はてなキーワード: プレゼントとは
プレゼントするのだろうかとずっと考えているのだが
知り合い女性が彼氏からボディーショップの2,000円弱のセットをプレゼントされて
参考になるか分からないが、両手を腕を組むようにして交差して、左手は右側に、右手は左側に指先が向くようにパー(針の表現)にする振り付けです。
なので葉っぱ?みたいに出っ張ってる様な特徴は多分なくて、胴体だけの形状をしているのではないかと。
あとテラコッタの鉢は、リボンをつけてプレゼントしたり出来る程度の大きさ。
ベランダに置くにしても、落としているので、下に置くよりは棚に置けるくらいの大きさなのではないかと。
もし貰ったのもが手乗りサイズくらいだと、部屋の中に置く気がします。
でもお土産でプレゼント=勝手にあげるくらいのものなので、あまり大きいと迷惑だから手乗りサイズくらいの可能性もあるかもしれません。
別に浮気相手ではないです。独身の男性です。職場が同じだから嘘ではないはず。あと私も独身。
先にセックスしてしまったのがいけなかったのか、後になって私から告白したけど付き合えないといわれてそのまま体の関係がずるずる続いている。
付き合えないけどたまに遊びにはいくし、プレゼントも一応もらえる。でもだからなんだっていうんだろうね、付き合えないってきっぱり言われているのに…。
ゴールデンウィークで全然会えなくて、友達と旅行に行って、なんか顔見なければ意外と大丈夫だな。やめよう。と思ったけど、多分きっとまた言えないんだろうな。
仕事で気まずくなってしまうとか、仕事の愚痴を言える相手もいなくなるんだろうとかそういう言い訳を並び立てて。
顔を観なければ平気なので、さっさと今の職場をやめて一緒に関係も断ち切りたい・・・。
手がかりは「やわらかいトゲ」「今ごろ…痛い」であり、ウチワサボテンの一種と推定される。「金烏帽子」「白桃扇」などだろうか。ウチワサボテンには柔らかく短いトゲがたくさん付いているものがあり、触れるとそれが刺さりっぱなしになってしまい、ふとした時に痛みを感じる。
私はそれを知らずに素手で植え替えをしてしまい、夜中チクチクと痛みに悩まされることとなった。ホームセンターなどで広く販売されているので、触れる際には気をつけるべきだ。不意に軽く触ってしまっただけでもトゲが刺さっている場合がある。
手がかりは「君がそだてたサボテンは小さな花をつくった 春はもうすぐそこまで」「この長い冬が終わるまでに」と冬に花を咲かせる品種であるのが明示されていること。と言うわけで、シャコバサボテン(ジャコバサボテン。間違えていた。コメントより。ありがとう。以降は修正済み)である。サボテンと名は付いているけれどトゲはなきに等しく、多肉植物や観葉植物と言ったほうがピンとくるかもしれない。広く販売されている。冬に花を咲かせるサボテンはこれ以外に知らない。
冬に花を咲かせる多肉植物としてはリトープスやコノフィツムなどのメセン類があるが、これをサボテンと誤認していたとは考え難いので、やはりシャコバサボテンが正解だろう。
(追記)冬に咲くサボテンとして「マミラリア類」があるとブコメで指摘頂いた。ありがとう。確かにこちらの方がイメージに近い。
手がかりが「サボテンに花が咲いたとか 小さな幸せ 数えるんだ」という部分しかなく、判別不能。「小さな幸せ」であることから、花が咲きにくい品種でないことはわかる。花が咲きにくい品種だったら大きな幸せだからだ。
「灼熱の太陽と 風が乾ききった砂漠の ど真ん中で叫ぶサボテン トゲを持ち夢の花を守れ」という部分から推察するに、砂漠にそびえ立つ大型の柱サボテンであると推測される。
手元ある『サボテン・多肉植物ポケット事典』(NHK出版)によれば、該当しそうな品種としては「武倫柱」「大鳳竜」「亀甲柱」「ネオブクスバウミア・マクロケファラ」などがある。ちなみにタイトルの「覇王樹」は品種名ではなく、サボテン自体の別名。
「僕はサボテン 見かけよりはすごくやさしいよ」という部分しか手がかりがなく、特定困難。「見かけよりは」と言っているということは、「金鯱」のようなトゲの激しい品種であると推定される。
「トゲトゲが伸びてつらくなってきて」とあることから、トゲの長い品種であろう。そして「歩く」とタイトルにあって擬人化されているということは、縦に長い柱サボテンであることが推測される。前掲書によればそれに該当しそうなのは「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたりだろうか。
歌詞に「トゲ」とあるので、トゲのないサボテンではない(つまり「兜」「ランポー」「老楽」などではない)ことはわかるけど、それ以上は手がかりが少なくてわからない。
■『レッツゴー!サボテン』サボ
歌詞に「砂漠」「トゲ」とあるので、砂漠に自生するサボテンであり(つまり「シャコバサボテン」ではない)、トゲのないサボテンではない(上のももクロの曲参照)というところまでしかわからない。
(追記)サボさんを見た。全体的な形状とトゲの長さ・少なさから判断するに、これは「墨こけし」で間違いない(https://greensnap.jp/post/311512)。特定した。
(追々記)墨こけしは3年くらい育てているけど花は見たことないなぁ。
歌詞中の「あなた」が何らかのサボテンをプレゼントしてくれた以上のことはわからない。(追記)たまに園芸店でハート型のサボテンが売られているが、それかもしれない。
「さむいのはにがてなんです」と歌い出しにあるが、サボテンは意外と寒さに強い。私は北関東に住んでいるが、育てているサボテンは冬でも外に出しっぱなしにしてある。但し、寒さに弱い品種があるのも確かである。幾つかは冬に枯らしてしまった。従って、ここで歌われているサボテンは寒さに弱いタイプの種類であると推測される。おそらくたくさんあるので特定は困難を極める。
■『サボテン』VIXX
「棘の先に華やかに咲く花」と歌詞にあることから、サボテンではなく多肉植物ユーフォルビアの一種であると推測される。具体的には「紅彩閣」あたりだろうか。
トゲのようなものを持つ多肉植物が幾つか存在するが、サボテンとの見分け方は「トゲの根元に綿みたいなものが付いているのがサボテン」と言われている。ユーフォルビアの「紅彩閣」にはトゲみたいなものはあるものの、綿みたいなものはないから多肉植物である。
で、その「トゲみたいなもの」は実はトゲではなくて「花座」と呼ばれるもので、季節になるとその先端に黄色い花を咲かせる。一方、サボテンのトゲは葉っぱが変化してできたものであり、棘の先に花を咲かせることは私の知る限りない。サボテン本体から蕾が出てきて花が咲く。
―追記―
「サボテンが赤い花を付けた」ことから赤い花を咲かせる品種であることはわかるものの、赤い花を咲かせるサボテンは結構たくさんあるので特定は困難を極める。今日、育てている「ランポー」が鮮やかな黄色い花を咲かせたので、ランポーではない。
歌詞中の手がかりが少なくて判別できない。「緑」というキーワードがあるので「(白い)ランポー」「老楽」「月世界」あたりではないと思う。
(追記)PV見た。ぷっくりとした美しい形だった。知る限りあの形に一番近いのはユーフォルビアの「大正キリン」かと思うが、断定はできない。
■『孤独のRunaway』B'z
「サボテンが街を笑い」とあるので街を笑うことのできるサボテンであることは確かだが、街を笑うことのできるサボテンは寡聞なので誠に遺憾だが判別できない。
あまりにも唐突な台詞であり、リアリズムと言うよりはメタファーであると思われ、品種を特定するための手がかりが少なすぎるので特定には困難を極める。(追記)画像を見るにこれ(https://www.iris-gardening.com/leaf/33_01.asp)に似ている。ただ、名前がわからない。わかったら書く。わかる人いたら教えてください。
―追記2―
「変な形してるのに 可愛い花咲く」が手がかりとなると思われるが、サボテンは厳しい環境を生き抜くために殆どが変な形にデザインされているし、変な形から比べると殆どが可愛い花を咲かせるので一般的な情報を越えない。
また「力一杯 握ってごらんよ」の部分からトゲがそんなに鋭利ではない種類であると推測される。鋭利なものだったら「力一杯」握ったらスプラッターと化すからである。これ以上のことはわからないものの、敢えてあげれば「金烏帽子」などのウチワサボテンあたりが妥当かと思われる。
■『仙人掌哀歌(サボテンエレジー)』二階堂衝(CV:織田優成)
ヒントが少なくて品種の特定は困難である。「仙人掌」とはサボテンの異名。
ちなみに、歌詞中に「仙人掌はただ見つめてた 君の勇姿とあふれる夢を」とあるが『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモヴィッツ、河出文庫)によれば「植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているかも知っている」とある。つまり単なる擬人化ではなく「仙人掌」は少なくとも「君の勇姿」はきちんと見ていた(モニタリングしていた)と考えられる。
「ここにサボテンを植えよう 花が千年に一度咲く」とあるけれど、千年に一度花を咲かせるサボテンは寡聞である。サボテンではないが、たまにニュースで見かける「スマトラオオコンニャク」は「7年に一度2日間」しか花を咲かせないらしい。
また、これもサボテンではないが、砂漠で千年以上も生き続ける植物としては「奇想天外」がある。2つの葉っぱが延々と伸び続けるだけという奇特な植物で、成長は遅く、「種子が発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる」との情報がある。これをサボテンと誤認した可能性がなくはない。
歌詞に「紺碧の仙人掌」と出てくる。「サンタマリア」とはポルトガル語で「聖母マリア」のこと。「紺碧」とは「やや黒みがかった青」とのこと。
「やや黒みがかった青」っぽい色のサボテンには例えば「豹頭」などがある。また、サボテンではないが多肉植物として黒っぽいものには「黒法師」がある。いずれにしても特定は難しそうだ。
―追記3―
「棘」「砂漠」というキーワードがあることから、上に挙げたようにトゲのない品種ではなく、「シャコバサボテン(湿度が高めの森林地帯に自生する)」でもないことはわかる。自己防衛のメタファーとして「棘」と表現されているらしいので「金鯱」のような棘の鋭いものをイメージして書かれていると想像される。「金鯱」は丸く成長するので(つまり柱サボテンではない)、歌詞中に描かれる主人公が落胆してうずくまっているような様子とも合致するし、かなり大きく成長するので擬人化も容易そうだ。
「荒んだサボテンは 世界を敵に回すほど トゲを伸ばしたんだ 喉が渇いてSOS」なので、砂漠に生えてトゲの長い種類であることはわかる。柱サボテンであれば『歩くサボテン』(奥田民生)のところで挙げた「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたり、丸いサボテンなら「金鯱」あたりがイメージに近そう。「金鯱」の汎用性の高さ。
歌詞が見当たらないので全く見当がつかないが、汎用性の高さからすると「金鯱」あたりが妥当かと思われる。
クライマックスで「サボテン持って」といきなりサボテンが登場する。サボテンを持ってどこかに出かけるつもりのようだから、携帯に容易な品種であることは確実で、間違っても直径30cmの「金鯱」でないことはわかる。
「サボテンの花さいてる 砂と岩の西部」とあり、曲はアメリカのフォークソングであるようなので、アリゾナ州あたりに自生する何らかのサボテンであると思う。
新郎新婦の友達がチェーンメール方式で「お祝いのコメント動画を撮って送ってください!」とかほんとやめろ。
まじで迷惑だし、やりたくない奴が1%でもいることを考えて欲しい。
その手のやつって大体、「〜送ってください!」以上。みたいな文章ばっかりでこっちの都合とか意見とか一切ない。
新郎新婦から直接頼まれたり、動画撮る依頼主から頼まれる理由にもよるけど、基本的に私は個人でお祝いしたい派だからできる限り断る。それで十分だと思うし。
それに個人的感想だけど、動画とかもらってもそんなに嬉しくない。(フラッシュモブも同じ。正直、結婚式の余興もやる意味わかんない。)
そもそも結婚式に行くし、行けなくても直接会う機会を設けてお祝いをして個人的にプレゼントとか渡す。
送らないと、薄情者扱いされるけど、嫌っていう1%の人間を無視する差別主義者に言われたくない。
あとそもそも嫌って思う人間がいないと思ってる想像力皆無のやつに協力したくない。
てか本当に何かしたいと思ってるなら、個人でみんなに連絡して個人で依頼して許可もらって作れば?
SNSとかスマホで手軽に依頼したり、動画撮れるからってそこの依頼して承諾を得るプロセス省いていいの?礼儀的な意味で。
本当に祝いたいと思いってやってるなら、それくらい熱意持ってやりなよ。
なんでファンとファンスレは許されて、アンチとアンチスレは許されないの?。
おかしいだろ。
そもそも本スレは「~~について語るスレ」というわけで。アンチ意見やこの作品/人物/コミュが嫌いだ滅んで欲しいと書き込んでも良いはずだろ。
ちゃんと語ってんじゃないか。如何に俺が作品が嫌いか消えてほしいかを熱く語ってる。
おかしいだろ。
ファンがイベントを作るなら、アンチがイベントを潰しても許されるべきだ。いつかの黒バス殺人予告みたいに。
ファンが作者や関係者を喜ばせたりプレゼントをあげてもいいのなら、アンチが危害を加えてもいいはずだ。
元カノの夢を見た。夢の中で彼女の苗字は分かっているのに、名前が分からないという問題と格闘した。結局分からないまま目が覚めた。でも、今では彼女も結婚して苗字が変わっているんだろうなと、ぼんやりと昔を懐かしみながら考えるが、こんな夢を見るのは今の僕の状況が引き起こしているのか。
嫁と喧嘩を一昨日からしている。喧嘩の理由は嫁が僕の誕生日を祝ってくれなかったからである。こう言うと幼稚だなと思われるかもしれないが、この性根は昔からの特性でありどうすることもできない。
誕生日の日に、飲みに行く予定ができたらしく行ってもいいかと聞いてきてくれて、それに対して了承をした。プレゼントも貰った。別の日にどこか行きたいところがないかも聞いてきてくれた。でも、拗ねた。
その日は子供の習い事の送り迎えがあって、誕生日を祝う余裕がないことも分かっていた。でも、拗ねた。
そういえば、元カノと別れたのも、こんな自分の感情からだったかな。未だに彼女のことが好きなのに、それは好きという感情すらも軽々と超えてしまう。
嫁は普通では付き合えきれない僕のような人とよく過ごせてるな。普通の人間は、タンスに離婚届を隠し持って、いつでも逃げる準備をしている自分勝手で幼稚な普通ではない人間とはやっていけないだろう。気をつけないといけない気がする。
タイトルは本文の要約であるべきで、タイトルと本文が文章的に繋がっているのは止めてほしい。
本文:ポケモンを遊んでいました
このように、タイトルが本文の一部の役割を果たしている文章は止めて欲しいです。タイトルが無くなると本文が変わってしまうものはそもそもおかしいと思います。
正確には、元カノの苗字は思い出せるけど、名前が思い出せないって夢だった。
名前は思い出せたけど、そういえば結婚して、苗字変わったんだよなと思っておきた。
嫁さんは、自分の誕生日に飲み会にいった。飲みに行っていいか確認してくれたし、プレゼントももらったし、他の日はいつがいいか、どこか行きたいお店はないか聞いてくれてた。
そもそも誕生日は子供の習い事の送迎があって、誕生日会どころではなかったのもあって、僕はいいよって言ってしまった、また、後出しジャンケンで拗ねるんだろうなとおもったら、結局、拗ねた。
ずっとこんなことばかりしてる。
元カノと別れたのもたぶんこうやって幸せになることから逃げたからなんだなぁーと、思った。
嫁さんは、仕事休職してもあちこち引越しても家事や育児さぼっても、いつでも結婚生活から逃げ出せるように離婚届をタンスに忍ばせてる旦那の文句も言わずにそばにいてくれる。
ぼくは、拗ねて人の気持ちを受け取る事を拒否してると思う。未だに好きな元カノと別れると決めたのもそれだなぁーと起きて思って、反省しようと増田に、書いた。
母親の高級品持ってるのよアピールだとか、とても苦労したのよアピールが凄く気分悪い。
結婚式の衣装合わせをしたと報告したら、「私は白無垢やカクテルドレスも着て3回お色直ししたのよ」と言ってくる。
プレゼントでダイヤのネックレスをもらったと言えば「本当にダイヤなの?小さいね。チェーンはプラチナ?私はねプラチナの何カラットのネックレスとか本物のダイヤの指輪を自分で買って持ってるのよ。4Cも最高ランクのものをね」
苦労アピールも「内臓破裂して吐血して死にそうになった」だの「母はネグレクトだったから栄養失調症で貧血は当たり前だし死にかけたりした」だの「学生のころバイト頑張ったら倒れて入院した。けど単位落とさなかった」だの仮に本当だとしてもとにかく鬱陶しい。
隙あらば自分語りをしてきてマウンティングしてくる。これをやめさせたいが方法はあるのかな…
自分は「ドレス試着してきたよ」「あら写真見せて」くらいの軽い会話が望ましいのにな。別にあなたのお色直しの回数なんか聞いちゃいない。本当に気分悪いわ。
うちはじいちゃんもばあちゃんもまだ健在で実家にいるけど、いつ何があってもおかしくないんだよな。
連休には会いに行くけど何かプレゼントしたいな。誕生日でも何でもないけど。
何がうれしいんだろうかね。
家族を救うためだと言って、朽木ルキアが僕にプレゼントしてくれたものだ。
こいつに慣れるためにも、これから定期的に虚(ホロウ)を尺魂界(ソウルソサエティ)へと送り続けていきたいと考えている。
ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。
僕の性別は男性、歳は15歳、高校生(と死神代行)をしている。
僕の不徳の致すところに依り、これから先数年は死神代行を続けなければいけないことになっている。
死神の席官や虚、滅却師(クインシー)と戦ったりする事が好きな事の一つだ。
尤も、虚化や完現術(フルブリング)は、近年流行った卍解のバーゲンセールですっかり陳腐化されてしまっているみたいだけれど。
霊力を使った鬼道というものが出来ないし、斬魄刀を常時開放しないということが出来ない。
霊圧であふれた場所は好きだ。
疲れている時は卍解を要しないような低レベルの虚を魂葬し続けるに限る。
若かりし僕は、主人公というものは、強力な仲間を腐る程持て余し、自らの目標に邁進するものであると考えていた。
だから、主人公になった自分は、強力なライバルに触れ続け、いつかは自分自身で強力な仲間と歩み出すようになると信じて疑わなかった。
しかし、実際のチャドは、京楽春水やヤミーやその他破面(アランカル)に霊圧を消されてしまうものであり、とてもインフレについていく余裕などないのである。
少なくとも、チャドには難しい。
この話を聞くと、なんだ背景を書き込む時間も十分に取れないほどストーリーとキャラデザに熱中することが出来て、幸せではないか、と考える人もいるだろう。
そんなわけないだろう、「心か」というページが、充実の証左たるわけがない。
そのように考える人間は、朽木白哉にでも生まれ変わり、千本桜景厳を手掌で操り続ければ良い、きっと精度・速度が倍化される。
忙しさというものは、絶対的に時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔(ディアブロ)なのである。
このはてな匿名ダイアリーという真世界城(ヴァールヴェルト)で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。
これくらい文章を書くと、生まれて初めて霊子兵装に触っても割と自在に滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)することができるようになることが分かったので、今日はこの辺りで神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)を置きたいと思う。
これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい所存であるので、今日のこの朽木ルキアの描くイラスト的文章にもブックマークしてくれると嬉しく思う。
影のように冷やりとしたそれは、彼女が僕にプレゼントしてくれたものだ。
「進級祝いに」と彼女は言った。
僕はほんとうは留年をしたのだけれど、そのことには触れなかった。
そうして、僕は彼女と寝た。
この無口な新しい同居人に慣れるためにも、これからは、鳩時計のように定期的に日記を書き続けていきたい。
そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながら、この文章を書き続けている。
ここで文章が終わってしまうのは、いかにもハンバーグの下に敷かれたスパゲッティのようで、味気ない。
自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。
僕の性別は男性、歳は二十代前半、大学生をしている(授業にろくに出ずに籍だけを置いている人間を大学生と呼んで良いのであれば)。
僕の不徳の致すところにより、これから先数年は学生身分を続けなければいけないことになっている。
僕は、文章を読んだり書いたりする事が、春の熊くらい好きだ。
もっとも、僕の作文能力や長文に対する集中力は、近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけれど。
図や数式といったものを、そのまま扱って思考することが出来ないし、スポーツをするときも、身体の動きを文章で理解しないと再現できない。
言葉を介さない思考をするくらいなら、ボールベアリングの歴史とか、ウクライナの鉱物資源の分布状況とか、そんな話をしていた方が、まだましだ。
疲れている時は、幼稚園児が春の昼下がりに書いたような文章に浸り続けるに限る。
Twitter最高、Instagramなんて「クソ喰らえ」である。
大学になる前の憧れは、モノ書きになることだった。
もう少し今よりも若者らしい服を着ていた頃の僕にとって、大学生とは、ヒマな時間を腐るほど持て余し、自らの趣味に没頭するものだった。
だから、大学生になった自分は、上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。
しかし、実際の大学生は、勉学、部活動やその他の雑務(そう、そこにはもちろん、女の子と寝ることだって含まれている)に忙殺されてしまうものであり、とても自らの趣味を極める余裕などないのである。
少なくとも僕には、デレク・ハートフィールドの墓を見つけるよりも難しい。
この話を聞くと、趣味の時間も十分に取れないほど勉学や部活動に熱中することが出来て幸せではないか、と考える人もいるだろう。
そのように考える人間は、思春期のハムスターみたいに、回し車を回し続ければ良い。
きっと、焼きたてのパンを日だまりで食べている人のように幸せになれるだろう。
忙しさというものは、時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのだ。
このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って、自らの創造性を再獲得するのだ(僕がかつて創造性を持っていたかはともかくとしても)。
これくらい文章を書くと、生まれて初めてパソコンに触っても、丑三つ時のコウモリのように自在にタイプすることができるようになることが分かった。
今日は、この辺りで筆を置きたいと思う。
(そろそろパスタが茹で上がった頃だ。)
これからは、気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい。
タイトル :
誰か僕の文章を好きだと言ってくれませんか
本文 :
最近、新しいPCを手に入れた。進級祝いだと言って彼女がプレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと思っている。
と、ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めよう。僕の男で歳は20代前半。大学生をしている。不徳の致すところにより、まだこれから数年は学生という身分を続けなければいけない。文章を読んだり書いたりするのは好きなことのひとつだ。もっとも、僕の作文能力や長文に対する集中力は近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけど。
僕は言語を介さない思考というものにめっぽう弱い。図や数式といったものをそのまま扱って思考を進めることができないし、スポーツでも身体の動きを文章で理解しないと再現できない。なんとも生き辛い脳の性質だ。そのかわり文章であふれた場所は好き。疲れている時は思考力を使わないような低レベルの文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである。
大学に入る前はモノ書きになることが憧れだった。若かりしころの僕は、大学生というものはヒマな時間を腐るほど持て余し、自らの趣味に没頭するものだと考えていた。だから大学生になったら上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動や雑務に忙殺されてしまうものであり、とても自らの趣味を極める余裕などない。少なくとも僕には難しい。
この話を聞いたら、趣味の時間も充分に取れないほど勉学や部活動に熱中できて幸せじゃないか、と考える人もいるかもしれない。しかしそんなわけないだろう。忙しいことが充実の証左たるわけがない。そんなふうに考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければいい。きっと幸せになれる。忙しさというものは絶対的に時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである。
でも今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。
これくらい書くと生まれて初めて触ったMacでも割と自在にタイプできるようになることが分かったので、今日はこのあたりで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った増田を投稿するから、この統合失調症的文章もブックマークしてくれると嬉しい。
最近、新しいパソコンを手に入れた。いや、違う。それは嘘だ。僕は新しいパソコンを手に入れてなどいない。新しいパソコンを手に入れたと書こうと思ったのは彼女が新しいパソコンを手に入れていてうらやましいと思ったからだ。いや、違う。僕には彼女などいないのだった。ネットに投稿する文章になるとどうしても彼女がいる設定にしたくなるが、僕に彼女がいたことはない。それはたしかだ。
最近、新しいパソコンを手に入れたと書いた。そうだ。僕はたしかに新しいパソコンを手に入れたと書いた。それは本当だ。僕はこの文章を古いパソコンで書いている。これは彼女にプレゼントしてもらったパソコンではなく、両親に買ってもらったパソコンだ。今あなたは僕が「いや、違う。僕には両親などいない」と書くと思ったかもしれないが、それは違う。僕には両親がいる。それはたしかだ。
最近、新しいパソコンを手に入れた。僕はそれを両親に買ってもらった。いや、違う。僕が買ってもらったのは古いパソコンであって、新しいパソコンではない。僕は古いパソコンでこの文章を書いている。キーボードが手になじみ、実に快適だ。当分新しいパソコンを買ってもらうことはないだろう。次に買うパソコンはバイトして貯めたお金で自分で買うかもしれない。いや、違う。僕はバイトなどしていなかった。それはたしかだ。バイトの面接に6回連続で落ちている。いや、それは嘘だ。7回だったか。いや、8回だった。僕はバイトの面接に8回連続で落ちている。それはたしかだ。
最近、新しいパソコンを手に入れた。仮にそういうことにしよう。僕は最近新しいパソコンを手に入れたのだ。しかしこの文章は古いパソコンで書いている。その古いパソコンは彼女に買ってもらったものだ。いや、違う。僕には彼女などいないのだった。古いパソコンは両親に買ってもらったものだ。いや、違う。僕には両親などいないのだった。僕は孤児院で育った。僕は孤児院に置いてある古いパソコンでこの文章を書いている。手に入れた新しいパソコンはまだ使っていない。僕がそのパソコンをどうやって手に入れたのかが問題になっている。僕が万引きをしたのではないかと主張する人もいる。しかしそれは考えにくい。いや、ちょっと待ってくれ。僕は孤児院では育っていなかった。それはたしかだ。僕は古いパソコンでこの文章を書いている。たしかに僕は「新しいパソコンを手に入れた」と書いた。だが、実際に僕が新しいパソコンを手に入れたのかどうかは僕にしかわからないことだ。それはたしかだ。いや、それは嘘だ。ぼくは目が見えないのだった。僕にはそれが新しいパソコンなのかどうかもわからない。現在この文章は音声入力で書いている。それはたしかだ。
祖父が亡くなってしばらく経ち、骨をお墓に納める日が来た。
その前日、久しぶりに祖母の家に泊まることになった。
骨壺(結構重い)を抱えて運んだり、タクシーを呼んだり、雑用係だ。
祖父の部屋はまだ沢山の本が置いてあり、もう何年も使っていない一眼レフのフィルムカメラも置いてあった。
・
祖父は晩年認知症が進み、会話が怪しくなり、最後には私の顔もわからなくなっていた。
あまり祖父母と会うこともなくなっていたが、祖母がケアしきれなくなり、施設に入ってからの方が合う頻度は増えていた。
(半年に一度が2、3週に一度程度に)
とは言っても、会っても会話にならないため、少しでも喜んでもらおうと、好きだった飛行機の模型や写真集を買っていくことにした。
ふだん足を運ばない模型店に行って品を選ぶとき、会話の通じない孫や甥におもちゃを買っていく大人の心理状態はこんな風だったのかと思ったりした。
同じ写真集を二、三年以上繰り返し読んでいるので、一度に渡しても消化しきれないだろうと思って、まず一冊渡した。
祖父が喜んだかどうかは定かではないが、祖母は喜んで、祖父に孫からのプレゼントについて話しかけていたようだ。
その後、ちょっと具合が悪そうだと聞いたあと、すぐに亡くなってしまった。
愛読していた写真集は棺に入れて燃やしてしまったが、次に渡そうと思っていた二冊目の写真集はまだ手元にある。
・
・
鮮明な夢を見た。
髪は真っ白だったが、背筋が曲がる前のしゃきっとした姿だった。
(あれ?祖父はまだ死んでいなかったのか)
と夢の中で思った。
祖父の死亡を知らせる印刷したはがきが数十枚重ねておいてあるのが見えた。
(やっぱり)
と思ったところで目が覚めた。
6時ころだった。
・
最近、新しいパソコンを手に入れた。進級祝いだと言って、彼女が僕にプレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと考えている。
ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。僕の性別は男性、歳は二十代前半、大学生をしている。僕の不徳の致すところに依り、これから先数年は学生身分を続けなければいけないことになっている。文章を読んだり書いたりする事が好きな事の一つだ。尤も、僕の作文能力や長文に対する集中力は、近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけれど。
僕は言語を介さない思考というものに滅法弱い。図や数式といったものをそのまま扱い思考を進めることが出来ないし、スポーツをするときも身体の動きを文章で理解しないと再現することが出来ない。なんとも生き辛い脳の性質をしている。文章であふれた場所は好きだ。疲れている時は思考力を使わないような低レベルの文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである。
大学になる前の憧れはモノ書きになることだった。若かりし僕は、大学生というものは、ヒマな時間を腐る程持て余し、自らの趣味に没頭するものであると考えていた。だから大学生になった自分は、上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動やその他雑務に忙殺されてしまうものであり、とても自らの趣味を極める余裕などないのである。少なくとも僕には難しい。
この話を聞くと、なんだ趣味の時間も十分に取れないほど勉学や部活動に熱中することが出来て幸せではないか、と考える人もいるだろう。そんなわけないだろう、忙しいという感情が充実の証左たるわけがない。そのように考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければ良い、きっと幸せになれる。忙しさというものは絶対的に時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由な時間に創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである。
今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。
これくらい文章を書くと、生まれて初めてMacに触っても割と自在にタイプすることができるようになることが分かったので、今日はこの辺りで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい所存であるので、今日のこの統合失調症的文章にもブックマークしてくれると嬉しく思う。