はてなキーワード: 自己承認とは
ジャニーズの動画配信、LIVE DVDの配布が多すぎて引いてる。
見れなかった人やDVDを変えない人に対する善意だったり、自己承認欲を満たすためだったり、お小遣い稼ぎだったり。理由は何であれ違法だって認識してください。
・コンピューターウイルスが仕込まれてる
が考えられる。(それ以外ありましたら教えてください)
配布するときのリスクはもう知らん。早く警察のお世話になってくれ。
以前から配布を行っている方にやめましょう、とリプを送っている。反応は多い順に
①リプした該当の配布ツイートを消し、再度同様の配布ツイートをする
③鍵垢にする
④垢消しをする
⑤配布をやめてくれる
①と②が圧倒的に多い。犯罪を犯してるのはわかってる方が多いのではないか?罪の意識が少しでもあるなら、配布をやめてください。
フォロワーが3000人以上の無償配布を行っているアカウントを見たことがある。
ドリアイ、サマパラの動画を配布していたのだが、3000人が公式に正当な金銭を支払わず配布を受け取っていたと考えると、一動画あたり
1500円 × 3000人 = 450万円
こう言う長文を書くときは結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、
これは「何かに認められたいのに自分が自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描きの独り言」です。
途轍もない自己承認欲求と自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。
最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。
自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り
ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。
母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。
中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものだから、中途半端に絵は描けました。
田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。
しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。
20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし
私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。
周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。
当時の私は、自分が描く絵が好きでした。
誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。
今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラだから」と口癖のように卑下してしまうんですが、
もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。
私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います。
とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。
私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去の自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。
絵が上手くなりたくて、
認めて欲しくて二次創作をした。
同人誌も出した。
そうして一次創作をはじめました。
いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。
ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。
それでも絵を描くのはやめられませんでした。
絵を描くのが好きだったから。
そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、
何かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。
そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。
もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、
認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。
自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。
もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。
折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。
もうちょっと楽になりたいだけなんです。
楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。
評価なんて気にせずに、楽しく。
実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、
勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、
少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって
どうしようもないんです。
描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものがカバーして
いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかもちょっと下手な絵でしかない。
こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、
でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。
あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。
楽になりたい。
どこかで見かけた話ですが、
「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」
これ、首がもげるほど頷きました。
こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ
絵なんて描けない方が良かった。
とりあえず書き殴って満足しました。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。
最終的には楽な方。がんばらなくても一緒にいられる方。お互いに。
小中高と学校で(特に恋愛において)外見について馬鹿にされてきた人間がたどる結末は二パターンあると思う
自分の外見について極度に敏感になるか、相手の外見について極度に敏感になるかだ(異論は認める)
自分はそのパターンで言うと後者で、自分の容姿がいいわけでもないのに相手にかなり容姿という要素を求める
詰まるところ面食いという話だ
VRChatはほとんどがバビ肉をしているオタクの集団(偏見)で自分にはとても居心地が良かった
みんなバビ肉をしてるので当然顔がよく、顔がいいアバターに近づかれればちょろい自分はすぐときめく
お砂糖というのはつまり、VRChat内でイチャイチャを行う甘い関係のことだ
誰がこんな名称を考えたのかは知らないが、現実世界の恋愛という生々しい概念をVRChatに持ち込みたくなかったがためにつくられた隠語なのだと思う
VRChatは今まで現実世界で容姿に自信がなく恋愛関係を結べなかったオタクたちにとって天国だ
現実世界でどんなに外見が悪かろうともVRChatでは関係ない
VRChatでは身体接触の難易度が低いので簡単に美少女(中身の性別はさておき)とイチャイチャすることができる
VRChatをやったことのない人はそんな現実逃避した世界で恋愛ごっこをして何が楽しいんだと思うかもしれないが、アバターをなでられると満たされる気持ちになるし、可愛いといわれると嬉しい
キスまでいくと信じられないほど心臓がドキドキして正直現実と変わらないのではないかと思うほどだ
仮想世界と言っても結局自分が自分であることには変わりはないし、現実世界の延長なのだから当然と言えば当然なのだが、ここまで簡単に自己承認欲求を満たせる空間はそうそうない
そんなVRChat内でのお砂糖も同性同士のお砂糖と異性とのお砂糖は少し違って見える
異性とのお砂糖は大体大学生ぐらいの若い子が多く、実際リアルでの恋愛関係にまで発展していることも多い
中には夫婦でやっている人もいるくらいだ
同性同士はオフ会をするぐらいの中になったとしてもリアルでの恋愛関係になることは基本的にないと言えるだろう
あとこれは自分の偏見なのだが、自分の容姿などをこじらせていない若い男性は割りかしイケメンのアバターを使っている
そんなところに良くも悪くも仮想空間内での超えられない”リアル”を感じる
まぁ、そんなこんなでVRChatにどっぷりハマった自分だが、そんな自分にも程なくしてお砂糖関係を結ぶ相手ができた
しかも中身は異性で声が良くて優しくて自分のことをとても好きだといってくれる相手だ
最初浮かれて仕事も手をつけられないほどだったが、最近はどうしても一つのことにひっかかりを感じてしまっている
VRChat内ではそんなの関係ないのだから絶対に気にしない方が幸せなのはわかっている
でも、どうしても気になってしまうのだ
どうして自分は本当にめんどくさくてこんな嫌な人間なのだろうか
そう思いながらも耐えきれず自分の持っている情報をつなぎ合わせてネットの海を彷徨い、相手の容姿にたどり着いた
正直好みではなかった
なんで自分は調べてしまったのだろうか、世の中知らない方がいいことがいっぱいあるのに
相手は少し自分の態度の変化に気づいただろうが、でもいつもと変わらず、いやむしろいつもよりも優しかった
本当に優しくていい人なのに、自分の中は罪悪感でいっぱいだった
それでもいつも通り一緒に寝た
その朝起きた時、おはようといつも通り優しくしてくれる相手が愛おしかった
実際にもしオフ会とかで会った時、自分がどういう態度をとってしまうかはわからない
でも今はこの幸せに浸かっていようと思えた
多分長くは続かないひとときの夢だろうが覚めるまで…
以前からずっと感じていたことだが、人の採用に関わるやつの香ばしさはなんなのだろうか。
人材会社は基本意識高い系が多く、一般的な企業で就活生などに対してめちゃくちゃな対応をし、匿名掲示板に晒されるのも大体このポジションだ。
人の採用に関わる事でふんぞり返ってしまうのか、それとも元々人を馬鹿にするようなやつがこの仕事を好むのかは分からないが、あまりにも杜撰な対応をする割にはいっちょ前に意見を言うからタチが悪い。
某人材会社と関わった時も、ITエンジニアを増やしませんか?うちならこんなに弾がいますよ?とか人を弾扱いすることにも引いたし、何より営業の圧だけで中身がチグハグな事しか言っていない、典型的な意識高い系だったので皮肉を言ってみたがそれすら分からない馬鹿だった。
そして最近Twitterでフルネーム@〇〇のお母さん、とかいう感じで意識高そうな感じの本人写真でツイートしてる奴が居たら大体人材会社かベンチャーの人事で、やたらかっこええことを言っている。それこそ本でも書けそうなくらいに聞こえのいい言葉を書いているし、強い言葉を断言的な口調で書いているからか、似たような考え方を持っている意識高い系が分かります!とかやっぱり〇〇さんは凄いですね!とか内輪で褒めあっている。なんだこれ、ゴキブリホイホイか。
なお、人材会社も香ばしいが、人事もかなり香ばしい。特にベンチャーの連中はコンプライアンスもクソもない様なことを平気でツイートするし、露骨に態度が悪い。いわゆるホリエモンとかを崇拝しているやつが多いが、ホリエモンは例えそれをしても許される実績があるからいいが、ベンチャーにいる人事のほとんどは上記のようなゴミクズムーブをかまして、え?何が悪いの?みたいな感じである。
会社の社員が平気でベラベラ会社の内情を全世界に発信しているような会社に発展する余地はあるのか。賢い人ならわざわざそんな人材がいるような会社を選ばないだろうし、実力が伴った企業にいったり個人で何かしら事業を行っていることだろう。最近では、どんどんこの界隈が過激化していって、SNSでベラベラ喋るのは会社の力を借りてめちゃくちゃなツイートをし、個人の自己承認欲求を満たしたいだけのオナニー行為に見えるようになってきた。
ここ数日、
「5本の指で足りるほどの知人しかいないツイッターで呟こうとしても、自分の発言に重みが増して、彼らのメンタルに自分の存在が影響を与えてしまうのが怖くて呟けない」
と、防御機制の投影がお手本みたいに分かりやすくはたらいてしまっていた。さっき、そのことに気が付いた。それと一緒に、はてな匿名ダイアリーのことを思い出した。
匿名掲示板では自分のコメントが誰かとのキャッチボールになることではじめて価値があるような気がしてしまう。誰かもわからない人とのコミュニケーションが成り立った時過剰に興奮してしまうし(時代錯誤)、独り言になったときはどうにも喪失感を感じてしまう。しまいにはどうせなんのリターンも得られないのだ、と無意識にふてくされて、ほとんど思考停止でなんの推敲もせず言葉を垂れ流すようなことになってくる。それで余計に独り言になる確率が高まる、負のスパイラル。
ツイッターは、みんなに自分の話を聞いてほしい!というポーズを取らないといけないのが、恥ずかしくてできない。クオリティが必要な気がしてくる。他の人のツイートがいくらくだらなくても、自分のツイートの非は気になって仕方ないのだ(もう半年以上ツイートしてないけど)。
匿名ダイアリーのシステムは、匿名だけど、自分のエントリは保存されてずっと見返せる。
新着エントリのとこで人に見られるところを想像するだけで、自己承認欲求が満たせる。
なによりこうして文章を書くリハビリが、常に必要なんだ。書くことへの恐怖は書くことでしか、考えることへの恐怖は考えることでしか、克服できないのだっていろんな人が言っている。……にしてもひどいけど
家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情で公式からの供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。
その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。
その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ちで投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。
半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。
私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初の漫画は本当にひどい出来だった。
それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。
軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。
私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈や不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画はほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。
それが伝わったんだと思った。
2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初にRTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。
7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学がオンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。
ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。
私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。
最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。
私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現したかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいね、フォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。
私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSのアカウントは放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。
午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。
で、それが最初にRTしてくれた方と最初にフォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。
あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲や自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。
私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。
なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。
ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。
私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウントを放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。
まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロンを半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげです。ありがとうございました。
あなたに憧れていました、から入る、憧れすぎて憎んだみたいな呪いの怪文書が高頻度で来る。
内容としては、憧れ→憎しみ→勝てないとわかりました→やっぱ神みたいな最終的にコチラをあげるから、ラブレターと思って書いているのだろう。
こちらのクオリティが上がるにつれて、怪文書の質もあがる。読むたびにゴリゴリと体力が削られていく。マシュマロを外す。DMを閉じる。いろいろやっても、知りもしない嫉妬や憎しみが変化球のラブレターとして送られてくる。
そのぐちゃぐちゃの感情に晒されて、神同人書きが苦しむとは彼女らは少しも思っていない。自分に酔ってるから。というか酔わないとこんな文章書けない。人を神とか呼ばない。
狂ったラブレターに書かれた差出人の名前を、サークルスペースの前で告げられときの、あのこちらを見る目。吐き気や逃げ出したくなる感情を全く彼女たちは思いつきもしない。
ねじ曲がった自己承認欲求を作品として加工して、いつか神が見てくれることを願って送り出す人もいる。送り付けられる時もある。
ぐっちゃぐちゃの感情を詰め込んだラブレターやツイートを送ることが、または呪いが加工された作品を「戦いの場」に出すことを天啓だと思う人はもっと増える。
神なんていない。ただの人だ。
http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
Twitterでも観測してるし、特にはてブにランクインして目立ってるから上のリンクの人のことについて"アンサー"するね。先に謝っとくけど、Twitterで観測してるやつらに対する怒りも全部この人に向けてるから、結構ひどいこと書いてるよ。ごめんね。
なんか「猫ブログの猫が死んだ途端関連グッズが出たら引くでしょ」とか言ってるけど、いや違うだろ。ワニは死ぬこと確定してたじゃん。
そりゃ猫ブログ運営が猫を死ぬこと見越してグッズ展開の準備を虎視眈々としてたら引くけど、今回のワニは非現実存在かつ、初っ端「100日後に死ぬ」ことが確定してたわけじゃん。そして死ぬまでがコンテンツだし、死ぬこと含めてのコンテンツじゃん。流石に同一視するのは無理でしょ。
ワニ3日目の「気をつけないと死んじゃうよ!」なんてワニのセリフも、「いや死ぬのはお前なんだけどw」というシュールさも込みの面白さでありコンテンツだったでしょ。そんなに死を商業利用されるのが嫌なら、あそこでふるい落とされろよ。なんで全部見てんだよ。
この人は「作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう」なんてゲスパー言ってるが、俺からしてみれば、人気増田に「アンサー書いた」なんてブログ貼り付けて、「私は物語の力を信じている」なんて持論かましていかに自分が繊細かつ漫画から力を得てきたかを自分語りしてる時点で、「お前のほうこそワニ作者の気持ちを鑑みずに銭ゲバだと勝手に思い込んで、しかもここぞとばかりに人気作品に便乗してブログ貼っ付ける自己承認欲求塊マンやんけ」としか思えない。
この人は「キャラクターの死と金とのどっちを優先するの」の2択に「金」を選んだワニ作者および関係者が嫌かつ、コンテンツそのものも嫌ということなんだけど、「客」という視点が抜けている。あのワニの漫画の100日目は2020年3/21現在、74.1万RT、ファボ204.1万もされている。つまりコンテンツ楽しんでる側の客は204万人がいいねしてんだよ。
この204万人はワニが死ぬことを楽しみにしてきたやつで、ちゃんと死んでよかったと思っていいねしてんだよ。製作者側が死をビジネスにして死者に敬意を払ってないというなら、それに群がってたこいつらはなんなんだよ。同様に死を楽しみ、コンテンツとして楽しんでた同類だろうが。そこに金稼ぎを見出すか、見出していないかの違いこそあれ、死を楽しんでた同類だろうが。きちんとユーザーにも怒れ。まあブログの宣伝のためのファッション怒りだろうからしないんだろうけど。
「作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感するのだが、(中略)今回のはその俎上にも上っていない、論外である。」
としてるけど、うーんなんだろう。じゃあアブドゥルを殺した荒木は自然と湧き上がってくる弔意があるはずだから、喪に服して連載を止めろみたいな話なんですかね。アブドゥルが死んだとき、「え?マジでアブドゥル死んだの?」と思っただけでページを捲った俺は死者に敬意を払えない人間ってことですかね。まあそれでもいいけど。
この世の大抵の漫画なんて、死をコンテンツとしてるといっても過言じゃないだろ。意外なキャラをどう死なせるかとか、クソキャラをどう惨たらしく死なせるかとか、死ぬ必要はなかったけど話の都合上このキャラは死なせたよねとか、そういう作品ばっかじゃん。ガンツとかまどマギとか学校ぐらし!とか。
そういう漫画は、「死は儚い」とか「親友の死を乗り越えて成長」とか(寒々しい)テーマ乗っけて話を展開させてるんだけど、「死」をコンテンツとしてるのは違いないだろ。そういうのワクワクしてるのが俺らユーザーなんだよ。それともテーマが乗ってりゃ満足なのか?今回のワニも、「死は唐突で理不尽です」みたいなテーマはありそうだけど、それでもこの人は許さなくて、「死を利用して喪に服す間もなく商業展開していくのが気に食わない」って話だろ? 俺には全部「キャラの死を利用して話を描いていく」前述の漫画と同じに見えるけどな。構成が違うだけで。
「ただ今回はメメント・モリ(死を忘れるな)的なものが作品の中核テーマとなっているわけで、『100日後に死ぬワニ』は『コマンドー』とは違い「死」そのものの重たさ、日常と地続きに唐突に・不可避的に訪れる喪失を描こうとした作品であろう。そういった作品が死をテケトーに軽々しく扱っているのはどういうわけだ。これはあまりにも不誠実だと思う」
いや、メメント・モリがテーマなのはそうだけど、「メメント・モリを扱うときはテケトーに軽々しく扱ってはならない」ってルールはどっからきたの。全部お前ルールじゃん。
アブドゥルだってテケトーに死んだだろ。「お前がピンチでも助けない」とか唐突に死亡フラグ立てて、その後すぐに仲間をかばって死ぬとか、テケトーやろ。少なくとも俺にはそう見えたぞ。
100日間丁寧に日常を描いて死んで見せたワニの方が、よっぽど丁寧にメメント・モリしてたけどな。
「コマンドーのキャラは適当に死んでもよし。俺の好きなキャラは軽々しく死んではないから重みが違う」なんて、人の死をランク付けするなんて何様だよ。
男の胸に男は性を感じない人が多いけど、女の胸には女も性を感じる。
女性:男性 の sexy point が 2:1 の対応なので、男は股間に言及するしかないんだろ。
それを女は不公平だと騒ぐ。
性ってば、子孫へと世代を繋げるための大事な要素で、でも普段から意識する必要性は低いし、おおやけにするものでもない。
子を産み育てるには、女の2つの sexy point が必要なのだ。
男が普遍的に自分のおっぱいをあげることは、どうやったって無理なのだ。
だから女は女を隠せと言う。
一方で、乳首を隠さなければならないのは女性の人権侵害であると言う。