はてなキーワード: 逆効果とは
練習も長くて嫌だったけど、不合理ことが多すぎで嫌だった。
■練習内容
朝練7:00~8:20頃まで 制服に着替える時間がなくてユニフォームで授業受けてたこともある。
昼練といって昼休みに練習するので、昼食は5分位で終わらせるか、別の休み時間に食べる。
授業の6限が終わって、9時前位までの練習は普通。
8時台前半だと今日は早いという感じ。
外部コーチ達が「朝練はいらない。」「睡眠を増やしたほうがいい。」と言っていたが変わることはなかった。
食欲がなくなるから食べられなくなる。
■学業
いつも眠たかった。肌荒れするし授業中は寝まくってた。
宿題は見せてもらってばかりだった。長期休みの宿題は1回もしたこと無い。
行事にまともに参加したことは一回もない。
機嫌が悪かったら、とにかく八つ当りされた。
体育の授業終了後、野球のことで嫌味を言われる←(俺)
・自分含め3人であるところの水抜きをしていたら、「そこはネット張るからしなくていいだろ!」と
練習メニューを聞いていないのに言われ、
「罰として、それぞれ正門前、隣のコンビニ、裏の工場の前に立っとけ」と言われ
自分は一番遠い工場前に立たされた。後にマネージャーが呼びに来る。
・合宿中は
・合宿中に試合に負けて、夕食中に部員同士で会話をしながら食べていたら
「悔しくないのか?」と怒られたので
しかし、作った人がいたからか「お前ら黙ってて食べていたらまずそうだろ!」
と言うので部員たちは「これは旨い!」などと不自然に話し始める。
練習が数時間中断したりする。
「数年ぶりにパチンコやってきたわw」
とか言っていた。この時だけは一生消えとけ、と思った。
・「与えられた練習メニューは、なんでこういうことをするのか考えるな」という。
「説明したら時間がかかる」とか言ってたが
説明できないだけじゃないのか。
・駄々をこねて、「練習メニューを教えてやろうと思っていたのに」
後に嬉々として戻ってくる。
する予定だったのに、時間を早めて一旦集合先を自分の高校に変更。
理由は「お前らに○○と呼ばれる筋合いは無い」と言うためだけに。
・地獄耳だから、ある部員が監督の批判をしているのを耳にしたら
・お菓子の試供品を部員に配付したのに「なんで食べてるんだ?」という。
とても個人で買えないような器具を「買え」と命じる。
(八つ当たりしたいだけなので、結局買っていないが)
・「帰れ!」と何回も言ってきたが、いつも自分達部員は帰らなかった。
それでも「帰れって言ってるんだから帰れ!」と言ってくる日々だった。
ある日同じことを言われたので、部員同士で相談して本当に帰った。
いつも何回も同じことを言われる繰り返しなので。簡単に本当に帰ったわけではない。
後日「帰れって言われて帰る奴がいるか!」
結局何をしても怒られる。
こんなことをしているが、校外には「野球を通じて人間をつくる」みたいなことを言っている。
(俺は「ハァ?バカじゃね?」と思っていたが)
・野村克也を意識しているのか、部員から年賀状きているか確認する。
これ以外にも不合理なことがたくさんあったけど
もっと変なエピソードもあるのですが、匿名ダイアリーなのでやめておきます。
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これ、野球をやりたいっていう部員を利用したやりがい搾取みたいなもんだな。
サッカーみたいに別のチームに移りやすかったら、こんな部は成り立っていなかっただろう。
思い出して書いてたら本当に馬鹿らしくなってきた。
砂の栄冠って漫画のガーソくらいなら余裕で歓迎です。
ほぼ初めての仕事。
苦手な仕事だが頑張ろうと思った。
だが頑張っているつもりでも上手くいかない。
周りも「真面目は真面目なんだけど……」という感じ。
そもそも要領が悪く頭が堅いが、
そのうちできるようになるかと思っていた。
三ヶ月経っても注意されてばかり。
申し訳無さでどんどん表情が暗くなる。
会社側も「このくらいできるだろう」と思ったことが
まるでできるようにならない。
色々対策も考えてくれているようだが、
すべて逆効果。
どうしてこんな惨状なのかおそらく周りも気づいてきているが、
コミュニケーション障害が原因。
どういう組織でもコミュニケーション能力は必須だが、
自分が和を乱していた。
ここまで悪影響を与えるものだとは知らなかった。
今までは周りが良かったのだ。
実を言うと、コミュ障を克服したくて、
接客要素のあるこの仕事を選んだ。
やっているうちに慣れると思った。
慣れなかった。というかお客様の応対もそうだが、
社内での応対も上手くいかない。
これからも慣れる気がしない。
慣れとかそういう問題じゃなく、
自分のせいで、
実際業務に支障をきたしているみたいなので
我慢してやってみようとも思った。
せめて一年くらいは頑張ろうと。
でもこのままじゃいつか大損害を出す。
というか今の段階でまともに会話できないので
仕事にならないんだよなあ。
少しでもコミュ力ある人が本当に羨ましい。
みんな努力してるんだろうけど。
ときどきなんで生きてるんだろうって思う。
なんで「普通」にできないんだろう。
すごいな。
普通の人になりたい。
こんなこと書くと
「みんな頑張ってるんだから!」と言われそうだけど、
やっぱり違いはあるよ。
早く辞めて就活しないと。
辞めるまで気まずいなあ……
http://torack7.blog.fc2.com/blog-entry-565.html
寄せないと対向車線にはみ出すのも違反だし、それはそれで危ないんだ。
で、多少イヤガラセでやってる部分もある。
イヤガラセ、っていうと語弊があるけど「入らせないために隙間をあけない」ってのはあるんだ。
隙間があると歩行者や自転車が頭を突っ込んでくるからね。絶対入れないぐらい詰めろ、ってのは教えている所も多いと思う。
空けてあげれば歩行者も安心するのはわかるが、それが油断を生んでしまったら逆効果なんだ。
「危ないだろ!」って思うのはもっともだ。そう思ってもらうことが目的だからね。
ネットの裏側の仕組みとか、IT業界の仕組みとか、そういうことは全くよくわからないのだけれど、
自分がネットで、どこかのサイトにアクセスしたり、検索したり買い物したりすると、
その結果に従って、広告が表示されたり、おすすめが選ばれたりしているらしいっていうこと位は、なんとなく知っている。
で、疑問なのだが、実際に出てくる広告とかおすすめとが、全然、自分の興味をひかないのはどうしてなんだろう?
おんなじ広告(それも買う予定もない車の広告だったりする)が繰り返し表示されたり、
いや、今、違うジャンルの本読みたい気分なんだけど、って本ばかりおすすめされていたり。
まあ、たまに「あ、あれ検索したから表示されてるのかなあ?」と想像がつくこともあるのだけれど
「でも、それ、仕事で必要があって調べただけで、もう、その話、見るのも嫌なんだけど」ってこともある。
少なくとも、自分にとっては「逆効果」としか思えないことが多いのだけれど、
世間的には「上手くいっている」ことになっているんだろうか?
医学部出てるし、論文も書いてる。お前さんは、どこから低脳って結論出したのか理解できないな。思い込みだろ?
証拠としては何だが、「医学部は解剖生理などを低学年でやり、4~6年あたりにポリクリをやる」こんな感じでどうだ?医学部出た奴しかかけない内容だろこれ。
統合失調症は脳の病気だから、精神科で薬飲まないと治らないよ。
って別に考える考えないでなく、冷徹に答えが出てしまう。現状、それしか答えが無いとしかいいようが無い。
なぜ、効果も実証されてるものをやらずに、心理療法がどうこうと言い出すのか、むしろ逆効果。という反論が出る。
今回の増田も俺が書いたままじゃないの。他ないだろ。無いことが分からないのは、あなたの勉強不足なだけ。
話を盛れば、受け狙いの話がちゃんとギャグとして消費されてくれるだろうから。
受け狙いの発言が、受けもせず流されるのがとても怖かったから。
だから不器用なほどに保険をかけて、話を盛りまくった。かえって逆効果なのにな。
「彼らのあの笑いは、本当のものだったのだろうか?実は彼らは話を盛っている事に気が付いていて、
それでもなお得意げに話す俺の姿を憐れんで笑っていただけではないのだろうか?」
とか考えてしまうのだ。はは。意味ねー。どっちにしても不安なんじゃねえか。
いや、直接の因果関係はあんまないかもだけどよ。
やっぱ嘘つくのって駄目なんだな。
自分の中にそういう「弱み」を作るってことが、こんなに後々響いてくるもんだとは、子供のころの俺は1ミリも考えつかなかった。
DQNに提供する製品は車と電柱で十分。DQNは交通事故のロールモデルになって初めて社会的価値が生まれるんだよ。頑丈な電柱を作って車でぶつかってもらってトヨタの研究データになって初めて社会貢献できるんだよ奴らは!!
よくトヨタとかの交通事故の実験とかあるじゃん?人形を使ってるじゃん?あれ別にDQNとか日大生でもいいだろって毎回思うんだよね。シートベルトを装着してないとどれだけ人体が吹っ飛ぶかを人形で実証して動画で配信してくれてるけど、どう考えても生身の人体で実験したほうが視聴者に切実さを訴えることができると思うんだよね。脳みそグシャァッとか言ってさ、まじでビビるじゃん。車に乗りたくなくなったら逆効果だけど。
まぁトヨタの日本市場におけるメインの客層は地方のDQNだし、こいつらは自我を持っていない人形みたいなもんだから、トヨタとしてはDQNが事故って吹っ飛ぼうが電柱に激突しようが車買ってくれりゃなんでもいいんだろう。
実際には医者1に対して
>ぼく(問診だけでMRIどころか知能検査もしないではいそうですかと薬なんて飲めるか)
ってのを「今日初診で、問診票書いただけなんですけど、検査とかないんですか?MRIとか何か脳を調べたり、知能検査や心理検査をやるって聞いたんですけどやらないんですか?」ってな具合にオブラートに包んで直接聞いてるけどな。でもこれはそう書かなかった俺が悪かった。
医者1は「検査はしないし問診しかしてないけど話を聞いた限りではADHDで間違いない」と言い切ってその日のうちに処方箋書いてよこしてきた。
俺はそんなとこの再診を受けて薬を飲み続けるのは嫌だったんで、「次は何日に来てください」って言われてたのをハイハイと聞き流してそのままバックれた。空恐ろしくて処方箋はちぎって捨てた。
医者2が処方してる薬は発達障害の治療薬として通常選択されるストラテラやコンサータではない。
医者2は処方時点では抑うつ傾向を問題視していた。問診で普通にやりとりしてるうち前触れらしい前触れもなくぼたぼた涙が止まらなくなったりしたからだろう。
「私はあなたは発達障害だと思うが、現状は不安や抑うつが強すぎてそこの見極めができない。まずは不安を抑えて、不安のない状態でも(発達障害的な)簡易なミスをたびたび繰り返したり衝動や不注意で失敗したりということが起きるかどうかを確かめなければならない」という説明で、不安を改善する効果があり、かつADHDの衝動性を落ち着かせる効果も見込める薬を選んで処方してくれた。
その点では俺は医者2を信用している。話が理にかなってるからだ。
俺が腹を立ててんのは最初から薬に抵抗感があってなおかつ副作用でゲロゲロ言ってるってのにいかにも明るいノリで薬増やせばいーじゃん☆と言い放ったことと、睡眠外来の件の話のとき俺に睡眠の問題があるのが初耳みたいな態度でいたことだ。多分「薬を増やしても大丈夫ですよ」みたいなニュアンスで安心感を持たせようと思って言ったようだが完全に逆効果。
ついでに言うと、日程の都合が合わなくて受診できないとき、直接来院しなくていいから薬や症状について電話で報告しろと指示くれたことがあったんだが、そういうのは『電話受診』みたいな扱いでカネを取られるということをあらかじめ知らせてくれてなくて会計で初めて料金上乗せが発覚したとか、睡眠の検査結果が出たらそれは送るかそれとも次回の外来で持ち込めばいいかって件を相談したとき、確かに「私宛にしてこの病院に郵送してくれ」と言ったのに、その後の外来では「そんな相談受けてない、カルテにもそんなことは書いてない」とか言い出したりと、細かいところで話が食い違うことがぼちぼちあって不信感もじわじわ募ってはいる。あと何となく言動が「この人俺が発達障害だといろいろと都合がいいんだろうなあ」みたいな印象を与える。睡眠の外来の件も「◯先生が発達障害と睡眠の研究をしてるから、(来るんだったら)喜んで診るのに」と言われた。俺が困ってんのを喜ばれても不快なんだが。
お薬手帳をコピらせて口頭でも飲んでる薬を伝えたのに飲み合わせや離脱症状について一切コメントがなかったという時点で、ここに長くかかるという選択肢は俺的には無い。
特に飲み合わせの件、かいつまんで言うと「眠気覚ましを飲んでる間、持病の症状を緩和する・進行を遅らせる薬は効果が薄まる」ということが後から自分で調べてわかったんだが、この症状緩和がうまくいかないと俺は痛すぎて立てなくなったり動けなくなったりする。それで失神もしてるので、そういう事態に陥るととても困る。
専門特化してる医者に対して専門外の持病の方まで治療しろとは言わないが、「この薬を飲むとこっちの薬の効果についてはこういうことが起きます」ぐらいは知らせろよ。処方に責任持つってのはそういうことも含むだろうがよ。
あれがでた。
いまの賃貸でもう5-6年住んでいるのだけど、初めて小さいのがたくさんでた。
これまでは夏に1回外から来たと思われる成虫がでるかでないかくらいの頻度。
今回は室内か付近で卵が孵ったとしか考えられない。考えられないが考えただけで意識が遠のく気がする。
それですぐに薬局にバルサン的なものを買いに行ったのだけど、殺虫剤系のパッケージデザインというのはどうしてああなのか。
虫そのもののイラストをリアルにあしらわなければいけないルールでもあるのか。
殺虫剤を買い求めるような客は当然それが嫌いに決まっていて、禍々しいイラストがびっしりのスプレー缶や箱など手で触るのもはばかられるようなパッケージデザインに毎度嫌気が指しているのではないか。わたしはそうだ。
いつからか「G」という呼称が普及したようにも思うが、見るのはもちろん、ゴ…と口にだすのも嫌だと思っている人間はたぶんかなり多いはずだ。
そんななか、あのパッケージデザインやネーミングは嫌がらせとしか思えない。そして薬局の商品棚にはそんなのしかない。
たぶん殺虫剤であることをわからせるデザインというのは必要だろう(間違えて使って事故にならないように)。しかし、過剰なデザインは虫嫌いにとってはっきり逆効果だと云っておきたい。それしかなくてしょうがないのでいやいや買っている。
虫嫌いに配慮したプレーンなデザインの殺虫剤が出れば絶対そっちを買う。PBでもいいし無印やニトリでもいいが、中身がちゃんとした効果の信頼できる製薬会社がつくった殺虫剤商品であることがわかれば、それをデザインを変えてOEMでだしてほしい。イラストはアイコン的なものに置き換え。カラーリングは清潔感のある白系がいい。無印っぽいベージュなども無難。部屋にあってもさほどギョッとしない感じ。ホイホイ的なものもずっと買いやすくなる。
→の記事なんだけどかなり醜い状況になってる。 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495
当事者である弱者男性不在でフェミがいつもの手口で中傷的な人物像を作り問題を書き換えて、しかもフェミ仲間がケアとか処方とか言ってホルホルしとる。
あのなあ、お前らのやってることはカルト宗教が救済と言って信仰を押して付けるのと変わらんからな。
いや、カルト宗教を悪く言いすぎか。救済を目的とした宗教なら少なくともネット上で見えない相手を糾弾するようなことはしない。リアルに会って悩みを聞いたりする。
そもそも弱者男性がはてなにいる可能性は低いだろうに、そこで論じても被疑者不在で魔女裁判してるという状況にしかならない。
それから、間違ってほしくないんで言うけど、フェミは弱者男性を救えると思わない方が良い。
フェミは女性の救済のために男性社会と戦う教義とか理論武装を磨いてきたんだから、それに侵された頭で弱者男性の問題を扱えばどうなることか。
弱者像がフェミの教義によって陳腐化されたり別の物へすり替えられたり存在しないことにされる。フェミ脳では弱者男性を救えない。
そして今回のように無自覚に傲慢な正義を振り回して反感を買う。
差別問題界隈にも言えることなんだけど、自分たちの教義を振りかざして精神分析まがいのことまでして対象を裁いても意味ないどころか逆効果だと思うよ。
ファンには痛快だと喜ばれるだろうが、同時に醜いリンチを見せられた多くの人の信頼を失うことになる。
それとジェンダーフリーの理想に共感してフェミを応援してきた男は可哀想だけど残念ながら騙されたいうことで、他の方法を考えるしかないね。
反論の機会のためのコール→元記事著者id:font-da 、ケアの人id:c_shiika 、処方の人id:sofa220
この記事の存在を教えたものの、自分は文章書くのが苦手だし根比べをする気もないんで、反論書かれてもよほどのことじゃない限り放置すると思ってほしい。
http://www.torekiken.org/trk/blog/oshirase/20150525.html
第一に、日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(インドネシア・スマラン、中国・山西省で確認、朝鮮半島にも多くの証言が存在)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである。
国際的にも主流の見解であり, 女性の人権問題として現在にいたる問題でもある異論のない話だと思う。
日本軍「慰安婦」問題に関し、事実から目をそらす無責任な態度を一部の政治家やメディアがとり続けるならば、それは日本が人権を尊重しないことを国際的に発信するに等しい。また、こうした態度が、過酷な被害に遭った日本軍性奴隷制度の被害者の尊厳を、さらに蹂躙することになる。今求められているのは、河野談話にもある、歴史研究・教育をとおして、かかる問題を記憶にとどめ、過ちをくり返さない姿勢である。
ここでは「日本軍性奴隷制」という非常に硬直した語、 定義がそれほど緩くなく、議論を呼びそうな単語が入ってる。初出ではないのだが、あまりメディアでも登場しない言葉だ。この言葉が「従軍慰安婦」のように慰安婦問題の議論が錯綜することは、誰にとっても望ましくないはずだ。どうしてこの単語を入れてしまったのか、これは安倍政権にたいする敵意からの勇み足ではないか。
最近この議論に参加するときは拡散した論点の枝葉を切り落として本質に向かうような努力をしているのでこの言葉が入ったことに戸惑いを感じている。
また、安倍首相の極端な歴史認識に影響され感情的なベクトルが議論の両陣営に広がってることにも猶予せざるえない。熱くなった論争はイデオロギーの二極化を生みはじめてる。この対立の激化の行き着く先に光は見えない。
いま必要なものは冷たく、小さくても堅牢な言論ではないだろうか。政権の勢いに恐怖するあまり、闇雲に対処療法的な方法に走ることはもはや逆効果だ。安倍首相の就任から「ネトウヨ・ナショナリズム」問題にたいして行われた「レッテル貼り」が効果を上げていない現実から目を背けてはいけない。「攻撃のための言論」は真に人には届かないということを身を持って知りそれを改めるべきだろう。あるべき姿を見せることこそが道であり、鏡になってはいけない。論争の先になにを残すのか、それを心しておきたい。