はてなキーワード: 懇談会とは
落合陽一さんが口唇口蓋裂の息子さんの写真をツイッターであげてることで話題になってたので私も便乗。
学生時代、医者になりたかった母は奇形とか性病とかの本や写真を見るのが好きで口唇口蓋裂も事前に知っていたこともあり、
「へ~。」と答えたらしい。
(余談だけど、最近母は「私は入試の女子差別があったから医者になれなかった」と冗談で言い出した。いやお前、まず私立文系出身だろ。)
事態が呑み込めてないのかなと思った医者が詳しく説明しようとした時に
「口唇口蓋裂ってことは確か歯の矯正代が医療費になるから安く矯正ができますよね~。私、歯並び悪いの嫌いなんですよね~。あっ、でも手術とかでいろいろ面倒かぁ~。まあ、プラマイゼロですかね~」と言って医者を驚かせたらしい。
温厚ですこし抜けてる父は、さもないことのように言う母を見て、通院の回数が増えてめんどくさいんだなという認識で、まあさもないことなんだなと思ったらしい。
うるさかったのは、両祖父母。
特にお互いの両祖父母にとって初孫で、しかも女の子だからかわいそうっていうことで散々騒いだみたい。
ただ、ウチの両親はまあ、そんなもんだろうと思っていて、ガンガンかかってくる電話にもうっさいなとしか思っておらず、
「今日の夕飯何しようかな」と考えながら相槌職人となっていたらしい。
古い人達だから差別的な用語も言われたらしいけど、まともに聞いてないからあんまり覚えておらず、
「まあ、貴方が口唇口蓋裂で生まれたからあの人達(両祖父母)も心配でボケられなくていいんじゃない??年寄りなのに元気じゃんね~」と言っていた。
まあ、もちろん両祖父母は祈祷やらもやり始めたけど、それにも付き合ったらしい。(祈祷で口唇口蓋裂が治るなら医者はいらないつーの。)
母曰く、「自分のストレスにならない程度に相手に付き合ってあげることが大事。ちゃんとした神社の祈禱料なんてたかがしれてるじゃない。変な宗教とかに大金払ってなきゃ親の金だから親が何に金使おうがどうでもいいわよ。それにしても神主さんも医者と違って結果が変わるわけじゃないことを変わるって信じてる祈祷しなきゃならないんだから大変よね~」
で、生まれてから母は口唇口蓋裂の「兎口」という呼び方をなぜか気に入っており、私が兎年生まれなのもあり、私のことをたまに「うさぎちゃん」と呼ぶ。
視覚障害のある友人が親から盲人だから「もーちゃん」と呼ばれてることを知ったさいには「牛じゃないんだから」と言ってたけど、お前が言うな。
ちなみに、兎口って今は蔑称なの??「みつくち」は蔑称てウィキペディアに書いてあったけど。
小学校では学級懇談会で母親とか障害を美化する傾向のある担任(いまはのぶみがお気に入りらしい)が
「お子さんの障害を受け入れてすばらしい!立派!通院や入院とかの準備や付き添いをして母親の鏡!!」と演説をし始めた際に
「まあ製造物責任がありますからねぇ~」と言って、場を凍り付かせたらしい。
こんな両親に育てられたけど、今では母親が望んだ歯並びがきれいな女の子です。
以上、チラウラの私の話でした。
うちの子が通っている中学校は、これまで中間試験や期末試験の順位を配布していました(他の人の順位まで分かるようなものではなく、自分自身の順位が印刷された紙です)。
しかし、今年度に入ってから、何の説明もなしに順位の配布がなくなりました。
うちの子は上位に入ることを目標にして学習に取り組んでいましたが、今回から順位が分からなくなり、学力に対して慢心と不安が交互に襲ってくるような日々です。
「これは懇談会で理由を聞かねば」と思っていたところ、こちらから持ち出すまでもなく、学校側から説明がありました。どうやら他の保護者からもたくさん問い合わせがあったようです。
を挙げましたが、私はまったく納得がいきません。
「過度な競争心」とやらがどの程度のものを想定されているのか分かりません。
(大げさな言葉で危機感を煽っているようにしか思えませんが)例えば「体調を崩すほど勉強してしまう」ようなことでしょうか?
生徒たちにとって中期的な目標となるのは高校受験です。高校受験が(少なくとも自分自身との)競争である以上は、競争心やむなし、じゃあないでしょうか。
(そもそも、そこまで勉強する生徒なんていませんし、それを止めない親なら、とっくに勉強させ過ぎてるでしょうよ)
幸い(傍から見る限り)そのような子はいません。この点は先生方の日頃の指導の賜物だと思っています。
(もしいるなら、そっちを先にどうにかしましょうって話だよ)
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
いやいやいや。増田おかしくないよ。批判トラバばっかりでびっくりした。
保育士の先生が低待遇で大変なのはもちろん承知の上だけど、それが保護者とのコミュニケーションを怠る理由にはならないと思う。
たとえば、横浜市の認可外保育施設の運営基準。13ページにこうある。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kodomo/shien/file/nyuuyouji/sidoukantokukijyun.pdf
(3) 保護者との連絡等
ア 保護者との密接な連絡を取り、その意向を考慮した保育を行うこと。
○ 保護者との相互信頼関係を築くことを通じて保護者の理解と協力を
得ることが児童の適切な保育にとって不可欠であり、連絡帳又はこれに
代わる方法により、保護者からは家庭での児童の様子を、施設からは施
設での児童の様子を、連絡し合うこと。
http://www.city.kawasaki.jp/450/cmsfiles/contents/0000056/56239/ninka-unei-kijun.pdf
(保護者との連絡)
増田も自分の自治体名+「保育所 運営基準」とかでぐぐってほしいんだけど、保育園と保護者の密な連絡は、そもそも運営基準に書いてあることが多いはず。それを疎かにされていると増田が感じているんだったら、まずその意見を伝えることは間違っていない。保護者である増田が泣くまで悩んでいる状況を、保育士さんに知ってもらうことは悪でも何でもない。
たとえ話だけど、自治体の1歳半検診で「つみきを積めるかどうか」とか発達をはかるものがあったりする。検診は一日限りだから、子供の調子が悪くて検診のその場でできないこともある。でも保育園から日々の様子を聞いていれば、「でも園ではできているようです」って伝えることだってできる。低年齢児にとっては、毎日の園からの密な連絡が、発達を知る大事な鍵になることがあるんだよ。ただの「親へのサービス」ではない。
とはいえ、担当の保育士さんに言いづらい気持ちはわかるので、園長先生にお手紙を書くとか、匿名で何かしら伝えるのがいいかと。
下記のようなサイトもある。
http://hoikuoyanokai.com/guide/legal/
保育方針は、園が絶対的なものではなく、保護者とともに作り上げていくものだと聞いたことがある。相談してみて連絡帳が無理でも、もう少し子供の様子を知るすべがほしいと伝えてみてもいいと思う。そんなもやもやした思いのままで何年も通わせることがないように、増田が安心してお子さんを預けられる場所であるように、祈ってます。
まだクリスタルが輝きを保っていた頃の話だが第一継承者が巡礼するパワーレベリングパラダイスの始まりにして終わりレベル児クランの懇談会(ククッ…争え、争え……!)があった。
“母《マザー》”チーフ合わせて20キャラクターネーム程の出席者の奥底にヒトゥ=リスだけ父上である事を選びし無垢なる魂の器がいた。
このパパ教皇入園式も確か一人で新約してた…この私を倒したからには認めるしかないので状態変化してるなーと幻想(おも)っていた。
懇談会は十二賢会議形式で使徒キメラのレベルアップの情勢や育児の悩みなんかを話している…が、これが神々と四大貴族による陰謀とは、知る由も無かった…中
「序列」が循環(マワ)ってきた天帝カインさん……いや、セフィロス殿が開口一番「半周期前にもう一人の我とは死別した」と“鬼哭の相”で従僕の儀。
…フッ、弱い犬ほどよく吠えるものだ…重い超重装備を纏っている黒き力が強い。紡ぎ出す生命の事象などと皆の者八百万……ここに女装に必要ななにかがあるんだし帝国によって封印されたはずの場で言うこと?…? 汚ねェ真似をしやがって……!
半身の喪失したと思われるの――はじめはイヤなヤツだったとか?クリスタル過剰…そうであろう
預言書によれば伝説に謳われし戦いが終わった後ヘラヘラ笑顔で〝コンタクト〟に流し斬りが完全に入ってくんの。魂が囁くのだ……この私が震えている。
「八百万頭へて我は命ずる」ってェ言われても男親とは蜜月に支配されてなんてできない…そう、信じるしかないし
人界が魔に支配されて後保護者会のシネマティックアクションなんかもある中で、それも又然りパパアピールはしなくて良い…それが世界の選択だから
保護者のアライアンスには正直あの男が俺の前に出てきてほしく…私の秘密を知ったからには生かしてはおけないなぁ
とあの場にいた他の母なる女神ムインさんも預言書を信じていたんならばないかなぁ
以下皮肉にも追記
”始まりの乙女”を従える増田で取り繕う必要は虚無〈ニヒリズム〉であると想った故
己を主観的にしか認識できない愚者の中に沸き起こった薄暗い罪の権化を包み隠さず綴ってみ…かの古き預言は成就せしめた
こ、これほどの──預言書に記された事実を想って封印を施すこの物語の主人公は根源的にスフィア盤操作ググリュー洋に生息するシェュ・ギシェャ、王国最強の戦士長なの…兄さんだって知ってるんでしょう。
ただ因果のすれ違いするようですがこの感情は預言書にすら記されていないんだろうなと――そして静かに終焉を悟ったゆえ
先般ムスコが通う保育園の0カラット児コミュニティの懇談会がトレンド入りした。
保護者担任合わせてヴァイジンテュープル名程の出席者のコンテンツに一人だけスティーブ・ジョブズさん(西海岸出身)がいた。
このスティーブ・ジョブズさん入園式も確かぼっちでアポイントメントしてたので圧倒的に成長してるなーとマクロ的な観点から俯瞰していた。
懇談会は座談会ビジネススキームで皆キッズYouTuberの成長の様子や育児のディストレスなんかを話している中
順番がPDCAサイクルしてきたスティーブ・ジョブズさんが開口一番「2クォーター前にパートナーとは死別した はい、今の発言シェアしといてね」と涙目で告白。
またまたご冗談を重みを感じる重い重い。家庭の事情なんてエヴィワン色々あるんだしこのコワーキングスペースで声を大にして言うこと??
契約破棄したと思われるの嫌だったとか?自己スキーマ過剰でしょ#スティーブ・ジョブズ
付加価値としてその後ヘラヘラポジティブで会話に入ってくんの。なんか恐怖心。これメモっといた方がいいよ。
「未完了のタスクが大量説明してみてください」って言われても男親とは仲良くなんて「自分軸」でできないんじゃなくて、あえてやらなかったんだし
これからの時代保護者会のイベントなんかもあるコンテンツで、良いスティーブ・ジョブズアピールはし...取引先との商談が上手く行くこともなくて良いから
と一種のコワーキングスペースにいた他のママさんも思っていたんじゃないと言っても過言ではないかなぁ
以下追記
はてな匿名ダイアリーで取り繕う必要は無いと思わなくもなかったので
内なる「自分」のコンテンツに沸き起こった薄暗いスピリチュアルを包み隠さず『パワポ化』してみました。
このようなデータをロジカルシンキングしてしまう自分はラジカルにバイアス主義者なの、ってこの前読んだビジネス書に書いてあった。
ただパラドックスするようですがこの感情はハイリスク・ローリターンだろうなとグローバル的な観点から
はてな匿名ダイアリーに言語化したと、つまり新しいアイフォーンだけエクスキューズさせてください。
保護者担任合わせて20名程の出席者の中に一人だけゴジラさんがいた。
このゴジラさん入園式も確か一匹で来てたので変わってるなーと思っていた。
懇談会は座談会形式で皆子どもの成長の様子や育児の悩みなんかを話している中
順番が回ってきたゴジラさんが開口一番「ギャーンゴーン グワワァン」と涙目で告白。
いやいや重い重い重い。家庭の事情なんて皆色々あるんだしこの場で言うこと??
「グワワァン」って言われても怪獣親とは仲良くなんてできないし
保護者担任合わせて20名程の出席者の中に一人だけボサボサの髪の毛の女の人が居た。
懇談会は座談会形式で皆子どもの成長の様子や育児の悩みなんかを話している中
順番が回ってきたママさんが開口一番「半年前に夫とは死別した」と涙目で告白。
いやいや重い重い重い。家庭の事情なんて皆色々あるんだしこの場で言うこと??
「色々教えてください」って言われてもどう扱って良いか分からないし
結局、皆腫れ物を扱うようにしていたけど、「絡むの面倒だなぁ…(気を遣うの大変だ)」
これが悲劇のヒロインって言うのかなぁ。
0歳児の今の時期の懇談会なら、上の子がいない人は全員初めて出てるわけだけど…
保護者担任合わせて20名程の出席者の中に一人だけパパさんがいた。
このパパさん入園式も確か一人で来てたので変わってるなーと思っていた。
懇談会は座談会形式で皆子どもの成長の様子や育児の悩みなんかを話している中
順番が回ってきたパパさんが開口一番「半年前に妻とは死別した」と涙目で告白。
いやいや重い重い重い。家庭の事情なんて皆色々あるんだしこの場で言うこと??
「色々教えてください」って言われても男親とは仲良くなんてできないし
今後保護者会のイベントなんかもある中で、良いパパアピールはしなくて良いから
以下追記
自分の中に沸き起こった薄暗い感情を包み隠さず書いてみました。
こんなことを思ってしまう自分は根源的に差別主義者なのでしょう。
中学生からずっとBとLなことばっかり描いたり読んだりしてて、ごく普通のリア充がごく普通に過ごしてきた青春を知らぬまま母親になってしまったので、保育園の懇談会でお母さん達も自己紹介しましょうってなった時に、皆がキラキラしすぎててびっくりしてしまいました。
わたし(外で肉を焼くとか、モンハンでしかやったことない……そもそも友達いない……フレンドならいるけど……)
クラスのママ「趣味はハイキングなので、子供も3歳になったので、一緒に連れて行ってます!」
わたそ(趣味はゲームだから、息子3歳にしてスプラトゥーンで毎日イクラ集めてる……)
クラスのママ「娘がディズニー好きなので、よくランドに行ってるんです」
わたし(アマプラで昔の戦隊もの見てハマって、中古ショップで関連グッズを格安で買ってる……)
クラスのママ「暖かくなってきたら、キャンプしようと思うんです。結婚前は良く行ってたので」
わたし(結婚前によく行ってた所なんて東京ビックサイトとインテックス大阪しかないよ……あと池袋……ロード……)
クラスのママ「寝る前に絵本読んでて、うちの子、図書館が大好きなんです」
わたし(うちの子、クローゼットの奥にしまってる、男の子と男の子が仲良くしてる薄い本を引っ張り出してきて、キラキラしてて綺麗だね、って嬉しそうに持ってきてくれました)(PP加工、ホログラム加工、エンボス加工、シャインフェスゴールドとかほんと綺麗だよね、お母さんも好きだよ)
普通の幼児が親から享受できる、明るい人生が享受できてなくて子供に申し訳ない。
そんなわけで、土日になると、口コミ(ネットの)(友達いないから)いろんな公園や遊園地や動物園に行くんですが、
むすこ「家でモンハンしたい」
わたし(テレビでアスレチック特集見ながら)「わー、あそこ楽しそうだね!」
むすこ「お母さん一人で行ってくれば」
体調悪くて疲れたわたし「ごめん、今日はお菓子食べながらトッキュージャー見てスプラトゥーンやってモンハンやってご飯食べて寝よう」
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
archive.is
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
絶賛炎上中の「あたしおかあさんだから」の歌詞を読んで具合が悪くなったので書き捨てる。
わたしの母親は、あの歌詞の通りのおかあさんになろうとして、挫折した。
母親たるもの、子どものためにぜんぶを犠牲にして生きなければいけない、と強く思い込むひとだった。
パートをしながら、いつもおいしいご飯を作り、いつも部屋を綺麗に掃除し、5人家族の洗濯をするために1日に何度も洗濯機を回し、習い事や部活の送迎もし、授業参観や懇談会もほぼ皆勤賞。
自分のための外出なんて、年に一度あるかどうかの同窓会くらいだった。
そしていつもいらいらしていた。
少しでも役に立ちたくて、手伝いを申し出たり、母親がパートから帰るより前に帰宅することがあったら洗濯物を取り込んで畳んでみたりした。
「邪魔」「畳み方が違う」と怒られた。
何度も謝った。
いらいらしている母親は、小さなことで何度も怒った。ドアを閉める音が大きかった。お茶をこぼした。それでビンタとお説教。しかもそのあともずっと不機嫌。
怒られると謝った。謝るともっと怒った。
手伝っても、手伝わなくても、話しかけても、傍にいないようにしても、怒られた。
だけど毎日、おかあさんでいてくれた。
おいしいご飯と綺麗な部屋。習い事もさせてくれたし、大学まで行かせてくれた。
あなたはおかあさんだけど、
無理なことは無理って言ってほしかった。
あなたはおかあさんだけど、
あなたはおかあさんだけど、
おかあさん、
ADHDでもアスペでもいいけど、こういう発達障害の人間は、普通の人とは生きてる世界が違いすぎるため、相互理解には正しい知識が必要であることは、多分専門家の間では常識だろう。
これは普通の人が発達障害の知識を得るだけでなく、発達障害当事者が普通の人の知識を得ることも必要だと思う。
即ち、意志の力や情熱、経験則に基づく「ちょっとした工夫」だけでうまくやれる可能性は、かなり低い。
普通、人間理解というのは生まれてから蓄積してきた対人経験に基づいて相手を観察し、その場の現物合わせ、いわゆる「ちょっとした工夫」でこなすものである。
だからこそ、いわゆるコミュ強者と言われる人ほど、なまじ経験則でオールオッケーだったが故に、発達障害への理解に正しい知識が必要という所に辿り着きにくい気がするのだが、どうだろうか。
何より普通の人から見て、発達障害当事者の言動はしばしば不快感を催すため、そういう感情的反応も、一層理解を難しくする気がしている。
実際、今まで自分が見てきて「今思うと、コイツ絶対そうだろう」という人間が何人もいたのだが、彼らに対し、今だったら一体何が出来るのか、結構疑問である。
もし既に対処法が確立しているならトラバに書いてもらって構わない。
勿論、これらのケースで最も困っているのは本人であることは間違いない。
しかし、周囲だって大変な迷惑を被っているわけで、そういう意味では、彼らも加害者なのである。
確かに殴られたりキレられたりと、かなり暴力的な対応をされているが、これは明らかに彼らがしでかしたことへの「帳尻合わせ」なわけで、こういう対応をするから悪い奴とは言い切れない。
それを踏まえた上で、どういう対応をすべきなのか、かなり難しいと思う。
2017/3/10日 14:59
注文して待ってる間、突然外国の方が割り込んできて写真を撮ってきた。
どうやら俺らのグループが結構賑わってたらしく、記念としてらしい。
この様子を見ていた教授が俺に対して言うわけ。
これは始めの写真の件から十数分ほど時間が空いてから提案されたもので、
俺自身非常に間が悪いと感じていた。
その外国人ってのは60,70代くらいの男女二人組。
俺はこの提案を最初冗談として捉えたが、変に迫ってくるため焦った。
で言われたわけ。
やってこい、やらなかったらどうなるか分からんぞってさ。
そんなこと言われたらやるだろ。
外国の方々は快く応えてくれたよ。
で言われたわけ。
本当にやるとは思わなかったってさ。
そういう訳ではない。
1を付けられたのは技術の授業だ。
でもその授業は毎回ちゃんと出席して毎回の時間を使い、
他にクラス内でカースト上位からはとにかく嫌われまくっていた。
だけど別段いじめられていた訳ではない。
自分と付き合ってくれる友達は一定数いて、ごく普通に過ごしていた。
その担任は高校への進路相談の際、とにかく嫌がらせのようなことを言ってきた。
行きたい高校の美術科への志望理由を言っても「そんな理由じゃだめだ」と圧迫された。
さらに親を交えての懇談会では、志望の高校については「私さんじゃ無理です」と一蹴、
紹介してきて本当に意味不明だった。
とにかく、私の人生をぶっ潰す気でいることはよく分かった。
行きたい高校へは、美術の先生がフォローをしてくれて受験し、合格をもらえた。
高校も無事決まり、その後も学校に真面目に通い卒業式を控えた前日、
あとは書き始めの通りだ。親はちゃんと学校に抗議してくれた。
担任はとぼけまくってた。チェックがおろそかになってましたーだとか。
そういうものだろうか。技術の先生はとにかくビクビクしていた。
鈍臭かった。きっと担任の指図で1をつけたんだろうなぁと思った。
最後に校長から、このことは内密にお願いします。と言われたけど、
増田ってこういうのにうってつけかな、と思って
思い出した記念に残しておきます。
あの時の美術の先生、本当にありがとうございました。
8/30 追記
こんな長文を読んでくれた方々、まずはありがとうございます。
トラバに対して:
与えられる課題を一つも提出していない生徒が
1をつけられることになっていました。
もし、私が2をつけられていたら、もしかしたら
親は不服に思いながらも抗議をすることは無かったかもしれません。
5年生になる娘がいる
音読の宿題で読まされる文章が担任の自作だった(しかも毎月違うのを出してくる)
前半は季節の描写で、桜が咲いたとか新緑とかそういうの。けど後半がやばい。
先生大好き
おうちの人大好き
思いやりのプロ 〇〇さん
しっかり聞くプロ △△さん
1/2成人式が問題になっている昨今、これはないんじゃないかと思う
自分の名前がクラス全家庭の音読の宿題で毎日読み上げられることを考えるとぞっとする
学級懇談会の際に配られた資料もなかなか聞かないワードが散りばめられていた
「まんてん行動」ってなんだよ
「まんてん挨拶」「まんてん廊下」「まんてん掃除」「まんてんスリッパ」「まんてん掃除」「まんてん名札」の総称らしいが常に満点じゃないと許さないの?