はてなキーワード: らするとは
例えば人工知能や自動化で国に必要な生産を全部まかなえるようになったら
そしたら、司法制度で採用されてるお金での解決ってのがなんの効力も持たなくなる
というか実際金持ちにとっては何か被害にあっても、訴えたところで得られるものがないからする意味がないってことがあったり
仮に、金銭的な負担を相手に背負わせても払う金がないからなんの効力もないなんてことが怒ってるわけじゃん
こういう不都合が一部ではなく完全にすべての事例に当てはまったら
はやいところお金での解決を解消しないと、とんでもない厳罰インフレや
ゴッドファーザーのように復讐代行的な稼業が暗躍するようになっちゃうんじゃないの
エログロありで頼む
大森靖子のやったことは褒められたもんじゃないし、批判されて当然と思うけどそれなりに彼女に思い入れのある僕としては大森靖子には今回の件に懲りずにずっとこんな感じのめんどくさいメンヘラでいてほしいし、そんな彼女が泣きながらするパフォーマンスに救われてる信者もいっぱいいるんだろうよなって
社会通念上肯定されてはいけない、叱られなくちゃいけないかもしれないけど感情や好き嫌いの問題としてそのままでいてほしい
ピカソが浮気性だったとかカートコバーンがヤク中だったみたいなそういう話
まあヨギー側が気の毒な案件だった。これは不幸な接触事故だったんだ、初めて事故った相手がヤクザの車じゃなあ 気の毒に
それはそうと無断録画の件はまた別よな その辺はちゃんと謝るなりして筋通した方がいいと思うよ
好きって熱意だと思う。自分のポテトサラダには熱意が入ってないとおもう。
芋を蒸して冷めた後、半分は角切りにしてもう半分は塩コショウかけてマッシュして角切りと混ぜるだけ。混ぜ物一切なし。熱意も何もない。
例えば「ラーメンが好き」っていう人は絶対に「今までいってない店にこのまえ行って来た」とか「あそこのラーメンがすごく美味しい」という話をする。これはもう熱意だよ。インスタントラーメンで満足しないし、同じ店ばっかり行かない。美味しいラーメンもを食べるためにリサーチすらする。
そこまでいっての好きでしょ。なんか、好きな食べ物は?って質問はそこまでいってる人が普通って前提でされてるから自分は答えにくい。
嫌いも、別にリンゴ入ってても食べるし、まずくても食べる。でも、トマトが嫌い人って徹底してるじゃん。「トマトたべれないんですよ〜」っていうし、実際にトマトがでると避けたり嫌な顔するじゃん。自分は食べちゃうんだよな、これが。「得意じゃないな」と心に思って食べるけど作ってくれた人のこと考えたらやっぱ食べるよ。残す事で自分にメリットないし。
中学生の頃、というか、昔から変わったことと言えば外見だけだと思っていて、それでも、周りには中身も変わったなんて言われたりする。
丸くなっただとか、話しやすくなっただとか…。
けれど、自分はそう思ってなんてなくて、これからどこに進むのかわからない、秋の入口。
夜空を見上げると、夏の星座はとっくに姿を消していて、こうやって季節は巡るのかと実感させられていく。
焦りもありつつ、でもどこか変わることを恐れて、踏み出せないままじたばたと足踏みをしている。
私の季節は、まだ夏の中だ。
夜の秋の風は、確かに私を包んでいく。
少し遠くに聞こえる電車の音は季節が変わっても相変わらずで、少しホッとする。あの電車の向かう先は何となく分かっているけれど、私は分からないふりをしている。
ぼうっと、温かなオレンジ色に変えられたデスクライトに照らされる白い壁は時間を忘れさせる雰囲気を持っている。この時間がこのまま続けば、迷うことも悩むことも落ち込むことも、いつまでも立ち止まっていることさえも、罪悪感に苛まれることなんてないのに。
そんな淡い願いを、携帯や録画機の時計表示が消し去っていく。今日ももうこんな時間で、そろそろ大半の人がまた明日のために眠りにつく時間。そんな時間にも関わらず、毎日毎日寝るわけでもなく、私はネットの海を徘徊していく。
…別に、こんなこと、心の底から楽しいと思ってやっているわけではない。
真夏に比べて涼しくなった外の空気を開けた窓から吸い込みながら、遠くで聞こえるパトカーのサイレンに耳を傾ける。
私がこうやって、なんの生産性もない時間を進めている最中でも、世界では生産的な行動を繰り返す人々で溢れている。この、私がどうしようもない時間を生きている間にも、ああやって仕事をして世界を回す人達がいる。
かつては、私もあちら側の人間だったかのように思う。少なくとも、高校を卒業するまでは勉学とアルバイトの両立でまあまあ忙しく、今より人間らしい生活をしていたように思う。
私は、今でも私自身に少しというか、かなり期待をしている。
もしかしたら、何かのきっかけがあれば、その過去の私よりも輝けるようになるのではないか…とか。
私はあまり好きなものを作れない。何にもハマれない事が多い。ハマったとしてもまあ、1年、2年くらいですぐに投げ出してしまう。だから何かを好きだと思っても、それは一時の感情にすぎないのだと思う。
でも、そんなことを言うと、私の周りの人は決まって言うことがある。
『でも、絵を描いているじゃない』
…絵なんて、ただ物心付いた頃から知らず知らずに描いていた、ただの習慣に過ぎない。別に暇だったら描くし、やれと言われればやるものだ。
働くことや勉強することと、絵を比べたら、絵のほうが百万倍マシだと私は思っている。
まあ確かに、働くことも勉強することも大切だし、それによって自分の視野が広がるなんて、ありきたりだがままあることだ。
だからといってそれを進んでやるのかと言われればまたそれは違う。
第一、私は自分が絵が得意だとか思ってもいないし、こうして文章を頭のなかで組み立てるのも人より長けているかと問われればそれはまた違うと思っている。上には上がいるのが世の中だ。
その世の中で戦おうなんて考えるほど、私は野蛮な人間ではない。競争社会なんて、生きづらくて息が詰まる。まるで、水の中というか、宇宙空間に何も装備せずに放り出された気分だ。宇宙なんて行ったことあるわけないけど。
普段の私が、何をして過ごしているかなんて結構たかが知れていて、午前中に起床することは最近はほぼないに等しい。気づいたらもう夕方に差し掛かる15時っていうパターンが多い。
起床してからPCに向かうか、スマホを覗き込んでいつも通りソーシャルネットの海に飛び込むか、そんなもんだ。
PCを起動させてからは、当たり前のようにここでもネットを開き、アニメを見るか、ある言語を勉強する。それか、絵描きソフトを立ち上げる。そして時々、PCのメモ帳を立ち上げて物語を文字に起こす。
そんなことをしながら過ごしているとあっという間に夜に差し掛かる。
ほとんど外に出ることのない私は、実は夜や夜中、散歩がてら涼しくなった外を歩くことが好きだ。しかし、最近はそんなことをしていない。心配性の人が心配してしまうから。
別に心配されることをウザイだとか、面倒だとかは特に思わない。むしろ母親にそんな感情を向けられたことがないに等しい私はそれが心地よかったりもする。
世界中の人が表面上、幸せに暮らしているように思わせていても、その中には必ず陰があると私は思っている。
道行く、笑いあっている家族や友人同士、夫婦、カップルでさえも、自分の人生全てを相手に伝えることは困難だろうし、自分がこんなことで辛かったことがあるだとか、今こんなことで少し悩んでるんだ、なんて素直に言えるのはきっとごく僅かだから。
陰が強ければ強いほど、光はその分、陰からは眩しく見える。
本当はわかっていることだ。内に篭っているばかりではなく、何らかの形で外に出る勇気を持つことだとか、人と心の底から笑い合うだとか…。
普通はみんな、そんなこととうの昔にやっていて、子供の頃になんの違和感もなくやっていて、私はそれに遅れているだけ。
別に恨んだりはしていない。今は。そりゃ昔は誰に対してかもわからない怒りを持つことは多かったと思う。それでもなかなか表立って何かアクションを起こすこともなかったかのように思う。
世の中には、こんな空っぽの私を素敵だと言ってくれる人もいる。その全てがお世辞だと分かっていながらも、私はちゃんと笑顔でありがとうを伝える。このやり取りに一体どんな生産性があるのだろうとか考えながら。
私は生産性というものにこだわりを持ちすぎているようにも思う。それは多分確信だ。思い過ごしなんかじゃない。
消費するだけの人間はいつか必ず淘汰される。この世から淘汰されることを望みながら、なのにその淘汰を恐れているのが紛れもなく私なのだ。
私は決して頭がいい方でもないし、かといってスポーツ万能ってわけでも、芸術に特化しているわけでもない。
平凡から外れた単なる落ちこぼれだと思っている。こんなことを言っていても、周りはやっぱり、そんなことないよ、と笑う。私はまたそれに、そうかな。ありがとう。と笑う。また、これに意味があるのかと考えながら。
ふと、頭のなかで文章が浮かんでくる瞬間がある。なんとなくスマホのメモ帳に書き留めて、それをどこに発表するでもなく、結局はメモ帳を埋めていくだけのただの文字列と化す。
勿体無い。
そんな言葉が頭の端っこで揺れながら、同じように何にも代わり栄えしない、消費しかしない日々を過ごす。
いっその事、みんな私のことをこの能無しだとか、ゴミだとか、罵ってくれたら楽なんじゃないかとも考える。それでも、実際にそんな場面になったらと思うと、また怖くなってそういった淘汰を恐れる。
結局のところ、私は何になりたいのかわからずに蹲ったまま、また今日を迎える。
何者にもなれない私は、何者かになれている人々を羨むだけなのだ。
PTSDなのかもしれないが、
たとえばなんでもない時でも嫌な人とか何かで関わった人の顔が頭にうかぶ
もちろんオナニー中もだ
俺は高校二年生。
人見知りでコミュニケーションが苦手なんだけど、それでも一応人と話せる。特に、自分と同じかそれ以下のコミュ障となら、生き生きと話せる自信がある。
今年の5月くらいから知り合いになった二人がいるんだけど、二人ともコミュ障。俺はクラスで孤立したくなかったから、愛想よく近づいて二週間くらいで仲良くなった。
二人とも性質の違うコミュ障で、一人は会話のキャッチボールが出来ないタイプ、もう一人は喋り方がうざくて、えぐい返ししか出来ないタイプ。最初はまあ何とかなるだろうな、とか楽観視してたんだけど、4ヶ月経ってこれはもう無理かなと思い始めた。
この二人、単一でならまだ会話出来るんだけど、二人一緒になると相乗効果でカオスになる。
何か話題を膨らませようとしても、一方が別の話題をぶっこんできたり、ネガティブな発言で空気を悪くする。もう、一つの話題で3分持たないレベル。しかも、その二人はそこまで仲がいい訳でもないから、俺が間に入らないといけない。二人の対応を一手に引き受けて、なおかつ会話を続けなきゃいけない。正直、面倒くさい。
クラスの他の奴等も、二人の事を避けてるせいで、必然的に俺の所に来る。近付いてくんなオーラだしても来る。そして自分の話を勝手にし始める。俺の意見なんか多分あまり気にしていない。俺を承認欲求を満たすための道具に使っているとしか思えない。まあ、俺も孤立しないために付き合ってる訳だから、お互いウィンウィンなんだけど、なんかなあ。もうちょっと何とかならないかなと思う。
会話って、お互いに楽しく、時々ボケたり突っ込んだりしながらするモノだと思っていたのに、今はそういう感じじゃない。必死に話題を振り絞って、出来るだけ広げようと頭を使って、終わる事には精神的にクタクタになってる。
だから、一年生の頃のクラスメイトと廊下で話したりすると、会話がちゃんとできてめっちゃ楽しい。これ。これが会話だよ、とか心で叫んでる。
なぜ二人とも自分の異常さに気付いていないのか。それとも、気付いた上でこれが自分の個性だとか思って開き直っているのか。
どちらにせよ、会話出来ないのは駄目だと思う。人として。こいつ等がそのまま成長して、社会でやっていけるのかと思うと少し不安になる。二人みたいなのとしか一緒に居られない自分にも不安になる。
2度目の抗がん剤入れました。
今の主な症状は、ムカムカする…。
たとえると、軽く悪酔いしてる時とか、軽く車に酔った時みたいな感じ。
吐く程じゃない気持ち悪さ って感じ。
ごろごろしてると全然平気だけど、起き上がったり、立ち上がって歩いたりするとふらふらする。
なので、食欲もなくなる…。
マジヤバだった日は、新潟のどろっとしたヨーグルトで飢えをしのいだ。
肉、揚げ物、脂っこいヤツは全然美味しそうに見えない……。ちょー好きなのに。
あと味覚が変わる。苦味が強調される。水に味を感じる。
前回と同じなら、この状況が、1,2週間ほど続くのかー…。
あと、前回は、食えるようになったら凄まじい食欲に負けて、簡単に体重戻ったので気を付けよう。
髪は、先週1週間でかなり抜けた! ほぼ抜けた! 今は残ってる方が少なくて、後ろも風を感じる。クールビズ。無職だけど。
最近は、帽子がゆるゆるなのが困ってる。なので、帽子オン帽子してる。ニット帽の上に、ツバのあるオシャレ帽を被ってる。
説明不足ですまんが、俺が回収必要な仕事じゃないんだ。俺は打ち合わせ(みたいなもん)に出て、できたかできてないかの報告を聞かれたらするだけ。その際に俺が報告を受けてないと、俺が答えられない。不定期なので、前以て聞いておくという準備も常にはできない。
毎日締切なわけじゃないので、毎日進捗を聞くというのもバカげている。ただ終わった時に「終わりました」と伝えてくれるのがベストなんだが。一応ワンクリックでステータスを完了にできるツールをみんなで使っているので、それをやってくれるだけで済むのに。毎日、もしくは適切なタイミングを意識して俺が確認に動く方がコストが高い。
https://anond.hatelabo.jp/20170821153230
https://anond.hatelabo.jp/20170821154616
この2つのバンド、アイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。
普段聞かないタイプの音楽にも関わらず実際めっちゃ楽しかった。
ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。
受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。
メインターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。
「やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人をターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。
あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?
荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋「青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキーの存在ってリアルな存在なんだろうか、教えて高校生。
まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルにヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティングを大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。
まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。
ドラマOP曲ED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。
30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽。
OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。
年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルド「ノンフィクションソング」(生きろこれは命令形だ死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、
うん、違うね。
違うわ。
違うよねー!
9時台のドラマですもんね。
ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。
疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者の気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。
9時というメリットとデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。
シナリオ、エロや暴力の表現、キャストの演技も9時というメリットとデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。
窪田正孝の映画、東京喰種見てきた。この映画も主人公が自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。
川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。
各所ですでに言われているがキャスティングが良い。
特に、メインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入すらすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセン。ドラマ全体を糖衣で包む。これは今野にしか演じられない、というか今野ありきでこのドラマが立案されたんじゃないのかと思うレベル。
視聴率はイマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。
もうすでに折り返し地点だが、今シーズンのドラマの中で、抜群に面白いし深い。
行きは少し渋滞してて30分くらい到着遅れた
鳥類センターで猫のニャーオニャーオって声が聞こえると思ったらクジャクの鳴き声だった
説明文にはカーオカーオと書いてあったけど、普通にきくと猫に聞こえる・・・
なぜか鳥類センターなのにリスザルとかマーラとかキツネタヌキがいた
キツネは片目が義眼だった
カモとかクジャクもいたけど総じてオリがせまくてかわいそうだった
トキがいてけもフレを思い出した(木の葉の影にかくれてちゃんと見えなかったけど
写真と本人の人間性は別にしないといけないとは思いつつも、最後があまりにもおろかだとしか思えなかったからなんか偏見が入っちゃう・・・
どんなえらそうなこと言ったり書いたりしてても結局最後はああなんだよなっていう
生き物の写真はかわいいと思ったけど特別の感動を与えてくれるものじゃなかった
暑かったしね
すぐそばのピエトロで昼のセットでパンバイキングでたくさんパンたべておいしかった
焼きたてをもってきてくれてそこから選ぶ形