はてなキーワード: カーストとは
世の中、力仕事や汚れ仕事(犯罪じゃなくて下水関係とか)も色々ある訳じゃん
筋力や体力は道具や機械で補えるかもしれないけど、積極的に自分からそういう仕事に就く人って男女問わず少数派でしょ
女性だけで回すとなると、単純にそういう仕事に就く人が半分以下になる訳だから、絶対に人手不足で回らなくなる
これをどう解消していくつもりなんだろう?
カースト的なものを作って、低層の女性労働者を強制的に力仕事や汚れ仕事をあてがう?
この場合は、力仕事や汚れ仕事に回された人達の不満をどうやって解消するか? という課題が発生する
MM2のマダムマッスルじゃあるいまいし、よそから男を奴隷としてとっ捕まえてきて力仕事、汚れ仕事をやらせる訳にもいかない
将来的にロボットがそういうのやってくれるようになるかもしれないけど、今はまあ無理だよね
私個人は東京の大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通の地方都市」のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和なものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています。
さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学の最後の学校行事」だということです。主催は地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人」対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室の雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサル山リバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)
ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的な役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの「構造」の比較検討は、フィールドワークの考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)
改めてスクールカーストを俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般の問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまいます。
\ | 学業成績が優秀(教員に従順) | 学業成績が不振(教員に反抗的) |
---|---|---|
コミュニケーションが比較的得意 | 「リア充」タイプ | 「不良」タイプ |
コミュニケーションが比較的苦手 | 「優等生」タイプ | 「オタク」タイプ |
以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます。
ほとんどが大学に進学。東京圏の地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京の私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。
当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから、同窓会後の2次会でも中心的な役回り。男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプの女性とワンナイトラブをキメたよう。
高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元」コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティの関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学進学者も一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方の大学に在籍しているよう(就職を意識してか、比較的理工系が多めであるように感じた。)
「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係が希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。
大学進学者が中心であることは「リア充」タイプと共通しているが、比較的国立大学進学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学の学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職を視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値や就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプと拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)
一部は大学での経験をもとに「リア充」タイプへの順応を見せているか。
大学もしくは専門学校進学者がほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生」タイプとのコミュニケーションを志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業後フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。
当時のスクールカーストに対して学歴で復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分の地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京の大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通の地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効な手段。
もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たちの世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在の就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生」タイプに提供される地元の就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタク」タイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。
うちの会社で、若い女もジジイも一緒になって「あの人は〇〇高校(公立)だから頭がいい」「私立に行くなんて親不孝者だね勉強出来なかったんだー」などと馬鹿みたいにはしゃいでてびっくりした。
公立高校(その県の中では偏差値トップ3)>普通の公立高校>>>>>私立高校 の順でみんなお馴染みのカーストがあるらしい
自分は他県出身だし、学費免除でもいいから来てくれと呼ばれて私立中学に転校し、そのままエスカレーター式で高校大学へ進学した人間だ。
だから某県の高校カーストの話をされても何一つ理解も共感もできない。
むしろいい歳した大人が10代半ばの頃のカーストにしがみついて人の優劣を決めるなんてきしょいなと思った。
大学カーストならまだしも高校の偏差値の高さって戦うフィールドが猫の額ぐらい小さいぞ。
多分これ、同意する人も多いんじゃないだろうか。スクールバッグにアニメのストラップを恥ずかしげも無く大量につけたり、いつもいつも見かける度にアニメやゲームの話しかしてない人って、大抵そうだ。
化粧やお洒落を「頭の軽い馬鹿がするもの」とか思ってる。多分、スクールカースト上位の人しかしないからで、彼女たちは上位者に邪険にされ続けていたからだと睨んでるんだけど、どうだろう。
別に私は化粧しないオタク女子に化粧しなよって言うわけじゃない。お洒落も別に、好きにしたらいい。
私は大学や街へ繰り出すのにパジャマだかスウェットだか分かんない素材の服だったり、化粧をしないのが気になってしまう気質だから繕っちゃうだけで。彼女らが気にしないならそれでいいと思う。
でもね、ひとつどうしても言いたい。化粧やお洒落をしてる人に、「そんなのしなくていいじゃん」って言うのは止めなよ。
今私は大学二年生。高校の友人に触発されてオタクになった人間だけど、中学の頃からスクールカーストは底辺だった。鞄にグッズもつけはしないけど、友達とオタク話してすっぴんで街に出ていってた。高校はずっとそんなんだった。
大学に入って、1ヶ月もしない頃くらいからかな。学部の友人が皆化粧をしてるから、私もなんとなーく手を伸ばした。
革命だったよ。肌は綺麗に見えて、顔色の死んでた顔に血色が宿って、目もなんだか少し大きく見える。見えるようにしたから当然だけど。
私にとってオタク活動が一種の自衛だったように、化粧も鎧みたいになった。
化粧したって性格までは変わらないから、努力して明るくなって、そこそこに人付き合いも増えた。
今までオタクでもない賑やかな子は苦手だったけど、案外付き合ってみれば良い子ばかりだった。多分、オタク期特有の思い込みがあったんだと思う。「化粧してて、オタクじゃなくて賑やかな子は性格の悪い脳足りんだ」って。サイテーかよ自分。
オタクって見た目が似てる。化粧しない、服も適当。つまり選民意識も高けりゃいっちょ前に自衛力も高い。
でもそうしたところで、化粧キメて服も整えて、スタバとかアパレルブランドできゃいきゃい騒ぐ眩しい世界の住人なんかにはなれない。
だから「あんなことしてる人達は派手で頭が軽い」って見下すしか出来なくなる。見下して、”化粧しないしお洒落もしない”自分を許した気分になる。これ、私の体験談なだけなんだけどさ。
リア充になりたいんじゃなくて、リア充がしてるような楽しいイベントとか、誰しも少しは憧れると思う。
でも大半のオタク女子たちはそんなの関われない。学生時代を彼女たちに怯えて過ごして、羨望が苦しいから、いつの間にか小馬鹿にすることで平穏を保つ。
で、環境が変われば人も変わることを、往々にしてそういう子達は受け入れない。
大学でも変わらずオタクグループ作って安心してたのに、そのうちのひとりがいきなり化粧し出して服も気を使い出した。馬鹿にし続けてた人種になり始めるわけ。
リア充イベントに憧れて、ちょっと経験したらすぐさまそういうのにしがみつきがちなオタクにとっては、そういう子って邪魔なんだよね。グループの調和が乱れるからさ。
だからだんだんその子と疎遠になる。この疎遠にされた子は嘗ての私だけど。
まあめっちゃショックなんだよね。
オタク卒業なんかもう出来ない域に来てるし、化粧もお洒落も一切押し付けた記憶はないし、何なら彼女らの前で話題に出したこともない。
顔を合わせる度「変わったね」とか「化粧なんてやめなよー」とか「学校如きによくそこまで気使えるね」って言われたけど、「楽しいから」くらいで終わらせてた。
オタク以外でもノーメイク、服もシンプルで流行とか気にしてない人はいる。
でもそういう人達にそんなことを言われた経験は無い。オタク特有の身内連帯感、執拗にカースト上位を見下す風潮、なけなしのプライド諸々がやっぱり原因だろうと私は思ってる。
肌が弱いならしなくてもいいんだよ。というか極論、したくないならしなくていい。化粧必須の業界に行かない限り、そういうのって自由だし。
でもさ、自分達がしない(出来ない)からって、押し付けるの止めなよね。
他人に化粧を止めたって、仲間外れにして元に戻って貰おうとしたって、貴方たちはそのままじゃなーんも出来ないままなんだよ。木陰でずっと陽射しを見てるだけだよ。
そのままで生きていきたいなら好きにしたらいい。
ただ、一歩踏み出して努力する子の足を引っ張ろうとするの、良くないんじゃない?
同類だけとぬくぬく仲良しして選民して、いつかきっと後悔するよ。少なくとも私は貴方たちの友達には戻れないし、学内で困っていても絶対に助けない。
Aちゃん。貴方が今人生初の彼氏になるかもしれないって食堂で大声で惚気てる人、実は学部の女の子の間じゃ「地味な子をとっかえひっかえするクズ」で有名なんだよね。
でも多分、騙されちゃうんだろーな。だってAちゃん達、狭いコミュニティに籠ってるから。
彼氏持ちの女の子を馬鹿にしつつ男子相手に食い気味に会話しにいってるの、陰で何人が嗤ってたかも知らないんだろう。
結局さ、化粧とか服に限らず、悪いことしてない限りは変化を受け入れてもいいんじゃない?ってこと。
今まで貴方たちは私のなにを見てたんだろうね?
同類って安心する材料だったのか、こいつよりまだ私はマシなオタクって思われてたのかは知らないけど。あーあ。ばいばい。