたものだけど、それらを追いかけることで作品そのものからはどんどん遠ざかってしまっているのではないか、という疑念を抱いて以来すっぱりやめた。一行の業界裏話を仕入れる間に『ギャグマンガ日和』なら一話観られるわけだもの。
二次情報に意味があったのは、一次情報にめったに触れられなかったり、一次情報が少なかったりした時代だけじゃないのかな。氾濫する情報の中で自分の指針をきっちり持って趣味人として生きる場合に、二次情報がもつ意味とはなんぞや? すなわち、感想ブログや特集雑誌のレゾンデートルとはなんぞや? ジャーナルな価値しか持ちえないなら、創刊当初のポパイみたいに((実物知らんけど。))情報が無機質に羅列されたカタログ雑誌でいいじゃないか。