あいちトリエンナーレについて、補助の打ち切りは表現の自由に対する冒涜だという意見がある。
例えば、例えばね、挑発的な悪意のある作品が展示され続けたら、それがどんどん過激になっていったら、いつかどこかで規制されるのは当たり前だと思う。他者の権利を侵害してまで表現の自由を保証している国なんかどこにもない。そしていちど前例ができてしまったらなかなか覆らないだろう。そう考えると、わざわざ天皇の写真を焼くような過激な作品を、充分な準備なしに展示した行為こそが制度に対する挑戦であり、表現の自由に対する冒涜なのではないかと思う。
過去にだれかが戦って勝ち取った表現の自由という権利を、浅薄な政治批判というか個人攻撃のために失おうとしているわけだ。日本国内で一回しか使えない大技をこういう形で繰り出してしまって、結局人々に大した影響を与えることもなくお蔵入りになってしまったわけで、無駄撃ちとしか言いようがない。
美術家たちは戦う相手を間違えている。敵に踊らされて味方同士でやりあってどうするのだ。それがわからないのでは愚かと言うほかない。
そしてね、別に政治批判やあれの展示が金輪際禁じられたってわけではないのよ。文化庁が積極的に支援をしないだけで、誰にも罰を与えてないし、何も禁止されてないのよ。だいたいにおいて申請した期間開けなかった展覧会に満額の補助金を出させたら詐欺ではないのか。予定した期間開けなかったのは主催者の準備が足りなかったからだし、せっかくの展覧会を台無しにしたのは誰なのかよく考えてみよう。
と思う頓珍漢なのだった。
愛知のは芸術展示を装った政治主張なんだよ。 実行委員会のメンバーみてごらんよ。 これで芸術展示ができるメンバーなのかな? https://censorship.social/statement/