はてなキーワード: 一所懸命とは
精神世界について論じた本がたくさんある。それらの多くは読むに値しない浅薄なものである。想い続ければ叶う。清く正しく生きていれば成功するなどなど。嘘である。適当なことを書いているだけである。
しかし中には本物もある。本当に成功している人々はただ効率的な仕事をと考えているだけではなかった。実務的であると同時に精神的な活動も重視していた。
普通に真面目に仕事や学習を一所懸命にやっているだけでは見えない世界があった。何事も一所懸命にやりさえすればうまくいく成功するというのが嘘である。そのようにいい続けている人々を見ていればわかる。彼らは成功しているようには見えない。
物事には正しいやり方と誤ったやり方があるのだ。一所懸命にやって報われるのは正しい方法であった場合のみである。誤ったやり方に拘泥して、それを一所懸命やったところで無駄足になるだけである。この厳しい現実を忘れてはならない。
その気づくことすらできなかった世界を教えてくれる精神世界系の本は少なからずあった。たしかに偽物も多いわけであるが、本物もあった。そしてある種の考え方は人の命・健康を守ってもくれる。逆にある種の考え方は人の健康を損ね、命を縮めもする。人を害する考え方があるという事実、恐ろしい話である。
一見、常識とはかけ離れた事柄といっても良いものの中に潜在意識がある。この潜在意識というもの、本物である。効き目抜群の手法が、潜在意識を論じた本の中に書かれてある。これがなければ、今の僕はなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20180508223804
投資をすると同時に本業でしっかりと稼ぐこと。がむしゃらに働くだけではお金がたまらない。質を高めることが鍵になる。
専門分野を持たなければならない。自分が上位5%に入るレベルの知識・技術力を持つべきこと。そのためには自身の強みをどこに持つか、自分の立ち位置を意識して築くことが極めて重要になってくる。
誰でもできることを一所懸命にやっても、世の人々はたいして評価してくれない。誰にもできないことを上手にやると言うのが理想。それが難しければほとんどの人ができないこと、世の中の95%の人々よりも上手に自分ならできるという分野を持つこと。そういう分野を意識的に作ること。
世界一の立ち位置あるいは世界でトップ5%の立ち位置に自らを置くこと。
やり方があるのだ。それは専門分野の組み合わせである。
知識は力であるという。そして知識はお金になる。ただしそれは専門分野に限ってのこと。一般知識をどれだけ蓄えても、それはクイズ王とかでしか役に立たない。お金にはならない。お金になるには専門分野、特にビジネスで必要とされる専門知識を身に付けることが手っ取り早い。
これも一種の投資である。もっとも投資利回りの高い投資対象とはヒューマンキャピタル、人的資本なのだ。つまり突き詰めて考えれば、最良の投資対象とは自分自身に他ならない。
https://anond.hatelabo.jp/20180505233446
一体全体、それはどんな状況だったのか。
一所懸命考えてみた。 pic.twitter.com/kdwPo2mIXE— 大枝桂子 (@keiko_oeda_jp) 2018年4月19日
カフェでノートパソコン広げて作業している人ってどんな作業してるの?今タリーズにいるんだけど、やたらパソコンで作業している人が多くて、そういう人が全員フリーランスで、家だと集中して仕事できない…というほどフリーランス人口が多いのか疑問だ。
だいたいフリーランスだろうが勤め人だろうが、何の資料も持たずにパソコンだけで仕事ができるとは思えない。私もそのスタイルに憧れて薄型ノートパソコンを物色したけど、どうせ職場から資料を持ち出すわけに行かないので、そんなにハイスペックな代物はいらないと思い、8インチのタブレットと外付けキーボードを購入した。
今キーボードをバッグから取り出して打ちはじめれば憧れのスタイルで仕事しているふりはできるけど、所詮匿名ダイアリーなのであまりカッコ付けて仕事してる振りをしても仕方ない。むしろさっきまで隣に座っていた人みたいにケータイの電池が危ういので、カフェで時間つぶしつつ充電してる…みたいな状況の方が分かりやすい。
営業マンとかで会社に戻りたくないから報告資料だけ外で仕上げてしまおう…みたいなのもまぁ分かる。カフェとかでパソコン使える環境が整ったからこういう人が増えたのか、本当は別の場所でやるべきことをカフェでやっているのか分からない。
おかげでカフェに長居する客が増えて、私みたいに飲み物と軽食をさくっと飲み食いして帰る客がなかなか入れないんだよ。店の側も客の回転が悪くなって損しないんだろうか。カフェで一所懸命パソコン作業やってる人は、本当に何をやっているのか教えてほしい。
自慢じゃないけど、何をやっても長続きしない。仕事に関しても基本的に根性なしだけど、楽しいはずの趣味で「やってみたいなぁ…」と思ってチャレンジしたものでもダメだ。
1 折り紙
子供の遊びだと思われてるかも知れないけど、連鶴(紙に切り込みを入れて何羽もつながった折り鶴を作る)とかユニット折り紙(何十枚も部品を折り上げて組み立て、
くす玉とかそれに類するものを組み上げる)とかなかなか技と根気を必要とする代物がある。高校生から大学生ぐらいまでは一所懸命やっていたんだけど、気が付いたら
めんどくさくてやらないものの筆頭になっていた。が、紙製品は相変わらず好きで、単価も安いので、折り紙とかキレイな包装紙とか和紙とか見かけるとつい買ってしまう。
老後の楽しみに取っておいてもいいんだけど、今よりさらに老眼が進んで、根性もなくなったら結局やらないんじゃないかと心配である。
2 切り紙
上記の目的で買い集めた紙製品を無駄にしないために、型紙がデータ化されてCD-ROMで付いてる本と、アート用の細かいところまで切れるカッターを買ってみた。1個か2個 ぐらい作ってみたけど、作った切り紙の使い道がなくて、すぐに飽きた。でも連鶴やユニット折り紙を作るよりはこっちの方がお手軽だと思うんだけどな。
無心に作業できるところが良さそうだと思って12色入りの色鉛筆と本を2冊ぐらい買ってみた。元の本に直接塗るのがもったいなくて、塗り絵をコピーして塗り始めてみた
けど、やはり2ページぐらいしかやらなかった。絵心はないけど、色を塗るぐらいはできるかと思ったのに。12色の色鉛筆だと色が足りないと思って、36色の色鉛筆を買い
足したけど塗ってない。
4 着付け
今一番のマイブームだけど、元手がかかるわりに続かなかったときのダメージが大きい代物。うちの母がある程度着られるのだけど、母は習い事にお金をかけるのはムダだと
いう考えの持ち主で、「惜しくない着物を買って自分で練習しなさい」と言われている。とりあえずリサイクル屋で紬の着物と名古屋帯、長じゅばんをそろえ、小物類は
ネットで手に入れた。DVD付きの着付けの本も買ったので、いつでも練習できるはずだけどやってない。多少お金がかかっても着付け教室に行って、強制的に練習させられる
何がバズるか分かりませんよね。私は2回バズったことがありますが、「何でこれが?」って感じでした。わりと誰もが「あ~こういうのあるよね」と思う話とか皆が気になる金銭感覚の話とか…。
でもバズるということは「お前嫉妬してるんだろ?」とかいう否定的コメントが何割か入るということなので、そんなに楽しくないですよ。私は匿名ダイアリーなのに一所懸命コメント返したりしましたが、ごもっともと思える意見の人や簡単に反撃できそうなのにしか返しませんでした。
有名ブロガーとか固定ハンドルでブログ書いてる人は年がら年中こんな目に遭っているのかと思うと尊敬します。私はSNSとかで一所懸命文章書いてもスルーされがちなんですが、反応があるということは否定的なコメントも受け入れないといけないということです。ここは匿名な分、攻撃性が高くなりがちですが、ここでしょっちゅうバズっていたら精神衛生に悪いと思いました。
実は私はあのスタイルに結構憧れてて、でもWindows派なうえに、仕事の資料はほとんど職場から持ち出し不可だったので真似しようがなかった。正直カフェで一所懸命パソを操作している人がどんな仕事をしているのか謎だったけど、たまたま別のカフェで画面が見える状態だった人がいて、デザイン画みたいなのを描いていたので、「そういうのが外でできるんだ」と感心した。普通はテキスト系の入力か、数字いじりのどっちかだと思うけど。
そういう連中が顰蹙をかうのは、ひとえに長時間席を占領して、後からきた客が座れないからではないの?それは後から来た客にとっても店にとっても損失である。「混雑時の長時間の勉強や作業はご遠慮ください」と注意書きをしてあるカフェもある。本当は自宅でできる仕事でも、家だと誘惑が多すぎて違う場所で集中したいという気持ちは分からなくもないけど、最近は図書館とかでPCを使える場所もあるんだからそっちへ行けばいいんじゃないかな。
ちなみに私はさんざん悩んだ結果、8インチ画面のタブレットと、外付けキーボードを買って解決した。SNSを見たり、ここみたいなところに書き込んだり、Q&Aサイトを読んで回答できそうなものに回答したり、仕事に関係ないことにしか使い道がなかったのでそれで十分だ。たまに一所懸命入れた文章が吹っ飛んで悲しい思いをすることもあるけれど、入力できなかったからといって、誰にも迷惑がかかるものでないものが多いので「ま、いいか」と思うことにしている。
冬なんて早く終わればいいのに。こたつの中で私は、今シーズン最大の寒波を迎え撃っていた。
外からにゃーにゃ―と声がする。地域猫のトラだ。私はときどき気まぐれのように、餌をあげている。
トラは我が家のアイドルなのだが、父が猫嫌いということもあってほとんど外で過ごしている。
春が待ち遠しいのはトラも同じだろう。
ガラス戸を開けると、待ってましたとばかりにトラが入ってきた。
私はトラの濡れた体をぼろになったタオルで拭いてやる。
「ん?なんだこれ」
トラの首輪に見慣れぬ紙切れが結んであるのを見つける。まるでおみくじのように首輪に結ばれたそれを、私はそっと外して広げる。
『いつもピケを可愛がってくれて、ありがとうございます。私は○○区に住む……』
そこから先は文字がかすんでいて、読み取ることが出来ない。文字は少し丸っこいものの綺麗で、これを書いた人そのものを表しているようなそんな気がする。
私は印刷用のA4用紙を引っ張りだしてくると、返事を書くことにした。
『いつもトラを可愛がってくれて、ありがとうございます。私は○○区に住む……』
一所懸命に書いた手紙だけど、きっとまた雪でにじんで読むことはできないだろう。
それでもいいのだ。私は手紙の読める春が楽しみになってきた。
子供にお金をかけることを「投資」と考えるのはよしたほうがいい。
大好きな友達の誕生日に、思い切ってプレゼントするときの気持ちは「喜ぶ顔がみたい」ただそれだけでしょう。その友達に真顔で「こんなプレゼントをくれるなんて。私に投資しても何も返せないよ?」とか言われたら、悲しくない? 「いやそんなつもりじゃ…」っていいたくなるでしょ。
そんなことより、好意には好意で返すべき。ありがとうと言い、感謝して、自分の人生を精いっぱい生きるのが、相手の好意に報いるただ一つの道。っそしてそのために、学生であるあなたがいまするべきことは、悔いの残らないよう一所懸命に勉強することでしょう。悩むのも人生だから悩むなとは言わないが、そのために足を止めてはだめだよ。歩き続けてほしい、と、私があなたの親なら言うだろうね。
自分は女だけど、察するの苦手です。特に医者から正式な診断を受けたわけじゃないけど、発達障害かアスペルガーの傾向があるんじゃないかと自分で思うぐらい。
でも、基本的に察するのが苦手な人より察してちゃんの方がたちが悪いと思ってます。人の価値観とか期待値とか常識だと信じていることはそれぞれ違うのに、その違いを無視して「自分の期待していることを察してくれない!」と怒る方がバカでしょう。
よく「女の相談事は「うんうん、そうだよね」と聞いてほしいだけで、意見は求めていない」という通説がありますが、私は友達などから相談を受けたら「え、それって○○ちゃん(相談してきた人)の方が間違ってない?」とか言っちゃいます。基本的に目の前の人がしゃべっていることに対して「うんうんその通り」と思うか「それは違うんじゃないの?」という判断はできますが、自分の知らない第三者について「××さんと上手くいかないんだけどどう思う?」とか「私はこんなに一所懸命やっているのに△△さんは全然分ってくれない」とか言われても、それはあくまでも○○ちゃんの認識であって、それが客観的に正しいかどうかなんて分かりません。
要するに「察して」「共感して」っていうのは「自分が常識だと思っていることは他の人にも通用するはずだから自分が正しいということを認めろ」という意味だと思っていますので、「彼氏(あるいはダンナ)が全然察してくれな~い」とか愚痴る人間は相手に対する期待値が高すぎるだけでしょう。「こういうふうにして欲しい」という要望があるならきちんと言語化して伝えるべきだし、伝えないくせに分かってもらおうとするのは甘え以外の何物でもないと思っています。以前そんな調子のことを親に言ったら「お前の考え方は理系だ」と言われました。理科・数学の類は苦手ですが、思考回路が男性的なんですかね。
ある程度相手の欲求を察する能力に長けている方が人に好かれやすく、快適に世の中を渡って行けるとは思いますが、それはその人の察する能力が高いだけで、「察することができて当たり前」と誰にでもその能力を要求するのは間違っているとい思います。
国が頑張って財政再建しようとしているのだから、国民も協力しなければならない。
年を取ってから国に迷惑を掛けないように、若いときから貯金をしよう。
株価は景気の指標であり、国も一所懸命株価を上げようとしているのだから、外食を減らし、旅行をやめても株を買おう。株が上がったからと言って売ってしまうと株価が下がることになるから、ずっと売らずに持っていよう。
国が働き方改革に力を入れているのだから、残業はやめよう。早く帰って家でじっとしてよう。それか早く寝てしまおう。その方が金を使わなくていい。無駄な買い物をなくし、少しでも余分の金があったら、貯金するか株を買おう。そして質素に、質素に暮らしてお国のために尽くすのだ。
彼は決して器用な人じゃなかった。それでも、仕事に一所懸命取り組んでいた、ように思う。
特に彼のダンスは自他共に認める実力であった。メディア露出も多く、演技の仕事もたくさんくるようになった。楽器もできるため、バンドパフォーマンスをすることも増えた。私は努力家な彼のファンであることを誇らしく思っていた。
しかし、そんな彼の才能と努力が仇となったのか、所属事務所にボロ雑巾のように使い回されるようになった。日に日にやつれていき、顔は骸骨のようにげっそりしてしまった。私は見ていられなかった。何度も泣いた。
余談だが、他人のことでここまで悩み傷ついたのは初めてだった。
その後、彼は長い間やってきたグループを抜け、違う道を歩むことになった。
メンバーが大好きで、ほっとできる場所で、最後の一人になったとしてもこのグループでいたい。そう彼は言っていた。
別のグループへの移籍は所属事務所が決めたのか、はたまた彼自身が決めたのか。私のようなファンには一生分からないことだろう。
ただ、私が好きだった彼は、有言実行する男だった。
きっとこれからも彼はいいように使われていくのだろう。金になるから、ビジネスだから。もしも彼が倒れたって誰も見向きやしない。彼の意思や感情なんてあってないようなものだ。
アイドルだって一人の人間である。ロボットではない。事務所における昨今のアイドルの扱いに、もっと危機感を感じるべきだと私は思う。
最近のアイドルには中高生の子も多い。その仕事を選んだのは彼彼女らかもしれないが、限度というものがあるのではないか。
アイドル戦国時代と呼ばれるほど熾烈なこの芸能界では、魅力的な子はたくさんいるし、これからも出てくるのだろう。けれど、私には彼しかいなかったように、ファンは応援しているその子しかいない。代わりなんてどこにもいない。消耗品ではない。
また、よく「シゴトでココロオドル」を「やりたいことができる」と勘違い
する人もいます。「人が生み出すもの」は全て、「ニーズ」がないと「持続的
に存在」できません。ペットボトルの水も、社内の役職も、ニーズがあるか
ら、求められるから存在価値があって、そこに結果的にお金がついてきます。
お金になる = それだけの強いニーズ、があることが自分の活動を持続可能に
する上で必須です。
人は、「自分がやるべきこと」をやると、感謝されます。一所懸命やって、そ
れが仮に「自分がやりたいこと」だったとしても、誰も気づく人や感謝して
くれる人がいなかったら、それは存在していないのと一緒です。それでもや
りたければ趣味でやればいいかもしれませんが、人のハピネスは、人からの
感謝、人からの欲求によって満たされると思っています。つまりは、社会の
役に立つということです。
やりたいこと < やるべきこと、をやっていきましょう。
3
たぶん贅沢なこと言ってるのかも知れないけど仕事辞めたくって仕方ない。とりあえず退職金が割増しになる歳まで4~5年あるから、そのぐらいは我慢してもいいけど、それ以上はお断り。
サラリーマンとかOLというのはそんなもんなのかも知れないけど、2~3年ある部署で仕事してその仕事に慣れたら今度は新しい職場に異動…の繰り返し。私は仕事覚えたり新しい環境になじむのが苦になる方なので、このローテーションが拷問のように思える。ここしばらくは、比較的前の仕事とつながりの多い仕事をやらせてもらえているので、一から新しい仕事を覚えなければならない…という事態にはあまり陥らないけど、似たような職場でもちょっとずつ違う部分があったりローカルルールがあったりして、前の職場のルールがそのまま通用するわけではない。
あと、大規模組織の宿命かもしれないけど、異動希望なんか通らない。大きい会社で好きな仕事をしたいとか言うこと自体がわがままかも知れないけど、ある程度以上歳の行った人間に希望から外れた仕事とか本人の適性に合ってない仕事させると、周りの人間とか上司が大変な思いをするんだから、よっぽど本人の能力と希望がマッチしない場合以外はある程度かなえてほしいもんである。
で、最大の不満は休みが少ないこと。週5日働くのは当たり前だと思っている人多いかもしれないけど、シフト制のところで3日働いたら1日休み…みたいな生活してると、5日続けて勤務するのが苦痛になってくる。でもこれって休みをバラしてるだけのことなので、連休は非常にとりにくい。旅行とか好きだけど、だからといって休みを全部旅行でつぶしてしまうと洗濯とか家の雑用をする時間がなくなる。週休3日か4日だったら最高なのに。
うちの会社では週4日勤務の非常勤という制度はあるんだけど、それはそれなりに給料が安く、ボーナスも出ない。それに部署選びを失敗すると安月給のわりに仕事がきついということもあり得る。結構専門的な仕事を非常勤で募集してるのを見るんだけど、「そんな条件で来るやついねぇよ!」と人事を張り倒したくなる。
そして、うちの職場ってもろにワーキングプア製造工場なんだよな。5年が契約期間上限の契約社員がいっぱいいいて、いちおうその中で何人かを正社員に起用する制度はあるけど、受かるのはほんの一握り。優秀な人だけ手元に残せるので、雇う側には有利だけど、5年目を迎えて次の就職先をこそこそと探している子たちを見ると切なくなる。自分は正社員だけど、正直彼らほど一所懸命働いてない。しょっぱなから正社員として入った人間からすると、ここは決してエリート部署ではなく、出世をあきらめた人間が極力定時に帰り、プライベートな時間を有効活用すべき場所なのだ。安月給なのに、仕事をきちんとこなそうとけなげに残業して働く契約職員の子たちを見ていると、「偉いな」と思う反面、「こんなところに無駄にエネルギー使ってもしょうがないよ」と言いたくなる。
…こうやってつらつら書いていると自分でも楽な職場だと思うけどこれが永遠に繰り返されると思うと嫌なんだよね。毎朝早起きしてあくせく出勤するだけでもイヤ。自由になって旅行とか行きまくりたい。でもそのためには今の給料が維持されないと無理。かくして「辞めたい…」と思いながら出勤する日々は続く。