はてなキーワード: 幻想とは
「モディ化」するインド―大国幻想が生み出した権威主義 (中公選書) https://amzn.asia/d/i5sGxAq
読み終えました(気息奄々)
インドの選挙債、日本のパー券がお遊びに見えるくらい舐め腐ってて笑っちゃうんだよな(政党に対する公開不要の匿名寄付金で企業がそれまでの寄付上限無視して際限なく寄付できる仕組みを上院での正規の手続き踏まずに裏技使って通して制度上確認できる全寄付金額の半分を与党がもろてます★
「インド市場を手放したくないSNS会社はインド政府の圧力に屈して政府機関からのフェイクやヘイトは野放しにして政府に都合の悪い投稿の削除要請には応じている。これはトルコやナイジェリア、ブラジルなどに模倣されている」
だからまだ開始三十ページしか経ってないんだって(上の話の直後
怖いこといいだした〜〜〜〜!!!!
>「…モディを「神様がインドに与えてくれた贈り物」「貧しい人々の救世主」と称賛する者や、ノストラダムスはモディの首相就任を予言していたと述べる者がつぎつぎと現れている…」
どん!!!ふぁん!!!ほーん!!!(ヤケクソ(ここまででまだ全体の15%ほどです(たすけてくれ
記者「モディの奥さんの話ぜんぜんわかれへん…インタビューしたろ!」
村の人達「(話すことは)ないです」
夜
モディ「やぁ^^どういうつもりなのかな^^」
すごいな!!!!!四分の一も読んでないのに罵詈雑言の在庫切れを起こしそうな情報しか並んでないぞ!!!!
今わかりました、二十一世紀はコズミック・イラだったんですね!(迫真)
という気持ちになれる本です。おいこら習おじさんはまだマシだったのでは?みたいな顔にさせるんじゃないコラいい加減にしろクソボケがーッ!!!!!と始終悶絶絶叫しながら読む羽目になりました。たすけてくれ。
政治外交方面の話がお好きだったり興味のある方、ビジネスでインドに関わる機会があったりする方は読まれると良いかと思います。君等がふんわり知ってる情報に基づいて商売して本当に大丈夫?みたいな話が一杯です。たすけてくれ。
ワイはインド関連のもの嗜んでるから多少ニュースくらいはかじってるし…くらいのドサンピンですが、なんか、ずっとデンプシーロールでボコボコにされてるかんじ…ですね…えっこれと同盟組まなきゃいけないんですか?無理じゃない?仮想敵と同じベクトルのしでかしをよりでかくしでかしてるよ???
たっけて!たっけてガンディー!たっけてネルー!みたいな顔をしながらよみました。たすけてくれ。
そらあとがきで「お世話になった人の名前は『ご迷惑』がかかるかもしれないのであげません」って書くわ。納得しかねえもん。(その水準のものをこのお値段でお出しくださりありがとうございます…
なんかあまりに阿鼻叫喚したせいでなにか「ウソだろ?」「またまた〜」「大げさに言いすぎだろ…」と思われるところがあられた方はぜひご自身で読まれてください。俺だって嘘偽り大げさであってほしかった!!!!たすけてくれ!!!!
とてもいい本です。とってもいい本です。興味がある/湧いたなら買って損はしないと太鼓判が押せます。
でもなぜかなパトラッシュ…ぼくとっても(こころがつらくて)ねむいんだ…
あのさぁ!!!!!半世紀前にもっと近所の国で見たやつをほぼそのまんまお出しされてんだわ!!!!!!!わかってたっちゃわかってたけど!!!!!!
いってることとやってることが「中国夢」のインド版なんだよなぁ…
モディ、言ってることとやってることが某島国の極右集団・政党の(最悪に駄目な方向での)上位互換
ねえやっと三章なんだけど(たすけてくれ…
たすけてくれ!!!!!たすけてくれ!!!!!!!!!!!!!
男性向けのゲームだから主人公が男なのは本来であれば当然だが、今の御時世にそれをやると苦情が来るし最近のソシャゲでは選べたりボカされたりしている部分
主人公が女に対しても全く容赦がない
女キャラにハッキリ物言いすぎて今までのアイマス主人公より全く優しさや遠慮がなく、他作品でもこの感じは見たこと無い(悪人とかではない)
主人公が女に厳しすぎてXで戸惑っている人も割と見かける
女キャラが男からの厳しさを普通に受け入れるし、言われずとも頑張ってる(一部を除き)
アイドルは練習熱心で主体性や責任感があるが、アイドル同士は仲良しとは限らない
作中では主人公とアイドルたちの関係は割とフェアで対等だし、それは今までのアイマス以上だ
アイマスに限らず女キャラに厳しく接してそれを受け入れられるという発想は普通しない
これだけ見るとフェミニストは好きそうだが、女が嫌いそうな理屈っぽく辛辣で時に否定的な言動をする
フェミなら色々と文句をXや増田やらに書き込むしリアルでも愚痴る所だろうこの主人公には
だが作中では有能であるという一点で女キャラのアイドルから好感を持たれたりもする
女性の社会進出とSNSの浸透により真面目さや優しさを美徳とする男性がいかに冴えなくて魅力がないか語られてきた昨今
今までの男向け美少女作品なら男の人間的な優しさや誠実さに女キャラが惚れる場面もよくあったが、それが幻想なのはよく理解しているはず
今作は違ってて、超絶有能という一点やプロデューサーという立場、使えるか気が利くかで信号機(アイマスのメインキャラ3人。ポケモンで言う御三家。世間で言うメインヒロイン)の女がついてくるし好感を持たれる
令和らしい価値観で男女平等ではあるが、フェミには明らかに都合が悪い
フェミニストの考える男女平等は全く男女平等ではないとか、どういう連中なのかは非リベラルな男増田なら説明不要だろう
この学マスの世界観は弱者男性的な令和の男女観に近いなと感じた
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
抽選結果で「落選」はやめます 都立中高説明会、表現めぐる指摘受け [東京都]:朝日新聞デジタル
これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
これは、戦時中の、「兵隊さんご苦労さん」っていって兵隊を敬わせて背中を押し、銃後の守りを頑張らせようとするのと近い話で、マスコミは世間の空気をつくることができるのだから気を付けてもらいたい。
「配慮に欠ける可能性がある」という、世論を規範的に誘導する表現は、プロパガンダとしても機能してしまうので、正直、よっぽどのことがない限り使ってもらいたくない。
必要だとすれば、なぜ必要だと認識しているのか、マスメディアにはよくよく考えてもらいたい。
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、配慮したつもりで単に別の固定観念が形成される、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。
水商売、とりわけホストやキャバは頭おかしくなきゃ絶対やらないし出来ないしのは当たり前でしょ。
恋愛ごっこで一晩に何十何百何千万円の金を動かすという異常な行為なんだよ?
セックス一発五万円の風俗はまだセックスという明確な対価が存在するけど、ホストやキャバは「お気持ち」だけを売ってるんだからそんなの客も店も脳みそぶっ壊れていくに決まってるよ。
「ホストやキャバは超頭脳派のブリリアントジャークで自分より頭の悪い人に容赦がないだけ」みたいな幻想があるのかな?
身障はどうしても運動に制限があるから太りやすいし、身なりを整えるにも自分だけでは限界があるので身障のイケメンってのは幻想上の動物だと思うよ。後、多分、身障から性的な目で見られたら発狂しそうだね、あたな。
清楚系で売り出したはずのVtuberも2~3年も最適化を行えば、大抵奇声と奇行で笑いを誘う珍獣ポジションに収まっていくので、少なくともVtuberの考える清楚って、「イケメンでさえあればモテる」って男の幻想に通じるものがあると思ってる。
間違いがあったら教えてください。
元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。
早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。
優越の欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験や就職活動を乗り切れていないようにも思う。
エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。
勝つことが全く意味がないとも思わず、人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベートの人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。
しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。
身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性受けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。
彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分が彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。
友達の前で私の容姿を馬鹿にしていた。おそらく友達に可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼は発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ。
この人のそばにはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。
訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生のときにいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。
それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。
なんで元彼と付き合ったのか。
行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性のストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツにありがちな関係性幻想に染まりすぎだった。
最初に露骨に口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。
(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)
「俺に欲情して強引に露骨に口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。
買って済む話ではないことはわかる。ホストに貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの。
私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面の偏見、安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰。
元彼の両親は偉い父親と専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。
元彼は父親に強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親の価値観をインストールして母親を馬鹿にしているようにも見えた。
「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係を美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女の彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。
議会との対立を鮮明にして泥仕合を繰り広げた安芸高田市長が東京都知事選に出馬するということで話題になっている。
この市長は、議会との論戦を志向していたようだが、本邦の地方議会、二元代表制は残念ながらそういった方向には適していない。
当然ながら、首長はその自治体の職員を駆使して議会に向けた調査研究を行う。対して地方議員は、多少の政務活動費こそあれど国会議員と異なり公設秘書はおらず、秘書を雇えるような収入が確保できる議員は限られる。自治体の業務は広範で、議会に諮られる案件も産業振興、厚生、文化に教育など多岐に渡る。これらの内容を議員やその支持者の少数で調査し、理解し、疑問点を整理しなれけばならない。加えて、議案説明会は上程日の1週間前が相場である。時間も足りない。
なお、議員から条例の制定などの提案も可能だが、その場合は一層の調査研究が必要なのは言うまでもない。
先述のとおり議員側には方方のリソースが不足しているため、特に首長の政策的な面が強い案件については、突然議会に諮られても賛否以前の問題なのが現状である。そこで、議案説明会の前に、政策の内容を議員に説明し、質疑応答などを経る「調整」「根回し」というものが行われる。これを馴れ合いと忌避する人もいるが、議員側に事前知識がなければ議会で実のあるやりとりはできない。
「初歩的な部分を質問せざるを得なくして首長がマウントをとる」「事前に言われれば簡単に用意できた内容を不意打ちで質問して議員が勝ち誇る」といった展開は、果たして議論として称揚に値するものなのだろうか。
チェックアンドバランスということで、議会と首長は対等のように見えるが、一概にそうともいえない。かつての阿久根市での暴挙で一定の枷はついたが、専決処分は依然として強力であり、再議も可能。首長の不信任決議は逆に議会を解散させることもできる。
首長と議会の権限の差は置くとして、まずは議員のリソース強化に尽きる。時間的な面では議案説明会から議会への上程までの期間を空けることも一考だが、首長側のスケジュールはタイトになる。政務活動費、報酬の増はわかりやすい例だが、賛同する人は少ないかもしれない。住民を巻き込むという点では、議会広報などによる発信強化も面白いところだ。
なお、件のガチンコ志向の安芸高田市長にあっては、議会広報の予算をカットした予算を提出、議会が当該部分を復活させた修正予算を可決したことでやっぱり揉めていることを申し添えておく。
議会と首長のガチンコ勝負というのは昨今の政治のエンタメ化の文脈では受けるかもしれない。しかし、国と異なり地方は二元代表制で、議員も首長も市民が直接選んだ代表である。それぞれがそれぞれの民意を反映している。この中で必要なのは、各々の背負った民意をすり合わせて着地点を探ることである。一方の民意が他方の民意を足蹴にする様で快哉を叫ぶのはよく考えた方がいい。自分の民意が足蹴にされないとも限らないのだから。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
下方婚については昨今活発な議論が交わされており、SNS炎上の常連テーマとなっている。
主に女性側が妥協するケースが取り沙汰され、男性側が弱者として扱われるパターンがほとんである。
しかしながら、女性側に至ってもお世辞にも選ぶ側、有利な立場とは言えない個体(どブス)が多く、圧倒的強者ではでない事を認識していただきたい。
男性側は生殖本能が故に、容姿に対する許容範囲は女性側よりも数十倍広いが、それでもアウトな容姿の女性がむしろ大多数なのが事実である。
街を歩いて観察するもよし、マッチングアプリをスワイプして見るのもよし、幻想を捨てて冷静に見てみよう。
ブスだらけだよ?
ひどいブスだよ?
風呂入らないよ?
女なんて意外とグータラで、不潔で、弱い生き物なんだとまずは知ろう。恐れるなかれ。
その場の性欲に負けてはならない。自身の許容範囲を今一度振り返り、妥協点を設定し、多少なりとも自身を磨き、相手を見つけてほしい。
オタクは等しくキモいんだよォ〜〜〜〜!!!どれだけルッキズムだキラキラ振りかざそうが謎の幻想を抱く大元増田もキモオタ!そしてそんなことを気にしている元増田もキモオタ!また更にこんなところに書き込んでいる私もキモオタ!
個人的な体感の話で申し訳ないけど女性向けジャンルに顔を出す男性が昔より増えたと自分は思っていて、それと同じで昔よりも女性向けジャンルに参加する男性に寛容になっている女性が増えている可能性も充分あるのでは?と思う
あとBLに対してそこまで幻想を抱いているなら男性が邪魔!ではなくてこの増田デブスの女がサークル主の時も同じようなこと言うだろとしか思えなかった。
だって誰も解説してくれなんて頼んでないのに分かるくせになんで私に解説させるの?とかよくわからん方向に喧嘩売ってるし。
私は元ツイの人の容姿批判したい訳では無いですよ〜現実の男性が透けるのが嫌なのはこう言う思考であって容姿批判では無いですよ〜自分の思考は正当な理由(もしくは世間的に批判されるほどでは無い理由)があるのでこういう考えがある人間も認識して欲しいです〜みんなもそうでしょ?過去にもこう言う男性作者関連の炎上あったし〜だーれも発言しないからみんなを代表して私が言ってあげました!めんどくさいけど誰もリーダーになりたがらないし仕方ないよね!とにかく私たちの思考って間違ってないし被害者だからあなた達が配慮するべきなんですぅ〜!
解説と銘打ってる割に『被害者』『予防して欲しい』とかいうワードが飛び出してるから欲望だだ漏れだしこんなの誰も共感するわけないじゃんね
別に水商売を否定するつもりはないけど、恋愛幻想を売りにしないで恋人いますとか結婚してますって言って堂々と接客だけしてればいいんだよ
この業界、何度同じことを繰り返してるんだろって思うわ
好きな女性作家が処女じゃなかったから(彼氏がいたから)という理由でオタクが勝手にショックを受けて大騒ぎしていたようなやつの女性版みたいな感じですかね。
憧れの作家(主に美少女系絵描き)は若くて可愛くて知的で彼氏を作らない女性
ただ、美少女系絵描きの作者にそんな願望持っている人は相当の変わり者で、一般的には作者が子持ちだったり実はおじさんだったりしてもとやかく言わない人の方が多いので、
女性向けに関してもその辺は同じだと思うので、心の中でどのように思うかは自由ですが、作者の方にはくれぐれもその気持ちは伝えないようにして欲しいですね。
Vtuber になって絵描きをしろ、のアイデアにも通底するが、営業活動は必要だとしても創作の本質とはズレている、という話だろう。 twitter がプラットホームとして煮詰まってしまっているので、コミュニケーションにフルコミットせざるを得ず、PVのコスパが悪すぎるというのは十分同情できると思う。
総務省のLINEへの指導だが、そもそもが、民間の会社への依存が強すぎるのではないかという気がする。社会インフラというならそれなりの対応をすべきで、そもそもが通信事業への外資の制約がある趣旨はそういうことなのだろう。
それをなし崩し的にLINEを重要なことにも使って、使った後に資本関係をどうのというのはどうなんだという気がする。
ちなみにLINEを”みんな使っている”というのは幻想で、自分は使っていないがそれなりに自分としては不便はない。(たしかに他の人から不便といわれることはあるが)
ということで、ここでそういうインフラはNTTデータが作ればいいんじゃないかと思ったが、なんとNTT株式を売却して、中国資本の参入を政府は計画しているという話もあるらしい。
なんだかちぐはぐな感じだ。