はてなキーワード: 同性愛とは
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
やたらと褒め称える人がいるのが不思議でならない。
状況に対して的確な言葉が思いつかないのを比喩に逃げているようなものではないか。
なんでも食べ物に喩えたがる人間の話はよく分からないという名言を知らないのかよ。
教養とやらをやたらと持ち上げる人間のセンスはそういうものだ。
同性愛者はソドムの炎に焼かれるべきだなんて21世紀にのたまうつもりなのだろうか?
すまない今のは例外として許してくれ。
教養と言い張り引用したがる奴を再現するには自分もそれを真似る必要があった。
「誰それが貴方のことを馬鹿だと言ってましたよ」と告げ口したからといって、それは告げ口した人間が馬鹿にしていることにはならないよな?
すまない。
こうした間抜けが必死になって自分の間抜けさを隠そうと教養を身につけるのだろうな。
ゆーて40人学級で下から30%ゆーたら男女6人ずつだろ?
モテから遠い所かキモすぎて告ったら泣かれるとか、逆に告白罰ゲームされて一瞬で察して泣かされてた連中じゃん。
そいつらの半分ぐらいが何とか結婚して、そうじゃない奴らのうち20%ぐらいに障害・境界知能・トラウマ・同性愛・内縁とかで結婚からハズレた人生を歩んだ奴が現れて、足して30%って考えたら別にそこまでおかしい数字には思えんけどな。
こんな顔でも結婚できるんだ~~って思う人は沢山いるけど、それと同じぐらいにこんな顔だと結婚できないんだな~~って奴がいて、それと同じぐらいで顔は悪くないのに駄目なんだ~~~がいると思えばまあ体感的にそんなんやろ。
昔同人活動している頃に同居人って使っていたけど、同性愛者が使ってることすら知らなかったし、単に自慢していると叩かれたくないから同居人って表現を自分で考えて使っていたよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230519161408
特に何の事情もなくごくごく普通ーーーーーに男と同棲や法律婚している女が相手の男を「同居人」と呼ぶ例が多いけれど
昔はそういうボカした呼び方をするのって、同性愛者等の事情がある人が多かったと思うんだよね
それがいつの間にか、世に何ら憚る所のないごく普通の既婚女性が、変な選民意識を拗らせたのか、相方だのパートナーだの同居人だのと呼ぶようになってた
でもこういうのって、同性愛者に対する一種の文化の簒奪って言えるんじゃないの?
自分も数ヶ月前に知り合った女性が「同居人」呼びしてたから、あー旦那さんねはいはいと思っていたが
ある程度付き合ううちにその同居人は女性で恋人らしいと分かった
https://twitter.com/hatpinwoman/status/1646852069175820289
・DV被害や性的暴力の被害女性が、女性のみの心的外傷のグループセラピーを望むこと
・女性が「シス」「女性器のある身体」「出産可能な人」という呼称を拒否すること
・女性受刑者と男性受刑者、特に性犯罪で有罪になった男性が、同じ監房で服役させられることに異議を唱えること
・レズビアンのサークルに紛れ込んで肉体関係を持とうとする男性を拒絶すること
・デトランジション(訳注:性別移行医療を受けた後に元の性別に戻ること)経験者が自らの経験を語ること
・全般的な安全について、そして先進的な治療について、子供与える影響を懸念すること
・女性がオートガイネフィリア(訳注:ググって下さい)について話すこと
でも考えてみれば女性差別が解決されるまでは他の差別はOKな論調の輩は一定数いた
ジャップオスと連呼してた輩は「ジャップは国外に住む日本人差別になる」という理由で追放されたが、今となってはTERFに合流してるし
女性への差別が解決するまでは手段を選ばない、文句を言う奴にはトーンポリジングの一言をつきかえすというやり方がTERF増強につながったと言える
TERF的には「LGBTパレードってナチスとおんなじじゃん」だからな
まあわかってたけどTERFの正体ってシスヘテロ女性とノットオールマン男の集団だから、同性愛者に対する配慮も結局上辺だけだったんだよな
中でもノットオールマン男は「自分は違う」というのがまず動機であって反差別じゃないからシスヘテロ女性へのロビー活動をしているだけ、通称フェミ騎士とも言う(一部反差別コミュニティ内でも皮肉で言われるまでに至る)
しかも「自分は違う、自分は特別」という思考回路ゆえに、ミソジニストの「身体と心の一致不一致に関わらず男性は全員レイプ魔予備軍である」という言説を肯定している
それを肯定する事によって、更にノットオールマン男はノットオールマンとハッキリ言わずとも「自分は違う」アピが出来るのだ
もちろんこんな言説を肯定したら、今の女性が受ける被害や差別の現状が変わるわけもないのだが、あいつらはそれでいいのだ、だって一生騎士ができるもの
そんで萌えアイコンやオタクを自称してたらもう役満よ、自分は他のオタクとは違うんだー!っていうそれこそネトウヨ系のオタクがやってたムーブと同じなのだ
まあ
もし著名人や権力者によるセクハラの報道が同性愛のアウティングになるなら弱い立場の人が被害にあっても告発することすらダメってことになりかねないのでは
というか加害者が同性愛者だろうと異性愛者だろうと被害者の性別がどちらだろうと、他人の体を弄んだりセクシャルな内容の嫌がらせをしたらそれはセクハラ行為だろ
https://anond.hatelabo.jp/20230518125611
このエントリの論調なんか見たことあるなと思って「一橋 アウティング anond」ではてブの過去ログを探ってみた結果、やっぱり過去にも似たような増田がいくつも投稿されていたことがわかった。
2018/07/14 | でも、ホモに好かれたらどうすればいいの? | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180714050917 |
2018/07/17 | LGBT支援者は卑劣だ | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180717090909 |
2018/08/11 | 何故、俺はこんなにゲイが嫌いなんだろう? | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180811104017 |
2019/05/18 | むしろ積極的にカミングアウトしてほしいけどな。 | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190518191821 |
2019/11/08 | ゲイに告白された後に「普通」を求められた場合の正しい拒絶方法を教えて欲しい | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20191108230546 |
2021/06/15 | 俺がゲイだと認知した男は性犯罪者のみ | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210615164042 |
2023/05/18 | 市川猿之助の件で再考する一橋大学アウティング事件 | https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230518125611 |
いずれも一橋大学アウティング事件を絡めた内容となっており、同性愛者を「ホモ」と呼んだり、友達だと思っていた同性愛者に告白された結果気持ち悪くて同性愛者が嫌いになったということが書かれてあったりする。全員が同一人物かは知らんけど、同様の増田は少なくとも2018年頃から存在している模様。
>同性愛にしろ異性愛にしろ拗らせていく過程で「これ別の性別の体でセッセッした方が気持ちよさそうだな」ってふとした瞬間に目覚めてしまう感覚は分かるよ。
「異性の体になってセックスしたたほうが気持ちよさそう」ではなく、
自分の脳が認識する性別と違っているから、「あるべき性器がついていない」というのが先にくる
>男はみんなチンチンが勝手に大きくなって前屈みになるのウザすぎね?って悩んでるし、女は生理で悩んでるし、男は乳首擦れ防止ブラジャーを女装扱いされることに悩んでるし、女はちょっと毛深いだけでホルモンが多いんですかねみたいな話しされるのうぜーと感じてるわけだが、そういったヘイトから自分の性別が逆であることを理想に思っても、そもそも最初から性別が逆として生まれてしまったとは思わんやろ。
自分の場合、生理の悩みというのは「なぜ男性の自分に生理が来るのか」という点だった
生理痛がきついとかそういう次元の前に、自分の脳と体が食い違ってるから、生理があること自体が苦痛
今は永久脱毛する男性も多いから、精神が男性でも毛深いのが嫌だと思う人もいるだろうけど、それはあくまで「男性として毛深いのってめんどくせ」ということ
まずイケメンとか美女とかブサイクとか、美醜の理想というものの前に、
「自分の顔が自分の精神と合致しない性別の顔をしている」という悩みなんだ
と
性被害に遭ったらハラスメント対策の機関を利用したり、刑事や民事で解決するのが本来の道で正当な解決法であって、
マスコミやSNSで大々的に騒いで社会的にキャンセルするのはそもそもが邪道なんだわ。
マスコミで報道したらアウティングされていない同性愛指向を勝手に広めることになるのは100%間違いないわけで
本来ならば一橋大アウティング事件のような事が起きないように慎重を期する必要がある。
なので法的解決以外の手段を使ったのは最悪だという他ない訳だ。
法的闘争になったことをマスコミに察知されてしまうなら仕方がないが、その際にはマスコミ側は過度なアウティングとならないよう慎重になる必要がある。
LGBT法でさんざん騒いでるくせにはてなーは何も分かってないのか?
セクシャルマイノリティーはマジョリティの何倍もの自殺率があって苦悩の末に命を絶っていることを。
何人のセクシャルマイノリティーが自殺したら気付くんだ?