はてなキーワード: ソーシャルとは
https://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/44,113873,c,html/113873/20210305-164749.pdf
東京都狛江市の新型コロナワクチン住民接種実施計画というのが公表されているのだが
「接種を希望する対象市民100%の早期接種を目標とします」とある一方で「【目標接種率】60%(約42,000人 延べ約84,000回の接種)」とある。
狛江市では医療従事者および 16 歳未満の接種対象外の人間は合計で1万3千人ほどいる。ということは、東京都狛江市はおおまかにいって人口8万3千人のうち2万8千人がワクチンの接種を拒否する、と見積っていることになる。このことから「60%」の母数が市民全員ではなく、「市民 - 接種対象外の人」であることがわかる。
東京都狛江市は、「どうせ40%ぐらいはワクチンを受けにこない」という判断をしている。自治体は日常の予防接種などのデータも持っているから、実際に普段ちゃんと接種している人は 60% 前後しかいない、ということなのだろう。
これが、東京の自治体が考えるリアルなのだろう。日本にけるこの 40% の人達のうちどれくらい多くが強硬な反ワクチン派で、どれくらいが単にめんどくさがっているだけの人なのかはよくわからないが、めんどくさがっているだけの人にしたところで今回だけ病気を恐れてやる気を出してくれると楽観するのは、あまりよくないと思う。諸外国においてもだいたい 40%-60% ぐらいの人が COVID-19 ワクチンに反対しているようであり、日本もまた「普通の国」であることがわかる。
そして、これをみると、とてもではないがワクチンの接種が「完了」したところで、いわゆる「ソーシャルディスタンスの確保」はやめられない、ということがわかる。 40% の未接種者が平然と外を歩きまわり遊びまわるようになれば、日本の極めて脆弱な医療システムはあっという間に再びパンクすることだろう。
「ワクチンを接種するかどうか」は(特に日本では)高度に思想良心の自由にかかわる問題であり「接種済みであることを証明する書類」などを携帯するように義務化することは(特に日本においては)難しいのではないかと思う。しかし、いずれそういう手段とか、あるいは接種を拒否する人に刑事罰を課すとか、かなり強硬な手段をとることは回避できなくなるのではなかろうか。
> なんで学生みたいとか子供みたいってバカにするのはOKなんだと疑問に思ってたけど
思ってないよ
ワイのnoteに対する印象
なんか blog を書こうかなって思った時、一番良いのは、note なんだそう
ある増田いわく、『流行りのプラットフォームなので人がいっぱい居てソーシャル機能が働く』のだとか
増田 (はてな匿名ダイアリー) の特性を活かして、嘘偽りの無い正直な気持ちを言わせて貰うなら、
・・・って感じ。3 に当て嵌まらないすべての人はべつに増田 (はてな匿名ダイアリー) でよくないですかね?
もしも、実名および半実名でコンテンツを発信する必要があるなら、Medium がいいね。日本語だけで閉じてないからだ
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
この増田あたりから、カズオ・イシグロのインタビューについて、やや的はずれな応酬が続いていると感じる。
彼が語りかけている対象は、単に(ソーシャル)リベラル的政策を支持している人ではない。
その上部構造、とくに文化芸術分野にいて、「自分の表現で社会の政治的信念を変えられる」と信じている人々だ。
とくに日本人のマス層は文化芸術に自分の気に入らない政治的メッセージが入っていると感じると、その事自体にアレルギーを示す。
娯楽の場に政治を持ち込むとは何事かと。
だが、欧米圏では、政治的メッセージがほとんど常に入っていること自体は当然のものと受容している。
とくに米国は、民主共和の苛烈なプロパガンダ合戦を常に全力で行っており、文化芸術もその闘争の場と考えられている。
もちろん、対立陣営のそれだと分かれば全力でこき下ろす。批評で叩き潰そうとする。
そして、その中で文化芸術に関わるものは、政治闘争の指揮官、上等兵である。
誇りを持って自分の信念と政治闘争のために、味方を指揮して、大砲を操りながら、果敢に戦っているのだ。
その基本戦術は、理屈ではなく、素晴らしい表現によって「感情を動かすこと」である。
これによって、味方に結束感をもたらし、理屈で説得できない敵を味方につけるのが、彼らの役割だった。
この力で他者を動かすことの正義を信じている人々が、カズオ・イシグロが語りかけている相手だ。
だが、近年は「文化芸術の場では圧倒的に勝っているのに、選挙で負ける」という事になってきた。
カズオ・イシグロが恐れているのもそれだ。
そこでは、ネットミームの応酬やIT広告技術など、政治闘争のルールが全く違う。
感情の操り方はより単純で、流布されやすく効果的な情報を大量に散布することだ。
副作用としてゴミ情報が世界中の人間の脳みそにばらまかれるようになった。
もちろん、カズオ・イシグロはそれに乗っかれと言ってるわけではない。
彼は表現の力を信じている。だからこそ、責任を感じているのだ。
感情で政治闘争する世界を生み出してしまったのは自分たちではないかと。
しかし、まだその信念を捨てるつもりもない。
今までのやり方ではうまく行かない、もっとうまくやろうぜ、俺たちならできる、と言っている。
文化芸術も、感情至上主義を捨て、理性と科学と対話に重点を置いていくしかないと。
さらに、もっと敵対陣営を取り込める作品も作って、政治力そのものを取り戻すべきだと。
やれるかどうかはともかく、大変に志の高い話なのだ。
だからまず、そもそも文化芸術が政治力を殆ど持っていない日本でこれを大真面目に受け止めるのはちょっと滑稽である。
もともと力のない人間に、力を取り戻せ!と言っても仕方がない。
ただ、前提はともかく、「表現の力を信じている」人々には、その志の高さは参考になる面もあるだろう。
それより、日本の一般(ソーシャル)リベラルに対して正面から投げかけるのはズレすぎだし
ただの一般リベラルが真面目に応答しようとしてもしょうがない。
彼らはそもそも表現の力なんて持ってないし、信じてないだろう。
力も信念もない人間に、それらがある人間の言葉が響かないのは当たり前だし、まして他人が投げつけるのはまったく間違っている。
どちらの側につくにせよ、自らの強さを信じるカズオ・イシグロの言葉を使って、分断を弱者のせいにするような卑怯ことをするのはやめようじゃないか。
地元アピタ。もう全く流行ってないアピタがあった。何故か立地が田んぼの真ん中で、隣にホムセンはあるものの、他に施設もない。
閑古鳥どころではなく過疎ってた。
テナントもどんどん逃げて「フリースペース」やら、不自然にベンチが置かれた謎の空間ができてた。
食品も微妙に高いし、土日に行っても人がいない。いても地元の老人というあまりうまみの無い客層。
それでもその地域にある唯一まともなスーパーであった。そのため、アピタが不採算店舗を撤収するという噂が流れると、町長と産業立地課長が雁首そろえてユニーの本部に出かけては、支援を約束するからどうか店を閉めないでくれ、と陳情にいっていたと言う話も噂で流れていた。なんか土地は一度町が借り上げて、いろいろと理屈をつけて格安で貸し付けているとかなんとか。なので地元では良く潰れないなーと話題になっていた。
それが変わったのが、去年の今頃である。
突然、その過疎アピタが「県内初のMEGAドンキホーテUNIに業態変更する」という話が降ってわいたのである!
今まで支援してきた町長以下町の職員はプチパニック。なにしろMEGAドンキどころか地元にはドンキホーテなるものは存在しない。いわば幻のような存在。
町の職員らはどんな風になるのか県外のMEGAドンキホーテUNIに視察に出かけるとか、なんかよくわからない行動を取った模様。
特に反対する理由は無いどころか、すごくいい話。よそでは業態変更で反対運動があるところもあるようなのだが、何しろ周りに家が無いような場所。
なんでこんな田舎の店舗がMEGAドンキへの業態変更の対象になるのかわからない始末で、ありがたいけど大丈夫ですかユニーさん、と言うノリであった。
アピタの食品売り場の責任者(副店長)、仮にMさんとしよう。Mさんは、人当たりのよいおいちゃんで、農産物直売コーナーを、一番お客さんが来る場所にどどーんと設置してくれるような、すごい人のよい方である。でもたぶんこんな不採算の店舗の責任者だとすると、あんまりこう、やり手では無いんだろうなー的な人である。
話を聞いたときに、俺はMさんに電話して聞いたところ、Mさんも詳しいことは聞いてないけど、半年ぐらい休業して店舗改装することになりそうだ、と聞いて、驚いたもんである。
そして、ついに改装が始まる。一部専門店はそのままだが、店舗内部は大規模な改修が行われた。
店舗内はお祭りでもやっているのかという大騒ぎで、人だらけ。ドンキホーテは品物を山に積むはずなのに売れすぎて無くなってドンキっぽく無い情況すら膿まれる。
待機列であふれるマクドナルド、フードコート、金が足りなくなり停止する農協のATM、今までこんなに人が入ったことがないので大混乱を引き起こす地元テナント服飾店にめがね屋。
呆然と立ち尽くすじいさんばあさんに、ドンキのペンギンの前で記念写真を撮り始めるおにいちゃん、地元のじじばばの足である軽トラ軽小型車の代わりに駐車場を埋め尽くファミリーカー。どう見ても地元の小学校よりも多い数の子ども達。
周辺の道どころか、そこに至る片側二車線の道に大渋滞が発生。しかし、どうやらドンキホーテ自身もそんなに客が来ると思っていなかったらしく、警備員の人数が足らなず周辺の道は大混乱。
そんな中で、俺が最も衝撃をうけたもの、それは…
実は、それを見たのは開店前である。産直組合に入っている俺は、できるだけたくさん出してくれというMさんからのメールに、たくさんの野菜を持って行ったのだ。
応援の見慣れない店員などもたくさんいて、すごい活気にみちていて、こりゃすごいことになった、と中を見ていたところ、そこにあったのである。
Mさんの、巨大なポップが。天井からぶら下がっていたのである。ドヤ顔でサムズアップし、「驚安番長M」とかかれた巨大ポップが。
衝撃だった。なんだこれは。
どうしてこんなことに。
思わずスマホで撮影してSNSに流したのは言う間でもない。彼のあだ名がその瞬間から番長になったが、俺は悪くないと思う。
現在、MEGAドンキユニーができてから半年がたった。売れるのは正直最初だけだと思ったが、週末になると駐車場がいっぱいになるほどお客が入るようになって、安定しているように見える。と言うか、むしろ駐車場が足りてない。
客層は明らかに違っている。前はじじばばばかりだったが、ファミリー層がすごい来ている。子ども連れがかなり多い。(なので、従来からいるテナントはちょっと浮いてる)
また、戦略も、地元愛を押し出すことでなじもうとしてる感じがある。例えば各コーナーには地元の名前をつけている。たとえば、増田町なら「あなたの待ちの電気屋さん、マス電コーナー」みたいなノリ。
それから、地域産品にやたらと目立つポップをつけている。地元で流通している名物の品物があるのだが、そこにでっかい「やっぱり地元がいちばん!」と言うポップをつけて目立つようにしている。
それから地元で好まれる食材がアピタ時代より増えている。アピタ時代はどうも画一的な品揃えの所に、一部地場産品という感じだったのだけれど、ドンキホーテになってから地元にカスタマイズしてくるとは正直思わなかった。
これらは、できるだけ早く地元になじもうという戦略だと思われる。
正直、潰れかけの店舗をここまでやるとは思わなかった。駅前型のドンキホーテのイメージがあったが、郊外型店舗でもきちんとノウハウをもってやっている感じがする。
■ あらゆる差別は許さないけど、自分より稼ぐ能力が無い人間と自分より積み重ねの知識(あるいは技能)が無い人間は対等とはみなさない
と言うのが軋轢を生む原因になっているとさまざま場面で散々指摘されてきた割にはその自覚がない人は多いよね
結局のところ、自分よりソーシャルランクが低いヤツは黙って俺の言うことを聞いてろっていう
毒親ムーブなんだよね。あらゆる差別は許さないと言った口で相手を対等な人間と見做してなんかいない
いい方向に働いていれば『よき保護者』『やさしい親』
悪い方向に働いたり・意見の食い違いがあれば『DV親』『抑圧親』に様変わり
ラーメンハゲの『上から優しくする人間は、容易に上から殴りつける人間に変わる』はけだし名言ですな
と言うのが軋轢を生む原因になっているとさまざま場面で散々指摘されてきた割にはその自覚がない人は多いよね
結局のところ、自分よりソーシャルランクが低いヤツは黙って俺の言うことを聞いてろっていう
毒親ムーブなんだよね。あらゆる差別は許さないと言った口で相手を対等な人間と見做してなんかいない
いい方向に働いていれば『よき保護者』『やさしい親』
悪い方向に働いたり・意見の食い違いがあれば『DV親』『抑圧親』に様変わり
換気指数が1の優良換気施設(占有密度、外気率、空気分配効率が優良な施設)でも、曝露の時間経過によりほぼすべてのケースで感染率は1、つまり100%に到達する。
グループワークのよそよそしい感じも嫌いだけど、相手がわたしを親しいと思っていてもそれはそれで苦痛だ。要するに誰といてもある程度キツい。誰かとお茶して駅で別れたあとひとりで仕切り直したりとかする。
友達付き合いは、わたしがそういう人間だという理解のある人とだけしている。でも、一番気が合う子に親友扱いされていることが最近発覚したから、今後のことを考えたらもうちょっと引いたほうがいいのかもしれないとか考えてる。
それで表題の件になる。
わたしにとって人に会うことは色々と消費する行動なので、会わない大義名分があるっていいなと思っているけど(それ以上の金銭的な損害とかがあるので総合的にはクソボケはよ滅べと思ってるけど)周囲の誰もそうなっていないことに、この状況が始まってしばらくして気がついた。人に会わないことは我慢なのか。人に会うほうがよっぽど我慢ならないのはわたしだけなのか。
ところでどうして気づいたのが去年とかなのに今更こんなことを書いてるかというと、人と会うのをやんわり断ったつもりだったのに相手が予定をねじ曲げてまで会おうとしてきていて、それが明日に迫ってるのに、3日ぐらい前に送られてきた相手の「全然決まってないけどどうする?何時がいい?」に対して返事をまったくしていないからだ。マジでこれどうやって躱したらいいんですかね。
今月に入ってから全世界的に新型コロナウイルス感染者が目に見えて減っているが、韓国は再び上昇傾向にある。全世界の感染者は1月6-8日に一日80万人以上だったが、最近は26万人台となり、3分の1程度に減少した。米国の一日新規感染者数は1月8日の30万人台から15日には5万人台へ、日本は同期間に6906人から1310人へ、英国も6万8053人から9765人へと減った。減少傾向にあるのは明らかだ。各国ではマスク着用を強調するなど、強力な新型コロナ封鎖政策を取っている上、ワクチン接種の影響も徐々に現れて始めているからだ。
一方、韓国は昨年末(12月25日)の1240人をピークに、今年の旧正月連休(2月11-13日)に300人台まで下がったものの、旧正月連休が終わるやいなや今月15日に457人、16日に621人と感染者が再び増えている。全国各地で工場や病院で集団感染規模が拡大しているほか、家族・親族の集まり、教会・学校などでの散発的な感染も相次いでいるためだ。特に、旧正月連休の影響が本格的に現れ始める今週末から新規感染者数がさらに増えるのではないかと心配されている。大統領が予告した新たなソーシャルディスタンス体制の導入や小中高校の新学期開始(3月)を控えている時期に再び感染拡大の勢いが強まっていることから、もしかしたら3-4月に4回目の大流行が来るのではないかとまで懸念されている状況だ。
感染者が再び急増していることから、結局はワクチンしか根本的な解決策がないことをあらためて確認せさる形になっている。経済協力開発機構(OECD)加盟37カ国のうち、33カ国では既にワクチン接種が行われている。日本は17日、国立病院機構東京医療センターの院長をはじめとする医療従事者たちがファイザー社製ワクチンの接種を受け始めた。ところが、残り4カ国の中でも、韓国は一番遅い26日にようやく接種を開始する予定となっている。37カ国中で韓国がビリなのだ。イスラエルなどでは接種率が50%に迫り、日常生活を取り戻しつつあるのに、韓国でまだ接種を始めることもできていない理由は、後日になってもきちんと究明する必要がある。
もう一つの懸念されるのは、政府の防疫の「穴」が頻繁に発覚していることだ。英国で発生した変異ウイルスの感染者が韓国で初めて見つかったのは昨年末のことだ。ところが、防疫当局は2カ月近くたち、変異ウイルス感染者が100人近くなるまで、変異ウイルスかどうかの検査期間が5-7日かかる「ノロノロ検査」に固執、今になってやっと検査期間を短縮する案を推進するという。防疫段階を引き上げることばかり考えるのではなく、このような不備がほかにもないのか、点検することの方が先だ。
ワクチンなんてのは防疫に失敗した負け犬の二流三流国家がすがるもの。
韓国にはこのまま我が道を突き進んで欲しい。