はてなキーワード: ペアレントとは
(追記)母親失格
なによりも、私のような者に時間を割いて意見を下さった方がいることに、非常に励まされた。
「私は死にたいなんて思ったこともなかったよ。
人間は明るく生きるのが一番!
他人に気ぃばっか使ってないで、
自信もって生きなさいよ!」
と励まされた。それでも他人に気を使うことをやめられず、
母からの愛も感じていたし、
母は努力家だったし、
こんなによい母から、なぜ自分のような者が生まれてきたのかと、
毎晩布団にもぐってこっそり泣いていた。
「生まれてきてごめんなさい」と心のなかで唱え続けた。
「自己肯定感」だった。
育ってきた環境の中で、本来身に付くはずものが身に付かなかっただけなのだ。
自己肯定感もそうだが、
なにかを身に付けさせるには、それなりのテクニックが必要だと思う。
正しい接し方さえされていれば子は育つと思う。
目からうろこが落ちたのを覚えている。
娘にも、自己肯定感を持たせることを第一に考えて接している。
しかし、長年他人とのコミュニケーションを避けて生きてきたので、
なかなか人並みに会話に溶け込めなくて今も生きづらい。
それはこれからでも経験を重ねてコミュニケーション能力を身につけていくしかないと思っている。
娘の生きづらさについて、
ドラえもんを例にするなら、
何事にも深く考えることはせず、
とにかく楽に、自分の好きに生きたいのだ。
それなのに私は、出来杉くんこそが人としての正しいあり方だと信じ、
娘にまで無理をさせてきた。
眠たがる朝にむりやり起こし、
まだ遊びたいという夜にむりやり寝かせ、
いやがる学校へ引っ張って連れて行き、
わがままには徹底的に叱った。
それこそが毒親と呼ばれる所業とわかりながら、
のび太のままでは娘があまりにも不憫で、時には焦りから強く叱ることもあった。
娘の障害を受け入れ、
娘は以前よりよい成長が見られている。
服薬も含め、劇的な効果があるわけではないが、地道に続けるしかないと思っている。
のび太はのび太として生きてもよいと、母業10年過ぎてようやく納得できてきたところだ。
そのように導く行動を重ねていくしかないと頭では理解している。
それでもやはり、のび太を受け入れてくれる社会があるのか不安になる。
それでも、してもらえることに感謝し、できないことには支援を求めるしかないと思っている。
娘は、世の中はめんどくさいことばかりだと感じているようだ。
先日の「死んでもいい」発言も、それが原因だと思う。
のび太が「生きているのがいやになった」と言えば、
我が家もいつかそうなりそうでこわい。
娘とは、一緒に生きがい探しを続けている。
飽きっぽいのでまだ見つかっていないが。
遺伝にせよ育ちにせよ、のび太ができそこないなのは不可抗力なのだ。
それこそが、私の心のわだかまりであり、
泣き言を言ってもどうしようもないのがわかっていながら、
のび太ができそこないなために、
のび太が子供を持たなければ、不幸の連鎖はのび太で終わった話なのだ。
のび太はただ、人間として普通の幸せをのぞんでいるだけなのだ。
ここに、
「毒親になるなら生まなければいいのに」という正論を取り入れるならば、
正論をわかっているにも関わらず毒親家系がなくならないのだと思う。
私が独身の誓いを立てていたにも関わらず、なぜ結婚したかについて、
決して誰かに強制されたわけではなく、夫に押しきられたわけでもない。
夫は優しく思いやりがあり、
生きづらい私を認めてくれて、
誰よりも一緒にいて居心地のよい存在だった。
この人を不幸にはしたくない。
この人は自分を認めてくれているし、自分はそこまでダメな人間でもないかもしれない。
そう思ってしまったのだ。
今思えば、彼が私でなければならないと言ったのなんて、
若気の至りで、一時の気の迷いだ。
やはり別れておけばよかったのだ。
それでもあの時の私は、
彼を不幸にする勇気も、
結局は心の弱い自分が、楽な方に流れてこうなったのだ。
今にして思えば、彼もまたのび太だったのだ。
彼は娘のことを常に気にかけてくれているし、
私の話も批判せず聞いてくれる。
これ以上を求めるのは自分の甘えかもしれないと思ってはいるのだが…
パチスロもやめられない。
めんどうなことは大嫌いだ。
娘のADHDがわかって初めて、
http://anond.hatelabo.jp/20160414143255
小学生の娘との何気ない会話で突然、
痛くないんなら別にもう死んでいい」
みたいなことを言われた。
娘がそんな気持ちになるほど、
生きることにつらさを感じていること。
自分のような者が母になってしまったことに最大級の罪を感じる。
自分も、小学生の時から、楽に死ねるものなら今すぐ死にたいと思っていた。
人に馴染めず、劣等感のかたまりで、生きているだけで周りに迷惑をかけていると感じていた。
今でも、困った問題がある度に、
生まれ変わって来世で苦労するとか、
自分は信じていない。
人より劣る自分が、
恥ずかしいとか、
情けないとか、
申し訳ないとか、
あと、痛みとか苦しみとか、
そういう生きづらさを感じずに済むことにただ憧れる。
もしも死後の世界とかがないとして、
生きていたのはただ、
親を悲しませたくなかっただけ。
そう思っていたけど…
夫に出合い、優しくされ、
この人を困らせたくない、
優しさに応えたい、
がんばって人並みになって、
この人を喜ばせたい…
そう思ってしまった。
それでも結婚前に何度か別れを申し出たのだが、
「がんばればなんとかなる!」
今となっては、そういった類いの正義感や優しさに、
憤りさえ感じる。
なんとかがんばって無難に過ごしていれば無関心で関わらない。
死にたがる人を救っているように見えて、
実は逃げ道を塞いでいるだけで、
がんばればなんとかなるとか言って、
娘が問題行動を起こしたり、
ただでさえ仕事でいつもいないのに、
もちろん、
娘のためによい母になろうと努力はしてる。
回避性人格障害とか、
だけどやはりなにかが人と違う…
それがなんなのかよくわからないけど、
生きづらさがなくならない。
娘にまで生きづらさを感じさせてしまっているのだと思う。
私が返した言葉は、
死なれるとつらい。
誰か一人でも、つらい気持ちにさせたくない人がいるなら、その人のために生きて。」
その時は納得してくれた様子で、何気ない会話で終わった。
ただ、このまま生きていて娘が幸せを感じられる日が来るか正直まったく自信がない。
娘はADHDと診断されており、痛みに弱く、ストレスに耐性がない。
何事にもがまんができない。
人と話すことを極度に恥ずかしがり、
学校に行くのをいやがっている。
またあるときの会話では、
「私は子供なんて産まない。結婚なんかしない。」と言っていた。
私はそれでもいいと思う。
さらに言えば、
いつか娘が本当に死んでしまいたいと思う日が来るのならば、
自殺したってかまわない、と、思っている。
娘には、苦しんでほしくない。
ただ、わがまま放題に生きてほしいわけでもない。
上手に人に助けを求められるようになってほしい、
娘が社会に馴染めるよう、全力を尽くしたい。
口がさけても娘には言えない本音。
娘に生きることのすばらしさ、正論を説きながら、
心の内では死に憧れている。
私のような心の弱い人間は、
すぐに他人に流される。
優しくされれば心折れる。
子供を生んで不幸にするくらいなら、
やはり親に気遣いなどせず、早く死んでおけばよかったのかもしれない。
(追記)
・保育園は増え続けている
みたいな事を言ってる人が、少子化解消のためにはシングルペアレントでも子供を産めるようにするとか女性が上昇思考を捨てて年収の低い男と結婚するようにするとかほざいていて、保育園がなくて仕事をやめなければならない女が、一人で産んで育てられるわけがないし、年収の低い男と結婚して子供を何人も育てられるわけがないだろ、何言ってるのか解ってるのかなこの人?と首をかしげたし、男からしたら気持ちいい話みたいで同意してるアホが多くてウワーと思った。
しかもこんな事をほざきながらリベラルだから、女を昔みたいに扱うしかないとまでは言わないよみたいに言ってるし、気持ち悪すぎる。
保育園が増えててもそれ以上のペースで子供を産んでも働かないと生活が成り立たない家庭が増えているのガン無視してるし、何で保育園反対って男にとって気持ちいいんだろうな?
一匹と九十九匹と 2 (ビッグコミックス) うめざわ しゅん
降矢木すぴかと魔の洋館事件 (YA! ENTERTAINMENT) 芦辺 拓
君の膵臓をたべたい 住野 よる
火星のプリンセス―合本版・火星シリーズ〈第1集〉 (創元SF文庫) エドガー・ライス バローズ
イリュミナシオン―ランボオ詩集 (角川文庫) アルチュール ランボオ
☆嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (文芸シリーズ) 米原 万里
NOVA+ バベル: 書き下ろし日本SFコレクション (河出文庫) 宮部 みゆき
カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生 渋谷 直角
GLASS HEART 「グラスハート」 (バーズノベルス) 若木未生
かもめが翔んだ日 江副 浩正
ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF) コンラート ローレンツ
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO) マーチン・ファン クレフェルト
重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る (幻冬舎新書) 大栗 博司
国のない男 カート ヴォネガッ
魔法とSkyTubeで生きていく (角川スニーカー文庫) 高野 小鹿
あの、素晴らしい をもう一度/再装版 自転車創業
猫と庄造と二人のおんな (新潮文庫) 谷崎 潤一郎
贖罪 イアン マキューアン
ファミリーポートレイト 桜庭 一樹
セカイからもっと近くに (現実から切り離された文学の諸問題) (キー・ライブラリー) 東 浩紀
今日もかるく絶望しています。 落ち込みがちガールの日常コミックエッセイ (メディアファクトリーのコミックエッセイ) 伊東素晴
アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国とパンク保育士奮闘記 (ele-king books) ブレイディみかこ
「反戦」のメディア史―戦後日本における世論と輿論の拮抗 (SEKAISHISO SEMINAR) 福間 良明
日本の文字―「無声の思考」の封印を解く (ちくま新書) 石川 九楊
未来を切り拓くための5ステップ: 起業を目指す君たちへ 加藤 崇
☆女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態 (単行本) 瀧波 ユカリ
☆僕にはまだ 友だちがいない 大人の友だちづくり奮闘記 中川 学
☆非言語表現の威力 パフォーマンス学実践講義 (講談社現代新書) 佐藤 綾子
☓友達がいないということ (ちくまプリマー新書) 小谷野 敦
あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知 高石 宏輔
私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな (一般書) ジェーン・スー
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 クラウディア ブラック
インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法 ジョン ブラッドショー
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた (知的生きかた文庫) ジョン グレイ
RESOLVE 自分を変える最新心理テクニック―神経言語プログラミングの新たな展開 リチャード・ボルスタッド
コア・トランスフォーメーション:癒しと自己変革のための10のステップ コニリー・アンドレアス&タマラ・アンドレアス
発達障害のある子どもができることを伸ばす! 学童編 杉山 登志郎
知的障害や自閉症の人たちのための 見てわかるビジネスマナー集 「見てわかるビジネスマナー集」
ペアレント・メンター入門講座 発達障害の子どもをもつ親が行なう親支援 井上雅彦
不都合な相手と話す技術 ―フィンランド式「対話力」入門 北川 達夫
イケてない男たちへ キミでもヤれるナンパの本 (ワニの本) 鍵 英之
30歳のファッションコーディネート ~普段着からイベントまで~ (おとなの教科書) 三葉
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) 平田 オリザ
昔の彼女・彼氏のことを悪くいう人って嫌ですね。一度は好きになった人なわけですよ。
さらに、その相手が有名人だった時、普段は「俺コイツと付き合ってたんだぜ!」とか自慢して注目を集めておきながら
その人のことを悪くいうのは最低ですよね。。
昔の肩書を書きながら、所属していた会社のことを悪く言うのも同じことのような気がします。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140122-00031853/
◆◆◆◆
この記事の否定から入ったところで、私は「明日、ママがいない」の賛成派です。
否定される皆さんは「ポスト」とか「犬」みたいなところを批判しますが、
それって作品のほんの表面的な一部で、全体を見るともっと多くのメッセージが伝わってきます。
◆◆◆◆
子どもにはどれがリアルでどれがフィクションかわからないとおっしゃいますが、
このドラマは平日の22時と深い時間の作品です。この時間は大人の時間です。
子どもに説明できない親は見せずに寝かせて下さい。
日本テレビ自身が無料キャンペーンとやってるから寝かせたところで
テレビを全部子供向けにしてしまったら大人が大人として学べる作品を
よっぽどゴールデンタイムのクイズバラエティの方が教育に悪いです。
クイズに間違えた人はバカにされて笑われている。これは明らかにリアルです。
いやいやタレントさんは「キャラ」を演じてて・・・という大人の人、
それを子どもに説明できるならフィクションのドラマくらい説明して下さい。
これからその子たちが出会うネット社会なんてもっと真実と嘘の区別がつきにくいのに
絶対にフィクションとわかるものをドラマを見分けられない子どもに育ててどうするんですか。
◆◆◆◆
作品を全部通して見ると私たち親に向けたメッセージが各話ごとに見えてきます。
第1話には母親より女であること、自分自身の都合を子どもに押し付けてしまった親の姿、
第2話では、母と子はこうでなければいけない。という思い込みを子どもに押し付けてしまう親の姿。
自分の生活を振り返り、こんなこと自分はしていないだろうかと見ていて怖くなります。
この作品を批判している人たちは、この部分があまりに図星で目をそらしたいだけなのではないでしょうか?
それを正当化するために、表面的な「ポスト」や「犬扱い」を言いがかりに否定しているのではないでしょうか?
この作品を見ると気持ち悪くなるとかおっしゃられる方々は自分を投影されているからではないでしょうか?
◆◆◆◆
子どもの教育を学校や塾に任せている現代の親たちに、自分自身を投影してもらうため、
モンスターペアレントとは学校などに対して自己中心ともいえる理不尽な要求をする親を意味する。向山洋一の命名とされる。略してモンペともいう。
モンスターペアレント(モンペ)とは「教師は偉い」「教師に従うのが当然」「親は口を出すな」という日本社会の儒教精神が体現された概念だと思う。子供のことで親が口をだすのは当たり前で、わざわざ名前をつけるのがおかしいではないか。
英語版ウィキペディアでモンペに対応する記事は"ヘリコプターペアレント"という記事だが、「過保護な親」という意味であって「教師・学校に文句を言う親」というニュアンスは、ほぼ無い。しかも異常に充実した日本語版モンペの記事と違い英語版「ヘリコプターペアレント」の記事は簡素である。ウィキペディアが全てではないが、ヘリコプターペアレンツは英語圏でそれほど問題視されていないと言えるのではなかろうか。
中国語版ウィキペディアの「モンスターペアレント」の記事はほぼ日本語版を訳しただけ。他の言語版はまともな記事がない。
これらのことからモンペはほぼ日本独自の概念だと思う。逆に言うと日本以外では「教師・学校に物を言う親」が普通ということでもある。
モンスターペアレントという言葉を生み出す土壌である儒教精神は日本社会の悪い部分であると思うので、日本にモンスターペアレントという「普通の親」が増えてくれると嬉しい。
返信ありがとうございます。
遅くなってすみません。
『光とともに』は半分ぐらい読みましたが、うちの子とは全然タイプが違うので、あまり参考にならないのです。
光くんもそうだと思うのですが、明らかに障害があるんだろうなという行動を、常にとるわけではないので。
また、コミュニケーション能力がむしろ高いタイプなので、自閉症とはまず思われません。
会話もスムーズですし、話もおもしろいと思います。年齢に似合わない言葉づかいもできます。
冗談や皮肉も言いますが、実は本気でそれを言っているのを誤解されているだけ。
その結果、本人はわかったつもりになっているし、周囲も理解しているだろうと思っていたのが、全然わかっていなくて、
トラブルになるという事例がほとんどです。
「言った」「聞いてない」
「約束した」「そんな話知らない」
障害がわかるまでは、とんでもない嘘つきで、悪党で、大人をからかって、舌をぺロリと出している子だと思っていました。
今思うと、とてもすまないですが、そうとしか思えないような言動が、顔色一つ変えずに、いくら叱っても出てくるのです。
……単に、言葉の意味や相手の言葉に込められた感情を理解できない上に、記憶能力が低いので忘れてしまうだけなんですが。
親としては、「また、適当にうなずいて、相手の言葉通りに言ったな」や「また、言ったことを忘れているな」と思うだけですが。
パニックにしても、授業の途中で、突然、怒りだして、怒って、怒って、怒りが止まらなくて、教室の外に飛び出してしまう。
外に出てしまえば、問題が解決したので、ケロリとしてしまって、トラブル自体を本人は忘れてしまう。
その結果、
「プライドを傷つけたかもしれないが、些細なことで怒るのでクラスの子たちがおびえている」
「家でなにかあったんでしょうか。最近、キレやすいので困っています」
というような事件が、担任の先生に聞いて、はじめてわかります。
先生や周囲の子たちからすれば、「プライドが高くて、ちょっとしたことで、傷ついて、キレやすい」と思われるのは仕方ない。
でも、違います。
障害があるという前提で分析をすれば、本人に理解できない言動があり、なにか適切な答えをしなければいけない。
でも、その行動の意図が理解できず、適当にしろということ自体がわからない。でも、答えを出さなくてはいけなくて、
考えに考えた末に、どうしていいかわからず、そういうときは「わかりません」と言えばいいのだが、
それがとても難しい。わからないことがわからないので。
心の中の葛藤を、ただ表現してみると、わけわからない怒りになったと。
「ははーん、処理能力を越えたので、フリーズしたな」と気付けば、電源を切る代わりに、「今は休んで、好きなことをしていていいよ」と教室の外の適当なところ(大体、決まった場所に逃げ込みます。掃除箱や図書室の棚の下など)に、ひとりにして放置しておいてくれればいいのですが。
こういう子の特性をどうやって理解してもらえばいいのでしょうか。
1対1で話をしていると、コンピューター相手に話をしている気がします。親に対しては理解できない言葉についていちいち説明を求めます。
ひとつのことを理解させるのに、1時間、2時間、あの子がわかる範囲で、細かい定義を重ねて、組み立てて、説明をする。
しかし、翌朝になると、まったく忘れていることもしばしばです。
来年は、中学で、こんな調子では、恐らくはまともに通えないだろう。
そう思うと、「もうちょっと早くわかっていれば」という思いがどうしてもぬぐえない。
流石に資金集めから始めて二浪したけど、ふつうに東大出ました。
いわゆる「ちょうえりぃと」と言われる職場に就きました。二年目です、年収500弱です、しょっぱいです。
奨学金の借金が500万あります。それから、両親からプレゼントされた借金が500強あります。
そういう生ゴミのような両親とは縁を切ったので、介護とかそういう心配はないです。一杯一杯です。
で、わたしが十代の頃描いた未来像では東大を出ればチンチン乾く暇もないうっはうはで
デカい家に住んで夜景みながらシャム猫を撫ぜつつブランデーを傾けてるはずなんですが、
そのわたしがなぜ、北国の地方都市で廃墟のような社屋でインスタントコーヒーを舐めながら増田をしなければならないんでしょうか。
全く理解出来ませんん、責任者は誰かと問いたいです。
この時期なのに暖房がいるとか、ここはもしかしてロシアとかそういうんじゃないかと思います。死ね。
そのくせ湿気は強く、天気は常に鬱々としわらじむしの連隊が部屋を時々行進しています。死ね。
それでですね、おかしいんですよ。
大体、私は偏差値で言うと70ちょっと。1000人に一人くらいの頭の良さのはずなんですが、
なぜ千人に一人の暮らしが出来ないのか。答えは簡単、わたし自身に生産性もしくは資本がないから。
組織の論理でしか生きられない、ちょっとデキのいい歯車ちゃんだからなんです。
資本の偏在を問題にするのもいいですが、時代遅れなのでもう少しべつのことを考えなければならない。
そういうわけで、ぶっちゃけ借金が減らないんです。煮詰めたウンコのようなクソペアレントとの手切れ金が500万。
その利子が年間14パーセントつきます。利払いだけでぼくの給料ぶっ飛ぶんですよ。
この調子で昇給すれば数年で返せますが、おかしくないですか。ぼく26ですよ、何故そのぼくが
こんな腐った地方都市で腐った生活をしなければならないのか。
東大出た26歳にはもう少しチンチンにかける余剰資本があっていいはずなんですが、
ぶっちゃけちんちんどころか胃袋にかける余剰資産もないんですよ、どーなってるんですかこれ。
たまにはすすきのに出て激安ソープ行きたいんですが。ていうか、東京帰りたいんですが。
それで、転職をしようにも私には巨大な借金に加えて北方領土に抑留中というビハインドがあります。
仕事はそれなりに忙しく、ぶっちゃけ転職活動する余裕ないです。二年目で有給取れるほど世の中甘くないです、ファック。
おかしいですよ、ぼくエリートですよ。何でトイレを拭いて流せる清掃道具を買う金ケチって雑巾使ってるんですか
世の中おかしくないですか。増田ども、なんかこんな俺にアドバイスもしくは慰めを寄越しなさい。
ちなみに新卒一年目に生活がパンクして、借金返済のために会社のちょっとした福利厚生制度を使いました。
こんなところにブッ飛ばされたのはそれが原因だと思います、要するに出世の目もないです。
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回、トヨタのプリウスのABS問題に対する対応が、全くなっていなかった事を説明した。ひとことで言えばここにたどり着く。
お客の不安を解消しないと駄目なわけで、それはフィーリングの問題だから車の問題ではないって、つまりこれはお客のせいにしているわけだねえ…。
トヨタのリコール問題があれほどまでに大きくなったのは、これは車の問題ではない、お客の使い方の問題だ、お客の感じ方の問題だと責任をお客に転嫁してしまったこの一点にある。これはクレーム処理の基礎のキも知らないことになる。
さて、いったい、クレーム処理とは何だろう?
たとえば目の前に怒り狂ったお客がいる。
このとき、あなたは「何をゴールとして」クレーム処理に取りかかればいいのだろうか? フィーリングの問題だと突き放すというお手本を日本の大企業トヨタは示してくれた訳だが、その結果が惨憺たる有様になったことは火を見るより明らか。実際に、その真実が「フィーリングの問題だった」としても、これは正しくないのだ。それはクレーム処理ではないと。
まず、ここをスタート地点とする。
考えてみよう。
ECサイトの店長のような仕事をしていると、クレームというのは必ず発生する。
トラフィックにもよるが、穏健な問い合わせまで数に入れれば、百件の購入に一回ぐらいだろうか。なので販売単価一万円のECサイトで月商一千万円だとすれば、月に十件ぐらいはクレーム処理をすることになる。
実際にはもっと販売単価が低かったり、もっと規模が大きい数人のチームのECサイトで、クレーム担当が立っていると言う状況だったりするので、もうちょっと件数が多いものであるが、せいぜい日に十件ぐらいにしかならない。
そういうと、思いのほか少ないと思うかもしれない。
実際、お客というのは、何か腹が立つことがあっても、わざわざ文句を言ってくることは少ない。なんと言ってもお客はわざわざ文章を書いて、それをメールで送ってくるわけで、そんな面倒な事をするよりも、ほとんどのお客は二度とその店を利用しないことを選ぶ。
ECサイトの人間が最も恐れるのは、この何も声を発せずに立ち去っていくお客で、むしろ声を上げてくれるクレーマーはありがたいお客なのだ。
また、楽天系のECサイトでは、マントラのようにクレームはチャンスという言葉が流布されている。クレームをわざわざしてくれる人に懇切丁寧に対応することによって、そのクレーマーが重要顧客に変わる、というマントラだ。
実際の所、わざわざクレームをしてくれる行動的なお客は、味方にし優良顧客に転換できれば、知人に積極的に宣伝をし、お客がお客を呼ぶ状態に持ちこめる確率が高い。つまり、クレーム処理でたった1人のクレーマーに適切に対処すれば、優良顧客の打ち出の小槌になる、そんな寸法なのだ。
クレームとはこんな状況である。
自社のサービスを利用したお客が、
支払った金額 or 労力の、
結果に納得がいかず or 結果が想像と全く違い、
怒って文句を言う or その状況を改善しようとする or 助けを求める
こうみてみると、クレームとは顧客の中で発生している問題であることが分かる。
一見すると、お客は「プリウスには欠陥がある」と怒って文句をつけるので、焦点が「プリウス」にあるように見える。このときに自己防衛的に「いや、プリウスには何ら問題がない」と言ってはいけないのである。
なんたって、これはお客の中で発生しているのだから。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
これを呟いてから、クレーム処理はしたいものだ。
そしてこう説明してみれば、分かるように、ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
しかし、このように書いてくると、かなりDQNなお客に引きずり回されるイメージがわいて来るだろうが、そうではない。クレーム処理をしながら、クレーム担当は、そのお客がいるお客か、いらんお客なのかを冷静に見極める。そして、こちらが誠意を持って対応してもどうも意味がなさそうだと判断すれば、さっさとそのお客は切ってしまう。
クレーム処理とは一種の投資みたいなもので、その投資に見合うリターンが貰えそうにないのであれば、商売なのだから、もう二度とこの店にはやって来ないことを覚悟して、いいようにあしらって(文句が出ない程度には丁重に扱って)出ていって貰う。
とはいっても、本当に真の意味でDQNなお客というのはほとんどいない。
大抵は、丁寧な対応をすれば、それに見合った態度を取るようになる。
困るのは、この真のDQNと優良顧客に転換できる普通のクレーマーは、しばらく対応をつづけないと、どちらなのか判断がつかないところにあるのだ。
そして、モンスター・ペアレントとか、パワークレーマーなどと言われる人々が増えているように見えるのは、この真のDQNが増えているのではなく、適切なクレーム対応が出来ていないことが原因であるように思う。
よくクレームにまつわる話で、あり得ないほど変な怒り方をしているクレーマーを馬鹿にする本などを見る。これは実のところ、クレーム対応に失敗し、お客を烈火の如くに怒らせてしまい、そのあげくにクレーマーがあり得ないことを言い始めなければならなくなってしまった典型例であるので、実際の所、笑われるべきはクレーム対応者である。
たとえばECサイトで、お客さまが商品が買えないと怒っていたとする。
ものすごい怒りようで、孫の誕生日にこの商品を送ってやるつもりだったのに、いったいどうしてくれるんだ、責任とれ! と来ていたとする。でよくよく調べてみると、そのお客は会員登録をしておらず、それであるならば当然に買えるわけがない。そうお客に告げると、会員登録はしたという。いや、してませんよ、いや、した。禅問答である。
この事態の真相は、このお客は会員登録フォームから会員情報を入力したのだが、メールアドレスに対して送られた認証用のURLをクリックしていないので、正式な会員にはなっていないであったとする。
このとき、
「というか、メール認証しないと、正式に会員登録が完了しないって書いてあるじゃんwww」
と笑ったり、
「というか、ヘルプぐらいみろよwww」
とお客を馬鹿にするクレーム担当がいたとすれば、ECの現場では張り倒されるだろう。
このときの正しい態度は、もしかしたらメール認証って言う言葉の意味が分からなかったのかもしれない、ひょっとしたら会員登録が済んだと誤解させる何かを見せてしまったのかもしれない、であって、顧客を笑うことではない。
基本的にお客というのはプロである販売員よりも、持っている知識が圧倒的に少ない。
たとえば、「プロバイダーメールのみ登録できます」という言葉の意味が分からないお客というのは、かなりの確率で存在していると思われる。
たとえこちらはそのサイトのシステムをデータベースから、何から何まで知っていたとしても、顧客からは完全なブラックボックスであり、少なくとも状況が全く分からないという事はお客を不安にさせる。
お客が不安を覚え、クレーム担当が適切な対応を取らず敵対してしまえば、お客は疑心暗鬼になり、もう何を言っても信じなくなるだろう。
これはプリウスに起こったことだ。
プリウスのABSのことを確かにトヨタの人間は熟知し、何が原因であるかを的確に把握していたであろう。しかし、お客からみればそれはブラックボックスで、不安の原因であり、フィーリングの問題だと一方的にお客のせいにされれば、もう態度は硬化し、いくら説明をしても「嘘をついている」になってしまう。
完全な敗北だ。
クレーマーは基本的に間違っているのだ。
これは事実である。
しかし違うのである。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
まずはここがスタートなのだ。
(つづく)
ペアレント・コントロールなんて、子供はどうせ抜け道を見つけてしまうのだから、
親として抵抗はあるだろうが、子供のPCにスパイウェアを入れることも考えるべき、
知人の場合、優等生の娘さんが、実は麻薬に手を出して売人と寝ていることも発見した! という投稿があった。
http://www.nytimes.com/2008/03/16/opinion/16coben.html?scp=1&sq=spyware&st=nyt
俺は今32で、18の頃からネット使ってるんだけれども、
なんというかなぁ、うちの子供がそのうちどうネットと関わっていくのか、
うまく誘導してやれるという自信がない。
年齢のせいか、俺はもう六、七年は、ネットで「新しいこと」をしていない。
匿名掲示板世代の、最後の生き残りみたいなもんだ。
俺個人は、現実の自分と、ネットとの間でつながりができてしまうことに、
心理的に大きな抵抗がある。ミクシィなり学校サイトなりに根を張って、
人格の何分の一かをネットに移してしまうような生き方がこれからは主流になってくのかもしれないが、
それにどう対処すればいいのか、見当もつかない。