はてなキーワード: 詭弁とは
ほんとどうでもいいネタ
フェミというよりオタクが自分の島を荒らされる危機を感じたりしてキレてるんだろ
影響を受けたのでは?となるとムキになって
パンを食べていたやつは全員犯人かと詭弁をいいやがる。それは自己防衛の末に考えついた必死の詭弁なんだよ。
こいつら自分で探す努力もせず映像で洗脳されて趣味をはじめてすぐに辞めるからな
だから献血でも自衛隊でもなんでも使い勝手がいいし聖地巡礼だとかいって、
買ういいかもなんだよな。
ひどい食べ物なんて意味不明なイメージしたカレーライスとかあるよな
なんでもプリントアウトしてれば買いやがるから利用しやすいんだよ。
Tシャツにプリントしたやつとか買って意味あるか?ポスターにあるのにさ笑
とりあえず献血でもドラキュラのキャラ(東方のスカーレット姉妹とか)に血吸うような
わかる。
まあわかる。
厳密に言えば「誰かに許可なくベタベタと触られない権利」くらいだが。
これはわからん。
ある種のマナー違反ではあっても「権利」というほど強いもんじゃないだろ。
プライバシーやセクハラによって説明すべきであって「見られない権利」なんてものはない。
論理的に考えて「触られない権利」は明らかに侵害してないというのはともかく、
「女性を性的な目で見る」行為がダメなのはひとえに「性的」という部分の問題であって、
「そもそも見るのがダメだから性的に見るのもダメ」という説明に落とし込もうというのは狂気の沙汰だ。
「男性が女性の身体に魅力を感じるのは『性的』なのか?」という疑問に答えなければならない。
また「誰かに許可なく」という部分がさらっと無視されているのも気にかかる。
萌え絵にしろグラビアにしろエロ本にしろ「許可」は取っているのだから。
つまり増田は「許可を受けて特定の女性の身体を見て楽しむこと」を
「『許可なく』『不特定多数の』女性の体を『性的に』見て楽しんでいい(というメッセージを送ることになる)」と拡大解釈している。
詭弁と言うほかない。
要するにそういうことなんだと思う。
みんな誰もが権力者なんだってことを忘れちゃいけないんだと改めて思った。
anond:20191016163058だけど、ちょっとブコメに誤読マン多すぎない? なんで? 3つくらい具体例を示してるのに何でそういう理解になるの?
こんな基礎的概念をいちいち説明するのアホらしいんだけど、消極的に~をやりたくないっていう自由が消極的自由で積極的にやりたいことやる自由が積極的自由ではありません。
行動を制約されず好きなことをできるのが消極的自由で、そもそもその行動のためのリソースを得られる、自由の物質的基盤を手に入れられるっていうのが積極的自由です。
「自由に書きたい本を出版したい! 国家に検閲されたり出版を禁止されたりしたくない!」という要求が消極的自由を求めているいっぽう、
「確かに検閲はないけど紙の値段高すぎて自由に出版できる状況じゃないじゃん! 政策的介入してもっとお値段下げてよ!」というのは積極的自由を求めている。
「好きなところに住みたい! 強制移住なんてさせられたくない!」というのを問題にするのが消極的自由で、
「確かに住居選択の自由は保証されてるけど特定のエリアにしか水道引かれてなくね? 実質的に選ぶ自由がなくね?」というのを問題にするのが積極的自由。
「お小遣いの範囲でならどんな本を買ってもお母さんは関知しません」が消極的自由で、
「でもお小遣いが月額500円じゃ新潮文庫も買えないじゃん! せめて3,000円ちょうだい!」が積極的自由。
「好きなイラストをポスターに描いても検閲されない日本は自由の国!」は消極的自由が保障されている状態だけど、
「でも好きなイラストを自由に描くためには画材を買うお金がいるよね。イラストレーターの給料が安くて自由に絵を描けない……」という状態ならば積極的自由が損なわれている。
「どんな性教育をしようが親御さんの自由です」が消極的自由で、
「でも事前に歪んだ情報が入ってくるような環境だと私がやりたい性教育ができなくなる」というのは積極的自由を求めているわけ。
こう並べれば、なんで消極的自由の方が重視されるべきか、なんで元増田の要求が積極的自由とみなされるか、ってのもわかるでしょ。
積極的自由も重要だけど、それは消極的自由のほうが重要だって認めた上での話でしょ。
現代自由主義では、消極的自由の保護だけだと実質的に自由が制約された状況(=積極的自由がない状況)が改善されないので、積極的自由も保護していくべきだと主張することが多いし、私もそれを支持する。
場合によっては、比較衡量のうえで、大きな積極的自由を獲得するためにささやかな消極的自由を犠牲にすることもありえるだろう。
でも、原理原則としては、消極的自由の方が積極的自由よりも重い。
最初の増田でも書いたように、国は俺に六本木ヒルズに住めるだけのカネを補助すべきだ、と主張したら頭がおかしい人だろう。この場合、俺が六本木ヒルズに住むための物質的基盤は保障されていないので、俺には六本木ヒルズに住む積極的自由がないことになる。でも、それを問題だと思う人なんているわけがない。
しかし、もしも、合法的に居住し家賃も毎月きちんと払っているのに、国が俺を六本木ヒルズから追い出したらどうか? それはひどい、住居選択の自由を侵害している、国家権力の横暴だ、とみんな怒るのではないか。これは俺の消極的自由が侵害されている状態で、それは多くの人に不公正だという感覚を抱かせるだろう。
多くの場合は、六本木ヒルズじゃなくて義務教育とか女子教育とか最低限の住居とかそういったものが賭け金になっているから、積極的自由は必要だ、と主張されることが多いんだけど、こういう極端な例を考えてみると、消極的自由は原則的に保護されないといけないけど積極的自由はまあ程度問題だよなという話になる。つまり消極的自由の方が重い。
これが消極的自由と積極的自由の違いだ。行動や動機が積極的か消極的かなんてこれっぽっちも関係ない。
なので、
いや、なんとなくおかしいというか、例示の文脈に恣意性を感じる。献血にくる人を増やしたいから人気漫画とコラボするって献血のあれは、どっちかと言ったら積極的自由って概念に入れるのが正確じゃないかと。
つまり公的機関が性的イラストを掲示したいと思う積極的自由は公の場で性的イラストを見せられたくないという消極的自由に劣後するわけね。筋の悪い議論
お色気イラストで客を呼びたい、なら積極的自由に、子供の環境に性的刺激を持ち込まないで欲しい、なら消極的自由になるような(´-`)既特性なんかも考えると視点によってがらりと変わるよね
詭弁。原理原則としては同意するが、当該問題への適用が雑。掲示は明らかに他者に広報(干渉)する目的でされているから積極的自由ともいえるし、これを差別表現とする立場なら見ることを強制されないのは消極的自由。
アホかこいつ公共の場所で性的な表現を披露したいって方が積極的な自由の範疇だろ、猥褻な絵画を見たくないがなんで積極的な自由の追求になるんだ
積極的自由と消極的自由”解りやすく言うと「やりたい放題やる」自由と「遮断したい」自由ね。でもそれ精神年齢とかで個人差あるモノだから間尺合う人とだけ付き合いたい
このへんのコメントは軒並み、問題文を理解していませんね、零点、でおしまい。漢字は正しく書けてるみたいだから部分点はあげようかな。
義務教育なんて積極的自由の最たるものでしょ。日本社会における消極的自由を実現するためには日本語の読み書き能力とか日本社会についての基礎知識とか計算能力とかそういったものが必要で、それを叩き込む――つまり、自由を実現するためのリソースを与える――のが公教育の役割。
言論の自由を実践するためには表現を世に問うための読み書き能力が必要だし、職業選択の自由を実践するためには望みの職業に就くためのスキルとかが必要だよね。
政府批判をしても逮捕されない、自由に好き勝手言える、といった消極的自由を保障されたって、日本語の読み書きが全然できない人とか日本社会の仕組みを全然知らない人とかは実際問題としてその自由を使いこなすことができないじゃん。だから最低限の消極的自由だけじゃダメで積極的自由が必要なんだよ――というのが現代自由主義では割と受け入れられている考え方だと思う。
積極的自由の恩恵は俺もお前もこの社会に生きるほとんどの人が受けているんだよ。
ただ、上で書いたようにあくまで程度問題。「女だから十分な学力を持っていても医者になれない」とかは直接的に職業選択の自由が侵害されてるから大問題になったけど、そもそも大学に行けるほどの教育を受けてないから医者になる道が最初からなかった、というのが問題視されることは少ない。医者になる気があって能力もある人間が性別を理由に選ぶ機会を奪われるのは消極的自由の侵害だから絶対にあっちゃいけないとみんな考えてるわけだけど、医者になれるだけの能力を育てる機会を持てなかったからそもそも選ぶ機会そのものがなかったというのは積極的自由が欠如していたということだから問題になりにくい。でもこれも直接的に奪われるのとは違った形で自由を持っていないともいえるよね。ではどこまで国家が介入するべきか? どのくらいの不自由までに国家が責任を負うべきか? というのが、現代自由主義でよく議論される点。
我々法学徒は民法の最初に出てくる「悪意」で、あっこの世界は字面を字面通り読むと単位がもらえないんだなーと理解する(理解できないと単位を落とす)が、一般人はそういう洗礼は受けていないので
文学部卒ワイ「なるほど~~~~~~~知らなかった~~~~~~~」
英語でもnegative libertyとpositive libertyだからこれ以外に訳しようがないんだよね……
句点毎に改行入れるのはわかるけど読点に改行入れる人って(´・_・`)しかも全部の読点に入っている訳でもなければ、句点との差や話の区切りの見やすさにつなげる訳でもない
流石にこの文章を読んで読点での改行の意図をご理解いただけないのであればずいぶんと日本語の読解力が、その、なんというか、必要最低限に届いておられない方なのだなという感想しか湧いてこないですね……
前の記事でもこの記事でも増田自身程度問題とわかっていながらその線引きを増田の正義における絶対的に正しいものと仮置きして喋ってるように見えるからいかんのでは?
程度問題って書いてるのは「積極的自由をどこまで保障すべきか」なんだけど私そこの線引きに関して何か断言したっけ? 義務教育は絶対に保護されるべき積極的自由だと主張したけど、そのほかの論点では特に断言とかしてないよね。
まあ、「何が消極的自由で何が積極的自由か」とかそういう話では線引きした上で断言したけど、私そこに関しては「程度問題」って言ってないよね。大丈夫? ちゃんと日本語読めて議論の流れ追えてる?
詭弁すぎるでしょ
じゃあフェミがメチャクチャなこと言いまくってるのもオタクがフェミの評判落とすためにわざとやってる可能性あるけど、それを無視してるオタクたちにも同じこといってるの?
もちろん気がついてると思うが、悪いのはお前では無い。会社である。
お前が新人でスキルも経験もないから、エビデンスをコピペする仕事しかないのか?答えはノーである。
その会社の、その現場では、スキルに関係なくその程度の仕事しかないのだ。
もっと頑張って信頼を勝ち取れば、プロパーからやりがいのある仕事を貰える?嘘である。
世間知らずの若者をSIerが騙す時に使う詭弁だ。信じてはいけない。
じっちゃんの名に賭けて言うが、その現場に振られる仕事は契約終了までエビデンスのコピペだけだ
そうなったらやる事は一つ、もっとやりがいのある仕事を求めて転職するだけである
ああアホらしい。全くもってアホらしい。
何がアホらしいかといえば、例によってはてブの連中のことである。
あいつらここ数か月のトレンドであった表現の不自由展騒動を通じて少しは賢くなったかと思えば、全然そんなことはなく以前の位置から1ミリも動かずに、以前と似たような話題で延々騒いでやんの。
言うまでもなくhttps://togetter.com/li/1417228のことである。
例によっていつもの太田啓子弁護士の適当に難癖を付けて周囲のフェミニストを焚き付けて、いい感じに燃え始めたら自分はつぶやきを消して「え、私、そんなこと言いましたっけ」となかったことにしようとする火付けしぐさなんだから「はいはい、いつものね」と黙ってスルーしておけばいいのに、こぞってブクマをつけまくってやがる。
まあ炎上と喧嘩ははてなの華であり、この手のエントリに大量に集ってしまうのは蟻が砂糖に群がるのと同列の種の本能レベルなので仕方がないのかもしれない。
しかし、群がるのは仕方ないとしてもこの手の騒ぎはもう何十回も繰り返しているのだから、多少は認識をアップデートしてもらいたい。
しかし、はてブの馬鹿は馬鹿なので今回の件が表現の不自由展とは全然別物だと考えているのだ。はははは、馬鹿だ。
はい、馬鹿丸出し。確かに「表現自体を許さない」とのたまったネトウヨもいただろう。立川流を名乗るワイドショーのコメンテーターもいただろう。
だがそんな過激な言い分はまともに取り合っている奴らはほとんどいまい。
クソ馬鹿がクソ馬鹿なことを言っているだけなのだから黙殺して何ら問題ないし、この程度であればいくらでも反論可能だろう。
あいちトリエンナーレの一連の騒動で、一番問題になったのはそこではあるまい。
あの騒動で真にクリティカルな問題提起は「こうした表現に税金を使うのはおかしい」というものだ。
実際こうした意見に同調するかのように文科省は補助金を打ち切ろうとして非難囂々である。
そしてこのような「こうした表現に税金を使うのはおかしい」という考えの裏側にあるのは何か?
それは、この世には『良い/悪い表現』『許される/許されない表現』があるという考えだ。
もちろん世の表現にはR-指定や18禁といったように、特定の基準で明確に線引きが行われることもあるが、それはどちらかといえば例外であろう。世の大半のアートや表現がでそうした線引きが成されず曖昧なままであることが多い。
にもかかわららず、アートや表現に対してこのような線引きをして、弾圧・規制される。
それに対する問題提起こそが「表現の不自由展」のテーマの一つだったはずなのに、それを無視して「表現自体を許さない」という一番馬鹿げた非難を持ち出して「まったく違う」などと主張してしまっている。わはははは、馬鹿だ。
表現の不自由展にしろ宇崎ちゃんのポスターにしろ、世にある表現を良い/悪いに切り分けて規制しようとする。
この二つの問題について「まったく同じ」というつもりはないが、「まったく違う」はずがないのである。
そんなこともわからないようであるなら津田大介も草葉の陰で泣いているであろう。
あとついでにこのアホな。
tikani_nemuru_M id:memorystock 「公権力による規制と大衆からの批判」という表現の自由を考える上での最も基本的な違いを指摘したブコメを見ても「きちんと言語化出来る人がおらず」とか口走るから「表現の自由戦士」っていわれちゃう。
と、例によって上から目線でドヤ顔を披露しているがここでidコールされているmemorystockが問題視しているのは、
memorystock この絵やキャラを守りたいのではなく、規制理由をきちんと言語化出来る人がおらず「NGじゃん」「本当に嫌」が規制派トップなのはアレすぎではと危惧するものです。挙句「戦士」↓のような無意味な侮辱に逃げるし。
とあるように、あのポスターの批判派がポスターを撤去するだけの理由をまともに言語化していないことである。
だから、もし彼の意見に反論したかったら、あのポスターを撤去に値するだけの理由をきちんと言語化して批判する。
あるいは、既にきちんと言語化出来ている批判意見を持ってくれば良いだけなのだ。
にもかかわらず、相手が「規制理由」と書いたのをいいことに「公権力による規制と大衆からの批判」の違いを理解していないなどとドヤ顔で上げ足を取るのは、詭弁以外の何物であるまい。この件についてまともに話し合いたいのではなく上から目線で小馬鹿にしたいだけというのがはっきり伝わってくる。
また「 「公権力による規制と大衆からの批判」という表現の自由を考える上での最も基本的な違い」などと抜かしているが、他のブコメでも指摘されたように、そうした大衆からの批判が公権力による規制に繋がる危険性が炙りだされたのが表現の不自由展ではなかっただろうか。
文科省の補助金不交付にしろ、河村市長の座り込みにしろ、いずれも大衆からの批判がなければまかり通るものではあるまい。
もし、大衆からの批判が皆無な段階でこのような横紙破りを行えば、新聞各社は文科省に対する批難を毎日のように一面で展開し、河村市長にはリコールが飛んだであろう。
そんな危険性をつい最近目にしたにもかかわらず、得意げに「「公権力による規制と大衆からの批判」という表現の自由を考える上での最も基本的な違い」などと抜かしているから本当に薬のつけようがない。そんなんだからいつまで経っても労働組合が政治運動をする理屈の続きが書けないのである。
ああアホらしい。全くもってアホらしい。
頭が悪すぎる詭弁だな
俺の受け取り方にまで口を出したいのか?それを許さないっていうんだよ
当初のリプライツリーにおける「許さない」の文脈ですが、私が「なんでいっちょ噛みしたの?」と理由を聞いたことに対して「いっちょ噛みで日記を書くのも許されないのか」という返答があったため、私は
と指摘したところにあります。
「『理由の質問』と『行為の許可』に関係があるかどうか」(俺の受け取り方)と「行為の許可」(それを許さないって言うんだよ)を関連付けてますね?
このように、あなたの議論は論点をずらしている(命題それ自身と、命題の中に含まれる言明の一部とを、恣意的に置き換えている)ことが明らかです。
あなたがどのような論を張ろうがあなたの自由ですが、詭弁を弄するのは少なくともあまり知的に誠実な態度とはみなされないかと思料します。もちろんあなた自身がどのようにみられたいか派あなた自身の選択に委ねられているわけですが。
救助された、とは言わないんじゃないの?
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20191007-00000035-jnn-soci
死んでいる人を運んだだけの話であって、救助というのは違うと思う。
だって、ヘリから降りて、脈拍が無いこと、呼吸が無いこと、位は確認してるでしょ。
医学的に死亡と断定できない、若しくは断定する資格が無いから死んではいない、
詭弁じゃないの?
「心配停止の状態で救助しました」ってもの、ニュースで聞くことが有るけど、救助じゃないよね。
きゅうじょ【救助】
救助というのは、生きているか/死んでいるか を問わないのかもしれないけど、
「救助隊に搬送されましたが、病院で死亡が確認されました。」と言うのなら分かるよ。
救助されたって言われると、助かったんだなと思うよね?思わない?
だから死んだと思われる人を搬送したのなら救助と言わないで欲しいんだよ。
分かってもらえないかな。