2018-09-02

オリンピックユニフォームNIPPONからJAPAN」へ

1976年モントリオール大会までは「NIPPON」だったのに1984年ロサンジェルス大会からJAPAN」に変わった

当時日本総理大臣アメリカ大統領とマブダであることを自慢し

アメリカ製品を買いましょうと、みずからCMにでるほど熱心に売り込んでいた

デトロイトでは自動車産業にかかわる労働者が、日本車をハンマーでたたき壊すという示威行動をしていた


なぜ日本語を放棄英語に変わったのか意味不明だが、

現在は「日本代表」といわず「なんたらジャパン」という奇妙な習慣が定着してしまった。

国内日本のことを「ジャパン」などと呼ぶのは国鉄郷ひろみくらいに思っていたが

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