はてなキーワード: 空っぽとは
適当にやってたら間が悪く人的資源を使い果たしたタイミングで隣国が敵として参戦してきて詰んでしまった。次回プレイに向けてメモ書き。
NF「地方選挙」を取れるようになったらすぐに取って、それ以後のNFを取って自治度を上げていく。
自治領まで上げると、NF で「飢餓の恐れ」を解除できるようになってバッドイベントを回避できる。それ以外はあんまり効果はない。
この後は、自治領に留まってダラダラするかさっさと独立するかを決めてNFを取って行った方がよい。中途半端にするとただ遅いだけになる。
NFで日々の自治度獲得を上げた後は、結局戦争で貢献して自治度を稼ぐのが一番いい。レンドリースには全然工業力が足らないし、資源の輸出は受けてくれない。駐在武官の派遣は忘れてたけどいいかもしれない。
初期状態では中道80%くらいで始まる。政治力が余った時期があったので、ディシジョンで民主主義を削って安定度の足しにしようとなんかやっていた。しかし自治度が上がって自治領になると、指導者の変化と同時にイベントが発生して政体の構成が大きく入れ替わって無駄になる。そのため、わざわざディシジョンを実行しなくてよい。
長期的には独立した方がいいが、独立してしばらくは人的資源・工業力共に減少してしまう。今回のプレイではこれらが必要な時に独立してしまい、軍が維持できなくなって酷いことになった。
徴兵可能人口増加と消費財減少は強い。これらは取ってから独立してもいいかもしれない。工場がもらえるNFは独立を目指すなら効果の割に時間がかかりすぎる。自治領に留まるつもりなら暇つぶしにいいかも。
序盤は自治度を上げるNFを取りつつ適当に内政。大戦開始前に20師団ほど出してリビア国境に並べた。編成は燃料を食わないようにしておいた。対枢軸戦が始まってイタリアが参戦したら行動開始。リビアのイタリア軍を殲滅して貢献度稼ぎする。その後はイタリア領東アフリカに走り、アフリカにいる枢軸軍を殲滅。この時点でイタリア軍死傷者の半分以上がインドのせいになっていた。アフリカが終わった時点で 1941年になったところだったので、対日開戦に備えて軍を戻す。ここまではいい感じだったが・・
日本が対米開戦したので対日戦に参加できるようになり、日中戦争と、よせばいいのにフィリピンに援軍を送って本土を空っぽにしてしまう。フィリピンに送った軍で抵抗を試みるが、日本はいろいろなところから上陸を仕掛けてくるので支えきれず、結局フィリピンは降伏。なんとか粘って一島を沿岸防衛する形で耐えたが、海上封鎖されて出られなくなってしまう。これと並行して戦争で稼いだ自治度があったので独立してしまい、徴兵可能人口と工場が減ってしまって追加の軍を出せなくなる。徴兵法を上げなきゃ、と思ったところでシャムが大東亜共栄圏に参加して参戦してしまった。全裸の領土を殴られているのに見ていることしか出来ず投了。
意味もなくスプラッタな展開になったり、あらゆるものがエロと紐付けられる世界にどっぷり浸ると、頭が空っぽになり脳内麻薬がどぱどぱ出るのに気が付いた。
ただのエロでもなく…人間への恨みたっぷりなグロだけの漫画でもなく…おそらく根本的には人の営みや命がとことん軽い漫画が好きなんだと思います。
平素よりエログロ漫画を嗜まれているであろうはてな民の皆様より、似ているジャンルでお薦めございましたらご教授ください
【好きな作品】
さべちん
裏バイト
自分が通っていた中学校の体育館に入ると、すでに催しは始まっていた。20人ほどの参加者、PA業者、参加者を世話するスタッフなど。中でも、色とりどりの浴衣を着込み踊りの準備をする女性たちが、無彩色な体育館でひときわ目立っていた。
うろ覚えだが、この催しは難病などで将来を悲観した人びとが集団で安楽死を行うものだったと思う。公的サービスの一環なので、このように公立中学校の施設が使われる。安楽死の手段がどのようなものなのかは分からない。
自分はケーブルテレビの撮影スタッフとしてここに来た筈なのだが、現時点でカメラも三脚も無い。機材バッグは片隅にあるが、その中は空っぽで私のカメラは見当たらない。誰かがすでに持ち出したのだろうか。
会場では参加者が朝礼のような横長3列に並び、スタッフの説明を聞いている。内容は「大丈夫」とか「スケジュール通りに」といった事務的なもので、宗教的なニュアンスは感じられない。聞いている参加者の表情も平静で、これから死という大事を迎えるように見えない。
浴衣の女性たちが会場の端で金魚のように踊っている。これから死ぬ参加者たちの気持ちをせめて安らかにしようとしているのだな、と感じた。
一旦説明が終わり休憩となった。参加者の一部は外の空気を吸うために体育館出口に向かう。私の居る場所はその出口付近なので、彼らとバッティングしないよう、左右に避けようとするのだが、向こうもこちらと同方向に避けるのでぶつかりそうになってしまう。私はこのような不吉な人たちとは接触したくないので、靴を履かないまま出口から校庭に出た。靴下の足裏に濡れた砂の水分がしみて不愉快だ。
近くを歩いている役場職場と話す。この催しは担当する職員の心理的負担が大きいそうで「俺も、これやった後に入ってる会議とか全然集中できなくてさあ」などという。私は内心このような集団自殺が、その程度の負担感で済むとは役場職員は凄いな、と思う。
体育館と校舎をつなぐ渡り廊下に自分の靴を見つけ、ああここに置いたんだな、と安心し会場に戻る。
参加者は俯いてシクシク泣いていたり手で顔を覆ったりと、悲観的な様相だ。自ら死を選び覚悟を決めていても、やはり直前になると動揺するようだ。私の三脚は傍らにあるが、乗せるカメラは無い。そもそもこんなものを撮影しても使えないだろう、と思ったし、人が大量に死ぬ場面を見る勇気もないので、ここを退散することにした。
さっきとは別の小さい扉から出て、両開きの引き戸を閉める。体育館なのに、すりガラスがはまった木製の扉であった。
横のおばさんに「どうして撮影しないの?」と聞かれ「カメラが無いし気味が悪いから」とこたえるが、おばさんはなにやらしつこく話しかけてくる。
おばさんと連れ立って体育館脇の緩い坂道を下っていると、中からたくさんの人間が嘔吐する音が聞こえてきた。音だけではなく、扉の下の隙間から飛沫が私の首に飛んだ。手ぬぐいで拭うと、人参や肉など食物の破片が混じった粘液状の吐瀉物だった。
直前に迫った死の恐怖で参加者が嘔吐したのだ。やはり、誰でも死が怖いのだ。
私はその後、行きつけのバイク屋に行ったがいつのまにか夜になっていたようで、店は既に閉まっていた。
バイク屋が一階に入っているビルから自転車で誰かが出てきた。顔見知りの女性だがなぜ?と声をかけると、「私ここでホステスやってるの」という。確かにバイク屋の二階は「キャバレーロンドン」だ。彼女のバニーガール姿を見たい、と強く思った。
この話、なろうで読んでいて結構好きだったんだよね
で、この世界、水や空気すらも含む、あらゆるものがドロップから生まれるという世界観で
そんな世界で、ドロップとして召喚された男の物語・・・なんだけれど
この世界では、ダンジョン外でドロップ物を放置するとハグレモノになる(だからゴミを放置できない)、というルールもあるので
私の脳内ではガンダムの月の都市のように、人の生活圏には物が溢れているが、そこを離れると「何もない荒野」のような世界観だったんだよね
「あれ?」ってなったんよ
人が脳内で補完してる景色は、十人十色、全部違うんだろうなってね
これと逆なのを感じたのが、ゼロの使い魔で
このあたりも、イメージ通りって思った人いたんかなぁって
長くてすみません。ただの掃き溜め。
みたいな感じ。
ニュースばかり見て「けしからん」って言っているタイプ(行動はしない)
まあ、みんな真面目で良い人なのは間違いないが。。
(結果、友人が少ない。恋人も一応できるが続かない)
(勉強や仕事は一応面白いが、自分から日常の楽しいことを見つけてきたり出来ない)
仕事は大変だけど面白いし充実しているが、自分という人間の中身が空っぽな気がして虚しい。
勉強量が結構必要な仕事に就いてしまったので、私生活とのバランスが難しい。。
高校以前は無口で友人もかなり少なかった。
「どんな感じで接したら仲良くなれるか」も結構学んだが、
コロナ禍になって、勉強や仕事を優先して完全に切ってしまった関係が多すぎて、今めちゃくちゃ後悔している。
田舎で会う人もおらず、出掛けることも少なく、さらに友人が減り、コミュ力が下がった。
なんだこれ報われねえ。。
婚活で女性から「彼女出来たらやりたいことないの?(なさそう)」とか聞かれてしまう。
これまで彼女は何人かいたが、結構相手の行きたいところに行くことが多かった。
だんだん相手という人間に興味を持てなくなって、口数も減ってしまう。
活発めな明るい人が好きで、短期的にはそういう人とも仲良くなれるが、
長期的に「楽しいこと」をずっと見つけてきたりが難しいので、続かない。ボロが出る。
友人の少なさや自分の学生時代の暗さは最初隠すことになるが、ボロが出る。
そんなことはなく、卑屈さを出さなかったら大丈夫なのかもだが、、
かなり自分に負荷をかけて演じないといけないのがしんどくなって、
他のことが手につかなくなる。
結局、今すぐ成果を求めるのは無理で、
やっと上手くいくものなのかもしれない。
教えてくれよ。。
マッチングアプリとかやりたくねえよ。学校とか職場の見知った相手と付き合うのがどれだけ楽しかったか。。
(親もお見合い20連敗くらいした&好きでもないが結婚した&離婚済という経歴もあり、
同じく人付き合いが苦手なタイプなので仕方ないが、、)
何を大事にして生きていこうか。。
立ち止まって、落ち着いて一旦整理した方が良いのかもな。
どうやら、自分にとっては、
考えること=話すこと=口を動かすこと
頭の中で考えている時も自分の声が響いているか、自分の姿を形作って話させることで物理的な口を置き換えているみたい。
そして、人の話を聞く=他人に成り代わって話す
だから、聞いている時には話せない=考えられない
対話やディベートで深い思考に潜れないと思っていたら、口は一つで、頭の中であっても複数の口を持つことはできないらしい。
人の話を聞いてそれに合わせて話そうとしても、まとまった時には先のことを話しているから、それを成り代わって話す。だから、ずれが生じてしまう。
対話について質問を求められても、他人に成り代わった状態から、自身が話すモードに切り替えて、自身でまた話して考える過程をとらなければならないから、質問を考えるのに時間がかかるらしい。
こんなことを言っても他の人には?と思われると思う。
自身が考えている姿を、メタ的に外側から見て観察してみたことがある人はたぶんごく少数だろう。さらに、人ごとに考えている時の方法が違うのだと推測される。そして、それを疑ったこともない。
自分にとって今やっているように、文字に起こすということは、話していることと同義であり、話したことを刻みつけることであるようだ。だから、書いている時や頭で考えている時によく、言い間違えを起こす。
他の人の話を断片的に書き起こすのが得意なのは、相手に成り代わって話していることを、書き起こしているからだと思う。
文章であっても、書き起こしてすぐのものは、遠回りな文章になっていると思う。
自分の場合は体への結びつきが強いから、そういうふうになってるとも解釈できる。
こういう捉え方をすると、コミュニケーションがとりにくいことに、説明がつく。