はてなキーワード: 佐村河内守とは
嘘吐きが世に出やすいのは必然として正直者が蔑まれる社会が日本にはある。
小保方晴子や佐村河内守のような嘘に嘘を重ねる成功者が上位に位置すれば己ずと正直者が馬鹿を見てるように思えてくるのは当然。
ところで、就職面接会のアピールの場で「バイトリーダー」とか「サークルの幹事」とか「部の副部長」とかといった主張がよく通過の条件のような話を耳にしないだろうか。
だから正直者は正直に自分をアピールすると面接では通過しないのだ。
就職活動の現状がそうなのだから、それらを統括し運営する政治家も当然のようにブラック企業を推奨しているところを見ても正直者はこれからも馬鹿を見る事になるだろう。
嘘吐きは泥棒の始まりだと言うけれど、実際は隠し続ければ何のことはない。
バレなければ嘘を吐いても問題がない社会がそこにある。
嘘吐きが推奨される日本においては、今後誰も正直に自分を曝け出す事はない。
嘘に嘘を塗り重ねるだけだ。
ええとね、「大江光」「和波孝禧」「辻本伸行」「フジ子・ヘミング」「川畠成道」あたりでぐぐってみてからそういうことは言おうね。
クラシック界ではもともと、障害と結びつけてお涙頂戴物語で売り出すって手法はこの数十年常套手段だったわけ。
その一方で、こういう人たちはそういうお涙頂戴物語で下駄を履かせて貰ってるだけで、実際の演奏はたいしたことないって批判もあった。
実際、上に名前を順不同で並べたけど、正直言って実力はこの中でも千差万別だからね。障害がなくても売れてただろう人も、そうでない人もいる。
で、本当の意味で「障害者を受容する」ってことは、「障害者」を特別扱いしない、する必要がない状態のことを言うってのはいいよね。例えば近視なんて昔なら弱視とかわらない視覚障害者だったわけだが、今となってはメガネかコンタクトがあれば「健常者」と区別する必要は全くない。パイロットの採用試験とか除けばね。
その上で、「特別扱い」されずとも芸術家として高い尊敬を受けてる人ってのはクラシック界にはもともといっぱいいるわけ。ベートーヴェン自身がまずそうだし、それからたとえば現役で世界的に有名な例でいうとパールマンとかクヴァストホフとかかな。こういう人の音楽を聴くとき、この人たちが身体障害者であることなんて誰も意識してない。
はっきり言うと、ディープなクラシックファンはベートーヴェンやパールマンやクヴァストホフは尊敬してても、佐村河内守(発覚前)とか大江光とかフジ子・ヘミングなんてのは馬鹿にしてたりするわけ。理由は単に「腕が良くない」から。二流音楽家がお涙頂戴物語のせいで超一流の椅子を奪っていると、眉を顰めているといってもいい。小保方晴子にたいしてアカデミアが厳しいのと同じ理由の一部とも重なるだろうね。
そういう意味では、佐村河内だのフジ子だのを甘やかす「社会」というのはバリアフリーの思想の観点でも、クラシック音楽への理解の観点でも、はっきり言って底が浅いとしか言いようがなく、批判されても仕方ないと思うよ。
「現代のベートーヴェン」、佐村河内守。聾者を装い、別人に作曲をさせたものを自分が作曲したと偽って、収入を得ていた男。
彼を取り扱う記事は一様に彼に批判的である。それは尤もなことだ。なぜなら彼は詐術的手法で収入を得たのだから。彼が間違った人間であることは、自明であろう。矯正しなければならないだろう。
しかし、彼の詐術を通用させたこの社会は、間違っているのだろうか。もう二度と「現代のベートーヴェン」を生んではいけないのだろうか。私はそう考えない。
彼が聾者であるからと考えて、CDを買った人があるかもしれない。その購入者を一様に「音楽的センスがなく、コピーだけで買う偽善者」などと考えていいのだろうか。答えは、NOだろう。新垣氏の作曲した曲が素晴らしいかはさておいて、「聾者が作曲した」というコピーで買うことが、「偽善的」であるとは思えない。障害者は、このような芸術的分野であるにしろ、あるいは他の製造現場などであるにしろ、必ずしも就職が容易であるとは言えない。生活保護の受給者の内、3分の1は障害者であるといわれるほどである。その様な彼らの取り組み、あるいは発表に対して、支援の気持ちを表すのは、むしろ障害者の就労支援にとっても、国民意識の啓発にとっても、よいことなのではないかと考えられる。
彼を取り上げたメディアに対しても同じようなことが言える。障害者をまったく我々と関わりのないところに生きていると考えないで、芸術家として向きあった。そのことは決して糾弾すべきことではない。また、見破れなかったことも、彼の人格を尊重し、彼の言葉を重んじたならば、それも仕方のないこと。
この「現代のベートーヴェン」問題は、ひとえに彼、佐村河内氏と、新垣氏によってなされたことであって、彼を生み出した社会を責めるべきではないと思うのである。
https://twitter.com/tm2501/status/442408904987639808
安全でうまい飯なら消費者はどこ産だって構わず食べると思うんです。一度は佐村河内守の音楽をありがたがったり、ゴーストが演出したビジネス書をありがたがった人!楽しませてもらったんでしょ?いいじゃない!
https://twitter.com/tm2501/status/442410005568819200
ゴーストライター騒動に関して思うのは、「騙された」じゃなくて「自分の感性で面白いかどうかの議論で総括したら?」ってこと。大体仕事に関わってからネタばらしするブラックジャックによろしくの作者さんも加担したのだから追求するとしたらそれは自己批判だよね…本気でアレはどうかと思ってる 。よく考えて欲しい。初めてに近い執筆で百ページ以上の本を書くのは大変です。普通できません。支離滅裂になったり、日本語がおかしくなったり、挫折したり…手直しする方が折れたり…そんな真実でも読みたいですか?そもそも特に訓練してない人は30ページぐらいまとまった構成で書くのも無理!「前に小説家志望者は大作志向を捨てて短中編を書こう」という話を創作クラスタの人とまとめたことがあるけど、アレと一緒。ブログの数千文字で支離滅裂になる人だって世の中にはゴロゴロいるのになんで芸能人だけ達筆さ?内心、ホリエモンのゴーストライターの話で盛り上がってる世の中を見て、僕はほくそ笑んでます。「ざまーみろ!お前達が文章の技術や書物をバカにしてきたからそんなことも見破れんのだ!見破れなかっただけならまだしもうろたえるのだ!」と思ってる。一応、長文書くのって手間暇かかりますので。伊東四朗が演技について駆け出しだった頃に「演技がヘタに見える役者さんが自分ぐらい、普通に見える人がプロ、うまく見える人はその業界の神様だ」みたいなことを言われたことがあるらしいけど、これ書物でも同じ。2000文字まとまったもの書いて読み返してみ?自分が下手だと感じるはずだから。創作論、書物論をああだこうだ言うのは見苦しくて好きじゃないし、正直言って書ける人同士の間では当たり前の「野暮」でしかない失敗談なのよ。思春期とか反抗期みたいな通過儀礼。でも、知らない人は簡単に騙される。自分自身が普段ポジショントークと消費者トークの二枚舌を使い分けてる自覚さえない。昨夜、ブログに書いたことにも重なるけど、自分がよく考えないでいらないと決めつけたものを既得権益だとか誰にでもできる簡単な仕事だと思わない方がいいよ。思うのは自由だけど、わざわざ言う必要ないよ。少なくともそれをしている人は傷つくか、無知さを見抜いてげんなりしそうなので。本当に評論や批評としてかっちりとした文章を書くのは難しいし骨なんです。紙媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけないので、骨が折れます。(苦労を知らない人は文体や語彙力が技術であることも知らぬ)お金を儲けたでも、人気を得たでもそういう人に対して嫉妬するのはいい加減辞めたら?そういう人と関わりを持って働いて「彼と同じ努力強いられた。あの会社の社長はブラックだ」とか言う言い分はまだわかるけど、人気があるからうらやましい。でもあの技術は評価されない…は愚痴であり嫉妬。無意味
はい、それでは青二才が自分で書いた同人誌の評価を見てみましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20121120220837
http://anond.hatelabo.jp/20121120224627
それに対する本人の言い訳を見てみましょう。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/11/16/000506
青二才にこそ本を出す前に文章を読んでくれる友人が必要だった。
しかしそういうものが必要だった青二才にはその時何もなかった。
それでも青二才はあきらめず裸一貫で挑戦した。
そんな青二才を誰が笑えようか。
誰にも笑わせはしない。
本人以外には。
https://twitter.com/tm2501/status/442319653126168576
紙媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけない
http://anond.hatelabo.jp/20121120224627
うん、いいこと言うじゃない。でさ、想像してみようよ。
文章系の同人誌を買う客が仮に「自由にすればいい」を手に取ったとしよう。
あらすじはない。登場人物紹介はない。あとがきもない。手書きポップもない。
売り子に聞いてもあらすじがわからない。表紙も手抜き。
買うと思う?普通に考えて。商売に詳しいんでしょ?
「香ばしい系」とは、
見た目が一見、風変わりというかオタクっぽいというか独特というか、
挙動やしぐさも風変わりというかオタクっぽいというか独特というか、
DQN系ではなくオタク系の香りのする特異な人というような意味である。
麻原彰晃を彷彿とさせる出で立ちと摩訶不思議な独自の言動とパフォーマンス。
香ばしすぎ。
この方は犯罪者ではなくむしろPC遠隔操作事件の被害者かもしれないけれど。
その風貌としぐさがなんとも独特な香ばしさをかもしだしている。
何もかもが変わりすぎている。
なぜこんなにここ最近に集中して立て続けにこういう個性豊かな香ばしい系犯罪者が増えてきたんだろう?
ドロップアウトというのは一つあるんだろうけど、
それ以外にも何か共通した因果関係が隠れているような気がしてならない。
佐村河内守の件で世間ではゴーストライター話に華が咲いているようですが、
個人的にはゴーストだろうがそうじゃなかろうが作品さえ良ければそれでいいので
その他の雑音はどうでも良い派なんですが、
これからもしばらく佐村河内守以外でもたくさんゴースト暴露 は続くんでしょうね。
正直鬱陶しいです。
で、思ったんですけど、
ゴーストなんて業界では常識で何を今更感が強いと思うんですけど、
ってアピールする方を時々見ると、
「この方は人に頼らず自分でちゃんと書いたんだ。立派な方だな。」
って思うより先に、
じゃあ、ゴーストになってくれって言う要望ももらったりしてるんだろうな。
自分の作品を自分で書いたことは偉い(当たり前だけど)と思うけど、
誰かに頼まれて誰かのふりして書いた作品があることを隠したりしてないかな?」
ソチ五輪・フィギュア女子シングルフリーにおける浅田真央選手の演技について、「感動した」と無邪気に語っている人たちがいる。
彼・彼女らは浅田選手の演技に感動したのだろうか。それとも物語に感動したのだろうか。
演技に感動したなら、浅田選手と同等かそれ以上の演技を見せたソトニコワ、キム・ヨナ、コストナー選手らの演技にも同様に感動するはずだ。
しかし浅田選手に感動した人たちは、外国人選手の演技には感心や感嘆はしても感動することはない。
彼女たちの物語をよく知らないからだ。彼女たちが味わってきたであろう、挫折や苦労を知らないからだ。
佐村河内守氏は知っていた。
それを売らんがなのための戦略だと非難するのはあまりにも容易い。
彼が意図していようがいまいが、我々は「作品ではなく物語を消費しているだけに過ぎない」と喝破されたに等しいのだ。
それは芸術とスポーツの違いはあれど、今回の浅田選手の物語にも完全に通じる。
ジャンプを2回ミスったことにも気付かず、浅田選手の涙を見て感動した人は佐村河内守氏が突きつけた物語消費の批判を免れないだろう。
だがそれでもいいのかもしれない。
誰かが苦しんでいれば、それを我が事のように感じる能力を有している。
共働きの親の為に子供を格安で預かってくれる保育園を運営していたり、逆に年老いて家族もいなくなったような人間を預かる養老院みたいなのを運営しているのもある。
それってどれくらいの割合で?
別に宗教じゃなくてもそういうの運営してる所いくらでもあるよね?
むかーしむかしはそれこそお寺とか、そういう役割あったけど、今やそんなところ皆無じゃない?
ただただ坊主丸儲けばかりじゃない?
そりゃ、中には身を切って、って人も居るかもしれないけど、それは一般にも居るわけで、別に宗教じゃなくてもいい。
ってか、宗教の場合は、なにもしないで金集めてんだからむしろ当然だろ。
その昔、佐村河内守みたいに目が見えなくなったり耳が聞こえなくなった人に向けて、音楽家になるよう教育を施したという歴史もある。
これってホントなの?どこに有る話?
本当に弱くて立ち直れない人は、ちゃんと面倒を見るシステムが整えられている。
どこにだよ。今の時代、立ち直れなくなった人がお寺行ったらなんかしてくれるの?
お坊さんが炊き出ししてる、とか殆ど聞かないんだけど。ヤクザ以下じゃん。
ちげーだろ、人の心を弄んで金貪ってるだけじゃねーか。
なんで、あんな僅かな土地の為にたけーかね払わなきゃいけねーんだよ。
おかしいだろ。
西川史子 佐村河内守氏の聴力回復「現実としてはありえない」 - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/8541650/?http://news.livedoor.com/article/detail/8541650/
難聴とかの判断って出来るのか?
小保方さんが自称佐村河内守さんみたいに各界やマスコミから疑惑の目を向けられ始めてる。
理由は彼女が発表した論文で整合性というか、実験内容について、実際に他の研究者が検証してみた結果
皆が皆同じ失敗するみたいだ。
最近ゴーストライターの存在が明らかになって現在は問題の渦中にいる佐村河内守さんも一度粗が出るとどんどん
色んな嘘が明らかになってしまってる。
どうしようもない事に、今では開き直ってるきらいもある。
同じくIPS細胞に代わる20年位先の科学が小保方さんによって明らかにされて、様々な人間が彼女に敬意を抱き、また嫉妬している。
その中で、渡りに舟というか、疑惑を出してしまった事はやや残念に思う。
週刊新潮のいう、某国立大学の研究者の告発というのは某ノーベル賞受賞者なんだろうと思っている。
自分の発表した研究が実は陳腐なんだって発表されてしまったら、それは気が気でなくなるからね。
ブラウン管の最新型を発表した直後にシャープや日立が液晶テレビ開発を発表したせいでテレビ事業に乗り遅れたソニーの様な事にならないで欲しいかも。
主題の結論からいうと、新垣隆を擁護して、かわいそう、あの人は良い先生なんだ、きっとこれから彼は見直されるとかいってる連中。
日本の8割強はこんな連中なんですが…ww
彼はまったくサムラーと同罪です。
依頼して、耳不自由きどって、謎にサングラスかけて、被災地語りながら編曲もできないサムラーはもう極刑。だから曲かけないんなら別のもの目指せっつーの。
後々になって、気の弱いひと擁護してどうするっつーの。社会で、ダメなこと断れなくて、悪いんだけどあいつころしてくんない?ってたのまれて、気が弱くて断れなくて、でも悪い人じゃないんですーってなるか!!気が弱くてやっちゃったらそれはがっつり罪です。
あげくに「新垣隆の報酬が安すぎる」って!10万でひとごろしたのんだ事件があってそれを「安すぎる」って論点で議論しますか?そういう問題じゃない。
オーケストラは自腹でだしてかわいそう!とかもうおわってる…。充分か不十分かではない。彼は悪いことをして金をもらってるんです。
あげく、罪の意識に耐えられなくなって、暴露して、全リスナーを困惑させる。弱いのも自分、救われようとするのも自分だけ。もうおこちゃまなんですよ新垣隆。
なんの責任も取れなくて、こんだけやらかしてる彼、どこがかわいそうですか?落ち着いて考えてみてください。
隠れて代筆はだめです。違法行為で代償もらっちゃだめです。墓まで持っていくの諦めたらだめですw。
制作に関して、こんな甘っちょろい認識しかないから、当然にほんの芸術はこの通り全然そだってない。国内のマーケットでしかまわせない作品しかない現状。
もちろん、新垣隆をさばくことが出来ないでしょうね。少なくとも10年は入っててほしいけど、彼を懲役に出来ることはないでしょう。
ただ、彼がゆるされるのは日本くらい。
これで、ほとぼりさめて「新垣隆楽曲集」とかリリースされたらもうおれこの國でますw(絶対出ると思うけどwww)
ようは売れれば良いんです。このくに。
ともあれ、最初の一報を聞いた時、友達と「これへたしたら耳きこえてんじゃねー?ははは」と話していたら耳も3年前から治ってきてたとか言ってるしw
というか正直、3年前から聞こえてようが、昨日治ったんだろうが、最初からだろうが何だろうが、そんなことは問題ではないんですよね。
その瞬間にせよ、それを裏付けなくプロモーションとして用いたことが問題なんですよねー。
これって、日本のプロモーションの特性なんですよね。特に芸術アート系の。
ただ良い曲かく作曲家なんて当然売れない。それにはいろいろと属性がつくと話がつくりやすいし、盛り上げやすい。別のネタに絡めたりもしやすいし、無教養なひとにもからんでもらいやすい。
性転換作曲家
肝っ玉母さん作曲家
片手の作曲家
ね?どれもワイドショーでてきそうでしょ?あとは最低限の腕があれば売れますw
新垣隆も後に
日本はそれが出来るくに。
警官なぐってもいまだに一線で活躍出来るアイドルがいる国です。
覚せい剤でつかまったあともミリオンセラーでカムバックできる国です。
この国は、「悪いことをする」ということをどう捉えるか、しっかりとしたハートがないんです。
その反面、悪いことをしてしまった「弱さ」を理解してあげようとしてしまいがちなんです。
多分ひところし以外カムバックできない過去は無いと思います。この国w
こんな話題になった人をこの国の音楽プロモーターは放っておく分けないです。
悪事それぞれではなくて、その「弱さ」をしばしば誤認する日本人の特性が少しでも軌道修正されない限り、しばらくは何も変わらないでしょうね。
ただふわっと理解した感じになっているくらいなら正直共犯ですよ。