はてなキーワード: 社会政策とは
先日、久しぶりに大学時代の恩師に会った。
飲みながらあれこれ話していたが、少し思うところがあったので、質問してみた。
「あなたたちの頃は活気がありましたが、今の学生は少し違いますね。」
「大人しいですか?」
「そうですね。それもあります。」
「それはやはり、1987年生まれを境にですか?」
「というのは?」
「あまり言いたくはありませんが、ゆとり世代になりますね。」
「それが独立変数かどうかはわからないけどね。時期的にはそうなります。」
学生時代、私が部活で部長をやっていた頃の新入部員がちょうど1987年生まれ世代だった。私は彼らの2つ上。彼らが入部してきた頃、1つ上とも、同期とも、1つ下とも違う妙な雰囲気を感じたものだ。そして今年、彼らが新入社員として入社してきたとき、私は当時と同じ感覚に陥った。別に彼らが使えないと言いたいわけではない。もし使えなかったとしたらそれは社員教育が悪いのだろう。私が学生時代も今年の春にも彼らに対して感じたのは、気持ち悪いくらいに素直だということだ。そして、その傾向は今の学生にも続いているらしい。
「私の記憶では、あの世代は素直な子が多かったように思いますね。」
「確かにそうです。素直なのは悪いことではないと思いますが・・・。」
「素直すぎますか?」
「そうです。」
そこからは今の学生の傾向を色々と聞いた。環境問題や社会政策に強い関心があり、ボランティアやセミナーには積極的に顔を出す。インターンシップにも関心が高い。ただ、ゼミの最中にはそのような積極性は影を潜め、借りてきたネコのようになってしまう、とかなんとか。一番たまげたのは、「なぜ発表者に質問しないのか」とゼミ長に聞いたところ、「答えられなかったらかわいそうじゃないですか」と返されたという話だった。おいおい。
「うまく使われてたりしませんか?大人に。」
「そういうフシはありますね。ゼミ生がその辺の議員の手伝いにも行ったりはしてますが、大して得る物はないでしょう。他の人もボランティアはやってはいるみたいですけどねえ・・・。」
「就職活動のためというわけではないんですか?」
「そういうわけでもないみたいですよ。単純に、そういうことに興味のある子が多いです。」
その後も色々と話していたが、結局邪魔が入ってこの話は打ち止めになった。教員生活30年以上の先生が言うことなので、傾向としてはある話なんだろう。もちろん優秀な学生ばかりの集まる大学ではこんなことは起きていないはずだ。ただ私の母校は中くらいのレベルなので、多くの大学で似たようなことが起きている可能性はある。
ぼんやりと思うのは、今の学生達はもうちょっとひねくれた方がいいのではないかということだ。もちろん素直なのはいいことだが、大人にいいように使われるのではなく、逆に利用してやるくらいの野心を持った方がいい。大人は学生が思っているよりもずっと狡猾な生き物なんだから、それくらいでちょうどいいのだ。たぶん。
ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。
ttp://bipblog.com/archives/1006525.html
「navrasa(9つの情緒)」という文学的価値観に基づいてるんだよ。
だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、
ーーー
カースト制度については
カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、
英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。
「カースト」が無くなれば、また新しい言葉や概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。
今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。
あと日本の世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。
限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、
そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。
ーーーーーー
ガンジーさんに関する評価は、日本とインドでは正反対と言っていい。
独立後から主流な評価は、
「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、
パキスタンの分離独立を許し国家の安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」
という扱い。
ネルー:
五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、
ヒンディー語なり英語なり統一共通語をゴリ押ししなかった言語政策での失敗、
駄目な点は色々あるけど独立後インドでは最も評価されてる政治家。
個人的に一番の功績はインドの文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。
獄中で書いた「インドの発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。
ーーーーーー
違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、
「いかにも外国人がインドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。
ーーーーーー
サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。
インド人もみんなあれを褒めてる。
ーーーーーー
日本のインド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。
ーーーーーー
遠藤周作 深い河について
インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、
登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品
ーーーーーーーーー
パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、
でも近代史上インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立。
朝鮮半島は政治イデオロギーで国家が分断されたけど、印パは宗教。
ーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー
その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら
ーーーーーーーー
「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュはインドに再編入して
貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。
ーーーーーーー
それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。
自分は純粋に技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。
「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力は
世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。
ーーーーーーーー
蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。
1980年代にハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、
パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。
ーーーーーーーー
インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。
で、家族の健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。
それを指輪やネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。
宝石屋店内に星占いのソフトがインスコされたPCが置いてあったりする。
ーーーーーー
インド人からみた日本の宗教は日本は土着のアニミズムと仏教の習合。
儒教は科挙制度が無かったから儒教と権力が結びつかずに、知識人の一教養の枠を出なかった。
ーーーーーーーーーーー
『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を
全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。
犯罪、虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、
罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』
ーーーーーーーーーーーーー
時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立=パキスタンの分離独立、
それと数千万人単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国や大戦云々どころでは無かったこと。
日本人が韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。
ーーーーーーーーー
一貫してオンリーワンさせてもらってます。
日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆
インドの望みは当時も今も一貫して、米国&西欧の側でもない、共産主義でもない、
それに一番近いのが日本だった。
ーーーーーーーーー
日本はリーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーはシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。
しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡。
トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?
と考えた時に、笑うどころか、日本のシステムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。
ーーーーーーーーーー
昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、
[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、
肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、
例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、
一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、
その為の努力を惜しまない。
つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン
ーーーーーーーー
宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解
この3つ。
ーーーーーーーーー
イギリスがインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。
その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセスに違法な点は無く、英国支配によってインドの資産が失われたことを
立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ。
同様に、インド帝国として英国の戦争に付き合わされインドの資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、
これもまた賠償を請求できないというのがひとつ。
つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味
理由2つ目。インドは英国から独立するために、英国の保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと
国際社会に約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは
悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。
勿論インドも道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、
恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、
Munesuti · Intanashonaru日本,今天的一男志野泽在东京拘留中心,有关死刑的一大做文章被处决死刑犯2绪方秀树的。特别是,它执行了一年的最后执行日期不说话,对任意执行死刑,以示承诺作为一个人的生命的玩具给政府,强大的责任。
这一次,两名被处死,因为人们担心,摆在执行目标,大赦国际紧急行动(UA)的被遮盖的。请收到来自世界各地寻求对这些机构入住执行。绪方贞子离开后撤回了上诉法院的裁决,而通过死刑最后审查此案。
这一次,司法部长,千叶研究小组负责检讨与死刑状况,责令有关媒体提供的东京拘留所Center的执行place coverage机会,说。然而,信息披露和死刑,就存廃进行公开辩论是正式停止执行死刑。当人们执行,而对死刑的做法是讨论用另一只手不一致,同时继续执行我们的研究有什么理由害怕死刑推动。
已经是连续第二年在2008年和2007年,在联合国大会决议,关于世界各地的暂停处决呼吁废除死刑已经通过在100多个国家的青睐。此外,在2008年10月,联合国人权委员会,“无论在调查中,考虑废除死刑的积极,必要时,告知人们废除死刑的可取性应该是“做和建议。这个执行,这打开这些声音的背后。此外,“应决定了结论的方向是不是”一个委员会,研究和不符合这些建议的建立。
近年来,事故和事件的志布志冰见,富山,和足利事件,该事件暴露了一系列虚假的指控,被迫在审讯和调查替代监狱供认,已在许多侵犯人权的报道在日本刑事司法。福冈崎事件和事故,包括饭冢也已在他的死刑案件重审事故死亡已促请检讨在日本刑事司法系统,包括死刑。正式宣布死刑缓期执行,以现在废除死刑,应是日本的刑事司法系统进行大刀阔斧的改革。
大赦国际反对没有任何例外的死刑。死刑是一种生命权,不人道和有辱人格的处罚,在最终意义上残忍的侵犯。谁犯罪受到侵犯的受害者是生命权。国家需要做的是防止这些权利受到侵犯,是保卫国家,创造一个与减少犯罪的社会,它杀死的人是不是新的。犯罪背景,在贫困和社会歧视的时候,以消除刑事事宜并非由死刑解决。
去年,全国有18个国家进行全球处决。国家,死刑继续下降,其中废除死刑的国家 - 70%的世界。这个世界,为犯罪,而不是使用死刑,犯罪受害者援助方案和监狱行政部门审查试图通过社会政策来解决贫困和歧视和解决这个问题。
作为一个对人权条约的缔约国,日本政府应重申,国际义务,建立刑事司法系统依靠死刑。日本政府审查人权的原则,尽快停止处决,就必须开始了废除死刑的讨论。
大赦国际日本
だいぶ前ですが、mixiが株式を上場するのと前後して急激に路線を変更した。テレビ番組が「低学歴」「社会不満層」「下流」と括られる人々に向けて作られ、その質や番組作りのモラルが問われるご時勢ですけども(その最たるものが安上がりなだけが取柄のバラエティ番組とか、パチンコのCMとか、茶番なだけの報道合戦やみのもんたの舌禍ですね)、mixiも携帯認証を認め、年齢制限を緩和し大量にそういう括りで見られる人々を、ただ集めた。集めたはいいがフォローしたり啓蒙することを怠ってきた。肝心のインフラや雇用が未整備で都市型スラムが生成されてしまうのと同じような過程を踏んでしまったんですよね。つまり、大量のライトユーザと若年層が増えることで、全体の質が下がる。それにつけこんだ業者や犯罪も増える。結果的に生活環境はひどくなり、人は減り、世間からも糾弾され最後は存在自体が忘れられるか葬られる。いまじゃマイミク以外に積極的に足跡踏んでくるヤツはMLMとFX勧誘してくる業者かその信者、頭も尻も軽そうなネーチャンの援助募集と相場が決まってますからね。「足跡帳」ってわざわざ作ってあげてるのにただ踏みに来るだけ。この人たちは日本語が不自由なんでしょうか?でも携帯をいじれるくらいの知能はあるようですね(笑)で、そういう連中がガキを相手に営業活動してる。事務局も規約で謳ってるくせに取り締まろうとしないですし。いったいなんのための規約だよ、と灰皿を無闇に叩きつけたくなります(苦笑)
大阪市における弱者救済のための社会政策が、結果的に西成の生活保護率の異常な高さとそれによる市の財政危機を生み出し、さらにはそういう人々をエサにピンハネで懐を肥やす手配師。暴動を煽るプロ市民に麻薬を路上で売るヤクザ。mixiって例えたらそういう場所なんですよいま(苦笑)
「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」で有名な割れ窓理論*3というものがありますけども、そっくり当てはまる気がしますね、いまのmixiって。
「誰が見てもすぐ理解できる」
「みんなが参加できる」
それがこの体たらくです。必然的にもっともレベルの低いヤツを基準にしなきゃならないでしょ?それってテレビが衰退した事例と似てませんか?積極的に情報発信する人間がますます減り、ただ受け身なだけの人間が増え続ける。で、登録制ですもんねいま(まだ?)。招待制なくなって。
せめてmixiだけはそうなってほしくなかったですけども。そういうテレビを好んで観る層が大半を占めてしまったいま、それを望むのは贅沢なのかもしれませんね。
そういえば最近GREE真似て?mixiもついにあのアプリとかいうのを実装してしまいましたからね。質より量を、さらに促進しようという方針です。これはもうやばいなと。受け身でつまらない場所にしかもうなりませんよ。こないだも違法な動画アップでお騒がせな事件があった。西成の第○次暴動みたいに報道すらされなくなったらもう潰れますね。mixiはそういう場所なんだって認識されて。いや、もうされてるか(苦笑)もう続けていくのはやばいなとは思ってますけども、惰性でまだやめてません。どうせならその崩壊まで見届けてみたいという悪趣味な視点もありますしね。どんな事件でmixiが壊滅に追い込まれるのか(苦笑)
以下、http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-426.htmlのコメント欄より転載。
2009/01/26(月) 21:00:14 恩義(Oblige347)
よく、日本の現体制を否定し、日本人の卑屈な性格を批評し、日本社会の劣悪感を訴えれば、二言目には「北朝鮮へ帰れ!」という御仁が多いですね。 そこで、このブログではっきりと公言しておきます。 朝鮮民主主義人民共和国は中華人民共和国と同等のレベルにて日本よりは尊敬に値します! この意味が解らない人にはどうぞ言ってかまいません「だったら北朝鮮へ移民しろ」とでもなんとでも。 少なくとも、朝鮮人民共和国を北朝鮮というあだ名であざけ笑う人間に聞く耳持ちたくありません! 本来ならば、日本と同等に哀れな愚民化への道を踏んでしまった大韓民国と統一を実現し、朝鮮半島がひとつの人民共和国になるべきなのですから…。
朝鮮民主主義は地理的な状況で苦しんでいます。 革命により衆愚政治を打倒し、一時的に共産主義という名の開発独裁政策を盛り込みました。 そして、外交において有利に動く甲斐性が得られる核武装の断行を行いました。 これぞ、フランス第五共和国初代大統領シャルル・ド・ゴール将軍の思想を旨く心得ているかのごとく達者です。 また、地理的そして国際政治的に不利な立場を克服するために、人民統制を敷く為に凝固な独裁体制に依存しなければならない国なのです。
もし、朝鮮民主主義共和国と大韓民国とがともに統合を果たし、朝鮮民主主義共和国が釜山などの国際貿易上有利な港を手に入れれば、朝鮮半島にも繁栄がもたらされるでしょう。 しかし、政治体制はむろん朝鮮民主主義人民共和国の独裁体制をそのまま温存するべきですね。 今、経済情勢も社会情勢も揺らいでいる大韓民国の制度を朝鮮民主主義共和国において導入すれば、人民の間でのいち早いコンセンサスが定められず、南北朝鮮半島における経済格差を埋め、長年の暗い政治的対立の波長を弱めるだけの効果が得られないからです。 その真の南北統一において必要不可欠な政策は、更なる開発独裁の断行です!
そういえば、シンガポール共和国が明るい北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)とあだ名されていることを思い出しましょう。 シンガポール共和国が、コモンウェルスという英国連邦の一員として残るが、主権をグレートブリテン(UK)から奪還し、リー・クアン・ユー上級相の思案を基に、開発独裁を行使して、独立後の混乱および多民族国家として人民静定、そしてある程度経済発展が起動にのるまでは計画経済を導入しつつも、国際自由市場におけるイニシアティブを序所に上げて、今現在は国民一人当たりの平均GDPを経済大国として胡坐をかいていた日本を追い抜かしたのです! そして、独裁国家といえども東南アジア諸国の中では経済成長だけでなく、多民族国家としての品格として社会不安定に陥れない価値観であれば許容し、そして売春合法化など人間の性格を世俗合理的に判断し、政治的に抑圧をしけども自由主義的な社会政策を導入するという異彩を誇る新興国優等生に躍り出たのです。
朝鮮民主儀人民共和国が地の利を得れば、シンガポール共和国とまでは行かないものの、日本を脅かす新興国に躍り出る可能性はあるでしょうね…。
そして、日本政府は朝鮮人民共和国を赤貧にあえぐ悪役国家としての印象を強く日本人に押し付け、あたかも日本が朝鮮人民民主主義共和国にて生を受けるよりましであるという錯覚をあたえるのです。 むろん、それは日本が高度経済成長期の真っ只中で、人民の精神がまだ旺盛かつ将来に対して希望を持てる時代であればいえたことでしょう。 しかし、バブル経済から日本は本当に衆愚化してしまった…。 社会の上に立つべき存在(責任制のあるべきエリート)が似非エリートとして上り詰めた愚民等により制御される社会になってしまったのです。 マクロ経済マネージメントを怠り国債所有率をGDPレベル100%以上にまで吊り上げ、将来人民への負担をかせました。 本来、あそこまで国内市場だけでなく、同盟国であるアメリカ合衆国にまで嫌がらせの如く市場拡大を行い、バブルの破裂した際の撤収費用(サンクコスト)を多く被るヘマをする土人である日本人…。 そして、現在にいたれば、経済大国を自任しながらも、その他アジア諸国に次々に追い抜かされ、外交上においてろくに自分の意見も貫き通せず、ただひたすら諸外国に貢ぐことばかりで、その負担を本来世の中を動かすべき人民へと押し付けているのです。 そればかりでなく、経済大国を自負しながらも、ここまで雇用体制が杜撰であり、将来へ希望を無くし既に餓死する可能性のあるレベルまで赤貧に追い込まれた個人が数多に続出しました。
おそらく、日本にて赤貧に成り果てた人口と明日への希望を見出せず真っ当に社会生活を送れない人口の合計は、朝鮮民主主義共和国の赤貧に面している農奴の人口と同じといって過言ではないでしょう。 むろん、下層階級に貶められた日本人の方がまだ物質面では恵まれた文化生活を送ることができるが、幸福度という面では朝鮮民主主義共和国の赤貧人口より2倍は下でありましょう。 そして、まだ朝鮮民主主義共和国の人民の明日への希望、そして自分自身を信じて今日と明日を生きる気力は日本愚民および下層階級よりも数段上です!
そして、政治面でも、あれだけ窮地に立ち、日本と違い不幸にもミクロ経済マネージメントにおける利点を得られなかったにも関わらず、国際外交においては屑日本を譲歩させるだけの力量を秘めております! つまり、日本の政治家や官僚よりも朝鮮人民民主主義共和国の方が格段に力量が上であるのです!
また、日本政府は未だ拉致問題という本当に朝鮮民主主義共和国の主導により行われたか疑わしい疑惑を明示しながら、御国を犯罪国家と罵る醜態であります。 これは、日本人拉致疑惑を完全に否定しているのではなく、日本政府がその拉致疑惑の正当性を主張しながら、実際になにもできない醜態であるからやけに疑わしいのです。 本来、拉致疑惑の有無を議論するよりも、もし拉致被害者が出れば特殊部隊を送るなり、外交上の圧力を積極的にかけるはずです。 そういうことをしない現日本政府の対応を見ているとまるで、日本人拉致被害が無かったかのようにみえてなりません! どうでしょうね? すくなくとも、○○協○のような現日本政府体制の腰ぎんちゃくであるカルト組織が熱烈に拉致被害を誇示している背景からしても、ますます怪しく見えますね…。
処女にこだわる奴を気持ち悪がるのはいい。
そうすると次のステップは「この地球上に処女にこだわる奴が一人もいない世界」の構築なわけだ。
どうすればいいのか?
発生原因が自信なら、全員に同程度の自信を与えることは不可能だ。全てのことは相対的だから、自信のある人、普通の人、自信のない人、必ず発生する。
これを発生させないような何か、やりようはあるのか?
しかも生理的なことだとするとかなり若いうちに仕込まないと大人になってからでは変更不可能なことが多い。
だとすれば、いつくらいの時期に、どうすればいいのか? それは社会政策としてやれるのか?
一つできるとすれば、中学くらいでフォークダンス式に順番に全員とセックスさせることだ。こうすれば性的な劣等感は発生しないだろう。
これが全員に自信を与えるやり方。
もう一つは、全員に自信を与えないやり方。男女を分けて育てる。こうすれば条件がイーブンになる。
この二つを極端だとして、その間の穏健なやり方は何かあるのか? それは効果を発揮できるのか?
ヒューマニズムを教え込み、相手も人間だから性的にばかり見てはいけないよ、と教え込むのか?
それが感覚を変更させるか? させないか?
そこで私の方法論思考は行き詰まるのである。
2008年秋
最後とおっしゃっているのにレスをつけるのもなんなんだけど、橋下さんについては多分こうなんじゃないかなって思うことを補足として。
当人がはっきりと明言されておられないのを言うのも何ですが、環境的に彼は逆境と言っていい境遇から、難関私大に合格して、難関の司法試験を突破して、いまや知事であるわけね。
個人的には偉かったねと言ってあげたいけど、得てしてそう人にありがちな思考の癖が、やはり彼にも見られる。
「頑張れば出来る、俺を見ろ、俺だって頑張ってここまで来たんだ!」
っていう考え。
もちろん、頑張ることは大事だし、頑張る人たちによって社会が支えられている面もある。学校の先生が頑張っているように。
ただ、社会政策を立てたり、考えたりするうえでは、むちゃくちゃ頑張ることを前提として立案するのは無茶というもので、個人としてはむしろ美徳といってもいい信条が、公共の問題にすりかえられるとき、過労死を招いたり、教育のリソースの枯渇を招いたり、それが少子化を招いたりするわけね。
私が思うに、効率と福祉ってのはどちらも大事なんだけど、適当なところでバランスをとるしかないでしょうって、いい加減な言い方かもしれないけどそう思う。
現実の問題として、大阪の教育水準が少なくとも先日の文科省の一斉調査の結果、あんまり芳しくなかったってことがある。
それも単に一点二点の差じゃなくて、明らかに中心集団から外れた、ちょっと特殊な位置にある。
これは大阪の子の将来のためにも、やっぱり改善が求められる状況で、なんでまたこんなことになっているの?と原因を考えた時、制度的に大阪の学校教育環境が他の都道府県とそう変わらないのだとしたら、やっぱり特殊な原因があるだろうことは推測できる。どう考えても秋田県の教育環境が予算や施設において大阪より恵まれているなんて思えないもの。
問題はそれがいったいなんなのかってことね。
おそらく彼は、その原因を大阪の教育委員会の政治的な体質に求めている。
個性を伸ばす教育やら、社会教育やら、なにやらを「余計なもの」と見ている。なんだっけ、マンガ図書館とかもね。
もっと百マス計算をやらせろって思っている。
これも憶測に過ぎないけどね、まあ憶測と断った上で、本当に問題にされているのは「政治」であるわけよ、「教育」じゃなくて。
と言うか、教育の問題を切り離すために、政治をまずやっているのでしょう。
もっとあからさまに言えば、左翼やら女権団体やら部落解放同盟やら朝鮮総連やら、それらとの「抗争」の一環であるわけですよ。
そして、権力者の立場にあるのは彼であって、彼に反対する人たちではない。
橋下さんははてダや増田でずいぶん、批判されているけど、それでも世論の支持は高い。これは大阪の「弱者利権構造」があると世論が見ていて、それに大阪教育界が毒されていて、橋下さんがそれと戦っていると見ているからですよ。
だから増田さんも感情をぶちまけては、ある意味、思う壺になっちゃうかもね。またブサヨがどうのこうのって言われてしまうから。はてなではそういう人は少ないけど、橋下さんの支持率の高さから見る限り、むしろそうした人たちのほうが多数派、日本は幸か不幸か民主主義国なんで、ガチでぶつかったら多数派が勝つようになっている。
代案を出せって言ったら、いや橋下を批判しているだけなのに、それおかしいでしょ、とか言わないでね。
なぜ大阪の状況が悪いのか、分析した上で、説得力のある(この言い方もあやふやだけど)代案を示さない限り、多数派にはたぶん通じない。
増田さんが橋下的なるものに批判的であるなら、主導権を握らないと駄目よ。東京ではそれが出来なかったから石原さんが3期も都庁に居座ってしまった。橋下さんは若いから3期どころじゃ済まないかもよ。
…いや、そんなやつとやるやつも馬鹿なのか?
一理ある。
ただし、こういう意見は(この問題にかぎらず犯罪、トラブル一般について)よく見かけるが、(1)「そんなやつ」の割合が相当高くて、(2)「そんなやつ」かどうか見分けることがそれなりに難しい場合、個人の判断に負荷がかかりすぎるので自己責任に帰するのは得策ではない。
だいたいにおいて、上記のような意見を言う人間は、(1)(2)を甘く見つもりすぎている(実態を知らない)。
しかし、社会政策や文化・習慣の変化というのはそうそう急には起こらないので、仕方なく「自分が賢くなる」という自衛手段がとられる。ただしこれはあくまで「自衛手段」であって、他人を非難するための理由であってはならない。
でも、だからといってニートが悪いことにはならない。
責任があることと悪いってことは別の次元の話で,何もニートが悪いんだとは考えてない.
ただニートの問題を具体的にどうにかこうにかしていこうとするならば,
当然社会的あるいは法的な側面での問題の整理が必要になってくるわけで,
そうすると必然的に「責任」という概念を持って来ざるを得ないってことを言いたい.
だから「環境のせいだ」というように責任の所在を曖昧にするのはいかがなものかってこと.
ニート自身にしても,自身の責任を問われなければ,問われる場合よりも働く誘因が小さくなってしまうわけだから,
社会政策としては当然本人の責任を問う方が賢明なやり方だと思うんだよね.
前者は明らかに環境に依存しているし、後者は由来が不明なものでしかない。つまり、意志そのものは自分を自由にある方向に決定づけることは出来ない。
「なぜその選択肢を選んだのか」についての理由付けについては,受動意識仮説とかあって,確かに後付け理論でしかないというのは
科学的にだんだん分かってきていることだよ.ただし我々が言葉で考えているその背後には意志を計算しているホムンクルスがいて,
自由意志はそのレベルで確かに存在するのだと思う.そういう仮説をクリストフ・コッホっていう脳科学者が提案している.
まだ仮説段階だけれど.まあこの辺りのことをたかが増田で議論してもしかたがない.