はてなキーワード: 離人症とは
「離人症」とだけ書かれると、それって病名じゃなく様々な精神疾患(統合失調症など)でみられる非特異的な症状のことだよねってなる。
「解離症群の離人感・現実感覚消失症」って言われたほうがピンとくる。
全て私に関する本当の事だ。
それでもこうして書いているのは、他ならぬ私自身が救われたいと願っているからだ。
なのに私は、今はもう人を信じる事が出来ない。
自分一人ではどうする事も出来ないレベルに達し、ネットという不特定多数の集まる場で、見られるかどうかも分からない悲痛な叫びを上げている。
けれど、そう思っていても。
ずっと苦しみに追われている。
それが、見て見ぬ振りの出来ない、紛れもない真実なのだと思う。
前置きが長くなったが、どうか私の話を聞いてやってほしい。
私は離人症であり、回避性パーソナリティ障害であるらしい。
(前者は一応診断らしきものを下されたが、後者はあくまでDSMの診断基準を満たしているという視点である)
また、HSPの気質もある。典型的な「生きづらい」タイプだと思う。
素のままでこんな話をすれば、恐らく大抵の人は困惑するだろう。
心理学や精神医学を学んだ方、色々調べて知っているような方でないと、あまりピンとこないであろう症状だと思うからだ。
正直、HSPに関しては、言う事自体が一つの免罪符のように思える為に、あまり声高には言えない。もちろん、他の当事者の方について、あれこれ言うわけではない。
ともかく。自らが抱える様々な特性に、私はずっと悩まされてきた。
例えば、学校での場面。私は苦手な同級生の話をどうしても聞く事が出来ず、ずっと耳を塞いでいた事があった。
小学生の一時期、不登校(正確には、給食が始まる前までは出席していた日もあったが、その後に早退していた)だった時もある。
あの時迎えに来てくれた母の拒絶するような、悲しげな後ろ姿。
母の後ろを申し訳なさげに歩く自分の悲しさを、今でも覚えている。
高校時代も、一年次から辛かった。文字通り「死んだような顔」をした私は、上手く笑顔になれなかった。
同級生は優しい人も多かったが、結果的に馴染めず、一年持たずに中退した。その後は別の高校に入り直したが。その前後の時期が、人生の前半で一番の暗黒時代だったと思う。
母に「こんな子産むんじゃなかった」と言われたのも、この時期だ。
父は元々家族としっかり関わる人ではなく、私が普通に学校に通えない事を腹立たしく思っていた。
もっと遡れば、幼稚園時代から、私は集団に馴染むのが上手ではなかった。
どちらかと言えば、砂場で一人黙々と砂遊びをしている方が落ち着いていたように思う。
大人になった今でも、私には静かに過ごせる場所、一人になれる時間が不可欠だ。
騒がしい場所や、絶え間なく流される情報にさらされるのは耐えられない。
人付き合いでも悩まされる。私は好かれているという確信がない限り、人と上手く付き合う事が出来ない。
正確に言えば、無難な付き合い(出来ていたかは自信がないが)は出来ても、必ず相手に壁を作り、相手に「堅い人」「近寄りがたい人」という印象を与えやすい。
(表面上は「優しい」と言われたり、子供に怖がられたりした事はないので、相手がどう感じるかは分からないが)
何故なら、会社であれ、日常生活であれ、人と関わる場面を避ける事は困難だからだ。
あれこれ一人で考えては疲弊し、人付き合いを苦手に感じる。
今も悩み、苦しんでいる事の根底にあるのは、人間関係であるように思う。
しかし、そうした苦しみをまともに受け続けていれば、とっくに精神は崩壊していただろう。
いや、もう崩壊していたのかもしれない。
私にとって離人症のフィルターは、現実をダイレクトに受けずに済ませるクッションのような働きをしている。
正確に言えば、私の頭の中にはシャボン玉の幕(カーテン)のようなものが掛かっていて、外の物事はそれを通して感じている。
故に、今一はっきりしない。かと言って、知覚出来ていないわけではない。平たく言えば、現実感がないだけだ。
かれこれ、付き合いは十数年以上になる。
たまに忘れていた現実感が戻りかける瞬間もある。
そうした時、私は敢えて「戻らなくていい」と願う。
かつて死にたいと強く願い、実行した事がある。
結果、死に損ねて今に至る。
死にたい気持ちが完全に消えたわけではない。浮き沈みを繰り返し、今は死ねないから生きている。
だから苦しい。私は、どう生きればいい?
私がもっと子供の時に、私を理解しようとしてくれて、手を差し伸べてくれる大人がいれば。或いは違っていたのだろうか。
たらればの話をしても虚しいだけだが。そう思わずにはいられない。
この投稿の最後になるが、私は「ただ一人の理解者」を求めて、ネットの海を彷徨っている。
本当なら十代の頃にでもするべきだったのだろうが、前述の通り、色々有りすぎて、自分と向き合う余裕なんてなかった。
人を信じる事が出来ない私が救われたいなんて、身勝手だと思う。
だが、信じられなくなった経緯があるのも確かなのだ。
たった一人でいい。良き友人が欲しい。勝手な願いだが、ずっと願い続けている。
こうして投稿を綴るのも、自分を救いたい願いと、誰かと繋がりたいと思う二つの願いからだと思う。
こんな私に少しでも興味を抱いてくれる方がいるかは分からない。
もしもそんな優しい方がいるなら、私はその人と話してみたい。もちろん、重たくならない範囲で、だが。
私の悲しみが、いつか和らぐ事を願っている。
ご指摘頂きました通り、離人症を「病名」と表記してしまったのは不適切でありました為、「症状」に訂正致しました。
投稿タイトルにつきましては、あくまで「離人症状のある」という意味合いで使用しております為、原題のままに致しております。
また、恥ずかしながら、はてな匿名ダイアリーの礼儀作法(暗黙のルールやマナー等)を詳しく理解出来ていない為、どのように回答をさせて頂けば失礼にあたらないか、配慮が至らない点もございます。
いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。
両親は私を育ててくれた。教育にお金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。
東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。
「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」
お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大を受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分が東大に入れていないのに、なぜ子供は東大に入れると思うんだろう。
祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母は慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。
おばあちゃん、慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應の医学部に行くお金はないよね?
私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のときに東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。
「あなたの高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」
両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。
「○○くんは△△銀行に内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。
母に言われた。
「○○ちゃんは地元の公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」
お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校のときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。
「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」
私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。
ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。
「○○ちゃんは1日10枚プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」
公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度の問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。
週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。
小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。
鍵をなくした等仕方がない理由のときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。
私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶をしろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか
工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか
中学受験のときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問で勉強するのは辛かった。
結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。
中学2年生の8月下旬に夏休みの宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである。
夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。
正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。
お母さんも止めなかった。
お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である。
「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたのスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」
いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。
観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネットで検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。
その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情はゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端な学歴でごめんなさい。
大人になってから、教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀と佐賀の事件の話を両親にした。
「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。
「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちがあなたに勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。
私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。
親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日。
高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴やファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。
高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイトも禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフの100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。
未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。
でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。
両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかったこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。
両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったから子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。
でも、今は距離をおきたい。
今年の年初、親が能登半島地震の被災者に差別的な発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。
フィクション、オカルト、スピリチュアルを受け付けない人向けに、いつからかは知らないが仏教は歩み寄っていて、そういう宗派が生まれている。
というか、ブッダは神や呪術を否定していたし、仏教のコアの部分はほぼ哲学なので、原点回帰しているともいえる。
日本の仏教は、日本に伝わってくるまでに、古代インドで流行っていたバラモン教の信者にあわせたり、中国の思想にあわせたり、日本の神道にあわせたりした結果、原型をとどめていないフィクションやスピリチュアルもりもりになってしまった。
(仏教は、相手にあわせて教えを説く「対機説法」というやり方をしているので、そうなるのはしかたなかった。)
で、仏教のコアの部分というのは「悟りをひらこう」というだけであり、これはスピリチュアルな意味ではない。
「自分とは何か?(自分というものを構成する必須要素とは?無くなったり変わったりしたら自分ではなくなる要素は?)」という疑問を突き詰めると、肉体や脳みそや意識や記憶は自分ではないと考えるしかなくなり、「本当の自分」とは「〇〇ではない存在」としか説明できない何かであるという結論にたどり着く。
この「本当の自分」のことを専門用語で「真我」とか「アートマン」とかいう。
で、哲学を突き詰めると「真我」という概念を、言葉としては説明できるという状態には、多少頭が良ければ誰でもなれる。
ただし、その状態ではそれを体験的知識にできていない。「真我」というものを実際に見たり感じたりはできていない。
例えば、生まれつき目が見えない人でも光や色について勉強して言葉で説明できるようにはなる。しかし、体験として光や色を見るという経験を積んでいない状態では、それを真に理解しているとはいえない。
「真我」についても、言葉で説明できるようになっただけでは、真に理解しているとは言えない。体験的知識にする必要がある。
悟りをひらくとは、真我を体験的知識として理解するという意味である。
悟りをひらくと何がうれしいかというと、絶対に苦しみを経験しなくなる。「苦しみを感じている肉体や意識」は「本当の自分」ではないから。
(ここらへん、にわか知識で間違った理解をすると離人症という精神病になるという話があったりなかったりするので、手を出すならちゃんとした専門機関、つまりお寺で教えを受けましょう。)
今苦しんでいなくても、ほとんどの人はいつかは年老いて病院のベッドの上か独居している自宅で苦しんで死ぬことになるので、それまでには仏教は必要である。
自己肯定感とは、自己を倫理的に肯定するという意味だ。(自己の物理的な存在感が問題である場合、病院に行った方がいい。それは離人症だ。)
しかし、ヒュームの法則を見ればわかる通り、「である」から「べきである」を導くことはできない。
つまり、何らかの客観的根拠から自己を倫理的に肯定する推論はあり得ない。
仮にあなたが「年収が一億円だったり、容姿が水準以上であれば自己肯定感を持てる」くらいに単純な精神を持っていたとしよう。
そのうえで、何ら自分を肯定できそうな事実が見つからないから悩んでいると。
そんなもので満足するなら「私は日本人だから価値がある」とでも思っておけばよろしい。
(すぐにこの解決法の問題点を指摘するので「私は日本人であることに肯定的感情を持ってないが」みたいな感想は仮に思っても、言わなくて結構です)
しかし、もしも「私は日本人だから」「私は年収一億だから」「私は美人だから」「私は○○コンテストで大賞をとった」「私は毎年○万円寄付している」
といった方法で自己肯定感を基礎づけた場合、むしろそのメリットよりデメリットの方が大きいだろうことは容易に想像がつく。
尾籠な話で申し訳ない。オナニーして射精したら血が混じっていたんだ。
かなり衝撃の画。ティッシュ二度見したわ。痛みもあった。
翌日急いで泌尿器科行ったところ、「慢性前立腺炎」とのこと。もっとやばい病気の可能性もあったので、ちょっと安心した。
確かに毎日出勤時自転車のサドルで前立腺を痛めつけていたので、まあむべなるかな。
薬飲んで1週間くらいしたら緩解した模様。
しかし、「射精」だの「精液」だの、このクールな俺が、この口で、他人に声出して言うとか、かなり現実離れした感覚で
あと、ちんこ触診されて大きくなったりとか、お尻になにか突っ込まれるとか、その場で精液の採取を命じられたりとか、
あんなこんな羞恥プレイを覚悟していたのにちんこ露出することすらなくて拍子抜けした。(超音波エコーで内臓は露出させられた)
起きているのに夢を見ているような感覚になる事がある。理性では現実だと分かってるけれど、感覚のリアリティや当事者性が薄くなる気持ち悪い感覚だ。デジャヴ(実際に見ていてただ思い出せないだけのやつじゃなくて、マジの方)を感じた時の気持ち悪さに近い。マトリックスでもこんなような事言ってたな。
ネットで調べるとおそらくは離人症という名のついた現象らしく、人によって感覚の表現の仕方は異なるだろうけれど、割と普遍的な現象らしい。
これは言葉で説明するのには限界があって、実際に経験があって肌感覚で分かる人にしか分からないと思う。
「白昼夢」という言葉があるが、自分はこの離人の現象を表す言葉だと思っていた。が、調べてみるとどうにも単なる「妄想」のニュアンスが強いらしい。自分の様な捉え方でこの言葉を使っている人は少ないのだろうか。
ここのところずっと、どんなことが起きても現実感がないというか、生きているという実感がわかない。知恵袋とかで同じような症状の人がいないか調べてみると、どうやら現実感消失症、離人症という精神的な病気があるらしい。現実感の消失は意外と経験している人は多いらしいが、内的な体験であること、また自覚しにくいことなどから、表にはあまり出てこない話題みたい。現実感が感じられないというのはメリットもあるが、あまりいいことではない。自分が体験することに対して何も感じない。というのは想像以上につらいことである。唯一楽しいことといえば、週一でラーメンを食べることぐらい。でも生きているだけましなのかも。。
(私は入門書(象の絵のやつ)を読んだことがあるだけで、使ったことはまだありません。)
で、関数型言語の良さをアピールするひとからは、いい意味でのの宗教性というか敬虔さを
私は感じるんですよね。
本題。「関数型プログラミングが『銀の弾丸』である という非常識な常識 2022」 と題された長い文章をみつけました。
ここ。https://kentutorialbook.github.io/functionalprogramming2022
まるで熱心な信者による経典なので、ほとんどちゃんと読んでないし読む気も起きませんが、
流し読みをしていて、目に入った 次の一節 がとても私の心に刺さりました。
ーー我々が暮らしている「現実世界」はミュータブル(mutable)なのです。
を撤回させていただいて、
( https://kentutorialbook.github.io/functionalprogramming2022/#n0.19337518569281165 )
ちなみに、ミュータブルは「可変」、 イミュータブルは「不変」の意味。
まあ私も世俗的なSEをやってるので、まっさきに、↓くらいのことは、思うわけです。
多分、プログラミングの世界での、世間一般の反応も似たようなものかと。
ところがですね。
ところがですね。これ、意見戦わせても、たぶん議論でどうにもならず、宗教間の対立みたいなものになる気がするんですね。
というのも。上の文章でとりあげられている数学やら物理やらというのは、おそらくレトリックでしかなくて。
そのレトリックで、伝えられようとしているものは何かというと、
ビジネスの世界だろうが何だろうが、本来、世界は不変なものとして記述されるべき」
なぜなら、私が隠し持っている信念が、まさにそれに近しいものだからです。
物理学の法則が成り立たとうが、物理学の通じないアナーキーな世界であろうが
世界は不変であり、私自身による世界への介入なぞありえない、と直観的に思っています。
だから 「やればできる」 「世界は変えられる」 「努力は裏切らない」 みたいな言葉は大嫌いなわけです。
この直観を私は自分で勝手に、「離人症的世界観」と名付けています。
この世界観の持ち主は多分少数派で、社会から見れば異端どころか、害悪とみなされるかも。だから、隠し持っている。
関数型言語が好きな人も、おそらく私が似た直観と似たものを隠し持っているのでは、と、
私は思うのですね。
もし、離人症的世界観に基づくコミュニケーションが社会に浸透し、
「自分の意志や感情」すら、あたかもファーストクラスオブジェクトとしての関数のように、
客観的に表明されるようなコミュニケーションが、もしこの世の中に広まれば
そうでもならないと、関数型言語は流行らないだろうな。というのが私の予想。
ま、宗教てものは、広まるときは、あっと言う間らしいですから。
ひょっとしたら20年後くらいには、手続き型言語が滅びているかも。こればっかりは分かりませんけどね。
以上!
/高校2年生
/一人称は「自分」、伊丹と話す時だけは「あたし」、「僕」。意図的に変えているわけではなく、染み付いたクセ。
/絵が人並みに描ける
/子供の頃の記憶はあるが、中学2年までははっきりと思い出せない
・偽名として、「彼」。別人格(?)。
/一人称は一貫して「俺」
/歌を歌う。シャウトと巻き舌が異常に上手い
厨二病全開のスペックだが、本当にこれがあるんだから恐ろしい。ちなみに彼とは11年の付き合いだ。
もう1人いるはずだが、最近は目撃情報がないので多分死んだか寝てる。
そもそも解離性同一性障害は「解離性障害」のひとつに分類されており、
・解離性健忘、遁走
・離人症
と分類されるらしい。wikiそのままだ。診断書が書かれた訳ではないので、詳しい話は知らない。
この中で、自分は「健忘」「離人症」「同一性」に当てはまっている。役満だ。嬉しくない。
詳しい話は省く。今回は解離性同一性障害についてだけ話す。
解離性同一性障害は、ゲームや漫画で書かれるようなものとはまず違う。そんな美談で終わらせられるほど簡単なものではない。
「何かしらのトリガーで引き起こされる」。これは、人による。彼もロックを聴いていたら稀に現れるが、ほとんどは静かだ。自分は好きな絵を見ると帰ってくる習性がある。
だが、確定ではない。あとパッキリ切り替わる事もない。「いつの間に変わってた」と言う方が正しい。
「自分の意思で変えられない」。これは自分の中ではノーだ。目を閉じて30秒〜2、3分経つと、身体から血の気が引いてくるような感覚を覚える。それにに合わせて、頭が飛んでいくような感覚になる。スッと意識が遠くなったら、もう変わっている。
「記憶がまるきりない」。これはイエス。だが、自分達の場合はそれほど空っぽという訳でもない。目に焼き付いた景色は残っている。ただ、何をしたのかは朧げだし、思い出したとしても自分の経験として至らない。勝手に誰かが作った記憶のようだ。
「顔つきや目つきが変わる」。イエスだ。家族からは目でわかると言われる。彼はいつ変わったかわかるよと言われたらしい。
声の出し方も変わる。彼は男性ででいたいので低い声を出したがる。声帯の使い方が違うのかも知れない。よくわからない。
多重人格のキャラは見ていられないので特徴がよくわからないが、とりあえずはこんな感じだ。
少なくとも「バイクに乗ったら気性が変わる」と言ったような単純な変化はない。それは多重人格でもないと思う。
なぜこんな話をするのかというと、多重人格のキャラはあまりにも綺麗事ばかり書かれているからだ。
最近、SNSで「バニシングツイン」について書かれた漫画の広告を見た。片割れの双子が死んだ場合、もう一人に憑依する事がある、という話だ。
実質多重人格はバニシングツインと同義としてもいいだろう。意識が同じ身体の中にあるんだから、ほぼ一緒だ。
というより、彼も自分の生まれる7年前に流産した男の子説がある。どうせ偶然だろうが。とりあえず多重人格も憑依型のバニシングツインも変わらないものは変わらない。
「母親が死んだ方の双子の意見ばかり聞き、自身の意見は蔑ろにされてとても悲しい。自分が乗っ取られているようだ」
と話している。
この時点で気持ち悪い。
少なくとも、自分の身体を持たず、自分のやりたかった事もできず、ただ空虚な人生を送っている彼と主人公を比べれば明らかにどちらが素晴らしい人生かわかるだろう。
人格は悪じゃない。誰も悪くないのだ。
なんだそれ。
除霊?
人格を殺すって言うのか?
せっかく、身体なしでも生きながらえているのに?
作者は、何も知らないのだと思った。
バニシングツインについてもそうだが、それ以上に「人格」を軽く見過ぎなのだと。
当事者からすれば、人格というものは四六時中離れられない関係にある。情が湧かない、という方が無理がある。
それを、損得だけで、切り捨てようとしている。
レビューでは「親が理解できない」という声が多いが、自分はそれ以上に子供が理解できない。
どうして、同じ時を過ごした人間を殺そうとできるのか?
今、自分が「彼を消せる」と言われたら、泣き叫んで相手を殺してしまうだろう。
レビューを今読んでいるが、頭の中で声が聞こえる事が「ホラー」と称されてる事にも少し腹が立った。
レビュー作者も漫画作者も、それを「エンターテイメント」として見ているからその様に話せるのかもしれないが、当事者からすればこの上ない侮辱である。
自分が抱えているものはホラーでもエンターテイメントでもない、
それを、ただの自己満足で消費される程気持ち悪い事はない。不思議でもない、スピリチュアルでもない。そいつらの目の前に立って「私が多重人格てす」と話してみようか。
厨二病だと投げ捨てるのだろうか。
気持ち悪いと目を背けるのだろうか。
やってみたい気持ちと、自分もリアルを見たくないという矛盾で吐きそうだ。
幸せでもない。不幸でもない。それは彼らにとっての「普通」なのだ。健常者の物差しで測る方が間違っていると思わないか。
それと、人格の年齢や性別が身体と違っても、受け入れてあげてほしい。そういうものだ。そうとしか言いようがないのだ。
気にしない人格もいるのかもしれないが、彼の様にスカートを履こうとするだけで泣きそうになる、それくらい性別にこだわりがある人格もいるだろう。
そういうものだ。それさえも知らないで多重人格の話を書くのはやめてほしい。SNSに蔓延る三流作家達のことだ。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
ユーミンではないが、小さい頃は神様がいて「ばか」と心の中で唱えたら、バチが当たると思ってすぐさま謝罪の言葉を唱えていた。
しかし、神様への侮辱をしないようにすればするほど、やってしまうのが人間心理というものである。
他にもリモコンの位置がズレていることに異常にこだわっていたし
ガスの元栓が閉まっているかや玄関の鍵がかかっているかに異常にこだわっていた。
そんな心配性では生きていけないよと両親はため息をついた。
年月は人を変える。心配をよそにいつの間にか「悪癖」は自然消滅した。
鍵なんてかけ忘れるしリモコンもひっくり返っている。
ある時洗面所で手を何べんも洗っている人がいた。
また、一緒に箸をついて料理を食べたり回し飲みができなかったりする人がいた。
そういう人たちの中に昔の自分を見たような気がした。しかし、心情として共感するということはなかった。
どこか、アルバムを見て「あーあったな」程度のおざなりな反応であった。
自分と強迫的な属性が無関係になったから、そんな冷淡な反応だったのだろうか?
喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺にあるように?
先に言うと先生が合わないとか、症状の改善が見られないとか、そんな理由じゃない。もっと自分本位のもの……といえるかは分からないけど、まあそれに近い。
元々はよく言えば活発、悪く言うなら見境なしに動き回る人間だった。今思えば典型的なADHDだと思う。
それで別に困ることもなかったし、「発達障害」という言葉を知ったのも成人してからで病院へ行こうとは思ってなかった。
ただ、意欲の差が激しかった。興味の有無で熱意の量や集中力が激変わりしてた。普通の人なら興味なくてもやらなきゃいけないことならイヤイヤでもやれることが興味がないという一点でだけでやらないしやれなかった。精々五分やれたらいい方だった。
その積み重ねの学生時代、流石にこのまま社会に出るのはまずいと思ってようやく重い腰をあげた。元々、カウンセリング対象者にはなっててクリニックでも良いから行ってね、とは言われてたから近場のとこにした。
後で分かったことだけど、ネットの評判があまりよろしくないとこだった。
プラス、自覚症状で致命的な欠陥があった。結果的にこっちが大きかったと思う。
離人症状がかなり酷いのに自覚がなかったから医者に言ってないまま、処方注意の薬が出された。
社会に出て一年くらい経った頃、自殺未遂しかけて入院施設のある病院へ入院と同時に転院した。
それが今通ってる病院。
なんだけど、ここ、自分的にはかなり遠い。電車とバスを使って一時間半以上かかる。
これが今、自分を苦しめてる。
だから病院へ行くのが難しくて、当日行けない……ってことがこの半年多々あった。
家族からも言われてるし、自分でも転院しないといけないのは重々承知してる。
でも、言わなきゃ生活できない。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。
身体もこころも元気、なのに脳の芯が寝ているようで、集中力や MP 的なものが湧いてこないことがときたまある。
(脳に芯があるかは知らない。寄り目をしてできる右目と左目の視線が交差する点から脳にむかって直線を引いたあたりの少し下のほうが寝ているように感じる。)
芯が寝ているときは集中力を要する作業ができないため、おとなしく 20 分ほど仮眠することにしている。うまく仮眠できれば芯も一緒に起きてくれるが、起きてくれないときも多い。
「脳 芯 眠い」などでググると脳疲労というワードがヒットするが、どうなんだろう・・。
俺の感覚と同じか分からんけどおれはもう10年以上その感覚 たまに思考がクリアになることもあるが基本ぼーっとしたような感じ 詳しく調べてないし病院にも行ってないけど離人症とかが近いのかなあとか思った 原因不明
返信ありがとう、同じような人がいると知って少しうれしい(周囲の人間にいってもあまりピンとこないと言われてばかりだったので)。