はてなキーワード: 背骨とは
マンガとネットにハマり、自分のHPを作って絵を載せ、お絵描き掲示板に入り浸っていた。
中学も私立に通いながら、あるときから休みがちになり、中2の途中から高1まで不登校だった。
体調が悪かったのもある。太っているのに性格が悪く、嫌われていたのもある。
側湾症という背骨の病気でコルセットをしていたのも地味につらかった。
休んだ日はネット小説を読んだりして過ごし、家族とは最低限の会話しかしなかった。
親に反抗し、都合が悪くなると黙り込んだり当たり散らしていた。
普通の生活を送っていなかったのでお小遣いがなかったというのもあるが、財布に3千円入っていれば千円など、バレないようにして漫画やお菓子を買っていた。(バレていた気はする)
祖父の引き出しから蒐集していた500円玉をくすねたこともある。
親は不登校児の親があつまる支援会に行ったり、私を美術館や公園に連れ出したりした。
姉は同じ学校だったので、妹の担任からプリントをもらう係をしてくれていた。
友人も連絡をくれたりをして、高校1年生の秋から、本格的に学校に復帰した。
休むのも、嘘ではなく「○○が痛い」という正当な理由になった。(相変わらず怠け癖はあるが)
それともあれは私の本質で、今は理性という仮面をかぶっているのだろうか。
盗んだお金のことはついに謝れなかった。
親にも、多分、言えないまま墓場まで持っていくだろう。
この出来損ないの人生を助けてくれた家族に、どうにか孝行したい思うのだが、今は一人暮らしをしていて自由になるお金はあまりない……。
300万はあるけど、老後のことも考えると手をつけられないし、親の方が何倍も稼いでいる。
どんな家族孝行をしたらいいんだろうか。
長年、アーロンチェアを使ってるのにもかかわらず、腰痛が急に絶えられないほどになった。
リモートワークで毎日8時間ぐらいトイレ以外座り続けているのだから、まあそりゃそうかと、とりあえずタイムリーに「初回ワンコイン500円!」のチラシが入っていた近所の整骨院に行った。
結局、整骨院ではいろいろ案内してもらった上で初回で4500円ぐらい取られそうになり「今日は500円しか持って来てないからそれしか払えん」と言って最低限のマッサージだけやてもらって帰ってきた。
が、そのとき案内してくれたイケメンの兄ちゃんが「あなたの腰痛の原因を改善するには(腰のインナーマッスルを鍛えるには)電気治療かヨガしかない。ジムとかに行って鍛えられるのは外側の筋肉だけなんです」みたいなことを言ってて、「え?じゃあ電気治療は金かかるし週2回で通うなんて無理だからヨガするわ」となったのが2ヶ月ほど前だ。
YouTubeでアホほどヨガの動画が上がっているし、毎回4500円払うならまずは無料で出来る方からやろうと、適当に検索して初心者でもできそう、尚かつ5〜10分ぐらいでできそう、さらにはコメントも評判がいいやつを選んでやってみた。
まあそれが効く、効く。
股関節をグルグル回すだけとか、そんな簡単なポーズしかしていなけれど、「う、筋肉が縮んでおる」という自覚が芽ばえると同時に、「うお、縮んだ筋肉が伸びておる!」という感覚がヨガのポーズをしながら味わえるのだ。
私は親族にあん摩マッサージ指圧師がいるので地元帰省時はしょっちゅう鍼やマッサージをしてもらっているけれど、5分程度の軽いヨガを終えた後は、鍼やマッサージをしてもらったあとと似たような気持ち良さがある。副交感神経が優位になるとはこのことか!という感じ。
(余談だけれども、たまにマッサージに行って「もみ返しでしんどい」と言っている人がいるがあれは力加減があってないのであんまりよくないそう。体がポカポカしてねむたーくなるぐらいがいいよ。マッサージ受けながらぐう…と寝てしまうならそれはちょうど合ってるんだと思う。もみ返しばかりくらっている人は今すぐ担当をかえよう。)
私はこれまでにホットヨガとか近所のお寺でやってるヨガとか、そういうヨガ体験をしたことは複数回あったけれど、ここまで効果を感じたことは一度もなかった。「ふーん?」って感じ。それは多分、20代で筋肉がそこまで縮んでいなかったから効果を感じにくかったとか、自分の体の悩みとヨガのレベルがあってなかったとかもあると思う。
腰痛で悩んでいる今、私に必要だったのがド初心者ヨガだったのだ。
私はもともと毎朝ラジオ体操をするし、少なくとも週に1度はジムで体を動かすし、毎日夕方になると7km以上のジョギングに見せかけたウォーキングをしている。健康には気をつかっている方ではある。
それでも、この生活ではインナーマッスルには何の改善や向上もなかったということだ。550円しか払ってないけれど、あのお兄ちゃんの「腰のインナーマッスルを鍛えるには電気治療かヨガしかない」という一言は、その価値があったと有り難い気持ちだ。
「初心者 ヨガ 5分」で見つけたヨガで効果を感じたので、慣れに合わせて「ヨガ 腰痛 改善」「ヨガ 肩」「寝る前 ヨガ」「ヨガ 15分」とかいろいろ気になる症状や気になる単語を組み合わせて検索をして、ちょっとずつヨガのバリエーションを増やしている。人気のものはやっぱりどれもいい。ちなみに、再生回数が数百万回を超えているものは、「日常的にこの動画を見てヨガをしている人がいる(リピーターが多い)」ということなので、やるならぜひそういうのを見つけてくれ。
一応、整骨院に行く要因となった腰痛は今はもうなくなっている。
多少はあるけれど、今まで通りに戻りましたという感じ。それだけでも十分ありがたい。
念のため、整骨院に言ったあと整形外科にも行ってレントゲンを撮ってもらったけど、背骨をつなぐ軟骨が腰の部分だけやたらすりへってることを目の当たりにしてショックを受けた以外は特に異常なかった。整形外科だと保険が効くので短いけれど電気治療が200円ぐらいでできる。あれもほどよい楽さを感じるけれど、200円払うならタダのヨガでいい。
スピリチュアル味が強いやつが目立つので今までは遠巻きに見てたヨガだったけれど、コイツは今の私に必要なものだった。単純に「よくできた柔軟」ぐらいの感覚でやれるやつがたくさんあるので、デスクワーカーで体に悩みがある人が軽くやってみてほしい。
ちなみに、もちろん1回では効果を感じにくい。(感じている人もいるようだけど)私は毎日やって2週間ぐらいで「はっ、前より動く!!」
となったので、そのぐらいか、1ヶ月ぐらいはぜひ続けてみてね。あと、講師の人が言ってることを変にねじ曲げて自分流にするのもよくないと思うから、最初はその通りにやってみるのがいい。
良かったものは人にすすめたくなるよね。だけど、「ヨガいいよ」ってリアルに言いまくる人って多分ちょっといやだろうなと思ったので、ここでひっそりとオススメしておくよ。
一応言っておく。
するぞ?
ちょっとだけするぞ?
日本における最古の『行きて帰りし物語』とされる『ヨモツヒラサカへの旅』がこの作品の骨子(ベース)だと思う。
元ネタというよりも「とりあえずこれを背骨にしてここに肉と別の他の骨もつけてこ」みたいな感じ。
いきなりジブリベースで読み解いてしまうと「ヒミ様ってなんで火属性なの?」という所で、「炎上のメタファーでは」「本能寺の変がモチーフ。君たちは宮崎駿の敦盛」と意味不明な方向に考察がすっ飛んでいきかねない。
ヨモツヒラサカベースであれば、「母親が火で死ぬ所から物語が始まっているのは、カグツチを産む所から物語が始まるヨモツヒラサカへの旅そのままじゃないか」となるからこの辺の混乱は少ない。
開いてはいけない産屋だったり、母親が帰れと言うのとかも、ヨモツヒラサカベースあるあるだなあでまずは終わらせてそれからじっくり考えようと思えば地に足をつけて考えられる。
小学生低学年ぐらいの子は仕方ないにしても、高学年ぐらいだったら日本の歴史として「イザナギとイザナミがいたという設定があって、イザナミがカグツチファイヤーで自爆して死んでまあそこから色々ダークファンタジーじみて来たんすよ」と授業で習っていると思うし、子供もついていける内容だったのではと。
宮崎駿が最後の物語に選んだテーマとして古事記に挑戦ってのも、ラスボスのチョイスとして納得感はあると思う。
いや本当、この「ヨモツヒラサカ」解釈って全く大発明感がないというか、「素直に見てたら普通に分かるよね?」と俺は思ってたんだよ。
誰もその話しないでひたすら「後継者争いがテーマで主人公は宮崎吾朗」「インコはテレビ局の社員」みたいな考察ばっかが飛び交ってるんだもの。
「こんなオタクにしか伝わらない映画やっちゃってさ―」じゃなくて、中学生以上なら皆知ってる内容がベースだから。
じゃあ俺から言うよ。
作画は凄かった。
映画そのものの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。
映像の奥から「表現したかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象そのものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。
それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。
眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿の引退詐欺が元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。
そもそも「人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画の監督だけに限らない普遍的な出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。
巨大な塔が存在し、その支配者は老いて後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。
アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。
作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃんと意識するべきだ。
元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。
多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。
たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争の悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれる友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。
実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。
時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。
物語が一貫性を持つためにはそういった精神的支柱が必要なのだ。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンはスパイダーマン足り得ないのである。
それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。
このタイトルに過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。
名前の元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。
そしてその答はなんでもいいんだと思う。
主人公は「汚れ無きものを時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。
無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語の方向性が確定した。
より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。
インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカイインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。
自分の理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。
何が元ネタだったかを考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。
自分の気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。
必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。
アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。
最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。
でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。
本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。
たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。
あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。
自分の意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。
「それは宮崎駿が結果を出した人間だから言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。
作品をどう解釈していいか迷ったとき、元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。
それはエヴァンゲリオンの解体新書が日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。
特に最近は庵野監督が何かと話題になったので、作品の考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。
それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。
まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違いは絶対にしないでほしい。
世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリーの背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。
確かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次を飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。
考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。
『君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。
バレエ/新体操/ダンス/マリンスポーツを浅くやってたエンジョイ勢です。実は陸上は範疇外です。釣りました。
腹だし&ブルマの何が良いのか伝えたいと思います。これは足の可動域の問題です。
「前後に足を振り上げる」動作をするときに使う「腸腰筋」の動きをなるべく妨げないようになっているのがあの服装です。
この筋肉は肋骨のすぐ下の背骨から腹、骨盤を通り、太ももの付け根に繋がっています。
「足を付け根から動かす」必要がある場合、この筋肉を使わなければなりません。足の付け根は骨盤ではなく、肋骨すぐ下なのです。
ここを伸縮性のある素材で覆ってしまうという案があります。が、その伸縮性のある素材の裾を骨盤で止めようとする場合、強く締め付ければそれだけ腸腰筋の動きを阻害します。
弱く止めればまくれ上がります。留め具無しのセパレート式のフィットネス水着で泳いだ経験のある方なら分かるはずです。
ではなるべく動きを阻害しないで体の動きに沿って足の付け根まで覆うとします。そうするとレオタードになります。
あれは正直ものすごく面倒です。着替えとかトイレとか。(水着で大体の人は経験があるはずなんですが)
着なきゃいけない伝統(バレエや新体操)でもなければ避けたいのではないでしょうか。
そもそもレオタードと腹だしなら腹だしのほうが恥ずかしくない気がします。個人的には。
ブルマも同じように足の動きをなるべく邪魔しないための服装です。
筋肉はわりと繊細で、少しでも引っ張られると力が分散します。なので可能な限り太ももを覆わないのが一番パフォーマンスが出ます。
(一時期流行ったスポーツタイツも正しく装着しなければ意味が無いとだいぶ浸透したと思います)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846814?page=2
運動やってる時はちょっとでも結果が上がるならやりたいんですよ。
真面目に答えると椅子『だけ』だと救われない。PCデスクだとすれば画面の高さやキーボードの高さもかなり影響する。
ノートPCはあまり望ましくない。画面とキーボードが近すぎる。打鍵しやすい低さに置けば画面が低すぎて首に悪いし、画面を上げれば打鍵しづらくて肩や肘に悪い。外付けの画面またはキーボードを繋ぐべき。
あとは単純に筋肉だな。腰の筋肉が衰え過ぎるとちゃんとしたベッドで仰向けに寝るだけでも腰が痛む。これはかなりツラいし、危険信号でもある。根本的に解決するには最低限の筋肉をつけるしかないんだが、椅子や抱きまくらでQoL向上してしまうと問題の先送りになって悪い姿勢が固定化するおそれもある。
安全重視なら整形外科とかで腰と背骨を診てもらうべき。まぁ病院は不要な可能性もあるから強くは勧めないが。
病院に行くにせよ行かないにせよプランクをすべし。筋肉だ。筋肉はすべては解決しないが、腰痛の根治には必須なので。
プランクは静止型の筋トレとか言われるヤツな。腰痛予防なら一日三分でも充分だから欠かさず毎日やろう。がんばれ。面倒には感じるだろうがさほどツラくはない。ツラいほどやらなくても効果はある。
睡眠の質が悪いと何もかも阻害するからここを改善すると一気にアガるぞ。がんばれ。もし仰向け寝もツラいレベルで弱ってるなら一週間以内に効果を実感できるはずだ。
快眠を祈る。
小学生のときに座高を測定されてマット運動の成績も高かったゆえにセルフクンニ適正ありと判断され自民党政権下の国策で田舎の山奥にある中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院へと編入させられて毎日毎日過酷な舌延長と背骨が折れるような柔軟体操を強制されて3年時にはようやく陰核包皮に舌が届くほどに成長するが首席卒業者は既に首延長舌延長等の肉体改造を受けておりくちばしのように尖った唇で自らの陰核をチューチュー吸いながら卒業式の祝辞をスラスラと読むだけの実力を身に着けておりそのときようやく私は選抜されたなかでも出来損ないの落第生だったのだと知りやっとセルフクンニに囚われない人生を歩み始めるがある日この地球に強大な軍事力を持った異星人が襲来し地球全土を武力によって掌握すると宣言してから各国で先進的な兵器の開発が盛んに行われ我が国日本でもセルフクンニ専門学校卒業者を対象とした狭小コクピットを備えた小型人型機動兵器の開発が実施され脳波コントロールに加えてデバイス化した陰核を舌で刺激することで高速かつ繊細な動作が実行可能なその人型機動兵器は各国で注目を浴び世界中からセルフクンニ経験者が集められるがかつて日本のセルフクンニ専門学校を首席で卒業したエリートたちが世界の才能を駆逐し次々と候補にエントリーするも彼女らの殆どは破滅主義に目覚めトー横に入り浸り地雷メイクして左手首ズタズタブロンODアル中糞メンヘラと化していたと判明し防衛省は自らの犯した過ちとその現状に頭を抱えるも私のような次席卒業者に目をつけセルフクンニの再訓練を課し同時に過酷な再訓練で選抜した後正式にセルフクンニ姿勢でしか搭乗できない特殊小型機動兵器のパイロットとして任命され彼女たちは果てなき異星間の争いに身を投じることになる
高い知能は「必要だった」というより、生存に有利な武器だった、という方が適切だな。
他の動物が大脳神経系を発達させられないのは、四足歩行が基本のため「重い頭」を首だけで支える構造に無理があるからだ。有用な武器だが重すぎた牙を発達させたサーベルタイガーを連想してみよう。
対して人間は、生存条件の変化から二足歩行をすることになり、「重い頭」を背骨で支えることが可能な身体構造である。だから、高い知能を手に入れたにもかかわらず滅びずに済んでいる。
その代わり、つまり直立二足歩行の代償として人間は「腰痛」に悩まされることになった。ひょっとしたら将来人間は腰痛で滅びるのかもしれない。
ある種のストレッチだと思うのだが
1 肩幅くらいに立つ
2 つま先が狭くなるように足をハの字にする。その際、踵やくるぶしの外側に力が入るというか重心がくるようにする。ひざは伸ばす方がいいと思う。そうするとふくらはぎとか太ももの外側が張る感じになるはず。
3 お尻が肛門から外側というか体の後ろ側に開いていくイメージを持つ。(かなりうまくいったときは腰のあたりも後ろ側に背骨から左右に割れていく感じのイメージになる。)
これで私は痛みが緩和されたり治まったりする。個人差が絶対ある話だと思うので各自で足幅や力の入れ方、時間を調節してください。
また、あくまで私はこれで良くなるという一個人の経験談です。やった結果、悪化する可能性もあると思いますので、慎重に、自己責任で試してください。
誰やねんと思って調べたら、
森泉:全く考えてなかったですね。ていうか思いつかなかった。就職して社会人になって25歳の時、初めて実家を出て友人と中野で2人暮らしを始めたんです。そこで交流する人達を見て、世の中には自由な人がたくさんいるんだなと思って。その頃「子どもの時お絵描き教室で絵を描くのが好きだったなあ」って思い出して、絵をもう一度描き始めたんです。それが楽しくて楽しくて。絵で食べていけたらいいなと考えて勢いで10年勤めた会社を辞めたんですけど、そこからもちろん仕事なんてなくて、ふらふらしながら漫画を描いたり、大林宣彦監督の事務所にしばらく勤めたりしていたんですよね。大林監督からは大切なことをたくさん学びました。とくに監督が見せてくださった表現者としてのあるべき姿勢、態度は、僕の創作者としての背骨になっています。
テキトーにフラフラやって有名な(?)映画監督の娘と結婚して勢いで会社辞めて嫁の親父のコネでバイトとかしてたら何となく上手く行きましたって感じの人間っぽいな。
そんな奴の言うことに期待する方がおかしいと思う。
昔の人たち、今の情報社会とはぜんぜん違う資料が少ない、育児の研究も進んでない状況で育児をやっているので
自分の子供に障害児ということは認めなくないが、けがをしたら病院につれていく
体罰はあたりまえだし、お前は橋のしたに捨てられているのをひろったんだと平気で冗談を言う
買うときのコツはぬるい場所に放置しないことと、魚売り場特有の厚めのビニール袋にパックをつつむこと。くさい液がもれないからね
イワシは手でひらくことができる、やるとミニサイズのアジノヒラキみたいな形になる。
まずパックをあけて、魚体についてるとれてない鱗を手でなぞってとって皿の上の2枚のティッシュへなする。
水洗いしてもいいけど俺はしない
おなかの真下にあるひし形の骨をむしってさっきのティッシュへ。
内臓はまるやきは取らないが鮮度が悪いため丸焼きにしないときはむしってティッシュ。
手開きにするぶんは背骨の両側をゆびでなぞって尾びれのてまえで折りとる、頭もむしる、ひらきができたらフライパンに皮を下にならべる
丸焼きにするぶんは魚焼きグリルにトースタープレートをしいてそこに交互にのせる 6尾と卵
フライパンにはさらに黒コショウと小麦粉(顆粒)もふりかけオリーブ油もひとまわしする
蓋して弱火
さてひらいたときにでた頭はティッシュ(もったいなければマクドやケンタなどファストフードでもらえる紙ナプキンとか、梱包材の古紙を破ったやつでいい)の上にのせてある。
内臓うろこあたませぼね、全部まとめてビニール袋へ。口を空気をぬきながら細くねじってかたく一結び。夏場は冷凍庫へ。今ならまあゴミの日まで待つわ
開きは縁がかりかりしておいしかったな。
丸焼きはあしたのあさ大根おろしそえて味噌汁と一緒にたべるわ。
おわり
地球人達の脊髄反射の反論により地球は滅びました→13へすすむ
皆が楽しんでるけど自分は楽しめないものあると損した気分になるじゃん?でもそれって「バイセクシャルだと男も女も好きになれて楽しそうだから自分も同性愛に目覚めなきゃ……」みたいな無意味な思い込みだった気がしてきた。
野菜を食べさせるは「野菜が好きな奴、酒が好きな奴、お茶が好きな奴←NEW 色々いるんだから好きなもの食って美味い美味いしてればいいだけだろ?」って意味でいいの?そうだね。野菜なんて食わずにお肉食べるね。
読んだことあるよ。信長のシェフをフワフワにしてお砂糖バサバサしたような漫画だなと感じたよ。十分良く出来てると思ったけど合わなかったよ。
はい。同じような人がたくさんいて安心しました。みんなありがとう。
そんなの知るか!俺の歌を聞け―!出来る人が私は好きです。
終盤で語られる「教師は学校の亡霊のようなもの」というセリフが本質をついてるように思います。眼の前を過ぎ去っていく青春の姿を観客席から拍手しつつ眺める存在として観測させられたように思います。そう思うと最後にその枠を飛び越えていったあの人は凄いなあと思います。
なんとなくそんな気はしてましたが、知名度が凄い高いから純粋に超名作だと信じて読んでしまいました。期待値が高すぎたのか全てがハードルの足元を掠っていくような違和感が。
まあなんだかんだ少女漫画の文脈もありますよね富樫。あそこから入ったり出たりする人ちょくちょくいそう。
はい。
あれ名前の通りだいぶ色んなジャンルのミックスなんだけど具体的にどういう要素が入ってるのか言いにくい混ざり方してますよね。
二次元に恋をして絶対叶わないじゃんとある日気付いたのは失恋に入りますか?直接フラレてないとノーカンですか?
「付き合って終わりとか思ってると他の奴に取られちまうぞ」をイケズ言葉で言っただけなのかなぐらいにしか思いませんでした。新の物語自体がカツ丼で全てが一直線に繋がる流れが美しすぎて恋愛要素的にもあっちの子とくっつく方が綺麗じゃねみたいな気持ちもありました。ごめんなさい。やっぱりよく分からないです。新にとってのちはやが幼なじみなのかライバルなのか恋愛対象なのかその割合がちゃんと分からないまま読み終わっていたようです。
無理やり入れられたはずなのに気づけばそこが港みたいになってるじゃないですかエリア88って。そういう感じで恋愛漫画にもいつの間にか居場所を感じてみたかったんですよね。まあ私の場合はよく分かってないまま出撃してアッサリ死ぬみたいなありがちなモブ兵士の終わりっぽいですが。
少年漫画の恋愛要素でもげんしけんの恋愛要素とかは突然少女漫画っぽいカラー強めの何かが突っ込んでくるので面食らった人がいそうだなーと思ったり。そもそも最初から斑目のそういう話が初期の背骨だと言われるとそうなんでしょうが。
私としてもこの流れで「さばげぶっ!だってレズがいるから恋愛モノだろ。さばげぶっ!で笑ったら宇宙人の負け」と言われたら地球にそのまま滅んでもらう他無いと思っていましたので、その点ではこの意見は正しいと思います。
追記終わり
あさきゆめみしみたいなの。
何が面白いの?
ってお前らに聞いても仕方ないから。
宇宙人が突然襲ってきて「地球の文化というからこの漫画を読んだのだが別に面白くないので滅ぼしていいよな」って言われて手に持っていたのが少女漫画雑誌だったと想定して欲しい。
それに対して地球側の対応にミスった結果、「いやまあ面白い作品もあるって言うけど、こんなのも売れてるって時点で文化の発展がバグってる星だから滅びるべきでしょ」って流れになった。
もう解決方法は宇宙人に少女漫画の面白さを理解させるしかない。
さあやってみてくれ。
もちろんそこで「誰でも楽しめそうな少女漫画から入っていく」をやっても、案外上手くいかないぞ。
俺はちはやふるは大好きだが、それで慣れ親しんだと思ってあさきゆめみしに再チャレンジしたけど普通につまらなくて50Pぐらいで投げ捨てたからな。
まず先付け、深呼吸してフッと息を吸い込んで肺に貯めたまま胸を張ると胸骨とか鎖骨がパキッ
次に椀物、足首を逆側の足で押えながら引っ張って抜く感じで鳴らすとボゴッと鳴って良い
手首は反らすより内側にグイっと曲げてコッ!と鳴らすのが好み
向付には手軽さの手足の指だね、手をポキポキッついでに足の指もポキポキッ
でも手指だと親指の付け根が特にイイね、握りこぶしの状態から親指を他の指で握ってポキッ
そして煮物だ、背骨を一気に鳴らすと良い、腰丈くらいの背もたれとか机に背を向けて腰との間に手を入れてグイっと体重をかけて反らす
ココココココッ!その後左に右に腰を回転させてポギッポギッ、もっ最高!
そしてメインの焼き物は股関節、背骨や腰回りと位置を逆にする人も多いと思うが個人的には関節慣らしのメインディッシュはこっちだ
椅子に座って軽く股を広げる、鳴らしたい方の足を内に外にぐりぐりっと回転して抵抗を感じた方へ思いっきりグリッ!ボゴッ!!
スッキリ!
最後に伸びをして脇やふくらはぎなんかの肉を伸ばすとなお良い、これはまぁご飯ものってところかな
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
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どこに向かってるのかよくわかんねぇわりに
フェーズ1→アベンジャーズ結成秘話を単独映画でたっぷり見せる。
フェーズ2→それぞれのキャラクターの掘り下げに加え、楽しい新メンバーも。
フェーズ3→シリーズ集大成。ヒーロー同士の断絶と最強の敵サノスとの決戦。そしてその後の世界へ。
フェーズ1~3が「アイアンマン」「キャプテンアメリカ」という2本の大きな主軸が
背骨のようにシリーズ全体を貫いており、シリーズとしてかなり頑強な作りになっていた。
フェーズ4→その後の世界、かと思いきや過去の話かと思いきや、どう関係するかわからん新キャラ出し。
どこに向かっているのかさっぱりわからないところが正直つまらない。
とにかく過去シリーズの後始末をしているようなシーズンだった。
それだけインフィニティ・ガントレットの話が大きすぎたというのも理解できるし、
ブラックパンサー役のチャドウィック・ボーズマンが逝去してしまったことで
最終作のワカンダ・フォーエバーの内容が変わってしまったこともわかる。
だが、とにかく陰鬱でワクワクしないくらーいシーズンになってしまった。
これまでは新キャラどれもカッコいいじゃんって感じだったのが
シャンチーもエターナルズもびっくりするくらい魅力的じゃなかったのもつらい。
しかもここから正式にDisney+オリジナルドラマシリーズが正式にフェーズ入りして
ドラマ見て映画見ないと全部はわからない感じになってそれが余計に鼻につく。
特にドラマ「ワンダ・ヴィジョン」と映画「マルチバーズオブマッドネス」は、
かなり地続きに作られているがドラマを見ていると映画は「なんか同じ話してるとこ多いな」と感じ
ドラマを見ていないと「なんかよくわからんとこあるな」と感じる作りになっている。
なんかなーだ。
フェーズ5は個人的に好きなシリーズであるアントマンとガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの新作がある。
この2作はめちゃくちゃ楽しみにしている。
が、他の映画は強すぎて使い勝手が悪いキャプテンマーベルの続編、まさかのブレイドの新作、
黒人キャプテンアメリカ、ヴィランチーム映画に6本のオリジナルドラマの構成。
なんか出涸らし感が否めないんだよなぁ。
フェーズ6には何回作っても毎回全然売れないファンタスティック・フォーのリブートも控えてるし。
なんかなー。