はてなキーワード: 解脱とは
お前さあ、創価学会員(借金玉の信者)に「池田大作先生(借金玉)を信じる『根拠』」を否定させる必要はないだろ。信者にとって池田大作(借金玉)先生が「人間革命!」と言った先に「平和」がなくても、「不平和」があるわけじゃなかったじゃん、... 今のところ。どちらかというと、借金玉の主張はコンサータという『薬物』を使って解脱を目指した集団に近いとは思うけど、いち発達障害者にとっては借金玉は「コンサータを乱用した」という意味で有害で、そもそも借金玉は双極性障害の躁状態をメチルフェニデートでブーストした結果、『コンサータ文学w』を創り上げて、哀れな【自称・発達障害者たち】に「ありもしない、コンサータを使うと『常人になって、早稲田に受かって、飲食店で成功して、破滅したけど、最後は報われる』かも、という ADHD だから果たせなかった気がする夢」を否定する権利は誰にもないの。なぜなら、ここは日本ですから。あるのは、警察が「2013年冬にまで苦労した成人 ADHD という、社会不適合者を改善する【本当は逮捕したい】薬物を乱用した罪」で「自称【借金玉】こと、○○○○○容疑者を麻薬及び向精神薬取締法違反で...」とマスコミが報道する未来がくる可能性があることなの。そうすると、彼は逮捕されるかもだけど、コンサータが解禁されるまで苦労した自分にとっては「リタリン乱用で未来を潰された」過去の自分は報われると思うのね。そういえば、池田大作(元気すっか?)青年も刑務所に入ってたらしいよ?彼みたいに、借金玉が本物なら「生きて出てくる」でしょ(楽しみ😆)!麻原彰晃は不可能だったみたいだけどねー(ヒーイズノット🕴️、ザットイズワイ😇)。まぁ、僕としては「くさい💩メシ」を tweet で熱く語ってほしいなー🤓。
https://news.livedoor.com/article/detail/6159527/
経済力がない、容姿が悪い、性格が悪い、しかも若くない人を好き好んで選ぶ人はいない。
もしそのような人がいるとしたら、搾取しようと企んでいる人たちだけである。
逆の立場になって考えればわかるはずである。相手にも選ぶ権利があることを。
これは辞書的な意味通りの差別である。しかし、社会的に許容されている合理的な差別である。
このような境遇になってしまったことについて、努力が足りない・自己責任だというつもりはない。ただ運が悪かったのである。
悲しいことに人生は一度しかない。人生のリソースは限られている。見込みが薄いことに肉体的・精神的・経済的リソースを投入し続けるのは合理的でない。
大人になってからいきなりプロスポーツ選手を目指す人は、いるかもしれないが、極めて過酷なハードルであることは理解できるだろう。
いかにして孤独でありながら幸せに生き、幸せに孤独死するにはどうすれば良いのか、を考えるべきである。
そして我々でそのような社会を構築しよう。
#kutooo 運動の創始者である石川優実氏が、ここ最近ビジフェミ界の猛り狂う邪神と化しているのを知って以来、野次馬根性からか彼女を観察するのをやめられなくなってしまった。「こうすれば炎上するに違いない」という打算と本物のヒステリックな怒りが入り混じった意味不明な言動、そしてそれを用いた猛獣の如き全方位攻撃は“”社会運動“”の神輿にまつりあげられてしまった人間がどう壊れていくかの貴重なサンプルであり、ドキュメンタリックな臨場感に溢れている。
彼女はいわゆる“界隈の姫”であり、石川氏がレスバに興じるさいにはフェミニストを自認する大量の男性アカウントがわらわらと湧いてきて彼女に援護射撃をしたり後ろから撃ち抜いたりしている。基本的に男性を男性であるというだけで異常に嫌悪し、「男は性欲のみを原動力とする恐ろしい化け物であるから彼らの娯楽は全て取り上げ檻にでも閉じ込めておかねばならない」と定義するツイッターフェミニズムを全面的に肯定しているというだけでかなり歪な哲学を持っていることが自明だし、その上で「自分はそのような怪物ではなく、フェミニズムによって浄化され女性を敬うようになった解脱者だから大丈夫」とでも言いたげな彼らの姿勢を見ていると“名誉男性”ならぬ(ラディカルフェミニズムにおける)“名誉女性”とでも呼びたくなってくる。
彼はとてもすごい。
クボ氏は石川氏と親しい間柄のようで、頻繁にリプライでやり取りしている姿を見ることができるし、ここでは特に言及しないが、石川氏のTwitterアカウントの運営に携わっているらしいという疑惑さえ出てくるほど石川氏に近しい。
では、彼の何がすごいか?
彼は人を苛立たせる才能にあまりにも長けているのだ。
石川氏が誰かを燃やしたり逆に誰かに燃やされていると気づくや真っ先に駆けつけ、侮辱的な屁理屈を投げつけるのがクボ氏の仕事なのだが、その鋭さたるや並大抵のものではない。
彼の言葉は、それを投げつけられた側がどうしてもカッとなって買い言葉をぶん投げてしまったり、なんか変な受け取られ方してると感じて誤解を解こうと一生懸命返信したりしたくなってしまう魔力に満ち満ちている。言い回しも刺々しく上から目線で、絶妙に相手の話を聞かずに少しずつ論点をずらし、勝手に勝ち誇る。また石川氏シンパ以外のフェミニストにも積極的に喧嘩を売ることで、人々の義憤を喚起しやすい選民思想も鮮烈に見せつけていく。あまりに技巧的だ。
そして彼が敵対者に貼り付けるレッテルもまた、非常に的確に反論をさそう「ズレ」で彩られており、本当に攻撃力が高い。
まともな思考回路の人間はたとえば「通り魔事件の被害者を悼むサイレントデモ行為をなかば揶揄した形の支援金の募集活動がTwitter上ではじまる」→「この支援活動に金を落とした連中は全員アンチフェミのオタクで声を上げる女性をおちょくりたいだけの粘着アンチなんだな!」という連想ゲームはできないし、ネタで思いつけたとしてもうっかりツイートしたりしない。むろん彼がこういうぶっ飛んだレッテル侮辱をするのはこれが初めてではない。
いくらなんでもそんな喧嘩の売り方しちゃダメだろと思うようなやり口のさらに下を行く、侮辱とか以前にあまりに倫理観に欠ける言葉をポンポン思い付きポンポン投擲できるのは間違いなく正常な精神に基づく行いではない。
クボ氏自身の存在それ自体もこの優れたヘイト管理能力の一部だ。彼のツイッターアカウントは、いわゆる“意識高い系アカウント”そのものの見てくれながら何をしている人なのか全くわからず、不気味さとあまり綺麗ではないビジネスの臭いを放っている。これによりそういったものを本能的に嫌悪し警戒しがちな人間が多数を占めているアンチフェミ界隈の、クボ氏および彼の擁護するものたちへの対する怒りを更に煽ることができるのだ。Googleでクボユウスケを調べようとすると真っ先に「クボユウスケ 何者」と出てくるのが良い。「職業」とか「経歴」とかそういうのではなく「何者」というなんとも言い難い問い。まさしく彼の立ち振る舞いを見た多くの人が「何様なんだこいつ……(ドン引き)」と思ってきたことの証左であろう。
ここまで読んで「こんな特徴を持つ石川氏親衛隊はいくらでもいるだろう、つーかだいたいそんな野郎ばっかりじゃんか」と思われる方もおられるだろう。確かにそれはそうなのだが。そうなのだが、だからこそトゥギャッターなどで彼がレスバをしている姿をきちんと見れば、他の騎士たち、そして何より石川氏の言動とも一線を画すクボ氏の横柄さ、異様さに圧倒されるはずである。
石川氏の“売り言葉”には、彼女の少々ゆがんだ価値観にもとづく失言や鬱憤やわがままや憤りなどが詰まっており、ある種の人間くささがきちんと感じられる。クボ氏以外の騎士団員の言葉もやはり、石川氏を思いやる気持ちや純粋さ故の間違った怒りが彼らの人間性を照らし出しているのを見てとれる。
翻ってクボ氏の発言を見てみると、彼はもしや人間を苛つかせるために開発されたAIなのかとさえ思えてくる。他の男性に見て取れる石川氏への媚びもほとんどなく、むしろ敵対者を的確に逆上させることで石川氏陣営とのレスバをさらにヒートアップさせるための布石を丁寧に並べていることが多い。そこには彼の驕り高ぶりと“まちがったふぇみにずむ”のあまりに恣意的すぎる印象が輝いているだけだ。機械的ですらある。なぜこんなに的確に人を怒らせ愕然とさせることができるのか。
それは分からないが、一つだけ確かなのはクボユウスケ氏のようなヘイト発生装置がエンジンとなっていなければ、石川氏は今のように暴走ロケットの如くブッ飛び続けることはできなかったであろうということだ。クボ氏がレッテル爆撃を行うことで呼応する様々な属性の義憤を掘り起こし、それらすべてを自身およびフェミニズムに対する攻撃とみなして迎撃しようとする石川氏の狭量さと溢れる攻撃性が両輪となって“フェミニズム”を彼方まで運び去り続ける。
ゆえにクボユウスケは#kutoo 運動における最大の功労者であり、拡散の立役者でもあり、世間への浸透後の歪な軌跡の象徴とも言えるだろう。
追記:石川氏のことをラディカルフェミニスト(女性を魅力的にとりあげたコンテンツをエロであるか否かに関わらず全て地上から一掃しようとしていたり等するヤバいひとたち。いわゆる“フェミ”の内でも抜きん出てイカれている。思想的には現代のそれよりも過激なカトリックやイスラム教などに近い)であるかのように書いていたが、彼女はその陣営ではない。当人はリベラルフェミニストだと思っておられるようだが、石川氏の行動は上野千鶴子氏などのそれとはいろんな方向であまり似通っていないので何と呼ぶべきなのかはよくわからない。間違えて書いちゃったのを思い出したので訂正しておきます。すみませんでした。
短気のくせに我慢しまくり問題(我慢してないor我慢できないときもあるけどね
我慢のはじまりが早いってのは、短気ゆえに「怒り」を抱くのがとても早いことが原因の大きなところ。とはいえ、短気というのはコミュニケーションを妨げる分かりやすい「害悪」であるので、短気だからといって即なんでも表に出して怒っているわけではない(これは良識ある人類ならみんながそうしてるよね案件)。
ちょっとしたことで「は?」となるものの、それをすぐに外には出さない(ようにしている)けど、すでに「怒り」は感じているので、「ちょっとしたこと発生→は?→我慢開始!」がマジで人より早いんだろうなという自己への解釈がある。
少し話はそれるけど「気になることはその場で指摘」っていうのが人間関係を円滑に進めるために大事だなぁと思うところなんだけど、その、自分の「気になること」っていうのが他人にとって「それは別に気にしなくてもよくない?」という案件だったとき、そう返されるのって不愉快になっちゃいますよねって話で、これはまぁ、
「気になることその場で指摘」に対して「それを言い出すこと自体が気になることなのでその場で反論」という構図が出来上がると、いや〜これはもうね、ここで短気なところが出るんだけど「私が不快だと思ったので不快なのですが?」という気持ちになっちゃって、「それセクハラですよ!やめてください!」つった相手が「別にこれはセクハラじゃなくない?」って返してくるのと同じじゃない?って話。
「お前ガッツリ、ケツ揉んできたやん」ってこっちは思ってるわけ、でも相手は「腰の下の柔らかい脂肪を掴むことくらい、コミュニケーションの一環では?」って返してきたらもう社会的地位抹殺でしょこんなのって話なんだけど。
すみません、いま「怒り」出て、自分がさも「正しいこと」を言っているかのような、極論を出して正当性を異常にアピールしていたきらいがありますねこれは。
いやこれねぇ「被害者意識」高いってのも、あるのかもって感じましたね、「いま胸…見てましたよね?…ドコミテンノヨォ〜〜〜〜〜!!!!!!!」みたいな所が自分にはある、あると思いつつ、「そういうところ、人とコミュニケーションを取る上で邪魔になることがあるから、我慢しようね」って言い聞かせてるところもある。
なんなら「他人も自分に対して我慢をしているところがあるのだから、自分も何かしら我慢をすべきなのだ」とも、言い聞かせています。
地球上でみたら自分の怒りはまぁまぁだよ、何者かに故郷の村を焼かれた少女とかの怒りに比べたらさ、こんなん「イチャモン」レベルなんだわ、と自分をしつけている節はとってもあります。
でも半径10㎝以内で1番怒ってんのはアタシなの!!!!!!!!!!!!
アタシが!アタシの感じた不快で!アタシが怒ることを!何と比べる必要がある!?という「アタシだってつらいんだから」理論も、まぁ持ち合わせています、悲しいことに。
コロナが跋扈する昨今、ウイルスへの恐怖よりも「コロナ禍なのに【そぐわない行動】をしている人間」を見る「とても我慢をしている人間の目」の方が怖い。
自分が「我慢」というものを知っている(と思い込んでいる可能性もあるけど)からこそ、他人の我慢へ配慮というか、気を使わなくてはいけないのでは?という強迫を自分で自分にしている。
自分が「怒りにつながる事象」50で「我慢できネェ〜!コイツ、殺っちゃっていいッスよねぇ〜?」ってなってるとして、「怒りにつながる事象」150でさえ「我慢我慢、気持ちを落ち着けて…」って深呼吸してる人もいるかもしれないと思うと、その150を自分が与えている場面もあるのでは?と思うと、自分は我慢が足りてないのではないか?と疑ってしまう。「実はこの人は、我慢をとってもしているのでは?」と他人を疑う上で、自分はどうか?と自分を審査してしまう。
短気かつ繊細ゆえに、ものすごく生きづらい人生なのかも、と自分で自分を憐れむようなきらいもあり、「自分は我慢をいっぱいしているからえらい」と勝手に思い込んでるようなところもあり、「短気じゃなければ我慢自体をしなくていいのでは?」という気持ちも、あり…
何か大きなバックボーンがあれば、いちいちクヨクヨしなくていいのにな〜と思うので、「毎月口座に10億円振り込まれる人生」とかだったら「まぁ毎月口座に10億円振り込まれるからアタシはその程度じゃ怒らないけど〜♪」みたいな人生になりたい気持ちがフツフツと湧いてきましたね。
繊細な心の問題!と思いつつも、毎月10億円が心の余裕につながるんじゃね!?と思ってしまうところは、きっと私が俗物だからなのだろうと思うと、解脱ってぇモンをしてみてェ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!と感じました。おわり。
爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。一切聲聞辟支佛所不能知。所以者何。佛曾親近百千萬億無數諸佛。盡行諸佛無量道法。勇猛精進名稱普聞。成就甚深未曾有法。隨宜所説意趣難解。舍利弗。吾從成佛已來。種種因縁。種種譬喩。廣演言教。無數方便引導衆生。令離諸著。所以者何。如來方便知見波羅蜜。皆已具足。舍利弗。如來知見廣大深遠。無量無礙力無所畏。禪定解脱三昧。深入無際。成就一切未曾有法。舍利弗。如來能種種分別巧説諸法。言辭柔軟悦可衆心。舍利弗。取要言之。無量無邊未曾有法。佛悉成就。止舍利弗。不須復説。所以者何。佛所成就第一希有難解之法。唯佛與佛乃能究盡諸法實相。所謂諸法如是相。如是性。如是體。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
自我得佛來 所經諸劫數
無量百千萬 億載阿僧祇
令入於佛道 爾來無量劫
而實不滅度 常住此説法
我常住於此 以諸神通力
令顛倒衆生 雖近而不見
衆見我滅度 廣供養舍利
咸皆懷戀慕 而生渇仰心
衆生既信伏 質直意柔軟
一心欲見佛 不自惜身命
時我及衆僧 倶出靈鷲山
我時語衆生 常在此不滅
以方便力故 現有滅不滅
餘國有衆生 恭敬信樂者
我復於彼中 爲説無上法
汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 沒在於苦惱
故不爲現身 令其生渇仰
因其心戀慕 乃出爲説法
常在靈鷲山 及餘諸住處
衆生見劫盡 大火所燒時
我此土安隱 天人常充滿
園林諸堂閣 種種寶莊嚴
寶樹多花菓 衆生所遊樂
諸天撃天鼓 常作衆伎樂
我淨土不毀 而衆見燒盡
憂怖諸苦惱 如是悉充滿
過阿僧祇劫 不聞三寶名
諸有修功徳 柔和質直者
則皆見我身 在此而説法
或時爲此衆 説佛壽無量
久乃見佛者 爲説佛難値
我智力如是 慧光照無量
壽命無數劫 久修業所得
汝等有智者 勿於此生疑
當斷令永盡 佛語實不虚
如醫善方便 爲治狂子故
我亦爲世父 救諸苦患者
爲凡夫顛倒 實在而言滅
以常見我故 而生憍恣心
放逸著五欲 墮於惡道中
我常知衆生 行道不行道
隨應所可度 爲説種種法