はてなキーワード: 肥大化とは
一週間前、行きつけのラーメン屋に行ったら警察が止まっていた。
何かの事件かと思ってよく見たら、1匹の老犬を囲んで警察や家族が話をしていた。
足がガタガタ震えていて、鼻には大きな傷。首輪が付いていた。
痩せ細っていたので飼い主とはぐれてから2ヶ月は経っているはず。
うちの地域では野犬は珍しくなかった。むしろ捨て犬なんて言葉は最近知ったくらい、それくらい野犬が多かった。
だから自分は殺処分させるくらいならその辺でのびのびさせとけって思ってたんだけど。
大きい犬だったが近づくとすごく怖がって、でもお利口にしてくれた。
他の犬と喧嘩したのか、鼻の傷が痛々しい。(流れ星銀みたいな戦いを想像した)
怖かっただろうな。
まもなくして店主が「ラーメンできたよ」というので一旦店に入った。ラーメンの味がわからなかった。マジで何しにきたんだ。
店を出てからもまだいたのでもう一度近づいてみる。
すると私の顔を見るや否や、ロープを持った警察官を引きずってまで
助けてくれと言わんばかりの目に見えた。
もしくは、ずっと待ってたよ。というような…安心した目をしていた。
勝手な思い込みなのかもしれないけど、最初の怯えた目ではなかった。
きっと人間にたくさん愛されて育てられたのだろう。
私はこの犬を二度も裏切ってしまった。
何度も何度もこの犬は裏切られた。
そう思うと今も悲しくて涙がこぼれ落ちてくる。
ごめん。保護できなくて…
飼い主のこと殴れなくて、何もしてやれなくてごめん。
するとあの犬の写真が…
まあまあ拡散されていたものの、いまだに見つかっていないようだ。
警察も家族もラーメン屋の店主もかれこれ5時間はそこに留まっていたようだけど
とか思い耽っていたら、近所の小学生が最近犬飼ったんだよね〜なんて軽々しく話してきた。
「ちゃんと注射した?マイクロチップとか登録とかした?」と聞くと
「何もしてない」と知らん顔。
犬は無邪気に私の顔をペロペロ舐めたり、飛びついてきたり。挙げ句の果てに嬉しょんされた。
正直複雑だった。
なぜなら、その小学生は「これから散歩に行く」というのにビニールも何も持ってないからだ。
これから子供が大きくなって面倒が見れなくなったら、この犬もあの捨て犬のようになるのでは。という不安が頭をよぎった。
今はありえないと思うかもしれないが、いつかその日がきてしまうのかもしれない。
あの犬のおかげで、自分で世話できなくてもこういう団体がいるということを知れた。
少し前まで辺りをのびのびと彷徨っていた野犬に似た犬が、知らない人とルンルンで散歩しているのを見かけるようになった。
今まで自分が気付かなかっただけなのかもしれないけど。
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
それを決めるために色々話し合いをしてるんだよ。
その部分ハショられてフォロワー数の話だけ取り上げられても胡散臭いなとしか思わんよ。
フォロワー数の話自体は下のかもしれないけど、それがメインだったとは思えないんだよね。
そこを大げさに騒ぎ立てて、それをバカが疑わず受け取って編集叩きとか馬鹿と馬鹿の狂騒曲だろ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
・使ってるソフトは・・・」と確認すべきことはいくらでもある。
その中で判断されたんじゃねーの? 実際はその編集に訊くしかないけどな。
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
sds-page 本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
はてブ民がこれを言ってるの草生えるわ。自分たちが普段何やってるのか自覚ないのかね。恥知らずにもほどがある。
事情知ってるやつはだいたいこんなもんじゃない?って反応だったのに、批判してるやつの発言見たら内容について反論できないから言葉遣いとかそういうところばっかりあてこすりしてるだけ。
無知なくせにプライドだけが肥大化してるやつに限って素直に「よく知らずに叩きに参加したけどごめんなさい」って謝れないでしょうもないところの揚げ足取りばっかり。終わってんな。
企業におけるありとあらゆる需要を取り込んで肥大化し続けもはや誰も手を付けられない怪物になったOfficeクライアントと同じように
サービスの方のOffice365も流行り物をどんどん取り込んで順調に肥大化している。
Teamsがいろんな既存サービスを繋ぎ合わせて綺麗なガワ被せて隠ぺいしているように、
いろんなサービスを上っ面を整えながら組み込んでいくのだろう。
Officeクライアントに取り込まれた単機能を有償ソフトとして売っても見向きもされないのと同じように
Office365に取り込まれたサービスを単機能として売っても見向きもされない時代が来るだろう。
Slackなんかはそれを見越して身売りを決めたのかもしれない。
Zoomも広告を差し込まなきゃいけない事態になって反発を食らってる。
Notionがそうなるかは分からないが、Notionだけは違うといえる確固たる材料も特にない。
Googleがいろんなサービスをタダでばら撒きながら広告の肥やしをかき集めていた時代と似た空気を今のMSに感じる。
Googleの方は無駄なものをあとくされなく捨てる事で自身は身軽なままだが、振り回されたユーザーからは反感を買っている。
MSの方は、おそらく無駄になっても切り捨てられず抱え続けるという方向で動きそうだが、それはそれでMSの重荷になりそうな気もする。
今のYammerとかSkypeみたいなものがどんどん増えるんじゃないかとは感じている。
その負担をMSが被ってる内はいいんだけど、そのうちOffice365のコストに組み込まれてたりするんじゃないか、という不安はある。
Googleが取り繕っていた外面が長持ちしなかったように、MSの取り繕っている外面もいつまで持つか分からん。
でも、Officeクライアントの需要が一向に減らないのと同じように、Office365の需要もそう簡単には崩れないんだろうなとは思う。
『Q.なぜルール(だと自分が信じているもの)を守らない人に対して苛立つのか?』
この設問に対して多くの人間はあーだこーだと理由をつけて自分の政治的な正しさと義憤の正当性を主張する。
しかし違うのだ。
この感情を誰もが持っている。
その上でそれに対してのカウンターウェイトである「完璧でなくても意外となんとかなる」を個々人毎に調整しているだけだ。
潔癖症という病はこの「完璧さに対する執着」が肥大化した病だと言われているが、実際には真逆で「完璧でないことに対する許容」の感情が萎縮したことによる病なのである。
完璧でないことに対する苛立ちの感情は誰もが非常に強烈に持っており、生まれつき欠如していても言語などを学習する過程で強力に植え付けられる。
1が2ではなく1+1は2になるということに対して曖昧さの介入を許さないという感覚を持っているからこそ我々は言語や理論を数多く習得し操ることが出来ているのだ。
こういう話をすると「それは『完璧でなければいけない』という脅迫観念であって、ムカツクという感情ではないのでは?」と考えるものもいるだろう。
強迫観念が植え付けられているということは、それに逆らうものに出会った時に精神が不快感を自動的に出力するということであり、不快感を感じれば人はそれを苛立ちの感情として抱え込むことになるのだから。
確かに「完璧でないものを見ると不快感を覚える」と言った方がより正確なのかも知れないが、結果的に出力されたものを「完璧でないものを見ると苛立ちを覚える」であり、それはすなわち「ムカツク」なのである。
これはもう学習されてしまった感情様式であり、人間的な思考や感情を持つための回路に何度も深く刻まれてしまっている。
あとから抜き出そうとすれば全てが崩れ去ってしまい、そのものの言語体系すらも曖昧で本人にさえ理解できないものとなるであろう。
「完璧であることに対する強迫観念」とはすなわち人間を人間たらしめるための器であり、同時にその器を形作る物質そのものが人間にとって毒なのだ。
自分たちの精神や思考を構築する骨組みの中に毒物が混じっていることに対して我々は自覚的になるべきだ。
「完璧でないものはムカツク」という勘定から背を向けてアンガーマネジメントを学ぼうとしても無意味だ。
自分にとって完璧とは言えないものにぶつかった時自動的に苛立ってしまうということを受け入れるしか無いのだ。
つまり、毎度毎度苛立ちに対して精神を抑え込むという面倒臭さを受け入れるほかないのだ。
ここから目を背けたアンガーマネジメントは皆無意味である。
切っ掛けは、妻から暴言を吐かれてからだとはっきり認識している。
妻がブラトップを乾燥機に掛けたくないと思っていると知らなかったからだ。
妻は烈火の如く怒り狂い、こう言った。
この言葉に、僕はひどく傷ついた。
だが、男に生まれた僕には叶わない夢だ。
そして、愛しい我が子に、自分で乳を与えられないことが悲しくもある。
だが、乳の出る乳房を欲していても、ブラジャーのことは知らない。
妻がブラトップに対して抱いている思いは知らなかった。
乳房を持っていないからブラトップを乾燥機に掛けたのではない。
だが、「乳房を持たない」ことが理由だと言われて、ひたすら悲しかった。
ちょっと咥えてくれたが、すぐ「違う」という顔をされた。
それでもその時はとても嬉しかった。
もちろん、出なかったが。
今日、うっかりしていて、妻のブラトップを乾燥機にかけてしまった。
こっそりクローゼットに入れておけばバレないだろうと思う。
だけど、妻から「持たざる者」と言われたことをまたありありと思い出してしまう。
あの日、妻から「持たざる者」と言われてから、自分の乳房が憎くて仕方ない。
形だけで何もできない、僕の体を傷つけたい。
共産主義がうまくいかないのは、人間の欲を制御できないからだよ。
人間は隣の人より少しだけ良いものを食べたいし、少しだけ良い暮らしをしたいと思っているものだ。
資本主義で隣の人より良い暮らしをしたければ、良いものを作って販売して儲ければ良い。
ビジネスが成功したら大金が手に入り、隣の人より良い暮らしができるだろう。
一方で共産主義で、隣の人より良い暮らししたければ、どうすればいよいか?
それは官僚になることだ。
なぜなら人は食べ物を始め、いろいろなものを毎日消費しないといけないので、共産主義であっても、食料や物資を生産する必要がある。
ただ、資本を否定しているので、物資の生産は国が計画を立てて、それを作ることになる。
となれば、その生産計画を立てて管理する官僚が必ず必要になる。
その官僚になって役所の要職につけばつくほど、より利益を得ることができる。
実際に物を生産するよりね。
そうなったときに、上の階級に上り詰めるために壮大な出世レースが発生することは想像に難くないだろう。
資本主義だと、大企業病が発生して、本業より出世レースが大切になった会社は、当然業績が落ちて、競合との競争に敗れて消えていくことになる。
いつまでたっても社内で出世レースを続ける大企業病を起こして、機能不全に陥った官僚機構が国が潰れるまで居座ることになる。
資本主義下であっても官僚機構は肥大化していくものなのに、共産主義だとそれにより拍車がかかる。
もし、ワークするとしたら、奇跡が起きて人間に欲がなくなったり、食料とかの生活必需品を公園の無料の水ぐらいの価格で提供できるようになって、生産のための巨大な官僚機構がそもそも不要になったときだろう。
民間は資本主義で競争を続けて経済発展と技術開発をしてもろたほうがいい。
人の欲は止められないので、それを原動力に社会を動かしたほうがいい。
一方で国は、競争の結果、一部に偏りすぎた富の再分配に務めて、競争に破れた人を助けて、できれば再度競争のリングに上ってくれるように手助けして、教育を推進して、より競争が発生する状態にしたほうが良い。
これが現時点においての最適解だと思う。
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// 国のこのようなレフリーとか審判とかのような姿を社会主義という人もいるかもしれないが、
// ルール無用なんでもありな自由競争は、児童労働やブラック企業を生み出してしまうので、ルールは必要だ。
// そして競争からあぶれた人がホームレスになるようでも行けないし、
自称怖がりだったので、長年オカルト番組とか心霊コンテンツを避けて通ってきた
子供の頃もアンビリーバボーみて、一人でトイレ行けなくなったりとかしてた
なんとなく最近生活に刺激が足りない感じがしたので、ちょっくら普段なら絶対見ないコンテンツであるところのオカルト動画でも見てみっかーと思い立って見てみたんだけど、あんまり怖くありません
部屋を真っ暗くしてみたけど、怖くないし
なんて言うか、長年目を背けて生きてきた間に、頭の中の想像で恐怖が膨れ上がっていたんだなという感じ
恐怖ってだいたい目を背ければ背けるほど、心の中を食い荒らして肥大化していくんだよな
なんて言うか、最近そういう心づもりをあらためてるせいか、よっしゃいっちょ気合い入れてしっこちびって絶叫するぐらい怖がってるぞーー!みたいなテンションで見ているせいか、逆になんも怖く感じてない感じ
そんな感じ