はてなキーワード: 養護学校とは
以前、アイドルに失礼なリプライを送って、それを本人に晒し上げられて炎上していた人がいたのだけど、その人は(ツイッターのbioにURLが載っていた)自身のブログにプロフィールを書いていて、どうもわたしと同郷のようだった。しかも生まれた年度も同じ、つまり同学年だった。
なのだけど、その人は「養護学校卒」と書いていたので、自分と同じ学校に通っていたというようなことはなさそうだった。
その人が自身のブログでしきりに書いていたことは、「名古屋に移住したい」ということで、多くの人は「なぜ東京や大阪でもなく名古屋なのか?」と疑問に思うかもしれないのだけれど、自分の地元からもっともアクセスしやすい都会が名古屋であり、しかしながら、その名古屋も特急列車で2時間半かかる距離なので、けして気軽に行けるような場所でもない。
田舎に住んでいる自分たちにとっては、名古屋は確かに憧れの都会だった。なので、その人の名古屋への憧れというのは、すごくリアルだと思った。
名古屋出身の人や、他の都市部出身の人は名古屋を悪く言いがちなんだけど、花の都会として、確かに名古屋に憧れている人もいる。ということは言っておきたい。
しかしながら、近年は東京へのアクセスが格段に向上して、東京も行けない場所ではなくなった。それに自分と同年齢、つまり30超えてる人間だったら、だいたい何度かの名古屋に行く機会を重ねていって、そのうちに憧憬も薄れていくものだと思う。
実際、そのブログの主もアイドルのコンサートとかで、たまに名古屋に遊びに行っているみたいだった。なのに名古屋に憧れ続けている。
養護学校卒ということは、仕事も限られているだろうし、けして自由になるお金も多くないのではないかと思う。そのなかでギリギリ手が届きそうな夢が名古屋移住なんだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20181128191150
この一文で増田が人でなしのように言われてるけど
地域によっては実際にあるよね
10~15年前の中学校の話
叔父さんの葬儀で部活を欠席した女子がいちゃもんつけられて顧問の男性教師に突き飛ばされて机に頭をぶつけた事件があって
傷や痣ができるほどじゃなかったから表沙汰にはならなかったけど
もうこいつクビにしろよって思ってたら次の年養護学校に異動になってて本当に愕然とした
そりゃあ熱心ないい先生もいるけど「30人学級を担当する力量のない人」が選ばれることも多いかなという印象
人数が多かったり難しい生徒が多かったりする学年は実力ある先生が振り分けられて消去法でちょっとアレな人が残ったり……
はてなーって凄くいいところに住んでるんだろうなあって思う案件がまたひとつ増えた
いや私が住んでるところが民度低いだけか
ちょうど一回り下の末弟には軽度の知的障害がある。二十歳過ぎてるけど、学校の勉強は小6くらいまでなら理解してるかなぁ?って感じの軽度。原因は遺伝性じゃない。というか、生まれつきでもない。まあ、原因の出来事があったのが2歳のときだからほとんど生まれつきみたいなもんだけど。今は社会福祉法人が運営している何でも屋で働いていて、変動あるけど月給三万前後。仕事内容は、掃除とか草むしりとか、同じ社会福祉法人の飲食店の店員とか。
彼は、私の影響か昔から漫画好きで、養護学校の中等部の頃にもう一人の弟の勧めでラノベを読み始めた。それから、小説ばっかりだけど読書好きになり、翻訳のミステリーにはまったかと思えば、図書館から宮部みゆきを端から借りてきてみたり。今の一番気に入っている作家は森見登美彦だそうな。
これって、サヴァン症候群でいうところの能力的に健常者と変わらない部分というもののような、彼の才能だと思うんだけど、長文読めるって活かせる道が思い浮かばない。
子供が発達グレーでずっと普通級でいけるのではと言われてきたが、年長の時に幼稚園教師から養護学級を勧められ、子供に普通の人生を送らせられるつもりでいた私はゲーゲー吐いて泣いて散々調べたり話したり苦しんだ末に養護学級をえらんだ。
発達グレーの子供は普通級に戻り中学高校と進学する子も多いが、公立の中学は発達のケアが手薄く、高校からは特にケアがなく引きこもりになる子供も多いと聞いた、就職や昇進してから引きこもり発達だと判明する事も多いらしい。
変に苦しめるより就労支援のしっかりした養護学校を狙い、家を買って障害者雇用の薄給で何とか食っていけるようにするしかないかもしれないと計画していた。
この前養護学級の担任と懇談をした。
私は沢山の子供を見てきたから判るがこんなに出来る子はめったに居ない発想力や知能が優れた子供だ、普通級に戻り私立中学高校大学と進める子だと思っています、私立中学の方が発達には手厚いですし特にここの公立中学に入った発達の子達は辛い事になる子が多いです、塾に入れるなら補修塾などではなく選んで下さい、教育費をかけてあげてほしいと言われた。
確かに子供は頭がいいと思う、親がろくに教えてないのに百均の漢字ドリルで沢山漢字を覚え、子供の質問に適当に答え掛け算は例えば3かける4は3が4個あるって事だよ、マイナスは0より少ないって事だよと教えただけで、幼稚園の頃には九九をスラスラ解けるようになっていたしマイナス計算も喜んでやってるし、桁がかなり大きな計算クイズもよく出してくる。
頭の良さを活かせる可能性有るのかー。
遠い知り合いっていうのは、「幼稚園の時にはお泊まり会したこともあるくらいの友達の、弟」っていう人。友達は異性だけど、学区が違ったから小学校1年くらいの時に1度遊んだくらいでもう顔もわからない。親同士は付き合いがあるらしくて、どこに就職しただの親が病気になっただの首になっただの転職したのだのいろいろ話しているらしいがこちらもアラフィフに足つっこみかけたアラフォー、そのくらいはいくらでもあるからエピソードに興味もない。しかも今回の相手はその友達ですらなく、当時は幼稚園にあがったかそうでないかの弟、一緒に遊んだ記憶も特筆すべき思い出もない。
その友達の弟が今週末にコンサートに出るらしい。養護学校だか特別支援学校だかの先生で、今回はジブリの曲かなにかをピアノで弾くんだとか。おそらく何らかの合同コンサートの一部だと思うんだが、曲目からしても全く期待が持てない。が前のほうでも書いた通り親同士は付き合いがある。もともとは親同居の妹が付き合いで行くことにしてたらしいがなにか他の用事が出来たとかでこちらにお鉢が回ってきた。ちなみに親は数年前から両耳難聴でコンサートはあんまり聞きにいけない。
土曜日の午後なんて布団に潜ったまま、平日に録りためてたHDDレコーダー消化に使いたい。おまけに招待されてるけど入場料は払うのだ。別に払うのがもったいない金額でもないが(500円)、面倒くさいことこのうえない。
どうせ渡世の義理で行かざるを得ないんだろうが、せめてものことで愚痴ってみた。嫁は面倒くさい顔をしている俺を見て一足先に逃げた。薄情にも見えるかもしれないが、俺も逃げたいと思っているのだから当然だ。
単に愚痴だけなので解決策は要らない。うんざりしながらコンサートに行くしかない。せめてコンサートの前か後にでも美味い飯が食いたい。
そもそも元増田自身は自閉症や統合失調症などの症状が無いのだろうか。
身内がそういう疾患ばかりなのに、女は発症しないとかあり得ない。
>少し調べれば分かることなんだけど自閉症スペクトラムや統合失調症の割合は、男性の方が多い。
>養護学校に行くと、あくまで体感的にだけど重症度も男性のほうが高いと思う。
それは違う。自閉症や統合失調症の男児が生まれたとしても、両親は普通に育てようとするけど、女児の場合は「世間に出すものではない」と判断されて、表に出てこないだけ。
日本では出生前診断で100%の男女の産み分けをすることは禁止されています。
※ちなみにパーコール法とかの産み分けは全く確実じゃないので選択肢から除外
父にも発達障害と思える特徴が強くあって、
やはり遺伝的に認知能力が人と違うところがあったんじゃないかと思う。
ちなみに同じ家系でも女性には自閉症スペクトラムはないと思う。
少し調べれば分かることなんだけど
養護学校に行くと、あくまで体感的にだけど重症度も男性のほうが高いと思う。
私は弟のことは好きだし大切だけど
でも、弟の将来的なケア+自分の子供も同種の障害をがっつり抱えてしまったら…
母は、弟の障害で仕事できなくなって、父もいなくなって、人生が変わってしまった。
なので、なるべくなら女児を産んで夫と自分の人生の安全率を上げたい!
まるで男女産み分けを望むことは悪、とばかりに禁止の記事がたくさん出てきて本当に驚いた。
2018年なのに、パーコール法とかゼリーしか方法がないのか…。
そりゃあ「将来介護してほしいし、次は女の子を出生前診断して産むね!」
っていう人にいい顔をしない医療者がいるのは分かるけど
私は、切実に、夫と私の人生をより高い確率で守るために女の子を望んでいるわけで
技術的には全く可能なことが、こんなに頑強に禁止されていることに驚いた。
たしかに、健康な子供が欲しい、こうやって障害がある子供をなるべく避けたいと思ってしまう私は
親戚に誰も障害者がいない人にも、子供を産むにあたって障害のリスクがあることはわかってる。
でも、みんな「自分のとこだけは大丈夫」と産まれてくるまで思ってるでしょ?
私は家族のこともあって、そうは思えないだけ。
産まれてから病気や事故で障害を持つことも、もちろん分かってる。
でも、それとこれとは確率の次元が別なので比べられないと思ってます。
私みたいな人が、その中のかなりの割合を占めているんじゃないかと思う。
送り返してくれる、というサービスがあって
お金はかかるんだろうけど、いいなと思ってる。
でも信頼できるのかわからない…
考えすぎかもしれないけど、人の受精卵と入れ替わってたら、とかどうしても考えてしまう。
なんか、国内で産み分けぐらいさせてくれよ、って思ったから書いた。
まぁ難しいんだろーな…っていうのは分かってます。。
選択肢としては
・子供を諦める
・養子をもらう
の4つぐらいか。
あーどうしよう…。
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追記
あまり私のような者が取るべきじゃないと思ってます。だから一番下に書きました。
健常な養子が欲しいというリクエストは傲慢だし(そもそも出せないし)
自閉症スペクトラムの傾向はある程度育ってからじゃないとわからない。
ぱっと惹かれる部分もあったけど、すごく矛盾した方法だと思ってます。
ただ、病気を防ごうと頑張る人は何も言われないのに、
私が自分の子供の障害を防ぐ手段はないのか…とふと感じたのが、この記事を書いたきっかけです。
これ自体、正しい欲望じゃないかも、というのも感じています。葛藤しかないです。
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あと、自閉症の子を持つ親御さんには、ものすごく申し訳ない記事です。
より介助が難しく、薬とかで精神的にも荒れていって
母が苦しむのを見ていて、私も苦しいし
弟が小さいときは、半自立みたいなところまで養育できる!って親も意気込んでたと思うけど
残念ながら、そうはならならず、生活すること自体に介助が必要です。
グループホームとかも全然立たないし入れないし、先行きはわからない。
施設なんて、親が生きて動けてるうちは
簡単には入れないと思う。わかんないけど。
それで、やっぱりなんとか確率を下げる方法はないのかな…と、考えるときがあって。
この記事に書いたようなことを感じるのは申し訳ないんです。本当に。
母や弟や、同じ障害を持つ方への気持ちではなく、私の人生の問題として
勝手ですが、気にせず読み捨ててもらえると嬉しいです。
コメントをくれた方のお子さんが、真っ直ぐに育って、頼りになる専門家と早い段階で巡り合って、楽しく生きて
親御さんも普通の生活を送れるようになるように、心から願っています。
薄っぺらくてごめんなさい。
その高校は県の中で最下位の、いわゆる底辺校だった。底辺校というとDQNの集まりだと思うかもしれないけど、DQNは全くいなかった。そのかわりもっと酷いものがいた。ADHDやアスペルガーのような発達障害、知的障害を抱えた人たち。社会から根絶され、他のどの高校にも行けない人たちが集まっていた。
その中は正しく闇だった。授業中にじっとしていられない人、まともに会話できない人、常にどこを見ているか分からない人、少しでも気に入らないことがあると暴れる人、黒板にうんこの絵を描いて喜ぶ人。不登校者も多かった。ゲームとラノベとアニメの話しか飛び交わず、誰も世間については無関心だった。テストの平均点が一桁なんてザラで、進路のことなんか誰も考えていなかった。やる気のある先生もいなかった。部活の大会等で制服を着て外に出ると、周りから後ろ指をさされた。
僕は頭がおかしくなる前に何とかそこから抜け出した。そのおかげで今では幸せで「当たり前」な生活を手に入れている。
でも彼らはどうだろうか。高校を卒業した後、どこへ行ったのだろうか。多分、何も変わってないのだろう。また社会から拒絶されて、居場所を探すか、自分たちの世界に籠もっているのだろう。
時代が経って発達障害や知的障害に病名が付き、それを持つ人々への理解が深まったとしても、彼らが「話の通じない人」や「変な人」であることは変わらない。いくら綺麗事を教えられたって、いざ彼らと面すると「嫌だな」「面倒くさいな」という気持ちが生じることを否定できない。彼らと一緒に働きたいかと言われて首を縦に振る人は少ないだろう。事実、僕だって意図的に彼らを避けてしまう。
初めに言っておきますが、私はダウン症の子供の母ではありません。私の書くことで不快になる方もいるでしょうし、全てのケースに当てはまる訳ではありません。
私の意見だけを鵜呑みにせず、自分で見て、調べて、考えてください。
出生前診断などでもしダウン症だったらどうするのか悩む気がする、また夫婦で意見が違うなど言う人は、特別支援学校などにボランティアに行ってみたらいいと思う。
これから書くのは、短いがそういう病気に関係ある人にはとても酷い内容に思えるだろうし、小さい頃の時の記憶なので実際とは違っているかもしれない。
この記事を見るくらいだから、恐らくネットなどで実際の子育て記などを見ている人もいるだろう。そういう意見も大切にして欲しい。それを踏まえた上で、第三者からのこれ以上ないほど身勝手な意見だとした上で、聞いて欲しい。
私が養護学校へボランティアに行ったのは小学校の行事でだった。その時は養護学校がよく分からなくて、きっと目が見えないとか車椅子の人達なのだろうと思った。
養護学校の子供たちにプレゼントの絵を描きましょうと言われたので、当時絵が得意だった私は気合を入れて絵を描いて持っていった。バスの中で、すごいって言ってくれるだろうな、と満足げに思っていた。
ところが、実際に会ってみると私の想像とはだいぶ違っていた。30人ほどのクラスの中で車椅子の子はいなかった。ただみんな私たちとは何かが違っていた。
一人につき一枚、みんなで絵を渡した。私は男の子に渡した。ありがとうとは言われなかった。何を渡されたのか理解している様子でもなかった。私の絵を褒めてくれることが無いことも瞬時に理解した。
それからみんなで歌に合わせて踊った。みんな楽しそうだった。たまに叫んだりする人がいた。
とても酷いと思われるだろうが、当時の私は、コミュニケーションを取れない人は人じゃなくて動物に近いなと思った。それは他の人には言えないが今も変わっていない。
いくらどんな記事を見ても、私を認識していない人とコミュニケーションが取れない虚しさや、一瞬で、なにか決定的なものを共有できないということが分かる感覚は味わえなかった。
だから、悩んでいる人に実際に会ってみて欲しい。そのうえで自分がどうしたいか考えて欲しい。
ひどいことを言ったが、よく天使と言われることがあるが、それは本当だと思う。みんな楽しそうだった。悩みも認識できないのかな、と思う。
軽度の人がいて、その人たちはコミュニケーションが取れる。自分がどう思うのか言えるし、人を気遣えるし、ちゃんと働ける。そういう人も見た。
表立って言えないが、困っていることがある。
私は学食でよく食事を取っているのだが、そこでよくアタマの不自由な方々の団体に出くわす。これは比喩ではない。おそらく近所の養護学校の生徒さんで、社会復帰の勉強をしているのだろうと思う。
付き添いの養護教員と思わしき人たちは本当にすごい。要人警護のSPのように常に目を光らせて、生徒さんが暴走しないように監視している。自分だったら3日持たないと思うようなきめ細かな仕事をしていて本当に頭が下がる。
そんな光景を見ていて、口には出せないけれど困っている。なにせ、生徒さんがときどき
「ヴォオオアオヲオアオアオオ!!!」
と絶叫しだしたりする。
良き社会人としては、そのような人々も笑って許すべきなのだろう。私は心が小さいのだろう。
彼らが怖い。
みんなが力を合わせれば強いとか言えば、聞こえはいいんですけどね。
例えば、学校に身体障害者が一人いたら、そいつのためだけにスロープ作んないといけない。
効率という点で考えたらまず割に合わないから、できれば養護学校に行ってもらいたい。
でも最近の空気だとそういうわけにもいかないから、採算度外視でやらなきゃいけないわけです。
いやね、バリアフリーなんか無駄だとか、そういうことを言う気はないんですよ。
「社会正義のために、余裕がある限り行わなければならない」というのは理解してるつもりです。
ただ、それは社会に余裕ができたから可能になったというだけのことで、
どこでも同じことが通るわけじゃないと思うんです。お前それサバンナでも言えんのかと。
それを多様性が効率の面でも正解みたいに言うのはさすがにちょっとなあと。
だいたい、どんなに優しいこと言ってる人だって、自分の畑に雑草が生えたら引っこ抜くでしょう。
人権がなければ当然そうなる。つまりあくまでもこれは人権問題なんですよ。
まあ、ヒロインの顔も体型も髪型も性格も同じアニメがあったらたぶん流行んないだろうけど、
それとはまた違うでしょうし。