はてなキーワード: 雲の上の存在とは
負け続けている。
「次負けたら終わり」と言われて結構経っているが、やはり負けている。
負けるたびにファンが減っていき、ずっと定額の小金を落としてきた俺が最大スポンサーになりつつある勢いだ。
応援し始めて、最初の頃は推しが負けるのが耐えられないほど辛かった。
辛すぎて実際の試合を見ず、結果だけを布団にくるまりながら見るという風になっていった。
そして恐る恐る結果を確認すると…
負けている…。
俺は悶絶した。
「やべぇよ…」という空気の中、カラ元気で「次はもう、本当に頑張ります!今から練習します!なので…応援よろしくお願いします!」という言葉がむなしく響く。
うん、そうだよね、次を考えよう!とコメントして定額課金。「〇〇さん、いつも本当にありがとうございます!〇〇さんのために頑張ります!」
うんうん、俺じゃなくていいよ。自分のために頑張ってと思いながらまた布団に入る。
そして来るべき試合。
布団の中で結果を待つ。
今度こそ…と思いながら結果確認→負けている…→頑張ります!→〇〇さん、ありがとうございます!
もしかしたら俺の定額課金が負けのジンクスなのでは?と思い、課金額を変えてみたこともある。
しかし。
負けている…。
こうなれば試合会場に直接行って応援するべきなのでは?と思い、有休をとってチケットを取って飛行機に乗り、いってみたこともある。
しかし。
負けている…。
そしてついに、推しの負けが我が事以上に辛くなり、仕事にも支障が出てきそうになった。
そこでメンタルトレーニングの本を買ったり、体験講座に出てみたりした。
アドラー心理学とか、認知行動療法とか、占い師のところに行くとか。
効果は抜群だった。
「他人と自分を同一化しすぎないこと」を学び、実践を通じて習得した俺は、推しの負けに心は揺るがなくなっていた。
占いはまぁ、毛嫌いする人も多かろうが、占い師というのはある意味で「他者と自分を切り分ける」プロフェッショナルなので、定期的にその切り分けテクニックを盗みに行っていた。
これがカウンセラーだと、自分の担当をとっかえひっかえするのは難しいが、占い師は一回数千年~1万円でいける。かなり勉強になった。お勧めはしないけど。
で、推しと自分の切り分けをなしえた俺は、揺らぐことなく推しの負けを受け入れられるようになった。
メンタルトレーニングの間も推しは負けていたが、推しの負けによる心の動揺度がどんどん減っていくのを実感した。
確実に俺は成長していた。仕事でも、同僚が皆嫌がる厄介な取引先に率先して突入することにより、社内の評価も上がった。
ミスをして手ひどく怒られたときも、俺の心は(あんまり)揺らぐことはなかった。
認知行動療法に確かな手ごたえを感じた。
最近では社内のメンタルトレーニングの講師を始めている。そろそろ何らかのメンタル関係の資格も取ろうと思っている。
話は大幅に逸れたが、そんな中でも推しは負けている。
しかし心は微動だにせず、落ち着いて定額課金して、トレーニングで培った圧倒的に暖かいサポートの言葉をコメントできるようになった。
推しもいつも以上に喜んでくれた。
しかし、負けている。
まぁ、別に負けることはそれほど問題じゃない。推しは負けているとはいえ、一般人からすると雲の上の存在だ。実力は凄い。
なにより、俺が推しを応援する理由は強いかどうかではない。勝っているから応援しているわけではないのだ。
人柄とか、話の面白さとか…。
まぁこれ、普通に自分に認知バイアスかかってて「長く応援しているからそれを続けてるだけ」なんだろうけどな。
別に俺が課金をやめたからって推しはそんな気にしないのではないかと思い始めた。
それは当たり前のことかもしれない。
いや、これだめだな。
やめよう。
本当は、「負け続ける推しを応援する情熱を持ち続けるコツは何か?」と聞こうと思ったんだけど、解決してしまった。
アカウントも引き上げるか。
よし終わった。
でも、あれだけ負けてるのに頑張れるってすごいよなぁ。
むしろあの推しこそがメンタルセミナーやるべきなんじゃないかと思うくらいだ。
めっちゃ通う自信あるな俺。
まぁそれはないだろうけど、試合、がんばってほしい。
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
暑くないので閉じこもってガリガリ書いた。承認欲求の塊だったので、書いたとたんに公開して閲覧数が少しずつ増えていくのをずっと眺めていた。お気に入り・いいねは片手で足りる。投稿サイトのトップを飾るランキング作品はたくさんの反応をもらっていて輝いていた。雲の上の存在だった。いいなあ。
人の顔色をうかがいながら物を書いていた気がする。コレは受けるかな、コレは倫理的にダメだろうな、……などと透明人間と話し合い、無害な話を作って自分の椅子を確保しようとしていた。安心がほしかった。きれいな話で自分を飾るのは楽しい。自分の根っこの汚なさを昇華させる行為は満足感がある。
作品が増えてくると、一定数の反応をもらえるようになり、虚無感がちょっとずつ穴埋めされてほっとした。居場所があるような気がした。
書きまくっていると、抑えていた性癖があちこち芽を出していることに気が付いた。次はこんな話を書こう、キャラが○○したら面白いだろうなとか、脳みそはいつも新しい刺激を求めていた。
ときどき過去作品を振り返って、我ながらヤバイ話を書いていることに苦笑した。でも立ち止まらなかった。転んだらそこで終わってしまう気がした。あきらめたら試合が終了してしまう。自分との戦いだった。
ついに倫理的にちょっとアレな話を書いてしまった。自覚無く、「面白い」と思ったから書き上げた。
自分の目指している方向がわかり、はずかしい性癖を惜しみなく外へ公開できるようになった頃だった。
あ、自分て友達いないんだな。と「何か」を悟った瞬間だった。読者すらいなかったのかもしれない。
虚無とかそういうんじゃない。何か、別の何かを感じた。
プライベートで一筆箋を頻繁にまめに使う人ってどんな人なんだろう
家族や親しい相手なら100均で売ってるようなメモ帳で十分だから一筆箋使う必要ないし
プライベートで一筆箋活躍させる人というのは、メルカリとかでハンドメイドのものを売って、お客さん宛に一筆書いて送るとかかなぁ?
仕事柄短い手紙をたくさん書くから一筆箋をよく消費する人がいるのはわかる。プライベートで一筆箋をたくさん消費するのは特殊な人じゃないかな。
私が一筆箋使うのって年イチ位なのにページ数多いんだよな一筆箋
数冊しか一筆箋持ってないけどこれで一生分だと思うなぁ…
はがきと言っても自分は私製はがき用のはがきサイズの白い紙と63円切手をたくさん持っていて、郵便局やコンビニで売っているような郵便はがきは使わない
誰かにはがきを書いて出すことが滅多になくて、懸賞ばかり参加することになる。
年賀状はやりたくないけどポストカードのやり取りをするような関係に憧れるなぁ。
LINEやTwitterがあるからポストカードのやり取りなんてする意味ないんだよね どうせやるなら封筒と便箋使って普通に文通やるよね。はーーーだれかとポストカードを送りあいたい……
どうしよう……
《 追記 》
通販だから自分で梱包しないんだ。だから、手紙を同封できない。「別便で○○を送りました」と一筆箋に書いて手紙として送ることはできるけど、毎回何が送られてくるのかワクワクするという親戚の楽しみがなくなるからネタバレの手紙は送らない
子供の写真を親戚に送ったりするときとか手紙を同封するんだけどね
一筆箋を複数枚使ってメッセージを送る方法もあるけど、一筆箋を消費したいからって5枚も6枚も一筆箋を送るわけにはいかない。
私は手紙を書くことが好きなんだけど圧倒的に普通の便箋やレターセットを使うことが多い
ポスクロ勧めてくれる人もいたけども、私はポスクロにそれほど魅力感じなかったよ。使用済み切手や外国のはがきを集める趣味はないし
赤の他人と手紙やはがきのやり取りすることにあまり興味がない。
文通するんなら実際に会える人がいい。「文友」じゃなくて普通の「友達」と文通したい。
私はファンレターも書くんだけどファンレターは別。相手とは会わなくてもいい
ファンレターを出す対象である推しと友達になりたいとは思わないのよ!雲の上の存在に手紙を出すんだから。
まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者を貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象の本質を明らかにすることである。
まずIUT理論は決して数学(特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称「理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさらに理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。
もちろん、これは数学の研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想を解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。
繰り返しになるが、これはIUT理論そのもの、および望月氏とその関係者を貶める意図はない。
数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論を勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。
しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数と複素解析が好きなので代数幾何を研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式や作用素環論を研究したい」というように、既存の知識や経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題のキーワード」に反応しているだけじゃないのか。
IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報は
だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。
こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である。
しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論を既存の数学知識の類推で理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何の専門家を含めての話である。数論幾何の専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである。一般人がIUT理論の分かりやすい解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやすい解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである。
一方、数学界には既存の数学の伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生のセミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。
「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実を説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。
彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内で自由に解釈することを好む。むしろ、理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。
この構造は疑似科学や新興宗教と同じなのである(IUT理論が疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学を理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学や科学の知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。
そんな僕には好きな人がいる。同じクラスで入学当初から気になっていて5月には既に好きになっていた。
なんなら入学前からTwitterを知っていて顔も見たことがないのにツイートの内容がユーモアに溢れていて面白く、性別も分からなかったのに友達になりたいと思っていたほどだ。
彼女とは入学後すぐに仲良くなった。趣味もある程度合うと思う。当時これはワンチャンあるのではと心のどこかで思ってしまっていた。
彼女は音楽をやっていた。彼女の聴く音楽はすぐに好きになった。
僕の大学では一年生が主体になるお祭りがあり、そこでは有志で集まった一年生による劇が行われる。彼女はその劇のいわば主人公に抜擢された。
その劇の監督も相当彼女のことが気になっていたらしく、二人は仲を深めていき僕の入る隙間は無かった。
本気ならもっとアタックしろと言われるかもしれない。しかし当時の僕に彼と競り合って彼女を奪い取れる自身はどこにも無かった。
特に何の凄みもない、顔も全然カッコよくない僕は一浪して当時は1bitほどのコンプレックスを抱きながらなんとか大学に入った。
対照的に彼は僕と比べ物にならないほど頭が良く、雰囲気もいい、顔もいい、音楽にも堪能。
かくして二人は付き合った。
唯一の救いは周りの誰にも好意がバレていなかったので、二人とも仲良く友達としてやれたことだ。
毎週のように二人を含めた仲の良い友達で集まってご飯を食べて夜な夜な喋ったり、みんなで写真を取りに行ったり一緒に授業を受けた。
前で二人にイチャつかれるのは気持ちの良いものでは無かったが、幸せそうな彼女を見れて僕も幸せだった。
そんなこんなで僕も良い加減諦めて次のステップに行こうと決心し、秋〜年末ごろにはバイト先の女の子を好きになりかけた。
でも好きになれなかった。確かに可愛いし優しそうで愛嬌がある人なのだが、僕は彼女のことを諦めきれなかった。
年が明けると男の方が音楽に熱中するからか何なのか分からないが彼女とあまり連絡を取らなくなったそうだ。
僕は意味がわからなかった。あんなに仲良くしていたのに。お似合いなカップルだと思っていたのに。
二人ともあんなに幸せそうだったのに。こんなに呆気なく終わる恋愛もあるもんなんだな。
彼には非常に強い憤りを覚えて取り乱したこともあったが、後々冷静に考えて僕が憤るのはおかしいと思った。
この時僕は彼女にアタックしようと決めた。彼女の横顔、彼女の声、彼女の言動全てが愛おしく思えた。
3回目のデートで告白するというのが通例と言われる。僕もそう考えていた。
しかし、この一年でお互いのことはよく知っているし、これ以上先延ばしにしても意味がないと思った。
こたえは「考えさせてほしい」だった。
正直7割くらいいけるんじゃないかと思いあがっていた僕がバカだった。でも彼女は僕の思っていた何倍も真剣に考えてくれていた。
僕はもうこれは振られても良いやと思ったくらい嬉しかった。
・実はまだ彼とキッパリ別れられていないこと
・まだ彼氏として僕はみれないということ
正直に言ってくれて僕は嬉しかった。
その後も僕は誘い続け、彼女は二つ返事で応えてくれた。
僕のバイト先の飲食店に行った。すっごいサービスされて恥ずかしかった。
街にも繰り出した(まだコロナが耐えていた頃)。帰るのは日付が変わる頃になっていた。
真夜中にも通話しながらあつ森をした。
本当に楽しかった。彼女と一緒にいられるだけでこの上なく幸せだ。間違いなく世界一可愛い。
写真が大好きな僕は彼女の写真も沢山撮らせてもらった。僕より彼女を可愛く美しく撮れる人は居ないと思った。
でも本当に彼女が好きなんだ。
食べ物の好き嫌いは僕の歴代の友達トップだし、めっちゃ昼夜逆転しがちだし、すぐ引きこもってろくなもの食べなくなるし、そんなに真面目でもないし、たまに何考えているのか分からない。
でもそんな全てを引っ括めても彼女が大好きだ。
まだこたえはもらっていない。
僕から一方的な感じが否めない。彼女からLINEが来ることは殆どないし、何かに誘われることもない。
でもそんな感じがする。僕はどうすれば良いのだろう。
僕はそういうことは付き合ってからするものだと思っていた。けど男らしさがない僕は少しくらいそういうことをしても良いのかもしれないか。
恋愛って難しいな。。。こうやって手探りで見えない霧の中を進むのも悪くないかもしれないけど。
LINEの既読が付くだけでドキドキするし、返信が来ると飛び上がるほど嬉しい。
彼女と会う予定ができたらその為なら何でも頑張れると思える。
彼女は本当に何でこんなに可愛いのってくらい可愛いし、そこら辺の男が寄ってきそうで不安でしかない。
サークルの飲み会に行かれるだけでも嫉妬しちゃうし、とっても心配になってしまう。
はてな見てると自分がみじめになる時がある。自分より若い人たちが退職エントリとか書いて、やりがいある仕事で、すごい難しそうな技術語って、ほんとスゲェと思う。
保有資格はTOEIC910と中国語検定2級のみ。35歳で800万、年功序列企業に勤め、仕事もごく平凡。愛想良くペコペコ調整するだけで何のスキルも無い。
IT企業の若者がプログラミングとか語ってるのをネットで見かけると、別世界で異次元な出来事に感じる。雲の上の存在だ。
そんな無能系社畜リーマンだが、土日の時間を使ってプログラミングスクールにでも行こうか迷ってる。毎日2〜3時間の勉強で何か身につくもんかな?
俺は40歳で年収1200万前後で現金と株合わせて7000万くらいだけど
周りの同級生は平均300万いかないくらいだし、少し下になると200万割ってる奴らもいる
そんな奴らは「貯蓄がない」ってのが口癖
お前が思ってるより、生活するのが精一杯で貯蓄どころか旅行にすら行けない奴らは多いよ
雑談してるとわかるのが、本を読まないし経済に興味がない向上心がない
向上心っていうと意識高いと思われがちだけど「金がほしい」って言うわりには
税金に関する免除や還付金等や、貯蓄にかんする知識がなんにもないし
trysailのオタクは夏川椎菜の事を3人の中で一番身近に感じる存在だと口を揃えて言う。
正直自分もそう感じていた節はある。身近かはともかく親しみやすいと思ってた。だってめっちゃレスくれるし
パレイドをリリースしたとき、これは夏川椎菜とオタクが傷の舐め合いをしている歌だなあと感じた。
だって俺20年間生きてきて周りへの劣等感捨てれたことないし。
なんならこの前行ったtrysailのイベントにいたオッサンなんていい年こいて行ったイベントでマウント取ってたし。
あのオッサンイベ数でマウントなんて劣等感とか自己顕示欲バリバリのクッサイことしてる上に体臭も臭かったなぁ。
そんな誰もが持ってる劣等感を、容姿端麗天然美少女と声優業界のトップを走る歌姫をユニットメンバーに持つ、ダンスも歌も普通のちょっとかわいい女の子が、どうやっても捨てれるもんじゃないだろって思ってた。ていうか今でも無理だろって思ってる。
そりゃインタビューでは劣等感抱えたまま歌いますなんて言えないから、とりあえず劣等感を乗り越えた彼女が歌うパレイドにしとこうってなってんじゃないかな
とか思ってた。
だからパレイドは捨てたいけど捨てれない感情を、彼女自身が密かに抱えたまま歌っているんだろうなと思ってた。勝手にだけど
パレイドを聴くとその劣等感が自分自身だけ感じているモノじゃないと思えて救われるように、夏川椎菜自身もパレイドを歌ってその劣等感から救われているんじゃないかなんて思ってた。傷の舐め合い。
だから親近感が沸くし、芸能人なのに身近に感じるってのも理解できる気がした。これも勝手にだけど
ログラインが発売になって、いままでのパレイドに対して思っていたことは全部間違いだと思い知らされた。
彼女は本当にあの二人への劣等感を乗り越えてパレイドを歌ってた。
じゃなかったらファーストプロットがあんなMVにならないし、あんな歌詞にもならない。
リリースイベントで彼女は嬉々として、パレイド以降はソロ活動の前に企画書を提出していると話していた。
劣等感はもう感じていないだろうし、自分自身のやりたいことをとことん追求している感じが伝わってきた。
同じような活動をしている人がそばに2人いるのに(しかも片方は自分の何倍もかわいくて片方は自分より歌が数段うまい)、それと比較せず、劣等感を感じずに自分の道を突き進むって、並大抵の精神力じゃないと思う。でもそれを彼女はやってのけていたんだなぁ。
傷の舐め合いをするほど近い距離にいると感じていた相手は、実はもう雲の上にいて手が届かない。
まぁだからといってファンをやめることは勿論ないし、その突き進む道を応援したいんだけど。
でも、たぶんこの先一生かかっても、彼女に手が届くことはないなぁ
おれは逆。
大学の授業料が全額免除になるほど親の収入低くて、ぼっとん便所で、お風呂は薪で沸かすやつで、家の中には虫がたくさんいるような(ナナフシがいたときは笑った。お前わりとレアなやつだろ!どこで擬態してんねんって)とこで育った。カマドウマが超嫌いだった。ちなみに実家は未だに汲み取り式で薪で沸かすやつ。
大学で国立、就職で都内ITベンチャー、学生時代のインターンでは有名企業の社長の息子が経営するベンチャーで働いてみたりしてた
都会は衝撃ばっかだった。東大生はゴロゴロいるし、部活超強かったやつとか、高校時代からビジネスやってて年収おかしいやつとか。
いろいろなセミナーでやたら会うパチモンみたいなやつもいっぱいいた。
田舎だったら社長って聞くと雲の上の存在みたいだけど、こっちじゃ掃いて捨てるほどいるし、起業したって全然たいしたことないことは(今となっては)わかってる。
田舎には割と夢がない。仕事がないのが一番の原因で働くのは近くの工場か土方が一般的で、工場勤務なんかは親世代と子供世代がみんなそこで働いてたりする。
フェイクなしだ
通常は一週間のうち
月曜 フル
火曜 フル
水曜 半休
木曜 フル
金曜 フル
土曜 半休
日曜 全休
という契約で働いている
受験時期ということもあり、ずっと働き通しだった。
さらに春に向けて新規で立ち上げないといけないものがあり、通常期より残業がかさんだ。
家に持って帰る仕事も激増した。
講義中も多数の生徒をかかえ、脳のエネルギーが枯渇する感覚を何度も実感した。
気がつけば半休を含んではいるが、27日連勤で1日全休日をはさみ、昨日でまた8連勤目だった。
予定ではこのままいくと来週の金曜日まで休みはない。つまり15連勤確定していた。
他の人がどうかわからないが、自分は定期的に全休日がないと無理なのかもと思い始めた。
この1週間ずっと「あぁ、このまま休んでやろうか。シンドいな」と思って体が動かないことが続いた。
さすがにヤバイと思った。
意を決して、昨日社長に直談判してきた。(いうても弊社は零細企業。直接の上司が社長なので雲の上の存在というわけではない)
俺「休みをください。肩こりと頭痛が酷くて。4月からは全休日を設定してください。」
今までも頼めば主張を聞いてくれる理解のある社長だった。今回も忙しい時期なのにしっかり話を聞いてくれた。
ちなみに社長とその息子は俺にあった1日の休みすらなく働いている。勤務時間も俺より長い。バケモノだと思う。
社長「わかりました。パソコンに向かってる時間も長かったからそれもあるかもしれませんね」
27連勤は多分普通ではないのだよ。
社長「とりあえず来週までは頑張ってください。この時期を乗り切れば楽になりますから。」
すこし絶望した。
かなり意を決したのだけど、15連勤は変わらない、、、のか?
弊社は社長が社員の話を実直に聞いてくれる。多少クセはあるが人格者だと思う。
残業代の支払いもしてくれる。
世に聞く完全ブラック企業と比べれば、余裕でオフホワイトだろう。
でも社長とその息子がバケモノなせいでそれが基準となっている。
そこが苦しい。
すまんなー
1番好きなもので食べてくのは自分には無理だと考えてハナから選択肢になかった。
職種としては割と1も2も近いところにあるので、2の仕事の中にも1寄りの物がたまにある。あと1の人と一緒に仕事をする事もある。
2番目に好きなことを仕事にして、1番好きなことを趣味にしている今は自分にとってちょうどいい。
そういえば選んだ会社も1番好きなところじゃなかった。
1番は雲の上の存在で、崇め奉る対象なので、その会社に入って活躍する自分の姿が全く浮かばなかった。結局ただのファンなんだよね。
でも最近、もっと自分が大好きなものを作ってる会社に行きたくなってきた。
いまの会社のプロダクトも、入社してから好きになったけど、元から自分が大好きで仕方ないものと関わるって一体どんな気持ちなんだろう。