2023-07-15

自分は「考えること=話すこと」らしい

似たような人がいるのではないかと思ってこの文章を書く。

どうやら、自分にとっては、

考えること=話すこと=口を動かすこと

頭の中で考えている時も自分の声が響いているか自分の姿を形作って話させることで物理的な口を置き換えているみたい。

そして、人の話を聞く=他人に成り代わって話す

から、聞いている時には話せない=考えられない

対話ディベートで深い思考に潜れないと思っていたら、口は一つで、頭の中であっても複数の口を持つことはできないらしい。

人の話を聞いてそれに合わせて話そうとしても、まとまった時には先のことを話しているから、それを成り代わって話す。だから、ずれが生じてしまう。

対話について質問を求められても、他人に成り代わった状態から自身が話すモードに切り替えて、自身でまた話して考える過程をとらなければならないから、質問を考えるのに時間がかかるらしい。

こんなことを言っても他の人には?と思われると思う。

自身が考えている姿を、メタ的に外側から見て観察してみたことがある人はたぶんごく少数だろう。さらに、人ごとに考えている時の方法が違うのだと推測される。そして、それを疑ったこともない。

自分にとって今やっているように、文字に起こすということは、話していることと同義であり、話したことを刻みつけることであるようだ。だから、書いている時や頭で考えている時によく、言い間違えを起こす。

他の人の話を断片的に書き起こすのが得意なのは相手に成り代わって話していることを、書き起こしているからだと思う。

文章であっても、書き起こしてすぐのものは、遠回りな文章になっていると思う。

自分場合は体への結びつきが強いから、そういうふうになってるとも解釈できる。

こういう捉え方をすると、コミュニケーションがとりにくいことに、説明がつく。

なぜこんなことを考え始めたかというと、話している時に、頭が空っぽ状態で考えられない。

それは、そもそも考えていること自体が、話していることなのではないかという転化。

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