はてなキーワード: トリエンナーレとは
理論武装しているのは解るが、これが何十年と残る芸術なのか?っていうクォリティ的な面が良く解らない。
「素人には解らん。文脈が解る人には解る」で質が伴ってないんじゃないか?少なくとも素人目にも解る良さが皆無なんだよね。扇動屋の炎上商法にしか見えない。
これがアートならイケハヤ氏も現代アーティストなんじゃないか?と思う。
素人には"芸術"理論の何たるかが解らない。いかに不謹慎現代アートがそれに則っているのかも解らないんだから、解らない方が悪いという理屈なんだろうけど。
漫画家とかイラストレーターとかで素人が支持して世に出てくる商業芸術家は凄く解り易いと思うし、そっちの方がずっと純粋な世界だと思うんだけど。
宇川直宏氏みたいなお友達の芸術村の人間が、今回の津川氏に箔を付けさせて津田氏がトリエンナーレの芸術監督に就任させたりするのも、何とも情実の世界だなぁ…と。
慰安婦像に関しては、戦前の日韓併合が正当だったかどうかの問題が根幹にある。
ちなみに1960年に日韓で締結された日韓基本条約内では「かつての日韓併合は正しかった」とはっきりと明記されている。
昭和天皇を燃やして踏みつけたり、「放射能最高!」については議論の余地はない。
愛知トリエンナーレの芸術展の問題は単なる歴史問題ではなく、東アジアにおける現在進行形の問題にもつながっている。
https://anond.hatelabo.jp/20191009223759
立憲県連、国民県連
素直な感想は上田側がカオスすぎ。いきなり平沢勝栄から始まったのにビビったが、その後原口河村って何の冗談か。河村なんてトリエンナーレの話してたし。
で、そのあと民主無所属三人組が短く挨拶のあと大野と連合埼玉、立憲と国民の県連。自民も民主も入り乱れてのザ・カオス。主張は実績アピールと知事からの鞍替えでの新人?アピールのみ。
丸山穂高がスピーチ上手くて驚いた。司会役が合っている。おばさんに人気出そう。その後、渡辺喜美が笑いも取りつつぶっこわーす!連発でベーシックインカム等の経済政策をアピール。立花はこれまでの悪目立ちは封印して、正義対悪を全面に押し出してきた。
その後大宮駅前でも演説。印象的だったのは途中でヤジが飛んだ時に、私人逮捕で有名な松戸市議の大橋が突撃?したため、立花が選挙カーの上からかなり強めになだめていたところ。このコントロールは上手い。初日にこれをやったことで今後のヤジトラブルリスクを減らせたのではないかと思う。
ちだい君もレポートあげてたが、彼の思想的に上田を積極的に推せないのでイマイチなでき。
そもそも、今回の補選に何故他党が候補者を出さないのか分からなかったが、一部理解が進んできた。
自民が出さない理由は二つある。一つは二階と改憲で握れているから。もう一つは仮に当選したときに、次回選挙で現職と議席を奪い合いことになるから(ザ既得権益)。
正直あいちトリエンナーレ関係のニュースは補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。
Chim↑Pomが炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。
昨晩のTBSラジオ「session22」のOPにリーダーの卯城さんが出演し、作品の意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。
https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21
帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。
悪意のある誤読や切り取りか、ニュースの見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。
…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。
あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ。
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守はシステム1に、リベラルはシステム2に主に訴えかける主張だ。
リベラルな言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉が要求される。
要するに、面倒臭いのだ。
フェイクニュースの流行やトランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人の承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。
ただ、アートを含めた文化全般の価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品の文脈や、各カルチャーの歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。
文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダードを破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品の意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術の功罪を知ることが必須だ。
これはクラシック音楽のスタンダードからの脱却を図った現代音楽を聴く際にも求められる態度だ(クラシックの素養なしにサティやストラヴィンスキーやシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。
またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロックの誕生からプログレ・商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカのポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。
それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。
ポピュラー文化は人口に膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。
ただ、文化が社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業がマネタイズできない時代においてこそ、その価値が保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。
学校で慰安婦問題について習ったJKです。長文お気持ち。モヤモヤしたので文にしただけ。Twitterでトリエンナーレ問題とか、韓国人と日本人の言い争いとか見てて、何でこんなに揉めてるんだろ……と思っていたんだが、習った今でも何でこんなに揉めてるんだろ……と思っている。
相当な時間をかけて、残虐さとか、背景とか詳しく教えられたけど、全く罪悪感を感じなかった。これは性暴力が当然なものだった!って思ってるってことじゃなくて、私が罪悪感を感じないといけない理由がわからないという意味だ。痛ましい、繰り返しちゃいけない、忘れてはいけない歴史の一部だということはわかる。ただそれは私とは無関係の赤の他人が行った残虐行為であり、私に非は1mmもない。自分の家の家系図とか見たことないからわかんないけど、もし貴方の先祖が慰安婦問題に深く関わっていました!って言われても変わらないと思う。同じ日本人だとか、先祖だとか、そんな理由で責められても困るし、罪悪感も湧いてこない。その理屈で言うのなら、日本人も韓国人もアメリカ人も中国人もこの世の人間全て、自分と同じ民族の殺人者の罪を恥じながら生きていかないといけなくなる。同じ民族の人間の罪を恥じるって、それこそ団結意識が強い戦時中とかじゃないと無理なんじゃないだろうか。
それを踏まえて、何でそこまで熱くなってるのかがわからない。慰安婦像そんなに嫌か?別にただの歴史の一部じゃん。責められてるような気待ちになるのかもしれないけど、その気持ち自体抱かなくてよくない?やらかした張本人じゃないんだし、他人事っていうか、TVの殺人事件見てるような感覚にはならないの?殺人事件の被害者の女の子を弔う像が建てられてもなんとも思わないだろうに、慰安婦像がダメな気が分からない。韓国の人たちが熱くなる感覚もわからない。殺人事件も強姦事件もほぼ全部の民族の誰か一人は起こしてるだろうし、戦争でのそんな事件も調べれば他に幾らでもあるのに、何でこれにそんなにこだわるの?同じ民族の女性達が辱められた!ってそんなに怒れる気持ちがまたわからない。日本の原爆でも何万人もの人が亡くなってるけど、それは『けして繰り返してはいけない歴史の一部』で、痛ましく思うし、二度と繰り返しちゃダメだって思うけど、アメリカ最低!死ね!って思うか?って言われたら思わない。仮に家族がアメリカ人に殺されたとしても、アメリカ人を恨む人はなかなかいないだろう。恨まれるのはその殺人鬼だ。
なんて言ったらいいんだろう、アニメの一表現とか衣装とかそんな些細なことでもに慰安婦!ってキレたり日本敵視してくる感覚もそれに対して呆れるでもなく、そんなものなかった!ってキレ返す感覚も理解できない。歴史の一部として収束できないものなの?『こういう痛ましいことがありました、繰り返さないために忘れてはいけません』で終わりにならないんだろうか。そこまで民族に熱くなれないというか、恥じる必要性がわからない。歴史というか民族間の軋轢って本当に難しいものなんだな。もうちょっと勉強してみたいと思った。
https://twitter.com/tsuda/status/1178100840260759552?s=12
このツイートで津田氏が暗に言いたかったであろうことを書きます。
あいちトリエンナーレが不交付となった助成金は、「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」
http://www.bunka.go.jp/shinsei_boshu/kobo/1413006.html
で、この日本博というのは、安倍総理が旗振りして実施が決まった文化事業なんですよ。
こちらの「1.経緯」を参照
http://www.bunka.go.jp/seisaku/nihonhaku/pdf/r1413086_02.pdf
つまり安倍さんが旗振った事業で、安倍さんの気にくわない政府批判的なことしたから、見せしめ的に不交付を言い渡されたということじゃないか。
そもそも上記の「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」、募集期間が3/1〜11と短い上に、年度末ギリギリのタイミングってのもきな臭いんだよね。
今日ハイキングをしていたら、ドイツ人から「なぜ反体制プロパガンダに税金が投入されるか」と聞かれた。
この人は「あいちトリエンナーレは地方自治政府主催なのに愛知県が反体制運動を支援しているのは日本から独立したいからなのだろうか」と首をかしげていた。世界が日本を見る目は厳しい。日本と世界の間に考え方、感じ方のギャップがある。
効果あるかないかもわからん無益な署名集めやってる暇あるなら、クラウドファウンディングでもすればいい
そもそも政府にお金を貰わないと表現活動ができないアーティスト、
そしてそんなアート界隈の経済状況を許しているアート関係者とその客が不健全に決まってるだろう
政府が金出さないなら俺たちがアーティストを食わせて表現の自由を守る!ぐらいの気概は見せてもいいはずだが、
一向にそういう姿勢にはならず、補助金くれくれと集ってまるで乞食ではないか
俺は政府が文化の発展のために、アートに金を出すことに吝かではない
あいちトリエンナーレ2019に寄せられたご意見等 - 愛知県
あいちトリエンナーレ2019に寄せられたクレームの音声ファイルが掲載されていた。
すべてがクレームだったので、さまざまなご意見の掲載というバランスをとっているわけではなく
対応する職員に語気荒く詰め寄るクレームのみを晒上げたような格好だ。
いいのか?愛知県。
あいちトリエンナーレについて、補助の打ち切りは表現の自由に対する冒涜だという意見がある。
例えば、例えばね、挑発的な悪意のある作品が展示され続けたら、それがどんどん過激になっていったら、いつかどこかで規制されるのは当たり前だと思う。他者の権利を侵害してまで表現の自由を保証している国なんかどこにもない。そしていちど前例ができてしまったらなかなか覆らないだろう。そう考えると、わざわざ天皇の写真を焼くような過激な作品を、充分な準備なしに展示した行為こそが制度に対する挑戦であり、表現の自由に対する冒涜なのではないかと思う。
過去にだれかが戦って勝ち取った表現の自由という権利を、浅薄な政治批判というか個人攻撃のために失おうとしているわけだ。日本国内で一回しか使えない大技をこういう形で繰り出してしまって、結局人々に大した影響を与えることもなくお蔵入りになってしまったわけで、無駄撃ちとしか言いようがない。
美術家たちは戦う相手を間違えている。敵に踊らされて味方同士でやりあってどうするのだ。それがわからないのでは愚かと言うほかない。
そしてね、別に政治批判やあれの展示が金輪際禁じられたってわけではないのよ。文化庁が積極的に支援をしないだけで、誰にも罰を与えてないし、何も禁止されてないのよ。だいたいにおいて申請した期間開けなかった展覧会に満額の補助金を出させたら詐欺ではないのか。予定した期間開けなかったのは主催者の準備が足りなかったからだし、せっかくの展覧会を台無しにしたのは誰なのかよく考えてみよう。
と思う頓珍漢なのだった。