はてなキーワード: 弁当とは
共働きが少なかった時代は、母親が外で働いてる家では家事にリソースを避けなくて当たり前で料理はレトルト上等、弁当は冷食メインか買い弁が普通の雰囲気だったな。
それがプーチンのCOVIDへの恐怖であるのか暗殺の可能性なのかは関係しない。プーチンが最も信頼している者の接近を恐れるのであれば、いったいどうして彼自身と大切な者を破滅することを選択できるであろうか? ( 翻訳終わり ) 姉.街.も.か.わ.い.い.?.そ.れ.は.そ.う
1: スラブ系言語と英語の間で翻訳を行えば imminent(寸前である) と inevitable(不可避) の単語間距離がなくなることが知られている。注意を要する。
2: what [guided [those in charge] [to decide [to proceed with [the execution of [this operation]]]]]]]]]
3: Ref. Elementary Quintessential Russian(5th Ed.) (Mingmei Publishing, 2032), pp. 1337
4: Ref. Language in Memes: Russian State Organizations and Media (Miskatonic University Press, 2048), pp. 1D6
5: 「 欧 州 からの人道支援」だと!? ロシア人民よ! 君たちのアイデンティティはアジアにあるのか、ヨーロッパにあるのか!? モースコヴァは欧州の先進都市か、アジア北東の秘めたる地なのか!? はっきりし給え! そんなことだから君らはキラキラ西側ヨーロッパに対するコンプレックスがいつまでも抜けず神話を求め独立国家を侵略して解消を図るような羽目になるのだ! 先の戦勝予定稿でもその通り自爆していただろう!
6: "“Denazification” and “demilitarization” are not analytical categories because they don’t have concretely formulated parameters by which meeting of the objectives can be evaluated." 和訳者はこのような文章から冷戦期にしばしば見られる美的な目的によって重厚なコンクリート建築特有の陰鬱に湿っていながらほとんど性的快感を呼び起こす特有にホラーショーのような大気を肺いっぱいに吸引することができ、そして吐きだすことができる。この文章に限っては帝政ロシアから引き継がれた華美な外連味を覚えるが気分を変えるには大変よいと言えよう。
7: 「──の可能性を排除しない」という表現はロシア研究者の使う表現であるようで、「──と考えるが、職を賭すことは避けたい」と解釈してよいようだ。
8: 水爆に用いられるプルトニウムの半減期は、文明よりは長い。この十年という数字はこの文書の外でも随所で囁かれているが、どうもプルトニウムを使った熱核兵器に用いられるトリチウムの問題のようだ。トリチウムは半減期が12.32年と短く、24.64年で1/4に減じてしまう。崩壊したトリチウムは安定なヘリウムに変化し、これを内部のガス容器から取り出して補充しなければ爆発規模が漸減するようだ。読者もりっぱなトリチウム夜光時計の光がすっかり暗くなってしまって残念だという声を聞いたことがあると思う。
9: おそらくこの文書が書かれた後の話ではあるが、問題のプーチンがソ連時代から続くフラッグキャリアたるアエロフロートのぴちぴち若手女性CAを卓にぐるり侍らせ、揃って弁当を食べる会食を開いて大変楽しんだような報道がある。新型コロナウイルス対策としてはご法度もいいところであろう! だいたい、人の容姿にけちは付けないが化粧の趣味が悪い。極東においてすら脳筋残念地雷系の地位が必ずしも高くないことは和訳者にとって大変不満である。人は顔、顔は芸術、芸術は爆発、そうだろう(†昇天†)。
正直に何がいけないか伝えていけば、その内増田に作るのが嫌になって増田が自分で作れるようになるんじゃないの?
もしくは作ってくれた弁当の美味しいところだけ褒めて偏食気味にしてもらうとか
働いているんなら自分一人で生きていけるだろうしさ
春になったらおかしくなってしまったかのようなお客様が続々と来店。
ストーカー客の父親が久しぶりに来店。この人が来ると数日後にストーカー客本人が現れる。迷惑。
それと最近よく出没するらしいのだが、店の出入口にわざとラーメンの食べ残しを捨てて行く客も来店。AさんとDさんがそいつに腹を立てて、その客が店を出た直後に店の外へ出、その客の車の真正面とか店の出入口の所に立って、ラーメンの食べ残しを捨てられないようにガン見で見張るという荒業で対策している。
昨日も、Dさんがラーメンの食べ残しを捨てて行く客の車の真正面に仁王立ちして睨みをきかせていたので、ラーメン残し客は逃げるように去って行った。
戻って来たDさんに私が「ずっと何も言わずに立って見てたの?」と言ったら、Dさんは、
「やっぱり直接、捨てるなって言った方がいいですかね?」
と言った。
いや……喧嘩を仕掛けに行くんじゃなくて、「残ったスープ、お片付けしましょうか?」って声かければいいだけだよ……。大抵のコンビニには汁けのある残飯を捨てる場所はないから、捨てたい人は店員に声かけてとか、貼り紙してあったりするじゃん。
当店のゴミ箱、夕方に溢れそうになっていがちなのも、外にごみを捨てる人に言い訳を与えてしまうやつなので、ゴミ箱のチェックをマメにするという対策もあるんだが、DさんとAさんは相手が悪いと思ったら反撃という名の攻撃をするという選択肢以外、見失なってしまうっぽい。
相手をガン見するだけでも喧嘩売ってるのと同じだし、女子の場合気があるのかと勘違いされてストーカー被害に遭うということもあるから、そういうことはやらない方がいいんじゃないだろうか。
事務所の机に弁当が一個置いてあり、その上にメモ書きが添えられていた。シフトリーダーの字だ。なんでも、昼によく来る年配客が弁当を買おうとしたのだが、お金を持っていなかったと。しかも弁当をレンジで温めてしまってから「三万円」と書かれた紙を出してそれで支払おうとしたという。何それ怪奇現象じゃん。お金がない客に品物を渡すことはできない。だが、レンジで一度温めてしまったお弁当は、もう売り物にならない。実質万引きされたようなものだ。
メモ書きで気になったのは客の特徴が「よく来る年配客」だけで、しかも何時頃に来店したのかも書かれていないこと。それで誰かわかるかい。
温め…って言ったら指をさっと出して(あっちにレンジあるから)って無言で指差してさ
ああそうですかわかりましたよという風にいそいそとレンジのとこに行って温めてさ
コーヒーも買ってたからレジ横のドリップ機でセットしてたら足元でなんか当たる感じがあってよく見たらルンバがオメー邪魔なんだよ的にぶち当たってきてんの
なんかさ、本当に悲しくなったわけよ
これが未来なのか、俺の居場所なんて本当にどこにもないのかよと、年老いたぼっちのジジィに生きる道はないのかと
なんかそう突きつけられたようで悲しみに暮れて帰ってきたわ
世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。
ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。
【LIVE】東京・新宿駅前ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube
あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所。予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。
受験の弁当を駅の西口コンコースの階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げとチキンライスの弁当で。30年以上前のこと。
ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。
降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。
あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日親から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日1時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。
知らないおじさんおばさんのくせに。
家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。
ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急とサンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日とコーヒーの匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園の初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。
通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。
小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。
中学校は友達のいない遠くの私立で、中高生で友達も出来ず、大学受験は宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。
そんなぼくに、何ができただろう。
靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。
うん。
中高生のとき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからないからダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。
勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題や障害や不安をひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか。
そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。
東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市、宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオ、ハチミツたっぷりの紅茶。大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂。
そうか、40年も同じことを続けているのか。
大したもんだ。
夢の中に40年間も暮らしている。
おかしくもなる。中も外も。
ぼくの人生は復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身に復讐する。
道理で苦しいわけだ。
息子には味わわせたくない。
都内30代共働き、息子2人保育園、親はワクチン2回済み、上の子だけ陽性で10日の隔離+最終日から7日の自宅待機中。先が見えてきたので書いてみる。疲れたよ旅行行きたいよ行けないけど!
注:たまたまごく軽症だったけど、コロナは風邪派ではないよ!結果は運ゲーだよ!!後遺症も気になるし打てるようになったら子にもワクチンすぐ打つよ!