はてなキーワード: 委譲とは
この権限を強くしようと思ったら、大阪市の権限をそのまま大阪府の権限に委譲してしまうのが手っ取り早い。
その代わりに今までの大阪市とよばれていたものは、区という小さな団体にして、区内のしょーもない問題だけやらせればいい。
すると、
府議会は維新が過半数だから、維新は賛成し、自民党は少ないながらもちょっとだけ市議会のほうが多いから反対する。
今の大阪は上手く行っているのか、行っていないのか?で考えると、
正直上手く行っているとは言えない。
現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるんだけど、どうすれば良い方向に向かうことが出来るのか解らないとき。とりあえず何でもいいから変えてみようと思うんじゃない?どうせ今のままでは何も変わらないんだし。
やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいいっていうから、
あるある。んでマネジメントが一本化されてないの。みんながそれぞれにマネジメントしようとすんの。できねーのに、なの。
たとえば最初の案があるとして、直属の上司Aが指示して変更案を作成するの。でもその上Bに行くとまたひとひねりされるの。それってぶっちゃけ全体見ない小手先の変更だから訳分からんことになるの。でもBに言われたらAは「Bに言われた通りやれ」と言うの。そうでないとBの判子が貰えん、なの。でもってそれが訳の分からない案だから、その上のCから呼び出しで「なんでこんなことになってんの」って説明を求められるの。でもってAと一緒に呼び出されて「お前は黙っとけ」と言われて立ってたら、Cから「お前はどう思ってんの」と言われるから「正直○○とすれば問題は解決すると思ってます」と最初の案を言うと、Cが「それでいいじゃん」と言うの。ぶっちゃけここまでが一番シンプルな様式美なの。つーかこれは、Cで覆るだけまだ割と幸運な例なの。訳分からないB案のままでスルーすることも多いの。だから、どっちにしろ「全ての段階のバージョン」を残しておくのは必須なの。
ハッキリ言って、この「間のステップ」は全部不要で、最初から決裁権のあるヤツだけが口出すべきなの。そもそもこの程度の案件ならAに決裁権を委譲しとけ、なの。現在の日本型組織の根本的な問題はそこなの。
神奈川県警がまたやらかしてバズってるが、いくら警察を批判したり皮肉ったりしても警察組織には響かない。
なぜなら、批判や皮肉を無視しても、炎上したとしても、警察官やその上長の雇用が失われたり給料が減ることはないからだ。
今の警察官は仕事に対するモチベーションがある層は(組織の圧力に負けて)ほぼ消え去っており、日々ストレスなく過ごしていくのが最優先という人がスタンダードとなっている。この傾向は若年層の警察官ほど強い。
そうなっている原因は、なんと最近の婚活事情にあったりする。警察官は婚活で大人気であるが、その警察官ゲットに成功した女性が、その夫になった人に職務上の冒険を望まないからだ。嫁ブロックだ。
なので、いま警察をまともに出来る手段はない。解体したほうがマシである。
ネズミ捕りや事故処理などの自動車関連は、国交省でいいだろう。もしくはトヨタや日産ホンダなどの自動車メーカーに委託するか。
サイバー犯罪絡みは複数の省庁が凌ぎを削っているが、NISCを抱えている総務省が一番の適任か。
脱税とかのマネー犯罪絡みは財務省と金融庁の2か所が考えられる。
性犯罪は発生場所で管轄を分ける。例えば電車の痴漢については、鉄道会社に捜査権を委譲するのが良い。
残るのは殺人や暴行などの身体的犯罪への対処だが、この捜査権だけは警察庁に残し、あとの犯罪は他省庁に移管するか、民間委託するのが最適解と思われる
医学部定員が少ない理由は、医師会が枠の拡大に反対しているから
医師会が反対する理由は、彼らは市中の開業医の声を反映する組織であり既得権益を奪わられるのが怖いから
第二次安倍政権の成立に医師会は相当なバックアップをしており、安倍さんは医師会には逆らえない
そんなわけで医師の数は増えないが、医師の報酬は上がり続けている。診療報酬改革でも薬剤師給与や薬価が下がり、ボコボコ薬局が潰れ製薬メーカーがリストラの嵐になっても医師会の影響力で守られているのだ
もちろん、これからの人口動態を見ると医師を増やすことが必ずしも良いとは考えられない
その場合は、医師の業務をコメディカルに委譲するという選択肢もある
しかし医師会が政権への影響力を持ち続け、また医師会の組織体制が変わらない以上、開業医の経営を脅かす選択肢はまず現れてこないのではないか
https://togetter.com/li/1288806
まず言っておくのは、家庭での家事・育児の分担の話は、各家庭の環境次第なので、共感を得るような文章を武器に一般化しようとするのは好きではない。
また、どのようはモチベーションかわからないが、特定個人を叱責したログを公開するのは基本的にやってはいけないことだと思う。
その上で「育児の責任は両親に均等にある」ということには大いに同意する。そのため「『手伝う』は間違い」という意見はある種正論のように感じる。ただし、冒頭に書いたように各家庭の環境によっては同意しかねる。
リンク先の主張は「育児の責任は両親に均等にある」ということと思う。それは本当にその通りなのだが、家庭における「責任」は育児だけではないことを忘れてはいけない。
「家庭生活を成立させるすべての活動における責任が、両親に均等にある」のである。それには、育児・家事・収入・周囲との関係性の構築・その他が挙げられる。
では、それらのすべての項目について、両親で均等に配分するべきなのだろうか。これは誰が決めることでもなく、各家庭で相談して決めればよいので「そうだ、均等にする」という家庭もあるかもしれない。
だが実際にすべてを均等にできることはないだろう。責任は均等にあるとしても、得意不得意や状況を加味してお互いにこなすタスクを分担しないと効率が悪く、回らないだろう。
そのため実際にやるタスクには偏りができてしまうわけだが、お互いに「責任を委譲」していることを忘れないようにしたい。相手への尊敬は忘れずに。
他のバランスを考慮せずに育児のみにフォーカスし局所的にタスクを均等化してしまい、かえって片方の負担が増えてしまう、というようなことが起きないよう祈るばかりである。
出版権をきちんと委譲されていると、海賊版に対して出版権侵害で色々と訴えたり対応できるのよ。
出版権ではなく、単なる利用許諾だった場合は、権利者とみなされず、無理なんです。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/denshishoseki/10/pdf/shiryo_4_1.pdf
出版社としては、
・漫画家のセンセとちゃんと権利について整理して、出版権を委譲してもらう
・漫画家のセンセとちゃんと権利について整理して、侵害行為に対して出版社が代行する事を許可してもらう
って事を粛々と進めてクラウドフレアに対して請求すりゃ良いんだけど、
まあやりたくない事情があるんでしょう、と。
日本の竹島領有の直接の法的根拠はサンフランシスコ平和条約である。この条約の中で、日本が放棄する領土が定められており、この中に竹島が含まれていない。したがって、同条約発効以前には、韓国相当部分は日本領であったのだから、韓国併合前に竹島が韓国領であったか日本領であったかにかかわらず、竹島は条約に従えば日本領ということになる。
これを根拠に、確かに日本は竹島の領有権を主張できそうである。だが、問題は、条約は締結した国家間のみで有効ということだ。韓国はサンフランシスコ平和条約に署名していない。だから、サンフランシスコ平和条約を根拠に日本が何を言ったところで、韓国に対しては法的効力がない。
日本はサンフランシスコ条約の発効以前、米国によって統治されていたが、韓国による竹島侵攻は、条約の発効直前である。そして、この時の侵攻は米国によって排除されていない。武力衝突も起きていない。日本の漁船のいくつかが拿捕されたようだが、日本は軍事的には何もしなかったし、アメリカも何もしなかった。アメリカは竹島を放棄しているのである。
つまり、条約が発効し、日本が主権を取り戻した時には、すでに竹島は韓国によって占有されていて、日本に主権を委譲する時にアメリカはすでに竹島の占有を放棄している。これでも竹島の領有権が日本にあると言えるだろうか? 苦しいのではないかと思う。
いずれにせよ、条約を根拠に領有権を主張できるのは条約の当事者に対してだけである。韓国に対してはできない。ただ竹島を日本の主権回復以前から現在まで占領しているのは日本ではなく韓国だという事実だけがある。
したがって、総合的に考えれば竹島は韓国領と言うのが現状妥当であると考える。
どこか間違ってたら教えてほしい。
優生保護法メソッドのその後の展開の話まで踏まえて言ってんのか?
結果遺伝的疾患のアレやコレは出生前診断にその機能を代替させるに至るわけだが、
その出生前診断で「遺伝的な疾患がある」と認められた場合にその親は98パーの人間が堕胎を選択するんやぞ。
つまりは、優生保護法メソッドは責任の分水嶺を親に委譲したに過ぎず未だに運用されていると見ることも可能なわけよ。
(もっとも、それでも生まれた2%の子供が重要なのではあるが)
障害であるかそうでないかのラべリングをすることで98%の個体が死ぬわけ。
個性ってのはそれこそホモからゲイまでダイバーシティを持つことが本来正しいのだから、障害って単一のラべリングすんのはそもそも間違ってんのよ。
SNSって基本的に個人とSNS全体が直結してるじゃん。そうじゃなくて階層型SNSというか、集団行動が基本で、個人は所属するグループでしか世界と繋がれないSNSみたいなのを考えてみたんだけどニーズあるだろうか。町内会型SNSと名前をつけてみたんだが。
俺が知らないだけでこういうのは既にあるかもしれないな。
いつも行くお店から常連さんの行きつけの店に連れて行かれる途中で、どうやら駅前の駐輪場に留めた自転車が盗まれてしまってたらしい。
申し訳ないのが、「警察は信頼できない」をアホほど警察に対して発揮してしまったことだ。
というのも、駐輪場の管理会社に電話しても、まずは警察に連絡したかを聴かれて、酔っ払い的に「じゃあ、警察から連絡を受けたら、お前は対処するのか?」みたいな反応をしてしまったことだ。
自分自身、警察から捜査協力をされたことが大昔あったので、被害届をだしているうちに、あ~、自分めんどくさいタイプの人間になってるな~と思ったのである。
具体的には
「あなたが、被害届の記入をしている際に、自分の盗まれた自転車の捜査をするという言質を録音してもいいか」ということをあほほど訊いていたのである。
録音してもいいが、まずは被害届を出すため、防犯登録に関して教えてくれ、というのが警官の返答であった。
ただ、かたくなに録音に関しての言質はこちらには与えないという印象はのこった。
交番が自宅から近くであったため、防犯登録に関しての情報は速やかに提供することは出来たのだが、自分の自転車盗難について早急に捜査する旨の言質は取れず仕舞いであった。
まあ、そりゃそうだろう。
本人が施錠したことを主張しただけで、自分自身は、政治経済に何らかの影響を与える存在では決してない。うんこ的な存在である。
だが、本人的には、その日初めて会った、行きつけの店の常連さんに、二軒目の店で、現代社会に対して大いなる批判をかましていたところである。
そこに対して、自分の自転車が盗まれたことを陰謀だというのは、どう考えてもアホである。
だが、酔っぱらった自分には、市民の切実な願いを無下にする公僕という、求めるべき公僕としての姿勢が目に入るばかりであった。
分かってるんだよ。俺の自転車が盗まれたのは純粋にアホな足立区民が引っ張っていったであろうことは。
天下の足立区だぜ。どんな形であれ、多少オシャレなチャリはぱくる足立区民だ。
足立区に深い愛は抱いているが、深く足立区民を憎んでいるのが足立区民だ。
ただ、なんていうか、日々パトロールしている足立区に関する警官にすら、ひねくれた猜疑心を抱いてしまうのが足立区民なのだ。
今日も昼に、郵便局の郵便窓口で、自分より早く整理番号をとった人間を、いかにもずるなり、考えもつかないほど、悪辣な手段を用いて、先回りしたと糾弾する人間をみたが、
もちろん、そうではない人間も足立区には存在する。だが、区としての、区民としての利益を享受できるのは、
足立区に生活拠点を構えると、考え方すら足立区民に毒されてしまう。
日頃、ワンカップを手にし、区役所で、警察署で、安倍政権につい Conspiracy だと叫ぶ人間になってしまうのだ。