はてなキーワード: 大卒とは
単に「大卒」がほしいだけなら奨学金で大学に行くなんて大損だ。
大学を卒業しなければなれない職業はごくごく少数に限られている。
それでもお金の関係で、仕方なく奨学金を借りるというならわかる。
しかし、その場合でも、500万円を超えるような金額なら考え直す
ことも必要だ。
これは社会に出てみて、実際に定職に就いてみて実感できることだが、
学歴に関係なく、預貯金を1年間で100万円積み立てることは容易だ。
だが、それは「預貯金」つまり余裕分を、という意味でならば、だ。
「借金」を1年間で100万円返済し続けることは、かなりしんどい。
仮にそれができたとしても、500万円以上になれば、5年間以上は
この5年間はでかい。
そして、大学に少なくとも4年間を消費している。
それを合わせると9年間になる。これはでかいだろ。
社会に出てみて、はじめて「この勉強がしたい」と思うことがなんと
多いことか。
純粋に「この勉強がしたい」と思ったあとの、勉強というものは、
たとえ、最終学歴が「高卒」であったとしても、社会人になったあとに、
奨学金という借金をしてしまうと、こうした勉強などの「自己投資」に
どうしてもお金を使えなくなる。
欧米のように、社会に出てから大学や大学院などに行って学歴を更新しても、
世界レベルで考えれば、たとえ高校卒業であっても、充分に高学歴なはずで
(少なくとも低学歴というのは当たらない)、日本人は全体的に高学歴なの
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。
元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。
勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。
一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。
将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学の工学部を卒業し、自動車系メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。
そんな自分に両親はとても優しかった。自分の選択や意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分の可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。
結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅からの公共交通機関のアクセスが最悪だったからである。
この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大はゼロ、京大が1人いるかいないか、旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さな小さなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。
1年生の夏、家族で京都に旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威のシンボルである時計台、自由を象徴する立て看板、鴨川と百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。
本気でそう思った。
そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師のOBが地方でやっている個人塾だった。英語と数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。
高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立やMARCH、関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しかし学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。
高3になると全国模試のランキングに浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタルが不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由で八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。
高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。
受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるときや不安でやる気を失いかけているときに鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。
【試験】
京大工学部はセンター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学は足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけが生まれた。
私立は早稲田と慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応の試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語の試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。
京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝えたかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。
当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学の試験は試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。
ところで、新年を迎えたころから自分の中のルールとして「前期試験不合格を連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験の対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言の自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分は根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。
合格発表の掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から一段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ちで掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。
【その後】
入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。
【さいごに】
一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章がわたしは世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。
http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html
「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対に無駄にはらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから。
恋でもいい。グラウンドの上でもいい。
そして、エンピツを握ってでもいい。
フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。
元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しかし自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。
すべての人に受験勉強というプロセスが必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式・知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い、自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。
一番近いのは近くに団地があることだと思うんだよね
正直俺は近くに児童相談所作りますとなったとき、それが必要な施設ならばまったく反対しない(むしろ大賛成)なんだけど
「嫌だな」とか「別のところでもいいならそっちにして欲しいな」って気持ちはよくわかるんだよね
質問したいんだけど
まず思い浮かぶのは
駅までの距離以外は同条件の土地があっても、高い金を払って駅近土地を買う人がいるように
「ガラの良さ」に金を払う人は大勢いる
どっちに住みたいだろうか
前者と後者の「ガラの良し悪し」ってのは、もしかすると「そういう傾向がある」程度の差でしかないかもしれない
でも住居を買うというのは決して安い買い物ではないし、買い直しが難しい
にも関わらず「住んでみないとわからない」ということはあまりにも多い
なので、そういったリスクを最小限にするためにコストをかけたいという想いは理解できる
そしてそういったリスク軽減のためのコストを最も惜しまなかった人たちが南青山のタワマン住民なのだろう
なので彼らにとって近所に「ガラが悪くなる」可能性のあるものができるのは
駅近に魅力を感じて土地をかったのに最寄り駅がなくなった、くらいの衝撃なのだ
そりゃ反対したくなる気持ちもわかる
高い住居費をかけて東京に住んでるはてな民には割りと共感しやすいことだと思ったんだけど
ブコメ見てると、まるで反対意見をもつやつは人間じゃねえ!みたいな雰囲気で
え、じゃあなんで君らタダで住める実家に帰らないで、東京でクソ高い家賃払ってるの?
ってなる
格ゲーが本当に衰退しているのかどうかはともかくとして、この種のゲームは弱者は強者に絶対に勝てないデザインになっている。
だから弱い奴は一生懸命練習に練習を重ねて、それこそ生活の余暇は全部格ゲーに費やすくらいにならないと勝てない。
アメリカの分断は金持ちの強者と貧乏人の弱者の間の分断だ。そして社会デザイン上弱者は強者に絶対に勝てない。
アメリカン・ドリームなんていうのも80年代の話。40年も前に過ぎ去った夢だ。
翻って日本はどうだろう?俺の肌感覚だと、大卒者のグループとそうでないグループでは30代になると倍くらいの年収差が生まれていると感じる。
年収600万の大卒者グループと、年収300万の非大卒者グループだ。
でも、この壁は格ゲーでトップ層に勝てるようになるのやアメリカで成り上がるのと比べるとまだ越えやすい壁だ。でも、今のままだとどんどん壁は高くなっていくだろう。曲がりながりにも実力主義ではあるのだから。
ここで今必要なデザインは、スマブラのような強い、弱いはあるけれども弱者でも強者に勝てる可能性がある社会デザインではないのだろうか?
「東大のディティールが違う」ということを主張するにあたって、
・東大女性と「下心」を持つインカレの他大女性、とナイーブに2値分類をしてしまうのはどうなのか?
・インカレの他大女性を「自分より地位や(就職後の)賃金が低く、下心でサークル活動をする存在」として十把一絡げに扱ってしまうのはどうなのか?
⇒ この文章、「自分は力がある(高学歴、高収入など)のだから、他大女性は見下して良いのだ」と考えている = 結局貴女も小説の加害者側と同類である、と解釈されかねないけど、大丈夫か?
・本やブックトークで何を伝えたかったのか、は認識できているのか?
と思いました。
上記を踏まえて、この辺をよく読む(or 読み直す)ことをお勧めします:
https://note.mu/hamamari/n/nbbd358cc6cc4
https://note.mu/pidetadinho/n/ne5c8f06dbc1a
東大生にも色々な方がいるのと同じで、他大女性も色々な方がいます。下心0% の方もいれば、30% の方もいるだろうし、100% の方もいると思います。
私が所属していた音楽系サークルは「気の合いそうな人がいたら付き合うかどうか考えようかな」くらいの子が多かったように思います。そのうちの何人かが、好きでもない東大男性に、性処理要員や物としか思われていないような物言いで口説かれて、嫌な思いをしているのを見てきました。貴女はこういうケースも「下心」持つ他大女性として蔑むんでしょうか?同じ女性として、この現実は悲しいです。
採用基準「大卒」となってる会社とか、専門職とかだとそもそも募集要項で指定してる資格が、取るのに大学出てる必要があったりするパターンもあり得るんで、高卒ならFランでも大学出たほうがマシだぞ。
中途だと学歴より職歴とか資格のほうが重視されるし、長期的に見ても高卒よりFランでも大卒のほうがいいだろ、普通に。高卒の方が職歴長いとは言え、たった4年だからな。
オレがコケたのはどこだろな
大学だろなやっぱり
せっかく旧帝滑り込めたのに、共通科目はまだしも、専門科目がまったく単位とれずに落ちこぼれていって、
高校までがろくに努力しなくてもいい成績とれてたから毎日コツコツ勉強できなかった
いつのまにかいかに楽に単位とれる講義かってことばかりに腐心するようになって
最後は4年生の後期まで必修単位が残ってギリギリになってめちゃくちゃ焦って
テスト前日になってようやく必死に勉強してなんとか単位とれてギリギリ現役卒業
まあゼミ論以外のゼミ、発表会とか毎回のゼミとかは欠かさず出て真面目にやってたからお情けくれたんだろうけど
なんとか大卒という資格を手に入れて、モラトリアムというなの堕落をしていただけだった
そう見えるだけで実際は全然がんばってなかった
通信制大学なら敷居そんなに高くないぞ?
低い人間はあれこれ言うかもしれないが、「俺はやった」という自信があれば撥ね付けられるし、そもそも別に今より悪化することはないからな。
ヘテロ両親から生まれたから自分に関係ない部分のヘテロ価値観を内面化してしまうのはしょうがない。
「みんなちがってみんないい」をしっかりつきつめられないまま大卒と称するあまちゃんな思春期を経ておとなになっちゃうのが困る。
「男にならないと○○ができないから男になりたい」
「女にならないと○○ができないから女になりたい」
このできないと思い込んでる○○、調べると実は大人になれば全然普通に両性が参加できてることだったりする。
あえて子供には見せないだけで。
そして○○が本当にできない立場のLGBTだの病人、障害者からは「持てる者」の傲慢だろう!なんで調べもせずに!と叱られる。