はてなキーワード: 歯槽膿漏とは
両親が統合失調症だが父親が通院しながらなんとか仕事をして子供二人を育ててた。一般的な常識とかを教わることがなかったので世間とのズレが大きくて、よく笑われるようなことをした。挨拶がきちんとできない。小学校で友達ができてもすぐに友達の親からのチェックが入って友達をやめさせられた。何人か友達でずっといてくれる奴がいたのが救いだった。誕生日会とかクリスマスとか世間のお祝い事の日に何も起きなかった。靴下を置いていてもなにも入ってなかった。中学生ぐらいになると自意識過剰になりボロアパートで過ごしてることや親のことが恥ずかしくて堪らなかった。家庭訪問とか地獄だった。毎日毎日母親がテレビに向かって殺すぞ!っと叫んでてうるさくて仕方なかった。家の誇りとか親子の愛とか理解ならぬ世界でした。高校ぐらいになったころ母親が通院するようになり病気が改善してきた。いつも怒鳴り散らしてて近所でもいろんなことをやらかしてきた母親が人間らしくなったことにしあわせを感じた。歯槽膿漏で腐りきった口も治療し入れ歯になって話しても臭くなくなった。パートにも出るようになった。父親が統合失調症でこういう方面の問題解決能力がないため、母の治療が遅れたことは残念で仕方ならない。今思うと母の兄弟などが公的機関に相談するなどしてくれても良かったのではないかと思う。うちは完全に見捨てられた一家であり、外部の人が助けてくれることはなかった。
それから数十年、私も結婚し子供を得た。ところでパートナーは境界性人格障害だった。外面はいいので外から見ると幸せな家庭に見えたかも知れない。だがな家は拷問だった。パートナーの意にそぐわぬことをするとパートナーが激怒して無言になりいつもしてることをしなくなる。どこかに出かける約束だったのに行かないなど日常茶飯事。家のチェーンロックがかかって家に入れない。全身痣だらけ。服を切り刻まれる。本を破き捨てられる。元恋人と会う。オーバードースで救急車に運ばれること数回。実家で過ごしてるときは私と一緒にいないでいることと、家事をしなくて済むこともあり安定していた。それで実家にお世話になっていたところ義母から離婚を要求され数ヶ月考えたが受け入れることとした。
今一人で暮らしている。とても暗く寂しい。思うんだが人生通して幸せの比率は全く変わってない気がする。2割幸福、8割不幸という感じで。子供の頃の不幸な時代は未来に希望があった。家から出て暮らせば幸せになれると。大人になって結婚して外面はよくなったが、家庭はメチャクチャだった。
ある種の運命のように私自身が幸せになれる量というのが決まってるような気がする。子供の頃が不幸だった故に大人になっても幸福になってはいけない、幸福になる権利がないようなそんな意識があるような気もする。
歯医者さんなどからみてそれはやばいというのがあったらご指摘ください。
対象者は、普通に電動・主導歯ブラシで念入りに磨いてもなんかすっきりしないなー。
ジェットウォッシャーの某ドルチェとかほしいなーなんて思ってる人。
ドルチェを買うに前に試してほしい。歯ブラシだけに比べてだいぶすっきり感が上がる。
要は歯間ブラシに液体ハミガキつけて使ってみて!ってこと。
まあ1年半ほど前に歯医者で歯間ブラシ勧められてからこのやり方を自分で確立した。
歯間ブラシとかで歯茎から血が出るのはやはり程度の差はあれ歯槽膿漏またはその予備軍らしい、と。
当時4箇所ぐらい血が出る歯間があったけど、今では0箇所になったし、何と言ってもハミガキ後のすっきり感が段違い。
それに朝起きた時の口の中の気持ち悪さも圧倒的に減った。
液体ハミガキは多少刺激があるやつの方がすっきり感も得やすい。
ただ激辛で有名な某リス◯リンはうがい用の透明なプラスチックのコップが曇グラスみたいになったのでちょっと怖いのでオススメしない。
歯の知識について無知な人は歯医者が「虫歯です」と言われてしまうと治療しないといけないと考えてしまう。
でも本当はただ歯周病だったり歯槽膿漏とか歯石が溜まってるとか歯茎が腫れてるとか膿んでるとかその辺が痛みの凡その原因だったりする。
本当に虫歯である時は磨き残しとか関係なく本当に痛いし、指で歯を触るとグラグラしたり穴が開いてたりする時に限る事が多い。
たまに歯医者が痛い箇所をコンコン叩く時があるけど、それで痛むとしたら虫歯でなく歯茎に響いてそれが痛いと感じるだけである。
実は虫歯というのは、割と見つけやすいもので鏡などがあれば肉眼で見える(個人差あり)。
ちなみに口臭が臭いのは虫歯が原因ではなく歯周病が原因だったりする。
恐らく患者は知らず知らずのうちに虫歯でない箇所も虫歯判定を受けて虫歯治療と称した金儲けか実験台にされているのだろう。
歯の神経を抜くのも実は儲けの一つである。
ある意味歯医者の申告制であり、優秀な歯医者ほど神経を抜かずに手作業も含めた治療を行うが、
やたら神経を抜きたがる歯医者は患者の事を考えない危険な医者であり、そういった所に通う事はあまりお勧めしない。
今は開業歯科業が空前のブームではあるが、腕の良い歯医者は大抵県庁所在地単位で「街の優良歯科」に認定されていて
そういう所を探せば良いと思われる。
そういう所の歯科医は神経を抜くよりも執拗に念入りな歯磨き(特に歯茎辺りを磨く事)を推奨してくるため、子供にも大人にも優しい所である。
歯医者選びには慎重になって欲しい所だ。
それを忠告できる間柄であればいいけど赤の他人ならホームレスレベルで見下してる。
自分の匂いは自分で気付ないと言われますが。風呂は入れよさすがに。
風呂入ってもきちんと洗えてない。くさい。デブで汗っかきならなおのこと気を遣え。
地球はお前のために回ってるわけじゃない。
体質的に磨かなくても虫歯になりにくい人もいるみたいだが、あとで歯槽膿漏になっても知らんぞ。
センスがないとかいつも同じ服とかはしょうがない。俺も文句言えるほどオサレではないし。
せめて洗濯しろ。漂わすな。さすがにデニムはひと月で洗えよwファオタかよww
クチャラーとか箸の持ち方悪いと、こいつとは食事したくねーってなる。
まー、どうしようもない奴はファーストフードだけ連れてくけど。
焼き肉とか鍋物とか複数人で食べる系は絶対タブーだね。本能丸出しで奴ら食って掛かるからな。
去年正社員の仕事を辞めて、パート職になった。お休みがきちんととれて平日の夕方には自宅に帰れる生活は以前とは比べようも無い位に快適だったけど、そのうち時間をもてあましてしまい、何かボランティアをしてみようと思い立った。
市役所のメルマガから動物愛護のボランティア情報を見つけて連絡したのは、猫が好きなのに猫アレルギーで飼えないから。せめて外で猫を撫でくりまわして溜まりに溜まった猫欲を発散させようと思ったのだ。
その団体はもう20年近く、この町の犬と猫の保護活動をやっているそうで、保護した犬の散歩や野良猫(地域猫と言うらしい)への餌やり、避妊手術、あとは定期的に開くバザーの手伝い(色々なものが寄付で集まるので、2ヶ月に1回くらいやっている)などが主なボランティアの内容だった。もちろん、保護した動物たちの里親募集もやっていたけど、それは一時預かりができるボランティアさんたちが担当しているらしく、私は担当外。
朝餌やりの場所である神社に行くと10匹を超える猫達がにゃあにゃあと鳴きながら
強いものが弱いものを押しのけ、若い猫が年老いた猫の餌を横取りする。
えさを食べる前は体をこすりつけて甘えてくるくせに、食べ終わったらクールに
去っていく。たまに甘えてくる奴もいるけど、どうやら私のバッグの中の特別な猫用のお菓子を狙っているらしい。まあでも、そのつれなさも含めて野良猫らしい。
さて、餌をやっている時に周囲から話しかけられることは結構ある。好意的なのが8割、否定的なのが2割くらい。この2割はけっこうきつい。近隣のおじちゃんやおばちゃんで、1時間くらい離してくれない時もある。
「猫の餌をやるから猫が集まってくる」「ふんやおしっこの被害を受けるのはこっち」「車のボンネットがおまえらの猫のせいで汚されるから毎日掃除をしろ」「動物愛護の気持ちはわかるけど、どこかもっと迷惑にならないとこでやって」
こちら側の主張は「避妊手術をすることでこの町の猫の数は以前よりずっと減った」「今いる猫達は野良が繁殖したんじゃなくて、飼い猫達が捨てられて増えたもの」「管理して、餌をあげる事で野良猫がゴミを荒らしたりする事も無い」「餌をこぼしたりしないように掃除もしている」
ただ、このお互いの意見は相容れない。こっち側は「野良猫が地域社会と共生できるように活動している。トータルで見たら私達が活動する事で野良猫の被害は減っている」と主張しても、やっぱり彼らにとっては「自分たちが特段に不利益を被っている」わけで、じゃあ彼らに完璧に迷惑をかけずに活動をすることが可能か、となったら、たぶんそれは不可能だ。
活動の趣旨はあくまで地域猫の愛護活動であって、この町の住民が野良猫の被害を受けない様にする事、ではないから。野良猫はだいたいが猫エイズか白血病にかかっていて、ある程度の歳になったら歯槽膿漏でご飯が食べられなくなり、縄張りの片隅で若くて強い猫に遠慮しながら生きている。餌やりボランティアが彼らの所に足を運ばなくては、確実に死んでしまう。山奥で誰にも迷惑をかけずに餌やりをしていろ、と言われてもそれでは助けられない猫がいるのだ。その時に、こちら側は愛護活動を優先する。
私は「あなたがやっていることは社会的に間違っているし迷惑な事だから辞めなさい。」と他人に言われた事が今までなかった。政治的主義主張も極端には無いし、イデオロギーも宗教も無縁な生活を送って来たし、学生時代もそこそこ真面目だったし。私は常になんとなーくこの日本の、マジョリティ側(世間一般側)にいた。社会的な問題に対して真剣に議論する事や自分の立ち位置を明確にする事無く、この歳まできちゃったのだ。
今まで自分が当然の事のように思っていた
「社会的に良い事はどんどんやったら良いけど、そのことで誰かに迷惑をかけるならやるべきではない」という考え方は一見公平なようでそうでもなかったんだなーとか、じゃあ私は社会的に良い事の為に自分が迷惑をかけられることに果たして寛容だっただろうか、とか。そんなことを考えている。
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。
そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。
なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本に未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵の精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人の時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料のコンテンツに収益を載せる構造が完全に成立している。
そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界の雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。
還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲを通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。
見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初は古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。
オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。
あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。
目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。
俺は自嘲的に思いながら、家を出た。
「よう」
木のテーブルとコーヒーの香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。
「俺らの生きてるうちには出るさ」
定番の挨拶を経て、新作の話などをする。
エロゲ業界もクラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的なアニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。
しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。
ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。
かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的なテンプレは、癌の告知から始まって、主人公がタイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。
特養老人ホームを舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分のルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護―地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。
そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。
エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。
「時間を止めて、待っていましたよ」
そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近は俳句がちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄りが俳句を嗜むのかわかったような気がする。
この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈を言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。
「それじゃまあ、新作の披露といきますか」
3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。
では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。
「コンドームかぶせてむなし秋茜」
「ほぉ……」
「確かにむなしい……」
「もう勃起しねえしな……」
場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生の黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。
「では次はオイラが」
オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人が他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。
「我慢汁 集めて臭し俺の川」
「川になるほど出ねえだろ……」
「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」
「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」
「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」
「もうだめだ」
「だめだなぁ……」
俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。
「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」
ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。
「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」
店主、あんたは勝ち組だ。
人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。
予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。
全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングのひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。
ゲームを起動する。
「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」
老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。
さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。
ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。
9月の中ごろに紹介予定派遣で働き始めて、6ヶ月間のプロジェクトの後、本年の4月に正式採用されました。
入ったときのチームは50代の管理職の男性上司と40代のプロジェクトリーダー、20代の若手社員、30代の自分と全員男性でした。
リーダー指導の下、プロジェクトは順調に進み、自分も正式採用となり大変嬉しく思っていました。
しかし、次に配属されたチームが問題でした。
こちらは管理職上司(前回と同じで色々と責任者を兼任している)と、30代の女性リーダー、20代の女性です。
前プロジェクトと同じように成功させるるぞ!と意気込んで取り組んだんですが、女性陣の様子がおかしいのです。
・自分が挨拶すると、Rさんはガン無視、Nさんは顔を背けて会釈(ショックというより器用だなと思いました)
・打ち合わせのとき、自分が発言しようとするとRさんに「後でまとめてメールにしてください」と遮られる
・自分が席替えで来る前は、RさんとNさんはデスクで食事をしていたらしいが、外に行くようになった
・休憩から帰ってデスクに付くと、隣の席のRさんがこれ見よがしに席をはずす、たまに向かいのNさんもいなくなる
・狭めの通路があるんですが、鉢合わせになるとUターンされる(お互いが壁によれば普通にすれ違うことができる)
自分では前プロジェクトでは成果を出し、上司にはそれなりに評価されているので、なぜ無視されているのかさっぱり分かりませんでした。
もしかして知らないうちにセクハラしてしまったのではないか、自分は女性経験があまりないので知らず知らず怒らせるような事を言ってしまったのではないかなどの考えが、頭の中でグルグルしていました。
ゴールデンウィーク中は悩みに悩んで、休みが明けたら上司に相談しようと決心しました。
そして出勤日、上司は午後からの出勤だったので午前中は悶々と過ごしました。
悩みすぎたのか、腹の調子が悪くトイレの大の方にこもっていたときに、とんでもない事が起こりました。
ちょっと汚い話ですが、そのときは下痢便で臭いもきつかったので、トイレの換気扇だけでは不安で窓を開けました。
そうしたら人の声が聞こえる。自分が滅多に聞くことの無いRさんとNさんの話し声でした。
そこで初めてなぜ自分が無視されているかを知りました。
・口が凄く臭い、話しかけられたくない
・タバコ休憩が多くてむかつく、しかも戻ってきたときに凄く臭い
避けられている理由が「くさい」、しかも吐くレベルとは、とてつもなくショックでした。
歯科検診でいつも歯槽膿漏一歩手前と注意されるけど、まだまだ大丈夫だと思っていました。
話の中で「なんで喫煙者がコーヒー飲むと、ウ○チの臭いするんでしょうね~(笑)」と聞こえてきたときは、自分の口は今下からでているこの下痢便と同じ臭いなんだ思えて泣けてきました。
あまりのショックに個室でボーっとしてしまい、「ずっと個室が埋まっている」と心配した他の男性社員に救出されて、体調不良と言うことでその日は帰りました。
次の日は芳香剤が置いてあったらどうしよう(『ブラック企業に勤めてるんだが限界かもしれない』でそんなのありましたよね)とか、前のチームのみんなもきっと臭いと思っていたに違いないなどと、不安いっぱいで出勤できる状況ではなく、もう一日休ませてもらう事にしました。
歯科に飛び込んで口臭の相談をしたり、ネットで電子タバコは臭わないかなど必死に調べたりして過ごしました(ここで禁煙できない自分が本当に嫌になります)。
それからは、極力タバコ休憩を減らす(1日5~6回から2回)、コーヒーは飲まない、口頭ではなくメールで済ませるなどの対応にしました。
相変わらず女性2人は冷たいですが、自分にも原因があるので、なんとかして口臭も関係も改善したいです。
業務内容や待遇には不満は無いので。
すいません、なんだか長くなってしまいました。
女性の方が、臭いに敏感だと思いますよ。