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はてなキーワード: 佐村河内守とは

2014-02-10

極めて手のひらを返すクラシック

佐村河内守の話

匿名じゃないと書けないからそっと出し

今回の問題は『障害者広島』ていう日本人の同情心

を煽った以外はなにも悪い事はないと思う。

評論家オタク勢が絶賛してたけど、その後の世論

アンチ佐村河内バッシングの方がひどいと思った。

残念ながらクラシックの土壌はマニアックオタク層に

しか、響かず現代音楽なんて枯れたある種のアカデミック

性癖をもった人間の閉ざされた世界だ。

佐村河内批判をしている人の中に、新垣を知っていたか

細川を知っているか徳永川島は?

どれも皆無だろう。残念ながらクラシック愛好家であっても

現代の、特に邦人作曲家など見向きもしない。

アマチュアの愛好家にとっても、同じだ。ベートーヴェン

チャイコフスキー、アヴェルのようなキャッチーメロディ

音楽一般的音楽会でも広く聴く機会がある。もしくは

久石譲やジョンウィリアムのような映画音楽も広く愛されて

いる。最近では、ゲーム音楽に取り組むオーケストラもある

しかし、近現代邦楽作曲家など取り組まない。

プロであっても同じだ

話を戻すと『現代音楽を学んだものなら簡単に作れる』という

交響曲第一番。新垣氏が真剣に取り組んでも売れないしお蔵入

なのは、間違いない。才能があっても華が無い。

会見をみてもわかるが『苦難を乗り越えた雰囲気のある作曲家』とアカデミック

出身斜視で風貌にも華の無い現代音楽ならば、前者をとるだろう。

所詮世論も全てその程度。

たとえ片手間に作った曲であって、ゴーストライターを使った

音楽で、障害者を売り物にしてもここまでのヒットに貢献した

佐村河内を完全な悪者にはできない。

しろ、隠れた悪は今になって告発した被害者面の新垣氏だと

いう見方もできる。

そもそも、18年間もゴーストに取り組んだならば立派な共犯

ある。

中途半端良心の呵責を主張するより。金銭面での訴訟の方が

潔い。世論見方につけた新垣氏には今後仕事がくるかもしれ

ない。しかし、それは佐村河内氏によるチャンスときっかけが

あった事を彼は忘れてはいけないと思う。

2014-02-09

俺たちは音楽じゃなくてストーリーを買っている

佐村河内守の話。あの人が難聴じゃなかったらあそこまで売れなかったのは公然事実であろう。また、普通音楽家が偽造を行っていても、ここまでのニュースにはならなかった。音楽のもの価値よりも「難聴」で「被爆2世」というブランドの方が強いのではないだろうか。そう感じた。

この手法マーケティング世界でも使われている。ストーリーテリングストーリーマーケティングという言葉を聞いたことがある方も多いと思う。実際の商品が出来た経緯や、会社理念を伝え、それにより商品を売る戦術だ。代表的な例がfacebookである。当初、日本ではそれほど人気がなかったfacebookだが、映画ソーシャルネットワークにより一段と利用者が増えた。

良いストーリーは我々の心を揺さぶり、感動させてくれる。だが一方で、本来の価値を見えなくさせてしまうのではないだろうか。ストーリー産業として売り出される時代、我々はより慎重に物事の価値を見極める必要がありそうだ。

佐村河内守氏にとっても、このあたりでバレてよかったのだと思う

自己顕示欲が大変強く、80分の交響曲などという、誇大妄想作品を打ち立てようとした彼だ。

行き詰りの果てに、

「志半ばの死によって伝説は完成する」

という物語を選択する可能性は結構あったのではないかと思う。

2014-02-08

より正しい物語を得たレトロゲームはより幸せである ~ゲームソムリ

独学でレトロゲームを学び処女アイドルと謳われたゲームソムリエール氏のほぼ全言動が、実際には所属事務所の元ゲーム業界人のオッサン氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。

メディアや芸能業界のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、ゲームソムリエールそのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人はゲームソムリエールに何を求め、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋ゲームを勧めるというのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋ゲームを選んでプレイすることなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。

私が初めてゲームソムリエール氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のロムカートリッジ破壊する動画がUPされた直後のことだ。人づてに話を聞いて興味を持ち、ネット検索してプロフィールやら言及する文章やらを読み、ゲームソムリエール氏のレトロゲームコレクションネット上で目撃したと記憶している。そのとき強烈に残ったのは、まず違和感であった。

違和感というのは、そのレトロゲームコレクションのたたずまいとプロフィールや売り出し方とのあまり乖離に対してである。端的に言ってそのコレクションは、80年代に幼少期を過ごした男性コレクションのように思われた。真っ当にビデオゲーム洗礼を受け、ゲームを中心にサブカルチャーの波を揉まれてきた知性に優れる人間が、都度つど何らかの金銭の制約を自らに課しながらコレクションされたものだと「わかった」。今このようなことを書いても後出しだと言われるのはわかりきっているが、そう思ったのは事実で、おそらく80年代よりゲームに親しんできた心ある人間の多くが直感できたはずだ(実際、私の知るゲームマニアの幾人かは今回の発覚に対して「やっぱり」といった感想を漏らしていた)。アイドルを目指し上京した後に真実ゲームに目覚め、それまでの経歴を全て破棄した元弱小グループアイドルの一員が、常に轟音の鳴り響く中で霊感降臨を待って収集した物とは、到底考えられない。プロフィールのそれらの言葉には薄ら寒さすら覚えた。オエッ。売り出すためのストーリーを誰かが描いている。事務所のオッサンははそれに乗じて悪びれずにいるらしい。そんな構図を漠然と思い描いた。

私はそのとき彼女コレクションを嫌った。いや、嫌おうとしたのだ。彼女が自らに課した書法の制約とは、売れるアイドルにするための――言い換えればマス・マーケットに届けるための――打算であったに違いないと想像した。売る気満々で集められた、嘘にまみれた、いやらしいパッチワークなのだろうと想像した。そうして想像してみて結局、最初の印象に戻るのだった。怖気の走るようなまがい物にしては「マニアごころをわかっている」コレクションに見える。真摯レトロゲーム収集に向かわずしてこれが生み出せるのなら、随分な才能の持ち主なのだろう。その点だけは悔しいが認めざるを得ず、周りに評価を聞かれても曖昧なことを言うほかなかった。著書なんてもちろん買う気もしなかった。胡散臭い人間胡散臭い売り出し方をしている、大量の嘘が混ぜ込まれた(はずの)コレクションが、見てみたら本当に見事な出来だった、なんてことになれば余計に悔しいし。そうそう、見なくたってわかる。きっと、見てて腹が立つようなコレクションに違いない。あーあ、ゲームソムリエールなんて、嫌いだ。

――見たまえ、ここに「物語」によってレトロゲームへの好悪を左右される情けない人間の姿がある。しか漠然と思い描いただけの、自分脳内で生み出した勝手物語によって認識を歪められているのだから世話がない。私だけがこんな情けないのか? ……いや、そうでもない……ですよね?


元ネタ】 これ読んでいたらふとゲームソムリエールさんのことが頭をよぎったんだ。

より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守新垣隆)騒動について~

http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/

鬼武者サントラ収録時、指揮をした 新垣隆による楽曲解説(当時、佐村河内守作曲)と寄せ書き

多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定

奇跡目撃者    指揮者 新垣隆

佐村河内スコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。

これらとは明かに一線を画しているという事だ。

第一楽章邦楽静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたか生物細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。

第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力

神業である

そして遂に圧倒的なクライマックス突入する。

全く隙の無い構築力と完璧オーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。

これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。

そしてこれこそが天才仕事なのだ

そんな氏の天才物語エピソードがある。

私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。

着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。

以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。

と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。

それは神憑り的な速さといった感じだった。

何やらスケッチでも書き写しているようだった。

10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。

氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。

その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。

写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。

氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。

後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。

こうして私は奇跡目撃者になったのだ。

注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。

交響組曲ライジング・サン』徹底アナリーゼ(分析)

遠い古からの声―長い間日本風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式からこの曲は始まる。

この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙コントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要ポイントとなっている―。

やがて一本の竹のひびきは12もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。

前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八旋律と深い関わりを持っている。

譜面を見てみよう。

(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラ対応する。

(A')。

いわば西洋的に解釈―拡大される、という「複写」が行われる。

そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄テーマ提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。

ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。

尺八サキフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したもの英雄テーマヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋ハーモニーコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)

そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要役割を果たす)(譜例4)。

楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである

(一楽章ソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)

楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である

メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……

以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。

(譜例5)(譜例6)これは、まさに作曲者の静寂という苦悩の地より我々に届けられた一通の手紙なのだ……。

指揮者 新垣隆

引用者注:譜例3には『マーラー交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきもの原文ママにしてある。

交響組曲ライジング・サン 参考動画

www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU

余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。

2014-02-07

なぜ佐村河内守新垣隆擁護する連中は、揃いも揃って差別を利用したことについてだんまりを決め込むの?

 

2014-02-06

佐村河内守の曲をオリンピックで使うのって・・・

なんか今の日本象徴しているような感じでいいよね。

2014-02-05

佐村河内守っていつから現代ベートーヴェン」になってたの?

 

いったいいつ誰が佐村河内守氏を「現代ベートーヴェン」として「世界で評価」されていると言い出したのか、Google検索でわかる範囲で調べ始めてみた。

 

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2001年9月15日

Beethoven海外初出は米TIME誌。

http://goo.gl/QZoqAq

"Mamuro Samuragouchi: Songs of Silence -- Video-game music maestro Samuragoch can't hear his own work"

His condition has brought him a certain celebrity, which he fears may detract from an honest critique of his work. He understands the inspirational appeal of the story of a digital-age Beethoven, a deaf composer who overcomes the loss of the sense most vital to his work. "I used to be able to hide it, to do my work without people noticing it," he says.

米誌が彼をベートーヴェンと並び称してるわけじゃなく、単に「『現代ベートーヴェン』みたいな話が先行したら作品の評価が歪む」と(おそらく彼自身が)語っているだけである

 

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その後の海外の記事を探ったのだが、なんと! 何も出てこない!

 

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2007年11月1日

書籍交響曲第一番』発売

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%95%AA-%E4%BD%90%E6%9D%91%E6%B2%B3%E5%86%85-%E5%AE%88/dp/4062139359

 

Amazonレビューに「現代ベートーヴェンさながら」などの表現はあるものの、既にどこかでそう呼ばれていることや書中にそう記載されていることを示唆する表現は見あたらない。

 

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2008年1月13日

ブログ記事

http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2008/01/post_ce52.html

まさに「現代におけるベートーヴェン」の状態なのだ

「~と呼ばれる」という表現にはなっていない。

 

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2008年9月1日

韓国系化粧品会社(?)ウェブサイト

国内外に高く評価され、米TIME誌に『現代ベートーヴェン』の見出しと共に紹介される等、その存在が一躍注目を集める

http://goo.gl/HFB9HV

 

日本語で確認される最古の、「現代ベートーヴェン(と誰かが呼んでいる旨)」の記載。

引用元としているTIME記事がそんな「見出し」ではないことは前出のとおり。

 

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2008年9月

広島で開かれたG8議長サミットの記念コンサート交響曲HIROSHIMA』が初演されているが、これも海外ではまったく報じられていない。

(少なくともGoogle検索には何も引っかからない。)

 

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2008年9月15日

佐村河内守氏、広島市民賞受賞。

同日夜、NEWS23TBS)の特集で取り上げられた模様。

 

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2008年9月16日以降、NEWS23特集を受けていくつかの個人ブログで取り上げられている。

しかし、本文に「現代ベートーヴェンと呼ばれる」などの記載は皆無。

2008年12月頃につくコメントから、少しずつ「現代ベートーヴェン(と称される)」という表現が現れ始める。

 

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2012年11月7日

NHKが「作曲現場」を取材し特集番組を放映した模様。

J-CASTティーザー記事の痕跡のみ残っている。

http://snsoku.net/news/809492

耳の聞こえない作曲家佐村河内守現代ベートーベン作曲現場

現代ベートーベン」と国内外音楽家から注目されている日本人作曲家がいる。佐村河内守(さむらごうちまもる)、47歳だ。

どうやら、言い出して権威付けたのはこのNHK番組らしい。

 

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そして2014年2月5日日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG05013_V00C14A2CR0000/

佐村河内守さんは、米誌で「現代ベートーベン」と紹介されるなど、世界で評価されていた。

ああ、カンタンに騙されるクオリティペーパー…

耳の聞こえない作曲家

もうさ「佐村河内守」って名前ユニットってことにすりゃいーじゃん

テメーらはその音楽性を評価したんじゃないのか?

ミノキコエナイヒトが作曲たからってだけで評価してたのか?

後者ならお前に音楽を評価する資格なんてない

 

ま「佐村河内守」って人の曲を(少なくとも認識をしたうえで)聴いたこと無いんですけどね

酒井忠清佐村河内守がやられたようだな…」

楠木正成「ククク…奴は河内守の中でも最弱…」

源義家影武者を見抜かれるとは河内守の面汚しよ…」

2013-06-06

一時期佐村河内守が特集組まれて売上がすごかったけど、

カプコン的にはバイオハザード音源手抜き打ち込みですんませんでしたという反省の意思はあるんだろうか。

2011-05-27

映画運命背中情報まとめ ※非公式

基本情報

 運命背中
英題The Back of Destiny
監督出山知樹
出演者出先拓也 大林伊原武文 竹元恵美子 他
美術恩田敏夫
音楽新垣隆 佐村河内守
製作出山ひさ子
上映時間40分
製作2009年
製作日本
言語日本
予告編www.youtube.com/watch?v=jR5MLx7etik
Twitter@unmeinosenaka
ハッシュタグ#unmeinosenaka #back_of_destiny
Facebook運命の背中 ― The Back of Destiny ―

上映情報


上映記録

2016年08月28日広島 東広島芸術文化ホール くらら
2015年12月06日広島 廿日市市阿品市民センター
2015年11月07日広島 広島大学 第64回広島大学大学祭
2015年08月03日広島 広島河内公民館 広島公民館被爆70周年事業
2015年07月19日広島 サテライトキャンパスひろしま ヒロシマを語り継ぐ会
2015年06月21日広島 あいあいプラザ
2014年10月02-04日広島 横川シネマ
2013年10月26日滋賀 ノートルダム教育修道女唐崎修道院
2013年08月05日広島 カトリック幟町教会 カトリック広島教区平和行事2013
2013年01月16日広島 広島市立大学
2012年08月24日広島 己斐公民館
2012年08月07日広島 広島女学院大学 BGSU Peace Seminar: Hiroshima and Beyond
2012年08月05日広島 ゆいぽーと(広島男女共同参画推進センター
2012年07月28日広島 広島留学生会館
2011年10月30日長崎 長崎原爆資料館ホール 長崎国際平和映画フォーラム
2011年08月13-14日埼玉 矢尾百貨店 平和のための戦争展in秩父
2011年08月06日広島 レイノ・イン広島平和公園
2011年07月31日広島 八丁座・弐 ヒロシマ平和映画祭プレ
2011年07月30日広島 広島留学生会館 留学生市民による平和フォーラム
2011年07月09日埼玉 所沢市中央公民館
2011年06月11日東京 渋谷アップリンク
2011年05月28日広島 美容室BALLET
2011年04月16日米国 Japan Film Festival LA 2011
2011年02月20日埼玉 秩父歴史文化伝承いのちをつなぐ~原爆荒川の話~
2010年10月16日広島 広島五日市中央公民館 広島ビデオ倶楽部公開映写会
2010年08月06日広島 レイノ・イン広島平和公園 魅力向上プロジェクト2010平和朗読会
2010年08月06日広島 広島国際会議場 ヒロシマの心を世界に2010
2010年08月01日埼玉 浦和コルソ 2010平和のための埼玉戦争
2010年07月31日広島 サロンシネマ
2010年04月10日広島 県立広島国泰寺高等学校
2010年03月17日広島 カフェパコ
2010年03月13日広島 広島市西区民文化センター ひろしま横川映画
2010年02月06日広島 横川シネマ
2009年12月12日広島 広島国際会議場 ダマー映画祭inヒロシマ
2009年12月05日広島 庄原市口和郷土資料館

参考Tweetハッシュタグ略)

snip)「見るに当たって参考文献などあれば」…とご質問いただきましたが、監督としては出来れば頭をまっさらにして見ていただきたいそうです。決して難しい内容ではないので肩の力を抜いてご覧ください。

http://twitter.com/unmeinosenaka/status/69409574981087232 (2011/5/14 23:31)


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