はてなキーワード: キュウリとは
世間一般的に体に良いとされるものやことをするのがとてもつらい
お野菜は体に良いと言われるけどまず味付けしなきゃ食べ難いじゃない 心を無にすれば食べられるし人参は甘くて好きだけどそれでもドレッシングや味付けは必須
果物は酸っぱさが隠れてるのが嫌 甘いから食べてみ?って食べさせられて甘いじゃねーだろ酸っぱさがあるだろと幼心にキレた覚えがある
あと皮とか繊維とかやばくて一生口の中に残るのも嫌だし種の処理もだるいし汁でむやみやたらとベタベタするのもだるい
バナナとスイカメロンは酸っぱくないしバナナに至っては食べられるためにあるような仕組みにはなっているけど、ニチャ感がいやなのと後者は青臭いのがいや キュウリはいけるけど甘いもの面してて青臭い繊維ある汁ベタと種もいや
まず動けば疲れるし、疲れるとマイナス思考ばかりになる
それに電車乗り遅れそう等で走ったりすると口の中血の味するのとその後の呼吸がやばい ゼハーゼハーとしたやばめの呼吸をそこそこ繰り返して息整える必要もあるし血の気も引くのでその後仕事始まりまでに整える間グロッキー
そもそも本当に体に良いのか?逆に悪いものではなかろうかと疑うレベル
マイナス思考になったり体のデバフかかったりするものの習慣化って…やばくない?理屈上は良いとされてるけれど、あまりにもつらい
晩ご飯とか何か食べたいけど何作っていいかなんか悩むー!って山脈に向かってヤッホー!って叫びたいときってないかしら?
私叫んじゃったけど!
そんで!
最近お利口さんでウエブで大評判と名高い次世代のAI言語処理モデルGPT-4で今夜の晩ご飯なにがいい?って尋ねてみたの!
ビーフストロガノフとかの大スペクタクルなロマンシリーズ系のレシィピの難しく高難易度のハードルの高い料理を提案されても実質不可能なので、
鶏肉(もも肉でもむね肉でも可)をメインにスーパーマーケットで買える3つの食材で電子レンジで調理できる超簡単な料理を教えて!って尋ねたら
案外まっとうな私でも簡単にできちゃいそうなレシィピを教えてくれてマジ参考になったかも!
そんで、
早速鶏モモ肉にトマト缶ピーマンにニンジンにシメジをとろけるチーズを調達して
調理にかかるんだけど、
家に帰ったらビックリ!
私もあるかなないかな?って懸念の不安があったんだけど案の定食品用ラップフィルムがなくって調理できずじまい今日リベンジするわ!って意気込みよ。
私の家のキッチン事情の食品用ラップフィルムがあるかないかはどうかは分からないわよね!さすがに。
なので今日買ってきて夜やってみるわ。
なんでもレシィピは
出来上がったらお好みで塩コショウをとのことで、
なんか真っ当なレシィピじゃない?
ちょっと電子レンジ調理時間が短いっぽくかんじるので6分ぐらいにはしてみようかな?ってぐらいの人間の補整が若干必要なところ意外ほぼなんか美味しそうな献立でいい感じだと思うわ。
もう結構作る前に勝利確定の美味しさが想像するに値する容易さがあって、
そんでGPT-4にあなたはユーチューブで人気料理研究家です!って言ったもんだから
冒頭が「どもどもどーも!人気料理研究家のChatGTPでーす!」っての入り、
ユーモアがあるのか真面目なのか、
思いっ切り振り切った感じで恐るべしGPT-4って思ったわ。
あとあまりに漠然としすぎることを聞くとトンチンカン大スペクタクルなレシィピとかになるので、
メイン食材を決めて、
2~3つの食材とかって曖昧な言い方も苦手みたいで3つ!って押切もえさんばりに言い切った方が具体的に提案してくれて、
押切もえさん級に言い切っちゃった方が
具体的に言ってくれるので範囲を狭めて言う方が明確かも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫べるもんよね。
でもさー
これ以上GPT-4をレシィピ開発以外に何に使ったら良いのか皆目見当も付かないわ!
持て余してしまうこのパワーを持ったとて
上手く何を行ったら良いのか分からないわ。
そういうのもGPT-4ちゃんに聞いてみるのがいいのかも知れないわ。
あまりに出来ることが多すぎて何を手伝ってもらったらいいのかよね。
うふふ。
毎日見かけるわけではないので、
なんか見つけたらポテサラゲットだぜー!ってサトシばりに言いがちだけど
ポケモンアルセウスはあれ以降ぜんぜん進展していないすっかり忘れている頃よ。
今日は全うに昨日GPT-4ちゃんに教えてもらったレシィピを試してみるわ。
ミントの葉をちょっと揉んで香りを引き出してそれも入れちゃうの。
出来上がったら冷蔵庫で1時間以上寝かせてじっくりと美味しいデトックスウォーターになるのを待ちましょう。
ってそこは違くて、
昨晩作ったものを一晩冷やして置いておいたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
親はあの手この手で食べさせようとするが、今思い返せば悪手ばかりだった。
ビンタの痛みと恐怖の方が口腔内に広がる腐敗物に等しい味覚臭覚に勝る。
お蔭で今もセロリは食べられない。
臭いと味が嫌いなのもあるがビンタされた時の不快感をあの青臭さを嗅ぐたびに思い出すからだ。
更に父親と食事すると叩かれるかもしれないという恐怖や不安から他人に笑われるぐらいの早飯の悪癖までついてしまった。
母親が試みた古典的な手法は細かく刻んで好物のカレーやハンバーグに入れるというものだ。
子供の味覚を甘く見過ぎだ。
余談だが、太平洋戦争時に殺処分命令を下されたかわいそうな象のジョン、トンキー、ワンリーは毒入りジャガイモに手をつけず飼育員達はその賢さに驚かれた。
果たして巨獣達は毒殺を人間が企図したと認識しての抵抗ではない。
単純に臭いが変わるのだ。
なぜ相殺できると思うのか。
賤しい人間共が実に短絡的で愚かだったのだ。
話を戻すが、ハンバーグに明らかに嫌いなピーマンのエグみが充満して食えたものではない。
よくも好物を美味く食べるという喜びを奪い、穢したな!
湧き上がる憤りと悲しみは至極当然の感情であり、抗議は正当なものである。
母親は自らの浅薄な企みを恥じ、謝罪とともに不純物のないハンバーグを作り直して赦しを請うべきだ。
結果は
「文句があるなら食べるな!」
大学進学時に親元を離れたが、仕送りもなく困窮した学生生活を送っていた。
いい加減飽きてきた。というより明らかに体が拒絶反応を起こしている。ウンザリだ!と。
一応カロリーは保っていたが飢えていた。
そう、飢餓であったのだ。
生卵も大嫌いだった自分だが、その学生が食べる卵かけご飯がとても美味そうに見えたのだ。
値段もカップ麺と変わらなかった事もあって、翌日勇気をだして頼んでみた。
ご飯の真ん中に玉子を乗せる穴を箸でほじくり、玉子の殻を割ってのせる。
昨日まではただ気持ち悪いネットリとした生卵が今や米の一粒一粒に纏う金色の衣だ。
若干の逡巡の後に貪り食う。
なんて美味いんだ!
今も進んでは食べようとは思わないもの、やはりどうしても苦手なものは残れど、あれよあれよと偏食を克服できた。
体が大人になって味覚が変化したという要素も多分にあるとは思う。
ところで、かなり後の事であるが、久しぶりに母の料理を食べて衝撃の事実を知った。
毎日新聞記者の、コラボネタは報じる価値が低いということでマスコミ各社一致している、SNSは偏っているという旨の発言に触れて思ったこと。
「紙の新聞の余命は15年」との観測記事とあわせて眺めるに、たいへん趣深い。
https://togetter.com/li/2036314
https://news.yahoo.co.jp/byline/kamematsutaro/20230101-00330946
ここからは本当の末期だというわかりやすいメルクマールだ。闘病中と聞いていた知人がガリガリの別人みたいな相貌に変わっていたらいよいよかと思う、そんな感じ。
そもそも緘口令が出ているかのように黙殺したり、年はじめで各社一斉に同工のフォーマットで報じるその一糸乱れぬ斉一ぶりは異様だ。そういうのが当たり前になっていること自体が。
もっとコラボの悪行を報じろよとか暇空氏にも味方してやれよとかいう話ではない。
つまらない私闘にすぎないとかよくあることだとか言うなら、そのつまらないことがかくも多くの人間の関心を集めているということ自体が常には無い変事だろう。取り上げる切り口なんていくらでもあり得る。ネットでいま〇〇が話題だそうです式のお手軽ヤドリギ記事は大好きだったはずだ。
ひたすら「特落ち」を恐れ、また「抜け駆け」はせず、まるでお役所みたいに決めごとで動くジャーナリズム。どうかしてるぜ。という指摘はかつて上杉隆らが行った。その後の体たらくは誰もが知る通りだが。
有限な紙幅にニュースバリューの高い順に取り上げられてるだけで他意はないと言えばもっともらしいが、滑稽なまでに「一糸乱れぬ」動きの言い訳にはなっていない。
そもそも「情報の重大性」と「紙面への取り上げやすさ」は全く別である。
例えば紛争地域のリアルタイムでの実情などは、重大さは最大級であり、一次情報の取得コストも大きい。つまり取り上げやすさは最小。
一方「小学生が田植え体験をしました」みたいないわゆるヒマネタは、誰一人関心はないが業務上極めて扱いやすい「定型文の穴埋めで作れる記事」であり「予め予定が立つニュース」である。重要度ほぼゼロ、取り上げやすさMAX。
お上のプレスリリースと違い、スペースの都合で没にするのも自在。
大都市圏居住者は、あるいは実際には見たことがないかも知れない。地方紙の社会面や地方局の夕方ニュースにおいて、田植え体験や高校生のSDGsの取り組みの模様が永遠に垂れ流されるのを。ニュースバリューとは。
知られた話だが、新聞社は調査報道機関ではない。納品された情報を整理して受け流す、聞こえよく言えばキュレーターである。
形の揃った野菜を出荷するみたいに「いつもの定番ネタ」は業務ルーティンにするっと乗りやすい。
まだ世評・解釈の定まっていない新奇な話、いびつなキュウリははじかれやすい。ニュースバリューとは。
しかしそういう型にはまった本邦マスコミ報道のありかたはひとえに害でしかなかったのかと言えば、そんなこともない。主な利点はスタビリティということにある。おつむの軽い「熱血記者」は悪いやつらにうまく利用されるのが関の山だ。世間は大新聞の腰の重さをむしろ信頼してきた。
そもそも良い報道とは? ジャーナリズムとは本来どうあるべきか? といった問いにみんなが納得する答えはあるか。ジャーナリズムが共有すべき、一番ベーシックな価値とは何か。
「権力を監視すること」とか言ったって国家権力ばかりが権力じゃない。
「事実をありのままに」とか「客観的に、公平公正に」みたいなことは実現不能だ。
実現不能なお題目を掲げることは建前と実態の乖離を常態化させ固定してしまう。
そもそも電波法に縛られるTV局は別として、新聞社に中立の義務はない。
思うにやっぱり「果敢さ」しかねぇんじゃねぇの? なんとか月衣塑子みたいな薄っぺらい熱血妄動に陥らないようバランスを取りつつの。
こんにち新聞が相手にされなくなる一方で、文春のスキャンダリズムが一定の信頼を得ているのを見よ。
政権与党にガツガツ果敢に切り込む新聞があったり、むしろ野党にガンガン行く社があったり、それぞれの角度から検証可能な形で情報を提供する。
それらが合わさりデコボコを埋め合って、民主主義社会のいわば媒質であるところの公論の場ができる。
そもそも、マスコミの存在目的とはその社会に生きる人々の共有する「場」を提供することなのだ。一億人が同じ情報に容易に触れ得るということによって。情報の水の中に個人は油滴のように浮かんでいるのだ。
オールドメディアがネットにお株を奪われたのは、速報性とか取材力とかいうことではなく、その「共通の場を提供する機能」である。つまり本質の部分。
マスメディア全盛の時代にも、それ以外の情報伝達経路、例えば万古よりの「噂話」が命脈を失ないはしなかった。
でも文字通りマスに同時に届けられるという点で、すなわち前述の「場を作る機能」において、新聞TV会社は特権的立ち位置にあった。
今はそういう時代ではない。
それなのに「なんだかんだ言ってもぼくらプロの新聞記者の取材力、信用にはSNSなんかはまだまだ太刀打ちできないでしょ」とふんぞり返る記者様の図。まさに悲喜劇。
王国が滅びようとしてる現実に向き合えない落日のお貴族様の姿だよ。
■追記
「そんなに新聞様に取り上げてほしかったらしかじかの体裁をとれ」というコメントが付いている。
だから暇空のこともっと取り上げて欲しいという話はしてないんだけどな。
「取り上げてやるかどうかの基準はこうだ」と硬直的な決め事を振りかざすのは、換言すれば咀嚼力のなさを自慢するひ弱なお公家さん仕草であり、マスコミの生命力低下のあらわれであると言っている
彼女は近所のライフから買ってきたヒエヒエのお弁当をそのまま食べ始めた。
お弁当は温めた方が美味しいに決まってる。冷めた脂は体に悪い。気味が悪いとすら思ったのでレンジの場所を教えてやった。
この一言は後に、俺のロックンロール観をお漬物とそれを包括する弁当に輪ゴムのように縛り付けることとなる。
その当時の俺は何かこみ上げるようなものを感じながらも、お漬物好きなんだねと言うに留まった。
それから色々な日々を送った。酒を飲み荒び、童貞ながら性病になり、金玉が象の皮膚のようになり、革ジャンを羽織り、夏に脱ぎ捨てたり、講義をサボったり就職したりしながら、体と心は虚無義務生活爺に近づいていった。
ふと思う。革ジャン着てればロックンローラーか?何も思うところなくそれをあっけらかんと開き直るのがロック?
なあ、そんなのよりたった数グラムのぬか漬けにされたキュウリのために弁当全体を台無しにできちまう、破滅的な漬物愛こそがロックンロールじゃないのかい?
俺はいまだに近所のライブハウスで未練がましくアマチュアバンドを観たりする。米兵は英語が上手い。米兵だから。オシャレなバンドはモテる。下北を想起させるから。でもお前ら、冷めたピザを食えるか?氷水にジャブジャブしたピザにお漬物載っけて
って言えんのかよ。
俺は生涯、一人のロックンローラーとしか合わないだろう。やたら薄いビッグカツ弁当をレンジに入れて、ダイヤルを2分のところに合わせながら思う。