はてなキーワード: 自力救済とは
行政が動かないゆえに信者家族の「自力救済」として法に抵触する行為がおこなわれてしまった過去だと思う
この延長線上には山上による安倍元総理銃撃という自力救済がある
自力救済によらなくても統一教会被害者が救われる道を拓くべきだった
(現実には国は「拉致」「監禁」の自力救済を一部違法とする一方で、統一教会に対しては何もしなかった)
統一教会の信者を親族が囲い込んで接触を断ち、抜けるように指導するのは「保護」であり「説得」だ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/colette202001/status/1573851325745733633
いやいや、それは強盗ですやん
警察に頼んで逮捕してもらった後に、戻ってくるかもしれないけど、勝手にやったら強奪よ
例えばだ、(洗脳されたと思っている家族を取り戻したい親族が)、共産主義の集まりや、フェミニズムの集まり、ゲームばっかりやってる付き合いとかそういうのからさ
接触しないように囲い込んで「保護」し、その状況で考えを改めろと「説得」し、考えが変わったようなケースを嬉々として親族が呟いたら
こういうのをさ、きちんと切断分離して、理路整然と統一協会を相手にした場合は許されるのだ
と言える奴いるのかね?
普通はこういうトラブルは警察や行政を頼れよ、って話だけど、その警察や行政が相手にしてくれないどころか相手と繋がってるってんだからな。「自力救済の禁止」なんか糞食らえだってなるよなあ
ustam どうして山上は救われなかったと思うんだろう? 復讐を達成できて救われた気持ちなんじゃないかな。復讐って達成されなければ救われないので。赤の他人が、復讐の憎悪から解放するなんて不可能だと思うし。
なんでこんな酷いことが言えるんだろう
安倍を殺したのは復讐じゃないし(本当に憎んでいたのは文鮮明一族)、そして最初から復讐を望んでたとは思えない
その途中途中ではカルトにハマらない母、兄が助かること、自分や兄妹を助けてくれる人、統一と一緒になって戦ってくれる人が欲しかったんじゃないか?警察や政治家がカルト被害者のことをもっと顧みてくれたらこんな孤独感に苛まれることもなかったんじゃないのか?
救われる方法が彼自身が犯罪者になることだけだなんて、何でそんなことを言うんだろうか
彼が元から暴力による自力救済を望んでたとは到底思えない、だって銃に執着するさまを「まるで統一信者のようだ」と自嘲してるじゃないか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707601000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220708/k10013707681000.html
やらんけど。おれも犬を飼っていた。そいつはずっと前に死んだけど、いまでも夢に出てくることがある。だからやらない。
でもな、犬猫の迷惑というか、犬猫の飼主の迷惑を普段から被っている奴らが、ペットフードに針入れてやろうかと思う気持ち、わからんでもないんだ(やらんけど)。
都会に住んでいてびっくりするのは、どんだけ意地汚い犬の飼い主がいるかっていうことなんだ。
この前、住宅街を歩いて駅に向かってたら、チワワを3匹連れたおばちゃんが目の前を歩いていたんだ。おばちゃんは辺りをキョロキョロ見回して、挙動不審な感じでな。次の瞬間、チワワのウンコが入っているらしいスーパーの袋を縛ったやつを、道端のごみ収集カゴに差し込んでスタスタ歩いて行ったんだ。
おばちゃんは交差点を曲がる時おれに気づいて、こっちの顔を睨みながら立ち去って行ったよね。こっちは最後まで何も言わなかったけど。
そこの区は燃えるゴミを回収する時、カラスが寄り付かないように、地域住民はゴミの日にカゴを組み立てて、ゴミ袋を入れるんだけど、チワワのおばちゃんは、畳んで道端に立てかけてある空っぽのカゴの隙間に、わざわざクソ袋を差し入れて去って行ったんだ。
そこの地域の人がゴミの日の前日だか朝だかに、カゴを手に取ったらどうなると思うよ? ウンコが入った袋が足元に落ちてくるんだよ。夏の暑さに数日さらされて、腐り始めたウンコの袋が。その地域の人がいったい何をした? いったい何の罰ゲームなんだよ。
そこの地域住民みたいに、不条理な体験をさせられると、やってやろう気持ちになってくるの、わからなくもないんだよ。もちろん日本の法律で自力救済は禁止されてるから、動物愛護がどうのこうのいわなくても、他人の所有物を破壊した人間は罪を償わなくちゃいけないだろうさ。でもな、いくら言っても聞かない奴、他人が見てないところだと完全に規範意識が吹き飛ぶ奴の被害を繰り返し受けて、黙っているかどうかは別の話だと思うんだよ。国や自治体が犬猫にそこらじゅうにクソさせるのを禁止できないで、現に自分たちが被害を受けていて、防ぐ方法がなかったらどうするよ? 地元の議員に相談したところで、犬猫にクソさせるのを禁止できるわけもなかろうし。
そんなときにさ、怒りとか憎しみが暴走して、やってやろうという気持ちになるのは、わからんでもないってこと。やらないけどな。
犬猫を自分の家族だっていうなら、てめえの家族がひり出したクソぐらいてめえで片付けたらどうだ。それができないなら家族がどうのとほざくなってこと。
非モテ界隈みたいな感じで弱者男性界隈が立ち上がって、そこで弱者男性をめぐる議論が練り上げられて外に向かって発信されるようになったら、非弱者男性側の弱者男性理解も今よりずっと進むんじゃないかな〜と思う。
非モテ的なコミュニティが絶滅したずっと後に、ミームとしての弱者男性に置き換わった。
生産性という意味で非モテのあり方が理想なら、なぜ置き換わりが起こったのか。
今朝見かけた、非モテと弱者男性はそもそも求めてるものが違う、って説が妙に頭に引っかかっているんだよ。
「男性同士がバーベキューをして自力救済すればいい」っていうフェミニストのアドバイスは、記憶が正しければ非モテ界隈消滅後に言われた言説だったと思う。非モテの活動はむしろ、そういったホモソーシャル的傷の舐め合いを実現しているではないか。それはもう実質的な家族だろう。
弱者男性が夢みる家族を得て、しかし恋愛への憧れは消えないままに、非モテはどこに辿り着いたのか。
その手続きを「組み戻し」といいますが、今の法制度では口座名義人の了解が必要です。
一度口座に入ってしまったら、不当利得であってもその時点では口座名義人の実効支配下にあり、かつ日本では自力救済が禁止されてるので。
本人の了解を得るか、裁判所の決定を得てからでないと口座の金に触ることはできないの。
唯一の例外として、本人が口座のある銀行に借金してて、かつそれが返済不履行になってて期限の利益(当初約束の返済時期まで返済を待ってもらう権利)を失ってる場合、銀行は誤振込であっても口座名義人と振込人の了解なしに一方的に借金と口座残高を相殺できる。これは誤振込した人が銀行を訴えたけど負けて、判例で認められている。(名古屋高裁平成27年1月29日判決)
tetsuya_m 何も矛盾してないと思うんだけど、不快な表現に晒されない権利は主張するが行政が表現の規制をすることには反対、うん普通に両立する
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718035311662729634/comment/tetsuya_m
wuzukiさん がスターを付けました。
yykhyykhさん がスターを付けました。
yas-malyas-malさん がスターを付けました。
ちょっと詳しい人に聞きたいんだけど、「不快な表現に晒されない権利」が表現の自由を制限するに足る重大な権利として存在しているなら、行政はそれを護持しなきゃまずいんじゃないの?そうでもないのかな。あるいは自力救済を肯定するのかな。
「あなたには権利がある。しかし行政それを守らなくてよい」ってのは、なんか『1984』の「二重思考」みたいで困惑してしまうのだが……。
おかしいのは私のほうなのかな。
なぜなら「場で受け入れられている(ように見える)1人を標的にしたからかい」に個人が対応するのは決して簡単ではないから。壇上で話して観客をつかんでいる人は一種の「権力」の座にいるのであって、1人の観客、中でもターゲットにされた人間との間にはすでに大きな力の差があるのだ。それはそもそもFairな状況ではない。たとえば「いじめ」を思い起こしてみれば簡単に分かるだろう。すべての「いじめ」に対し、「一人前の人間なら自力救済できるのだから、口を出すのはその人を一人前扱いしないことだ」などと唱えてすましているやつがいたとしたら、そいつは単なるクソだ。見て見ぬふりよりも悪質な、いじめの共犯者ですらある。
だから、とりわけターゲットにされた人間の内心に共感でき、行動できる第三者がいれば、その人が行動するのは「義」によるものであり、方法はともかくとしてその行動原理に批判される点はない。それは、もちろんターゲットが男性であっても同じことだ。たとえば、今回ウィル・スミスが腹を立てたのがたとえば友人の男性のためであったとしても、私の意見は全然変わらない。ウィル・スミスの行動は「義」によるものであり、否定されたり男女問題などに矮小化されるような話ではない。むしろ、この増田のようなことを考えるせいで「義」なる行動がとれなくなるのだとしたら、それこそポリコレ棒の弊害だ。
ぶっちゃけアメリカと日本での反応の違いは、平手打ちしたあとのウィル・スミスの罵詈雑言のニュアンスの受け取りによるのではないかと思っている。あそこでウィル・スミスはあきらかにキレ散らかしており、”良識派”の人たちとしてはかばいづらい様子ではあった。だがその前の、親しい知人が侮辱され、その人に代わって怒る、という行動自体には何ら不適切な部分はない、というのが穏当な見解というものだと思う。
余談だが、なんでもジェンダーの問題にしたがる人は、聞きかじった知識を振り回して「啓蒙ごっこ」をやってると、こうやって、別の人権侵害に加担していることになることすらある、ということに気付くべき。棒を手にするなら「棒を振り回すと危ない」という最低限の認識くらいはもつ必要がある。