はてなキーワード: 書評とは
文系のオピニオンリーダーと呼ばれる人たちと話していて、ときどき驚くことがあります。彼らには理想やビジョンがほとんどなく、ポジション取りこそ最重要事と考えているのです。たとえば『朝日新聞』の書評委員になる、月刊『文芸春秋』に原稿を書く。そんなポジション取りに熱心で、かつ、どの雑誌に書いているかで、「あいつは最近、落ち目だ」などと評するのです。
まさに実用主義そのもので、日本という部分社会における"おいしい部分"を取ろうと腐心しているように見えます。そこに「世界に届くような普遍的な思想を出そう」といった熱意は感じられず、実際そのような思想は日本から出ていません。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/51991452.html
・積ん読本がだいぶ減った。
・休日の読書を考える。積ん読本はよむのに土日まるまる潰れたりする。しかもストレスがたまるが、本屋で買ってきた本であれば1日で4冊読める。
読みたい気持が一番高まっているときに読んでるから精神的にも満足度が高い。積ん読本は義務感でダラダラ読んでストレスがたまり、得られるものも少ない。
・人にもよると思うが私は読んでない本が部屋に存在するとそれだけでイラッとする。
自分のフローから考えて、処理できそうな分を明らかに越えたストックを持ってはいけないと偉い人も言ってた。
積んでいいのは読み終わった本だけ。買ってから2週間以上たって読まなかった本はリストを作って売るか電子書籍化して保存したい。
今のところ電子書籍は読まない本を視界から消す or 読んだ本で、何度も手にとって読み返す程ではないがたまに引用したくなるようなやつを保存するため。
読んだことない本をいきなり電子書籍で得られてもまず買わない。でも歌うクジラは良かった。作品としては微妙だったけど体験する価値あり。
・そもそもAmazonで買うときは動機が「他人のススメ」で一時的に盛り上がってるから、という場合が多い。
2~3日間を開けて熱が冷めた頃には他人からの影響は消えており、かなり残念な結果になる。
書評ブログで紹介されている本こそ自分で本屋に足を運んでほんとに読みたいかどうか確認すべき。
・特に小説はどれだけ全体として良い話でも、文体や走り出しなど最初の10ページの食いつきが悪いとすぐ積ん読化する。
自分が読みたい本以外は買うべきではない。無理して読むのはネットの向こうの他人じゃなく尊敬する人か親しい友人が強くすすめてくれた本だけでいい。
・Amazonで買えば値段的にはお得かもしれないが、私みたいに旬が短い人間には本屋メインのほうがいい。
積ん読にしたら安く買ってもただのゴミに金払ってるようなもんだし結局損してる。ちゃんと読む本だけ買えばいい。
あと金がそんなにあるわけではないけれど、読書に関してはやはり金より時間や心の盛り上がりの方が大事だと思う。
金ケチってマケプレで買うくらいなら図書館で借りてしまったほうがいい。
・ビジネス書の8割以上は、Amazonじゃなくて本屋で立ち読みすれば買わなくてもおkな本ばかり。
読んでも欲しいのは数ページだけだったりして買うのもったいないとか思う。その程度なら暗記してしまえばよろし。
たまに、引用してブログで紹介したいと思うページとかあると悔しいけど買わざるを得ないけどすごいムカつく。
個人的にビジネス書は1ページ50円とか1章200円とかで部分的にお持ち帰りできる売り方をしてくれないかな。
iphoneのGhost Trickみたいに1章50円とかで8つくらいに分ければ値下がり防げると思う。今の1冊85円みたいな売り方は長期的に誰も得しない。
ビジネス書は精神のエロ本だと思うので、今までエロがメディアの進化を促してきたようにビジネス書が電子出版を支えるきっかけになってほしい。
Amazonのお薦めつながりは、似たような本ばっかりだからおや?って思う作品に出会うことは少ない。
「入門編」あたりだと関連本探す能力もないし、どれがいいかなと比較する際に他人の意見も役に立つが
ある程度自信がついてきた分野なら本屋で自分が判断したほうが正解が多い。
・本屋にも不満がないわけではない。Amazonのようなリンクする感覚がないのは辛い。
目当ての本がなかなか見つからないのもAmazon慣れしているとかなりストレス。
松丸本舗ってのがすごいらしい。一度いってみたい。
・もちろんこれは私の意見であって、他の人が同じようにやるべきだとは思わないし、どうせ言ってもやらないだろう。
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
http://anond.hatelabo.jp/20111025124909
ご指摘の通り、例の書評はハックルさんこと岩崎夏海さんを茶化すように書いたものであり、正しい本の内容を示していないかもしれません。
一点誤解のないよう補足しておくと、
書評についてはおちょくるためにわざと脚色して書いたというわけではなく、私には本当にあのように読めたということです。
そして、岩崎さんの記事を読むたびに、ああこの人はひねくれものの中島義道とよく似てるなぁと思ってるんです。
岩崎さんをもうちょいあけすけで技巧的な感じにしたら中島義道になるかな、と。
そんでもって、岩崎さんの方が技巧的でない分だけ私に馴染みがある存在かな、くらいに感じています。
そういう意味で、私は岩崎夏海さんに好意を持っています。尊敬に近い感情といっても構いません。
何でもかんでも彼の言いたいことを否定したがるアンチというわけではなく、むしろかなりシンパシーを感じている側です。
書評ではそんな私が「小説の読み方の教科書」という本を読んだ時に感じたことをそのまんま書いたつもりです。
彼が自分のひねくれぶりを頑張って抑制しつつ、キレイなものを目指して旅立とうとしながら、己のひねくれぶりに足を引っ張られ、
それでも好きな作品を語るときは子供のように目を輝かせて勇み足気味に語る。
この手探り感のある本を読んでいて、素直に面白い、微笑ましいと感じた、という事実に嘘はありません。
なので、私はあなたの「読み」には必ずしも賛同するわけではありませんが否定をするつもりもありません。
そのかわり、私の「読み」についても、これが正しいと言いはるつもりは全くありませんが取り消すつもりはありません。
この点のみご了承願います。
まず、アルファツイッタラーって言うのはアルファブロガーと同じく「影響力のあるツイッタラー」っていう意味です。
Twitter上とか2ちゃんねるで言われるような意味なので津田大介とか、もとから影響力のある人がTwitterをやっているパターンは除きます。
有名所で言うと@d_v_osorezanとか@error403とかかな。クラスタが違うと全然変わってくるんだろうけど。
あとはヲチスレとかで名前が出るような人たちって事でいいんじゃないかな。面倒くさいし。
既に幾つかのアカウントを持っている人はそのまま使ってもいいけど、Twitterの環境をガラっと変えることになるので、それが嫌なら新しくアカウントを作ったほうが無難。
IDは
ってのを守ればぶっちゃけなんでも良い。
@d_v_osorezanとか@wasaraはローマ字読みでそのまま名前になるから覚えやすい。
逆に数字とかアンダーバーとかごっちゃになってパッと見で読めないのはやめたほうが良いと思う。
アイコンは抽象画みたいにアイコンサイズになったら何書いてあるのかパッと見で分からないの以外ならなんでも良い。
ただ、アニメアイコンにしたいなら、アニメのキャプチャじゃなくてpixivとかから目を引くようなの持ってきたほうが良い。
これはシンプルに短く纏まっていればなんでもいい。言っちゃえば空欄でもいい。
でも、スラッシュ区切りで好きな物とか列挙するのは完全にNG。あと自称変態も
とりあえず自分が気になるワードを検索して出てきた人を片っ端からフォローしましょう。
1000~2000くらいフォローしたらとりあえず終わり。
たぶん1000フォローする前に規制かかるし、一気にフォロー増やすとアカウント凍結されるから何回かに分けたほうがいいかも。
ネタに徹してもいいし、日常で起こったことを書いてもいいし、書評をしてもいいし、絵を上げてもいいし、写真を上げてもいい。
リプライは自分から送らなくてもいいけど、リプライが来たら好意的な態度で適当に返そう。
たぶん、よっぽどフォローする気にならないようなことを言ってなければ、フォロー数の3〜6割程度フォロー返しとかでフォロワー数が増えてるはず。
まずはその中からフォローが返ってきてない人をごっそりリムーブしよう。フォロー返しされてるかどうかは手動でもいいし、ツールを使ってもいい。
次は、スパム垢とか、どう考えても自分が興味無さそうな人とかをフォローされててもリムーブする。
一連のリムーブを行うとき、follower/followingが大きい人はリムーブせずに残しておこう。
あとは5〜6の流れを8以降もやりながらずっと繰り返す。
フォローしてる人が面白いことを呟いてたらリツイートしよう。非公式RTは嫌っている人も多いから慎重に。
他人の呟きをRTすることで義理とかお返しで自分の呟きもRTされる事が多くなる。
そうすると必然的に多くの人に自分の呟きを見られる機会が増えるので、アルファツイッタラーに近付く。
どういう界隈をフォローしてるかにもよるんだけど、他人のつぶやきをとりあえずふぁぼって媚びを売ろう。
ふぁぼられ慣れてない人だったらふぁぼられてる事に気づいたら嬉しそうにするし、ふぁぼられを気にする人には覚えてもらえる。
ふぁぼっていれば自分の呟きもお返しでふぁぼって貰えるになるので、ふぁぼったーとかfavostarとかに載る機会も増えるのでアルファツイッタラーに近付く。
8,9はなるべく面倒くさくてもなるべくやったほうがいい。リプライとは違ってボタンひとつ押すだけだし。
最初は1人とかでも、フォロワーが増えてくると構ってちゃんも増えてくるので、RTされたさに自分の名前を呟く人が増える。構ってちゃん氏ねって思いながらでもいいからRTしまくろう。
それを続けてると、
一人呟く→RTする→それを見た人が乗っかる→RTしまくる
っていう流れになって「○○TL」みたいになる。
そういう状態になったらもうアルファツイッタラーになったも同然
信者みたいなの作ってる人もいるけど僕はそういうのの作り方は分からないから割愛。
あとは自分語りをして自己承認欲求を満たしてもいいし、自分でやってる活動の宣伝をしてもいいし、アフィリエイトで小遣い稼ぎをしてもいい。
オフ会で交流範囲を広げてもいいし、適当な女の子と仲良くなって、DMやらSkypeやらでいちゃいちゃしてお互いの顔も知らないのに彼氏彼女になって、初めて顔を合わせたときにラブホに連れ込んで、あとで女の子のmixiとかで「すごい頼んでくるし、自分も好きだったから受け入れたけど、早漏だったしまじ無いわ」とか書かれてもいいし、ユニクロをダサく着こなして初対面の女の子の手を無理やり取ったりキスを迫ったりして女の子に晒されてもいい。
http://anond.hatelabo.jp/20111011200303
が興味深かったので、ファンは対象外なのかな、と思いながらあえて読んだ。
上の書評はネタとしては面白いけれど、書評としては不適切なのではないかと思う。
この本はとてもシンプルに「小説のルネサンス」を主張していると思う。カジュアルに言うなら松岡修造の「お米食べろ」と同じノリだ。
「小説の読み方の教科書」では、小説の面白さの源流のようなものを求めて古きを探る。
そして、ドン・キホーテとハックルベリーの冒険という作品にいきあたり、世の中にはこんなに素晴らしい小説があったのだと興奮する。
さらに、現代は大衆がこの素晴らしい小説の持っていた力を失っている。そもそもその存在すら忘れ去れれていると嘆く。
もっとこれらの古き時代に学び、これらの良さを取り戻そうと誓う。(自分でやろう、とするところが個人的には好きだ)
そしてそのためには読者がこれらの小説を楽しむ力を取り戻すことが必要だ、と考える。
そこで、まずこの2つの小説を作者なりに読み解く姿を披露することで、読者と面白さを共有し、読書の楽しみを体験させる。
そして、こういう面白い小説を取り戻そう。「小説を読んで、心のそこから面白いと思う感覺」を養おう、と主張している。
NHKスペシャルの歴史ドキュメンタリーを松岡修造が担当しているような、そんな熱くて小気味良いノリは読んでいて楽しかった。
「小説の読み方」についてはおまけ程度の分量しか書かれていないが、ここでも
ストーリーの筋をおいかけるのではなく味わうことを中心に考えよう、と思い切ったことを主張している。
そのためだったら、あらすじは最初から知った上で読んでも構わないだろう、と言い切っている。
「ネタバレ」を食らったくらいで楽しめなくなる本を読むことは読書ではない、などと勇ましい限りだ。
実際私も、一度読んだ本でも本当に面白いものは何度読み返しても面白いと感じるし、
他の人の書評などで「別の読み方」を見つけた時などに嬉しく思うことがあるので言わんとすることは何となく分かる。
論理的には粗だらけだが、非常にシンプルかつ力強いメッセージのある本だと思う。
こういう本を書ける作者の小説はさぞ面白いのだろうかな、と期待させられる。
なんとなく「夢をかなえるゾウ」の二番煎じだろう、みたいに思って敬遠している内にタイミングを逸してしまい、
ドラッカーブームも長続きしなかったため、今更読んでもな、とは思っていたが、今からでも読んでみようか。
ただし全面的にほめられるかというとそうでもない。
構成と文章はかなりいただけない。
まず冒頭から特定の人物に向けての非難のようなものが始まり、ソレについての正当化のような文章が続く。
経緯を知らない私には心底どうでもいい話であり、蛇足以外の何者でもない。サービス精神の真逆である。
始めは作者にネガティブなイメージを持ち、立ち読みだったらこの時点で読むのをやめていただろう。
また、この読者批判?のようなものは、その後の文章でもちょくちょく顔を出し、そのたびに嫌な気分にさせられる。
どうしてこんなに前向きな主張をする人が、些細なことでネチネチと文句を言っているのだろうと不思議になった。
作者の主張とテキストの間に一貫性を感じないのは気持ち悪さを感じて非常にマイナスだった。
上の記事が「ファン向け」と言われたのもわかる気がする。上の記事で言うところの
は確かにあり、私にはこの部分は非常に読んでいて邪魔臭く感じた。シンプルな話をややこしくして何がしたいんだろう。
小説ではこのようなことがないようにお願いしたい。
書評「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」の準備。
この本の特徴を表すいいキーワードがでてこないため、今ひとつ文章がスラーと書けない。
私の書き方はいつもまず一言伝えたいキーワードが浮かべて、あとはそれをくどくどと説明するというスタイルなのです。
そのためにまず概要やら特徴をまとめてそこからキーワードを浮かび上がらせようとするのですが、この本はいまのところそれが出てこない。
はっきりいって今のところAmazonレビューのギスギスぶりの方が私が下に書いた文章より面白い。
金融日記の著者らしさが全く出ていないとは言わないけれど、めっちゃ普通の本。良くも悪くも教科書的。「世界一やさしい・・・の本」と同じような系統だろうか。
普通に入門書として使えてしまう普通に良い本。 一時期流行った勝間本と同種として捉えるのが良いかも知れない。
あえていうと、この人が大学では経済学と全然関係のないことを勉強していた事や、しかし経済学の文献を多く読みあさっていることは伝わる。
こういう専門外の人間(別の分野の専門家)が、本来の専門家を差し置いてヒトコト申し上げる、系の本としてはどうしても岩崎夏海さんの「もしドラ」や「小説の読み方の教科書」を意識してしまう。
岩崎さんの本はカバー範囲が極端に狭い代わりに、岩崎さんのハックルぶりがたっぷりつまったオンリーワンの本という感じなのだが
経済学入門については、ちゃんと経済学の話を網羅しようとするあまり、作者らしさが少し抑制されていてやや特色が薄い気がする。
「もう対案はありません」というサブタイトルはかなり魅力的で、これは5章で著者からの政策提言という部分のことだろう。
いつもの直線的かつ視野狭窄的なロジックとそれにつながる断定口調や、現状への鋭い皮肉が読めると期待させるが、この点ではブログを超えるほど面白い点は感じなかった。
別に読者はこの人に教科書や、体系だった教科書的な本を求めていないのだと思うが、そこまではっちゃけ切れていないような気がする。
本人のキャラを活かせとまではいわないけれど、本人の専門分野である金融からの視点はもうすこし生かされても良いのではないだろうか。
やはり岩崎さんと違ってあまりな○○○○ぶりを発揮すると本業に関わるという配慮があったのではないかと思われる。
正直gdgdになっちゃった。やっぱり好きな作家さんのことは上手にかけないのでタイトル取り下げ。増田の中で埋もれてしまえー。
<書評 まじめの罠>
正しいことを言っている。でも役に立たない。
「誰に向けて書いているのか」を全く意識していない結果としてこういう作品ができるのだ、という見本。
占い本と大して変わらんというか、誰でも心当たりがあることについて、薄く解決策を指摘するだけ。
いかにタバコが健康に悪くて、ソーシャルゲームよりも世の中には役に立つことがいっぱいあるかを語る本でしかない。
テレビの出すぎで絞りがぬるくなったのかも知れませんが、
この程度の内容、勝間さんが書く必要があったんでしょうか?
「年収10倍」シリーズは読者として想定されているのが向上心のある人でした。
ウルトラクイズのように「年収10倍になりたいかー」というと「おー」とかえしてくれるのりの良い人達です。
こういう人相手なら、ミッションを与えたり、改善すべき点を指摘すれば、そのとおり行動するでしょう。
本の内容よりも、そういう人の集まりに着目し、そこに適切なメッセージを送るということができたため
本を売りたい作者にとっても、読者にとってもよい本になったのだと思っています。
思います、というか、これは勝間さん自身がラジオで言ってたことですね。
「本の内容よりマーケティングに5倍力を入れています」という当時の発言は批判も多かったですが、
作者も読者も出版社もみんなハッピーな結果となる点でとてもよい考えだったと思います。
(ただし、これが唯一の応えではないと思うと言うか、こういう考え方もある、程度のものなのに
こうしなきゃダメだ、って煽ってたあたりはちょっといらっとしましたが)
この本では、真面目の罠にはまった人について、例えばこういう表現を使っています。
まじめの罠にはまった人は、既に出来上がった決まりを疑うことをしません。
言い換えれば、問題設定能力がないとも言えるでしょう。
しかし、ここまでわかっていているのに、その後に続くのは
「いかにこれが間違いであるか」と「ではなにが正しいのか」という説明だけです。
これで読んだ人が変われるとは思えない。
誰か罠にひっかけた人がいて、ひっかかった人間は間抜けかもしれないけど被害者ポジションでしょう。
ところがこの本だと、罠にかけたのもかかったのも自分。その責任も自分。
罠にかかっているという状態は責められるべきで、いますぐ自分で何とかしなさいとなってしまう。
これだと罠にハマっている人の追い打ちにはなっても、助けにはならないような気がするんですよ。
タイトルが「まじめの罠にはまらないように~はまったらもう手遅れ~」ならともかく、
すでにはまってる人かすれば落とし穴の上から叩くようなこの内容はちょっとひどいんじゃないかと。
この本は間違ったことは何も書いてません。正しいことだけが書いてると思います。
思うに、この本には「なぜこの人達はそういう状態になったのか」という部分の分析がザルです。
というか、分析になってません。この部分で自分語りを始めてしまいます。
「私も真面目の罠にはまってました。それはこういう理由でした。それを私はこういうふうに抜け出しました。
だからあなたの理由もこうなんです。そしてあなたもこうすれば抜け出せます」
香山リカの「根拠の薄い決め付け」論法よりは多少ましかも知れませんが、
勝間さんのいう「私の理由」は、全然一般的なものとは思えません。
ここで描かれている勝間さんの状態は
ある程度自己分析の道具もフレームワークも持っていて客観的にはある程度問題を認識していたが
なにより、組織の性質も特殊ですし、そのあと彼女は独立した状態で立て直しを図っています。
それで「貴方も私と同じです」と言われても全くこころに響くものがありません。
これも勝間さんがラジオで言っていた「自分の過去を晒すことによって共感を得る」という手法は、
上昇方向ならいいんです。でも、「できない理由」では多分だめなんです。
結果として、この本は最初の特徴説明の部分までは自分の事かな、と思って読み進めるのですが、
「理由」の所で乖離してしまいます。自分のことを理解して語ってくれているように感じられないのです。
ちゃんと「理由」が共感できてるかどうかというのは印象が警察の取調と良い町医者の診断くらい違います。
この手の本で必要なのは、自分のことを吐き出すことだと思います。
自己啓発本の著者のもとには多くの共感のメッセージが届くらしいです。
自分は独りじゃないとか、自分を理解してくれる人がいると感じられることが必要だからだと思います。
自己啓発本の読者って、勝間さんがいかに正しいか、正しかったかを読みたいのではなくて、
自分がどんなに苦しかったかとか、自分はどんなに成長を望んでいるかをりかいしてほしいのだと思うんですよ。
おそらく「年収10倍シリーズ」においては、そういうことがあったのではないかとおもいますが、この本だとちょっとなぁ・・・。
そもそも完璧主義をやめよう、という趣旨で書かれた本で役に立つ本を見たことがない
要するに「失敗を恐れずチャレンジしよう」って言う類の本。
失敗するのが当たり前、失敗は成功の母、失敗することで成長する。どんどん失敗しよう。
・・・うん。わかってるけど。なぜそれでも失敗を嫌うのでしょうね。
もしかして「失敗にも良いことがあるってことがわかってないほどバカだから」とでも思っている?
みんな、頭じゃ理解してるよね。そんでも怖いんだよね。
それをどうやって克服したか。
この1点に絞って、勝間さんの自分語りだけじゃなく、もっといろんな声を集めたりして掘り下げてみて欲しい。
せっかくビジネス番組を持って、いろんな人にインタビューしたりしてるわけだから、いくらでもネタは在るだろうに。
なぜ自分のことしか語らないのか。自分だけで完結できるからか。
今回の本は、作り方からして「つながる力」とかでご自身が書いてたことに反しているような気がします。
勝間さんが、自分語りだけにとどまらずにいろんな人と一緒に語り合う中で、一つのテーマを掘り下げて作った本が読みたい。
批判する人はこんだけたくさん書けるんだから、逆の「こんなにすごい人」をたくさん紹介した本を読みたい。
大阪駅の一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。
ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。
誤解がないよう、本の内容の前にwikipediaを引用しておく。
設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明の時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。
現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗をベースとした教義を説いている印象を受けた。
他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。
言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?
今までの宗教は、仏教しかりイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、
それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、
そういったものを、より広い視野から、至高存在「エル・カンターレ」によって調和・調停させる。
これによって未来の最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上の目的。
要するにセカイ系。
ただし、普通のラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。
また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。
そのために補足が行われている。
・その一は「一人で戦わない」こと
「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。
・そのニは「武力を持って戦わない」こと。
平和を目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング?・・・うーん。
・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。
世界宗教によって世界を統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。
あくまで日本に理想の宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。
なぜ日本にモデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地だから、だそうです。
こうやって中途半端に自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。
何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまうタイプの人ははまっちゃうんだろうな。
成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから、信仰によって他者を排斥するということはあまりない。
唯一のルールは教祖である大川隆法を信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。
(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教や論理的に厳密な人間を極端に嫌う)
「幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない
あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである。
それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。
要するに目的が正しいならなんでもありってこと。
大事なのは「信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、
その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。
社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。
彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。
セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界の幸福量を減らす存在」である。
非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。
幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。
人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する
あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。
ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです。
世間一般では「幸福の科学=大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが
あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。
現代の日本や世界情勢の分析について、中途半端に現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。
そんなに難しい英語使ってないし.一つの書評で100~200字くらいだし。時間なくても言い訳できないからけっこうよい。
小説だと長いから電車の乗り換えで中断されてだんだん読むの嫌になってくるんだよね.
それだけ。
http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html
余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループで書評・本のまとめブログ
http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033
ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!
最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者とニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である。
単純に言えば、アリ社会は
それにひきかえ日本人は、
端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要なファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である。
ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。
資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである。
ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者とニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだから、ニートをキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずとしかいいようがない。
われら人類のニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。
はっきり言って非常に面白かった。というか岩崎さんがすごい萌えキャラに見えてきた。ラノベヒロインとしてみればA級クラスの完成度だよマジで
タイトル通り読書術を期待して読むとかなり肩透かしを食らうが、むしろ小利口な読書本を期待するはてな民は最初からおるまい。
この本は、どちらかと言うと「岩崎夏海版 小説を書くことについて語るときに僕の語ること」と名付けたほうが良い。
小説とは何か、小説はなんのために読むのか、小説の面白さとは何か、という彼流の思索を綴ったものである。
岩崎さんがどのようなことを考えて小説を書いているかがわかるので「もしドラ」について語りたい人は必読であると思われる。
しょっぱなからイノベーション(笑)があり、100ページ読んでも小説の読み方についての話が始まらない「小説の読み方」の本になっている。
「いいから早く小説の読み方の話をしろ」などと野暮なことを言い出す人はそもそもこの本を読む必要はない、という彼の強気な姿勢が伺える。
ではそのまえがきで何を書いてるかというと、上で書いたとおり。
岩崎さん自身の読書遍歴とか、小説の歴史と称して実際はドン・キホーテやハックルベリーの冒険がいかに素晴らしいかという話を彼自身の語りで延々と説明するのだけれど、論理性を欠いているせいか、はたまたまた繰り返しの多い冗長な構成のせいか、情熱が空回って言いたいことは全くこちらに伝わらないのが実に岩崎さんらしい。
どちらかというと、彼が推理小説および推理小説的な読み方に偏った日本の読者批判をするところの方が面白い。
ところどころに、Amazonレビューややねうらおさんによるもしドラの「誤読」に対しての嫌味が入っており、ニヤニヤが止まらない。
(ありきたりというのは決して悪い意味ではなく、基本をしっかり押さえているという意味でいいことではあるのだが)
正直言ってこの部分だけが目的なら「未来形の読書術」「打たれ強くなるための読書術」という本を読むことをおすすめする。
まず「どうやって読むか」は目的によって変わる。
「なぜ小説を読むのか」について岩崎さんがどう考えているかだが、彼ははっきりと成長のため=「自分の人生を豊かにするため」「器を広げるため」と言い切っている。つまり、もともとラノベ的な消費のされ方をする作品群は彼の考える小説に含まれていないように思われる。じゃあもしドラには使えないんじゃ・・・
一応「成長するための読書」を目的としたときに意識するべきことは以下のとおり
・「正しい読み方」はドン・キホーテとか百年の孤独、ハックルベリーの冒険など、読者を鍛えてくれる本を読めばを読めば自然と身につく。
・できる限り長い作品に挑戦して小説の世界に浸ることで現実の道徳などの柵を取り外す。
・結末や筋書きを意識したり、物事の善悪、登場人物の正否などを勝手に判断せず、素直に作品で描かれていることを体験する。
・二度読み、三度読みによって、物語をいろんな視点から眺め、登場人物や世界にに奥行き立体性をもたせたり、行間に気づくようになる。
・作品が発する問いに自ら向き合うことで自分を成長させる
そのあとに実践編が続く。
ただ、この部分はハックルベリーを読んだことがある人なら、まぁ普通にそう読むよな、ということが書いてあるだけなので興味があるなら、程度でよい。
どちらかというと、説明の内容よりも、説明をしているときの表現の端々に感じる「読者を子供扱いする彼の意識」の方が読んでて面白かった。
ここで彼が言いたいのは、あくまでハックルベリーの冒険という小説がいかにすごいか、ということだ。
私もこの小説は、いろんなことを考えさせられる素晴らしい作品だと思うので私からもぜひお勧めしたい。
大人こそ読むべき。続あしながおじさんとあわせて読むとなお良いです。
彼がこの本で最も主張したかったことはこの部分で、「今の小説家と読者との関係を問い直す」ことであると思われる。
彼はよりよい小説を世に送り出し、世の中を変えるため、「俺が今の小説界を世直ししてやる」くらいの意気込みを語ってるんですよ。
「読者は小説の読み方も知らずに偉そうなことを言うな」と言って、読み方を教えると共に、ある程度の責任を課す。行間読めとかいろいろね。
一方で小説家に対しても「論理的な整合性とか読者の顔色気にしたりして一番大事な面白さを追求できていない」と言って批判する。
そうすることによって「小説の面白さって何だった?お前らもう一度考えなおしてみようぜ!」と熱血教師のノリで問いかけるわけです。
この部分が最高に面白い。「お前が言うな」って野暮なツッコミは無用だ。昂ったっていいじゃないか、ハックルだもの。
というか私は個々の部分を読んで、2年前に竜騎士07という人が、
「うみねこのなく頃に」という作品でミステリーにケンカ売ってた時のドタバタを思い出した。
あの時のスッタモンダがまた見られるのかと思うとワクワクせざるを得ない。
個人的な意見をいうなら、私はめちゃくちゃ好意的だ。応援したいとすら思う。岩崎さんの人気の秘密は、この熱さを持続し続けることが出来る部分にあるのだろう。
こんな人ばっかりだと困るけど、他の作家さんも意気込みとしては時々このくらい熱い思いでやってほしい。
しかし、彼の主張の正しさを示すには、彼がその主張を裏付けるだけの作品を世に出すことが求められる。
そうでなければせいぜいラストイニングの鶴ヶ島という人物のように「ブレないところがチャームポイントの頑固キャラ」止まりになってしまう。
萌えキャラならこれでもいいけど、作家としてそれいいのかハックル!?といいたいところだけれど・・・
コレについては本を読んで確かめてみて欲しい。
自分をマーク・トウェインに重ねて、次回作を「ハックルベリーの冒険」なみの傑作になると確信している彼の語りの部分は生で読まないともったいない。
というわけで、彼の使命感がどういう形で次の作品に反映されるのか、今から楽しみでしょうがないです。
ちゅいき♪
すんません、この記事読んで、初めてこの本のタイトルが「小説の読み方の教科書」で在ることに気づいたので直しました。
http://d.hatena.ne.jp/the-world-is-yours/20111018/p1
理由は、この本の内容で「教科書」を名乗る精神性が、自分の頭の中でまったく理解できなかったからです。ハックルさんの偉大さにまた一つ気づきました。
http://anond.hatelabo.jp/20111005092209
直木賞、芥川賞、本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界的大家でも日本では無名な作家が一気に売れるようになる。
普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション。俳優陣は勿論、脚本家や監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元からの原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベのアニメ化もこれに含まれる。
「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌や新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。
ここ数年の流行。夏目漱石や太宰治に小畑健の絵をつけたり、サリンジャーやチャンドラーを村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。
去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110915/1316054275
なんだろう。
一見奇想天外な言動は変わらないように見えるけれど、
冒頭から思惑がはっきりと見える記事ばかりで、「予想外」さが減ってしまっている気がする。
「え、そこに噛み付くんだ。なんで!?」という予想外さにあると思うわけだけれど、そう考えるとこの導入はないわー。
ぼくは、エンターテインメントの制作者を本業としているものの、誰かに何かを教えてきたケースは多い。お笑い学校の講師をしているし、『課外授業ようこそ先輩』では小学生相手に小説の読み方を教えた。セミナーで話すケースも多い。
「エンターテインメントの事しか知らないけど、上村愛子に金メダルの撮り方を教えてやる」とか
「エンターテインメントのことしか知らないけど、駄目な企業に経営の何たるかを教えてやる」とかそういう脈略のなさがもっと欲しい。
とにかく自分の持ち味が「目の付け所」のみにあることを自覚しているのなら、もっとサプライズというか不可解な印象をもって引き込んで欲しい。
今回の記事、内田樹の文と並べて、小学生の前に並べて「どっちがプロの文章だと思いますか?」ってアンケート取ったろか。
商品を持たない頃のハックルさんは、全力でプロレスに取り組むエンタメ精神があったと思うが、
自分の商品の宣伝をするという部分が露骨に混じっていて読んでいて醒めてしまう。
こういう点では、dankogai氏とかまなめ氏は見習いたい。
dankogaiの場合、極論すれば書評などひとつも書いてないくらいに自己主張がメインだ。
それだけコンテンツが分厚いというか余裕がある。
というか興味とか人間性に幅があるのだろう。
一方、ハックルさんは、自己肯定と宣伝だけでいっぱいいっぱいだ。
視野が狭ければ、思い違いも多い。この切羽詰まった感は嫌いじゃなかったんだけれど、
やっぱりこの芸風は、いまだ成功してないときにこそ輝くものだなぁ、と思う。
彼の一途さとか毒が薄まってしまっているせいか、最近はイマイチ乗りきれない感じがする。
こちらとしても「じゃあ300万部売ってみろよ」という伝家の宝刀持ち相手にマジになりきれないところがある。
ぶっちゃけエンターテイナーというかはてな芸人としては、もう全盛期のころには戻れないだろう。
どちらかというと、その読みにくい文章を磨いて、
http://blogs.yahoo.co.jp/goisu166/folder/1209047.html
731 :優しい名無しさん:2007/07/06(金) 10:14:11 ID:dSHhKWfW
1990年には、米国の3つの物質依存治療センターで、アルコール依存症で治療中の患者を対象に、
親のアルコール依存症の有無によって2群に分けて調査を行い、
その結果、米国の正統派の精神科の診断基準マニュアルであるDSM-Ⅲで、
その2群にはまったく統計的な有意差は認められなかったと報告し、
http://mimizun.com/log/2ch/utu/1175555457/
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html アダルト・チルドレンの語られ方 -雑誌記事の分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収
http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html 書評「心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-
上記レスの調査ではないようだけど、フロイト先生のウソという本でも、虐待の連鎖については差はあるものの、8%と12%なので、大した差では無いという事になったと書いてあるらしいです。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ac.html 中立的なものの見方の精神科医の意見 精神医学界では冷遇されているとしながらも、頭から否定はしていない。1999年書かれたもの。ちょうど流行りかけのころか。
その中にもこう↓書いてある。
>ACとそうでない人々の間に統計的有意差はなく、ACなんてものは存在しないと主張する研究者もいたりする。
986 : 没個性化されたレス↓ : 2010/06/29(火) 22:37:15
アメリカのソーシャルワーカー達がアダルトチルドレンという無根拠なレッテル貼りを始めてから
もう40年という月日がたってしまった。
それを利用したAC業者やマスコミが被害を拡大させて、日本でも30年近くこの無根拠な概念が暴威をふるった。
このAC概念は無根拠なくせに極めて専横的で疑いを許さなかった。マスコミとAC業者がそうさせなかったのだが。
AC概念は人々を苦しめ、裁き、断罪し、この概念のくびきのもとで生きる事を強い、いささかの救いの道をも与えなかった。
ACは無根拠であるが故に疑いを許さなかった。ヒットラーのように。北朝鮮のように。
AC収容所の人間は小石のようなあきらめをしゃぶり乾きを癒すしか無かった。
ACに根拠は無いのに。
そして強制収容所の人々が「ここにいるから私は友と知り合えて生きていること許される」と心理的な合理化をするように
「ACを知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。
商業主義の暴虐に痛めつけられ囚われの身となった人の心が、最後の誇りを失わないようにするために
強制収容所に30年幽閉された人が解放されてもとまどうように。
30年と言う月日をAC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」
と言われてもすぐには受け入れらないのはもっとなことだ。
このスレも次スレもこうしたAC被害者のリハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/psycho/1035617398/
水科学なら、専門家が出てきて疑似科学や似非科学を批判してたのに・・・
自称ACではなく、自称AC専門家、自称AC心理療法家は、どこのどういう学会でどういう論文を発表し、どういう風に評価されたのか、客観的に分かる形で示して欲しいものだと思います。(論文はあっても正式の医学の学会のではないものが多い)
http://anond.hatelabo.jp/20110919235051 の続き
多すぎたのか最後が入らなかった。
上のに入らなかったので
731 :優しい名無しさん:2007/07/06(金) 10:14:11 ID:dSHhKWfW
1990年には、米国の3つの物質依存治療センターで、アルコール依存症で治療中の患者を対象に、
親のアルコール依存症の有無によって2群に分けて調査を行い、
その結果、米国の正統派の精神科の診断基準マニュアルであるDSM-Ⅲで、
その2群にはまったく統計的な有意差は認められなかったと報告し、
http://mimizun.com/log/2ch/utu/1175555457/
ACを自認する人を責めたり疑ったりするつもりはありません。
前の日記にも書きましたが、このレスの元の論文そのものを論文検索サイトで探しても、見つかりませんでした。英語なので探しにくいです。昔のだという事もあります。
わかる方いらっしゃいませんか?
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html アダルト・チルドレンの語られ方 -雑誌記事の分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収
http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html 書評「心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-
上記レスの調査ではないようだけど、フロイト先生のウソという本でも、虐待の連鎖については差はあるものの、8%と12%なので、大した差では無いという事になったと書いてあるらしいです。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ac.html 中立的なものの見方の精神科医の意見 精神医学界では冷遇されているとしながらも、頭から否定はしていない。1999年書かれたもの。ちょうど流行りかけのころか。
その中にもこう↓書いてある。
どれだけひどいものであるかは、学会誌『科学哲学』17号(1984年)での藤田晋吾氏による書評(J-Stageで閲覧可能)が端的に指摘している。
書評の対象は「H.パットナム著(藤川吉美訳)『科学的認識の構造 ―意味と精神科学―』」。(以下、訳の訂正を書いたのは私。)
原文:He said 'P' & P.
邦訳:彼は'P' & Pと言った。
「彼は'P'と言った & P」の誤り(彼は「Pである」と言った、かつ、Pである)。
原文:Asserting p is asserting p is provable.
邦訳:Pを主張することはPを主張することであるということは証明可能である。
「pを主張することは、pが証明可能であると主張することである」の誤り。
原文:is still of value
邦訳:静寂の価
「なお価値がある」の誤り。
原書を読むと分かるように、パトナムの英語は明晰で読みやすい(哲学者であるにもかかわらず!)。
しかしその「H・パットナム」名義で、中学生レベルの英語読解力と学部生レベル未満の哲学の知識しか持たない者が出版した本が存在し、それは全章にわたって意味不明なものなのである。
この件は、日本における言語哲学の泰斗・飯田隆氏らが訳した『実在論と理性』(勁草書房)の訳者あとがきでも触れられており、「あまりのひどさに恐れ入るような代物」とされているのだが、具体的な書名や訳者名は書かれていない。
また、一部で知られている「これから人文系大学院へ進む人のために」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~teorema/)というサイトにも、当該の訳者のエピソードが登場し、その訳本は「Pの名前で出ている不思議な本」と呼ばれていると紹介されているが、イニシャルでの記述になっている。
http://www.wakatta-blog.com/post_545.html
バナナやりんごなどを朝食に食べるダイエットは、いつの時代もある有名なダイエット方法ですが、科学的な根拠があるわけではないそうです。それでも、「ダイエットするぞ!」という気になることで、日ごろの食生活に気を使うようになって、結果的にダイエットの結びつくことは少なくないとか。つまり、ダイエットを意識できるものであれば、何でもよいそうです。特に、毎日体重を記録することは、ダイエットの意識アップに直結するので、オススメです。
私も夕食の白米を半分に減らす方法で、一月半で6kgやせました。食事の量を減らしても、お腹が減りぐあいは変わりませんでしたので、実感としてわかります。
http://blog.livedoor.jp/tkfire85/archives/55484210.html
最初に目に止まらなければ話が始まらないのは確かだけど、日本一を目指すのならば、大事なのはリピーター。
書評ブログにおいてタイトルで釣りを仕掛ける場合、本文はその逆にかなり堅実である必要がある。
特に批判においてはかなり気を使う必要がある。
バナナダイエットに関する叙述において、書き手の防御力の低さが如実に現れている。
引用の仕方にも問題があり、薬事法にも引っかかる記述があるあたり、いろいろと勉強が必要であろう。
あと、今回の記事で気づいたのだが、「今日のわかった」は読後の印象をコントロールするためにあるのだな。
今までこの部分には「まとめ」を期待して読んでいたが、ここだけ読んでも記事で何を書いてるのか分からないため
これ意味あるのか?とおもってた。でも、これは釣り気味のタイトルと本文とのギャップを総括して
当たり障りの無いオチをつけるためにあるのだとわかった。
他にもデザインといい、一文一文を短く区切る文体といい、
毎度毎度内容はスカスカながら「記事を読ませる」技術は高いとおもった。
書評ブログではなくWebデザインについての宣伝ブログとしての成功を目指してるのだな。
最近、気づいたのだけれど、どうもブログを書いていると馬鹿になっていく気がする。
いや、自分に限らず周りの人を観察していても、大体そのように感じる。
まず前提としては、ネタと呼ばれるのを探す行為はインプットである。
「インプット>アウトプット」の比率の状態が続くと、情報を消化していくことにならず、消化不良を起こす。
だから、情報系のブログを運営している人は、題材を探すあまりにたくさんのサイトやブログに目を通し、
脳みその中がどんどん劣化していっている気がする。実際、不必要なものを取り入れているので、当然だと思う。
例えば、体を鍛えると言いながらコカ・コーラやピザや菓子類をつまみ食いして、食べていないよ><と言い張るようなものだ。
学んだことをアウトプットの為にブログに書く、というのが有効なのは極一部のジャンルに限られる。
プログラミングのブログなら、とても有効だと思う。読者から色々コードのツッコミが入ったり、また、コードや制作物で
実力が分かったりして、リアルでの交流・転職・ブランディングにも役立つように感じる。
書評ブログをビジネスとして書くのなら、ニーズがあるだろうし有効だろう。
でも、勉強のために書くとしたら、時間の無駄でしかないはず。書く暇の分を、実践に回せば良いし、
そもそも他人に見せるものでもないだろう(本の片隅にでも、ペンで書いておけば済むし)。
遊びで書くのなら良いが、役に立つはずと思って書くと、大体馬鹿になっていく。
たまに、ブログ主のドヤ顔が垣間見える記事が、アクセスアップの方法。
まー、でも共通しているよねということで取り上げていきます。
ブログを開設して20日で月間10万PVを超えるために私がやった11個の行動と2つの決意
http://n1kumeet5.com/2011/08/100000pv/
つまり、協力ブックマークをしない人が、人気ブログになるパターンはまずない。
もう一度言うけれど、99%ね。
仲間で、きゃふきゃふ言いながら3ブクマか、或いは5ブクマする。
これで新着に載って、ライフハック系かIT系の釣りタイトルだったら、簡単にブックマークされる。
いずれにせよ、内容自体はその辺の小学生でも出来るまとめ作業。むしろ、小学生のほうが発想がある。
よくあるのは書評、そしてまとめ系。だから、この2点で有名になったブロガーは、恐ろしく能力が低い。
いずれにせよ、〇〇日で月間アクセス〇〇万PVを達成した私の方法、みたいな記事を書く人は、
100%協力ブクマをやっている。むしろ、何でわざわざスパム行為のような告白をするのかも謎。黙っていれば良いのにね。
要は、ブクマ友達を作れば、誰だって達成できることなので、どちらかと言えば恥ずかしいこと。
で、アクセスアップの99%は書き終えたので、次に残り1%を箇条書きで書いていく。
あとは、そんな感じ。よくあるよね。
あ、以下は別人が書いたんだけれど、丁度良いから貼っておく。
最近目にした「ブログのアクセス◯倍アップした私の方法」的エントリ
http://anond.hatelabo.jp/20110825180047
もう一度言うと、「〇〇日で月間アクセス〇〇万PVを達成した方法」の
だから、逆に言うと、よくあるようなライフハックやITのまとめ系以外で、アクセスを増やして有名になった人は凄い。
G.A.W.の方とかね。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/
例えば、この記事。「金曜日の夜、24時間営業スーパーの駐車場にて」
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110827/1314393767
見てみろよ、この人気取るぞー!っていう気迫が全く感じられれない様を。
このような方が、滅多にいない貴重種。
先日、数学者の藤原正彦さんが、NHKの「100分de名著」っていう番組に出演していたんですが、典型的な老害っていうか、あまりにも偉そうで上から目線の態度に、私はすごくウンザリしてしまいました。
それで気になって調べてみたんですけど…、近頃は新しくこんな本を出しているみたい。
ネットで各所の書評を読んでみると、この本のなかでは、どうやら、「太平洋戦争は正しかった」「東京裁判を否認するべき」と言っていたり、その上「南京大虐殺はなかった」とまで放言しているそうなんです!!
こうなるともう、藤原さんってまるでネトウヨみたいだなー、と呆れてしまいました。いや、彼ならそれぐらい言い出しても不思議じゃないですが。
数年前にベストセラーになった『国家の品格』は、内容自体はくだらないと思ったし、とてもつまらない本でしたが、それでも一応、日本がやった侵略戦争のことはちゃんと批判的に語られていました。
たしかあの本では、「武士道精神の欠如」「弱い者いじめ」とかいう理由に基づいて、明治以降の日本が帝国主義へと走っていく姿を、卑怯なやり方だと一蹴して罵っていたはずなんです。ちなみに、南京事件とか東京裁判とかの話題には、特に触れられていなかったと思います。
それがどうして、こんなトンデモな有様になってしまったんでしょうか? もしやネットで真実に目覚めたりしたのかな?w
歴史修正主義とかの問題については、はてサに検証・批判をお任せするにしても、藤原正彦の変節についても誰かがエントリを上げてくれると助かります。
http://www.news-postseven.com/archives/20110506_18794.html
【書評】『サムスン栄えて不幸になる韓国経済』(三橋貴明/青春出版社/1575円)
「一歩路地に入ると、昭和30年代のような時代に取り残された店舗がたくさん残っている。先進国と途上国が同居しているのだ。また、いまの韓国経済には、多様性がない。自動車は現代と起亜ばかりだし、家電製品はサムスンとLGばかりだ。だから、数少ない大企業に勤められれば天国だが、それを逃すと貧困が待ち受けている。」
で、韓国人連中は、自分たちが不幸な理由を日本人のせいにしているわけだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0627&f=national_0627_048.shtml
韓国の青少年「天安艦事件の主犯は北朝鮮だが、韓国の主敵は日本」 - サーチナ
「『韓国の主敵』として、日本を挙げた青少年が44.5%でもっとも多かった。それに次いで北朝鮮が22.1%、米国が19.9%、中国が12.8%の順だった。」